とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
アイテムが待機している高級サロンに運び込まれたのは朦朧とした意識の中、何とか自分の足で立って歩くのがやっとの状態の七惟だった。
その隣には寄り添うように献身的な動きをする滝壺の姿。
彼女は七惟をソファーに座らせるとすぐさま濡れタオルや飲み物を準備する、対して絹旗は二人のやり取りを突っ立って見ることしか出来ない。
第一位と戦った七惟だったが結果は今の状態から鑑みれば火を見るより明らか、惨敗というよりよく生きて帰ってこれたというところだろう。
満身創痍の七惟を見れば今すぐにでも医療機関で治療が必要だが、それをよしとしないのは麦野だ。
麦野は生きていれば連れて帰ってこい、死んでいれば捨ててこいと滝壺に伝えている。
もちろん滝壺はこの生死の境を彷徨っているような七惟を戦闘になんて参加させたくないのだろうが、彼女の意思はアイテムという組織の中では無意味だ。
全ての決定権は麦野にあるのだから。
七惟の容態は全身打撲に出血多量、骨折と挙げたらきりが無いが特段目立つのは右肩に装着されている何やら薄気味の悪いゴツゴツとした機械だ。
話によれば右肩の骨が粉砕されて放っておくと出血は勿論止まらないし傷から細菌が入って腕が怪死してしまう可能性もあり、かと言って切り落として身体のバランスが取れなくなってしまっては彼の能力は大幅に下落し著しい戦力ダウンに見舞われてしまう。
それを防ぐために苦肉の策で暗部から取り寄せた一時的な、あくまで繋ぎのためだけの医療装置が支給されてきたという訳だ。
容態は良くなく顔は青白い、生気も感じられず死んだような目を半開きにしている七惟をまじまじと麦野は見つめる。
「へぇー……ふーん……アンタ、本当に一方通行に喧嘩売ったのね?」
「…………」
七惟は喋ることもままならないのか、それとも何もしゃべりたくないのか分からないが沈黙したまま。
「……そういえば最初アンタに会った時もそんな死んだ目をしてた気がするわね。ま、今は本当に死にそうなんだけどさ」
「むぎの」
「滝壺、取り敢えず生きた状態で連れて帰ってきたのは礼を言うわ。こんな死にぞこないだけどもちろん戦力にはなるからね」
「……」
雰囲気から感じ取れる麦野のピリピリとした不機嫌なオーラに滝壺も押し黙って何も言わない。
きっと七惟のことを心から心配している滝壺からすれば今すぐにでも安全な場所へ移したいだろうに。
「フレンダと浜面はまだ、ね……。それにしてもフレンダの奴、携帯も音沙汰無しってことは消されたかな……?」
「はまづら、大丈夫かな」
「あんな奴死んだっていくらでも代わりはいるから気にする必要なんてないわよ、それよりアンタも休めるうちに休んどきなさい。もう少ししたらあのバカ共に仕掛ける」
「……うん」
滝壺にしては珍しい、というかおそらくアイテムに加入してから初めて不服そうな返事を返したというのに麦野は気にも留めない。
今麦野の頭は仲間を労わるよりも、自分に辛酸を舐めさせた敵のことで一杯なのだろう。
「絹旗、アンタも同じよ。一人は仕留めたけどこっちもオールレンジとフレンダを消されてだいぶ戦力は削られた。でもまだ人数的には有利、次で決める」
「超わかりました」
ボロボロになった七惟、未だに姿を現さない浜面、音信不通となってしまったフレンダ。
今日の昼までは全員でファミレスの席を囲って談笑しながら浜面のエロファイルのことを弄ったり、皆でお昼を取ったり……今この状況からはとても想像出来ないような時間を過ごしていた。
それから時間にしてみれば僅かたったの6時間、12時から18時になるまでのたったの6時間であっという間に目を疑いたくなるような現実が目の前に振ってきた。
昼過ぎにはスクールの親玉である垣根、その腹心の心理定規と戦闘を行い、その後は迫りくるアンチスキルの追手から逃げてやっと辿りついたアジト。
その間にフレンダや浜面とは離ればなれ、七惟は一人でグループに戦いを挑んで再起不能。
人数的には確かにまだアイテムの方がスクールより有利だが、相手はあの垣根提督。
底が知れない、こちらの常識は一切通用しない、何処までその力及ぶのか、その未元の物質が迫ってくるかは皆目見当もつかない。
アイテムの戦力の双璧を成す七惟がこのような状態ではとても正面から戦って勝てるとは思えなかった。
あの時、霧が丘女学院を出る時……、七惟はメンバーの任務に向かった。
彼は『野暮用だ』と言っていて、その言葉を聞いた時はきっと七惟なら片手間で片づけられる簡単な仕事なのだろうと考えた。
だけれども、別れ際に一瞥した際彼の表情は全く冴えておらず、懸念していた案件が膨れ上がってしまっていたかのような、アキレスの踵を刺されたかのような苦い表情だった。
それでも大丈夫だろうと鷹をくくっていたものの……この有様である。
七惟が走り去っていくその背中をどうして呼び止められなかったのだろう?
どうして言えなかったのだろう、自分も一緒に行くと。
そうすればきっとこんな最悪な事態を回避する手立てはいくらでもあっただろうに。
「超七惟、意識はありますか?」
「……あぁ」
ソファーに横たわっている七惟は反応は鈍いもののこちらの問いかけにはある程度反応してくれる。
「きぬはた、なーないも休まないと」
「……そうですね」
声を掛けたもののその次の言葉を発しようとしたら滝壺が会話を遮ってきた。
今後起こりえる戦闘に向けて少しでも体力を回復して欲しいという思いからの行動だろう。
だが、だがしかし……そんな滝壺の行動を見て自分の中で消化しきれないもやもやとした感情がぐるぐると駆け回っている。
何故、この少女はこんなにも七惟と近い場所に居るのだろう?
何故、この少女はこんなにも七惟のために動けるのだろう?
何故、そこに自分は居ないのだろう?
こんな非常事態で、何時スクールとの戦闘が勃発するかも分からない切羽詰まった状況でそんな下らないことを考えてしまう自分に腹が立つもののその思いは考えれば考える程自分の中でドンドン大きく成ってしまう。
「何だか、超納得出来ませんね」
「なにが?」
「……分かりません」
あどけない表情でこちらを見つめる滝壺理后、自分より年齢は上だというのに穢れを知らないその瞳。
だからこそ、汚れていない彼女だからこそ表の世界で生きてきた七惟のことを一番よく理解して、彼のことを第一に考えて動き助けられるのだろう。
麦野から七惟の居場所を聞いた時だって全く迷う素振りすら見せず飛び出していった、自分の保身とか、今後のこととか、暗部組織としての動き方とかそういうのを一切合財無視して誰よりも早く滝壺は動いた。
対して自分はどうだっただろうか。
七惟が原発で死に物狂いで戦っているというのに、滝壺が必死の思いで彼を助けようとしているのに、自分は……唯この何もない場所で待つことしか出来なかった。
何故滝壺はそこまで出来るのだろう?
七惟が仲間だから?
いや違うだろう、唯それだけならばきっと彼女は今頃浜面やフレンダのことだって血相を変えて探しにいっている。
七惟が自分のせいでアイテムという組織に放り込まれたから?
あの時、滝壺の肢体を吹き飛ばされたくなければアイテムに加入しろと七惟に迫ったアイテム。
それに負い目を感じているのか?本来ならば利用された滝壺自身だって被害者だ。
でも心優しい少女にとっては自分のせいだと、自分が居なければそんなことにはならなかったのにと悔いていて自分のせいで七惟が死ぬなんて耐えられないのだろうか?
だから助けに行ったのだろうか?
……それも違う気がする、たったそれだけのことで幾ら滝壺が聖人君子だったとしても自分の命を顧みずあんなことをするだろうか?
じゃあ、いったい何が彼女を突き動かすのだろう?
目が眩むようなこの現実から逃げずに、耳を防ぎたくなるような轟音を物ともせず戦地に赴く心。
その感情の源って……いったい……。
さっきから分からないこの感情は……。
ソファーに横たわる七惟を見る。
もちろん生きて帰って来てくれて嬉しい、素直に嬉しい。
これだけの重傷を負ってはいるものの腐っても学園都市が誇るレベル5、最強の距離操作能力者であることに違いはない。
今後の展開のことを考えれば七惟は必ず戦力になる、だからこそ麦野だって滝壺の暴走に近い行為を咎めずにいるはず。
彼が居れば居るだけアイテムの生存確率が高まるのだから生きている人間としては当然の感情のはずだ。
……だけど、だけど本当にそれだけか?
いや違う、七惟は臨時ではあるもののアイテムの構成員であることに間違いはないがそれ以上にちょっと昔から付き合いがある悪友で……友人だ。
アイテムの戦力、全距離操作として何者にも変えられない力を持っていることは事実だが、自分にとっての七惟理無は誰にも変えられない、一緒に馬鹿なことをしたりB級映画を共有してくれる友達。
それに自分の愚痴だって聴いてくれる、全然掴み所がなくて分からないところばっかりな七惟だけど、彼と一緒に過ごす日々は自分の中ではやはり特別だ。
最初は汚れ仕事を一緒にしていた唯の同僚だったのに、気が付けば一緒に居て遊んだり喋ったりご飯を食べたり……でもその間に大ゲンカだってした。
暗部の中のどうしようもない裏切りや謀略の数々の中では絶対に経験出来ないようなことを彼とはやった、滝壺よりも自分のほうが七惟と過ごしてきた時間は、記憶はたくさんある。
彼の代わりは誰も務まらない。
他の人間達とは過ごしてきた期間も、内容も、共有してきた時間も全てが違う特別な人。
きっと、きっと滝壺にとってもその七惟は特別な人なんだ。
何者にも変えられない特別な人だからこそ、彼女は何としてでも彼を助け出そうと自分のことよりも七惟を優先した。
きっと彼女は……滝壺は七惟のことを『好き』なんだ、だから他の人は絶対にしないようなことだって出来る。
これがきっと、人を『好きになる』っていうことなんだ。
滝壺のやっていることは、好きな人に対しての気持ちを、感情を体現しているんだ。
七惟理無は、滝壺にとって特別な人、異性として好きな男の人。
滝壺と七惟のやり取りを見てもやもやしていた自分、分からない感情に戸惑っていた自分……馬鹿をやって、下らないことを言い合って、会話のドッチボールをやって……でもそれだけで心が満たされていた、胸が弾んでいた自分がいる。
自分にワクワクを届けてくれるその七惟は、自分とは正反対な滝壺が好きな人。
そう考えると物事が手につかなくなる、どうしようもなく胸が苦しくなってしまう……。
「……私は」
もしかして、もしかして自分は滝壺と同じで七惟のことを『好き』なんだろうか。
この胸が苦しくて軋むような感覚は、好きな人を滝壺に取られてしまうからなんだろうか。
ずっと隣にいたのは自分なのに、最近知り合ったばかりの滝壺にその居場所を取られてしまって……嫉妬、している……?
分からない、気付かない内にドンドン大きく成ってしまったのこの感情。
いったいこの感情は何処へ向ければいいんだろう、どうやって伝えればいいのだろう?
誰か教えて……何もわからない馬鹿な私に。