とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
休日の朝、静かな空間、香り立つコーヒーに座椅子とちゃぶ台、学生たちが勉強を始めるには絶好の条件。
勉強日和。
その空間にまるで誘われるかのように教科書を開いて勉強に取り掛かった少女がここにいた。
「……何故ここでこんなことを考えるかが分かりません、此処は合理的に行動すべきで主人公の感情は無駄です」
「あのね七惟さん、そういうロジックじゃないから国語」
「むぅ」
今、美咲香は自宅にて友人の佐天、初春を呼んで勉強会の真っ最中だ。
昨夜はあれだけドンパチやった美咲香の家も今では綺麗さっぱり片付いており、勉強するにはうってつけの状態になっている。
もちろん此処まで綺麗に片付いたのは今朝から彼女の兄である七惟、そして大富豪で負けた絹旗、雑用を押し付けられていた浜面の頑張りがあったからである。
ちなみに誰かが寝ぼけてトイレでコーヒー牛乳を零したせいで今もトイレは甘い香りが漂っており、おそらく零した犯人である絹旗と七惟が現在も二人でせっせと片づけている。
主に絹旗が手を動かし七惟が現場監督のように指示を出しているので二人で片づけているというには言い難いのだが。
昨日宴会で使ったちゃぶ台を勉強机の代わりにして使う三人は、午前中は美咲香が超絶苦手としている現代文という名の国語、午後からは逆に佐天が苦手としている数学に取り掛かる予定だ。
佐天は逐一美咲香の質問に答え、初春は自身の宿題を黙々とこなしている。
「あー七惟さん此処はね、主人公はどう考えても後悔してるでしょ?だからそんな無理やりなことはしないって!」
「……何故ですか?今後のことを考えてここは無理やりにでもこの行動を取ったほうが絶対に問題は解決します。『もうこんなことはどうでもいいので無理やり問題を解決しようとしている』が絶対に正解ですと断固として引きません!」
「あ……」
「……間違ってました」
「だから言ったじゃーん」
「どうしてこの主人公はそんなことを考えるのですが、終わったことをイチイチ思い出してあーでもないこーでもないというのは非常に生産性に欠ける行為です。そんなことをするのならばすぐにでも次のアクションを取り次の危機に備えて行動するのが最も合理的であって周囲から見ても正解であると思えますと力説します」
「あはは……七惟さん、確かに言う通りだけどこういうすぐに頭の切り替えが出来ない人もいるんだよ。私とかも結構そっちのタイプだし」
「そうなのですか?佐天さんがとてもそんなことを考える人だとは思えません」
「ううん、そういうことも考えちゃうよ。一人だとね。だからこの人の気持ちとかよく分かるなぁ」
「はぁ……」
「七惟さんも大変だった時に理屈じゃなくて感情で動いたことがあるでしょ、それと同じだよ」
「同じ……?」
佐天が笑いながら言う言葉には何処か説得力があった。
そういえば夏のあの日、身を焼くような熱い熱帯夜の世界で、誰かを前にそれを叫んだ自分が居たように思う。
そして思い出した、その誰かは確かに兄だった。
もしかして、佐天も、そして……この問題集の主人公もあの時の自分と同じような心情なのだろうか……
「何だか、分かった気がします」
「ホント?それなら良かった!次いこう!」
そう思ったら、何だかこの問題集の主人公が違って見えた。
さっきまではうだうだ言って何て非効率的な行いなのだろうか、と懐疑的にしか見えなかった彼の行動全てが一つの点に向かって進んでいるような気がする。
なんだ、そういうことなのか。
「……私も気付かない内に、そういう行動をしているんですね」
「七惟さん?」
「いえ、なんでもありません佐天さん。次に進みましょうとページを進めます」
「うん」
*
美咲香達が勉強に勤しんでいる一方で、七惟と絹旗は1ルームの狭いトイレの中で格闘が続いていた。
どこぞの馬鹿が思い切りコーヒー牛乳を零したせいでトイレの中は甘ったるい臭いが充満しており、カバーやマットも全てコーヒー色に染まっている。
「うぅ……どうして美咲香さん達が勉強している傍らでこんな超悲しいことをしなくちゃいけないんですか」
「トイレの中にコーヒー牛乳を持ち込んだお前が悪い」
「ね、寝ぼけてたのは認めますけど!七惟の部屋の配置が超悪いんです!台所から向かって正面右は私の家では洗面台なんです!」
「はいはい。まぁ昨日遅かったからな、流石にお前を放置して一人で掃除しろなんざ言ってねぇだろ。途中まで浜面にも手伝って貰ったし」
「そ、それは……そうですけど」
「ほら、もう少しだぞ。マットの手洗い終わり、リセッシュ終わり、あとは最後に四隅の汚れを取って終わりだ」
「あああ、もう超めんどいいい!これ絶対私がやったのじゃないですよ七惟!普段の掃除やってないツケを私に払わせてるだけですよこんなのおお!」
「ありがとう絹旗。お前の御蔭で綺麗に片付きました」
「その棒読みの御礼本当嬉しくないので超やめてください!」
「うっせえなぁ。まぁお前の言ってることは半分当たりだから素直にお礼言っただけだろ」
「……うぅ、七惟にハメられました」
「人聞きの悪い。そんなことだから寝ぼけてトイレで絶叫してコーヒー零してその場面を美咲香に見られるだろ」
「あああ、もうその話は超止めてください!大人しく片付けしますから!」
「よしそれでいい。昼前には終わりそうだ」
「……七惟も手伝ってくれたらもっと早く終わると超思う」
「あん?なんか言ったか」
「超なんでもないですないのですぐに手を動かします」
「よろしい、口だけじゃなくて手を動かして同時に作業をするのが暗部を受け持つプロの仕事だ」
「これ絶対暗部関係ない」
今回の仕打ちに未練たらたらな絹旗は掃除を始めた時からあーだこーだ言っているので七惟が監督しているのだが、絹旗からするとうっとうしいことこの上なかったりする。
それにしてもよく七惟と美咲香はこんな狭い家で二人暮らしが出来るなと感心する。
絹旗が以前住んでいた部屋は1LDKでこの家よりかなり広かったしもっと内装も外装も綺麗で……自動ドアだったし。
学園都市が誇るレベル5がこんなところに住んでいるなんて本当に意外だ、昔麦野の家に訪れたことがあったが当時の自分よりも明らかにグレードの高い家に住んでいたのは間違いない。
まぁ自分もアイテムが壊滅した今では七惟のことを笑えないくらいおんぼろのアパートに住んでいるので、高級マンションよりもこちらのほうがまだ親近感を覚える。
「ふあぁ、超眠いです」
「まぁ昨日は寝たの3時過ぎだったからな。実質5時間くらいだから流石にな。でも暗部時代はもっとめちゃくちゃな生活習慣だっただろ?」
「いえ、そうは言ってもなるべく6時間以上は眠るようにしていました」
「意外に規則正しいんだな」
「成長真っ盛りの今に睡眠不足は超天敵ですから」
「はいはい」
実際絹旗としては夜中の行動や仕事はなるべく避けたいと思っている。
その理由は単純で成長期に睡眠不足は成長の大きな妨げになるからだ。
実際に自分はもう14歳になろうとしているのにこんなに成長して欲しい所が成長しないのは暗部での睡眠不足が原因なんじゃないかと思っている。
あの生まれたばかりの美咲香……まぁ身体のモジュールは超電磁砲なのだが、実際1歳児でもあれだけ成長しているというのにコツコツ13年間成長を積み重ねてきた自分としてはあまりにもアンフェア感を感じてもんもんする。
「そういえば、美咲香さん。あんな感じなのにもう学校で友達が出来たんですね」
「まぁな」
「何処ぞの誰かは友達0の金字塔を16年間くらいに築き上げたのにそれと比べると超違います」
「お前昨日もそれさらっと言ったが俺をそこはかとなく馬鹿にしてるだろ」
「そんなことないですよ。ただ……」
「ただ?」
「そんな七惟を中心に、人の繋がりの輪がこんなに広まっていくなんて今でもちょっと驚いているだけです」
「……まぁな」
「そこは超否定しないんですね」
「事実そうだからな」
「何だか調子が狂いますよ」
夏までの七惟……というよりも、この美咲香という個体と七惟が同居してから色々なことが大きく変わっていった。
七惟はたくさんの友達や仲間が出来る一方で昔からのしがらみのある暗部とは一切合財繋がりを断ち切って独り立ちしていった。
それを余所に自分たちアイテムは右往左往しまくってその最後はリーダーがこの世からいなくなって組織消滅、フレンダは行方不明、滝壺は重度の病気を患い長時間単独での行動なんて不可能な上入院中、そして自分は今も暗部の組織を受注し何とか食いつないでいる。
昔に比べて生活の質はぐんと落ちたし、住んでいた家も追い出されて今は一人で七惟の住む団地のアパートをバカに出来ない1Kの家に住んでいる。
しかし、それでも絹旗は以前の裕福な暮らしに比べて今の生活のほうが充実していると感じているのは間違いない。
それは何故だろうか、暗部組織が無くなって殺しに関する仕事をしなくてよくなったから?麦野が居なくなってストレスの要因がなくなったから?
どれも違う気がする、昔よりも生きている、という実感があるのだ。
唯漫然と過ごしていた過去と今は明らかに違う、きっとそれは隣で壁にけだるそうに寄りかかっている彼が原因だ。
七惟とは小学生時代からの付き合いだったが、彼と会うと過ぎ去っていく景色に何だか色がついたように感じるのだ。
それは今も同じ、いや……昨日よりもずっと前、あの暗部抗争の日、あの日から自分の辿った道にはきっと全てに色がついていて目に焼き付いている。
「でもその御蔭で今私も超充実してますから」
「……」
「こういうトイレ掃除も楽しんで普通にはやれないですからね」
「……何だかこっちが調子狂う」
「お互い様ですよ」
そう言って笑顔を向けたが七惟が見せたのはそっぽを向いてぽりぽりと頬を掻く姿だった。
照れているのか、と思うと何だかそれも彼らしい。
一緒に居るだけで楽しい、そんな彼とずっと一緒に居られたら。
そんな風に自分を思わせる七惟だからこそ、きっと自分は彼のことが好きで好きでたまらないんだ。
「よし、超終わりました七惟!お昼です!何か食べに行きませんか?」
「そうだな、手洗ってこい。おーい美咲香、俺達は出かけるから戸締り頼むぞ」
「分かりました、行きましょう七惟!」
だからこそ、これだけ毎日が色づいていて今までと違った景色が私には見えるんだ。