その運命に、永遠はあるか   作:夏ばて

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少し忙しくて遅くなりました。



十四話

商家に産まれれば商人。

農家に産まれれば百姓。

鍛冶屋に産まれれば鍛冶師。

なら廓の女郎が産んだ子供は、将来何になる?

 

「まさか。笑えない冗談だな」

老婆の発言に呆れたように首を振るシオンは、おもむろに財布を取り出した。

 

「いくら?」

喧しい貧乏人には、口に紙幣を詰め込んで黙らせるのが最も賢明な処置だ。

耳打ちされた額は、厚化粧で誤魔化している酒場裏の相場の約六倍。

悪態をつきかけたシオンだったが、乱暴に紙幣を掴むと、八つ当たりでもするのかという勢いで老婆の顔に投げ捨てた。

 

「それで一番人気のない奴を買ったことにしておけ」

「うちの下っ端はまだ十三だがぁ、新米で物覚えも悪くてねえ。兄さん、なんなら仕込んでいくかい? 兄さんの臭いはどこかで嗅いだことがあると思ったら、東の果てから流れ着いた………えーと、キントウロウだったかの――」

クルルシファーには聞こえない声量で、その名が持ちあがると、シオンは老婆を殴りつけたい衝動に駆られた。

金灯楼(キントウロウ)』とは古都国ではそれなりに名の知れた廓であり、老婆はそこの女郎と知り合いのような口ぶりだ。

古都国から逃げ延びてきた来た女郎のにおいに近いと看破されてしまったシオンは、数枚の紙幣を財布から取り出し、敷かれている布へ叩きつけた。

 

「貧乏がうつるから黙ってろババア」

「へへ、まいど」

うまくしてやられたが、後悔先に立たず。

クルルシファーの手をとってその場をあとにする。

口止め料を払わなければ、あらぬ事を背後から浴びせられたであろう。

 

予想外の出費にか、それとも老婆とのやり取りに腹を立てる材料が含まれていたのかは、まだ付き合いの短いクルルシファーには見極めることが出来ていなかったが、おずおずといった風を隠しながら口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「さっきの話は?」

自分たちには関りがない部分について詳しい。

もしかしたら、というのがクルルシファーの本音だった。

 

「ボケた婆さんの話を真に受けんな。もし俺が堕胎せずに生まれた子なら、店の若い衆として走り回ってるはずだから呑気に表を歩いている暇なんてない」

 

それだけ呟いて、シオンは歩く速度を緩めることなくグイグイ突き進んでいく。

会話はそこで中断し、しばらくは二人の足音のみが響く。

無表情で、一見すると気を悪くしたようには見えないが、その冷酷な顔つきがクルルシファーにとっては、やけに恐ろしく感じられた。

秘密にしておきたいおい立ちなら、今後話題には上げることはできないのだが、隠されれば隠されるほど逆に興味をそそられる。

しかし、改めてシオンの表情を窺うとその浅はかな好奇心は引っ込んだ。

聞きたいが、タブーは犯せない。

 

感情に左右されやすいところはシオンの欠点だが、アルフィンと機甲殻剣を抱えていたとはいえほぼ単身で王都に乗り込み、大人たちを捻じ伏せ荒稼ぎするのは、並大抵のことではない。

四年も前なのに、賭け場が立っている条件が頭に入っていて、まともに剣術の指導を受けていないのに腕っぷしもきく。

ステアリード家に養子として迎えられてからではなく、もうその時点で生きるための知恵と力が備わってたのではないだろうか。

 

シオンに引かれながら口を真一文字に結んで思考を巡らせていると、急に手に伝わる温かみが失われた。

これまで俺について来いとばかりに引っ張ってきたシオンの両手には、瞬間的に抜かれた機甲殻剣。

一突きが雷電の如く、まっしぐらに斜め上へと繰り出された。

 

ガチャンっ!!!!

大きな金属音をまき散らす。

 

竜尾綱線(ワイヤーテイル)……!」

咄嗟の間の出来事、機竜使いにとって馴染み深い武器と、機甲殻剣が交錯したのをクルルシファーは見落とさなかった。

裕福層から離れた人気の少ない通り道で、シオン目掛けて伸びてきた竜尾綱線を、機甲殻剣で弾き返したその技量に驚きだ。

 

構えといい、動きといい、決して強力な技とは思えない、クルルシファーでもできそうな技であったが、溢れんばかりの力が詰まっていた。

 

 

 

技名は『無双一剣(ムソウイッケン)』、その名に恥じぬ天下無敵の突き。

と言っても、古都国の五番武所―――即ち国に指定されている三十強の道場で、五番目に優秀な門派、青華(セイカ)派がそのように称えているだけで、実のところ天下無敵の突きを破る技もある。

それでも剣法の優れた極意と、編み出した達人の工夫が込められた入神の技であるのは変わりない。

 

 

 

加えてあの反応速度。

安息の地ですら休むことなく、警戒心を張り巡らし続けていたからこそ間に合ったのであって、竜尾綱線の狙いがクルルシファーだったら直撃していた。

 

打った衝撃で腕が痺れたらしく、シオンは機甲殻剣を地に落とす。

 

「動くな!」

わらわらと湧き出てきた、特殊機能で街の景色に同化していた五機の≪ドレイク≫。

正体不明の機竜使いが操る機竜息銃が二人に向けられる。

 

「一手目を俺が防いだんだから、その隙に機竜召喚しとけよ」

隣で棒立ちのシオンがそう言ってくる。

 

「あなたの剣技に見惚れてしまっていたのよ。格好良かったわ、ダーリン」

「それは光栄だ、ハニー」

絶体絶命の危機の真っただ中に、軽口を叩き合う。

たった数日だが、付き合っている間におちゃらけた態度が伝染したのかもしれない。

ここでシオンが動揺して慌てふためいていたのなら失望させられていたのだが、襲われるのは日常生活の一部だ、とでも言うように落ち着いていた。

 

「不意打ちは男らしくないんじゃねーの? もっとさぁ、堂々と正面切ってかかって来いよ」

肩をすぼめるシオンの意見が子悪党に通じるわけがない。

 

「その生意気なガキの口を塞げ」

命じられた男が丸めた布のようなものを取り出し、シオンへ近づく。

盗人からどう切り抜けるか、僅かながらシオンが稼いだ時間で、クルルシファーが策を練ろうとしたとき、何が起きたのか目の前の≪ドレイク≫が吹き飛び、空き家へ激突した。

 

「しーちゃんをいじめちゃ、めっだよ」

巨大な右腕を突き出し、庇うように立ちふさがったのは神装機竜≪テュポーン≫。

使い手のフィルフィは、いつもの表情で声をかけてくる。

 

「大丈夫?」

「前、来てるわよ」

クルルシファーが前方を指差しすると、素早く前衛後衛二名ずつにわかれて動き出していた。

 

「てりゃああああ!」

威勢のいい掛け声で戦火に割って入った新たな装甲機竜。

≪ワイバーン≫と≪ワイアーム≫の二機を結合させた≪キメラティック・ワイバーン≫を纏うリーシャが、ブレード二本の二刀流で参戦したのだ。

しかし威勢のいい掛け声だけが先行し、肝心の操作は剣先がぶれにぶれてるの剣さばき。

クルルシファーの素人目からでも、剣を操っているのではなく剣に操られていた。

 

「………あの剣技は、なんという技なの?」

「即興で名付けるとするなら『魔除けのお祓い剣』」

 

『魔除けのお祓い剣』を駆使して大回転している≪キメラティック・ワイバーン≫をよそに、攻撃の要のフィルフィが得意の体術で敵を打ち砕く。

振り向きざまの回し蹴りで、≪ドレイク≫に牽制すると

「≪竜咬縛鎖(パイル・アンカー)≫」

≪テュポーン≫の二の腕から鈍色のワイヤーが射出。

打ち出された金属の杭が縦に開き、後退する機竜の脚にかぶりついた。

ワイヤーが音を立て引き戻され、自由が失われた≪ドレイク≫に重い一撃が直撃した。

 

 

 

一方その頃。

「おりゃああああっ!」

滅茶苦茶に双剣を振り回すリーシャには、サポート役が板について来たシオンから指示が飛んでいた。

「お前の前世はコマか。リズム放棄してんだったら勝てるものも勝てねーぞ」

 

慣れないうちはイチ、ニ、サンと口に出して素振りをし、成長する過程で自然と一定のリズム感が染みつく。

手合わせ稽古に進むまでは、とにかく馬鹿正直にイチ、ニ、サンを繰り返すのが、傍から見ていたうちのやり方だった。

手拍子でシオンが拍をとってやると、みるみると双剣の軌道に変化が現れる。

筋がいいと見込んでいただけあり、双剣の利点である手数で劣勢だったのを一気に覆し始めている。

 

性能が≪ワイバーン≫、≪ワイアーム≫に劣る≪ドレイク≫に対し、リーシャの≪キメラティック・ワイバーン≫は汎用機竜の5割り増しの性能を誇る。

障害物の多い街中という条件下と相まって、簡単に間合いを制することが出来ている。

 

「ほらほら。変化をつけないと相手は楽だぞ。同じリズムでもたまには裏拍取ったり、もっと緩急つけたりとかさ。守勢に回るときも、次の手に繋がる攻めの守りをしてペースは握ったままにしとけよ」

これほどまでに気楽に助言で来ているのは、フィルフィがいてこそで、一機はリーシャが引きつけているが、残りの三機を巧みな立ち回りで翻弄し、装甲機竜も展開せずに観戦モードのシオンとクルルシファーには、攻撃すら届かなかった。

 

「お疲れ。なかなかイケてたぜ、フィーちゃんさん」

「ん。しーちゃんも」

お互いにグッドサインを送り合う。

演習場に足を運ぶ機会が個人練習の際しかないシオンにとって、武官候補生の実力は謎に包まれていたが、一流の機竜使いでもそうそう操れる人間のいない神装機竜を自在に動かしているフィルフィの腕前は手放しでの称賛に値する。

ふんわり系天然女子の姿からは想像もできない戦闘技術だった。

 

「わたしの勝ちだ!」

視線を戻すと、動力が完全に破壊され横たわる≪ドレイク≫に片脚を乗せ、リーシャが剣を高らかに構えている。

目が合うと、満面の笑みで人差し指と中指を立てた勝利のアピールをしてくる。

 

「雑魚相手にピースされてもな」

言って、シオンは機甲殻剣を拾い上げた。

リーシャが拘束作業を忘れ喜んでいるせいで、こそこそと男は≪ドレイク≫から抜け出し、逃げ去ろうとしている。

見かねたシオンが剣を真っ直ぐ投擲し、男の太ももに突き刺さる。

 

「し、死ぬ――」

「人はそんな簡単に死なねぇよ」

転がって悶える男に刺さった剣を抜いてやると、生暖かい水滴がシオンの服にかかり、赤い色を滲ませた。

縛られている盗人四人のもとまで、首根っこを掴んで引きずって運んでいる最中も、男は泣くような悲鳴をあげている。

 

「うっさい。喉笛掻っ切ってヒューヒューとしか鳴けねえようにしてやろうか?」

顎の下に刃をつけると、男は両の目に涙を浮かべ、痛みを忘れ両手で口を覆い必死に声を押し殺す。

まさに悪戯をしていたら本業のお方に出くわした鼻たれ小僧。

喉がやられたら鼻を削がれ、それから耳を切り落とし、次に眼球をくりぬかれ、一寸刻みに痛めつけられる。

男は顔面蒼白になってぶるぶると全身を震わせた。

 

「もうその辺りでいいかしら?」

クルルシファーに促され、舌打ちを零してから鞘に機甲殻剣を納める。

男を投げ捨てると、出血多量でくたばらないように紐と布で治療し、盗人五人の周りをシオン達がぐるりと取り囲む。

 

「よくぞ応援に来てくれたと褒めてやりたいが、探偵ごっこでもしてたのか? やめておけ姫、お前は現地で活動するよりも安楽椅子がお似合いだ」

丈長い男性用外套、そして独特な形状のハットを被るリーシャは、推理小説から飛び出してきた名探偵そのものだ。

 

「助けてやったのだから感謝しろ!」

「もっと有意義に時間を使え暇人。そっちは?」

「わたしは、寮に入ろうとしたらリーシャ様に無理矢理」

「それはご愁傷さま。末代までこのチビ姫を恨むがいい。俺が許可する」

「なんだその言いぐさは!」

とにかく目立つ容姿をしている三人が、人目もはばからずに騒ぎ立てていれば野次馬が続々と集まる。

クルルシファーが警備兵を連れてきたころには、人の輪が形成されており、中心にたどり着くまでも一苦労。

 

新王国第一王女と、素顔を隠している謎の人物が取っ組み合いにまで発展しそうになっていれば、緩い雰囲気の少女はホットドックを紙袋からまた一つまた一つと胃袋に入れていく。

その傍では数人の男が拘束されており、痴情のもつれかと呟く声もあれば、カオスだと呟く声もある。

 

「ほら。もう行きましょう」

「賊に襲われても手際いいんだな。女だったら腰が抜けて立ち上がれないとか恐怖心が消えず抱き着いてくるとかないの?」

「貴族を狙った誘拐は稀に起こるのよ。この程度では驚きもしないわ」

警備兵に賊を引き渡したクルルシファーに従い、口喧嘩をやめ、ずらかろうとした時

 

「こちらにおいででしたか、お嬢様」

人込みを抜け群衆の最前列に現れた使用人風の女性。

シオンとリーシャが一斉に声のしたほうへ首を捻るも、その女性は全く目もくれずに輪に紛れてきた。

 

「アルテリーゼ、どうしてここに……」

「学園へ伺いましたがお嬢様は不在とのことで、手配した宿へ向かう途中にこの騒動を見かけたという次第です」

バツの悪いように体をこわばらせるクルルシファーが、シオンの無駄にだぼっとしているマントを握りしめる。

アルテリーゼはその仕草を凝然と目で追っていた。

 

「ひとまず場所を変えましょう。ここは人目につきます」

面倒事の予感。

密かに察知したシオンはとりあえず踵を返すアルテリーゼの背に中指突き立てた。

 

 

 

 

 

「肉を持ってこい!」

客であふれかえる店内に入って席に着くと、真横のテーブルをどんと叩くリーシャがそう注文した。

「しゅわしゅわ」

天井から吊るされている品書きから、フィルフィも片手を上げて注文する。

大量のホットドックでお腹は満たされたのか、フィルフィは店の人気ドリンク『しゅわしゅわ』しか頼まない。

 

「彼女はアルテリーゼ・メイクレア。エインフォルク家に仕える執事よ」

アルテリーゼに従って、行き着いた先はあろうことか酒場だった。

紹介に、正面に座った彼女は会釈をするが、右腕を支えに頬杖を突いているシオンは目すらあせようともせず、店内を見渡している。

その無礼な行いにクルルシファーがテーブルのしたから足を踏んでくる。

 

それでもシオンは無関心を崩さないのは、関心の対象がこんな古ぼけた外装の酒場の料理を楽しみにしているリーシャに向けられていたからだ。

レストランで運ばれてくる料理と食べ比べても、味の良し悪しはよほどの味覚音痴でなければ答えられる。

食材からサービスまで、何もかもが劣る酒場だが、馴染みのないリーシャにとっては風変わりな店での外食という体験に心を躍らせているようだ。

 

「お待たせしました」

厚切りのステーキを乗せた大皿がリーシャの前に置かれると、ナイフとフォークを手に取る。

 

「切ってやろうか?」

「手出しは不要!」

行儀よく肉を切り分けていくのを視界の端で捉えるシオンが、メインのほうの話題に交ざるために頬杖を突く手を変えた。

 

「それで、アルテリーゼ・メイクレアさんは何用でこの街に?」

エインフォルク家から派遣されてくる従者との会合は今日ではなかったはずだ。

今回の騙すターゲットの登場時期が早まっただけでやることに不具合は発生しない。

涼しい顔でアルテリーゼの返答を待つ。

 

「ところで――、 その男性はどなたなのですか?」

「私の恋人よ。 素敵でしょう?」

そして寄りかかるように腕を絡めてくる。

恋人同士であるなら自然な振る舞いに、向かいのアルテリーゼはピクリと眉が動いた。

「恋人……ですか?」

にしては恋人に密着されているのに照れも笑いもしないシオンの反応が鈍いことに引っかかりを覚えたらしく、アルテリーゼもそのまま鵜呑みにしているわけではなさそうだ。

 

「彼は新王国では知らない者はいないステアリードの次期後継者、シオン・ステアリードよ。浮浪者みたいな恰好だけれど、腕は確かよ」

色々事実を捻じ曲げているクルルシファーの言葉通り確かなのはシオンの腕だけで、新王国でも知らない者はいる。

義父のオウシンには勘当されたようなものなので、後継者に抜擢されるのも十中八九継承済みであり礼儀正しい好青年のシズマだ。

 

「ほっとけ」

悪態をつき、クルルシファーの足を踏み返す。

机の下の攻防。

アルテリーゼが覗きでもしたら、恋人のフリをしていることが余計に怪しまれる。

 

「あのアリーシアからそう遠くないステアリード家の――まさかお嬢様、彼が『奏者』様で――」

「は? ソーシャ様?」

身を乗り出して食ってかかってくるアルテリーゼ。

クルルシファーもそうだったが、ユミル教国の民衆はステアリード家=アリーシア山脈の認識になっている節は少なからずある。

 

「『奏者』様をご存知ないのですか?」

加えてこの『ソーシャ』様とやら。

 

「そこの旧帝国生まれ新王国育ちの神装機竜コンビ。 ソーシャ様って知ってるか?」

「知らない」

「知らない」

肉を頬張っていたリーシャと、ドリンクだけではやはり満足せず、同じメニューを注文していたフィルフィが一瞬だけこちらをチラ見し、すぐさま厚切りステーキとの格闘を再開する。

 

「だってさ。まあソーシャ様なんて得体のしれない人物は置いといて、本題に移ろう本題に」

適当にあしらわれたことで、アルテリーゼはひくひくと頬を引きつらせる。

全方位に喧嘩を売るシオンのスタイルに、とうとうクルルシファーも諦めがついたのか、ため息を挟み

「あとで彼には説明しておくわ。 ところでアルテリーゼ、随分とお早い到着ね。城塞都市を観光するつもりなら、私が案内役を務めてもいいわよ?」

満面の笑みの美少女が、心のこもっていない台詞を吐く。

抑えきれない黒いオーラが微かに滲み出ている。

 

「おたくのお嬢様ちとキてんぞ。この小娘に断頭台への行進を命じられたくないなら謝っといたほうが身のためだ執事さん」

「キているのはあなたでしょうシオン君。幻覚から覚めて私を見なさい。怒っているように見える?」

「失恋してもいないし薬もやってない。俺はいたって正常で、執事さんに的確な助言をしたまでだ」

ある世界的作曲家の代表曲、幻想交響曲は恋に破れた芸術家が薬物に溺れて見た幻覚の物語である。

第四楽章のタイトルは断頭台への行進……と、かなりマニアックなやり取りに困惑気味のアルテリーゼは言葉に詰まっていた。

 

「探したぞ、アルテリーゼ殿」

笑いを含んだ声がシオンの背中を叩いた。

振り返ることはしなかったが、おおよその素性までは足音で判別がつく。

労働と縁のない歩様からして、ある種の貴人には違いなく、貴族が豪商のどちらか。

ひどく尊大な歩き方で、誰かとぶつかりそうになっても相手が先に道を譲るものと信じて疑っていない。

 

「クロイツァー卿!? 何故あなたがここに? 会食の予定は、明日のはずですが――」

「忘れたわけではないよ。アルテリーゼ殿。だがオレの未来の妻となる少女を、一足先に見ておきたくてね」

 

金の刺繍がはいった、赤い豪華な外套を纏った男がアルテリーゼの背後へまわる。

金の長髪の男は二十ぐらいだろうか。

耳で得た情報通りの、高慢な貴族の男。

顔は作り物としか言いようがないほど端麗だ。

だがそれを台無しにしているのが、薄い唇に張り付く微笑、全てをさげすむような歪んだ笑い。

 

バルゼリッド・クロイツァーと名乗れば、家柄を語り、王都トーナメントの戦歴を語り、店内の客は食事の手を止め緊張が走る。

 

右耳から左耳へと聞き流しているシオンは、よそ見をしているリーシャの皿から肉を一切れ盗み、口へ放る。

 

「うむ、うまい」

「うまい、じゃないわよ」

完全に蚊帳の外となっており、気配を消してつまみ食いしていたシオンの頭をクルルシファーがはたく。

さしものクルルシファーでも、ここまでの事態は計算に入れていなく、言いくるめるのは困難で出番が回ってきたのか。

 

「婚約者候補を連れてきたつもりでも、私には今お付き合いしている男性がいるのよ。ほらシオン君」

「シオンです。よろしく」

だらしなく左手を上げてシオンは挨拶をする。

予定には組まれていなかったエインフォルク家の執事とのお茶会に、婚約者候補まで登場し、ある種の修羅場に巻き込まれたシオンのやる気は低下。

執事単体ならやりようはいくらでもあったが、セットで四大貴族までついてくるとは。

物腰が柔らかい貴族ならともかく、相手はコレだ。

 

解決案その壱 ・愛の逃避行。

惚れてもない女のためにわざわざそこまでやる価値なし。

解決案その弐 ・クルルシファーとの契約破棄。

既に学園の花壇に植える草花を大量に頼んでしまっているため、報酬が受け取れなければ資金調達しなければならなくなる。

解決案その参 ・バルゼリッドを物理で脅し、クルルシファーとの婚約解消。

その場限りの取り付けに過ぎず、数年後暗殺手配にかけられる。

 

どれもこれも却下、かくなる上は――

「なあ業突く張りな公爵家のお坊ちゃま。わざわざ出向いてもらって悪いんだけど。こいつ、俺のなんだよね」

クルルシファーに肩を抱いて、ぐっと引き寄せる。

あまりにも大胆な行動に、その場にいる全員の注目がシオンに集まる。

 

「ヒトの女に手を出すんじゃねえよ、低能が」

平常運転全方位に喧嘩を売るスタイル。

標的変更、多大な影響力と権力を持つ四大貴族の嫡男。

ぬるま湯につかってきた貴族には、やはり負ける気がしなかった。

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