学園長室とはこんなに気軽に訪れていい場所なのか。
ソファーは座り心地抜群のためシオンは気に入っているが、この部屋の褒めることなんてそれくらいしか知らない。
「悪いがクルルシファー、理事長は席を外している」
恨みでもあるような剣幕のリーシャに、臆することなくクルルシファーは距離を詰めてくる。
痴漢の容疑にかけられたルクスも取り押さえる実力をクルルシファーは持つので、技を仕掛けられても即座に反撃を喰らわせられるように内側に溜まった力を外へ流す。
荒っぽくならないことを祈るだけだが、もしもがあればこの澄まし顔を泣き顔へと変貌させてやる。
すると、初めて会った時にシオンが観察したのと同じく、逆にクルルシファーがシオンを上から下へと、下から上へとじっくりと品定めするように見てくる。
「あなたに頼みたい事があるわ、シオン君」
「拒否する」
即座に一刀両断で切り捨てた。
「放置したままじゃレリィに怒られるから外に運び出すぞ姫様」
クルルシファーに背を向けたシオンは前蹴りを壊れた机に放ち、更に細かく分割する。
「雑用の専門家なら喜んで引き受けてくれるからそっち行ってくださいよ。特別依頼書は俺が奪っちまったけど、あの超お人好し『黒きえいゆー』様なら聞いてくれるでしょうし」
懐から赤紙をチラりとのぞかせると、過敏な反応を示したのはクルルシファーではなくリーシャだった。
解体作業の手を止め、物乞いをするような目をシオンに向けそうになるも、依頼権の譲渡は禁じられていることを思い出し踏みとどまる。
その不満を解消すべく、リーシャは机の脚を力いっぱい踏みつけてへし折った。
「あなたの一週間を貰うだけで一月分のお給料と同額を支払うわ」
舐められたものだな。
世の中はお金では買えないもので溢れており、シオンもそのうちの一つだ。
「たかだが一か月働けば貰える駄賃で動くわけないだろ。俺はそんな安い男じゃないんですよ」
「なら二か月分でどうかしら?」
倍に増えた額を提示されても、シオンの一本筋が立っている意志は揺るがない。
と思いきや、素人が建築した建物といい勝負が出来る脆さの意志だったようで、もし大金が舞い込んで来たら何を買おうかと悩んでいるようだった。
「二ヶ月と半月分」
またも札束が積まれるが、なんとか湧き上がってくる金銭への欲望に歯止めをかけている。
「もうよせクルルシファー」
ぎこちなく作業を続けるシオンを見かねたリーシャが間に入る。
金に目がないシオンが、揺さぶられながらも抵抗している。
成長しているなとリーシャが感心するも
「三ヶ月分ならどうかしら」
「なんなりとお申し付けください、お嬢様」
すぐ真横にいたシオンが目視不可の速度で消え、クルルシファーの前に跪いていた。
「やっすい男だなおい!」
三ヶ月もの期間汗水たらして働くよりも、一週間服従するだけで大金を得られるなら飛びつく他ない。
見て見ぬふりをするのは仙人とか聖者の類にあたる、一定の境地に達した部類の人間だろう。
「世の中金だろ、お姫様」
金の亡霊に取りつかれているシオンは、爽やかな笑顔できっぱりと言い切った。
「はあ、クルルシファーに期限付きで買収された、ですか」
紐で結わいた机の残骸を学園の庭の片隅まで運び終え、書類仕事も片づけてから自室へと戻りアルフィンへ詳細を話すと、歯切れの悪い返事で赤紫の瞳がシオンとクルルシファーを行き交った。
「ですが、ルクスなら無償で引き受けてくれるところを、わざわざシオンへ依頼へ持ち掛けるのは何故でしょうか?」
一家に一台雑用王子と銘打っても大げさではないルクスを敬遠しているのだ。
もっともらしい疑問であった。
「あんなただ働き同然のお国のパシリ君とは質がちげーのよ質が。こっちは値は張るがプロのなんでも屋だぜ」
大見得を切っている自称何でも屋。
地下水を汲み上げるための井戸作りから城内でのお茶出しまで、多岐にわたる仕事をこなしてきた自信が、シオンをここまで大きくした。
「今からでも遅くないので、コレはやめておいた方がいいかと」
「なんだアルフィン、俺のもとに金が流れるから嫉妬してんのか?」
「やめておいた方がいいかと」
あえて二回の忠告。
しかしクルルシファーの気持ちは変わらなかった。
「いいのよ、コレで」
物扱いとなってしまったシオンでいいのだと。
騎士団に所属していて家からの仕送りもあるクルルシファーの懐事情はかなり潤っていて、シオンやアルフィンとは住む世界が違う。
庶民的感覚を有しているのは学園でもこの二人とルクスだけかもしれない。
「あなたには一週間、私の恋人役を演じてもらうわ。数日後、エインフォルク家から派遣されてくる従者との席で、婚約者は不要だと認めさせるために」
『在学中に、新王国で位の高い貴族と婚約を結ぶ。――あるいは、結婚する』
新王国にもパイプを繋げるために、エインフォルク家からそういった指示が出されてたのだという。
「ならルクスが適任ではないでしょうか?」
ステアリード家は貴族ではなく騎士の家系。
気位が高い貴族からしたら剣で敵を倒すしか能がない野蛮人だ。
没落したと言えどルクスは元王族。
影響力があるとすればルクスに軍配が上がるし、人間性も考慮してしまえば比べるのが失礼になるほどだ。
「どこか抜けているルクス君だとボロが出てしまう危険性があるわ。 ルクス君曰く性根が腐っている、フィルフィ曰く多弁詐欺師、お姫様曰く屑と、三拍子揃っているシオン君こそが適任なのよ」
褒められてるのか貶されているのか、どっちなのだろう。
しかし正直者で嘘をつくのが苦手なルクス向きの依頼ではないのは事実だ。
顔色一つ変えず出鱈目を吹聴して回るシオンのために用意されているような仕事内容だが、本人は打って変わって乗り気ではなさそうに、薄雲の連なりが東の空へ運ばれていくのを眺めていた。
「いい歳なんだから結婚すれば? 貴族なんだしさ」
貴族社会の象徴ともいえる政略結婚が国境を越えて持ち掛けられるのは新王国としても喜ばしいことだが、同盟が強化されようがシオンにとってはどうでもいい。
問題となるのはエインフォルク家との関係だ。
政略結婚の回避が目的なら、クルルシファーの実家の方から見合い候補の選定がされていて、それを阻止するために彼氏役を急遽頼んできた。
ところどころ外れていてもそんな感じだろう。
ステアリード家が広く伝わっていても、所詮は騎士一族。
貴族のみならず騎士の性質も併せ持つエインフォルク家の足元にも及ばないのが現実だ。
無茶を通して納得してもらっても、結局はクルルシファーを捨てるのだから厄介ごとを抱える羽目になる。
それだけは御免だ。
暗殺者を雇われでもしたら大変だし、何より国外にまで敵を作りたくない。
「あなたも顔も知らない男と婚約しろと言いたいわけ?」
「それが貴族って生き物でしょ。家を守るために貴族の間で適用される社会的な制度、又は契約がみんな大好き政略結婚。個人の気持ちは無視されて当然、なんたってあなたは地位も金も持っていない庶民ではなく、貴族なのですから」
恋愛結婚は庶民の特権だ。
それでも幸せになれるとは限らず、相性がいいと思っていても些細なことがきっかけで崩壊したりする。
政略結婚にしろ恋愛結婚にしろ、大した差はない。
「貴族の婚姻の九割が政略結婚、私はその一割に入りたいの」
「へえ、そりゃお高い目標だ。精々頑張りな」
「私に買われると言ったのはどの口かしら? そろそろ本気で怒るわよ」
「なんだこの伯爵令嬢、マジでめんどくせえぞ」
これは例の二人と同じ売れ残りルート確定か。
言葉にすればレリィかライグリィに殴られるであろう。
あの二人は年齢も年齢でもう手遅れだ。
大幅値下げ格安セールでも開催するしか貰い手を見つける方法はない。
「好きで貴族として育てられたわけではないわ」
理知的なクルルシファーにしては、らしくない発言だった。
いくらあーだこーだ喚き散らしても子供は親を選べない。
貴族としての生き方を幼少期に叩き込まれているはずのクルルシファーが屁理屈を捏ねたのを初めてみた瞬間だった。
「パピーに怒られんぞ」
当主の意向に背くことになれば、尻叩きの刑では済まされない。
「知らないわ、そんなの」
拗ねたわけではなさそうだが、いい加減にな振舞いとなっているこちらがクルルシファーの本音に聞こえる。
学園でも模範的な少女が潜ませていた裏の顔にシオンは頬杖を突きながら苦笑する。
「シオン、手を貸してあげては如何でしょう」
これまで黙って成り行きを見守っていたアルフィンが後押しするように口を挟んできた。
決定権はシオンにあり、強制はできない。
そのシオンはそっぽを向いたまま微動だにせず、沈黙を貫いている。
「プラス出来高払いならいいよ」
大きく伸びをして立ち上がったシオンがぽつりと呟き、衣服類が詰め込んである収納家具を漁り出した。
悲しいことに入浴は週一と制限されている。
なので体の汚れを落とすために、ルクスと野郎二人で冷水をかけあう日々が続いている。
発見したタオルを首にかけ振り向くと、そこには握手を求めてくるクルルシファーの姿があった。
「交渉成立よ。 よろしく、ダーリン」
接近されていて多少驚いたのか、一瞬遅れながらもシオンが応じる。
「よろしく。マニー、じゃなくてハニー」
非常に失礼な言い間違いに、学園に着任当初の冷ややかな視線を当ててくる。
そんなクルルシファーは放っておいて、虚しい男だけの水浴びにルクスを誘いに行こうとすると二枚の便箋をアルフィンが差し出してきた。
「シズマとサヤカからの便りが届きましたが、御覧になられますか?」
「中身は?」
「じきに届く、迷惑をかけていないか、と書かれていました」
シズマからの手紙は、王都に残してしまった武装について。
学園に届けてほしいと以前伝えたので、そろそろ手元に来る。
王都に在住していた頃は、定期的にサヤカが無断で押しかけて実家のほうに報告をしていた。
面倒見が良いサヤカのことだから、学園にまで訪問してくると恐れていたのだが、その心配はなさそうだ。
「返事は自分で書くから置いといて」
それだけを言い残して廊下へ出ると、二つほど隣の部屋のクルルシファーもシオンの後に続いた。
「サヤカさんって?」
「うちの口うるさい姉」
そしてシオンにとっての天敵。
傍若無人のシオンが道を歩けば、人だかりは左右に開きお譲りする。
だがサヤカは仁王立ちで待ち構える。
どけと言っても怯まず、頭を叩いてガミガミと説教を垂れる女だ。
苦手ではないと虚勢を張っても、実は大の苦手であるのは関係者にとっては周知の事実。
「仲は良いの?」
私的な領域まで掘り下げて尋ねてこられては、正直いい気分ではない。
「普通」とそっけなく返して、ルクスを呼びに下の階の部屋まで訪れようと歩き出すも、三歩目でその歩みが止まる。
しばしの間硬直しているシオンが、忘れ物を取りに戻るように百八十度回転した。
不審がるクルルシファーの手首を掴み取り引き寄せ、半ば拘束に近い形で抱きしめた。
「出来高は先に払ってもらうことにしたからクルルシファーさんのファーストキスを貰おう」
まだ行動に移していないため偽装恋人ごっこの評価は付けられず、出来高も何もない。
加えて報酬に口づけを迫る、常軌を逸する要求にやや呆れ気味にクルルシファーは口を開く。
「正気?」
「正気も正気。だが勘違いしてほしくないのは、別にクルルシファーさんに恋心を抱いているとかは一切ない。仮ではあるが恋人という間柄、多少顔立ちのいい女のファーストキスを奪えるチャンスがあるなら奪っといた方がいいと判断したまでだ」
好機とは滅多に巡ってこないものであり、うかうかとしていたら過ぎ去ってしまう。
やれる時にやっておけ。迷ったらやっておけがシオンの信条だ。
「多少ではないわ。道行く全ての人が振り返るほど私は可愛いのよ」
イラッときたらしいクルルシファーだが、反論するのはそこではない。
「それは盛りすぎだ。せいぜい十人中五人ぐらいだろ。雪国では「可愛いでちゅねー」ってチヤホヤされてたかもしれねえが、どうせ社交辞令だからな。実際、学園じゃ埋もれかけてるし」
「あなたの視覚機能は働いていないようだから覚えておくといいわ。私は常に光り輝いているということをね」
「顔面は中の上。中身ブス。典型的な嫁げない女のタイプだなこれ」
基本シオンとの会話に気に障ることがあってもいちいち構っていたら話が進まないのでスルーが吉だ。
絶世の美少女を前にしても、お高くとまっているようであれば平気な顔で醜い豚、と言い放てるシオンに褒め言葉を貰いたいなら、謙虚に低姿勢でいかなければならない。
「残念だけれど、私は故郷でも引く手数多だったのよ。社交場では言い寄られす――」
よりどりみどりだったと誇らしげなクルルシファーには、一瞬の出来事のように感じられただろう。
すぐ近くにあったシオンの顔が、さらに近付いてきたのだから。
重なったのは一瞬だった。
乱暴な、しかし柔らかな圧迫感。
「―――っ!!」
その一瞬に呆然とするクルルシファーは、驚いたように目を大きくさせると、すぐさまシオンを突き飛ばした。
「伯爵令嬢の初物、ゲット」
溜め池に溢れる鯉を釣りあげるのと同等程度だろう喜びを読み上げる。
「な、なにを……」
羞恥と怒り、二つの感情が湧き上がるクルルシファーは、恨みがましい視線を投げてくる。
「会合でエインフォルク家の従者に疑われたら、一発で形勢逆転できる最終奥義。いざという時のために練習しておくべきじゃないのか。それとも、依頼人はそこまでを望んでねえって?」
いい加減にみえて、一応考えてはいる。
本音と建前なのは抜きにして、婚約の話をナシにしたいとクルルシファーが願うのなら打てる手は打つ。
足をすくわれないように、徹底してやるだけだ。
「親が送った婚約者と式をあげたくない、でも一族と袂を分かつ覚悟もない。落ちるとこまで落ちる勇気がないのなら、大人しくお父様に従っておけよ」
見事に成し遂げたとしても、貴族の義務を放棄したことで実家との関係が悪化するのは明らか。
わざわざ言うことではない。
それらを天秤にかけて、クルルシファーが選んだ答えがただ今の状況だ。
「天使だか神様なんてわけのわっかんねえモンを崇めているおたくらには、信仰上の理由で愛情表現すら禁止されてんのか?」
「そこまで潔癖ではないけれど……」
「ならいいだろ。キスの上手い女はモテるし、将来の旦那様のために予行練習といこうや」
シオンの手がクルルシファーの頬に触れ、僅かに顎を上向きにさせる。
守るべきなのはファーストであって、セカンド以降の価値は低い。
そのファーストを奪われてしまった。
旧帝国の時代ならともかく、現代ではビンタ一発では済まない行いをするシオンはある種男の中の男。
不純な熱意にとうとう根気負けしたクルルシファーの薄い唇に唇を重ねた。
お互いの体温を感じ合う。だがほんの数秒だ。
ほんの数秒でシオンは顔を引き、二人の唇が離れた。
名残惜しそうに添えていた手も離すと、その頬には朱色がうっすらと浮かんでいた。
廊下のど真ん中だったのでいつ女子生徒が現れてもおかしくはなかった。
人気のない場所で目的を果たそうとする不埒なカップルを撃退する仕事を請け負ったこともあるが、それほど興奮するものでもなかった。
人それぞれか、と自己完結したシオンは
「ごちそうさま。おいしかったよ」
悪意の混ざっていない素直な告白をされたクルルシファーは唇を小さく噛む。
「………おやすみなさい」
優等生のクルルシファーには、触れるだけの口づけといえど思うところがあったのか、赤く染まった顔を見られないようにそそくさと自室へ撤退した。
「最近の若者はうぶなんだな」
『四十八手』なる絶技が古より承継されてきた古都と、神と天使にまつわる伝承がある神聖なユミル教国。
たった四十八通りでは古の絶技としては些か貧相な気がし、『六百六十六手』まで増やし、出版しようとしたら検閲に引っかかったシオンと、啓蒙な信者のクルルシファー。
天と地の差、そんな二人の恋人生活が幕を開けた。