とある科学の距離操作(オールレンジ):改訂版 作:スズメバチ(2代目)
「ったくアイツら……調子乗りやがって」
七惟は滝壺の病室を出て、全員分の飲み物を買うため外に出た。
いや、部屋から出るための口実が欲しかっただけなのかもしれない。
あれ以上あの会話内容を続けていくと、なんだかとんでもないことが起こるかもしれないし、おかしなことになりそうだ。
どうも3人は七惟と美咲香の間に男女の仲云々があるのを疑っていたようだが、そんなことがある訳ないのだ。
根気強く説明しようにも浜面が煽りまくるせいで話は通じないし、絹旗と滝壺は腑に落ちない顔をしていた。
しかしあれ以上は七惟の精神も持ちそうになかったため、こうして外に出たわけである。
何だか次に美咲香に会った時に気まずくなるような、そうでもないようなざわつく感じがして仕方がないが、気を取り直す。
滝壺が入院している病院は非常に大きく、七惟も何度かこの病院にお世話になったことがあるが未だ道に迷うこともある。
そして女性と男性が入院する病棟は基本的に異なるため、自分が入院してきた時と同じ感覚で動いていては忽ち目的地を見失ってしまう。
要するに軽く迷路のようなものなのだ、故に病棟で迷子が頻発するという苦情も出ているらしいが……。
「A棟とB棟とC棟……ん?どっちがAだ?滝壺は確かDだったがAから行けるのかこれ」
病院入口のエントランスに設置してあるコンビニで買い出しを済ませた七惟だったが、彼も例に洩れず道が分からなくなっていた。
だいたい滝壺のお見舞いに来るときは滝壺が特殊な症状の為専属の看護師がついており、彼らが道案内をしてくれる為任せついていくだけだったので楽だったが、こうしていざ一人で行動するとよく分からなくなってしまう。
この年齢で迷子など笑えないので、七惟はすかさず来た道を戻り案内掲示板を探す。
病院が巨大過ぎるのも問題だ、こういう病棟の先の外れの方では人の出入りがほとんどなく、職員も見かけないためすぐに道を尋ねることが出来ないのだ。
案内掲示板を見るのもこうやって探す始末、面倒だとため息をつく。
しかしそんな七惟に救いの手が現れる、後方から廊下を歩く誰かの足音が聞こえてきた。
職員であればすぐに道を尋ねよう、流石のコミュ障の七惟もここ数か月でだいぶ対人スキルが発達したので職員に道を礼儀正しく聴くくらいは何とか出来る。
それでも何とか、がつくのはやはり彼の身に染みた今までの常識や身体が邪魔をしてしまうからだ。
これが職員じゃなくて病院を訪れた一般人であればおそらく聴くことなんて出来やしないので、七惟は若干祈るような形でその足音の主を確認すべく振り返るが……。
そこに立っていたのは。
「あら、全距離操作。こんなところで会うなんて奇遇ね、愛しい誰かのお見舞い?」
「奇遇だぁ?ふざけんじゃねえ、てめぇがこんなところに来るなんざ偶然が有り得るか」
予想だにしない人物であった。
*
「はぁ~、平和、そしていい天気」
冬も近づいてきた日本の晴れ空は、透き通っていて気持ちがよい。
元気よく真っ青な青空の下を歩く褐色少年の名前は紀伊源太。
七惟美咲香と同じ病室で共同生活を送っていた少年であり、最近はもっぱらその少女にお熱を上げている男子である。
名前はもちろん父親が付けてくれた名前だ、彼の父は日本人で母親は東南アジアの人間。
所謂ハーフだ、多少母方の血が強いのか肌の色は褐色だが目と髪は日本人の色が濃い。
年齢は15歳、東南アジアの孤島で一人住んでいるところをこの学園都市の調査部隊に保護されてこの日本国にやってきた。
彼の父親は生粋の日本人だったが何のもの好きなのか紛争が起こっている地域に足を運んでは善行を積むのが大好きで世界各地でボランティアを行っていて、その最果ての地が海に浮かぶ紛争地帯の孤島だった。
口癖は『明日のことは分からないけど、今よりきっといいことがある』だった。
対して彼は母親の記憶は一切無い、どうやら父がこの孤島で出会った女性だったらしいが彼が自我を持った時は既に母親は他界していたのだ。
紛争地域ではよくある話、銃撃戦に巻き込まれ亡くなったとのことだった。
父に母のことを訪ねるとそれだけを答えてくれて、その後は決まって物悲しい表情で虚空を見つめるばかり。
そんな父も最後は母と同じだった、息子を守るためにその身を晒して『最後は悪いことをしちまった』と笑いながら亡くなったのを昨日のことのように彼は覚えている。
その時の自分はよく『死』というのを理解していなくて、父親の死をしっかりと認識できるようになったのは父が死んでから数年経った後。
だけれどもその時理解していたならばきっと自分は精神がおかしくなってしまっていたと思う、自分を庇って父親が死んだだなんてあの年齢の子供が自覚したならば心が耐えられなかっただろう。
時間差で理解した父親の死はもちろん彼が激情に飲み込まれるには十分な理由になったが、紀伊はそれでもそのたくましいメンタルで耐え切り生活を続けていた。
読み書きや常識は父から教わったものしかない、つまり彼の知識レベルは5年前から発達はしていない。
だが一人で生き抜く力は自然から教わった、暴風、豪雨、うだれるような熱、それら自然が彼に与える様々な試練が紀伊を強く育てていった。
そして気が付けばそれらの力が彼を助ける味方となり、時には刃に、時には鎧となって彼を守っていく。
何時からだろうか、ある特定の自然の力が自分にとって都合がよく動いていると感じたのは。
その自然の力は『風』
吹いて欲しいと願ったその時に風が吹き木の実が落ちる、侵略部隊が襲って来れば暴風が吹き荒れて災害が起こる。
槍にも楯にもなるこの力はいったい何なのだろう。
父が亡くなってからの5年でその力は作用はどんどん大きくなった、そしてもしやこの力は自然の恩恵ではないのかもしれないと思い浮かんだその時に、彼は父と同じ日本人に保護されて日本国にやってきた。
そんな彼も今では野生児として育ってきた面影は成りを潜めて、この学園都市で一人の中学生として生きている。
この都市は自分が生きてきた孤島なんかより遥かに安全で、快適だけれど……自然の力はほとんど感じられない。
だけれど、人の力を感じる。
その人の力が、また自分に何かを与えているというのを毎日実感している。
特に……一緒に入院していた少女、美咲香と言ったがあの子の兄から物凄い力を感じるのだ。
それこそ自然界でしか感じたことが無かったような暴圧を彼から時たま感じる、だけれどそれは攻撃的ではなくて美咲香を守るように展開されているので喜伊にとっては無害であった。
そのことを彼女の兄に尋ねたことがあったが答えは要領を得ないものばかりで、最後には『しつけぇ』と一刀両断。
流石にストレートに『美咲香さんを守ってるの?』と聞いたが悪かったのかもしれないが、何だかこう色々と考えるのは面倒で率直に聞いてしまったのだ。
彼女の兄を不機嫌にしてしまったその後は美咲香から『敬語を覚えましょう』『態度を改めましょう』『常識とはこういうものです、私は体験したことがありませんが知識はあります』等々一緒に勉強というか説教を食らったものである。
彼はそんな美咲香を息を吸うたびに、話し合う回数を重ねる度に好きになっていった。
元々住んでいた島にも異性は居たが、どの女性も喜伊から見たら魅力を感じたことがなかった。
何故だろう、住んでいた当時は理解出来なかったが日本に来てから分かった。
あの島にいた女性達は、喜伊からすれば『普通の人間』だったからだ。
自然と戦い一人で生きていた喜伊は、村に住む女の子たちは父から教えて貰った異性の範疇を出ていなくて、興味がわかなかったし、その子たちと一緒に居るくらいならば森で食料を調達したほうが良かったからだ。
要するに生きるのに精いっぱいで、他のことなんて気にならなかったのだ。
この日本国に来てからも、もちろん彼の本質は変わっていない。
変わっていなかったのだが……目の前でトランプと睨めっこしている美咲香は、彼の父が教えてくれたどんな女性よりも魅力的に見えた。
自分の知らない異国の地の女性だからという訳ではない、その一挙一動が自然の流れと相反するような動きをしていてどうしてそんな行動をしているのか分からない。
分からない、知りたい、もっと仲良くなりたい……そう思って言ったら、あっと言う間だ。
喋り方すら、彼女の好むものになっていった。
そんな美咲香に恋する少年喜伊源太は今日は学園都市の探索をしている。
退院してから月日もある程度流れて学校にも通ってはいるものの、彼にとってこの学園都市は知らないものばかりなのだ。
彼はこの退屈しない毎日が大好きだ、ふと外を歩けば彼が知らない世界が広がっている。
テレビや冷蔵庫くらいは近隣の村にあったが、エレベーターとかエスカレーターとか、高層ビルとか商業施設に……グルメにデザート。
僅か1か月少しで彼の常識は見違えるように変化していった。
そして今日も彼は刺激を求めて道を歩く、今日は商業施設で異性に送るプレゼントに関しての知識を身に着ける予定だ。
何せ季節は11月、何やらこの国では12月のとある日に好きな異性にプレゼントを送るのが恒例行事となっているらしい。
そういうことに関して美咲香が興味があるのか分からないが、自分は興味津々である。
そんな好きな子に振り向いて貰いたい、その一心で突き進む喜伊の目の前にふと飛び込んできたのは……。
「うーん……このガチャガチャ……コンプリートしてないゲコ太のストラップがあるけど……絶対出ないのよね」
想い人と全く同じ顔つき、体つき、声をしていながらも彼女の兄と同じレベルの暴圧を纏う一人の少女。
また自分が知らない世界がひょっこりと顔を表してきたらしい。
紀伊は15歳だが、まるで小学生が浮かべるような無邪気な笑みを浮かべてを少女にふと声を掛ける。
「ねえ、お姉さん。そこに何か面白いものでもあるんですかー?」