優しい世界のつくりかた   作:にいるあらと

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教会

 

樹海ばりに木々が密集していた空間は、距離としてはさほど長くなかったものの、アイが豪快にすっ転んだり、まだ小さいティアに歩幅を合わせていたり、雑草と雑草の合間に咲いていた花を愛でたりしたせいで必要以上の時間を費やしていた。

 

最初は難色を示していたティアもなんだかんだで楽しんでいた自然散策が終わりを告げると、今度は石畳と花壇でできた小ぢんまりとした広場が視界に広がる。広場の奥には今回の目的地である建物、教会が悠然と佇んでいた。

 

左右対称(シンメトリー)の構造をした教会は大きく、頭上から降り注ぐ太陽を模した明るいライティングが白色の外壁に跳ね返る。息を呑むほど美しく、立ちすくんでしまうほど荘厳でありながら、排他的なイメージはない。不思議な建物だった。

 

「……きれい。とても……」

 

「だよね。私も最初見つけたとき、しばらくぼぉーって見惚れちゃったもん。でもそろそろ中に入ろうね。前に来たときのおじいさんがいるといいけど」

 

教会を見上げるティアに微笑みながら、アイは後ろについてきている仲間たちの到着を待つ。

 

全員いることを確認すると、神聖な建築物に魅了されてしまっているティアの手を引いて重厚な扉へと足を向ける。

 

扉の前に着いたとき、背後から軽快に石畳を叩く音が届いた。振り向けば、子どもたちが道中ではぐれたり、ふらふらっと道を逸れていった子を見失ったりしないように一番後ろについていたリズベットとシリカ、少し遅れてアスナが近づいてきていた。

 

「みんなここまでおつかれ〜。誰も迷子にならなかった?」

 

「ええ、平和なもんだったわよ。まるで遠足みたいだったわ」

 

「サーシャ先生が本当に先生みたいでした」

 

「さすがサーシャ先生だね」

 

「それに比べてアイさんは……はぁ。木の根っこに派手に足を引っかけて、ティアちゃんに手を引かれて歩くという体たらく」

 

「みっ、見てたの?!やだなぁ、はずかしい……」

 

「あははっ、大丈夫大丈夫。いまさらあれくらいの醜態で下がる評価はないから」

 

「はたしてそれは喜ぶべきなのかな、悲しむべきなのか………っとと、どうしたのティアちゃん?」

 

リズベットの冗談に笑って返していたアイのウエストに、いきなりティアが抱きついた。

 

天使の輪が浮かぶ艶やかな黒髪を上から眺めるアイは、ティアの唐突かつ積極的な接触に困惑しつつも雀躍の思いだったりしていたが、向かい側にいたリズベットやシリカにとっては困惑と言っても意味合いが異なっていた。アイは脇腹あたりにひっつくティアを上から見下ろす形だったので見えなかったのだが、正面に立っていたリズベットとシリカには少女の横顔が見えていたのだ。アイと二人で歩いていた時には決して見せなかった、温度を感じないどころか冷たくすら思わせる無表情と、僅かばかりとはいえどたしかな敵意が混じった視線を。

 

「リズさん、ティアちゃんから睨まれてます。リズさんだけならいいんですけど、なんでかあたしまで睨まれてます」

 

「えっ?!な、なんで?!」

 

「アイさんの悪口言ったからじゃないですか?ティアちゃんはアイさんと仲良しみたいですし」

 

「あ、あれは冗談っていうか、ツッコミ待ちのボケっていうか……」

 

「ティアちゃんは睨んだりしないよ?」

 

「アイさんはちょっと静かにしてて」

 

「私、話の渦中にいながらのけ者……ひどい」

 

ティアのさらさらとした黒髪を撫でながら、アイはくすんと泣き真似をする。それが影響したのか、リズベットへ向けられているティアの双眸(そうぼう)が一際鋭く細められた。

 

「これは確定ですね。リズさん、ティアちゃんに嫌われてます」

 

「まさかアイさんがティアちゃんからこれほどまでに慕われているとは思わなかったわ……。えっと、ティアちゃん?あたしも本気でアイさんをバカにしてるわけじゃないのよ?アイさんを攻撃しようとしてるわけじゃなくて、これはあたしとアイさんのやりとりの一環というか……だから誤解っていうか、ね?」

 

リズベットは屈んでティアと目線を合わせると、額に冷や汗を滲ませて必死に弁解する。

 

じぃっと、リズベットの顔のど真ん中を貫くように注視していたティアは、目線を上にあげる。無言でアイの顔を仰ぎ見た。

 

事実確認をするようなティアの視線に、アイは首肯する。

 

「あ、うん、ほんとだよ。私とリズちゃんは仲がいいからね。さっきのきつい言葉はリズちゃんなりの愛情表現なの」

 

「……無性に癪に障るけど、今は否定しないでおくわ……。そうなのよ、ティアちゃん。だからあたしは怖い人じゃないんだよ〜」

 

「リズさんの猫撫で声は背中が寒くなりますね」

 

「シリカ、あんたはあとで尖塔のてっぺんから吊るしてあげる」

 

尻尾を踏まれた猫のような悲鳴をあげるシリカを一瞥(いちべつ)もせずに、ティアはアイの肯定の文句にこくりと一回頷くと、アイのお腹に回していた腕を解き、ゆっくり一歩二歩と離れた。

 

「私のこと心配してくれたんだね。ティアちゃんありがとっ!」

 

言葉少なで表情も変わらないティアの意を正確に読み解いたアイは、感激したようにひっしと抱きしめた。

 

暑苦しい抱擁に、ティアも初めは抵抗するようにアイの身体を押しのけていたが、やがて諦めたのか、されるがままとなった。この時ティアの唇の端が動いたかどうかを判断できるのはアイしかいないので定かではないが、少なくとも小さな身体から放出されていた冷気は収まっていた。

 

「それにしても、アスナちゃんどうしたの?疲れちゃった?」

 

ここまで口を開かなかったアスナに、少女をだっこしたままのアイが水を向ける。

 

「……べつに。ゲームの中なんだから身体的な疲労はたまらないわよ」

 

「なんだかアスナちゃんがそっけない……はっ!わかったっ!私がティアちゃんとばっかり遊んでたからさみしかったんだねっ!だいじょうぶっ、私はアスナちゃんも大好きだよ!ほら、私の胸に飛び込んでおいで!」

 

独自の思考法により独自の答えを弾き出したアイはようやくティアを解放し、アスナに向かって両腕を広げた。

 

数秒の間呆然としたアスナは思い出したように顔を真っ赤にした。

 

「ばっ、ばかっ、何をどう考えればそんな答えに行き着くのよ!」

 

「…………」

 

アイは両腕を広げたまま動かない。

 

「だ、だから飛び込みませんってば」

 

「…………」

 

アイは両腕を広げたまま動かない。

 

ティアは教会の壁になみなみならぬ関心を寄せている。

 

「はやく手を下ろして。わたしは抱きついたりしませんからっ」

 

「…………」

 

アイは両腕を広げたまま動かない。

 

リズベットとシリカはアスナの背後でにやにやしている。

 

「……わかったわ、わかりました。アイさんはハグしないとこの場を動かないつもりなのね、わかったわ。し、仕方ないわね。これを終わらせないとアイさんが扉をノックしないっていうのなら、仕方がないもの」

 

「っ!…………っ!」

 

早口にそう捲し立てると、アスナはぎこちない動きでアイに歩み寄っていく。

 

当のアイは相変わらず両腕を広げたまま、しかしによによ(・・・・)しそうな頬を必死で堪えているのか顔面のパーツが不可思議なことになっていた。

 

アスナが一歩二歩と近づくたびに、栗色の長髪が右に左に揺れるたびに、広げられている腕がぴくりぴくりと震える。まるで獲物が射程圏内に入るのを今か今かと手ぐすねを引いて待っている野生動物のようだった。

 

そして、最後の一歩を、アスナが踏み込んだ。

 

その瞬間、アイの両腕が閃いた。驚くべきことに、ソードスキルを使った時と遜色(そんしょく)ない速度を叩き出していた。

 

「きゃーっ、アスナちゃん大好……あれ?」

 

間合いといい速度といい、間違いなく標的(アスナ)を捉えたと思われたアイの渾身の一撃(抱擁)は、手のひらで天鵞絨(ビロード)もかくやという滑らかな髪を撫でるにとどまった。

 

「よくよく考えれば……なんでみんなが見ているところでアイさんを抱きしめなきゃいけないのよ!」

 

左右より迫るアイの挟撃を、アスナは膝を曲げて姿勢を低くすることで回避していた。そして、回避しただけでは終わらない。それは仲間たちにいいようにからかわれた羞恥ゆえか、それとも言いくるめられそうになった屈辱ゆえか。至近距離にいるアイを遠ざけようと、アスナもアスナでソードスキルを上回りかねない切れ味で手のひらを突き出した。

 

アイとアスナ、両名とも街の外でイノシシなりオオカミなりのモンスターと戦う時よりも俊敏で正確な動きを、残念なことに安全な街の中で、しかも身内相手に繰り広げていた。

 

通常なら、街の中で攻撃を受けても奇妙で不快な衝撃が与えられるだけなのだが、今回はシステムに認められていない徒手による打撃で、しかも無駄に卓越した動きだったためか、アイは割と強めのインパクトを受けて後ろへほんのちょっとだけ吹き飛ばされた。ほんのちょっとだけとはいえ、アンチクリミナルコードが適用されている街の中で地面からアイの足が浮いたのだから相当であった。

 

強制後方移動を課されたアイは、すぐ後ろにあった教会の扉に(したた)かに後頭部を打ち据えた。ごつん、という鈍く重い音が広場に響く。

 

「へぶっ……ぅっぅっ、いたきもちわるい……」

 

「あーあ、折角のチャンスを自分でふいにするなんて。アスナは強情なんだから」

 

「でもでも、さっきのアスナさんはとってもかわいかったです」

 

「二人とも、あとでお話しがあるから聞いてもらえるかしら」

 

「……あれ、アイお姉ちゃん。……頭おさえて、どうしたの……?」

 

アスナの静かな威圧感に震えるリズベットとシリカを歯牙にもかけず、ティアはアイの心配をしていた。心配をしているわりには、教会の造りに興味をひかれて決定的瞬間は見逃しているのだが。

 

「まったく……ひどい目にあったよっ!アスナちゃんが寂しがってるかなって思って、私は心を込めて抱擁しようとおみゃっ」

 

アイにさらなる厄災が降りかかる。時間差で、もう一度背後から衝撃をいただいた。

 

アスナの突っ張りも予想外といえば予想外であったが、今度ばかりは完全に慮外であった。予想の範疇に収まっていなかった。なにせ、誰もいないはずの背中側、教会側から勢いよく押し出されるような感覚があったのだから。

 

うつ伏せに倒れ込んだアイを除く全員の視線が、アイがついさっきまで立っていた位置に注がれる。重厚感のある木材で(あつら)えられた教会の扉が開かれていた。

 

「このような薄寂れた教会になにか御用かね?ほう、これはまた若いお嬢さんらじゃのう」

 

現れたのは、人のよさそうな笑顔が印象的な、まさしく好々爺といった風情の白髪の老人。足元まで覆う真っ黒な修道服を着て、首からは十字架を模したシルバーのネックレスをかけていた。歩くたびに、老人の手にある木製の杖が石畳をこつんこつんと小気味よく叩く。

 

老人はゆったりとした喋り方でいつもとは違う賑やかな広場を見渡して、そしてふと、目線を下げる。

 

「ふむ?今日は心地よい天気じゃが、しかしこのようなところで寝ていては風邪をひくんじゃないかの?」

 

「おじいさんのせいだよ!」

 

アイは勢いよく起き上がって叫んだ。

 

 

 

 

 

 

教会の広場で子ども組が元気に走り回って遊んでいる中、アイとアスナ、リズベット、サーシャ、ティアは教会内部、聖堂に通されていた。

 

「わー、広いねー」

 

「これだけの施設を見て、いの一番に出てきた表現が『広い』ってどうなのよ。『綺麗』とか『(おごそ)か』とか、なにか他にあるでしょうに」

 

「うぐっ……私は感想すら自由に言わせてもらえないの?!」

 

「リズなりのツッコミなんでしょう?アイさんのコメントがひどかったことには違いないけど。ティアちゃん、どう?外も綺麗だったけど中もとても綺麗ね」

 

アイの隣にぴったりと寄り添っているティアへと、アスナが水を向ける。

 

アイとサーシャからは『これから神父様とお話してくるから外で待ってて?』と教会前にある広場での待機を言い渡されていたのだが、ティアは頑として聞かず、アイの手をぎゅっと握りしめてくっついてきた。小さくて可愛い子に甘えられ、強く出ることができなかったアイが許可を出してしまい、ティアは結局話し合いに同行することとなった。

 

ティアが大人組に帯同されていくことにシリカは弱々しい異議を申し立ててはいたが、サーシャに『年下の子たちをよろしくね、シリカお姉さん?』と大人ぶりたい子ども心をうまいこと(くすぐ)られ、シリカは広場で子ども組の監督役を任ぜられることとなった。

 

本人たっての強い希望で同伴してきたティアは、その雲一つない夜空のような漆黒の瞳に、数多の星々を煌めかせている。教会内のあちらこちらへと視線をめぐらせ、そのたびに声にならない歓声をあげていた。

 

普段よりテンションの上がっているティアは、アスナのほうも見ずに聖堂の奥上部のステンドグラスに熱視線を向けている。

 

「すごい……っ!ステンドグラスに、光がさして……っ!女神さまの歌声が……ふりそそいでるみたいっ……っ!」

 

中央上部に位置する淡青(うすあお)の衣を纏った美しい女性が、その下あたりで膝をついて祈りを捧げる十人程の子どもたちへと、口元を薄く開いて両の手を掲げている。という情景を切り取ったステンドグラスに、ティアは賛美の声をもらし、それをアスナへの返答とした。

 

幼い外見からは想像もつかない情緒に溢れる感想に、トシウエのオネーサンたちは戦慄した。

 

「そ、そうね。とても、ええ、綺麗だわ」

 

「秀逸すぎるコメントに、アスナ気圧されちゃったよ」

 

「そ、そうだよねっ!えっと、……たくさんの、あの、ガラスがぐわって使われててっ、光がぱぁって入ってきて……うんっ!」

 

「アイさん、張り合おうとするんなら最後までがんばって」

 

「ティアちゃんは芸術に興味があるんですね。たいへん素晴らしい感性です」

 

「サーシャ先生は揺るがないなー、これが本当の大人の対応なんだ」

 

聖堂の奥、司教座の前で神父は立ち止まり、振り返る。

 

アイたちも立ち止まり、雑談を中止した。真剣な面持ちで、ともすれば緊張感を滲ませる。

 

にわかに張り詰め始めた雰囲気に口を噤む一同から、アイが一歩、前に出る。

 

「えっと……まずは、いきなり訪ねてきてごめんなさい。お願いしたいことがあるの」

 

「ほう、なんじゃろうかの。この老いぼれにできるお願いであればよいのじゃが」

 

「急にやってきてこんなこと言うのは心苦しいんだけどね……」

 

「よいよい、ここは教会なんじゃ。迷いがあれば導き、困っておれば救いの手を差し伸べる。そういう場所なんじゃよ。まずは話してみい」

 

「ありがとう、おじいさん……。えっとね……」

 

そこから、アイは子どもたちのことを話し始めた。

 

行くあてのない子どもたちが大勢いること。自分たちは外に稼ぎに出るけど、人数が人数だけに大変だということ。手持ちのお金が少なくて宿屋に泊まり続けるのは難しいこと。これからも一人でいる子どもを見つけたら保護するつもりだということ。

 

アイたちを取り巻く状況を説明される中で、神父は相槌を打ったり、『苦労しておったんじゃのう』などと(ねぎら)ったりしていた。

 

優しい神父の立ち居振る舞いに、一同の中でリズベットだけが小さく首をひねった。

 

背後にいるリズベットの異変にアイが気づけるべくもなく、アイは続ける。

 

「子どもたちに粗末な食事はさせたくないし、貧しい思いもしてほしくないし、なにより寂しい気持ちになってほしくない……。安くてみんなで住める場所さえあれば、って考えた時、この場所を思い出したの。……身勝手なお願いだってことは自覚してるけど……それでもお願いします、おじいさん。せめて子どもたちだけでも、ここに住まわせてもらえない、かな……?」

 

ここでなんとかならなければ次の手はない。それこそ汚い上に広くない部屋へ子どもたちを押し込んで寝かせ、質素な飯で糊口(ここう)(しの)ぐことになる。

 

まさしく神に祈る気持ちで、アイたちは固唾を呑んで神父の答えを待った。

 

神父は一つ深く頷くと、人を安心させる慈愛に満ちた笑顔を見せた。

 

「ほっほ。ここで子羊を突き放して、なにを教え導けるというんじゃ」

 

アイたちの差し迫った心境により体感時間は長かったが、実際には神父の返答は素早いものだった。

 

「お、おじいさんっ!それじゃあ!」

 

「良いに決まっておるじゃろう。儂と同じで、年季しか取り柄がないこのような古臭い場所で構わんのなら、ぜひ子どもらのために提供させておくれ」

 

「古臭いなんてとんでもないよっ!ありがとうっ!ほんとうにありがとうっ、おじいさん!」

 

「ほっほっほ。なに、気にせんでよい。今やここにゃ誰も住んどらんからのう、部屋はあまっとる。無駄に広いんじゃ、みなで好きに使えばよい。使わんかったら建物も傷んできよるし、そもそも教会なんぞは人に使われてこそなんじゃからな」

 

「えっ?それは子どもたちだけじゃなくて私たちも、ってこと?」

 

「うむ、そう言っておるつもりじゃが?」

 

「うれしいけど……そんな、悪いよ……私たちまでお邪魔しちゃうのは……。子どもたちを住まわせてもらうだけでも充分すぎるくらいありがたいんだから……」

 

「ほっほ、若いもんが遠慮するでない。儂からすれば、お嬢さんらも全員子どもらとさして変わりはせんわい」

 

「そ、それじゃあ……私たちも一緒に住んでいいの……?」

 

「最初からそう言っておるじゃろうて。ここも何十年かぶりに賑やかになるのう。ほっほ」

 

神父の快諾を頂き、アイは仲間たちに振り返る。アスナもリズベットもサーシャも目を丸くして口をぽかんと開けていた。とんとん拍子で事が運び、まだ事態を完全に把握できていなかったのだ。

 

ひとつひとつ反芻して、アイと神父の間で交わされた話の内容を飲み下す。

 

三人の理解が追いついたのは、ほぼ同時だった。ここにきてようやく、数ある中の一つだけとはいえ問題が解決したことで三人は満開の笑顔を咲かせて歓喜の声をあげた。実際にお願いしたアイはアスナたちにつられて、チャーチチェアの作りに見入っていたティアはアイにつられて、みんなして歓呼の渦に包まれた。

 

 

 

 

 

 

「おじいさんっ!なにか困ったことがあったら私たちに言ってね!食べ物とかは私たちが調達してくるし、教会のお掃除とかもするよ!」

 

子どもたちと一緒に生活できる寝床を確保できた喜びがひとまず落ち着きを取り戻したころ、アスナに抱きついていたアイが振り返りながら神父に言った。

 

その時だった。

 

にこにこ顔だった神父の表情が、ここにきて初めて曇る。そして突如として、神父の頭上に金色のクエスチョンマークが浮かんだ。

 

この世界がゲームの中であることをおおよそ忘れていたアイは小首をかしげてきょとん顔だったが、唯一明確な反応を見せた人物がいた。

 

「はてなマーク……クエストの発生?もしかして……ここまでの会話がクエストフラグだったの?でも、そうだとしても……こんなの誰が……」

 

ここにいるメンバーの中では一番ゲームの経験が豊富なリズベットだった。

 

リズベットが、今自分たちを取り巻く状況について思考を深める前に、アイは知らないが(ゆえ)に躊躇なく一歩を踏み出す。

 

「おじいさん、どうしたの?なにか困ってることがあるの?」

 

「ちょっ……アイさんっ!」

 

「ふぁうっ!り、リズちゃん、いきなりなにっ?」

 

疑問と不可解な点が残る現状に不安を感じたリズベットはこれより先に進むことを止めようとしたが、遅きに失した。急に呼びかけられたことで床から少し浮き上がるほど驚いたアイが振り向くが、しかしそれはクエスト受諾のフレーズを明朗な声で発音したあとだった。

 

受諾されたクエストは、リズベットの不安をよそに進行する。

 

「うむ……。たしかに困っとることではあるんじゃが、しかしのう……。住んでよいと言ってすぐにこれでは、まるでお嬢さんらを利用するみたいでのぅ……」

 

「リズちゃん、お話はあとから聞くからちょっと待って?さきにおじいさんのお話を聞くから……」

 

「いや、違くてっ!アイさん、これはクエストなのよ。あたしはゲームが始まって初日にNPCから受けたことがあるからわかる。ふつうのクエストならあたしもわざわざ割り込まないわよ!このクエストは普通と成り行きが違うから言ってるの!」

 

「くえすと……えぬぴーしー?なんなの?全人代のお話?ニュージーランドのラクビーのお話?」

 

「そっちこそ何の話をしてるかわかんないわよ!NPCはノンプレイヤーキャラクターの略で、意味は文字通り人間が操作していないキャラクターのこと!商店の店主とか、街を歩く人とか、この神父様もそれ!クエストは、ええと……今回の場合はお願いごとみたいなもの!」

 

「う〜?……うん。意味はわかったけどそれがどうしたの?」

 

「本当にわかってんのかな……。ここまでの流れとか、おかしなところがたくさんあるから安易に進めるべきじゃないかもしれないってあたしは言いたいの。アイさん、視界の左側になんか浮かんでない?チャットウィンドウみたいなやつ。あ、チャットっていうのは……」

 

「だ、だいじょうぶだよ!チャットくらいはしたことあるんだから!パソコンの授業で!」

 

「最後の一言ですごい不安が押し寄せてきたわよ……。まぁわかるんなら説明が省けていいわ。そのチャットウィンドウみたいなのは出てる?」

 

リズベットが尋ねると、アイは『首は動かさないで目だけ動かすの!』などと注意されながらえっちらおっちら確認する。アイの目が一つの空間で固定された。

 

「うん、あるよ。クエストログ、っていうこれのことだよね?」

 

アイの返答を耳にして、リズベットは頭を抱えた。

 

「うん……それね。やっぱり受諾しちゃってるか……」

 

場の雰囲気が変わり始めたことでアスナとサーシャは戸惑うが、それでも(くちばし)を容れることはしなかった。リズベットよりゲームに詳しくない以上、口を挟んでも事態が好転するとは考えなかったのかもしれない。

 

リズベットの慌てようが伝染して当惑するアイの傍らには、いつの間にかティアが寄り添っていた。

 

「あの、リズちゃん……私なにか間違っちゃったのかな……?」

 

不安そうにまゆを寄せるアイに、リズベットも似たような顔で首を横に振った。

 

「それは……あたしにもわからない。ただ、こんなどう考えてもイレギュラーな進みかたで発注されたクエストは、きっと内容もイレギュラーなはずよ。もうクエストは受けちゃってるみたいだけど、それでも……今からでも、安易に進めるべきじゃないとあたしは思う」

 

「それって……危ないことがあるんじゃないか、ってこと……?」

 

アイがリズベットに訊く。それはリズベットが語った説明の意味の再確認をしているというよりも、リズベットの真意を訊こうとしているかのようであった。

 

「まぁ、砕いて言えばそうなる、のかもしれないわ」

 

リズベットの答えに、アイの表情は歪んだ。先ほどまでの失敗したかもしれないという焦りや、自分の理解が及ばないところで事態が進んでしまっているという当惑や、仲間を巻き込んでしまうかもしれないという不安などの感情のいずれとも違う。悲しそうに、苦しそうに、今にも泣き出してしまいそうに、アイの表情は歪んだ。

 

どうしてそんな顔をするのかわからず戸惑うリズベットに、アイが言う。

 

「もしかしたら、もしかしたらほんとに、リズちゃんの言う通りに危ないことがあるのかもしれない。でも、私はこのおじいさんが故意に私たちを陥れるようなことはしないと思うの。……ううん、ちがうね。そんなことしないって、信じたいの」

 

まっすぐに貫いてくる鮮やかな空色の双眸(そうぼう)に、リズベットはーー否、アスナもサーシャも、言葉が喉からのぼってこなかった。

 

絞り出すように言葉を紡ぐアイの手を、ティアは静かに握っていた。アイはその手をちらりと見て、ティアに笑みを向けて、続ける。

 

「私はおじいさんと二日前に短い時間お喋りしただけ。みんなは初対面。全員合わせた人数はとてもじゃないけど少ないとは言えないよね。そんな私たちが急に押しかけて……よく知らない人たちばかりが大人数で急に押しかけて、ここに住まわせてほしいって無理なお願いをして、それでもおじいさんは、嫌な顔一つしないで住んでいいよって言ってくれた。いろんな(・・・・)人たちと接してきたから、私にはわかるよ……迷う素振りすら、まるでなかったんだ。だから、私は……その善意を疑いたくないの、信じたいの。ごめんね……。私……自分勝手だよね。でも……」

 

『でも、私はおじいさんの優しさを裏切りたくないの』と、色素の薄い瞳を潤ませて、下唇を噛み締めて、アイは言い切った。

 

一時の感情に流されているわけではなく、神父から恩を受けて盲目になっているわけでもない。

 

ただひたすらに、心の奥深くにある確固とした信念に基づいて自分の心境を打ち明けていた。それは、この場にいる誰の目にも明らかだった。

 

リズベットは俯き、深く息を吐いて再びアイに向き直る。言いたいことはまだあるけれど、どこか納得したような、すっきりしたような面持ちだった。

 

「……はぁ、わかったわよ。アイさんがそこまで断言するってことは悪いことにはならないわよね、きっと。そもそも悪いことになるなんて確証だってないわけなんだし、それに仮に悪いことになってもみんなで協力すればいいだけだしね」

 

「リズちゃんっ……っ!」

 

「あたしのキャラじゃないんだけどなぁ……。ほかに詳しい人もいないみたいだから、あたしがこういう役回りになるのは仕方ないのかしらね。まぁ……あれよ、アイさんには『もしかしたら予想もしなかったことになるかもしれない』っていう可能性を伝えたかったわけ。知ってるのと知らないのじゃ全く違うし。だから、さ、アイさんを否定しようとしたわけじゃないってことだけは、わかってよね」

 

「うん……っ、うんっ!リズちゃんは優しい子だもん、わかってたよっ!ごめんね、私がわがままなせいでっ!きらいになんてならないよっ、大好きだもんっ!」

 

潤んだ瞳のままで、震えた声のままで、アイはリズベットに抱きついた。

 

リズベットも、顔を赤らめているものの抵抗はしなかった。

 

「あははっ。わかったってばアイさん。もういいって……っとうわっ!ちょ、ティアちゃんまで……あはは」

 

リズベットが密着してくるアイの背中をぽんぽんと叩いているとサイドから微弱な衝撃を感じた。視線を下げれば、光沢のある黒髪がまとわりついている。

 

リズベットがアイに向けて苦言を呈したことで、ティアはリズベットの評価を見直したようだった。アイにそうするように、リズベットに対してもある程度心を開いたように見られた。

 

なかなか懐かなかった小動物が警戒心を緩めてくれたような嬉しさから頬を緩ませながら、まずリズベットはティアの対処に入る。自分よりも仄かに高いその体温に若干ばかりの心残りを感じながらも、肩に触れてゆっくりと離れさせる。次に、コアリクイの赤ちゃんばりにひっしとくっついてくるアイを、わりと容赦なく引き剥がした。

 

わーわー文句を垂れ流すアイをくるりと半回転させ、神父の方へと向かせる。クエストを受諾したのはアイなので、アイが神父から話を聞かなければクエストが進展しないのだ。

 

えぐえぐ泣き言を漏らしはするものの、神父の依頼用件を親身に聞くアイの後ろ姿に、リズベットは頼り甲斐のようなものを抱いていた。

 

顔の朱は、まだ抜けない。

 

 

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