アンリが果物を盗りに行っている頃。
別の通りの路地裏で部下の報告を聞いていた黒服の男が、咥えていたタバコを思わず落とした。
コイツは、いま、何といった?
唖然として、ようやく口から飛び出した言葉は悲鳴にも似た絶叫だった。
「―――はぁ?!てめっ、盗られたって、150粒だぞ!?末端価格で60万は下らねえ!それを失くしたってのか!?」
大声を張り上げてから、男は慌てて部下の青ざめた顔を見た。
普段のふてぶてしさはどこにもない。
疲れ切った、今にも死にそうな顔をしている。
コトが本当にマズいと部下の表情が物語っていた。
男の背筋にゾッと怖気が走った。
最悪の想像が頭を駆け巡る。
下手をすれば死ぬかもしれない、最悪の未来予想図が。
「す、すんません。財布に入れてたはずなんスけど、財布ごと掏られたみたいでして」
部下は大きな身体を小さくして必死に頭を下げている。
だが、男に頭を下げてもしょうがないのだ。
男は上司ではあるが、あくまで末端構成員だ。
ブツを失くした時の対処など、出来るはずもない。
それが出来るのは幹部だけだ。
ブツ。それも薬のロストなど、男にとってあまりに荷が重すぎる。
「あ、謝って済む話じゃねえだろ!?どうすんだ!?てめえ、責任とれねえだろ!?」
「やっぱり、む、無理ッスよね…、アニキ、どうしましょう?」
「どうするって、見つけるしかねえだろ!?下手すりゃ、横流しの疑惑掛けられておしまいだぞ!!?」
俺もお前もな!!
大声で怒鳴り、男は必死に頭を動かす。
上に報告する?ノーだ。確実に殺される。
なら、事実を隠す?無理だ。最低60万を納金しなければどっちみち首が危ない。
生き残るためにはヤクを見つけるか、金を集めるしかない。
幸い、納金までの期日は3日間ある。
金を集めるのは絶望的だが、ヤクを見つけるなら不可能ではない日数だ。
幸い、失くした『ディーディー』という麻薬はかなり珍しいものだ。
最近流通し始めたおかげで市場にはほとんど流れていない。
それが150粒だ。流れればすぐにわかる。
必死に頭の中で考える。
これから、どうすべきかを。
最悪を見据えて、死なないために何をすべきか。
ちらり、と部下を見る。
(最悪、コイツの臓器売り払うか)
男は暗い笑みを浮かべる。
そう。重要なのは自分が生き延びること。
例え他人を犠牲にしても構わない。この世は弱肉強食なのだから。
「あー、怒鳴って悪かったな、少し気が立ってたんだ。おいおい、そんな暗い顔すんなよ。大丈夫さ、俺がなんとかしてやるよ」
不安そうな部下に向かって、男は笑顔を向ける。
信頼は大切だ。何よりも得難い切り札になるから。
男は本心を覆い隠す。
ただ、自分が生き残るためだけに。
部下は、男の笑顔に心底安堵した顔を見せた。
男は内心でせせら笑う。
売り払われるとも知らないで、安堵する部下の間抜けさを。
その姿を見て男は安堵した。
ああ、良かった。間抜けのおかげで助かる、と。
だが、だからこそ男は気がつかなかった。
人の悪意とはあらゆる者に平等に降り注ぐということを。
男の描いた最悪。
それが自分にも訪れ得る未来だということを、この時、男はまだ知らない。