優しい世界のつくりかた   作:にいるあらと

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守りたいもの

「これで……おしまいっ!」

 

気合の一声とともに繰り出された槍の穂はイノシシの頭部を正確に捉え、直上に浮かぶヒットポイントをドットも残さず消し飛ばす。青い毛に覆われたイノシシが一瞬静止したかと思えば、次の瞬間には細かなライトエフェクトとガラスが砕けるような音をばら撒いた。

 

もう、周囲にモンスターの姿はない。

 

依然として警戒を払うアイたちの視界にウィンドウがポップアップする。戦闘の終了を示すリザルト画面だった。

 

その画面を見てようやく、アイたちはひとつ大きく息を吐いて戦闘時の緊迫感のある集中を解く。ひとまずは誰も欠けることなく生き抜くことができた、安堵の溜息だった。

 

「案外……なんとか、なるもんだね……えへへ」

 

「はあぁっ、はっ……ふぅっ。そうね、もう少し数が多くても……っ、全然いけるわ……」

 

「あはは、アスナちゃんは頼りになるなぁ。口のわりには呼吸が荒いけどね」

 

「さすがに……二人で六体は、つらいわよ……」

 

「そうだねぇ、さすがに全部は躱しきれなかったし……。一応念のために、体力回復しとこうね」

 

アイは腰の後ろに手を回し、ウエストポーチから赤色の小さな瓶を取り出す。

 

それに(なら)ってアスナも赤色のポーションを取り出し傾ける。

 

「そんなに体力減ってないのに使うのってなんだか抵抗があるわ。七割くらい残ってるもの」

 

一度目線を左上にやって体力を確認すると、アスナは口を(すぼ)めながらぼやいた。

 

アスナのヒットポイントゲージは七割以上残っている。ともに戦っていたアイも残量は同じ程度。ちなみにリズベットはアイやアスナよりも早く戦闘を終わらせていたようで、すでに上限まで回復していた。

 

モンスターとの戦闘は回避と防御を優先にし、リスクを極力避けて進行した。そのぶん時間はかかったが、アイ、アスナ両名とも明確に被弾したのは一度だけ。(かわ)しきれなかった擦り当たりで数ドットずつじわじわと削られたが、それでも七割を下回ることはなく、先にモンスター側が息絶えた。

 

三割弱しか減少していないのに、他の回復アイテムと比べて安価ではあるが、今のアイたちにとって無闇やたらに使い捨てて良いものではない回復ポーションをわざわざ使う必要はあるのかと、アスナは有体にそう言っていた。

 

「捉え方がちがうよ、アスナちゃん」

 

小さな瓶を両手で持ち、くぴくぴと飲んでいたアイが眉間に皺を刻みながら言う。

 

「捉え、かた?」

 

「『七割残ってる』んじゃないの。今の私たちは『三割近く死んでる』んだよ。急になにが起こるかわからないんだから、こまめに回復はしておくべきだと思うなぁ」

 

変わらずに眉を(ひそ)めたまま、アイは飲み干した瓶を両手で握り締める。タイミングを合わせたかのように、役目を果たしたポーションはライトエフェクトを散らして消えた。

 

アスナはびくっ、と強張って肩を(すく)めた。

 

「わ、わかったわ……。だから、そんなに怒らないで……」

 

「……ふぇ?怒るってなにが?」

 

「ま、眉を寄せてるから……。わたしの軽率な言動に怒ってるんじゃないの?」

 

「ち、ちがうよっ!私そんなことで顔に出すほど怒らないよぉ!たださっきのポーションが想像を絶するほどおいしくなかったから、それで……」

 

「まぁ、確かに……美味しいとは言えないわ……」

 

口に残る謎のえぐみに舌をもぞもぞと動かして、アスナが同意した。

 

おいしくなくていいから、せめて無味無臭だったらよかったのに。そう冗談めかしてふわふわとアイが笑う。しかしすぐに、表情がぴたりと止まった。口元は笑みを(かたど)っているが、目が笑っていなかった。

 

「でも……味の話とは別に、やっぱり怒ってるのかも。アスナちゃんにじゃなくて、あっちの二人に……ね」

 

アイは後方、助け出した二人の女性を一瞥(いちべつ)する。

 

小さな女の子は、遠目でもわかるほどに震えている身体を、自分の腕で抱きしめている。隣に立つ眼鏡をかけた女性は、その女の子の肩を抱いて落ち着かせていた。

 

二人ともヒットポイントバーの色はイエローからグリーンに、半分以下になっていた体力が全回復している。その近くにはリズベットがいて、周囲を鋭く警戒していた。リズベットが二人に体力を回復するように指示を出した様子だった。

 

そちらを見据えながら、冷や汗をかくアスナにアイは言う。

 

「自制はするつもりだけど、もしかしたら我慢できずに言いすぎちゃうかもしれない。だからその時は、アスナちゃんがあの二人をフォローしてあげてね」

 

「ちょ、ちょっと、アイさん……何をするつもりなの?」

 

アスナの問いには答えず、アイはリズベットたちのほうへと歩き始めた。

 

話ができるくらいに近づくと、アイはまずリズベットへ自分の我儘に付き合ってくれたことについての感謝と謝罪、二体のモンスターをそれほど体力を削られずに見事倒してのけた手腕を賞賛した。

 

リズベットとの話が一段落つくと、目線を下に向ける。体力は回復したが未だに草原のカーペットに座り込んでいる二人を見た。救援に駆けつけた当初から感じていた疑問を女性にぶつける。

 

「なんで、あなたはこんな危ないことをしたんですか?」

 

アイはそのうちの一人、眼鏡をかけた女性に話しかけた。言葉の上ではさほど威圧感を感じないが、その語調は底冷えするように冷淡で、明らかに女性を問い詰めていた。

 

「レベルアップの能率を上げようとしたんですか?それとも自分たちなら十体近いモンスターにも遅れを取らないと思ってたんですか?」

 

「っ…………」

 

「あー、えっと……アイさん?あのね?」

 

「ごめんね、リズちゃん。ちょっと私に喋らせて」

 

「あ、はい……」

 

アイから放たれる雰囲気からいろいろ悟ったリズベットが女性との間に入ろうとしたが、機先を制する形でアイが(さえぎ)った。

 

春の陽気を思わせるほわほわとした表情ではない。真冬に吹き荒ぶ寒風よりも冷気を放っている。落差というギャップがアイの迫力を倍増させた。

 

口答えなどできるべくもなく、リズベットは速やかに退いた。

 

「私たちがこなかったら、絶対に二人とも助からなかったです。茅場晶彦が言っていたことを信じてないからこんなことをしたんですか?ゲームなんかで死ぬわけないって、そう思ってたんですか?」

 

頭の両側で茶色の髪を短く()っている名も知らぬ少女は声を押し殺すように泣いて、その少女の肩を抱く女性はアイの痛言に一言も返さず、ただ俯いていた。

 

「本当に死んじゃうかどうかは、たしかに私たちにはわかりません。でも……でも、死んじゃうって可能性が少なからずあるんだから、軽はずみなことは……しちゃだめです。こんな自暴自棄みたいなこと、しないで……っ」

 

「アイさん……」

 

喋るうちに、強烈な無力感がアイの心を(さいな)んだ。次第に声は震え、瞳は潤む。きつく下唇を噛み締めた。

 

そんなアイの背中をアスナが優しくさすった。

 

「えーっと……」

 

湿った空気があたりに流れる。口を開き辛い雰囲気の中、リズベットが重苦しい空気を払拭しようと動いた。

 

「ま、まぁ、アイさんも一度落ち着いてよ!あたしは少しだけ話聞いたのよ。結構訳ありっぽいからさ、安全な場所に移動してゆっくり話をしようよ。いつまたmob(モブ)が襲ってくるかわかんないし」

 

「……もぶ?」

 

「ごめん、モンスターのことね」

 

「あぁ、そっか。それもそうだね。ごめんね、頭が回らなかったよ。ひとまず街に戻ろっか」

 

側についてくれていたアスナに礼を言ってから、アイはリズベットの提案を呑む。

 

再び視線を女性へと戻し、幾分柔らかさを取り戻した声で話しかける。

 

「リズちゃんとは自己紹介したみたいですね。私はアイっていいます。さっきは失礼なことを言ってすいませんでした。あとこっちの子が……」

 

アイが手のひらをアスナに向ける。

 

斜め後ろにいたアスナは一歩踏み出してアイの隣に立った。

 

「アスナです。みんな助かって本当に良かった。取り敢えず今はそのことを喜びましょう」

 

栗色の髪を揺らしてアスナがアイの手振りに合わせて名乗った。

 

「は、はい……助けて頂き本当にありがとうございます。申し遅れました。私は……わっと」

 

アンダーリムの黒色の眼鏡をかけた女性が自己紹介のために立ち上がろうとして、再び草の絨毯に腰を落とす。女の子がくっついていたせいで立ち上がれなかったのだ。

 

それを見てアイは一瞬、瞳にぎらりとした鈍い輝きを灯したが、拳を固く握り締めることで抑え込んだ。可愛い女の子を撫でくり回したいという、ある種純粋な気持ちから真面目モードに切り替えるため、こほん、と咳払いする。

 

「そ、その子がもう少し落ち着くまで座ったままでいいですよ」

 

「すいません……ありがとうございます」

 

右手で少女の頭を撫で、着地の際に乱れた前髪を左右に分けて整え直してから、女性はアイと視線を交える。

 

「私はサーシャといいます。この子はシリカちゃん。私とシリカちゃんは、このゲームに囚われた子供たちの居場所を作るために街の外に出たんです」

 

 

「ほんっとうにっ!ほんっとうにごめんなさいでしたぁっ!」

 

ただならぬ緊迫感と真剣味が込められた謝罪の言葉に、近くを歩いていた数人のプレイヤーがぎょっとした表情で見た。というか引いていた。

 

アイが土下座せんばかりの勢いでサーシャに頭を下げていた。

 

「も、もういいですから。無茶をしてしまったのは事実ですし、助けに来てもらえてなかったら私もシリカちゃんも危なかったんですから……。頭を下げなければいけないのは私のほうで……」

 

「私がばかだったんです!危険が溢れている街の外に、なんの理由もなく出るわけないのにっ!サーシャさんは……サーシャさんは誰よりも立派で正しい行いをしてたのに、私は……あんな偉そうなことを……っ!」

 

「アイさん、サーシャさん困ってるから。それに周りの人も何事かって見ているわ」

 

「いやまぁ……気持ちはわからないでもないけどね」

 

サーシャ、シリカを加えたアイたちは草原から移動して、現在ははじまりの街に帰ってきていた。

 

安全な圏内に帰還するや否や、なぜアイがサーシャに平謝りしているのかというと、街に戻る道中に聞かされたサーシャの話に理由があった。

 

「私なんて自分たちのことしか考えられなかったのに、サーシャさんは子どもたちのことを心配して……ぅぅ。数分前の愚かな自分にこの槍を深々と突き立てたい……」

 

「いくら罪悪感があるからってそれはやめて」

 

「アスナの言う通りよ。それにそうやって謝るたびにサーシャさんは申し訳なさそうな顔するし、シリカは怯えるし。ついでに周りの人にも迷惑だし」

 

眼鏡をかけた二十歳前後の女性サーシャと、小学校高学年から中学校低学年ほどの年齢のシリカが安全な街を出てモンスターを狩っていたのは、デスゲームと化したソードアートオンラインに囚われた幼き子どもたちを保護するためだった。

 

サーシャの話によれば、きっかけはたまたまだったそうだ。

 

昨日、茅場晶彦の広場での説明を受け、それを納得も承服もできぬまま、だからといって何ができるわけでもなく、サーシャは一人(うつ)ろな足取りで宿屋へと向かっていた。そこで偶然、呆然とした面持ちで座り込む子供を見かけたという。

 

親に甘えたい盛りの子どもは突然のルール変更に適応できず、適応できるわけもなく、精神的に不安定になっていた。このままでは多感な少年少女の心にどのような傷が残るかわからない。損得や理非など頭から抜け落ち、サーシャは気づいたら声をかけていた。

 

その声をかけた子供というのが、今この場にいるシリカだった。

 

そこから二人は街の中を歩き回り、可能な限り子供を探した。時間が遅くなったこともあって探すのは中断されたが、それまでに見つけ出した子供はシリカを含めて六人にもなる。

 

サーシャは保護した子供を連れて、今度は休む場所を探した。連れていた人数は多かったが、運良く宿屋は見つかった。

 

しかし、ここで問題が表出する。金銭面における不安だ。

 

人数分の飲食代と宿屋代は、ゲームを始めてからまだ街の外に出ておらず、稼ぎの全くなかったサーシャには想像以上に苦しいものがあった。食べ物飲み物は無理をすれば切り詰めることができるが、部屋のほうはそう簡単に解決できない。さすがに大所帯となってしまっては宿を一部屋で収めることはできず、結果として先立つ物がどうしたって足りなくなってくる。二日三日ならばまだしも、これからずっとともなれば、金子(きんす)が底をつくのはそう遠くない。

 

子供達をアインクラッドという名の監獄からは解放できずとも、安全な場所で休ませてあげたい。しかし手持ちは心許ない。そういった焦眉(しょうび)の急があったからこそ、サーシャは街を出たのだ。

 

サーシャは本音では危険が潜在する街の外にシリカを連れて行きたくはなかったらしいが、一人でアンチクリミナルコード圏外に行かせたくないというシリカたっての要望があり、やむなく同行させたそうだ。

 

草原でモンスターを探していたサーシャとシリカだったが、戦闘に不慣れだったことと体力がなくなれば死ぬという恐怖が彼女達の動きを阻害させた。落ち着いて単発のソードスキルを、多くても数回当てれば倒せるイノシシやオオカミ相手でもまともにやり合うことができなかった。モンスター一体にかかる時間は長くなり、一体に手間取っているうちに違うモンスターを引っ掛けてしまい、さらに倒し切るまでに必要となる時間は膨れ上がっていく。サーシャとシリカは必死になってオオカミやイノシシの攻撃を避け続けて、いつの間にかはじまりの街から遠ざかってしまう。

 

あとはその繰り返しだった。

 

そしてじわりじわりと増え続けたモンスターに取り囲まれ、退路を失い、まさに絶体絶命の窮地となったその時に、アイ達が現れた。

 

という内容の話を、草原から街に戻るまでの時間でアイ達は聞かされた。サーシャのわかりやすく、聞き取りやすい一人語りという名のこれまでの経緯は、ちょうど圏外と圏内を隔てるはじまりの街の門をくぐったあたりで終わった。

 

この話により、サーシャとシリカが無謀な経験値稼ぎ(レベリング)や無思慮なお金稼ぎをしていたのではないことが明らかとなった。

 

内情を知らなかったとはいえ、やらかしてしまったあまりに失礼な言動の数々に、アイは深々と全力全開フルパワーで頭を下げたのだった。

 

「私はもう本当に気にしていませんから……。それにアイさんが言っていたことは何も間違っていません。身の程も知らずに無理をした結果、シリカちゃんまで危険な目に合わせてしまったんですから」

 

「そんなことないですっ。あたしが無理を言ってサーシャ先生についていきたいって言ったんだから……サーシャ先生は悪くないんです……」

 

今まで口を(つぐ)んでいたシリカが初めて声を発した。

 

サーシャの服を掴み、顔を見上げて瞳に大粒の涙を蓄えながら、言った。

 

「シリカちゃん……ありがとうね」

 

サーシャは優しく微笑み、シリカの頭を撫でる。

 

シリカの声は次第に力をなくし、最後は絞り出すような悲愴な声だった。サーシャを必死に庇おうとするシリカの姿は、見ている者の心をきゅうっと締め付けた。

 

「いい子だね、シリカちゃん。そうだね……みんな助かったんだから、今は誰が悪いとかはなくてもいいよね。そういえば、なんでサーシャさんのことを先生って?」

 

これ以上続けたらサーシャとシリカ、二人を(いたずら)に苦しめることになると思ったアイは話を切り替える。シリカが呼んでいた『先生』という単語について尋ねた。

 

「え?なんだかサーシャ先生は先生みたいだったから、それでそこから先生って呼んでます」

 

シリカがきょとんとした顔で首をかしげて答えると、サーシャは苦笑いを湛えた。

 

「あ、あはは……えっと、私、大学で教職課程を取っていたので、たぶんそれで先生っぽく感じたのかもしれません」

 

「わ、本当に先生だったんですね!すごいっ!」

 

暗く湿っぽい雰囲気をどうにかするために話を変えたのだが、そんな打算は二秒で忘却の果てに放り投げられ、アイは瞳を輝かせる。

 

「子供達をちゃんと導いてあげられるほどの力はないんですけどね」

 

「そんなことないです!サーシャ先生の振る舞いや喋り方、心配りを見ていれば、子どもたちはきっと人との接し方とか……そういった大事なことを学んでくれますよっ!」

 

「そう、ですか?そうだといいんですけど……。あと、敬語はなくていいですよ。アイさんだけじゃなくて、アスナさんも、リズベットさんも」

 

「え、でも……年上で、しかも先生って知ってから敬語を使わないというのは、少しばかり抵抗が……」

 

と、アスナが言うと、リズベットもこくこくと頷いた。

 

「たしかに……。なにか使わなきゃいけない気がするのよね」

 

「ねぇ……アスナちゃん、リズちゃん。私の時は最初っから敬語が省かれてたと思うんだけど……」

 

「え?だって、アイさんはほら……ね、リズ?」

 

「うんまぁ、アイさんはね」

 

「ちょっとぉっ!それどういう意味なの?!」

 

「ふふ、三人はとても仲が良いんですね。アスナさんとリズベットさんは私に気を使ってくれているみたいですけど、本当にいいんですよ?まだ正式に教師として働いていたわけではなかったんですが、実際に教職者となった時は、生徒と垣根をなくして接したいと思ってましたので」

 

包容力のある物腰と柔らかな微笑を向けられながらそう言われ、アスナとリズベットはしばしうんうんと唸って悩んだが、最終的には二人が折れた。

 

「そうでしたら……それなら、わ、かりました。すぐには無理かもですけど、徐々に敬語から変えていきます。よろしくお願いします、サーシャ先生」

 

「敬語取れてないじゃない、アスナ。それじゃこれからよろしくっ、サーシャ先生!あとあたしのことはリズって呼んでね」

 

「はい、よろしくお願いしますね。アスナさんとリズさん。あとアイさんも」

 

「なんか私だけついでみたいな扱いっ!」

 

「サーシャ先生もアイさんの立ち位置をよくわかってますね」

 

「アイさんのキャラ的にこれが一番おいしいわよね」

 

「おいしいって……私芸人さんとかじゃなんだけど!まったくもうっ。そうだ、この際だしサーシャ先生も敬語外したらどう?せめてさん付けはやめるとか」

 

「そう、ですね。それじゃ、アイちゃん、アスナちゃん、リズちゃん、と呼ぶことにしますね」

 

「言葉遣いはそのままかぁ、まぁそっちはおいおいでいいよね」

 

呼称は変わってもサーシャの敬語口調が変わらないことに、眉をへの字にして困ったようにアイが笑う。そのあたりは時間が解決してくれるだろうと踏んで保留とした。

 

サーシャとの蟠りを解消できたことで、アイは次の動きに出る。膝を曲げて姿勢を落とし、シリカと目線を合わせた。

 

「シリカちゃんも……街の外では怖がらせちゃってごめんね?これから仲良くしよ!なにか困ったことがあったらなんでも言ってくれていいからねっ。私のことは『お姉ちゃん』って呼んでくれてもいいからねっ!」

 

人、物、動物問わず、可愛い存在に目がないアイは、シリカに話しかけているうちに理性というブレーキが緩んでいく。(ほとばし)る願望、もしくは欲望が口から言葉となって漏れ出ていた。

 

一見しただけで危ない人判定は免れないアイの様子を見たシリカは、若干引き気味に、精神的にだけではなく物理的にも引き気味に言う。

 

「よ、よろしくお願いします……アイ、さん……」

 

本能か何かで身の危険を感じ取ったのか、『お姉ちゃん』呼びを避けたシリカはサーシャの背に隠れた。

 

避けられはしたものの庇護欲(ひごよく)をそそるシリカに、アイは思わず頬を(ほころ)ばせた。

 

「ぁぁ……、シリカちゃんかわいいなぁ……」

 

「アイさん、それくらいでいいでしょう?シリカちゃんが怯えてるわ」

 

「街の中に侵入(はい)ってくるだけモンスターより厄介だわ」

 

シリカを見つめてにやにやとした表情をするアイを見かね、アスナとリズベットが制止に入った。

 

「とうとうモンスター扱いっ?!日をまたぐどころか時間が経つごとに私の扱いがひどくなってるよぉっ!」

 

シリカからアイを離れさせ、間に身を置く。

 

左から、シリカ、サーシャ、アスナ、リズベット、アイという並びになる。最大限の距離を取らせる処置となった。

 

アイの対処をリズベットに任せたアスナが呟く。

 

「えっと……これからどうするべきなのかな……。こういう時にしか役に立たないアイさんは故障中だし……」

 

その小さな独り言にサーシャが声を上げた。

 

「あの、アスナちゃん」

 

「はい?なんですか、サーシャ先生」

 

「えっとですね、私達もともと昼ごろに戻ると子供達に言ってたんです。なので一度、宿に戻って子供達に帰ってきたことを知らせたいんですけど」

 

「そうだったんですね。なら、宿屋へ向かいましょうか。ここにいたってどうしようもありませんから」

 

「ありがとうございます。宿は街の中心部から東の方で……」

 

 

方針が定まり、ようやく門の近くから一同が動く。

 

はじまりの街はめったやたらと広く、自然、建物も多く立ち並ぶ。道は入り組み、一部は迷路のように複雑になっているところもある。

 

サーシャが子供達と泊まっている宿屋は、大きい通りからそこまで外れてはいないとはいえ、どうしたって口頭だけでは案内できない。よって、サーシャが先頭に立って宿屋まで道案内することとなった。

 

大きい通りを優先して歩くが、やはり道幅の狭い場所もある。そのため一番前にサーシャ、その両脇にアスナとシリカが並び、対向する歩行者の邪魔にならないよう数歩ぶんほど後ろにリズベットとアイが続いていた。

 

リズベットが、思いのほか優秀な頭を残念なことにバグらせてしまっているアイに話しかける。

 

「アイさんは時々おかしくなるわよね。その暴走はなんとかならないの?猫に目をつけられたハムスターみたいになってたわよ、シリカ」

 

「暴走なんて……そんなひどい言い方しないでほしいなぁ。私はただ、スキンシップで友好関係を育もうとしただけなのに」

 

「あたしとアスナの取り越し苦労だった可能性もあるかもしれないから、一応聞いとくわ。スキンシップの内容は?」

 

「シリカちゃんを全身全霊なでなでするんだよっ!」

 

「良かったー、あたしとアスナの判断は間違ってなかったようね。正真正銘、上から下まで完全に真っ黒よ」

 

「あ、違った。全身を全身全霊なでなでするんだよっ!」

 

「訂正して更に悪化したわ。人類として既に致命傷だったか……。セクハラ未遂でも黒鉄宮に放り込めたらいいのに」

 

「いくらなんでも言いすぎだよっ!たしか黒鉄宮って、ハラスメントコード……だったかな?そのコードに引っかかった人が入る牢屋みたいなもの、だよね?心外だよ!私はそんなコードに引っかかるようなヘマは……こほん、人を不快にさせるような行為はしないもん!」

 

「もう自供してる、事を起こす前に自白してるわよ」

 

「ふっふっふ……甘いね、リズちゃん。お巡りさんは、事案が発生してからでしか動けないのだよ!」

 

「…………アイさんこれからシリカの周囲、半径十メートル以内に入っちゃだめだからね」

 

「接近禁止命令っ!?じょ、冗談だよぉリズちゃんっ!本気なわけないよぉ!私もそこまで重症じゃないからぁ!」

 

「重症、なんて言い方をしたら、これからさらにその病気が進行するようにも聞こえるわね。シリカの情操教育に悪影響を及ぼしそうだし、やっぱり近付いちゃダメってことで」

 

「わぁぁあ!私は本当に、シリカちゃんと仲良くなりたかっただけなのにぃっ!」

 

 

アイとリズベットの声量はとても絞られているとは言いがたく、前を歩くアスナたち三人にも届いていた。

 

「ふふっ、仲良いんですね」

 

くすくすと笑い声を抑えながらサーシャがアスナに話しかける。話の仔細(しさい)が聞こえていたらとてもではないが笑っていられるわけがないので、アイとリズベットが仲睦まじく騒いでいるのはわかるが、その内容まではわからなかったようだ。

 

「たぶんですけど、アイちゃんはアスナちゃんやリズちゃんより年上、ですよね?」

 

「そう、ですね。はっきり何歳かとは言ってませんけど、年上ですね。少なくとも高校三年生か、大学生か……そのあたりだと思います」

 

「なのに、リズちゃんやアスナちゃんと……ううん、違いますね。出会った人すべてとすぐに距離を縮めて、仲良くしてる。すごい人ですね、彼女は」

 

サーシャが下したアイの評価に、アスナは石畳に(つまず)きかけるほどに驚いた。

 

「あ……アイさんが、ですか?!いったいアイさんのどこをどう取ればそんなに好印象になるんですか?!シリカちゃんに近付いた時の目を見てなかったんですか?まるで誘拐犯のような目つきでしたよ?!」

 

容赦のない、しかしあながち間違っていないアスナの物言いに、サーシャは苦笑する。サーシャの右手を握る、シリカの小さな左手が強張ったこともあいまっていた。

 

「たしかに草原で初めて出会った時は怖さもありましたし、街に入ってからシリカちゃんと喋っていた時も……えっと、なにか底知れないものを感じましたけど……」

 

「そうです。気をつけないとどんなセクハラされるかわかりませんよ?今一番危ないのはシリカちゃんです」

 

「あ、あの人……アイさん。綺麗で大人っぽくてとっても綺麗ですけど」

 

「綺麗が二つ入ったわ、シリカちゃん」

 

「たしかにアイちゃんは同性の目から見ても綺麗ですからね」

 

「綺麗なんですけど、でも……街とかですれ違う男の人と同じ目をしてました……」

 

「そうよ、身の危険を感じ取るそのアンテナを錆びつかせてはだめよ。相手が同性なだけに逆にたちが悪くなったりもするんだから。主にハラスメントコードとか」

 

「ふふ、話題に事欠かないですね。でも、そういうところが長所の一つなのかもしれません」

 

微笑みながら言うサーシャに、アスナは『冗談ですよね……?』と言わんばかりの顔を向けた。シリカは『被害にあったことがないから言えるんですよ……』と顔を背けた。

 

愕然(がくぜん)としているアスナと、悄然(しょうぜん)としているシリカに、サーシャは慌てて弁解する。

 

「ち、違いますよ?セクハ……行き過ぎたスキンシップを肯定してるわけじゃなくて、つい最近まで顔も知らなかった人同士なのにこんなに好き放題言えてしまえるっていう、その人柄のことをさしているんですよ?」

 

「いや、えっと……うぅん……」

 

サーシャの必死の釈明に、アスナは即座に否定することもできずに唸りながら視線をさまよわせる。

 

どう答えるべきか悩むアスナを待たずに、サーシャは続けた。

 

「普通なら知り合って間もない人には強く言えないじゃないですか。なのにアイちゃんには言えるってことは、はっきり物を言ってもこのくらいじゃ怒らない、自分から離れていかないって、そう思えるからじゃないでしょうか?」

 

「……たしかにそれはあるかも、しれません。アイさんはいつの間にかすごく近くにいて、へらへらした笑顔を常に浮かべて、気づいたら隣にいます。それどころか所構わず抱き着いてきます。……まぁ、意味合いはどうあれ、そうやって好意をわかりやすく示してくれて、心を開いて歩み寄ってきてくれるからこそ、こちらも安心して歩み寄れる……のかも、しれません」

 

「あたしもわかります。街の外で助けてもらって、そのあと怒られたときはすごくこわかったですし、街に戻ってきて自己紹介したときはちがう意味でこわくなりましたけど……アイさんが笑ってるのを見てると、こっちまで楽しくなってきます」

 

サーシャの問い掛けに、アスナとシリカが悩み抜いた末に答えた。

 

訊かれて、考えて、そこで初めて気がついた。表層で感じている印象と深層で受け止めていた人物像はあまりにもかけ離れていて、それでいてどこか重なっている。

 

そこまで考えが行き着いた二人は、揃って眉を八の字にした。複雑そうな面持ちだった。

 

「私は二人よりもほんの少しだけ多くの人を見てきましたけど、アイちゃんみたいな人は珍しいんですよ。希少で、貴重です。こんな世界になってしまった今なら、さらに、です。ゲームに閉じ込められたことは不運極まりないですが、頼りになる人がいる私たちはこの不運な中では幸運な部類なのかもしれませんね」

 

にこり、と教え諭すように微笑むサーシャを見て、アスナもシリカも困り顔のままではあるがつられて笑みを浮かべた。

 

「……そうですね。一人っきりでいるより、よっぽど幸運です。アイさんと一緒にいたら、不安になる暇なんてないことは約束されてますから。ただ惜しむらくは、こちらの度肝を抜くような突飛な行動も多いことです。はたして良いことなのか、悪いことなのかわたしには判断できませんけど」

 

ため息をつきながら、アスナは腰に手をやり、やれやれといったジェスチャー。彼女の言動にはほとほと当惑しております、と言外に表しているのだが、口元は綻んでいる。顔と態度があっていなかった。

 

そんなアスナに、サーシャとシリカはなにか可愛いものでも見るかのようなほのぼのとした目を向けていた。

 

その時、アスナの背後からにょろんと腕が伸びて首元に絡んだ。

 

「アスナちゃんが私のことを褒めている気配を感じたよっ!も〜っ、デレるんなら面と向かってデレてゅみゃっ……」

 

「デレてないわよ!」

 

真後ろからこっそり接近して抱きついてきたアイのこめかみへ、アスナは頬を真っ赤に染め上げながら強烈なヘッドバットを叩き込んだ。

 

街の中では犯罪防止コードが働いているため、一部の例外を除いてダメージは一切入らない。痛みもダメージもないけれど、かわりに弱い衝撃めいたものが発生する。

 

その衝撃を頭部に受け、アイはたたらを踏んで後退した。

 

「うぅ……いいもん。私はヘッドバット(これ)がアスナちゃんの照れ隠しだって知ってるもん……」

 

「照れ隠しにしては、あまりにも女の子っぽさに欠けますね……」

 

「アイさんは少し見直したらこれなんだから!」

 

頭をおさえて涙目でふらつくアイと、頬を引きつらせながら乾いた笑顔を作るサーシャ、自分の身体を抱くようにしてアイから距離を取る耳まで真っ赤にしたアスナ。そんな振り幅の激しい三者三様のリアクションを見て、くすくすと笑みをこぼしたシリカとリズベット。

 

不安になって悲観して、すぐ近くの未来を考えて絶望してしまってもおかしくない状況にありながら、まるで学校の帰り道に友達と笑い合いながら歩いているかのような光景だった。

 

 

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