優しい世界のつくりかた   作:にいるあらと

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救済への道

 

街の外、西方に広がる草原の奥でサーシャ、シリカと出会い、再びはじまりの街に帰ってきたその翌日。

 

サーシャと、サーシャが街を歩き回って保護してきた子どもたちがいる宿屋の一階で、アイ、アスナ、リズベット、サーシャの四人は朝早くから集まっていた。

 

「保護した子たちが十二人、私たちも含めて十七人、かぁ……。大所帯、だね」

 

「外に出て稼いで、あとは食費を切り詰めればなんとかなる……のかしら?」

 

「そうは言ってもね、アスナ。今の時点でそれだけ困窮(こんきゅう)してるんだよ?もしかしたらまだ見つけられていない子もいるかもしれないし、それにしばらくすれば他のプレイヤーも街の外に出てモンスターを倒して稼ぐようになると思う。そうなればこれまでみたいに効率よく稼げない。このままじゃ遠からず破綻するね」

 

「私は、感情を度外視したら食費は抑えられると思うの。あのもさもさしたパンは、味はどうあれとっても安いし、飲み物は水を汲んできたらお金をかけずに確保できるから……心の拒否反応は置いとくとして。だから直近の問題は宿屋代だよ」

 

「アイちゃんの言う通りですね……。なるべく借りる部屋数を減らそうとしても、一部屋にベッドは一基しかありませんし……」

 

「難しいですよね……。あれ、そういえばシリカちゃんは?」

 

「シリカちゃんには子どもたちのそばについていてくれるようにお願いしました。子どもたちも不安でしょうし、それにシリカちゃんの前でお金の話をするというのも……」

 

「ま、開けっぴろげに話しにくいっていうのはあるわよね。うーん、どうしたもんかなあ」

 

椅子の背もたれに体重を預けながら、リズベットがぐぐっと背伸びする。くだけた語調とは裏腹に、眉間にはしわが刻まれていた。

 

険しい表情をしているのはリズベットだけではない。アイ、アスナ、サーシャ。シリカを除いた四人が眉を曇らせながら、黒ずんだ丸型のカフェテーブルを囲んでいた。

 

ティーバッグの紅茶を三〜四回使いまわしたみたいな味のする薄茶色の液体を一口含み、リズベットが提案する。

 

「よくよく考えれば、子どもたちだってSAOを手に入れたくらいなんだから結構ゲームやり込んできたんじゃないの?戦力になったりしないかな?」

 

「私は反対っ!」

 

リズベットの提案にいち早く反応したのはアイだった。

 

どん、と勢いよくカフェテーブルに手をつく。見るからにぼろいテーブルだが、街に配置されている物体には破壊不能物体(イモータルオブジェクト)設定なるものが施されており、傷つけることはできないようになっている。

 

おかげでテーブルは木屑にならずにすんだが、大きな音が鳴ったので近くに座っていたアスナはびくんと肩を跳ね上げた。

 

「外はなにがあるか、なにが起こるかわからないんだよ?昨日だって、サーシャ先生とシリカちゃんがたくさんのオオカミとかイノシシに襲われた。いざとなった時にどうなるか予想がつかないよ。少なくとも、みんなが精神的に落ちつきを取り戻して、戦略とパーティバランスを整えて、パーティメンバー全員が出したい時にあれを……えっと、そ、そーど……そーどあーと……」

 

「ソードスキルよ。いい加減覚えなきゃダメだからね、アイさん」

 

「ありがと、アスナちゃん。努力はしてるんだけどなぁ」

 

「あといきなり大きな音鳴らさないで。びっくりする……じゃなくて、ほかの人の迷惑になるわ」

 

アイは右に左に紺碧(こんぺき)柳髪(りゅうはつ)を揺らす。

 

宿屋の一階にある、ちょっとした食事ができる空間で話し合いをしているのだが、近い距離にどころか、宿屋の一階にはアイたち以外に人の姿は見えなかった。

 

「人、他にいないけど……驚かせちゃったんならごめんね。……それで、そのソードスキルを、パーティメンバー全員が出したい時に出せるくらいにならないと、私は行ってらっしゃいって言えないかなぁ。心配でいてもたってもいられないもん」

 

『驚いてなんてないわよ……大きい音くらいでびっくりなんてしないもの』と、しょんぼりしているアスナに、サーシャは『きゅ、急に大きな音がすれば誰でも驚いちゃいますよ?私もちょっとびくってなりましたからね?』と(すか)す。

 

どこかほのぼのした光景を視界の端に収めてため息をつくと、リズベットは口元に手をやる。

 

「そりゃあたしだって心配にはなるけど……。でもね、アイさん。そうなると、宿屋をどうにかするか、稼ぎを良くするかしないとどうしようもないんじゃない?」

 

「グレードを下げて安いところに泊まるか、リスクを上げてちょっと危ないところまで狩りに出るしかないってことだよね……。ここよりグレード下げたらほとんど野宿みたいなものだけど」

 

アイの言葉にぴくりと反応したのは、どこか素っ気ないアイに張合いがなくてしょんぼりしていたアスナだった。栗色の髪を振り乱すように立ち上がる。

 

「ここ以下の宿屋なんて、わたしは許容できないわ!」

 

「ん……ま、たしかにね。だって……」

 

アスナの意見にリズベットが同調する。視線を下げて、足で床を叩く。床に足が触れるたびに、みしりみしりと(きし)んだ。

 

「歩いてるだけで穴があきそうだし、とてもじゃないけど綺麗とは言えないし」

 

「そうよ。ここだけじゃなくて、部屋のほうも商売してるとは思えないほどだわ。床は砂だらけだし窓も曇っていたもの。定期的に清掃されている様子もなかったわよ」

 

「あはは。この宿屋さんも、初日に私たちが泊まった宿屋さんもひどかったもんね〜」

 

「ベッドも固かったし、お布団は干されてる気配もなかったわ。良かったのは枕だけね。起きた時には見当たらなかったけれど」

 

「そうだろうねぇ。だってアスナちゃんが枕にしてたのって、昨日も今日も私の腕だもん」

 

アスナは再びテーブルに突っ伏した。

 

首元まで真っ赤に染めてぷるぷる震えるアスナの頭を撫でながら、サーシャが口を開く。

 

「ですが、だからといっていきなり街の外のさらに遠くまで足を運ぶのは……」

 

「うん、それもちょっと、ね……。私もリズちゃんも、そこでりんごみたいになってるアスナちゃんもそこそこ戦えるようになってきたけど、それだけだもん。ゲーム関連の知識を持ってるのはリズちゃんだけだし」

 

「や、あたしだってそこまで自信を持って断言できるほど詳しくは……。アイさんやアスナよりかは知ってるとは思うけどね」

 

「それになにより、遠くに行けば行くほど危なくもなるよね。もうちょっと時間をかけて準備したいかな……。レベルについても、戦闘の慣れについても、情報とかアイテムとかについても」

 

「……それまでお金がもつの?」

 

と、不安げにアスナ。

 

眉を曇らせたアイが答える。

 

「もたないかなぁ……。収入より支出のほうが大きいし、きっとこれからも人数は増えるから……。昨日だって、夕方に探し歩いただけで六人も見つかったんだよ?たぶんまだ、たくさんの子が不安で震えてると思う。小さい子を見つけたら保護しなきゃいけない。でも……」

 

「そうなると、さらに先立つ物が足りなくなる……そうですよね」

 

「ううぅぅ……」

 

唇を噛み締めながらアイがうなる。どうにかしたいという想いはあっても、方法が見つからなかった。

 

アスナとリズベットも俯きながら考えるが、答えは出なかった。

 

サーシャは必死に頭を捻る三人の少女を眺めて、申し訳なさそうに顔を歪める。覚悟を決めるように拳を強く握りしめる。

 

「……アイちゃん。それに、アスナちゃんもリズちゃんも、ありがとうございました」

 

深々と礼をするサーシャに、三人揃って小首をかしげた。何を言っているか、何に対して礼をしているのか、なぜ『ありがとうございました(・・)』なのか、わからないことばかりだった。

 

「えっと、サーシャ先生?なにを……」

 

リズベットが困惑しながらも声に出す。

 

対するサーシャは、あくまで穏やかに微笑むばかり。

 

「アイちゃんたちだけなら、こんな苦労はしなくてもいいでしょう?時間も、お金も、気苦労も……。こうして一緒になって悩んでくれただけで、親身になってくれただけで……それだけでもう充分ですから……だから」

 

『だから』と。苦悶しながら言い淀みながら、それでも意を決したように、その後のセリフを言うためにサーシャが口を開いたところで、アイの右手が閃いた。薄っぺらい味の紅茶みたいな飲み物のお茶請けに購入していたピーナッツもどきを、アイがサーシャの口めがけて放ったのだ。

 

口の奥のほう、なんなら喉に近い部分にまで入り込んだピーナッツもどきに咳き込むサーシャ。だが、そんなサーシャをアイは気にも留めずに、強く激しい感情を込めた視線を向ける。

 

アイは、怒っていた。

 

「なにを言い出すの、サーシャ先生。そんなのありえないからね」

 

「けほっ、こほっ……。だ、だって、アイちゃんたちだけなら、もっと効率よくできるでしょうし、食事だっておいしいものを食べられます。装備だっていいものに買い換えられて……それにアイちゃんたちなら、もしかしたらこのゲームの攻略にだって貢献できるかもしれません。だから……こんなところで引き留めるわけには……」

 

「あのね、サーシャ先生。気をつかってくれるのは純粋にうれしいけど、ここまで事情を知って、今さら知らんぷりなんて私、できないよ。苦労するとか、お金に困るとか、そんなことで見放すなんてできない」

 

サーシャが言わんとしていることに感づいたアイは、誰よりも早くどころか、サーシャが口にする前に(さえぎ)って、そう断じた。

 

「あーあ、アイさんが言いたいこと全部言うせいで、あたしの喋ることなくなっちゃったわよ。まあ……その、さ。サーシャ先生、あたしもアイさんと同じ意見だからね」

 

「リズちゃん……」

 

「わたしもよ。ここで誰かを見捨てれば、この先きっと後悔する。ここで逃げれば、この先ずっと逃げることになるもの。サーシャ先生、もっと単純に考えてもいいんじゃないでしょうか?困ってるから力を貸してって。それだけでいいんです、きっと」

 

「アスナちゃんも……。でも、ですけど、普通のゲームじゃなくなったこんな状況で……自分たちのことだけで手一杯なはずなのに、こんなご迷惑を……」

 

「迷惑なんかじゃないよ」

 

瞳を潤ませるサーシャに、アイは変わらず、さも当然と言わんばかりにノータイムで答える。

 

まだ幼い子どもたちを守り、助けることを『迷惑』などという乾いた言葉で言い表さなければいけなくなった環境に猛り燃える怒りを感じつつ、しかし必死に抑え込んでアイは言い放つ。

 

「こんな状況になったからこそ、困ってる時には協力し合わないといけないんだよ。サーシャ先生が一人で抱え込まなくていいの。サーシャ先生が一人で無理なんてしなくていいの。サーシャ先生は……助けを求めても、いいんだよ」

 

『もっと頼ってね』と、見る人を安心させる笑顔を咲かせてアイは締めくくった。

 

顔を手で覆い、こくこくと声も出せずにサーシャは頷いて返す。そんな彼女に、アスナは背をさすり、リズベットは肩に手を置く。涙を流すサーシャを慰める二人も、目元に光るものがあった。

 

「そう……そうだよっ!サーシャ先生は悪くないんだからっ、悪いのはあの支配者気取りのナルシスト男なんだからっ!」

 

サーシャと話していた時は我慢したが、一度燃え上がった怒りは鎮まることなくアイの中で(くすぶ)っていた。

 

結果、というか必然、矛先はゲームの製作者、茅場晶彦に向くこととなる。

 

「なんなのかなっ、あの人は本当にもう!この際デスゲームにされちゃったことはもういいとしてもっ、せめてちっちゃい子たちくらい解放すべきだよっ!」

 

「おおう……相当たまってるわね、アイさん」

 

「そりゃそうだよ!子どもたちにトラウマ植えつけて楽しいのかこのやろーって話だもん!途中で解放できないんなら、なんで最初から買えないようにしなかったのか!私は抗議したい!断じて抗議したいーっ!」

 

「気持ちはわかるけど、ちょっとボリューム落とそうよ。またアスナがびっくりして腰抜かしちゃうからさ」

 

「そ、そんなことで腰抜かしたりしないわよ!……でも、本当になぜ茅場晶彦は子どもたちまで巻き込んだんだろう。ゲームの中に閉じ込めた時点で印象も何もないけれど、子どもを手にかけたとなればどれだけイメージが悪くなるか想像つかないわけでもないでしょうに」

 

「えっと、たしかパッケージには十二歳以上推奨というレーティングはあったはずですが……」

 

「処置が足りないよ!」

 

眼鏡を外して目元を拭っていたサーシャが情報を加えるが、そんな申し訳程度の配慮で衰えるほどアイの憤怒の火勢は弱くなかった。

 

憤懣(ふんまん)やるかたない思いでどうにかなってしまいそうだが、物に当たるのは大人げないしアスナをびっくりさせちゃうので避けた。溢れる感情の行き場を失ってしまったアイは、両手をぱたぱたさせるにとどまる。そもそも鬱憤やらフラストレーションは口から吐き出され続けているのだが。

 

「もっと処置があっていいと思うの私はっ!そして茅場さんならっ……」

 

「呼び方は茅場さんでいいの?」

 

「あのナルシストやろーなら、もっとうまく低年齢層のためにできることがあったよ!他の制作スタッフに気づかれずにプレイヤーをゲームに閉じ込めるだけの手腕があるんだからっ!」

 

「アイさんめっちゃくちゃ怒ってるんだけど、()の丁寧さが出てるせいで褒めてるようにも聞こえちゃってるわね」

 

「いいところの家の生まれみたいで、一応礼儀や常識みたいな教養は身につけているもの。歳の離れた大人に対する礼節が、恨んでいる相手にも適用されるのよ」

 

「アイちゃんらしいですね」

 

自分も苛立ちは感じているが、他の人が怒っていると不思議と自分の苛立ちは薄れてしまうの法則により、アスナやリズベット、サーシャはかえって冷静になってしまい、未だぷんすかしているアイを穏やかに眺めていた。

 

「ゲームのレーティングだけじゃなくてっ、あの、えっと……頭にかぶってたもの、ニュースで見たのになぁ……ヘッドギア、じゃなくて……」

 

「ヘッドギアを知っててナーヴギアが出てこないってのもすごいわよ。あんだけニュースやCMで宣伝されてるのに」

 

「そうっ!ナーヴギア!それを作ったのも茅場さ……ナルシストやろーなんだから、一定の年齢以下の子はアカウントを作れないようにするとかできなかったのかと私は言いたいっ!」

 

「すごい、アイさんの口からアカウントなんて単語が出るなんてっ!」

 

アイの主張に、見当違いな部分でリズベットが驚愕した。

 

アスナも目を細めてしみじみと頷く。

 

「アイさんも学習しているということかしら」

 

「たしか最初のキャラクターメイクの時にアカウント云々という文章がありましたよ、リズちゃん、アスナちゃん」

 

「……私のことをなんだと思ってるのかな。昭和生まれとかじゃないんだからね。こほん、つまり私が言いたいのはっ!なんらかの救済措置を用意して(しか)るべきだと…………」

 

熱のこもった演説中、その要点を声高に訴えていた時に、アイがぴたりと動きを止めた。

 

「どうしたの、アイさん?結論は?」

 

「……救済措置……救済……どこかで……いつ、どこで……」

 

特段真面目に聞いていたわけではないけれど、途中でやめられると無性にむずむずするもの。

 

そのむずむずに我慢できず、アスナが続きを促したが、明確な返答はもらえなかった。

 

その目はなにを見るでもなく宙の一点に据え置かれ、その耳は周囲の音を一切閉ざし、その口は本人の意思にすら反して音を漏らす。

 

アイを除いた三人が顔を見合わせて心配げにアイを見守っていると、一瞬降りた沈黙の(とばり)を引き裂くように、『あぁっ!』と突然大きな声を上げた。アスナがとっても驚いたことは言うまでもない。

 

「あ、アイさん、急にどうしたのよ。大きな声出したらアスナがびっくりしちゃうって言ったでしょ?」

 

「びびびっくりなんてしてないわ!」

 

「声が震えてるよー」

 

「アイちゃん、なにか妙案でも?」

 

「そうっ!そうなのっ、サーシャ先生!初日にアスナちゃんと一緒に行動するようになる前、ひとりで街の中を散策してた時に見たの!」

 

興奮状態のアイに、三人が口を揃えて『なにを?』と尋ねる。アイは喜色満面で答えた。

 

「教会っ!」

 

 

はじまりの街、大通りの外れのもう一つ外れ。東七区、その川べり。民家と少し離れた開けた空間の庭園めいたそのエリアには広葉樹の林があり、林の頭から抜け出るように奥の方から尖塔が覗いていた。尖塔は青灰色の屋根をかぶっており、塔のてっぺんには十字に円を組み合わせた金属製のアンクが輝く。

 

周囲より抜きん出て高い尖塔の下に教会があるが、そこに至るまでの道は、無秩序無遠慮に木々が並び、生い茂る草が道を覆い隠していた。すぐには入口の道がわからないほどである。よく観察してようやく、つい最近誰かが通ったような形跡を見つけることができた。アイ曰く、木々や木の葉に隠されるように目的地は佇んでいる。

 

「ここだよ、ここ!ほらみんな、行くよ〜」

 

ちょっとした集団の先陣を切るのは、ここまでの道案内もしてきたアイだった。

 

「……アイお姉ちゃん、ほんとにここ……はいるの?」

 

アイの号令に疑問を呈したのは、シリカと同年代か、それよりも幼くみえる女の子。烏の濡れ羽色のような艶のある髪をサイドに緩くまとめた、小学校高学年程の外見の少女だ。アイの胸元程度の身長の少女は、感情を感じさせない無表情で尋ねる。

 

『お姉ちゃん』と呼ばれたことが嬉しいのか、ライトエフェクトでも発生させかねない素晴らしい笑顔で、背後にいる少女へ顧みる。来た道をちょこっと戻り、足が重い少女の隣に並んだ。

 

「大丈夫だよ、ティアちゃん。青木ヶ原(あおきがはら)樹海の入口みたいなおどろおどろしい外見だけど、ちょっと進んだら綺麗になるからね」

 

「あおきがはら……?」

 

「富士山の北西にあるの。よく富士の樹海って呼ばれてるとこだよ」

 

「……帰りたい」

 

「不安なら、ほら、手つなごう!」

 

「……もっと、不安……」

 

「な、なにもしないよ?!ほんとだよ?!」

 

嫌そうなことを言いながらも、黒髪の少女ティアは細っこい腕をゆるゆると持ち上げてアイに向けた。

 

アイはその小さな手を、表情筋がバカになりそうなほどにこにこしながら握ろうとしたが、地面を押しあげて伸びていた木の根っこに足を引っ掛けて盛大に倒れた。

 

奇妙な悲鳴を上げて顔面から地面に突っ込んだ彼女に、隣で並び歩いていたティアはとても驚いて、でも起き上がって鼻を押さえるアイを見て無表情だった顔をほのかに緩めた。

 

 

高校生くらいのお姉さんが小学生くらいの女の子に手を引いてもらって立ち上がるという、だいぶ悲しくなる構図を、数メートル離れた位置で眺めていたアスナとリズベットは揃ってため息をついていた。

 

「どちらが年長者かわからなくなる光景ね」

 

「情けない、情けないよアイさん……」

 

「ふっ……ぷふっ」

 

肩を落とす二人の横をてとてとと歩いていたシリカは、口元を押さえないとかみ殺せないほど笑っていた。

 

「シリカ、笑いすぎ」

 

「ごめんなさっ、でも、おかしくてっ……あははっ」

 

「あれで、わたしたちを引っ張る実質的なリーダーなんだからわからないわね」

 

目元に涙をたくわえて笑うシリカの背をゆっくりと押して歩みを進めるアスナが、アイの後ろで子どもたちをまとめるサーシャを見やる。子どもたちは賑やかにお喋りしてはいるものの、サーシャから注意されればよく言うことを聞いて指示に従っていた。

 

かたや小学生に手をひかれるアイと、かたや元気盛りの遊び盛りな子どもたちを見事に指導・引率するサーシャの対比を見て、リズベットが指をさす。

 

「まったくね。ほら、サーシャ先生見てよ。もはや先生っていうか保母さんみたいになってる」

 

「こうまで明暗が分かれるなんて」

 

「でも……アイさ、ふふっ、アイさんもすごいですよ。あのティアちゃんが笑ってますから」

 

ようやく笑いの峠を越えたシリカが呼吸を整えながら、でも時折思い出したように笑いつつ言う。

 

木々のアーチのおかげで昼前という時間帯でも薄暗い道を進んでいたアスナが、不思議そうに首を傾げた。

 

「あの子……ティアちゃんだったかしら?ティアちゃんは、その……あまり活発なほうではないの?」

 

「はい、宿屋さんでも一人でいることが多くて。あまり言葉数も多い子ではないようですから」

 

「シリカがあの子を子ども扱いするってなんか違和感があるわ」

 

「ちょ、リズさんっ、あたしのほうがティアちゃんよりたぶん年上ですからね!」

 

「たぶんかい」

 

「でもシリカちゃんとティアちゃん、背丈は同じくらいじゃないかしら」

 

「アスナさんまでっ!あたしのほうがちょっとだけ、ほんのちょみっとですけど背は高いですよ!」

 

「そうだねー、あの子どもたちの中ならシリカはぎりぎり平均より上くらいだもんねー、オネーサンだもんねー」

 

「うう……あたし、宿屋さんの部屋でなら頼りになるお姉ちゃんだったのに……。って、違いますよ!あたしの話じゃなくてティアちゃんの話です!」

 

頭の上に置こうとするリズベットの手を払いのけて、シリカは話の路線を戻す。

 

跳ねるように木々の根っこを飛び越えるアスナが、視線の先にいる二人を注視する。

 

「無表情なことが多いわよね、あの子。宿屋で集まって軽く自己紹介した時も、不安がるでもなく、安心するでもなく、ぽつんと佇んでいたもの」

 

「人見知り、なんでしょうか?最初に広場で会った時も、会話らしい会話はできなくて」

 

「シリカちゃんがティアちゃんを保護したの?」

 

「……シリカがティアちゃんを保護、って……老人が老人を介護する並みに違和感があるわ」

 

リズベットの軽口をシリカはスルーして続ける。リズベットには一目もくれず、アスナだけを視界に入れるように顔を向けていた。

 

「はい。広場のすみっこのほうにいました。声が小さくてよく聞こえなかったんですけど、誰かを待ってる?みたいなことを言ってたんです」

 

「待ってる?そんじゃ、親とか、兄弟とかあとは友だちとかと一緒にログインしてたんじゃないの?」

 

リズベットが言う。

 

今回は真面目に話しているようなので、シリカもスルーせずに頷いた。

 

「あたしもそう思ったんです。それで、頼れる人がいるんならだいじょうぶかな、って思ってちがうところを探しに行ったんですけど、宿屋へ戻る時にもいたんです。ティアちゃんが、同じ場所に」

 

「同じ場所に……ずっと?」

 

「はい。なのでさすがにこれ以上一人でいさせられないと思って宿屋に連れて帰りました」

 

「それじゃあティアちゃんは、一緒にきていた人がいたのにはぐれちゃったのかしら……だとしたら」

 

「はい、とても心細いでしょうし、ショックだったと思います。状況が状況でしたから周りの子とすぐに打ち解けられないのはわかるんですけど……」

 

「そうだったんだ……。でも……今はあの子、笑ってるわよ?」

 

「はぁ……だから驚いてるんですよ」

 

「ちょっとシリカ、今あたしのこと小馬鹿にしたでしょ。アイさんばりに撫でくりまわそうか?」

 

隆起した木の根っこの上に立ったリズベットは手をわきわきさせてシリカを見下ろす。

 

身の危険を感じたシリカは速やかに安全地帯へと逃げ込んだ。

 

「たすけてアスナさん!」

 

「リズ、やめなさい」

 

「むむっ、この早さでグループ内の力関係を見破るとは……」

 

「シリカちゃん、もう大丈夫よ。続きは?」

 

「そ、そうでした。えっとですね、そういうこともあってティアちゃんはどこかみんなと距離を作ってまして、サーシャ先生についていく子どもたちの中でも……ちょっと言い方はあれなんですけど、浮いちゃってて」

 

「そう……」

 

(はしばみ)色の瞳に憂いを帯びさせ、俯いた。

 

足元を見ながらにして、ここ(・・)とは違う場所を見ているようだったアスナに、努めて明るくリズベットが声をかける。

 

「そんな落ち込んだ顔しないでよ、アスナ」

 

「だって……」

 

「ティアちゃんが浮いちゃってるっていっても、別にみんなからはぶられてるわけじゃないんだから。まだみんなとの距離を計りかねてるだけよ。誰だってある程度は同じことでしょ」

 

「それは……どういう?」

 

「人とすぐに仲良くするのが苦手な人だっているし、集団で行動するのが性に合わない人もいる。アスナみたいに生真面目な人だっているし、シリカみたいに能天気な子もいる」

 

「なっ、あたし能天気なんかじゃないですっ!」

 

ぷんすかしたシリカをアスナが(なだ)めすかしているうちに、リズベットは続ける。

 

「学校と同じ。そのうち接し方もわかってくるってもんよ。学校と違うのは、ここがゲームの中ってことと、本人の意思なんて関係なしに踏み込んでくる人がここにはいるってことくらいね」

 

「そうね、知り合って初日に抱きついてくるような人がここにはいるわ」

 

手を引くというより引かれている紺碧の長い髪を視界に捉えて、アスナは自然に頬が緩んだ。

 

「だから、かなぁ……」

 

アスナに頭を撫でられて落ち着いたシリカが独り言のように呟いた。

 

「どうしたの、シリカちゃん」

 

「あぅ、えっと……とくに深く考えていたわけじゃないんですけど……アイさんとサーシャ先生のふたりがいるからバランスがいいのかなって、ふと思って……」

 

「バランス?」

 

リズベットがシリカに訊き直す。

 

本人もちゃんと言いたいことを纏められているわけではないのか、頭を捻りながら答える。

 

「たぶん、というか印象なんですけど、アイさんはサーシャ先生みたいに大人数を見ることはできないんじゃないかなって」

 

「そうでしょうね。アイさんなら子どもたちと一緒になって騒ぐんじゃないかしら」

 

「精神年齢なら同じくらいだし」

 

「逆にサーシャ先生は、ティアちゃんみたいに表情が読めない子には気を使いすぎて踏み込んでいけない感じでしたので……」

 

「たしかにサーシャ先生は繊細なところがあるわね。迷惑をかけてしまうんじゃないか、って考えすぎるふしがあるわ。裏返せば、それだけ優しいってことでしょうけど」

 

「良心的な感性と一般的な常識を持ち合わせてるんでしょ?アイさんがそういうデリケートな部分を一足飛びにしちゃうからとくにわかりやすいわよ」

 

「……なるほど。だからアイさんとサーシャ先生でバランスが取れてるってことなのね」

 

「そうですアスナさん」

 

「え、どゆこと?」

 

アスナはシリカが言わんとしていることに考えが至ったようだが、リズベットは頭の上に疑問符を浮かばせていた。

 

『これだけ言ってもまだわからないんですか』というニュアンスでシリカが吐息をもらしたため、リズベットがシリカを追い掛け回すという一幕を挟み、もみくちゃにされたシリカが追って解説を始める。

 

「サーシャ先生は大人数を、アイさんは大人数に馴染めない少数派の子と仲良くすることで、子どもたち全員に居場所を作ってあげられてるんじゃないかなぁ、って。ただあたしがそう思ってるだけですけど」

 

「ほぉ。お互いがお互いに、自分の長所で相手の短所を補っているんじゃないかって、シリカは言いたいわけね」

 

「さっきからそう言ってます」

 

「いちいち逆鱗に触れたがる子ねっ!」

 

「きゃあっ!ご、ごめんにゃさいぃっ!」

 

「もう、リズ、大人げないわよ」

 

「これは教育的指導だからいいの!」

 

「いじめです!いじめが発生してます!」

 

「あんたがケンカ売ってくるからでしょーが。でも……シリカの考えも的を射ているのかもしれないけど、きっと本人はそこまで深いこと考えてないんじゃない?そもそも、そんなことを考えて人と接したら言い知れない異物感みたいなのが出てくるし。アイさんは自然体で動いているからこそ、人の心の外側に張られた殻をするっとかいくぐって、内側に入り込めるんでしょ。あたしも知り合ったのが二日前だから、推測だけど」

 

残った問題は、ティアちゃんの同行者が今どこにいるか、ね。

 

最後にそうつけ加えて、リズベットは草と土を踏みならしながら進んでいく。木々のカーテンが開かれ始め、目的地が見えてきたことで歩みが早くなっていた。

 

「……リズさんもいろいろ考えてるんですね」

 

本人に聞こえたらまた折檻(せっかん)されそうなことをシリカはぽつりとこぼして、リズベットの後に続く。

 

一人残されたアスナは、胸のあたりを押さえて立ちほうけていた。

 

「なんでだろう……もやもや、する」

 

言葉で形成できない漠然とした歯痒さともどかしさ、ついでにわけのわからない敗北感を抱きつつ、アスナも二人の背中を追った。

 

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