篠ノ之束が、帰還中のフェイト・テスタロッサとアルフを発見したことは、大いなる驚きを以て迎えるべき事実であった。
フェイトもアルフも、何も無防備に飛んでいるのではなかった。姿形から熱源に至るまで、地球の技術力では飛んでいるという事実すら捉えることが困難なほどのステルスを、魔法によって行使していたのである。そこまで難しいことではない。それどころか、デバイスによって自動的に発動させてしまえる程に軽く、負担も小さい魔法だ。
ただし、ミッドチルダの進んだ科学技術や魔法による探知に対しては殆ど無力であって意味はなく。使用用途はひとえに、地球のような管理外世界における人避け・監視対策であった。
だから、たった今束が両目に当てているような双眼鏡では、フェイトやアルフの姿など、全く見えず掴めないはずなのだが。
「ふぃー、ひっひっひ、ひひひひ」
しかし束は掴んでいた。例によってこの双眼鏡も、束印の発明品であるからだ。
その名もシンプルに、「魔力素検知機能付き双眼鏡」。突貫工事なので名前を付ける間もなく実戦投入されていた。
効果は名前の通り。空気中の魔力素分布を表示するというものだ。魔力素、それは確かに地球文明と束にとっては未知の分子である。がしかし、全く異なる世界にのみあるでなく、この世界の空気中にも確かに含まれているのなら、束の頭脳はそれを理解できるのだ。
故に、その存在を確認するどころか、このように分布を表示する機械まで作り出してしまっていた。
とはいえ、それだけでは理由にならない。
フェイトとアルフが行っているステルスなど、暴けやしないはずである。
だが。篠ノ之束は天才であった。
「そこそこ、ちゃんと見えるよ。分かっちゃうよ」
笑みを浮かべる束が注視しているのは、魔力素の一際濃いエリアであった。それはまるで自動車の排気煙のように、飛行機雲のように真っ直ぐ連なっている。
つまりそれが、少女と使い魔の航跡。魔法行使で飛行している跡である。それを辿れば、彼らがどこにいるかは解析できる。
ただ、そこまで単純な話でもない。束の追う場所は高層ビル街の更に上空、常に風が吹いている場所なのだから、魔力素の濃淡などすぐに流れて分からなくなってしまう。辛うじて残っている足跡のような点と点を結びつけるのも至難の業だ。常人ならば。
しかし、束は僅かな手がかりだけで、一人の少女と一匹の狼がどう移動していったかなど、いとも容易く『予測』出来てしまうのだ。
「あれがあれで、これがこうで、だーから、そこに居るんだねぇ」
魔力素だけではない。風速、気温、湿度、街の構造、そして先刻この少女がユーノやなのはと戦っているという事実。それらを脳髄に入力して脈動させれば。
束の目には、確かに見えるのだ。己が立つビルより更に高いビルの屋上、その一角で休憩しつつ、何やら魔法を行使している少女の姿を幻視出来るのだ。
それは推測などというあやふやなものではない。もはや確信に満ちた想定であり、彼女がそうだと考えれば、十中十二、そこにいるのだ。
彼女にとってはそれが常識である。全ての事象は彼女の予想を上回ることがなく、下回ることもない。だからこそ、何もかも予想できる世の中に飽いているのだ。
「そろそろ、動いてみよっか」
しかし今の束は、その忌々しい事実を、全力で利用している。目で見えない対象の姿を、頭で追う。座標を手元のコンソールで入力し、予め空に飛ばしていた“道具"の自動操縦装置へ伝送。後はAIがやってくれる。束はそれを見ているだけでいい。
不意に、彼女の真後ろから音の唸りが響いてきた。段々と近づいてくる。
ばたばたばた。ばたばたばた。
空気をかき混ぜる音と共に風が吹き、束のドレスを靡かせる。彼女の真横、十数メートルほど離れた場所にそれは浮いていた。
オレンジの人参色に塗装されたヘリコプター。 コクピットは無人であり、操縦桿は誰にも握られず自ずから動き、複雑な空力制御によるホバリングを成し遂げていた。
束がコンソールを叩き、エンターキーを押す。ヘリの機首が僅かに下を向いて、束を追い越し空中を前進していく。
目指すは、ある一点。レーダーにもカメラにも映らぬ、しかし束により指定されたビルの屋上地点。 そこから数十メートルまで近づいたヘリは。
機首下部に装備されている30mm機関砲で2秒間、砲撃を行った。
地面に撃てば抉れてアスファルトに大穴が開き、もし人体がそれを受ければ粉微塵になって原型すら残らぬ、大口径の連続射。当然射的となったビルの屋上は崩れ落ち、構造物など跡形もない――
はずが。
まるで何事もなかったかのように元通り、無傷のままで存在している。カメラの記録を見れば、その弾着はまるで、不可視の壁によって弾かれているようだった。
「流石だねぇ。これくらいなら防げるか。まぁ防いでもらわなきゃ束さんも困ったんだけど、だからこそギリギリを攻めてみた! 後悔はしていない!」
これまでの現実ではあり得ない結果を愉しみながら、束が語ったその言葉。ノートパソコン型のコンソールのマイクがそれを拾って、ヘリコプターのスピーカーから前方へと響かせる。
「さて、君たちぃ? 次はこそこそ隠れてる余裕は無いと思うよ? それよりも結界を展開してよ。封時結界ってやつ。もうちょい派手に、どっかんどっかんやり合いたいのさ。ほら」
ヘリが回すローターの音が、一つから、五つに増えた。上空で待機していた四機のヘリが、束の居る高度まで降下してきたのだ。
「今度はミサイルも使っちゃうよ。構わず戦って街を阿鼻叫喚に陥れるか、それとも結界を展開して二人きりでやるか。どっちがいい?」
束がそう、傲慢に告げた直後。双眼鏡で見ている屋上から、金髪黒衣の少女と、赤い狼の使い魔が現れる。結界を展開するのだから、身を隠す必要も無いということか。
そして、周囲の空気が歪む。大気中の魔力素が蠢く。彼女たちの真下で蠢いていた有象無象は消え去り、吹きすさんでいた風は凪いで、ヘリの駆動音だけが響く。
束はそれらを肌で感じ。
「くくくひひひ、あはははっ、ひはははははっ」
狂喜した。
何もかもが初めて。初体験。魔導師と戦うことも、戦闘ヘリを五機同時に操作するなんて酔狂な真似も、それからこんな町中でミサイルをぶっ放すことも。
こういうハチャメチャで奇天烈な体験は、常に束の心を躍らせる。つまらない世界では、それも既知の範囲内に収まってしまうが。これから戦うのは、技も強さも知らない、知り得ない、未知の魔導師なのだ。
「さあ、レッツ・ミュージックスタート!」
先程までフェイトの前方に位置していたヘリが後退し、後続の四機と合流する。横一列に並んだ五機のスピーカーから揃って流れる音楽は、勇壮にして荘厳なオーケストラ。
リヒャルト・ワーグナー作曲の、ワルキューレの騎行であった。
その音楽に戦いたか、ビルの屋上から空へ飛び立つ魔導師と使い魔に照準が合わされ。
ばしゅぅ、ばしゅっ、ばしゅっ!
ヘリの両翼に備え付けられた空対地ミサイルが、一斉に発射された。片翼に二発づつある内の片方、それが五機分で合わせて合計十発。それぞれ、威力としては先程の機関銃など比較にならない爆薬の塊である。
しかし、標的は動かぬ静止目標ではなく、高速で空を飛べる魔導師だった。あっという間に姿を消して、ミサイルは虚しく空中を通り過ぎていった。
束はフェイトの姿を追う。とはいえ『予測』を使えば概ねどこへ向かったかは分かるので、そこに双眼鏡を向けるだけだ。
居た。先程攻撃した場所から100mほど離れた場所だ。飛行速度が早い部類なのかと束は判断する。恐らく初速で秒速50mは下るまい。
そして、相手が初撃を回避したならば、今度はこちらへ反撃が来るのである。
「ファイア!」
フェイトの短縮詠唱と同時に、彼女の前で展開されたスフィアから、魔力の槍が打ち放たれ。一番左側にあったヘリがその直撃を受けた。胴体が槍の刺突でひしゃげ、着弾による魔力の爆裂がヘリの構造をぐちゃぐちゃに歪めていく。
原型から大いに変貌した攻撃ヘリは、ローターの回るスピードを緩めながら墜落し、地面に激突する前に束の操作で自爆した。
「ふふん、やるねえ、でもこれならどうかな!」
残り四機となったヘリは、束の指示と自動操縦プログラムにより巧みに操作されてフェイトを追う。
それに対していきなり襲撃され、さぞ堪ったものではないだろうフェイトの動きは俊敏だった。ヘリは四方からフェイトを追い詰め囲もうとするが、それでもこの小さな黒い魔導師を囲むどころか、有効射程へ入れることすら難しい。
何故か。機動力が段違いなのである。
ヘリというのは空を飛ぶ機械の中でも比較的機動に融通が効く存在である。しかしされども、飛行魔法という重力に軽々と逆らえる技術によって、一方向だけでなくあらゆる方向へと推進できるのだ。このアドバンテージは果てしないし、それに純粋なサイズ差もある。
攻撃ヘリコプターは敵部隊や戦車を相手にするのが主な任務で、空飛ぶ女の子を狙うためのものではないのだ。
そうしているうちにまた一機、ローターを根本から切られてあっさり落ちる。
続いてもう一つが、バリアを張りながら突進してきた狼にコックピットを潰され落ちた。
その隙を突いて機銃を照準し放とうとした更にもう一機は、三日月状の光刃を突き刺されて爆発。これで、残りは僅かに一機だけ。
「あはははは!」
しかし、束は嗤う。この程度の損失など、想定の範囲内である。
残り一機となったヘリコプターを、フェイトの居る方角へ真っ直ぐ突っ込ませる。こうなったら戦術も何も捨てて、体当たりさせようという考えだ。
束の命令を受けたヘリは、カメラに捉えた少女へと、一目散に突っ込んでいく。対して少女は微動だにしない。ただじっと、待ち構えている。
ヘリと少女の相対距離が狭まっていくたびに、束の胸も沸き立ち踊る。
さあ、今度は何を見せてくれるのか?
ユーノから得た知識で、飛行魔法も射撃魔法も既に知っている。だがやはり、実地で見ないことには何も始まらない。既存の科学からは常軌を逸した、魔導科学であるからには。
ヘリと少女との距離は更につまり、もう数秒もせずに激突するかしないかという所まで至って――。
《Thunder Smasher》
フェイトの右手に展開した大きな魔法陣から放たれる、金色の砲撃により跡形もなく消失した。
「あは、ははは、はーっはっはははは! いいねいいね実にいい! これが魔法か! これが魔導師か! そしてこれが、魔導戦ってものか!」
天を見上げた顔を右手で覆い、高らかに嗤う束の周囲で、不可視の魔力素がざわめく。
「無人操縦とはいえ、戦闘ヘリ五機を無傷で撃墜! 素晴らしいね! これ買うのに今まで貯めたお金の四分の一くらい使っちゃってるんだけど、そうする価値が確かにあった!」
それは、束の無防備なバイタルサインが、魔力によって探知されたということで。
束がひとしきり笑い果てて、顎を下ろして前を見たその時には。
金色の刃の鎌を向ける少女と、唸り声を出して威嚇する狼の姿があった。
「邪魔を、しないで」
ただ一言、きっぱりと言い放つ少女に対し、束は。
「君は、誰に向かって口聞いてるか分かっているのかな」
と、あくまで毅然に傲然に、胸を反らして吐きつけた。
「怪我じゃ済まない」
「ああ、そりゃもう、怪我どころの話じゃないね。市場予測で積み上げた私の大切な資金が湯水の如く消し飛んだよ。まぁそれはいいんだ。つまりはね」
手持ちの札をあっけなく切り落とされながら、それでも束は余裕の態度を崩さない。
それが、天才であるのだから。
「私のような天才に、お前ごとき愚鈍な俗物が何を言おうが無駄だってことだ」
「おまえええっ!!」
狼――アルフが突っ込んできたのは、恐らくは主を馬鹿にされたからか。大口広げて、足元に展開されていた橙色の魔法陣を蹴り上げ、勢い良く突進してきた。
対する束は構え一つ取らず、ただ直立しているだけ。獰猛な獣の牙を前にして怯えもせず震えもせず。恐怖心というものに欠けていた。
当然である。
「躾の悪い犬だねぇ、そんなお口は」
アルフが突進し、もう一瞬で束の身体にぶち当たろうとする、そんな寸前の間合いで。
「チャックしちゃおうね」
右手を上に、左手を下に持っていき。大きく開いた上顎と下顎を受け止め、突進の勢いを僅かに押されただけで相殺しきりながらぐぐいと力を入れて口を閉ざすくらいに余裕があったからだ。
「な……」
「言い直そうか? 煩いんだよワンコロが」
そのまま、上体を捻って投げ飛ばす。アルフはもんどり打って宙を飛んだが、流石にそれだけでノックダウンはしないようで、地面に激突する前に再び飛行魔法を展開し、安定を取り戻した。
「っ……フェイト、こいつ!」
「うん、強い。さっきの子たちよりも、ずっと」
油断なく束を睨むアルフが背後に。フェイトはそのまま正面から鎌を構え。都合挟み撃ち、二対一の形を作りながら、二人に攻め入る動きは見当たらなかった。
警戒されているのだろう。その異常なまでの贅力を。アルフの突進にぴたりと合わせて受け止められる素早さを。
このまま、なあなあで終わらせることも出来る。二人に自分が脅威だ、と見せつけてから嘲笑いつつ撤退してやるのもそれはそれで悪くないし、後日色々役に立つだろう。
だが、それではつまらないと束は思う。ここまで喧嘩を売ったのだ。どうせならとことんまで、今の自分がどこまでやれるか、試してみたいという思いがある。
だから。
「ねえ、君。これなーんだ」
束は青い宝石を取り出し、フェイトに見せつけた。
「それは……」
「分かってるよね。ジュエルシード。魔法の宝石。君はこれが欲しいんでしょ?」
ジュエルシード。昨夜から、ユーノを分析する最中、観測機を動かし街中を探索して。
しかし魔力を使えぬ非効率的な手段ではたったの一つしか発見できなかった魔力の結晶体。
それは、ある少年のポケットにあった。誰かにプレゼントでもするのか、時折手の中でとても大事そうに磨かれていた。
ここに来る途中、束は少年の側を通り抜けながら、それをポケットから掠め取り。代わりに外装だけ似せた本物の、正真正銘本物の宝石を入れてあげて、それからビルに登ったのだ。
「これ、あげてもいいよ。ただし……」
束は宝石をフェイトに見せつけながら、屋上の床を歩いて彼女に出来る限り近づき、
「金髪の君が、私と一対一で戦って」
「……」
「ふーん、それで、アンタが負けたら私達のもんってわけかい?」
無口な主に代わって茶々を挟んで来た使い魔に、束は不機嫌な表情を浮かべてべぇ、と舌を出し答えた。
「違うよ? 戦ってくれると約束したら、そこでプレゼントしちゃう」
「はぁ……?」
「そうでなかったら、私の友達にあげちゃおう。きっと喜んでくれるからね」
「いや、ちょっと待ちなよ。それでアンタになんの得が」
「ワンコロは黙ってろ」
「だぁっ、この糞ガキ! 大体、あたしは犬じゃなくて狼だ!」
更に一歩、フェイトの前へと進み出る。彼女は動じない。と言うより、束の手の中にある宝石だけを見ている。
「で、どうするの? 戦う? 戦わない?」
「戦う。だからジュエルシードを」
答えの速さは瞬時と呼ぶべきものだった。束はその迷いのなさを少し訝しむ。普通、これだけ怪しい提案をされれば疑い一つくらいは浮かべて然るべきだろうに――。
束を信用している? そんなことはあり得ない。ならば、このフェイトという少女にとっては、おそらくジュエルシードを手に入れることが至上の命題なのであろう。
ちょっと、ムカつく。
戦うんだから、その相手の目を見てくれないと、なんだかシマらないだろうに。
「んじゃ、ほら」
という内心はおくびにも出さず、束は池に小石を投げるくらいの気軽さでジュエルシードを放り投げた。フェイトがバルディッシュの穂先でそれをキャッチしたら、宝石が黒い機械部分に吸い込まれていく。
「さて、やろっか。君は?」
「……フェイト。フェイト・テスタロッサ」
「あっそう、
フェイトの鎌が、束の首筋に向かって振りかざされた。
「おおう、あぶないあぶなーい」
しかし、束はノーモーションからのバク転で回避する。まるで予め来るとわかっていたかのような反応速度で。
いや、実際そうなのだ。束は読めていた。予測できていた。いくら魔導師という未知の存在でも、その種族は、頭脳は、そして思考法は人間の、束があきあきするほど知っている人間のそれなのだ。
だから、読める。動きが分かる。
そのまま、地面に降り立ったフェイトが何度も鎌を振り下ろすも。
「ひょい、ひょいっと」
束はかわす。切っ先の行方も攻撃の間隔も全てわかってしまっているし、それを避けきれるだけの身体能力が備わっているのだから。ごく当たり前の、心臓を鳴らしたり、呼吸が出来たりするくらいに当然のことだ。
しかし、目の前の少女にはどうやら驚くべきことであるらしい。真剣に切り込みながらも、その瞳が驚愕に揺れ動いているのを、束は理解できた。
そして、もう一つ。
「驚いた? まぁ、束さんは天才なんだもん。これくらいならお茶の子さいさい、俗物の斬撃なんて百億回やった所で届きはしないさ」
「……」
「しかし、君もなんというかまぁ、目的のためなら手段を選ばないってタイプじゃないんだね。どっちかというと正々堂々だったり、そういうのが好きなのかな?」
「……何を言っているの」
唐突に挟まれた自分に関する話を聞いて、鎌を向けながら問いただすフェイト。
確かに、そんなことを論じている状況ではあるまい。AAAランクの魔力を持つ、魔導師に狙われている人間ならば。
しかしそれは常人の常識であり、篠ノ之束はそれに当てはまらない。
彼女にとって、これはまだ――既知の範疇。
「だから、君本気出してないよねってこと。わざわざ私のグラウンドにまで降りてきて、誰でにでも出来るような素振りしかやってない。ねぇ君舐めてるの? 馬鹿にしているの? この束さんを?」
「……そんなことはない」
「だったら本気出してよ! 空飛んで、魔法の攻撃でも何でも撃ってきなよ! そうでないと意味がない! 私がここまで出血大サービスした意味も価値も何もなくなっちゃうよ!」
「……」
「そうしたら私が勝っちゃうから? あなたに勝ち目が無くなるから? そういう目をしてるね! 冗談じゃない! この束さんを安く見るな! 私はね、そうやって他人に無駄な情けをかけられるのがだいっきらいなんだよ!」
獰猛に、歯を剝き出して不敵に笑う束の顔は、まるで兎というより凶暴な肉食獣のそれに見える。いや、どこぞの映画にあやかって、首刈り兎、と呼ぶべきだろうか?
「フェイト、いいじゃないか。こんな大馬鹿の糞ガキ、フェイトの魔法で一瞬で片付けちまいなよ! こんな所で時間食ってるのは勿体無いだろ?」
アルフが叫ぶ。それでフェイトも、覚悟を決めたようだ。ふわり、と両足をビルの床から浮き上がらせ、そのまま上空へと登っていく。
束は笑みを浮かべ、初めて身構えた。
「バルディッシュ。ランサー・セット」
《Yes, Sir》
そこから始まったのは、紛れもない一方的な蹂躙だった。
束は避ける。しかしその回避にこれまでの精彩は消え、はしないがかなり薄れてしまっていた。時折僅かに避けそこね、余波で体勢を揺らがしたりしている。
それは、束にとって未知だからだ。この世界、地球に存在する一体どれほどが、上空から空飛ぶ魔法使いに攻撃されるなどという体験をしただろうか?
そして、致命的なことに、束はフェイトに対し反撃出来なかった。
フェイトのいる位置は束の高度から15mほど離れている。別にそこまで行けない訳ではなく、途中で何かを、例えばこのビルの屋上にある貯水タンクを一回蹴りつければ、それでたどり着ける高さではあった。
しかし、そうした所でまず間違いなく反撃を受ける。地面を蹴って飛んだ後、自分の意志で制動できる範囲などほんの僅か。フェイトの魔法、先程ヘリを吹き飛ばした金色の砲撃などされては、先ず間違いなく回避不可能である。
それに、何かを投擲したり銃撃しても、相手のバリアは30mm機関砲を防げるほどに厚くて硬い。束の贅力で槍を投げても、50口径の拳銃を撃っても、貫くことは決して出来ないのだ。
「はんっ、どうしたんだい、さっきの威勢のいい啖呵は!?」
「黙ってなよワンコ! ここで束さんの華麗なる大逆転が……うぉっとぉ!」
《Arc Saver》
今度は鎌の牙。直線的な槍と違って真横から束の身体を抉るような軌道で迫りくる。
束は高くジャンプして回避に成功するも、当然ながら空中ではまともに身動きが取れない。だから、そこに槍の斉射を受けてしまう。
両腕を前に突き出し、開いた手の指先に力を込めて迎え撃つ束だったが――爆発の後、吹き飛ばされてどうにか屋上へ着地した。
十本ある指の先端、その全部に血が滲んでいて、しかも爪が割れている。
「……やっぱりまだ『解析』しきれてないか。前言撤回、魔法って奥が深いなぁ」
それは、『分解』のやり損ねであった。多少なりとも魔法の論理やシステムを理解できた今ならば、と試行してみたのだが、どうやらまだまだ入り口に立っているだけであるようだ。本来ならそれでも『分解』出来てしまうのだが……魔力、魔力素という物質は、束の知る科学とは遥かに遠いものらしい。
だが。
だとしても。
だからこそ。
「面白いっ!!」
そうでなければ意義がないではないか! そうでなければ!
なのちゃんから仲直りのための電話がかかってくると、それに応答出来るとまで珍しく予測できて!
でもそんな、蜂蜜みたいな瞬間を無視して! そこまでしてまで挑んだ甲斐が無いっ!
「何喚いてんだ糞ガキ! フェイト、こんなの一気にやっちまいなよ!」
「……うん」
アルフが煽り、フェイトが応じる。恐らく次を決め手とするつもりだ。
さあ何をしてくるか。また槍か、鎌の刃か、それともヘリを吹き飛ばした光の渦か。束は想像を楽しんだ。そしてそれらを現実の情報を当てはめ、取捨選択する。それが予測だ。
普段のそれは実につまらない。答えが一つに絞れてしまうから。
束の頭脳を以てすれば、明日の天気も学校のテストも政権交代の時期も、無数の候補がありとても絞りきれないはずのそれらを何もかも、一つに決定することが出来てしまうのだ。
だから、束はなのはを、魔法を好む。自分の予想を悉く上回る少女を、自分の知識が通じぬ論理を愛する。そこには束の知らぬものが、未知があるからだ。
しかしもう一つ、束にとっての楽しみである状況が存在した。
答えを一つにできない場合、どれを選べばいいか迷ってしまう場合。
全知全能を振り絞って、なお成否の確率が半々な選択肢が生まれる時。
「あははははははっ!!」
そのどちらかを運試しで選択することは、実に甘美なギャンブルなのである。
束は飛んだ。床を蹴り、貯水タンクを蹴り、二段ジャンプでフェイトの高度まで。しかし、標的の右手には既に、大型の魔法陣が形成されている。
フェイトは選択した。束のような魔力を持たない人間には、一撃必殺、まさしく
それは、例え束が地から離れようとしても。いや、だからこそ正確無比に、彼女の座標を捕らえていた。
「これで、終わり」
金色の奔流が束の視界を埋め尽くす。まごうことなき直撃コース。クリーンヒット間違い無し。
しかし、それは。
これまでのように、束が空中でまともに動けないことを前提とした予想だ。
「切り札スイッチ・オン!」
「!?」
その時、束は飛んだ。真っ直ぐに、かつ僅かにだが。己の跳躍以上の速さと力を、背中に背負った小さな人参型ジェットパックを使って現出させてみせたのだ。
そして、大規模な魔法を放ったフェイトは、その反動で動きを封じられている。
ならば、後は。
「取ったあああああああっ!」
束が既に解析している力学。重力を利用して、一直線に落下しながら、己の拳を叩きつけるだけだ――!
「フェイトっ!!」
恐らくは予想外の、完全なる虚を突かれたであろうアルフが驚愕し主に叫ぶ。
だがもう遅い。重力というのは中々融通が効かず、だがそれ故に力強い。束の体重が少女のそれであろうと、上体の筋肉全てを突き動かしての一撃にその重さが乗っかれば。
いかな魔導師であろうと強引に叩き伏せることが出来――
ぱきっ。
乾いた音。勢いが殺された。
これは、なんだ。
「ライトニング・バインド」
「……ああぁぁあああああああっ!!!」
束の四肢が縛られている。空中で。金色の四つの輪っかによって。遅効性の、拘束魔法だ。
束は理解した。自分がフェイトに読まれていたと。
それは、いかな束が天才とは言え、現時点では覆しようのない現実であり。だからこそ読まれたのだ。
その事実を否定せんとして絶叫し、本来なら魔法でしか打ち破れないバインドを力づくで断ち切る束。
しかし、その時既にフェイトは。
空いていた左手にバルディッシュを握り、束の腹部へと振り下ろしていた。
「ごめんなさい」
その一言を最後に、束の意識は反転した――。
そして。次に束が目覚めたのは、都市部の真ん中にある小さな公園のウッドベンチ。そこに、脱力して寝そべっていた。
いや、寝かされたと言うのが正しい。
意識を失い墜落した束を、フェイトが助け上げて寝かしたのだ。
そうとしか『予測』出来ない。要するに彼女は挑発し、自信満々に挑み、追い詰められ、逆転を目指して――尚それを果たせず落とされた。撃墜された。
それが真実。
「――くは、はははは」
全身が痛かった。分解のやり損ねで傷ついた手指もあるが、それだけではない。
魔法弾の爆発の余波で生まれた擦り傷に切り傷。そして、最後の打撃とともに流された電流が、身体に与えたダメージも結構重く。ともすれば立ち上がれなさそうなくらい脱力してしまう。
何と情けないことか。おお、何と。
それで天才か、篠ノ之束。
自分から売った喧嘩にここまで情けない結末をくっつけて、終わらせてしまうなんて。自分と同い年で高町なのは以外という「ガキっぽいし脳足りんだし無遠慮でしつっこくてとにかく極めて馬鹿らしいから意味がない」はずの存在に、動きを読まれてしまうなどとは。
どんなものも解析してきた。どんなものも分解できた。そうしてこの世全てを、なのちゃんを除けばこの世全てを知り尽くしていたというプライドは、もはや粉々だ。
そう、これは言い訳できない。完全で、完膚なきまでの。
敗北――
「違う」
頭を振る。
「違う、違う、違う!」
敗北。確かに世間一般の尺度で言えばそうだろう。
だが、私は天才だ。そういうものでは量れないし語れない。
思い返してみろ。この戦いの目的は何だ? 魔導師という存在の実力を、この手と身体で確かめてみたかったから挑んだのではないか。
そして結果として――現時点での自分の財力や技術や知識や発想を上回り、勝負においてこの束さんを地面に叩き落とせるだけの力であると――判断できた。それだけではないか。
ならば、これは敗北ではない。断じて無い。
「ううん、むしろこれが始まりだ」
どれだけのものかは把握できた。後はそれを超えるだけでいい。
己の指先と頭脳を使って。
それは確かに高い壁だろう。
二年前に解き明かしたなんちゃら予想とか、去年分析しきったロストテクノロジーてんこもりのアンドロイドとか、今までに乗り越えてきた壁も幾多あるけれど。
これに比べれば、壁とすら呼べないただの段差だ。
なにせ、異世界から来た常識外れで巨大で膨大なテクノロジーと、それを使役する異世界人の戦闘技術であるのだから。
しかし。
私は、篠ノ之束は天才だ。
だから、どんな壁だって絶対に乗り越えられる。凡人がするように血の汗を流しながらではなく、不敵に、スキップを踏みながら軽々と。
それが天才なのだから。
「さあやろう、今すぐ始めよう! 眠ってる暇なんてありはしない!」
アイデアは既に固まった。後はそれを形にするのみ。その過程にどんな困難が待ち受けていようと――それがどうした、私は天才だ!
天才の私に不可能など、何もないッ!! 解き明かしてみせよう、魔導の全てを! そして超えてみせよう、魔導師を!
「だって――」
あの日あの時見た女神は、きっとその果ての果てにいて、自分を迎えてくれるから。
ここでか次回で第一部完、な感じでしょうか。
最初なのでなのはさんがどういう子か、束さんがどういう子か、表現したつもりです。
続いては第二部。
今度は篠ノ之家が絡み始めます。束さんとその両親のお話です。
とはいえ原作には父は名前だけ、母はそれすら出てないのでもはやオリキャラみたいなことになってますが、よろしければ続けてご覧くださいませ。