優しい世界のつくりかた   作:にいるあらと

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女神の声(後編)

 

 

「アスナちゃんもリズちゃんもありがとっ。……まずは今の状況をまとめよっか。このままじゃ解決のとっかかりもつかめないし」

 

「そうね。最初から内容を纏めてみましょう。リタさんが依頼されたものは家畜を放牧する時に使う角笛。その角笛を作るための材料が届かなかったことで困っている、と。大きな問題は二つあるわ」

 

「一つめは明日の夕方までに作って依頼主さんに届けないといけないっていう期限、だよね、アスナちゃん。そして期限に間にあわせるためには、今からつくり始めないといけない」

 

「二つ目はその材料の調達か。必要なアイテムが『角』ってところが問題だわ。これまで角とつくアイテムは見たことがないし」

 

うーん、と三人は眉間にしわを寄せながら呻く。

 

ここでふと、アイが顔を上げて呟いた。

 

「これって、かならず角笛じゃないとだめなのかな?ほかに音が鳴るものっていっぱいあるでしょ?」

 

「いや、アイさん。そんな、クエストを根っこからひっくり返すようなこと言っちゃだめでしょ」

 

「……でも、確かにアイさんの言う通り、ちょっと違和感があるわね。たしかに角笛は家畜を追い立てる時や、あとは儀式や祭りなんかでも使っていたらしいけど、絵画では縦笛などで描かれているものもあったわ」

 

もしかしたら代用できるのでは、という雰囲気が流れたが、その流れは断ち切られる。リタが申し訳なさそうに注釈を加える。

 

「ごめんなさい。縦笛とかではだめらしいのよ。角笛みたいな、お腹に響くような低い音で飼い慣らしているらしくて……」

 

「そうですか……」

 

「やっぱり他の物渡してクリアとはいかないか……」

 

落胆のため息をつくアスナとリズベットだが、アイだけは肩を落としていなかった。逆に表情を明るくさせているくらいだった。

 

「アスナちゃんっ!ファインプレーだよ!」

 

「えっ、な、なにが?縦笛じゃ代わりにならないってわかっただけなのよ?」

 

「それだけじゃないよっ!新しい情報が手に入ったもん!ね、リタさん!低い音が出るものならいいんだよね?!」

 

テンションの上がったアイはアスナへの説明もそこそこに、リタへと確認を取る。

 

「そうね……低音が遠くまで届くのならクライアントも文句は言わないと思うわ」

 

アイの勢いに若干引きながらもリタが答える。

 

リタのその返答を聞いて、アスナとリズベットも差し込み始めた光明に気づいた。

 

「縦笛では代替品にはならないけど……」

 

「角笛と同じような音色なら代わりができる!そういうことだったかー!」

 

「それなら金管楽器ならどうかしら。チューバとかって低音の代表格みたいなイメージがあるわよね」

 

「いや、アスナちゃん……それは厳しいかも……」

 

アイがアスナに説明する前に、リタが再びクライアントからの依頼内容を話す。

 

「アスナちゃん、だったかしら?アスナちゃんが言うキンカンガッキやちゆばというのはよくわからないのだけど、クライアントからは長時間持ち歩くのでできるだけ軽くして欲しいと言われているの。それに可能な限り単純な構造にして欲しい、とも。きっと高い技術を必要とする楽器は吹けないのでしょうね」

 

「そう、ですか……」

 

「まぁ……そうだよねぇ……。低音の金管楽器となるとサイズの大きいものが多くて持ち歩くのは大変だし、音を出すのは難しいし重たい。基本的に室内で使うものだから屋外だと傷みやすいし、手入れも大変。なによりすぐには作れない……」

 

「そう簡単にはいかないわよね……」

 

「でもアスナの切り口は良かったと思うわ。なにかで代用できることがわかっただけでも充分な戦果よ」

 

「うん……リズ、ありがとう」

 

そこから三人とも代用品となりそうな物を考えるが、すぐに妙案は閃かなかった。それぞれの得意とする分野と異なっていたことが障害となっていた。

 

リズベットは楽器の種類に(うと)く、使えそうなものが浮かんでこない。アスナはゲームに暗く、クエストのセオリーを知らなかった。アイは楽器全般から条件に該当しそうな楽器で考えを深めていくが、知識が豊富でかえって絞り込めなかった。

 

「はぁぁぁあああ……だめだ。なんも出てこない」

 

長い時間考えていたが、ここでリズベットの集中力が切れた。息を吐いて、誰ともなしにぼやく。

 

「こういうクエストって、大概は近くで入手できるアイテムのはずなのになー……」

 

この小さな独り言に、アイが食いついた。

 

「…………ん?えっ?!り、リズちゃんっ、その話もうちょっと詳しく!」

 

「う、うん。違うゲームでも、こういう調達系のクエストはあるのよ。RPGのクエストなら絶対にあるお決まりの種類ね。そういう時って大抵は必要なアイテムの名前が書かれてたり、書かれてなくてもクエストを受けた場所の近所の、どこそこのエリアで手に入れられるとかってヒントがあったり言われたりするわけ。今回の依頼はそれよりもっと難易度高くてヒントもなしだけど」

 

「そうなんだ……ありがと、リズちゃん。ちょっと考え方を変えてみるよ」

 

「役に立てたんならよかったわ」

 

「…………」

 

自分が持つ情報の中で懸命に解答を探しながら、アスナはリズベットとアイの会話にも耳を傾けていたようだ。ぽそぽそと小声で口に出して考えをまとめる。知識を照合し、要点を抜粋し、情報を結合させる。

 

「クエスト……材料……はじまりの街付近……低音……楽器……角笛、角笛、材質……骨?」

 

呟いて情報を纏め、アスナがなにかに行き着いた。はしばみ色の瞳が大きく見開かれる。

 

「ん?どしたの、アスナ。ぶつぶつと……」

 

「ねえ、アイさん。骨を材料にした楽器って昔にはあったわよね?」

 

「うん、わりといっぱいあるよ?骨から進化した甲羅を使った弦楽器もあったはずだし、人間のふとももの骨を使った笛なんてものまであるんだから。今回の角笛だって、もともと骨だしね」

 

「あれ?角って皮が固まったものじゃなかったの?」

 

「リズちゃんが言ってるのはきっとサイの角だね。牛や羊、あと鹿とかの角は骨でできてるよ。厳密にはもうちょっと細かくわかれるけど、だいたいそんな感じ。アスナちゃん、それがどうかした?」

 

「もう一つ聞きたいんだけど、牙って骨なのかな?」

 

「んー……微妙なところだけど骨じゃないよ。牙ってどれだけ大きく進化していても、一番最初は歯だよね?歯も骨も主成分はカルシウムだけど、一応種別としては違うんだよ。違うところでいうと……骨は折れても時間が経てばくっつくけど、歯は欠けたり割れたりしても治らないでしょ?」

 

「でも今日お守りを渡した時、ティアちゃんの骨細工(ボーンクラフト)のスキルで牙も爪もアクセサリーに加工したって言ってたわよね?」

 

「あ、それもそうだね。牙も爪も厳密には骨じゃないのにね。まぁ、細かい話だからゲームの中では骨ってことにしてるんじゃないかな。そうしないとスキルの分類が大変なことになりそうだもん」

 

「そういうことなら……大きさ的にも、使えるんじゃない?」

 

アスナが瞳を輝かせながら、アイに問いかける。

 

要領を得ないアスナの質問に、アイは『なにを?』と聞き返した。

 

「イノシシの牙……使えるんじゃないかしら?」

 

澄み渡るようなアスナの声に、アイとリズベットの時間が停止した。再び動けるようになるまで数秒を要した。

 

再起動した二人は大声で叫ぶ。静まり返っていた路地に二人の絶叫がこだました。

 

「それだよアスナちゃん!それだよ!大きくて硬くて反り返った立派なのが生えてた!実際に牙笛っていう楽器もある!お手柄だよっ、アスナちゃん!」

 

「きゃあっ!あ、アイさんっ!?い、いきなり抱きつかないで……」

 

「アイさんの言い方だとだいぶいかがわしいけど……たぶん正解ね。はじまりの街付近でポップして、この街にいるようなレベル帯のプレイヤーでも倒すことができる。いやあ、よく思いついたもんね、アスナ」

 

「着想を得たのは二人の会話だったのよ。だからみんなの力を合わせた結果よ」

 

アイがアスナに抱きつき、跳ね回って喜びを表現したのも束の間、今度はリズベットが問題を提起する。

 

「でも、これからイノシシの牙を取りに街の外に行くんでしょ?早く行かなきゃまずいんじゃない?角よりかは全然マシだけど、イノシシの牙も結構珍しいアイテムだと思うわよ?ドロップするのにかなり時間がかかるかも」

 

メニュー画面を開いて時間を確認したリズが焦りながら伝える。

 

しかしアイは不安そうにするそぶりもなく、どころかアスナに抱きついたままリズベットにVサインを送った。

 

「それならだいじょうぶ!もう持ってるもん!」

 

「えっ!?い、いつのまに……」

 

「二週間くらい前、三人で街の外に出てモンスターたくさん倒したでしょ?その時にひろったんだよ!」

 

「なっ、なにその幸運スキル……どうすれば習得できるのよ。あたしなんて一度もドロップしたことなかったのに……。隠しパラメータでもあるっていうの……」

 

「わたしも手に入れたことないわ。アイさんと同じくらい数は倒してるはずなのに……」

 

「んー、もしかしたらイノシシの牙を折っちゃったから、拾えたのかも?」

 

「部位破壊ボーナス?なんにしたってアイさんがついてることに変わりないじゃない!」

 

「本当に幸運値なんてものがあるかもしれないわね。アイさんなら凄く高そうだわ」

 

「……たしかに。それに、このソードアートオンラインなら物欲センサーが実装されててもおかしくない」

 

ゲームに絡む話になると途端についていけなくなるアイは小首をかしげた。

 

「よくわかんないけど、とりあえず牙持ってくるね!案外重量があって邪魔になったから、教会地下の倉庫に保管したの!すぐ取ってくるからちょっと待ってて!」

 

以前より格段にレベルアップした敏捷ステータスから、さらにハイテンションでブーストして駆け出したアイは一瞬にして姿を消した。教会からリタの工房兼店兼住宅が比較的近かったこともあり、全力疾走で教会に入り、地下で目当てのアイテムを引っ張り出し、アスナたちのもとまで戻るのに五分とかからなかった。

 

「ふぅっ、ただいま!角じゃなくなっちゃったけど……これで笛作れるかな?リタさん」

 

倉庫から自分のアイテムストレージに移動させ、取り出したイノシシの牙をリタに手渡す。これでもだめならもう本当に見当がつかないので、イノシシの牙で正解という自信はあってもアイは顔に不安の色をにじませた。

 

アイが差し出したイノシシの牙を、リタは両手で恭しく受け取る。

 

「立派なものだわ。状態もいい。これなら発注していた角の代わりになりそうよ」

 

とうとう、リタの口からオーケーを引き出した。アイはへにゃっと気が抜けたように笑み、アスナは安心したように吐息をもらし、リズベットは腰の高さでぐっと小さくガッツポーズをとった。

 

「アイちゃん、アスナちゃん、リズちゃん、本当にありがとう。あなたたちのおかけで助かったわ。でも、ごめんなさいね……薄々分かっていたとは思うけど、お礼はできそうになくて……。この牙のぶんの代金だけでも払いたいけど、角の発注でお金を先払いしてて手持ちが、ちょっと……」

 

「いいんだよ、リタさん。その牙は拾ってから使い道が見つからなくて倉庫で眠ってたものだし、それに今回手伝ったのは神父のおじいさんからのお願いもあるけど、私の個人的な気持ちが大きかったから」

 

アイの底抜けに甘い発言を後ろで聞いていたアスナとリズベットは、顔を合わせてそろって肩をすくめた。『タダ働きかー』『ただ働きね』とぼやくが、どこか誇らしげだった。

 

目先の利益に振り回されないところ。行動原理に善意が根ざしているところ。損得を天秤にかけないところ。困っている人がいたら迷わず手を差し伸べるところ。

 

アイは死が身近なものになってしまったこの世界でも、かくあるべき理想を実践し貫き通す。そういう姿にアスナは惹かれ、リズベットは慕っていた。

 

今日も今日とていつも通りなアイの後ろ姿をみて、二人は『この人らしい』と笑うのだった。

 

「でも、何もなしというのは気が引けるわ。あなたたちのおかげでこの仕事も続けられるんだもの。なにかお礼をさせて?」

 

「うーん、そう言われてもなぁ……あっ!いいこと考えた!いつか、いつか絶対私、歌を歌える場を作るから、その時はリタさんに楽器をオーダーメイドでつくってほしい!どう?いいアイデアでしょ?だからそれまでお店閉めちゃダメだからね!」

 

「それではいつになるかわからないし……お礼にはならないんじゃないかしら?」

 

「えー、だめかな?いいアイデアだと思ったのにぃー。でもお願いを聞いたお礼でお金をもらうのは、なんかちがうしなぁ……」

 

「……そうだわ。あなたになら役立つかもしれないものがあるのよ。まだあったはずだわ、ちょっと待ってて」

 

あくまでお礼を固辞するアイと、何か恩を返したいとするリタのの問答はしばらくの間平行線を辿ったが、リタが思い出したようにぱんと手を叩いて家に入る。がたがたばたばたと家の中の物という物すべてひっくり返すような騒音を立てた後、手に何か円柱状のものを持ってリタが戻ってきた。

 

「これなんだけど」

 

「なんだろ、これ?巻物?忍びの技とか書いてるのかな?」

 

「もしかしたら掛け軸かもしれないわよ」

 

「掛け軸ならティアちゃんがよろこぶかも!」

 

「すっ、巻物(スクロール)じゃない!リタさん、これどこで?!」

 

「吟遊詩人の方が以前訪ねてきたのよ。それまで旅で使っていた弦楽器が壊れてしまったからいいのを見繕ってほしいって。それで、ちょうど似た感じのがあったからそれをお渡ししたんだけど、お金が足りなくてね。代金の不足分に、とこれを頂いたのよ」

 

「うっわぁ……とんだ掘り出し物じゃない……」

 

「リズちゃん、なんなのこれ?本当に忍術とか秘伝の奥義とか書いてあるの?」

 

「忍術とか奥義って……。男子中学生じゃないんだから」

 

「いや、アスナ、ある意味アイさんの勘はあたってるわよ」

 

「えっ?!」

 

「ほ、ほら、やっぱり!こういう感じの巻物、アニメで見たよ!」

 

「アイさんの冗談なのか本気なのかわからない戯言(ざれごと)のほうが正しかったなんて……」

 

「言いすぎだよ!ていうか私だって冗談で言ったのがあたっちゃっててリアクションに困ってるよ!」

 

「冗談だったのね。ちょっと安心したわ。それでリズ、それってなんなの?ある意味あたってるって?」

 

ソードアートオンラインじゃないゲームの話なんだけど、と前置きをしてからリズベットが喋る。

 

「重要なクエストとかだと、報酬も普通とはちがうものをもらえることがあるのよ。レアなアイテムとか、強い武器とか」

 

「……これは武器には見えないわね」

 

「じゃあレアなアイテムなのかな?でもなにに使ったらいいんだろう?」

 

「……たぶんこれは、そういったクエストの報酬の中でも相当に珍しいと思うわ……。巻物ってことは、きっとスキルよ」

 

「スキル?」

 

「スキル……なるほどね、だからアイさんが言った忍術や奥義が近かったのね」

 

「スキルってソードスキル?でもたしかソードスキルってたくさん技を使ってないと新しいのは出てこなかったはずだよね?」

 

「こういう特殊な条件をクリアして入手するスキルもあるのよ。エクストラスキルとかって呼ばれたりするわ。この巻物のスキルが戦闘向きなのか生産向きなのかまではわからないけど、どっちにしたってレアなことには変わらないわね」

 

へぇー、と感心するように呟いて、もう一度リタの手元に視線を戻す。リズベット曰くスキルを獲得できるという巻物(スクロール)。リタがお礼として促してくるのでアイが受け取りそうになったが、ぴたりと手が止まる。

 

「そんなに貴重なもの、私がもらっていいの?アスナちゃんとリズちゃんが協力してくれたからこそ達成できたのに……きゃふっ」

 

遠慮がちに目を伏せたアイの背中を、リズベットがわりかし強めにぱしんと叩いた。

 

悲鳴をあげてアイが仰ぎ見ると、リズベットは仁王立ちで踏ん反り返っていた。

 

「アイさんがリタさんを助けてあげたいってしつこいくらいに強く望んだから、あたしたちは協力したし、このお願い事をクリアできたの!それならアイさんが受け取るべきでしょ!」

 

ぽかんと口を開けるアイに断言したリズベット。

 

それを見て、アスナも口元を緩めながら続く。

 

「わたしも異論はないわ。アイさんが受け取るべきだと思う。今回はアイさんの執拗なまでの執念が実を結んだんだもの」

 

アスナの、鋭い棘つきの柔らかい微笑みを受けて、アイは苦笑いする。

 

「なんだかそれだとまるで蛇みたいだよ……。でも、ありがとう。……リタさん、お礼はありがたくいただきます」

 

「よかったわ。これ以外に渡せそうなものはなかったから。今日は本当にありがとうね。助かったわ。またいつでも来てちょうだい。今度はゆっくりお茶でも飲みながらあなたたちのお話を聞きたいわ」

 

最後にもう一度、ありがとう、と感謝の意を示して深々と頭を下げ、リタは工房兼住居に戻った。

 

残された三人は路地の端に寄り、薄ぼんやりとした心許ない光であたりを照らす街路灯の下に移動する。アイを中心にして、両隣にアスナとリズベットが並んだ。

 

「それじゃあ、開いてみるね」

 

「ええ、中に何があるのかとても興味があるわ」

 

「教会まで待ってらんないしね」

 

こくり、とひとつ頷いてアイが手にする巻物を(ひら)、こうとした。両手には力が入っているようでぷるぷると震えるが、開かれる様子はない。うんともすんともびくともしない。

 

「……っ!……んっ!…………へむ?」

 

「『へむ?』じゃないわよ。早く開いて、アイさん」

 

「いやいや!私だって開こうとしてるんだよ?!でもねでもねっ、ぜんっぜんだめなの!なんで?!私には忍びの秘術を知る資格がないとでもいうのかぁっ!」

 

「いや、だから忍術は入ってないってば。それと、前にも教えたと思うんだけどさ、アイテムを使う時はどうするんだったっけ?」

 

「あっ!そうだった!アイテムを指先でつんってして浮かんできた画面から選ぶんだった!」

 

「アイさんって賢いのになんであほなんだろ?」

 

「記憶力もいいはずなのに、とても不思議ね」

 

「そういうことは本人のいないところで話してよ!」

 

リズベットに以前された忠告通り、巻物(アイテム)つんって(タップ)して、浮かんだ(ポップした)画面(メニュー)から使用のボタンを押す。アイの手の中にあった巻物がふわりと浮かび上がり、封をするように固く綴じられていた紐がしゅるしゅると小気味よい音を立てて緩まっていく。アイがあれだけ苦戦した巻物が、嘘のように簡単に開かれた。

 

「ふぅっ……私の手にかかればこんなもんだよ!」

 

「普通のプレイヤーなら三秒もいらないんだからね」

 

「結果的にちゃんとできたんだからいいじゃない!いくら私だって反省はしてるんだよ!」

 

開かれた巻物の中には日本語ではないどころか、まるで見覚えのない文体が羅列されており、後半には円形を基本とした幾何学模様が記されてあった。

 

巻物がすべて開かれ、アイが理解はできないながらも一応書き連ねられている文字を流し見ると、一瞬の間を置いて新しいメニュー画面がポップした。

 

「ねえ、アイさん、なにが出てきたの?わたしたちには見えないのよ。早く教えて?」

 

「そんなに急かさなくたってちゃんと教えるよぅ。えっと、歌唱(シンギング)?歌のスキル?」

 

「歌のスキル……戦闘に使えるとは思えないし、生産に関わるとも考えられないわね。どちらかというと……趣味や娯楽、かしら?」

 

「しっかし、(あつら)えたようにアイさんにぴったりなスキルが出てきたもんね」

 

「吟遊詩人の方から譲り受けたって言ってたわね。だからじゃないかしら?」

 

「なるほどねー」

 

「でもスキルがなくても、歌うことはできるよね?なんでスキルなんだろ?……まっ、いっか!ちょうど空いてるスキルスロットになにをいれよっかなって考えてたんだぁ。《YES(いえす)》っと」

 

脳天気な笑顔でポップアップしてきたメニューの選択肢を迷いなくタップする。

 

アスナは純粋に、物珍しいスキルの効果がどんなものか気になっている様子だが、リズベットは対照的に複雑そうな顔をしていた。

 

「いや、さあ……最終的には本人の好きにするのが正解でね、アイさんのやってることも間違ってないんだけどね。でもね、スキルスロットの数は決まってるから、本来は自分の戦闘スタイルにあったスキルをよく考えて入れるもんなわけで……」

 

「リズ、諦めなさい。こういう人だってことは前から知っていたでしょ?」

 

「そうだったわ……。まあ、アイさんが一人だけで街の外に出たりすることはないんだからいいか」

 

「そうよ。そもそも、アイさんってあまりスキルに頼る戦い方はしてないし、何を取ってもあまり変わらないんじゃないかしら」

 

アスナとリズベットが真面目な話をしている中、アイは巻物から出現したポップアップメニューを閉じ、右手を縦に振ってメインメニュー画面を呼び出す。そこから一番上にある、バストアップシルエットのアイコンを押して、上から三番目にあったスキルの項目を選んだ。画面に全身が映された人型のシルエットが現れる。その周囲には白い丸が二つと黒い丸が一つあった。

 

アイはその二種類の丸のうち、ちょっとだけ指をふらふらと迷わせつつ、白いほうの丸をタップする。新たに出現したウィンドウにいくつか並ぶスキル名のうち、先程も目にした歌唱(シンギング)を押した。

 

恙無(つつがな)く、スキルの設定を終えたアイは画面からリズベットへと視線を移す。

 

「リズちゃん!」

 

「な、なに!?いきなり!」

 

「できたよ!」

 

「なにが?!」

 

「スキルの設定だよ!ひとりでできたよ!リズちゃんの指示なしでできたよ!」

 

はじめてのおつかいを完遂して家に帰ってきた子どもみたいな満面の笑みで、アイがリズベットに報告する。

 

アイが言わんとすることを理解したリズベットは、ほんの一瞬、ぽかんと口を開いて言葉を失ったが、すぐに慈しみの色を瞳に宿した。

 

「ああ、スキルスロットの設定ね……。進歩したわね、アイさん。前は装備すら付け替えられなかったのに……。成長してるみたいであたしはとても嬉しいよ」

 

「へへーん、もうカンペキだもんね!」

 

「もしかして、ティアちゃんからプレゼントしてもらったアクセサリーも……」

 

「さっそく使ってみるね!!」

 

「誤魔化した……」

 

歌唱のスキルを配置した丸、今は黒く変わっているその丸をタップする。

 

じっと待ってみるが、特に何も変わらない。疑問に感じたリズベットが訊ねる。

 

「……ん?もう始まってるの?」

 

「アイさんどうしたの?」

 

「これ、ソードスキルみたいに勝手に動くんじゃなくて、自分から歌うものなのかな?ソードスキルみたいに見えない手に押されるような感じはしないから……」

 

「そうなのかも。なんか適当に歌ってみてよ。なんでもいいから」

 

「なんでもいいって……逆に浮かんでこないよ」

 

「アイさん、合唱部に入ってるくらいなんだから歌うの好きなんでしょう?それならカラオケとかにも行ったんじゃない?部活で歌った曲でもいいし、カラオケでよく歌う曲でもいいわよ」

 

「か、カラオケ……部活……でも……わ、わかった」

 

アイは目をつぶると、すぅーっ、と深く息を吸う。腹を括ったような覚悟の炎を瞳に宿した。

 

桜色のふっくらとした唇が動いた。

 

ぴりっとスイッチが切り替わったように、アイの歌声が街の路地に響き渡る。人間の喉では出すのが不可能な声量が、アイの口から放たれた。

 

こぶし(・・・)と情感をふんだんに盛り込んだ歌唱力、目を閉じれば情景が浮かんでくるくらいの表現力。合唱部で鍛え上げられた効率的に声を出す技術に、スキルの効果が重なる。

 

質量を持ったかの如き歌声が、はじまりの街の一角を震わせる。

 

 

 

「『上野発の夜行列車おりた時からぁ、青森ぃ駅はぁ、雪のぉ中ぁ……』」

 

 

 

「ちょっとたんま!」

 

 

 

お腹に響いてくるようなアイの歌声を聞いて、リズベットは手のひらを突き出して中断の催促をした。

 

「な、なにかな?」

 

「すごかったよ?!すごかったけど選曲っ!?」

 

「すごく上手なのは確かだけど……なぜ演歌?アイさんなら何曲だって、それこそ邦楽洋楽問わず何曲だって知ってるでしょうに」

 

歌唱(シンギング)スキルを試す記念すべき第一曲目に選んだ歌について問い詰められたアイは、二人から視線を外してもじもじと指を絡ませる。

 

恥ずかしそうに頬を染めて目を逸らし、しおらしい仕草をするという極めて珍しいアイを見て、リズベットは『おおぅ……』と息を呑み、アスナは『ごくり』と生唾を呑んだ。

 

「だ、だって……二人が聴くんだぁって考えたら、へんに緊張しちゃって……なんにも歌が浮かんでこなくて、なのになぜかおじいちゃんの部屋でよく聴いてた石川さゆりさんの歌が頭に流れてきちゃって、もうどうしようもなくて……。それなら、津軽海峡冬景色を本気で歌おうって……」

 

「なんでいまさら緊張すんのよ。こんだけずっと一緒にいて、しかも夜にも歌聴いてるのに」

 

アイの貴重ないじらしい仕草を直視して、口元を押さえてぷるぷるしているアスナの代わりにリズベットが訊く。

 

相変わらずアイはもじもじしている。

 

「だ、だって……これでへたくそだったりしたら、ふたりに失望されちゃうかもって考えたら……頭がお花畑に……」

 

「そこは『頭が真っ白に』でしょ。普段のアイさんならあながち間違ってないけどさ」

 

「馬鹿にしないで、アイさん」

 

ぴしゃりとアスナがアイの言動を(たしな)めた。はしばみ色の瞳と言の葉に、熱く激しい想いを乗せる。

 

「仮にアイさんの歌唱力がどうであっても失望なんてしないわ。さっきの歌、ほんの少ししか聴けなかったけれど心に響いたもの。アイさんのお爺様の趣味と、アイさんの歌唱力が素晴らしいことはひしひしと伝わってきたわ。自信を持って、これからもその歌声を聴かせて?」

 

「アスナちゃん……っ」

 

「アスナ……」

 

街路灯の淡い明かりと月光に包まれている三人に、とても暖かな空気が流れた。

 

はずだった。

 

「あんた……鼻血さえ出てなければ完璧だったのに……」

 

「っ、なんで鼻血なんてっ。システムのエラーじゃないのっ?!」

 

アスナは急いで鼻を手で覆う。そこから手を確認すると、しっかりぬめりのある赤色の液体がついていた。

 

「どうせいつもの能天気……陽気なアイさんとのギャップにやられちゃったんでしょ?気持ちはわかるけどさ、同部屋どころか同じベッドで寝起きしてるのにその反応はちょーっとばかり問題があったりなかったりするんじゃないかなーって、あたしはお節介にも危惧(きぐ)しちゃうんだけど。今時マンガやアニメでも鼻血(それ)はないよ。一周回って新しいくらい」

 

「こんなっ、えっちな男の子の典型みたいなことあるはずがっ!これはシステムの演出が過剰なのよ!わたしのせいじゃないんだから!」

 

過剰(・・)ということは、ある程度はそっち方面に感情の針が動いたってことよね」

 

「……………………」

 

「なるほど、語るに落ちるって言葉は今のアスナみたいな人のことを指すのね。いい勉強になったわ。でもアスナがこんな反応してたら、さすがのアイさんも引いちゃうんじゃない?」

 

「違うのよ、アイさん。わたしは危ない思想を持っているわけじゃなく、て……」

 

二人してアイのほうを見やると、なにやら慌てた表情でメニューウィンドウを動かしていた。それはまるで、不審者に遭遇した婦女子が公的な機関に助けを求めようとしているようにも、見ようによっては見える。少なくとも、アスナの心理状態ではそのように(うかが)えたらしく、アスナは血相を変えてアイの手首を握り、メニューを操作できないようにした。

 

「待ってっ、アイさん落ち着いてっ!」

 

「ちょっと、やっ、やめて、アスナちゃんっ!手をはなしてっ」

 

「これは些細な誤解なの、GMに報告するような事案は発生していないのよっ」

 

「アスナこそ落ち着きなさい。今のあんたの絵面は考えうる限り最悪なものになってるわよ。そしてこの世界にはGMはもういない」

 

リズベットが興奮状態のアスナの腰に手を回し、アイから引き剥がす。

 

きゃあきゃあとなにやら早口で(まく)し立てるアスナをよそに、アイは右手を幾度か縦に振り、そしてようやくお目当ての物に辿り着いた。即座にとあるボタンを押す。

 

「あぁ……アイさんに、きらわれたぁ……」

 

多大なショックにより、がくりと項垂(うなだ)れたアスナの顔に、肌触りの良いものがあてがわれた。

 

「いったいアスナちゃんどうしちゃったの?いきなり鼻血なんて……」

 

「ぁ……アイさん……」

 

「体調悪いの?それともなにかの、えっと、なんだったっけ……バッドステータス?」

 

「これがバッドステータスだとしたらきっと《魅了(チャーム)》ね」

 

「驚いちゃったよ、もう。ハンカチを取り出そうとしたらアスナちゃん、止めようとしてくるんだもん。ハンカチなんてどうせ消耗品なんだから、血がついちゃうことなんて気にしなくていいんだよ?」

 

「あ、アイさん……気にしてないの?気持ち悪いと思ったりとか……」

 

「へむ?なにが?鼻血なんて本人にはどうしようもないことでしょ?それとも歌の感想のことを言ってるの?だとしたら気持ち悪いなんてとんでもないよっ!私はアスナちゃんに歌のことほめられてとっても嬉しかったんだからっ!」

 

夜なのに、まるでアイの背後から後光が差しているように見えるほど純度の高い、ぺかぁーっとした笑顔だった。

 

「よかったわね、アスナ。アイさんって自分の容姿に自覚ないし、変なところで世間知らずだったりするから」

 

フリルがあしらわれた白一色のシンプルなハンカチで鼻を押さえるアスナの肩に、リズベットがぽんと手を置いた。

 

「アイさんの純粋さで助かったけど、その無垢さを利用してるようで今度は良心の呵責(かしゃく)()えないわ……」

 

「困った性格してるねえ、アスナは」

 

「アスナちゃん、これ血管の太いところにあてといて。井戸水が入った瓶だよ。これで多少は血も止まりやすくなるかも」

 

再びメニュー画面をいじっていたアイが、しゅわっという効果音とともにアイテムストレージから瓶を取り出し、アスナに手渡した。

 

罪悪感から顔を下に向けつつ、アスナも受け取る。

 

「あ、ありがとう……」

 

「アスナちゃんも鼻血出た時の対処法知ってたんだね。そうそう、上向いちゃだめだからね。血が口に流れてきたときはぺってしてね」

 

「……はい」

 

「ところでアイさん、スキル使ってみてどうだった?いつもより歌うまくなってた?」

 

さすがにリズベットも見ていて居た(たま)れなくなったようで、罪悪感と羞恥心に押し潰されてしまいそうなアスナを背中に隠してアイの関心を自分に向ける。

 

「そうだよ、スキルだよ!このスキルすごいのっ!マイクもスピーカーも拡声器もないのに、いつもより声が遠くまで通るの!歌っててとっても気持ちがいいんだよっ!」

 

アイは両手をぱたぱたと振りみだして感情を表現する。その光景は微笑ましいものだったが、アイのセリフには一箇所疑問があった。

 

「ちょっと訊いていい?声の通りが良くなるってのはわかったけど、歌のうまさには影響してないの?」

 

「んっと……上手になってるかどうかは歌ってる私にはわかんないけど、歌ってるときの感覚としてはいつもと変わんない、かな?」

 

「じゃあ()であの歌唱力なんだ……どこまでハイスペックなんだか……」

 

「アイさんの歌のうまさは前から知ってたでしょ?」

 

もう鼻血は止まったようで、アスナが話に入った。アスナはアイから借りたハンカチを持つ左手の手首をとんとん、と指先で叩く。

 

「それより、そろそろ帰りましょう。サーシャ先生からメッセージが届いたわ。時間が遅いのになかなか帰ってこないから心配してるみたいよ」

 

「やっば、サーシャ先生に連絡するの忘れてた」

 

「みんなも心配してるかも……お願い事もなんとかこなせたし、はやく帰ろう!ほんとはもうすこしスキルを試しておきたいけど……」

 

「あたしたちとしては、アイさんの歌ならいつでも聴きたいけどね」

 

「それは明日にしましょう。さすがに夜に歌うのは付近の住民にも迷惑だと思うわ」

 

「うん、そうだね。スキルを試すのなんていつだってできるし。よしっ!そうと決まればはやく帰ろっか!先生とシリカちゃんやティアちゃんたちと、先生のおいしいご飯が待ってるよ!ひゃーうぃーごーっ!」

 

アイは右手を空に突き上げて叫ぶと、ふわりと深海色の長髪をひるがえして駆け出した。

 

石畳をしっかりと踏みしめ、前傾に体重移動をして大きなストライドで風を切る。気の抜けた声とは裏腹に、教会へと送る足は霞むほどに速かった。

 

「もう、アイさんっ、急に走り出さない、で……。もういない」

 

「めちゃくちゃ速いっ!それほどAGI(アジリティ)に振ってるわけでもないのに!」

 

「いくらなんでも急ぎすぎでしょう……。追いかけるわよ、リズ」

 

「走る必要あるのかな……まあいいんだけど」

 

急に走り出したアイに呆気に取られながら、アスナとリズベットは顔を見合わせて肩をすくめる。慣れてしまいつつあるリーダーの奇行にため息をつきながら、二人はもう見えないアイの背中を追いかけた。

 

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