-一話
ボロ布では拭いきれない生き血を浴びた。
殺した数は五十を超えたあたりから意味もないようなものだと都合よく解釈している。
「浮かない顔だな」
言われ、自らを馬鹿にするような薄い笑みを見せると、男は少し驚いたのか目を丸くしていた。
これまでは化けの皮を被った姿で接しており、飄々とした態度が返って来ないことに疑問を抱いたのだろう。
「勘違いすんなよフギル。俺はこう見えて結構繊細なんだ。デコピンの衝撃で割れてしまうガラスの心の持ち主なんだよ」
小さく欠伸をする少年は、手にしていた刀を放り投げる。
青年――フギル・アーカディア、そしてその後ろに控える古びたローブを被った人影の視線がゆっくりと自分から外れた。
血の色で彩られた刀身が灯りに照らされているから、目で追ってしまったのだろうか。
「こうして生きていることが強さの証明と思えるが? 腕っぷしにしても、精神力にしてもお前の右に出る者はそうはいないさ」
「こうして生きてるから弱さの証明になってんだろうが。これだから個人プレイに走りすぎて脳みそが足りなくなった童貞は……」
「おいおい、偏見はよしてくれ」
「うっせー。経験したことありませんって顔に出てんだよカス」
随分と年の離れている二人の会話。
年端の行かぬ少年がするような話の内容ではない。
「そういうお前は、その歳で経験済みなのか?」
「………え、まだ九つのいたいけな少年に何て破廉恥な事聞いてんの? 今のには流石にドン引きだわ。 キモっ、もう話しかけてくんな変態」
殺し合いと言う名の運動の後だからか、少年はぐったりと石壁に身体を預けている。
にしても珍しいものだと、少年に中指を立てられているフギルは感想を持った。
こうも締まりのない姿を晒すのは初めてだからだ。
これまで無気力にだらけていることは何度もあったのだが、警戒心だけは必ず緩めずにいた印象がある。
だがそこにいる少年は、警戒も何もしていない。
切りかかれば容易に仕留めることが出来そうにも思えた。
「ダメだ、調子でない」
晴れ晴れとしない気分を吹き飛ばすかのように、片手で長い長い髪をかき乱す。
すると汚れていなかった半顔に、手のひらについていた返り血がべっとりとついた事への苛立ちも沸いて来たのか、少年は舌打ちと共に重い腰を上げた。
「クソ、人類が誕生しない世界に改ざんされろ」
病み上がりを思わせるおぼつかない足取りで、決戦場の空間から去っていった。
返り血を浴びた様が奇妙なことに似合ってしまっているのは、もはや言うまでもない。
フギルの隣に佇む彼女も、いつか同じ思いを不思議そうに口にしていた。
「あいつを野放しにしていることが不満か?」
こんな質問も大分昔にしてきていたが、まだ答えていなかったはずだ。
フギルが横目で反応を窺うが、当然の如く頭巾に隠れている素顔までは見透かすことはできない。
「奴は飼い慣らされない
血だまりから伸びる足跡をフギルは指でなぞる。
堂々と死体を踏みつけていくのは、人として壊れているからではなく、ただ単純に直線で進んだ方が出口に近いからなんて理由だ。
死体があろうが彼にとっては何も関係ない。
「予定通りに事が運べるならいいが、難しいというのは理解しているはずだ。接触を図ることがあるようなら、十分な慎重を心掛けろ」
それがいつか、具体的な数字に表せはしないが、必ずやってくると断言してもよい。
伝説の魔物が自由に大空を羽ばたくように、その背にまたがる『
思わず不敵な笑みをフギルが零す。
灯りのない薄暗い通路に、大きな足音が響いていた。
だらしのなく踵を引きずっている少年の名は、四乃森紫音。
古都国で生を受け、古都国で育ち、アーカディア帝国のフギル・アーカディアによって拉致られた華やかな経歴を持つ。
全身で気だるさを表現し歩いていると、丁度曲がり角に差し掛かったところで脇に寄せてある積み重なった大樽の影から二人の男が立ちふさがった。
「ようガキンチョ。また会ったな」
男たちの腰に巻き付けられている剣帯に刺さっているのは機甲殻剣。
戦争概念をひっくり返した超兵器 装甲機竜を召喚する魔法の杖。
定期的に装甲機竜の訓練をフギルから受けているため、そのオカルトパワー満載の兵器の威力は十二分に知り得ている。
「あー、この間のおっさんコンビか。大きな怪我がなくて幸いだ」
収容されているこの地下施設は、アーカディア帝国でも辺境地にあるらしく、自称皇子のフギルもたまに足を運び様子を確認しにくる程度なので、訪問日の予定が合わない日の訓練は彼らのような機竜使いから学んでいる。
といっても天才肌なので日に日に実力を付け、大人な彼らよりも精密に動かせるようになった。
模擬戦でも負けなしで、一方的に蹂躙した結果、大事故を起こす一歩手前までなりかけたこともあり、その被害者が立ちはだかっている二人だ。
「フギル様が気に入っているからって思いあがるな!」
「いいか。その烙印を押された時点で貴様らは奴隷と変わらない存在だというのを忘れるなよ」
男の言う烙印とは、左肩に刻まれているアーカディア帝国の紋章。
古都から連れてこられて、まず初めに受けた仕打ちが焼印だった。
大樽にも負けないほど太っている男が発する怒鳴り声が耳に効いた。
片耳を塞ぎながら、追い返すような仕草を見せる。
「豚は豚らしく養豚場へ帰って、大人しく出荷されとけ。 それとも豚語で話してやろうか?」
ブヒブヒブヒ~と最後に煽りを付け加える。
「ぶ、無礼者め!」
頬をひくひくと引きつっている恰幅の良い男が機甲殻剣を引き抜いた。
フギルの加護がある限り殺されることはないのだが、過度に優遇される立場でもないため多少乱暴に扱う許可を貰っていてもおかしくはない。
片方の男も動作を鏡で写したかのように機甲殻剣を鞘から抜いた。
それが生きるか死ぬかの行為とは、彼らは予想もしていなかった。
「――ギャアアアアァァ!」
剣の間合いだろうが、臆せず踏み込んだ紫音の動きについてこれなかった細身の男が腰を屈めて蹲る。
「こっちはガキの頃から生れ落ちるついでに脳細胞も落としてきた奴と何度も手合いをしてきてんだよ。 年が離れていてもあんたらとは格が違うってことがまだ分からんのか」
親指を左の眼球に押し込んだ。 それだけだ。
痛みにより手放した機甲殻剣を落とさずに掴み取り、牽制をしながら足裏で蹲っている男の頭を力いっぱい踏みつけた。
「待て、待ってくれ! それ以上やると――」
「もう手遅れだな」
同僚を助けようとする、ふくよかな男の制止に聞く耳持たず、剣先を真っ直ぐ後頭部に突き刺した。
床をも貫く切れ味の機甲殻剣は、難なく細身の男の皮膚を破り、頭蓋骨、脳に達する。
「喧嘩売る相手は良く選ばないとこうなるぞ」
身をもって経験したところで、もはや手遅れだ。
後頚部を足で押さえ、剣を引き抜こうとすると、顎先にひんやりとした冷たい感触が。
「ぶ、武器を置いて地に伏せろ。 今ならまだフギル様も許してくださるだろう」
音が反響する地下通路で大声を出され、しばらくすれば他の見張りが駆けつけてくるかもしれない。
声を震わせる男が意地でも命令に従わせようと機甲殻剣の側面で押してくる、その時だった。
剣を握っていた右手が綺麗に飛んだ。
太刀筋が「見えなかった」のではなく、「意識できなかった」のだ。
喚き声を上げられるよりも早く、正確に水月を貫くと、石像のようにばったりと倒れ伏した。
あまりにもあっけない幕切れだが、実戦というのはこんなものだ。
見つかっても厄介なことになるだけなので、墓標代わりに機甲殻剣を男たちの間に突き立て、専用の牢屋まで続く道を進む。
一年前か二年前、もしくはもっと昔に連れてこられたのか、いつここに来たのか記憶は定かではないが、当初は大きめな牢屋に入れられていた。
その後フギルに目をつけられた者は、個別に割り当てられた牢屋に移された。
個別であっても壁で区切られているとかはなく、中身は筒抜けだったが、そのお陰でフギルに見定められた人数の把握も出来た。
けれど、殺しすぎた今となっては他には誰もいない。
ただ一つ疑問に思ったのは、与えられた一番端の牢屋、その前の牢屋はいつも空いていたこと。
そこ以外は埋まっていたこともあるのに、なぜか一度も開くことのなかった牢屋だ。
たまたま割り当てる人材がいなかったとか、そんな理由だろうと分かっていたが、それから幾ばくかの時間が流れたあの日。
「私のことはアルフィンとお呼びください」
この女と出会ったのは、神の気まぐれなんかではなくきっと必然だと、根拠のない確信に呑み込まれたような気がした。