私はグルメである。   作:ちゃちゃ2580

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アフターストーリー その二

 大剣を抜くと同時に、腹の底でぐっと力を凝縮し、溜める。

 その力が臨界を超える直前でぶっ放せば、高威力の溜め攻撃が炸裂した。

 さながら断頭台の如く振り下ろされた鈍色の刃は、しかしヒトのそれを遥かに凌駕する強靭な筋肉の前に、あまりになまくら。渾身の一撃であったにも拘らず、黄色の鱗を弾けさせ、かすり傷をつけたに過ぎなかった。

 

「くそっ。(かて)ぇっ!」

 

 思わず漏れる悪態。

 その声に反応するかのように、刃の向こうで鋭い眼がぎゃんと煌めいた。

 

 気が付けば宙を舞う。

 

 地面を一度、二度と跳ねて、男は大地へ転がった。

 何とか受け身をとって、頑なに手放さなかった大剣を地へ突き刺す。強引に身体を起こしてみれば、視界がぐわんと揺れた。

 地面が迫り上がってくるかのような眩暈。

 それは遠い昔、駆け出しの頃にきつい訓練を以って起こさなくなった筈の脳震盪に良く似ていた。

 気を抜けば嘔吐をしそうな程に気分が悪い。思考がはっきりせず、周囲の音も聞き取れない。今、自分が置かれている状況が、つい先程の事の筈なのに、分からなくなってしまう。

 何かに、誰かに、八つ当たりをしたくなる程、不愉快だった。

 

「ボブ! しっかりして!」

 

 ふと耳をつく若い女性の声。

 その声でハッとして、男は鉢がねの下で目を見開く。

 

 改まってみれば、足許には平らな大地。

 視界の端には見慣れた遺跡平原の美しい景色。

 視線を上げてみれば、迫りくるティガレックスの顔面に徹甲榴弾をぶち込み、奴の突進を寸でのところで躱している少女の姿。顔に突き刺さった弾丸が弾け、ティガレックスが苦悶の声を上げて怯むと、彼女は背後に回ったと言うのに、持ち上がった首へと素早く照準を合わせて、奴の後頭部に向けて追撃をしていた。

 

 毅然とした孤軍奮闘に、漸く目が覚める。

 

 大剣を納刀して、素早く状況を改めた。

 遺跡平原のエリア8。若干の高低差があるものの、地形が平らで戦い易い場所。吹っ飛ばされた影響か、ボブは高所に居り、低所で相方のイノリとティガレックスが戦っている。

 此処までなら普段通りの狩り。

 そこに居る筈のもう一人の仲間が居ない事を除けば、さしたる変化も無い筈の狩りだった。

 

 激変したのは、ティガレックスを一度『倒した』後。

 

 何かに支配されたかのように、むくりと起き上がったティガレックスは、並みの強さじゃなかった。

 身体の大部分に大剣の刃が通らず、銃弾さえもが弾かれた。それだけならまだしも、万物の生き物に備わっている筈の防衛本能を無くしたかのような捨て身の攻撃の連続。おまけに動きが緩慢になったり、俊敏になったりと、挙動が全く読めない。

 とどめは今しがた攻撃をもろに喰らったボブの身体に、オーラのように付きまとうどす黒いエネルギーだ。

 

 まさか。とは思った。

 しかし、クエスト内容を思い起こせば、それも納得出来る。

 

 本来、ボブとイノリは狂竜症に侵されたティガレックスを討伐しに来た筈だった。

 それが何故か普通のティガレックスと相対し、その後異常な行動をとるティガレックスへと変貌……いいや、もう疑う余地なんて、何処にも無い。

 

 『それ』は狂竜症を克服し、己の糧とした存在。

 極みに迫ると言われし、最高峰の存在。

 

「やっぱ、極限か……」

 

 己を蝕む負のオーラを認め、怒涛の攻撃に対処するのが精一杯で、纏まりきっていなかった思考を完結させる。

 しかし、認めたところで、ボブ達がやるべき事は変わらない。

 遺跡平原で虐殺を繰り返していた異常個体であるティガレックスを討伐する。

 イノリの独断でゴア・マガラの討伐部隊に任命された自分達の初仕事である。初っ端からこれとは運が無ければ、幸先も悪く感じられるが……今、愚痴を溢している暇はない。

 

 ウチケシの実を口に入れ、咀嚼すると同時に回復薬Gで流し込んだ。

 改めて大剣の柄に手をやりながら、走り出す。

 自分がダウンしていた間、ずっと孤軍奮闘をしていた相棒は、未だ余裕こそありそうだが、決して優位に立ちまわっている訳ではなさそうだ。怒涛の攻撃で距離を詰められ、ずっと命懸けの『回避』を繰り返している。ガンナーの防具が身軽さを優先している軽装甲である以上、タイミングひとつ間違えるだけで死に直結するダメージを貰うかもしれない。だからなのか、やむを得ずに自分が撃った徹甲榴弾の爆風を喰らっている場面もあった。

 技術が優れているだけで、イノリは特別タフなハンターではない。

 一度回復を入れないと不味いだろう。

 

「イノリ、代わるから下がれ!」

「ありがと。無茶しないでね」

 

 了解したイノリが後退する。

 入れ替わるように前へ出れば、ティガレックスは丁度明後日の方向へ突進をしており、こちらのスイッチを見てはいなさそうだ。彼等は好戦的ではあるが、執念深い性質ではない。

 

 古龍をもソロで屠る少女が、珍しく緑色の薬を飲んでいる。

 ガンナーの適正距離を保てず、徹甲榴弾を持ち出していたのも、中々に珍しい光景だった。

 ティガレックスという種が特別強い訳ではない。確かに強者ではあるが、難関名高いクエストの数々をこなしてきたイノリを凌駕するとは言えないだろう。彼女がやり辛そうにしているのは、『狂竜症』の所為に他ならない。

 

 イノリを見失ったティガレックスは、その場で咆哮を上げた。

 段差を降りたボブがその轟音に片耳を押さえ、怯めば、しかしティガレックスはあらぬ方向を向いて、威嚇するような行動をとる。

 認めたボブは、顔を歪めて、舌打ちをひとつ。

 

「やりづれえなぁ。くそっ」

 

 悪態を吐きながら、ティガレックスとの距離を詰めていく。

 足を止めないままに、大剣の柄を右手で力強く引っ張り、その手を左手で抑え込む。何時でも溜め斬りを放てるようにしながら、適正距離へ。

 

「頼むからこっちに向け!」

 

 ティガレックスが腕を払えば吹き飛ぶ距離で、ボブは足を止めた。

 ぐっと深く腰を落とし、腹の底へ力を凝縮する。

 

 ボブの悪態が聞こえたのか、ティガレックスはゆっくりとした動作でこちらを向いた。

 

 ティガレックスの頭部が視界の正面に入った瞬間。

 溜めた力を爆発させる。

 

「っらぁ!!」

 

 ドゴォ。

 と、鈍い音が鳴る。

 

 目一杯まで引き寄せ、斬るというより押し潰す勢いで振り下ろした断頭台の刃。

 しかし、固い。

 今度こそ間違いなく捉えてはいたが、腕に伝わる痺れたような感覚が、刃の通り具合を明確にしていた。

 当たってはいる。先程弾かれた時よりかは、幾分効果があったとは思える。しかし、グラビモスの背中をぶっ叩いたかのような硬さは、おおよそティガレックスの弱点へ振り下ろしたものとは感じられない。

 

 ふとすれば、ぐっと刃が押し戻された。

 それは困惑から脱して、視界が鮮明になると同時。

 

 悲鳴のような声をあげて、ティガレックスの頭部が刃を真っ向から押し返してきていた。

 刃は確かに頭部を捉えており、互いに圧をかけあっている以上、その刃がどんどん頭蓋を割ってめり込んでいっている。だというのに、そのティガレックスには、まるでボブを屠る事しか見えていないよう。己の頭が割れようと構わない様子で、荒々しい牙が幾本も並んだ口腔を大きく開き、こちらへ詰めてきている。

 

 その形相に、ボブはゾッとした。

 おおよそ自然界の生物から感じる事の無い大きすぎる執念、憎悪、怒り……様々な負の感情が伝わってくるようだった。

 開かれた口腔の中にある赤い血肉は、果たして何故呑み込まれていないのか。喰らう為に屠るのでなければ、こやつは一体何の為に存在するというのか。生を放棄してまで、何を晴らそうというのか。

 

――このティガレックスは、本当に『生き物』なのか?

 

 たまらない気味の悪さを何とか堪え、押し負けないよう力を籠める。

 人間の非力な身体から発せられる力が、果たしてティガレックスの強靭な肉体に敵う筈はないのだが、刃が頭部にめり込めばめり込む程、向かい立つ力が勢いを無くしていく。しかし、それは『痛いから』ではなく、ただ単純な生命力の低下によるものだと、ボブには分かった。

 

 何せ、ボブを捉える濁った瞳は、ボブの殺害を諦めてはいない。

 純粋な殺戮者として、己の挙動に一切の疑問や、躊躇い、恐れなどない様子だった。

 

 そんな恐怖心が、ボブの注意力を散漫にする。

 パニックに陥っている訳でも、恐怖に屈した訳でもなかったが、ただただ『見えなかった』。

 

「なっ!?」

 

 土を抉る音がして、初めて気が付いた。

 身体に力が入らないと悟ったティガレックスは、己の腕を振り上げ、降ろす。その動作で重心を前へ前へと動かし、立てられた刃などお構いなしに『突進』をしていたのだ。

 その力は先程までと比べものにならない。

 当然のように、拮抗していた力比べが崩れた。

 ボブの身体はいとも簡単に押し倒され、額に大剣が刺さったままのティガレックスが、ボブを眼下に捉える。しかしその顔は愉悦に浸るでもなく、まるで煩い羽虫を殺すかのように、冷淡なものだった。

 

 喰らう訳でないティガレックスは、腕を振り上げる。

 それが振り下ろされれば、ボブの身体は地面のめり込む程に圧迫された。

 

 固い表皮が売りのディアブロスの鎧が、バキリと音を立てる。

 爪の間を出ている頭部ばかりは無事だったが、それでも身体を押さえつける恐ろしい程の力は、ボブの命を奪うのに十分過ぎるだろう。あっという間に呼吸が出来なくなって、脳裏に色んな出来事が蘇ってきた。

 

 走馬灯のように蘇ってくる光景は、『まさかこんな事で』と訴える。

 かつて、イノリの兄と共に挑んだ炎王龍や、肉好きの可笑しなイビルジョー等、もっと自分を屠るのに相応しい奴は沢山いた。多くの死地を潜り抜けてきた自分は、それでも親友の死を切っ掛けに、生に対して貪欲になった筈だ。

 無理をせず、背伸びをせず、かつてパーティを組んでいた他の仲間が、隠居していったのと同じく、死ぬ事で誰かを泣かすまいと、それを全うしてきた筈だった。

 

 ふと、振り返ってみれば……ああ、そうか。

 と、ボブは思う。

 

 気が付かなかっただけで、ジャンボ村で隠居していた時とは、随分遠い場所に来てしまっていた。

 そこが死地である事を気付かずして、どうして気を付けていられようか。

 

『ボブ、ギドー、ルーコ! いくぞ!』

 

 ふとすれば聞こえる懐かしい声。

 黒の短髪を揺らし、こちらに背を向けて走っていく背中。

 

 双剣を手に、イビルジョーの討伐クエストを楽勝だと言ってのけた彼。

 そのイビルジョーと交戦し、それが規格外である事を悟り、他の三人が撤退を決めた。にも拘らず、彼だけは勝たなければならないと主張していた。

 勝たなければ、依頼主の村が滅茶苦茶にされる。

 何としても、止めなければならないんだ。

 と。

 だから、彼はイビルジョーから退避する最中、殿を務めると言って、本気で戦っていたのだろう。

 

 気付くのが遅かった。

 状況が落ち着いて、彼の本心を悟り、救援に戻った時には……残っていたのは、彼の双剣と、それを握りしめたまま固くなった左手だけだった。

 

――ダン。

 

 彼の事を、とんだお人好しの馬鹿だと思っていたが、自分も焼きが回っていたようだ。

 懐かしい友人との記憶を観ながら、ボブはそんな事を思う。

 

 仕方なかった。

 妹分の心遣いも、まだ初々しい駆け出しハンターの想いも、守ってやりたかったのだ。

 だから、身に敵わない無茶をしていた。それが無茶である事を自分が認識せぬよう、未だ隠居しているつもりでいた。

 だが、その誤認が祟って、今、ボブは窮地に陥っている。

 何も守れず、終わろうとしている。

 

 こんな事なら……。

 という後悔はあるが、しかしそれも仕方なかったと思う。

 ボブはイノリの兄、ダンの死を、仲間の誰よりも重く受け止めていた。

 ふたりは幼馴染であり、子供の頃からずっと一緒だった。だからハンターになった時も、子供時分の悪戯を共にする感覚の延長であって、成人して仕事にやりがいを見出したとて、根底にあるそれは変わりなかった。

 なのに、ダンはボブを残して逝ってしまった。

 後に残ったのは、後悔と孤独。

 

 喪って初めて、喪う事を知ったのだ。

 だから、それを誰かに味わせる事は禁忌であって、ダンの死を無意味にしてしまう事だと思っていた。

 

 だが、自分の本心は……。

 

――まだシャンヌに教えなきゃいけない事が、あったのに。

 イノリの面倒だって、自分が死んだら誰が見るって言うんだ。

 

 こんなになってまで、生きる事を諦めきれない。

 誰かを悲しませない為ではなく、生きて為したい事の為に、貪欲だった。

 

 そのふたつの差は、光の向こうに見る懐かしい笑顔に対する印象さえ、影響するものだった。

 

 本来なら迎えに来た友人に、微笑み返す場面なのだろうが、ボブは一言「くそったれ」と言ってやりたくなった。

 迎えばっかりしっかり来やがって。

 とも。

 

 まだ死にたくない。

 死ぬ訳にはいかない。

 

 こっちに来るな。

 そっちに引き寄せるな。

 と、友人を強く拒絶する。

 全身の血が沸騰するような心地で、ボブは怒鳴り散らした。

 

 勝手に逝ったくせに、ふざけんじゃねえぞ!

 

「ボブ!! 起きなさいよ!!」

 

 としたところで、鋭い声に今度こそ目が開く。

 驚いてぱっちりと開いた眼には、色白な肌を真っ赤に上気させて、こちらへ覆いかぶさるように覗き込んでいる少女の相貌。今しがた見ていた幻と良く似た彼女は、しかし幻が浮かべていた笑みとは対に当たる表情をしていた。

 その表情が崩れ、大きな目から、大粒の雫があふれ出す。

 零れ落ちた水滴が、ボブの頬でぱたぱたと音を立てた。

 

「良かっ……良かったぁぁ……」

 

 そのまま泣き崩れたイノリは、ボブの脇にずれて、頭を押さえるように蹲る。

 背を震わせて、すんすんと音を立てながら泣いていた。

 

 ボブは彼女の姿を見て、唖然とする。

 未だ思考が纏まらず、ハッキリしない。

 しかし、自分は生きているらしい事と、イノリが案じてくれた事だけはすぐに理解出来た。

 

 何やら胸の内がざわついており、彼女に対する安堵に似た安らぎと、誰かに対する怒りがないまぜになった可笑しな気分だったが……。

 

 視界の隅で泣く彼女の背を撫でてやりたい。

 そう思って身体を起こそうとする。

 しかし、身体中が痺れてしまったかのように動かない。指先ひとつ動かなかった。

 

 いや――と、悟る。

 気絶する前の状況を思い出して、身体が動かない理由を察した。

 無理矢理身体に力を籠めてみれば、激痛が走る。それでも呻く事なく、右手をゆっくりと上げてみれば、なんとか上がった。

 骨は折れていなかったか。

 そう納得して、しかし最も痛みを覚えた胸部は、無事じゃないだろうとも理解する。視線で胴体部分をなぞってみただけでも、鎧が滅茶苦茶な壊れ方をしているのは理解出来た。

 

 とりあえずしっかりと手当てをするまで戦えそうにない。

 ネコタクを呼ばないとキャンプに戻れるかすら怪しいだろう。

 

「イノリ。ティガは?」

 

 歴戦を潜り抜けた彼女が、無防備な姿を晒しているから、倒すか、ティガレックスがエリアを跨いだかだろう。

 そんな当たりをつけて問いかけてみれば、彼女は鼻をすすったあと、ゆっくりと身体を起こした。

 

「倒したぁ! もう倒したよぉ!」

 

 幼児が泣きじゃくりながら主張するかのように、投げやりに叫んで答えるイノリ。

 その言葉を聞いて、随分昔に、彼女と接した日々を思い起こす。そういえば、昔は結構な泣き虫だった。

 

 ボブはふっと笑って、身体から力を抜いた。

 痛みを覚えたが、堪えられない程でもなし。

 

「怪我は?」

「してない。ボブが死んじゃいそうになってただけぇ!」

 

 えんえんと泣く彼女は、兄を亡くした時とよく重なる。

 妹分が出来た手前、最近は毅然とした歴戦の猛者らしくなっていたが……こうしてみるとあまり成長していない。いいや、自分が思い出させてしまったのだろうか。

 

 口の中に残る秘薬の味は、何ともほろ苦い。

 これを飲ませてくれた時のイノリの姿は、きっと自分が彼女の兄にやってあげたかったものだ。

 果たせなかった自分と、果たした彼女の差は……彼女は戦う事を選び、自分は逃げる事を選んでいたから。そんな風に思えた。

 

 危ないところだったが、何とかなったらしい事に、一先ずふうと息を吐く。

 

「ありがとな。イノリ」

「……うん」

 

 交わす言葉が尽きて、思考が巡る。

 何処か重なる昔と今を照らし合わせていけば、色々と反省点が見えてくる。それが過去の過ちに対してか、今しがた自分が窮地に陥った原因なのかはよく分からなかったが、どちらにせよ今は亡き親友に聞かれたら、情けないと一蹴されるに違いない。

 

 自分に足りなかったのは、『覚悟』だった。

 

 イノリはシャンヌを悲しませない為に、死地に踏み入った。

 自分も二人を悲しませたいとは思わないし、死なせたくないから付き合ってきたが……そう、まさにその『付き合ってきた』というところが間違いなのだろう。

 

 何処か惰性で、巻き込まれたと感じていた自分がいる。

 思えば、三年前のグルメジョーとの出会いの際もそうだった。

 果たして自分が守りたいものを守るのに、他人の理由が必要なものか。いいや、そんな筈はない。守りたいという想いはボブの中にあり、その想いは方向性こそ一緒であれ、イノリとさえまるっきり同じ形な訳が無いのだから。

 

――どっちが姉だか、兄だか、分かんねえなあ。

 

 イノリを残して死んでしまった親友。

 妹分(シャンヌ)の笑顔を守る為に戦うイノリ。

 二人を残して死にかけたボブ。

 

 ダンを守れなかったボブ。

 ボブを守りきったイノリ。

 

 これでは親友共々、あまりに情けない事ばかりではないか。

 イノリの『覚悟』を理解して、自分がどうしたいかも見詰め直して、隠居したふりを続けるのも宜しくない。

 

 丁度鎧も壊れた事だ。

 倉庫で眠っている『あの頃』の装備を取り出しても、呪われたりはしないだろう。

 

 狂竜症を脱したからだろうか。

 妙に清々しい気分で、ボブは視界を埋める青空に小さく言葉を投げかけた。

 

「悪いな。そっちに行ってやれなくて……ざまあみろ」

 

 遠い空の向こうで、誰かがクスリと笑ったような気がした。

 

 

 今日は風が冷たい。

 雲をも見下ろす空の上。陽射しを遮る流線型の気球の陰りの下、転落防止用の柵に肘を置いたシャンヌは、大変退屈そうな顔をしていた。

 込み上げてくる衝動のままに「ふああ」と欠伸をすれば、唇をすぼめて「まだかなー」なんて、時間を持て余している事を隠しもしない。普段ならこういう時、小煩いハゲ頭の親父が傍に居て、『武器の整備でもやっとけ』と促してくれるのだが……ハンターのくせに言われなければ思いつかないのは、彼女が馬鹿娘と呼ばれる所以だろう。

 しかしながら、甲板を行き交う者達が同業者なら、彼女はそれとなく見栄を張って、お利口さんなハンターよろしく、武器の整備ぐらいはやっている。何処を見ても白衣を着た者ばかりだから、彼女はこうして暇を持て余す。

 

 雲海の中、大きく突き出た岩山の一部分に、シャンヌは注視する。

 他のどんな部分と比べても、さして代わり映えしない場所ではあったが、彼女はその場所をじっと見つめて「早く戻りたいなぁ」と溢す。

 

 と、したところで、誰かが後ろに立ち止まる気配を感じた。

 促されるように振り返れば、そこには金髪をオールバックに固めた堅物そうな男。着ているものが白衣で、モノクルなんて洒落たものをつけているから、辛うじて研究者に見える。

 

「今週の報告、ありがとう。一通り目を通させて貰いましたよ」

「あ、はい。どうも」

 

 畏まった言葉に、委縮する程ではないにしろ、シャンヌはしかと向き直って、小さくお辞儀する。

 

 向かい立つ男は、この古龍観測隊の大型飛行船でも、そこそこの地位にある者だった。

 ギルドとは管轄が違う相手なので、こびへつらう必要はないのだが、だからと言って欠伸をしながら気安く話せる相手ではない。しかと直立して、相手の言葉の続きを待った。

 

 研究者は生真面目か半端かどちらに転ぶか分からない見た目を真顔で維持したまま、手元のバインダーへ視線を落とす。パラパラと紙を捲って、風で飛ばされないよう風上に背を向けた。

 横顔を見る形になってしまったシャンヌは、どうぞこちらにと促されて、彼の横へ。

 ゆっくりと進みだした足は、どうやら近場の船室へ向かっているようだった。

 

「特に報告書に不備はないようだけど、相変わらず字が汚いですね。シャンヌさん」

「あはは……ごめんなさい」

 

 ため息まじりな言葉ではあるが、肩越しに振り返ってくる男の顔は、柔和な苦笑を浮かべている。

 責められているというより、からかわれているだけだった。

 

 生真面目程はいかない真面目。

 シャンヌが持つ男への印象は、そんなところ。

 

 この男こそが、グルメジョーを要観察対象に指定した人物だ。

 

 イノリの知人らしく、普段は古龍とその他のモンスターとの敷居を研究しているそうな。

 生きとし生けるモンスターの中で、最も古龍に近く、しかし決して古龍にならないモンスター――つまり、特級危険種は、彼にとって一番重要な研究対象らしく、彼がイビルジョーの研究に注ぐ熱量は、専門の研究者が驚くような論文を作り上げる程なんだとか。

 そんな彼を仰天させ、自身の書いた論文をびりっびりに破くに至らせたのが、こんがり肉大好きグルメジョーである。

 

 前例の無い『飢餓状態』からの解放。

 そして食への趣向や、飢餓に至らず、暴食もしない自制能力。

 

 それらに強く関心を持った男は、一度グルメジョーを直に観察し、『イビルジョーの進化個体』ではないかと考察した。

 しかし、グルメジョーは身体こそ大きいが、身体的特徴は通常種と全く同じであり、飢餓状態からの解放も証明出来なかった――男はイノリの話を信じてはいるそうだが――。自制能力についても、目で見ればシャンヌを特別視しているのは確かなのだが、数字に直してしまうと繁殖期のそれと同じ。

 結果、論文に纏める事は叶わず、今はまだ『奇行種』ぐらいの認識に留まっている。

 だがもしも、グルメジョーが特別な個体であると分かれば、彼を研究する資金、資材が増える。それは別に、彼個人を助けるものではなく、研究が進み、どういう生い立ちで彼がグルメになるに至ったかを解明出来れば、世のイビルジョーが無害になる可能性を秘めているのだった。

 

 シャンヌには小難しい話が分からず、研究そのものもどうでも良かったが、ジョーの存在が特別になれば、彼やその同胞を『特級危険種』という枠組みから救う事が出来るかもしれないと言われて、自ずから協力を申し出た。

 イノリやボブには申し訳なかったが、グルメジョーこそがシャンヌの原点であり、ハンターとして活動する理由。だから、彼を救えるのなら、出来る限り尽力したいと願った。すると仲間達は、一定の目処がつくまで好きにして良いと言ってくれたのだ。その為に必要な天空山へ常駐する許可等も、ギルドに取り付けてくれたのだから、ふたりには足を向けて寝られないだろう。

 

 協力する内容は簡単。

 多忙な男に代わって、グルメジョーの生態観察日誌をつける事だ。

 そして週に一度、こうして古龍観測隊を訪れ、報告する事。

 

 願ってもない――と、思ったのは今は昔。

 風呂が一週間に一度、こうして観測隊を訪れた時にしか入れないのは、年頃のシャンヌにとって苦痛だった。

 ジョーとの日々はとても楽しく、快適ではあるのだが、もう少し人間らしい生活がしたいと思ってしまうのは、果たして欲張りなのだろうか……シャンヌは割と真剣に悩んでいた。

 

「まあ、生態観察は忍耐勝負だからね。とはいえ、キミの報告はこと細やかで助かってるよ。些か主観混じりなのは気になるけど……見てて飽きないしね」

 

 飛行船の船室のひとつ。

 男とシャンヌは、テーブルを挟んでココアを飲んでいた。

 

 久々の人間らしい飲み物に破顔しつつも、「すみません」と笑って誤魔化すシャンヌ。

 そんな彼女を、まるで駆け出しの新人を見守るように、苦笑混じりで優しく接する男。

 

「折角だし、報告書の作り方は覚えておくといいですよ。ハンター業だからこそ、いつまでも健康でいられるとは限らない。不意の怪我で辞めざるを得なくなった時、研究者やギルドの職に就く者は少なくないと聞く……キミはまだ若いが、今から備えておいて損は無いだろうね」

 

 それは男の親切だった。

 少なくとも、シャンヌが腹の内で『面倒臭いなぁ』と思いつつも、提出した報告書の手直しは間違いなく後学の為になる。そこばかりはお馬鹿な彼女にも分かるもので、報告会は報告書の手直しを兼ねて行われた。

 

 一枚の紙を取り上げる。

 それは今から五日前の記録だった。

 

「この日は『アプノトスを三頭食べました』と記述があるけど、これは全て焼いたのかい?」

「あ、はい。私がこんがり肉Gにして食べさせました」

「ふむ。成る程」

 

 男はそれが記された部分の端に記載されているシャンヌの補足事項を、人差し指で叩く。

 

「これは良い補足だね。『イノリちゃん発注のクエストでただのこんがり肉をあげたら、五頭分は要るようでしたが、私があげたものでは三頭分でお腹一杯のようでした』ってところ。普段との差異が明確だ。こういう補足はどんどんして欲しい」

 

 にっこり笑顔で言われる。

 しかし、記述してある事がどうにも子供っぽい書き方に思えて、自分で書いた事ながらシャンヌは何処とない気恥しさを覚えた。

 そうして称賛を素直に受け取れないままでいると、男は「だけど」と言って、指を上の方へ。

 

「朝の部分、『よく眠れたのかな』はダメ。推測はそのまま書かずに、よく眠れたと思うのなら、どうしてそう思うに至ったか、グルメジョーの変化を書いて欲しい」

「は、はい……」

 

 成る程。

 男の指摘はもっともである。

 

 言われて漸く、シャンヌは理解した。

 前回までは『慣れないうち』でなあなあで済ませてくれた男だったが、こうして指摘され始めると、自分がジョーの生態観察を任されているのだと改めて認識する。

 パーティを離れる際、イノリに言われた事が頭を過る。

 

――貴女が、ジョーの命運を握ってるの。

 

 そうだ。

 自分がしっかりしなくちゃ、ジョーの研究は進まない。

 シャンヌは背を正す心地で男の手直し授業を受けた。

 

 と、そんなこんなで半刻程経過して。

 一息がてら、男がココアを淹れ直そうと言った時だった。

 

 彼はハッと思い出した様子で、報告書の手直し内容を記したメモとにらめっこしているシャンヌを振り返った。

 

「そういえば、キミに手紙が来ているそうだよ。イノリさんから」

「手紙?」

 

 男に郵便屋さんの確認を勧められて、シャンヌは忘れないようメモに記した。

 

 

 シャンヌへ

 

 遺跡平原で狂竜症、並びに極限化が確認されました。

 これがどういうものかは知ってるよね? 天空山にシャガルマガラが現れる可能性があります。

 少しでも大気に異変を感じたら、ジョーを連れて逃げる事。逃げ遅れると、貴女もジョーも無事では済みません。警戒して下さい。

 私とボブは、ゴア・マガラの追跡をしています。

 討伐出来れば良いけど、間に合う保証もありません。

 もしも天空山にシャガルマガラやゴア・マガラが現れた場合、間違っても討伐には行かない事。極限化が確認されている以上、G級の個体である可能性が極めて高い状況です。貴女一人、貴女の装備では、到底敵いません。

 脅かす訳じゃないけど、ボブが極限化したティガレックスに踏み潰されて、死にそうになっていました。幸い、彼は無事ですが、上位装備が大破したので、G級の装備に切り替えるそうです。

 それ程の相手です。

 命のリスクが大きすぎます。必ず退避を優先する事。

 

 最後に。

 言いたくないけど……もしもジョーが狂竜症に侵された場合、彼からも逃げる事。

 狂竜症に侵されたモンスターは、命に見境がありません。それはジョーとて、例外ではないでしょう。

 

 貴女がジョーを大切に思うように、私とボブも貴女を大切に思っています。

 私達も尽力しますが、もしもの際は、どうか貴女の命を大切にして下さい。




小説に手紙を出すと書き方にすげえ困る説。

例)
 シャンヌへ
 シャンヌへ。

どっちが正しいのか謎。
そもそも手紙を出す事自体反則か、はたまた表現の自由で許されるのか、独学だとほんとこういう時困りますね。

あと、ボブが踏み潰されたシーン、5000字くらい没。
あっさりやられる問題でぷち炎上したから書いてたんだけど、よくよく考えたらボブって最初っからやられ役だった。


隙あらば変なおっさん増やすのやめーや、わたし。

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