夜にもう一話更新します。
少し急ぎながら、路地裏を走る。
建物の間に生まれた道は慣れてないと迷ってしまうくらい入り組んでいる。
でも、慣れたらこれ以上ない裏道だ。
薄汚れた身なりでも市場まで見とがめられることなく近づける。
走ること十数分。
いつもの路地裏から、そっと市場のある広場を覗く。
活気にあふれた、どこにでもある市場だ。
野菜や肉、屋台、食べ物がメインで、あとは本だとか、骨董品じみた食器、ナイフやらの刃物だったり、色々なものが露店で店売りされている。
しかし、アンリの視線は広場の中心に吸い寄せられていた。
広場の真ん中では女性がマイクを握って歌を歌っている。
その後ろでは楽器を持った男たちが楽しそうに演奏している。
楽師たちだ。見ない顔なので、おそらく旅の者だろう。
楽しげな雰囲気に吊られてか、何人かの人だかりが彼女たちの前に生まれていた。
チャンスかも。
幸いなことに演奏はまだ始まったばかりで、続々と人が集まっている。
うまく紛れ込めば簡単に盗れそうだ。
静かに息を吐く。
集中。
全身のオーラを抑えて、気配を経つイメージ。
モヤを体内に戻して、循環させる感覚させつつ、開いていた穴を閉じる。
「―――『絶』」
まだ完璧じゃない。むしろ素人染みている。
普段から気配を消していたので楽勝かと思えば、なんてことはない。ダメダメだ。
動いたら所々漏れそうな雰囲気だ。
ふとゆるゆるだったことを思い出す。
出すのは得意でも、抑えるのは苦手かもしれない。
『纏』よりむしろ『絶』の方が生命線なのに、それが苦手とは。
とはいえ、一応形にはなってるみたいで、試しにゆっくり歩いてみても視線は感じなかった。
影が薄すぎる人程度の『絶』かも。
あまりに動きすぎると目に留まるようで、ゆっくり、いつものように隠れながら動けば視線はパッタリなくなった。
人の死角と死角の間を縫うように移動する。
この技術はスリをする中で身に付けたものだ。
これに『絶』が合わされば、滅多なことでは見つからないはず!
中々に自信作なのだ。
元々視線には敏感だったので、それを利用した。
良い出来なようで、少し冒険して、バレずに2人分の財布を盗ることができた。
上出来だ。
この街では隙がある人は滅多にいないので、いつもなら一人分でも難しい。
人込みを狙うのはバレても逃げやすいからでもある。
それくらい、みんな気を張っていてバレやすい。
音楽を尻目にそそくさと路地裏に戻る。
もちろん、この時も死角をうまく使ってからだ。
正義感のある人に疑われると面倒なことになる。
以前見つかった時は路地裏の奥の方まで追いかけまわされて、おかげでその日の収穫は財布一つだけになった。
大迷惑だ。
はぁ。
これだから善人は。
こっちは命がかかっているのだ、空気を読め、空気を。
恵まれた奴には恵まれない奴のことなどわからんのだよ。
財布を開いて、中身をみる。
一つ目は皮張りの少し高そうな長財布だ。
いつもならビビって手を出さないが、ちょっと冒険してスってみた。
さて、中身もたくさん…。
あれ。
札束かと思えば、袋に入った錠剤が入っている。
それも一つや二つじゃない。
少なくとも100粒はある。
書かれているのはアルファベットの『D』
なんだこれは。
薬だろうか。大金を期待していただけに残念感が漂う。
薬を財布に入れるってなんだ。そんな大事なものなら家に置いておけばいいだろうに。
しかも、札は一枚もない。
小銭は567ジェニー。微妙すぎる。財布を売った方が値段になりそうなくらい、残念な中身。
カードもあるが、この身なりじゃ使えない。
ゴミだ、ゴミ。
財布しか売れないかもしれない。
一応、薬も売ってみよう。何かの特効薬ならそれなりに売れるはず。
もう一つの財布は普通のポリエステル風の長財布だ。
長財布はスリやすいので助かります。ごっつぁんです。
ジッパーを開けば、そこにはレシートの山。
ハンター文字の濁流のお出迎えです。
申し訳程度に二千ジェニーと小銭の222ジェニー。
すごい。ゾロ目だ。
だからなんだという話だが。
その運をお金の量に回したかった。
案外、財布の太さというのはあてにならない。
レシートが入っていたり、カードのオンパレードであったり。
むしろ、ほどほどに薄い方が2万ジェニーくらい入っていたりする。
なのに、分厚い財布を狙ったのには理由がある。
分厚い方がスリやすいからだ。
意外と薄い財布はズボンじゃなくバッグに入っていることが多い。
たぶん、レシートやらがたまるのは面倒臭がりな人が多いのだろう。
だから出しやすいポケットに財布を入れていることも多い。
加えて太いと圧迫感があって気付きやすいと思うかもしれないが、人込みの中では逆効果。
しょっちゅう人にぶつかるから圧迫感もマヒして、結局なくなっても気付かない。
加えるならコツは、相手の動きに合わせて抜くこと。
自分が動いた時には案外スられたことに気が付かない。
これは経験則だ。
マジックなんかでも、お客さんに触らせるのはこういう目的もあったりする。少し違うかな。
まあ、人は疑えても、自分は疑いにくいものだ。
スリも立派な心理戦なのだ。
たぶん。
※スリに関するお話はあくまでアンリの主観です。