優しい世界のつくりかた   作:にいるあらと

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おおよそ1ヶ月ほど留守にしてすいません。
飲み会と二日酔いの連続に苦しんでいました



居場所

 

神父から教会に住まわせてもらう許可を得た、その夜。アイたちは、充てられた部屋で就寝の準備をしながらお喋りに(きょう)じていた。

 

デスゲームからの解放の目処はついていないといえど、不安や怯えの色はもうない。目下の課題であった寝床を確保できたことで心にゆとりが生まれていた。

 

「ということは、結局その神父さまのお願いごとっていうのは……」

 

部屋に据え置かれた六基のベッドのうちの一つ、シリカ用のベッドの隣にある、窓際のサーシャのベッドに転がり込んでいるシリカがアイに問う。

 

「うん、街の人たちが困っていたら助けてあげてってことだね。おじいさんはもうご高齢だし、教会には他に人もいないから、ここ最近は頼まれても断るしかなかったんだって」

 

「クエストの内容で他人の頼み事を聞いてくれ、ってとこはともかくとして、内容としてはまぁありきたりな部類ね。お使いとかアイテムの配達とか、あとはモンスターの討伐ってとこかな。とりあえず、きな臭いことにならなくてよかったわ」

 

神父との話し合いの場にいなかったシリカにアイが次第を説明し、リズベットがこれから起こり得るかもしれない展開を予想する。

 

リズベットの目算を聞いて、アイは安心したようにベッドの上で(・・・・・・)ぐっと背伸びしてあくびした。

 

「ふぁ……はふ。ほんとによかったよぉ。やっとまともなお布団で眠れるし、床はざらざらしてないし。ふつうって、こんなに素晴らしいことなんだね」

 

眠気が押し寄せて早くも目がとろんとしてきているアイにリズベットは呆れを含んだため息をつく。部屋に置かれた唯一の光源である蝋燭(ろうそく)の火のようにゆらゆら揺れ始めたアイに、呆れつつも頬を緩めているリズベットが口を開く。

 

「よかったってのは住環境(そっち)についてだったの?クエストについて言ってるもんかと……。いやあたしもだいぶ嬉しいけどね?まさかここまで教会の設備が充実してるなんて思わなかったし」

 

「本当にそうですね。子どもたちのためのベッドにもまだ余裕はありましたし、みんなで集まれるような食堂もありました」

 

『料理のスキル取ろうかなあ』と続けて呟くサーシャに、隣に座っているシリカは大きくまるい瞳をきらきらと輝かせる。

 

「すごくいいと思います!みんなのために……あくまでみんなのためにです!」

 

「シリカちゃん、食い意地が見え透いているわよ。わたしとしてはお風呂があったことが何よりも嬉しかったわ。さすがに現実のお風呂の再現はできていなかったけど、やっぱり気持ちよかったもの」

 

シリカのベッドを挟んで反対側、扉に近いベッドに腰掛けているアスナがシリカを軽く(たしな)める。

 

リズベットやサーシャ、アスナが話題にあげたように、アイたちが身を寄せているこの教会には、便利な設備が思いのほか存在した。

 

昼過ぎ頃に神父と話し、教会の空き部屋を借りて暮らすことになったあと、神父の勧めで教会の敷地内を自由に散策・探索することになった。最初に足を踏み入れた時にはアイたちも気づかなかったが、広場の端のほうには井戸があったり、その井戸の近くには色褪(いろあ)せたネックレスがかけられた十字架が地面に突き刺さっていたり、湯浴み場があったり、なんと地下室まであったりと。子どもたちに付き合ったり夕食の買出しなどで細かいところまで目が届かなかったが、ちらりと見て回っただけでもそれだけあった。

 

ゲームの設定上、衛生面に違いは現れないし入浴したことでパラメーターが上昇したり体力が回復することもないのだが、女性が多いこともあいまってか、一同はもれなくさっそくお風呂に入っていた。

 

「やっぱりお風呂には毎日入りたいよね〜。お風呂があるってだけでお金を払ってもいい理由になるよ〜」

 

「うん……すっき、りし……た」

 

睡魔に襲われているアイにくっついているからか、ティアもこっくりこっくり船をこぎながら起きているのか寝ているのかわからないうつろな声で同感の意を述べる。

 

「でもこの世界観と若干合わない感じはするけどね。気持ちよかったから世界観なんてどうだっていいけど」

 

「中世欧州みたいな街並みで浴場があるっていうのは、たしかに違和感はあるわね。気持ちよかったから世界観なんてどうでもいいけれど」

 

「勘違いされがちだけど、あの時代にも一応お風呂がなかったわけじゃないんだよ?気持ちよかったからどうでもいいけどね」

 

ついに膝の上で寝息を立て始めたティアの髪を手櫛でときながら、リズベットとアスナの言にアイが同意し、訂正を加える。

 

「え?でも、あんまり身体を洗う習慣がなかったから、体臭を誤魔化すために香水が発達したって教えられたけど?」

 

「うん、そっちも間違ってないよ」

 

「どういうことかしら?アイさん」

 

「もっと古い時代のヨーロッパ南部では日本と同じくらいに、お風呂文化が日常に定着してたの。イタリアのローマとか有名だよね」

 

「あ、それなら知ってる!テルマエ「リズちゃん、それ以上はいけない」……映画もあったわね」

 

「それじゃ、なんで衰退しちゃったのかしら」

 

「大量の水を用意しにくくなったっていうのもあるみたいだけど、一番の理由は当時の伝染病だね」

 

「ん?伝染病?学校で聞いたような……」

 

「ような、じゃなくて授業で受けたはずでしょ。ペスト……よね?」

 

「ちゃんと勉強してるんだね、アスナちゃん。そうだよ、ペスト」

 

「ちょっ、あたしは勉強してないみたいな言いかたしないでくれる?」

 

「黒死病とも呼ばれる病気だね」

 

「こらーっ!無視すんな!」

 

アスナから目を逸らさずに話を続けるアイの肩をリズベットがぐらぐらと揺らす。深海色の長い髪は左右に波打つが、アイは笑うばかりで態度は変わらなかった。

 

「……それで、伝染病とお風呂とどう繋がるの?」

 

「あれ?アスナちゃん、ご機嫌ななめ?」

 

「いいからっ、続きをどうぞ!」

 

「う、うん。それでね、えっと、ペストが広まったのは、当時の衛生面とか栄養不足とか、あと宗教観とかも重なって拡大していっちゃったんだけど、その中でお風呂に入ったら病気になるっていう間違った考えかたが流布されちゃっててね」

 

「ん?なんでお風呂で病気になるわけ?身体をきれいにするのに」

 

リズベットがあまりの不思議さにアイの肩を揺らす手を止めた。

 

アスナもリズベットと同じように小首をかしげる。

 

「うーん……当時は正しいとされてても、今では間違っていたってことは多いからね。タバコもすっごい昔は薬みたいな扱いだったわけだし」

 

「その話もすごく興味をそそられるけど……今はなんでお風呂に入ったら病気になるかの話に戻してもらっていいかしら」

 

「うん。当時はね、水が身体の穴を開いて、そこから危険な病気とかが入ってくるって言われてたんだって」

 

「んなばかな」

 

「今でこそ間違っているって断言できるけど当時の人たちは信じちゃったんだろうね。時代が進んであれやこれやが間違っていた、なんてことはたくさんあるんだよ。日本史だってそうだもん。鎌倉幕府の年号とか、厩戸皇子(うまやどのおうじ)の名前とかも数年前は違ってたんだから」

 

「『十年二十年くらい前までは鎌倉幕府は一一九二年、厩戸皇子は聖徳太子で教えられていたんだ』って先生が憂いを帯びた表情で言っていたわ」

 

「そうそう。先生は苦労するだろうね。……あれ、何の話だったっけ?」

 

「脱線させすぎでしょ。なんでお風呂が廃れちゃったかって話」

 

「はっ、そうだったっ!まとめると、大量の水を確保できなくなったり医学について間違った知識とか、なんだかんだあって一世紀二世紀前までは日常に根付いていたお風呂文化はなくなっちゃったのでした、まる」

 

「終盤はやっつけじゃない。雑学の量には驚いたけど」

 

「アイさんって基本的には頭がいいのに……」

 

「『いいのに』ってなにかな。含みがあるように私には聞こえるなー」

 

「アイさん、そのいやらしい手の動きはやめて。そういえば、サーシャ先生は知ってましたか?」

 

右手を軟体動物のようにうねうねさせてリズベットに迫らせるアイを制止しつつ、アスナがサーシャに尋ねた。

 

こ難しい話に入ったことで急激に眠気が増した結果、サーシャの膝を枕にしてまぶたを閉じているシリカに布団をかけながらサーシャが答える。

 

「知っていました、といってもアイちゃんがしてくれた話の半分くらいですけど。まさかペストの話とお風呂の話を紐つけられるとは思いませんでした」

 

私もまだまだ勉強不足です、と笑みを(たた)えながら、シリカの頭の下にちゃんとした枕を挟んでベッドに横たえさせる。

 

それを見て、アイは思い出したように大きなあくびをした。

 

「はふぅ……。そろそろ寝よっか?明日の予定を詰めとこうかなって思ってたけど……もうだめ。ねむい」

 

「その前に、アイちゃんちょっといいですか?」

 

片手でティアを抱き枕のように抱えあげて、もう片方の手で目元をくしくしとこする。横になろうとアイが身体をベッドに傾けようとしたところで、サーシャが呼び止めた。

 

「シリカちゃんが私のベッドで寝ちゃったので、シリカちゃんのベッドを私のベッドに寄せてほしいんですけど」

 

「……あい」

 

すでに半ば以上閉じている寝惚け眼で、アイは縦に指を振る。手馴れた様子でポップしたメニューをいくつか操作すると、アイの向かい側に並んだ三つのベッドのうちの真ん中のベッドが、サーシャが身体を預けているベッドにすすすと音もなく近寄り、ぴたりとくっついた。

 

「ありがとうございます。これでシリカちゃんが寝返りを打っても落ちないです」

 

「うん……寝ちゃう前に気づいて、ふぁ……あふ。……よかったよ」

 

「配置を変えられるの、アイさんだけだもんね。やっぱりクエストを受注したのがアイさんだから?」

 

「わかんない。さ、明日は街の外に出なきゃいけないし、早く寝よっか」

 

「そうそう、稼がなきゃいけないからね。寝よ寝よ」

 

「ちょっと……ちょっと待ってもらっていいかしら」

 

アイが横になって大判のブランケットのような掛け布団をかぶり、真ん中の線が長い川の字になってさあ就寝。灯りを消そうとした時、先程から何かを言いたそうにむずむずしていたアスナが口を開く。

 

何度か『えっと』とか『ん……』とか吐息をもらし、視線をあちらこちらへ彷徨(さまよ)わせ、薄いピンク色の唇をぱくぱくさせてようやく続きを言葉にした。

 

「昨日や一昨日の狭いベッドならわかるけど……なんで人数分のベッドが用意されているのにアイさんは一緒に寝ようとしているのかしら?」

 

シリカのベッド(今はサーシャのベッドとくっついている)の隣、扉側のベッドに腰掛けた姿勢で、眼前の光景を見てアスナが問題を提起した。

 

何を隠そう、アスナ、シリカ、サーシャと対面するようにリズベット、アイ、ティアのベッドが並ぶわけだがーーいや、並んでいたわけだが、この部屋に入室した早々にアイがメインメニューに新たに出現したボタンから操作して部屋のベッドの配置を変更したのだ。つまり、アスナの目の前には巨大なベッドが一つ、どんっ、と()えられていて、そのベッドの上にアイとティア、そしてリズベットがいるということである。

 

人ひとりが寝るには充分な寝床を用意されているにもかかわらず、なぜこの期に及んでまだ誰かと一緒に寝ようとしているのだ、とアスナは糾弾(きゅうだん)しようとしているのだ。表向きには。

 

アスナ本人ですら(あずか)り知らない複雑な感情に他人のアイが気づけるはずもなく、あっけらかんと答えた。

 

「だって一人で寝るのさみしいもん。ティアちゃんもさみしいかもしれないし。一緒に眠れるんならそっちのほうがいいよ」

 

「うっ……それでも、ティアちゃんはわかるけど、なぜリズも一緒に寝ようとしてるの?」

 

「いやぁ、慣れちゃったからかな?」

 

「たった二日で?!」

 

「なんならアスナもこっちで寝ればいいじゃない。それにたった二日って言うけど、アスナだってその二日とも枕にはアイさんの腕を借りてるんだからね。枕が変わったら寝つきが悪くなるんじゃない?」

 

「うでまくら……はっ!だめだめ!な、なんでわたしまでわざわざ狭いベッドで!」

 

「私なら全然かまわないよ!おいでおいでアスナちゃん!そっち側のベッドをこっちに移動させるのはできないみたいだけど、大丈夫!ベッド三つで四人ならよゆーだよ!」

 

「そっちで寝る流れで話さないで!」

 

「えーなんでなんでー!一緒に寝よーよーアスナちゃん」

 

「あんま意地張らなくてもいいんじゃない?明日寝不足になってもしらないよー?」

 

「もうっ、いいわよ!おやすみなさい!」

 

アイとリズベットの手招きに少なからず心動いていたアスナだったが、迷いと会話を断ち切るように自分のベッドに横たわると、これ以上は喋らないと言外に示すように掛け布団を頭までかぶった。

 

「アスナちゃ〜ん、そっちで寝ちゃうの〜?こっちこないの〜?」

 

「アスナー、いじりすぎたのは悪かったってばー」

 

アイとリズベットは何度か声をかけるが、アスナからの返答はない。二人は顔を見合わせる。

 

「アスナちゃん、怒っちゃったかな」

 

「大丈夫、アスナのあれはどうせ照れ隠しよ。あたしたちも寝るわよ。ティアちゃんも寝てることだし」

 

「そうだね……また明日誘おっか」

 

さすがに二人も諦め、仕方がないのでアイを中心にリズベット、ティアの三人で寝ることとした。

 

まだ起きていたサーシャに確認を取ってから屋内唯一の光源である蝋燭の火を消す。室内の光度は下がったが真っ暗闇とはならない。窓から入る月光を模した青白い仄かな光が、六人が休む部屋を柔らかく照らしていた。

 

 

 

 

 

 

翌日。アイたちは予定通り、というか必要に迫られて街の外の草原に足を運んでいた。

 

朝早くから門をくぐって草原に出ていたが、モンスターの再湧出(リポップ)が悪く、街から北西に歩みを進めて森の手前にまで来ている。デスゲームと化して三日目という、リズベットの推測よりも早く他のプレイヤーたちが犯罪防止圏内を出ていたことがその要因だった。

 

他のプレイヤーが足を向けにくい場所にまで来たことでモンスターとは遭遇できたが、運悪く、あるいは運良く、青いイノシシ型のモンスターが数体固まっていた。まだ戦闘に慣れていないシリカを援護して教えながらイノシシの群れを(ほふ)ると、次は森の中からオオカミの一団が現れる。モンスターに周囲を取り囲まれないように注意しつつ、各個撃破できるようにアイが采配をとっていた。

 

「アスナちゃん下がって!リズちゃんはアスナちゃんのフォローお願い!」

 

「っ……ごめんなさい」

 

「反省は後でね、アスナ。今は目の前に集中」

 

なぜだかいつもの機敏さが鳴りを潜めているアスナを後退させ、アイはアスナを狙っていたオオカミを群れの中から誘き出す。

 

周りを見ずに単体で突出してきたオオカミの頭部を、横からするりと近づいていたリズベットが戦鎚で(したた)かに打ち据えた。カウンターヒットが適用されたオオカミが仰け反り(ディレイ)状態になったことで、幾許かの時間を得る。リズベットは攻撃を加えたモンスターから距離を取るとアスナの隣に並んだ。他のオオカミに注意を払い、自分の役目を果たしたことをアイに示す。

 

「アイさんっ!」

 

「リズちゃんぐっじょぶ!シリカちゃんは私と同時にいくよ」

 

「わ、わっ……みなさん動きがはやいですっ」

 

「だいじょーぶ!落ち着いて、ね?」

 

「は、はいっ!」

 

シリカが右手に握る短剣と、アイが構える槍が、(まばゆ)い光を放つ。

 

シリカが繰り出した出の早い短剣のソードスキルが、アイより一足先にオオカミに向かった。短剣を前方に突き出し、一息にオオカミまでの距離を潰す。だが、本人が慌てたこともあって照準がずれ、オオカミの首の上を浅く斬るにとどまった。

 

ソードスキルは、ある一定のモーションを取ればシステムが検知し、自動で発動する。ソードスキルが発動さえすれば、あとはシステムからのアシストが働き、勝手に剣を振るい攻撃してくれる。この際、ある程度の照準補正がかかるが、それはあくまで『ある程度』といった範囲なのでソードスキルを使用した本人が手間取っていたり、未熟であればモンスターにうまく当たらないこともある。

 

「あっ……」

 

よって。シリカが使用した基本突進技は最も与ダメージが大きい部分を外し、オオカミの頭上に浮かぶ体力ゲージを最後まで吹き飛ばすには至らなかった。

 

リズベットから受けたディレイも解けたオオカミは、自由を取り戻した身体をぐるりと回頭させ、一番近くにいたシリカへと血走った双眼を向ける。

 

「ひっ……!」

 

口を大きく開き、ぬらぬらとした粘度の高い(よだれ)を牙から垂らすオオカミに()めつけられたシリカは、根源的な恐怖に足を絡め取られて逃げることもできずに立ち竦む。

 

右手を突き出すソードスキルのモーションから動けずにいたシリカの腕に、まさに牙を突き立てようとした瞬間、一条の閃光がオオカミの頭部を貫いた。

 

アイが放った両手槍カテゴリ、基本単発突き、エクステンド・スラストが僅かに残っていたオオカミの体力ゲージを底まで喰らい尽くした。残り数体いるオオカミに視線をめぐらせつつ、立ち(ほう)けているシリカに忠告する。

 

「シリカちゃん、慌てちゃうのはわかるけど、焦れば焦るほど手足は自由に動かなくなっちゃうから、落ち着いて。攻撃に失敗しちゃったら、(いさぎよ)く諦めてすぐに後退する……教えたよね?」

 

「ひゃ、ひゃい……」

 

「シリカちゃんが私たちの役目を手伝ってくれるって言ってくれたのはうれしかったけど、私は今でも反対なんだよ?私たちが精一杯気をつけて安全に進めても、街の外では何があるかわからないもん。やっぱりシリカちゃんは街の中で……」

 

「あたし……あたし、がんばります!やらせてください!」

 

「でも、んんぅ……。……まぁ、最初は私もアスナちゃんもスムーズには戦えなかったし、慣れる前にこんなにたくさんの敵に囲まれちゃったら慌てたりもするよね。……シリカちゃんたちに危ないことはしてほしくないけど、やっぱり戦える子が増えたら私たちも安心できるから……助けてもらっていいかな?」

 

「はいっ!がんばります!」

 

一生懸命みんなの力になろうと頑張るシリカを、アイは優しく微笑んで返す。槍を右手に持ち替え、左手でシリカの頭を撫でる。心地良さそうに目を閉じるシリカを見て、アイの頬も緩んだ。

 

「ちょっとっ!反省とかは後からって話でしょっ!あたしとアスナでオオカミ四体相手にしてるんだから早く戻んなさいよっ!っていうかほんとに手伝ってアイさん!」

 

和やかな弛緩した空気に包まれる二人だったが、ここは街の外で、しかも今はオオカミの群れとの戦闘真っ只中だった。

 

アイとシリカが話している最中、ずっと二人にオオカミが行かないように立ち回っていたリズベットからの必死の要請だった。

 

「街にもどったら、ねらった場所にソードスキルを当てられるように練習します!」

 

「私も手伝うよ!……そろそろ戻ってあげよっか。あとからリズちゃんに怒られちゃう」

 

「あははっ、そうですねっ!右端のオオカミ、いきますね!」

 

「りょーかい。もう一度確認するけど……」

 

「あわてずに冷静に、ですよね?」

 

「うんっ!もう大丈夫そうだね!それじゃ、右端のオオカミに、もう一回さっきと同じ攻め方で行こう!次は失敗しないよね、シリカちゃん?」

 

アイはシリカに確認を取る。さっきの不手際を(なじ)っているわけでは無論なく、発破をかけるニュアンスだ。

 

「うっ……プレッシャーが……。でも、いけます!アイさんがフォローしてくれますから!」

 

先程のワンシーンがフラッシュバックしたのか、シリカの唇が若干引きつったが、明るい笑みを取り戻す。成功させるという自信はともかく、もし失敗してもカバーしてもらえるという安心が、少女の手足から緊張という枷を外していた。

 

『いってきます!』と溌剌(はつらつ)とした声を上げて、シリカが緑色のカーペットを駆ける。頭の両側でちょこんと結われた茶色の髪をなびかせて、四体いるうちの一体、右端からリズベットの隙を窺うオオカミへと手筈通りに急速接近した。シリカは近づいた際の加速そのままにソードスキルを発動させる。リズベットに目を向けていたオオカミはシリカの存在に気づくのが遅れ、回避どころか体勢を整えることもできなかった。

 

「てりゃあぁっー!」

 

可愛らしくも気合の乗った掛け声とともに、短剣が鮮やかな輝線を刻む。閃光(ほとばし)る短剣はぶれることなく一直線に、ともすれば先刻放ったソードスキルよりも速く鋭く、オオカミの首根に突き刺さった。

 

「おまけにもう一回っ!」

 

苦悶に吠えるオオカミから短剣を勢いよく引き抜くと、シリカは横一文字に斬り払う。ソードスキルに頼らない、プレイヤーであるシリカ自身が繰り出した攻撃だった。

 

オオカミが連続ダメージから微かに怯んだのを見計らい、シリカは大きく一歩飛び退く。苦し紛れに振るわれたオオカミの鋭利な爪は、むなしく空気を裂くのみだった。

 

「アイさんっ!」

 

「おっけーっ!」

 

アイはシリカからバトンを受け取り、槍の穂先を頭上に掲げる。

 

「これでっ、おしまい!」

 

長い槍の先端、二十センチ弱という、槍の全長からすれば範囲の狭い刃の部分を的確にオオカミの首元に振り下ろす。深々と喰い込んだ槍の刃は、見た目と同等のダメージを負わせた。

 

オオカミは被撃した姿勢で一瞬硬直すると、硝子を砕いたような小気味よい音を奏でて電子の海に還った。

 

「シリカちゃんっ!すごく綺麗な流れだったよっ、さっきの……」

 

「やりましたよアイさぁんっ!」

 

「わきゃふっ!」

 

つい数分前まで可哀想なくらい手足を震わせていたとは思えない見事な一幕を褒めようとアイがシリカのほうを向くと、テンションの針が振り切れているシリカに飛びつかれた。倒れ込みこそしなかったが、たいへん驚いたあまりに変な声が出た。

 

「アイさんが言ったとおりに落ち着いてやったら、うまくできました!ありがとうございますっ!」

 

「ううん、私はアドバイスしただけ。シリカちゃんが勇気をもって飛び込んだから、あれだけ綺麗に技が出たの!シリカちゃんがすごいんだよ!」

 

「えへへっ、あたしすごかったですか!」

 

「すごかったよ!天使かと思ったもん!シリカちゃん天才っ!かわいいっ!シリカちゃんまじ天使!」

 

「わーっ!きゃーっ!」

 

シリカのテンションにつられたアイは、シリカを抱き上げ、めいっぱい褒めながらぐるぐると回る。

 

抱き上げられたシリカもシリカで、きゃーきゃー言いながらされるがままになっていた。

 

「そこほんといちゃいちゃすんのもいい加減にしろっ!まだモンスターが残ってるっつってんでしょ!」

 

リズベットがアイとシリカに叫びながら、左側から迫る爪を(かわ)しつつ、正面から飛び込んできたオオカミを蹴り飛ばし、右側からの噛み付きをハンマーで防ぐという匠の技を披露した。

 

その凄まじい働きぶりに、アイの口から勝手に言葉がこぼれた。

 

「おぉ、すごい……リズちゃんまじ戦士……」

 

「誰が戦士だぁっ!あたしも天使でいいでしょうが!いいからはやく手伝え!」

 

リズベットからついに怒号が飛んだ。

 

二人揃って大きな声で笑いながら謝り、ふたたび戦線に戻った。

 

 

 

 

 

 

「もうほんっと疲れた!モンスターの数は多いし、アイさんは働いてくれないし!」

 

「ごめんね。でもシリカちゃんに教えたりもしてたからまったく働いてないってわけでも……」

 

「そうですよ、リズさん。アイさんはあたしに立ち回りの仕方とか、弱点とか丁寧に教えてくれましたし、危ないときには助けてくれてたんですから」

 

「教えたり?へー。助けたり?へー。シリカが何かできるようになるたびに抱っこしてぐるぐる回ることが?イノシシ一体倒すたびに抱きつくことが、オオカミ一体倒すたびにべた褒めすることが、教えるってことなんだ?へー、アタシシラナカッタナー」

 

「甘やかしちゃったっ!」

 

「甘やかされちゃいましたっ!」

 

「このっ!二人揃って悪びれもせずにいい笑顔!」

 

思いの外長くなった戦闘を終わらせたアイ、アスナ、リズベット、シリカの四人は近くにまで寄っていた森から離れ、森と街の中間あたりの、一度訪れたこともある小高い丘のようになっているところで一休みしていた。

 

ピクニックシートなんてものは当然持っていないので草の絨毯に腰を下ろし、教会の敷地の端にあった井戸から汲んだ水を口に含む。保冷剤もなく、水筒のように保温機能があるものでもなく、ただ瓶に詰めただけだったが、井戸から汲んだばかりのように冷えていた。

 

ぷはぁっ、とお風呂上がりのコーヒー牛乳ばりに水を喉へと流し込み、仮想の爽快感にひと心地ついたアイは、空気を若干重いものにして隣で静かに座り込んでいるアスナに向く。

 

「それにしても……アスナちゃん、今日はどうしたの?いつもの技のキレがなかったし、動きが悪かったよ?あれじゃあパーティ全体のリズムが悪くなるし、なによりアスナちゃんが危なくなる」

 

「っ……ごめんなさい」

 

「ま、まあ、たまには調子の悪い日だってあるわよね!だからさ、アイさん。そんなに厳しく責めなくてもいいんじゃない?」

 

「そ、そうですよ!調子が悪くてもあたしより活躍してたんですから!」

 

「私はそういうことを言いたいんじゃないの」

 

「そっ……かー。うん、ごめんなさい……」

 

「は、い……すいません」

 

アスナの不調を言及するアイにリズベットとシリカはカバーに回るが、アイに一蹴されてすごすごと引き下がった。二人は井戸水入りの瓶に口をつけ、うつむく。

 

身体ごとアスナに向き直り、アイはアスナの手を握る。視線を下にさげているアスナの顔を、じっと見つめた。

 

「どうしたの?調子悪い?体調悪いの?おなか痛いの?」

 

「……小学生か」

 

「なにかな、リズちゃん」

 

「……なんでもないです」

 

「…………」

 

じっとまっすぐに言葉と瞳をぶつけてくるアイに、アスナは答えなかった。ふいと顔を背けてただ押し黙る。

 

アスナからはなにも聞き出せなかったが、朝目覚めてからこれまでの振る舞いでアイは理由にあらかたの見当がついていた。

 

「寝不足なんだね」

 

「はあ、寝不足ですか」

 

「へえ、寝不足……って寝不足かいっ!昨日の夜言った通りになったの!?ほんとに?!」

 

「っ…………」

 

相変わらずアスナは口を(つぐ)んだまま顔を背けていたが、栗色の髪からのぞく形のいい耳は赤く染まっていた。

 

「寝不足になると思考力や集中力が低下しちゃうからね。激しい運動とか細かい動作とかができなくなったり、会話の内容が頭に入ってこなくてお喋りもめんどうになったり、あとはとにかくミスが多くなるの。今日のアスナちゃんの状態がまさしくそうでしょ?」

 

「……たしかに。いつもなら距離を取る場面なのに攻撃しようとしてたり、っていうのもあったし、ソードスキルはなんとか発動してたけど狙ったところに入らなかったりしてたわね」

 

「でも、なんでですか?教会のベッドは安宿と違ってしっかりしたもので、寝心地は段違いでしたけど……」

 

「寝不足とか不眠症になる原因は……まぁ、たくさんあるけどアスナちゃんはたぶん『不安だから』じゃないかな」

 

アイが核心に踏み込んだ。

 

以前、宿屋でアスナと一緒のベッドで寝た時に、アイはアスナの寝言を聞いてしまっていたのだ。現実世界でやらなければいけないことがある。やらなければいけないことを残してきてしまっている。そういったふしを匂わせる寝言を、半ば以上(うな)されている口ぶりでアイは聞いていた。譫言(うわごと)のように誰かに謝る姿を、アイは見ていた。

 

早くゲームをクリアしてこの世界から解放され、現実に戻らなければならない。しかし解放されるためのクリア条件は苛烈なまでに険しく、道のりは遠すぎる。その上一度でも体力がゼロになればゲームオーバー。現実世界(あちら)においても仮想世界(こちら)においても死が待っている。しかも、無事クリアして解放されても、周りからの見る目は変わる。好奇か、興味か、あるいは失望か、もしくは軽蔑か。少なくとも、一万人規模でゲームの虜囚となった世界初の事件の被害者という時点で、人から何かしらの意図を含んだ視線をぶつけられることになる。

 

自分の将来を(かんが)みた時、不安に感じないわけがなかったのだ。

 

「『これからどうしよう、どうなるんだろう』って夜に一人で考えてたら、そりゃあ不安になって眠れなくなっちゃうよね。悩み事を一人で抱えてたら、目なんて冴えちゃうよ」

 

「たしかに不安になるのはわかります。あたしもサーシャ先生やアイさんたちに出会わず一人でいたら、たぶんさみしくて怖くてどうかしちゃってたと思うから……。でも、これまでは休めていた、んですよね?なのに、なんで今日は……」

 

「その答えはもうほとんどシリカが喋っちゃってるわよ。シリカにとってのサーシャ先生は、あたしたちにとってのアイさんだったってこと。今日、シリカが起きた時誰と一緒にいた?」

 

「え?えっと、昨日サーシャ先生のベッドに移って眠っちゃったので、サーシャ先生がいました」

 

「つまりそういうことよ。まさか初日から続いていたアイさんの変態的欲求……もとい個人的要求がアスナの快適な睡眠に一役買っていたとは思わなかったなー」

 

「それはつまり……」

 

明確な原因に近づくたびにアスナの耳は真っ赤になり、身体は縮こまっていく。

 

さながら小動物のようになってしまっているアスナに、さすがのアイにも困った笑みが浮かんでいた。

 

さもありなんというような苦笑いを(たた)えるリズベットが、核心を突く。

 

「そう。これまではアイさんと一緒に寝てたけど、昨日は違ったのよ。強がっていたのか恥ずかしかったのかはわからないけど、一人で寝てたわけ。アイさんの近くって妙な安心感があって、これまでは不安なんかも忘れてぐっすり眠れてたから、その反動もあいまって昨日は眠れなかったんじゃない?」

 

「ほぁぁ……」

 

「だ、だって……しかたないじゃない……」

 

事の真相をくまなく暴露されたアスナがぷるぷる震えながら、長らく閉じられていた口を開いた。

 

「あ……アイさんの隣で寝てたら、なんだか気持ちよくて……硬いベッドでも、薄い掛け布団でも、枕がなくても熟睡できてたのに……なのに……っ」

 

「そう言えばよかったのに」

 

と端的なリズベットの合いの手。

 

「言えないわよ!そんなの小さい子みたいじゃない!自分より年下がたくさんいるのに、その中にまじって、あ、甘えるなんて……」

 

「なに、アスナ。甘えたかったの?」

 

「言葉の綾!」

 

大声で叫んで、三人の視線を浴びてとても恥ずかしいことを言ってしまったと気付いたアスナはまた深く俯く。涙目になって下唇を噛み締めた。

 

「ちゃんと教えてくれてありがと、アスナちゃん。やっぱり昨日は無理にでもベッドに引っ張り込むべきだったね、私」

 

アイがアスナの頭を両手で抱き寄せる。

 

「アスナちゃんはとっても繊細で、一人で悩んじゃうタイプだってわかってたのに。ごめんね」

 

耳元で囁くアイの声に、アスナはかすかに首を振って返す。抵抗するようにアイの腕にかけられていた手は、するりと垂れてアイの腰に回した。

 

「これからもうちょっとがんばらなくちゃいけないから、ちょっとお昼寝しておこっか?」

 

アイはゆっくりとアスナの頭を自分の膝に乗せる。『ん……やめてよ……』とむずかるような声を漏らしていたが、アイが艶のある栗色の髪を数回撫でたころには、規則正しい呼吸が聞こえていた。

 

「うわ、はっや、アスナもう寝ちゃったの?んー……相当眠気がきてたのか、それともアイさんが寝かしつけるの上手いのか、どっちだろ?」

 

「どっちも、じゃないですか?ただ、さっきのアイさんとってもきれいでしたっ。優しい表情で……まるで教会のステンドグラスにあった女神さまみたいでした!」

 

「そ、そうかなぁ?えへへ、シリカちゃん褒めるのお上手だね」

 

シリカからの褒め言葉ににこにこと頬を緩めるアイのお膝元を、リズベットが身を乗り出して覗き込む。アスナの寝顔を拝見しようとしていた。

 

「ちょっとリズさん、人の寝顔を盗み見るのはデリカシーに欠けますよ」

 

「まあまあ、いいじゃない。こんな(おおやけ)の場所で膝枕してもらってるアスナが悪いの。……まるで母親の膝で寝る子どもみたいね。安心しきった顔してる」

 

「『母親』……せめて『お姉ちゃん』くらいにしといてほしいなぁ……。私とアスナちゃん、きっとそんなに大きく歳離れてないよ」

 

「わぁ……ほんとですね。アスナさん、とってもかわいいですっ」

 

「デリカシー云々言いながら結局シリカも見てるし」

 

時折揺れる長いまつげ。つんと上を向いた鼻。シャープな輪郭(りんかく)に、小さく開閉する柔らかそうな桃色の唇。キメ細かく、白磁のように白い肌。女子が欲しがるすべてをまとめてぶちこんで神様が手ずから成型しました、みたいな少女をじっと見つめて、シリカが独り言のようにつぶやく。

 

「アスナさんずるいなぁ……」

 

「なに、シリカも膝枕してほしいの?そんなのアイさんに頼めば……いや、アイさんなら頼まなくてもやってくれるわよ?」

 

「そうだよっ!いつでもうぇるかむだよっ!」

 

「いえ、そうじゃなくて」

 

「そうじゃないんだ…………」

 

すげなく断られて落ち込んだアイを慰めるという一幕を挟んで、シリカが続ける。

 

「これだけ顔立ちが整っててすっごくきれいで、スタイルもモデルさんみたいによくって、喋り方とか振る舞いは大人っぽくて、なのにこういう子どもみたいなかわいさもあるってずるくないですか?ぜったいずるいですよっ!」

 

「ううん……そう、かもね」

 

アスナが眠っているので大声は出さずに、しかしこの世の不平等に激しく抗議する器用なシリカ。

 

アイの膝枕で寝息を立てる今のアスナを見ればシリカの意見はもっともだが、リズベットは複雑そうな顔で曖昧に濁した。

 

「リズさんはそう思わないんですか?それに、アスナさんはお勉強もできる感じなんですよ?完璧じゃないですかっ」

 

「うーん、私はシリカちゃんの言うことに全面的に賛成なんだけど、リズちゃんが言い淀むのも理解できちゃうなぁ……」

 

「えっ!なんでですか?!」

 

「アスナちゃんほど可愛くて美人さんで、しかも喋ったり接してみたところ育ちも良さそうだし、その上スタイルも良くて性格まで優しくて良い子な、パーフェクト系女子だけど……」

 

「パーフェクト系女子なんていう系統はあたしが断固として認めないわ」

 

「……私と同じパーフェクト系女子だけど」

 

「なにしれっと自分も含めてんの。アイさんは自称でしょ」

 

リズベットの額に槍の(石突き)が吸い込まれた。

 

「アスナちゃんほど欠点なしに全方位に良いと、同性からの嫉妬があるんじゃないかなぁ……」

 

槍の石突きにも攻撃判定があったが、アイたち四人は前もってパーティーの設定をしていたのでリズベットにダメージはなかった。しかし衝撃はあったようで、額を手で押さえながらリズベットも同調する。

 

「あたしもそれが言いたかったわけよ。男からモテるイコール大多数の女から敵視されるってことだしね。それどころか逆恨みすらされかねないわ。裏であることないこと陰口叩かれるのよ、きっと。女子で徒党組んだら大抵そんなもん。あー、あたしは美人じゃなくてよかったー……よかったーっ!」

 

「リズさん、裏の感情がだだ漏れですよ?」

 

「カワイイ系に突き進めるあんたにはわかんないわよっ!」

 

「きゃーっ!あはははっ、やめてっ、やめてくださいっ、あははっ、死んじゃいますっ死んじゃうっ……にゃぁーっ!」

 

つぶらな瞳でリズベットの心に切り込んだシリカは、情状(じょうじょう)酌量(しゃくりょう)の余地なしで(くすぐ)りの刑が処された。

 

 

「でも……よかったよね」

 

「よかったって、なにが?」

 

既に虫の息になりつつあるシリカの脇腹をわしゃわしゃする手は止めずに、リズベットがアイに尋ねる。

 

ここ(・・)には、(ねた)んだり羨んだり、陰口言ったり嫌がらせする人がいなくて。それだけでもずいぶん違うと思うの、私は」

 

慈愛に満ちた微笑みでアスナの寝顔を見つめ、顔にかかる栗色の髪を小指で払い、また頭を撫でる。悪い夢でも見ているのか、アスナが苦しそうな吐息を漏らせば、合唱部で鍛えた自慢の歌声で子守唄を口遊(くちずさ)み、深い眠りに(いざな)う。

 

アスナが起きる気配はまるでなかった。

 

「そういうことに神経を使うのは……ばかばかしいからね」

 

「……そんなもんなのかな。そういった経験がないあたしにはわかんないわね」

 

アイの表情に苦いものが含まれたのをリズベットは見て取ったが、慰めの言葉も同意の文句も軽々しく口にできず、当たり(さわ)りのない返答を選んだ。

 

「とりあえず、今のアイさんはまるでアスナのお母さんみたい、ってことだけは先に伝えとくわね」

 

リズベットの額に、今度は槍の天辺(穂先)が飛んでいった。

 

 





入浴シーンはカットされました。
あとちなみに、一時期は厩戸皇子と教科書にも記載されていたようですが、ややこしいしわかりにくい、との理由で聖徳太子に戻っている、らしいです。
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