とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
人の気配が消え去ってしまった第22学区の地下都市、そこには『普通』ではない人間達の戦場。
天草式と後方のアックアの闘いは、誰が見ても分かるワンサイドゲームだった。
天草式の戦士達が用意してきたあらゆる策と術式はアックアの圧倒的な才能と力の前に成すすべもなく崩れ落ち、悉く破壊されていく。
遂には彼らが対聖人用に温めてきた最終兵器、『聖人崩し』さえも看破されてしまった。
術式の中心となっていた五和の身体には幾重もの防護術式で守られていたが、巨大なメイスの一撃はそれらを容易く突き破り、彼女の身体を地下都市のオブジェへと叩きつける。
青一色で埋め尽くされた隔壁が歪み崩壊していくと同時に、五和の身体は第3下層の更に第4下層へとコンクリートの大地を突き破り落下していった。
後を追うように術式を崩された天草式のメンバーが上から落ちてくる、身体を守っていた術式は何の役にも立たない、あの男の前では。
「つまらん、数を揃えて策を練ってこの程度か」
「何を……!」
「私が告げた期限まで、まだ幾許かの猶予がある」
アックアが操る水を滝のように流し、その上を滑りながらこちらへと近づいてくる。
あまりの規格外の行動に科学側のセンサーがデタラメに鳴り響くが、そんなものなどに動じるアックアではない。
「選択肢を与えよう。あの少年の右腕を差し出すか、此処で大地の染みとなるか」
「……」
言葉が出る前に五和を始めとした天草式の身体が動き始める。
血だらけになった身体を引きずりながら、それでもその宣告を受け入れられないと訴えた。
「なるほど、ならば狭間へと消え去るが良い」
アックアが特大のメイスを頭上に構える。
容赦などしない、それが数多の戦場をくぐり抜けてきた男を貫く一本の槍。
だが天草式とて槍がないわけではない。
彼らは、救いの無い者に救いの手を差し伸べるために闘い続ける。
今だってそうだ、全てを持ってしてでも適わないと分かっていながらも、此処でその流儀を捨てて逃げ帰るような選択肢は始めから存在しない。
「それでも……!」
五和が自身の持つ全ての術式を持って身体を動かし、アックアへと飛びかかる。
だが、他の仲間の援護を受けていない彼女の動きは先ほど聖人崩しを撃った時より遥かに鈍り、緩慢だ。
そんなものはアックアの脅威になるわけもない、初戦の時と同じように糸も容易く受け止められ、無慈悲な瞳が彼女の顔を捉える。
「引くわけにはいきません!」
「その心意気認めるが、もはや気持ちに身体がついていっていないのである」
ぐっとアックアの身体に力が入ると、まるで肩について埃を振りほどくような仕草で、五和の身体はまたもや吹き飛ばされる。
やはり天草式一個人では余りに無力だ、50人余りが一つとなってぎりぎり付いていけるような闘い、それが天草式とアックアの闘いだ。
「五和!」
「くそ……!」
その時、天草式全てを始末するべくアックアの操る狂気の水が第4下層へと流れ込む。
何十トンもの重さを誇る殺人兵器が、ハンマーのような形を模して天草式へと叩きこまれようとした。
五和は、こんな死を目前にした状況でも恐怖という感情一つすら浮かび上がらず、唯々無力な自分への怒りが募るばかり。
天草式の全てを持ってしてアックアへと挑み、万全ではないが考えられるだけの策と術式を組上げ、対聖人最終兵器の『聖人崩し』をも実践登用したというのに、あの男の身体に傷一つ付けられないとは。
アックアの凶刃に倒れる直前の七惟の言葉が脳裏を過る。
『あと少しだけなら、抑えられる』
『行け、五和!』
あの人は、此処まで言ってくれた。
今回の一件では彼ははじめ無関係だった、彼を巻き込んでしまったのは自分の責任。
天草式に良いイメージを持っていない七惟が共闘してくれているのはおそらく狙われているのが彼と親しいと思われる上条当麻であること。
そして……あの時の声を聴けば分かる、きっと仲間である五和が戦いに赴くのに、一人その帰りを待つなんて器用なコトが彼には出来なかったから。
初めてであった時のことを思い返せば七惟がそんなことを考えて行動に移すだなんて奇跡だと思う。
神裂火織に殺されかけて、暗部の抗争で戦って……あの二つを経て彼は大きく変わった。
それでもきっと、天草式と共闘することに関して彼がよく思っていた訳がない。
七惟は天草式を好きではない、寧ろ天草式のことが嫌いだった。
それもそうだ、初めて出会った時は命を狙われ、上条当麻を助けるために共闘した時は煙たがられ、天草式の最高指導者である神裂火織に付け狙われて……。
彼と天草式が関わって起きた出来事には、いいことなんて一つも無かった。
それにも関わらず、七惟は天草式に属する自分のことを仲間だと思って、戦場に駆けつけて身を投げ出し戦ってくれた。
全く戦力にならず、足を引っ張ることしか出来なかった自分を見捨てず、危険を顧みず逃げろと言ってくれた。
あれだけの実力差を目の前でマジマジと見せつけられたのに、その超えられない圧倒的な暴力の前で彼は自分を奮い立たせて五和の壁となってくれた。
そんな七惟の想いや行動に対して、実際の自分はどうだ?
気持ちは、彼の思いに応えたいと今も叫んでいるのに、身体の方が諦めてしまっている。
情けない、七惟は50人が団結しても凌げないアックアの攻撃をその身一つで何度も受け止めて闘い続けたと言うのに、自分達はアックアの攻撃をたった2、3度喰らっただけで立ちあがることすら出来ないなんて。
こんな身体じゃ、七惟の『仲間』ということすらおこがましい。
目を見開き、憎々しげに自分の身体へと叩きつけられる深い青を見つめ続けた。
見続けたからこそ、五和の目ははっきりとアックアの手が途中で止まるのを捉えたのだった。
その場を凍りつけるような絶対零度の『気』のようなモノを、五和を始めとした天草式の全員が感じた。
アックアも同じようで、動きを止めてその得体の知れない『気』……敵意では収まりきれない、もはや殺意の塊を身体で感じつつも、満足そうに言う。
「なるほど」
アックアが呟くと、今までアックアが操っていた水への魔術が切れたのか、上空でハンマーのような形状を保っていた大量の淡水はその場で四散し、周囲へと撒き散らされていく。
アックアの表情が今まで以上に深く刻まれ、五和を一瞥し、
「命拾いしたな。貴様の主に感謝しろ」
それだけ言い残して、肉眼では確認出来ない程のスピードで目の前から消え去って行った。
目前に迫った死から解き放たれた天草式の仲間達は心此処にあらずといったところか、目を点にしてただ今までアックアが佇んでいた場所を眺めている。
五和も同じで、何故あと一歩か、もう仕事の内にも入らないような動作だけで殺せる自分達を見逃したのか理解出来ない。
「貴様の……主?」
アックアの残した言葉だけが頭で反響しているようだった。
いったい、アックアは自分達を見逃していったい何処へと向かったのか。
殺す暇など惜しい敵が現れたのか。
それは誰なんだ、とアックアの向かった先を見つめたがその先に広がるのは唯の深い闇だった。
*
時刻は深夜3時を回り、冬間近となったこの時期では太陽の姿を拝めることが叶うのは数時間先だろう。
絹旗最愛はそんな真冬の真夜中に、第22学区に広がる地下都市のある扉の前で雑誌を読みながら暇を持て余していた。
彼女の背中に立つ扉は地下都市の第4下層へと続くもので、爛々と明かりに照らされる地下通路から外へと通じるものだ。
表向きにはまず『無酸素警報』という地下都市特有の危険で人々を退却させ、その後は全てのゲートに電子的な異常が起き、ロックが開かないこととしている。
だがそんなモノは当然嘘っぱちで虚偽の情報、無酸素状態になんてなっていないし、ゲートのシステムも平常運転だ。
そして扉の前には元アイテムで、今でも生計を立てる為に暗部の仕事をこないしている絹旗最愛がいる。
これだけ情報があれば十分である、彼女が守る……と言ってはおかしいものだが、見張っているこの扉の奥では学園都市極秘の実験が行われているらしい。
その実験内容がどんなものかは絹旗自身も教えられていないし、知りたいとも思わなかった。
彼女は唯淡々とこうやって扉の前に立ち、近づいてくる人々を『立ち入り禁止です』と追い払うだけ。
怪しまれないように今はジャッジメントの紋章まで二の腕に巻いている、いつもふんわりとしたニットの服装にこれは絶対合わないと思うのだが、仕事だし仕方がない。
『しかし……ホント超暇ですね、こんな超暇な仕事なら浜面でも呼んでおけば良かったです』
絹旗がこう思うのも最もだ。
携帯に仕事の電話がかかってきたのは午前0時前。
もちろん絹旗は七惟の自宅から引き揚げ帰宅し睡眠を取っている最中叩き起こされた訳である。
そこから寝ぼけた頭で仕事の内容を確認するとすぐさまこの扉の前に来るように言われ、指示された通りこのつまらない役に配置され、そこから3時間以上こうやって馬鹿みたいに突っ立っている。
危険性が皆無なのはありがたいのだが、それでも少しは刺激が欲しい。
大きな欠伸をかまして、年頃の女の子の癖に口も抑えないその姿が如何に暇なのかを物語っていた。
眠たい、暇な上に。
だいたい深夜3時など普段ならば寝ている時間帯なのだ、この時間帯に起きていては身体に悪い。
彼女は成長期の少女な訳であって、不十分な睡眠では身体の至るところに発育不全をもたらしてしまう。
お肌の荒れも心配だ、まさか若くしてしわくちゃでかさかさな残念な肌になどなりたくもない。
地下通路なので空調も効いており、若干証明が眩しいが眠ること事態に差し支えは無いだろう。
それでも一応仕事は仕事なのでと、眠たい目をこすりながら再び雑誌へと目を向けると、正面地下通路の右側の階段から誰かの足音が聞こえてきた。
またか、と絹旗は小さなため息をつき雑誌を脇に置く。
既に今日3、4人『通行止めです』と言ったが、こんな時間までぎゃーぎゃーと活動活発な方々は昼間にそのエネルギーを発散するべきだと考えずにはいられない。
不貞腐れた表情をジャッジメントらしく整えて、一応可愛らしい笑みを浮かべようと努め階段を下りてきた人間を確認する前に言葉を発した。
「すみませんが、此処は超通行止めなんです。電気系統のシステ……」
そこまで言って、彼女の口が止まった。
「絹旗?」
階段を降りてきて自分の名前を口にしたのは、元アイテムであり、暗部抗争で絹旗達を助けてくれた人であり、想い人である学園都市第8位の少年。
「な、七惟!?」
七惟理無その人だった。