世の中投稿したもん勝ちっしょ。
というわけで私は編集を二の次にして甘酒を貰いに行ってきます。
一般生徒戦の一年の成績が悪い。
優雅に応接室で紅茶をすすっているシオンの片手には、校内戦二日目までの成績表が握られていた。
二年はルクスの奮闘のお陰か、それとも強化が施された装甲機竜のお陰か、予想以上の善戦してはいるものの、勢いに乗じて追い抜けるほど三年は甘くはなく、点差を保つのがやっとというのが現状だ。
言い方を悪くしてしまえば一年は足手まとい。
それでもシオンが副担当をしているクラスからは、ペア戦と個人戦で一つずつの勝ち星を稼いでいる。
きらきらと輝きを放った瞳で勝者三人から約束をせがまれたので、後日遊びに行く予定を立てることになった。
「果てしないほどに金欠だ」
うんざりしたような顔つきで両足を投げ出し天井を仰いだシオンに、ルクスは呆れ笑いを浮かべた。
「そりゃ毎日毎日出掛けてたらね」
「派手な女性関係に浪費癖、そして奇行、この三つの性質をもつ芸術家こそが真の芸術家なのだよ」
「じゃあその三点に当てはまるシオンはまごうことなき真の芸術家なんだね」
「そんな褒めるなよ。照れちまうだろ」
「褒めたつもりはないんだけどね……」
そんなやり取りをしていると、ルクスはこてりとソファーに横になった。
ルクスも午前と午後に試合が組まれていて、シオンと同じく二戦二勝。
攻撃を繰り出さないスタイルは徹底し、リーシャが開発した新武装『
あの褐色少女サニアにも勝利を収めた。
ただし想像以上に集中力を要するため、疲労の色は濃く現れていた。
「はぁ、明日が休養日で助かったよ。アイリに叩き起こされないでたくさん寝れる」
今にも目を閉じてしまいそうなルクスは、欠伸を噛み殺しながら言った。
毎晩添い寝をしてあげていると、シオンは同部屋のフィルフィから報告を受けている。
あのたわわに実った果実に挟まれてすやすやと眠るルクスのことを考えると、無性に殺意が湧いて来た。
「でさ、シオンが僕を呼んだのは?」
学園には二種類の門限がある。
一つ目は学園の正門を閉める時刻の事。
二つ目は寮の寮の出入り口の鍵を閉める時刻の事。
ルクスがテーブルにそっと置いた懐中時計が狂っていなければ、そろそろ本題に移らなければ応接室か野外で一晩過ごさなければならなくなる。
「ちょちょいと裏工作をしてセリスティア戦は明後日、タッグマッチで決定しました。やっぱり持つべきものは金と権力だな」
「……レリィさんもグルなんだよね」
シオンは黙ってうなずく。
中立を保たなければならないはずのレリィの肩入れもあり、命運を分ける一戦ついに実現することになった。
「点差は離れているがセリスティアを沈めることに成功すれば、実質勝利したもんだ。楽勝楽勝」
「成功すれば、だよね。セリス先輩はこれまでとは桁違いの強敵だよ」
「サニア・レニストというハンデを背負ってうちのエースコンビに勝ったんだ。無策で特攻するほど俺も愚かではないさ」
勝利を確信したような目つきのシオンは三本の指を立てると、まず薬指を折る。
「プランA、俺がセリスティアを捻じ伏せて、ルクスさんが相方……恐らくシャリスの姐御を捻じ伏せる」
「結局特攻じゃないか」
中身がない作戦を提示されたルクスは裏切られた気分になったようだが、中指をおったシオンは端的に続ける。
「次にプランB、試合開始直前に、俺がセリスティアに愛の告白をする。そして男慣れしていないあいつが動揺している隙に叩く」
誰も考えつかないであろう突飛な作戦を言うシオンの表情は真剣そのもの。
目的が勝利のみだったなら、その案に乗るのも悪くはないが、株が大暴落するのは明白だ。
ルクスは首を横に振ると、シオンはわざとらしく舌をうつ。
「注文の多い野郎だな。まともな攻撃手段さえありゃ、いくらでもやりようはあるってのに」
「ぐっ……。で、でもリーシャ様が作ってくれた『障壁牙剣』のお陰で――」
「新技で対抗しようとするなら、せめて切り札として隠してほしかったですね。神装と特殊武装を披露したセリスティアに対してフェアじゃないとかいう理由で、奥の手としてとっておかなかったルクスさんのせいで負けないことを祈るばかりです」
付け焼刃でどうにかなるほどセリスは甘くはないだろう。
初見ならば対策のしようがなく、決め手としても有効だったと思うことはできても、ルクスが見せびらかしてしまったのだから計算には入れないでおこう。
まあ障壁牙剣を使わなかったら使わなかったで、サニアにいいようにやられてしまっていただけなので、そこまで責める気にもなれんが、防御と回避に特化していないで攻撃をしろとだけは言ってやりたい。
「シオンの足は絶対に引っ張らないようにする」
そう断言するルクスは、やけに頼もしく見えた。
忘れていた。
普段はなよなよしていて周りに流されやすく、罵声を浴びせられても笑ってごまかすこの男も、皇子として生まれながら自国を滅ぼした、やる時はやる男なのだと。
「プランCは?」
「聞いて驚け。ルクスさんがセリスティアと姉御を引き付けて……」
「うんうん」
「三人まとめて俺がぶっ潰す」
「うん。一応言っておくけど僕はシオンの味方だからね」
どうやら最強戦術はお気に召さなかったようだ。
「じゃあもう作戦なんていらねえよ。俺は好き勝手暴れるから、ルクスさんも好きにやってくれ」
「結局そうなるんじゃないかと思ってたよ。予め作戦立てても、どうせ本番じゃ実行するのか怪しいもん。絶対面倒くさくなって、最短で勝利を掴み取りに行くでしょ」
ルクスはよく分かっていらっしゃる。
その場面になったら、内容より結果を重視して、とりあえず勝ちゃいい精神が働いてしまうのは否定はできない。
「じゃあ無意味な時間を過ごしてしまったことだし、僕はもう戻るね」
そうして、いかにも睡魔に負けそうですといった足取りで、ルクスは部屋から出ていこうとする。
まだ本題についての報告が残っているシオンは、寝転がったままソファの端から顔を出してルクスを引き留めようとする。
「お得な情報をタダであげようとしてるのに、聞いていかないんですか?」
「また明日じゃダメ? ほんと今日は疲れてるの」
「つれないねえ」
けらけらと笑うシオンをスルーして、ルクスは立ち去ろうとする。
だが、次に放たれた魔法の言葉が、強制的にルクスの頭を覚醒させた。
「フギルは生きてるよ」
校内選抜戦の休息日。
緊急時以外の装甲機竜の使用は禁止させられていて丸一日休みが貰える。
空は雲一つない快晴で絶好のお休み日和といえるこの日の学園はゴーストタウンのような静けさだ。
貴族令嬢とはいえ模擬戦の疲労を回復するのに昼頃まで眠り続ける者も多く、普段は騒がしい学び舎には、気まぐれで足を運ぶ生徒しか見かけない。
だからこそ、余計に投げ出したくなる。
皆がぬくぬくと休んでいるのに、自分が働いているのはおかしいと叫びたくなる。
「ほら、そうやってすぐ手を止めない」
「へいへい、悪うござんした」
虚ろな瞳で機械的に業務をこなすシオンと、その監視役のサヤカががいるのは学園長室。
いつもは学園長兼理事長のレリィが座っている肘掛椅子に深く腰掛け、膨大な量の書類の整理をしていた。
契約書とか誓約書とか同意書とか申告書とか申込書とか。
何に対しての書類かはさっぱりだが、種類ごとに纏めておけと言いつけられたシオンは、嫌々ながら散らばった紙と向き合っていた。
こういった雑用はルクスに押し付けるべきなのに、名指しで指名して監視者まで送り込んできたレリィを恨む。
「こんなん一人じゃおわんねーよ。もうお終いだぁ」
「とやかく言っていないで手を動かしなさい。集中すれば短時間で終わるわよ」
「昨日あんなに頑張ったのにこの仕打ちはひどいぜ。俺の休養日はどこにいった」
と、つべこべ言いつつも、作業が停滞することはない。
散らかり放題でかさばった書類を日付順に並び替えるのは、最初は丸一日かかるのではないかと絶望していたが、やれば案外早く終わりそう。
口も動かしながら地道な作業に取り組んでいると、徐々に枚数が減っていき希望が見える。
そうであってもやりたくない仕事はやりたくない。
こんな事に時間を費やしたくもない。
「おトイレに行きたい」
「我慢しなさい」
サボりの常套句に対して、すぐ隣で見張っているサヤカが即答する。
「いい歳にもなって漏らせと申すのか」
負けじと食い気味に発言するが。
「早く終わらせるか、諦めて漏らすのかのどちらかにしなさい」
鬼の血でも流れているのかこの女は。
究極の二択を提示されたシオンはとうとう折れ、整理に全霊を注ぐことを決意した。
愚痴を吐かなくなったことでサヤカの口数も減り、少し経つと紙が掠れる音のみが室内に響く。
何だろう、この微妙な雰囲気は。
基本的にサヤカといると叱られてばかりだが会話が尽きることはない。
その日常に慣れてしまっているためか、この無言の時間は非常に居心地が悪い。
五年前のクーデター末期に起こした、帝国軍の野営地への奇襲。
始末し帰宅してからの数日間は、サヤカと顔を合わせても一切口を聞かなかったので、作業しながらも頭の片隅で当時のことを思い出す。
あの一時期は悲惨だった。
アダマンタイトよりも強固なメンタルと自負しているシオンさえも、あまりの気不味さに外出する時間が増え、日が暮れているのにぐれた不良少年のようにぶらついていた。
そんな時に探しに来てくれるのがサヤカなのだ。
家族揃って食べる晩御飯の時間だからと、引っ張ってくれた手の温もりは忘れてはならないような気がしている。
善行を積み重ねてきたわけではないのに、今も昔も環境に恵まれていて来世が不安になる。
「お父さんもね、心配しているのよ」
頬杖をついて目線を落としているシオンには、サヤカがどんな表情をしているのかは伺えない。
心配しているから顔を出しに帰って来いという願いが込められていたとしても、叶わぬ夢が置き去りにされているあの家には戻りたくはなかった。
「しーおーりーーーん!」
曖昧に濁すこともせず無言を貫いていると、開けている窓からハツラツとした声が入ってきた。
サヤカと目を合わせると、「確認しても良し」の合図がなされたので、立ち上がったついでに伸びをしてから窓枠に手をかける。
地上には大きく両手を振っているティルファーの他、シャリス、ノクト、アルフィンが集結している。
「お仕事中悪いんだけど、ちょっとしおりんにお願いしたいことがあってさ」
「絶賛お仕事中なんだが」
「速攻で片づけて降りてきて!」
用件を先に言って欲しくもあったが、特に今後の予定もないので暇つぶしには丁度いいかと気持ちを入れ替える。
クルルシファーは月に一度の面談のためにユミル教国の庁舎に訪問しているので、特にこれからの予定が立て込んでいるわけではない。
学園長用の豪華な椅子に座り直したシオンは、テキパキとした働きぶりで山のように積まれていた書類を片づけ、最後に重しを置いて終了。
満足げに頷いたサヤカから『遊びに行って良し』の合図が出たので、窓から直接飛び降りるショートカットを披露する。
と思いきや、そんな突飛な行動をとってしまうと確実にサヤカの説教を受けてしまうので、大人しく正面玄関から外に出て、木陰で休憩しているティルファー達の傍まで駆け寄る。
「せっかくの休息日なのに君も大変だね」
「No, 毎日遊び呆けているシオンの自業自得なので、労をねぎらう必要すらありません。ざまあみろです」
同情をしてくれていたらしいシャリスに、日に日に容赦がなくなっていくノクトが被せる。
セリスを支持しているシャリスとは立場上対立していても、休息日には三和音で固まっている。
長年かけて築き上げてきた友情は美しいと柄にもなく思っていると、三和音の次女ティルファーが背中に飛び乗ってきた。
香水のしっとりとした甘い香りが鼻腔を擽くすぐる。
「じゃあ主役が登場したので、出発進行!」
オシャレにも気を使っている一面に、機竜使いでありながらも年頃の女の子なんだなと思う一方で、平らなお胸の感触にシオンの瞳から光が消える。
残酷な格差、どうせ抱き着かれるのだったらシャリスが良かったと非常に失礼な考えをしているシオンは、じーっとこちらを凝視しているアルフィンへ声をかけた。
「ご用はなによ」
「指名依頼が届きましたので、そのご報告に」
「内容は?」
「ついて来れば分かります」
「別にサプライズを受けたいわけではないから教えろ」
「シオンの得意分野なので大丈夫です」
何が大丈夫なのか。
遠回しな物言いで、一人で自己完結するのは、理解が追い付かないからやめてくれ。
右腕をシャリスに、左腕をノクトに拘束されて、ティルファーによって背中を押されるシオンが連れていかれたのは学舎の地下。
三和音に張り付かれているため、狭い階段を身を寄せ合いながら下りていくと、シオンは思わず足を止めた。
「なるほどな」
断片的に得た情報からは具体的な依頼内容までは見当はつかないが、この先に何が待ち受けているのかは理解ができた。
耳を澄ませば、厚みのある音がシオンの全身を駆け巡った。
その音をきっかけに、幾つもの楽器の音が混ざり合っていく。
オーボエの『A』から始まる音合わせが、ここまで気持ちを高ぶらせてくれるなんて、自分の音楽好きも大概である。
「で、そっちの目論見は?」
「目論みとは人聞きが悪いな。ちょっと方針が定まらずに困っている部活を助けるために、音楽家としてのシオン君の手を借りたいだけさ」
「ほう、そりゃ興味深い話ではあるな」
その返答でようやく、アルフィンの計画の全容を把握することができた。
時は遡り、シオンが書類の大軍を前に眩暈を起こしている頃。
「指揮者不在の合奏部ですか……」
石壁で囲われた地下室には三十人前後の人々が集まっていた。
普段は音楽を学ぶために使われるこの地下講堂は、放課後や休日になると数少ない部活の内の一つ、合奏部に貸し出されているらしく、指揮台に立つアルフィンの目の前に並ぶ生徒たちがその部員だという。
「昨年までは先輩が――卒業生が役割を担ってくれていたそうだが、後任が中々決まらなくてね」
「Yes, 結局立候補者すら出ず、学園祭の曲目を確定する以前の問題となっているのです」
『騎士団』に所属しているはずのシャリスとノクトが説明をしてくれるが、ティルファーを含めた三和音が管弦楽団に関与していることに、アルフィンは怪訝そうに首を傾げた。
「『騎士団』のメンバーは部活の所属が禁止されているはずでは……」
「甘いなーアルフィンは。わたし達は部員じゃなくて助っ人。助っ人なら規則違反ではないんだよ!」
要するに、三和音はエキストラで参加しているのだと、腕組をするティルファーは語る。
三和音などという名がついているからには、音楽に造詣があるのだろうとは予想していたが、学園名物の多才さには驚かされる。
実際、昨年に続いて三和音の他に一般生徒から参加を希望する人もいるようだが、替えがきかない指揮者だけはもうお手上げの状況のようだ。
「私が呼び出された理由は、シオンの勧誘ですか」
「話が早くて助かるよ」
音楽に精通していない者からすれば、指揮者なんて「何をやっているかさっぱり分からない職業」の代表格だ。
拍を叩くだけなら、音楽を齧ったことのない者でも出来る。
が、曲を通して纏め上げるのは齧った程度では不可能に近い。
アルフィンはちらりとヴァイオリンを抱える少女たちの列に目を配る。
この中にはいないというわけだ。
もしここにシオンがいたとするなら、指揮者がいないから音楽が成り立たない、のではなく、指揮者か第一ヴァイオリン首席奏者がいないから音楽が成り立たない、と言うだろう。
どちらか片方がいることが絶対条件だと、シオンは良く口にしていた。
「あたしは大反対」
話をすれば協力はしてくれるシオンを、全員が全員快く迎えてくれるとは限らない。
一、二年だけならまだしも、敵対中の三年もいるのだから、二つにくくった明るい茶色の髪が特徴的な少女の主張が上がるのは当然であった。
蝋燭の灯りを反射させる金管を膝に乗せ、勝気そうなトランペッターがアルフィンを睨んだ。
「王都でオーケストラを率いていた実績は純粋に素晴らしいと思うけど、指揮者と演奏者の間には揺るぎない信頼関係が不可欠よ。あたしはあの男が信頼に値する人間と認めることはできない」
シャリスから事前に下町で結成しているオーケストラについての話はされているようだが、知り合ったばかりのシオンに信頼を委ねることができる人種なんて頭のネジが一本二本外れている。
主に下町の住人がそれに該当する。
「君の言うことにも一理あるが、それなら指揮者はどうする。これ以上先延ばしにしてしまえば、最後の晴れ舞台を台無しにしてしまうかもしれないが?」
「あたしが指揮者として立てば解決する」
「その心意気は買ってやりたいところだが、自分を殺してまで押し通す決断ではないよ。適任がいれば適任に頼む」
部外者でありながらも輪に混じって説得をするシャリスは、消去法で指揮者になろうとすするのを何とかして防ごうとしているみたいだ。
数日で学園を去るかもしれないシオンに指揮を任せようとするシャリスへの反論も勿論あったが、その場しのぎでもいないよりはマシという理由で、納得していない面々がいながらも、結局迎え入れることになった。
顔見知りの数名が呼びに出ると、音の調節が容易にできないオーボエの『A』の音に全体が合わせるようにして行われるチューニングの途中で、シオンが姿を現す。
「どうぞ」
「あいよ」
指揮台に足をかけるシオンに、アルフィンが指揮棒を手渡した。
シオンは己の服装に一瞬顔を顰めたが、何かを諦めて指揮棒の重心を親指と人差し指で挟み、残る三本の指で握りを包む。
台上から見渡しすシオンに反発する部員も潜む中、アルフィンは丸く収まるだろうと楽観的に眺めていた。
傍でこれまでの無謀ともとれる音楽活動を見守ってきたアルフィンだからこそ、結果まで見据えることができているのだ。
「大体の話はシャリスの姐御から聞いた。だが俺が来たからには大船に乗ったつもりでいてくれていい」
――機竜使いでなければ音楽家になっていたような女の子
その一文はシオンにも当てはめることができる。
何も弾かない、吹かない、叩きもしない。
それでも白い指揮棒を振れば演奏者が奏でる旋律を自由自在に操りる音楽の化身となる。
剣と出会わずに大陸の音楽と出会っていれば、音楽家になっていただろうシオンの隣に立つアルフィンはふと思い出す。
今年の新王国記念祭でシオン率いる楽団は、国立公園で演奏することが決定されているのだが、その設立者兼常任指揮者が不在であることを。
「あたしは絶対に反対。そんなのに任せるくらいなら私が指揮台に立つ」
「そんなのとは失礼だな」
しかし当人はすっかり忘れているのか、シオンは先ほどの少女の発言におどけるように肩を落としている。
「昨日今日あったばかりの人に指揮を委ねるほど私たちは安くない」
プライドというよりは帰属意識の高さから突き放そうとしている彼女の頑固さにシオンに続いてシャリスも肩を落とした。
「りっちゃんもうちのセリスに似て融通が利かない性格をしているね。まあそこが可愛いところでもあるんだけど」
「あんな堅物と一括りにしないで。正直人手はいくらでも欲しいから力仕事要因でも、足りてないパートでもいいなら役割は与えられる。でもその席は絶対にダメ。これは合奏部の音楽であって、あんたの音楽じゃないの」
りっちゃんとあだ名で呼ばれた少女が危険視しているのは、シオンが男であるということなんかではなく、タクトを振るった場合に合奏部に及ぼす影響。
指揮者は楽譜を元にどのような音楽を作り上げるかを考え、それを個々の楽器を担当する演奏家に結びつける。
もしシオンが彼女らを導けば、それは合奏部の音楽ではなくシオンの音楽になってしまう。
そうなってしまう事態を防ぐべく、警戒の色が強い険しい目つきを投げかけているのだ。
「勝気な女は好みではないが、演奏家としてなら別だな。りっちゃんとやら、構えな」
何か面白いものを見つけたようにシオンは言った。
すぐこのような対話方法をとるのは悪い癖だと思ったアルフィンは指揮台の隣から壁際に移動する。
「どうして私が……」
「音楽家に言葉は不要だ。どうしても言いてえことがあるなら黙って楽器を構えろ。そして音で語れ」
その言葉に少女は反論し欠けたようだったが黙り込んだ。
結局黙ったままのりっちゃんは観念したように、どこか寡黙な人間のように横たえられているトランペットのトリガーに指をかけた。
やめておけばいいものを。
アルフィンの心中など知らないトランペッターは重量感のあるマウスピースを吹き口にはめ、バルブを解放したまま息を吹き込んだ瞬間、体内にまで響くようなトランペットの音色が室内に轟いた。
威嚇じみた咆哮に全く動じないシオンを一瞥したりっちゃんは、一旦マウスピースから唇を離した。
「それで、私は何を吹けばいいの?」
「なんだっていいさ。お前が吹きたいように吹けよ」
これといった指定がなく、彼女は途惑ったのかこちらを向いてくる。
通訳ではないアルフィンはただ首を横に振ることしかできない。
だがすぐにりっちゃんは正面に顔を戻した。
不意にシオンが両手をあげた。
その何気ない仕草が合図となり、再び少女はマウスピースに口元を当てる。
トランペットとはオーケストラの中では最も音が通る楽器だ。
他の楽器と違って指揮者や聴衆に向かって直線状に音が放たれ、それがソロパートともなれば、静寂に一人で切り込む勇気が必要になる。
また肺活量も必要になるため、体力と精神力が他の楽器以上に必要となってくる。
だから強気ではっきりとしている、折れにくそうなタイプのトランペッターを好むシオンが彼女を気に入るのは至極当然なことであった。
そしてシオンの指揮棒が空気を両断するかの如く振り下ろされる。
降下するシオンの手を追うようにして奏でられたのは、力強いフォルテから始まる勇ましい旋律だった。
実は裏で合わせてきたと誤解されてもおかしくはない正確な入りに感嘆の声があがるも、それは明瞭な音色にかき消された。
インスペクター的な役割を担っていたアルフィンには聞き覚えのある、トランペットの咆哮で再現される地を蹴る蹄の音。
全てを上演するとなると半日以上を要する四部作にわたる壮大な楽劇。
その第一夜目、第三幕で初めて演奏される、舞台の中で一番知名度の高い楽曲の冒頭のソロを冷静に聞き分けていたアルフィンだけは見逃さなかった。
軽快なタンギングとともに流れる調べは、空気自体を鼓舞するように震わせ室内を蹂躙するが、指揮者と対峙する少女の瞳には恐怖が宿っていた。
明瞭で真っ直ぐな音は途切れることなく朗々と続いていても、その緊張は音に乗り伝わる。
大きく見開いた双眸に写るシオンをどう捉えているのか。
それは同じ舞台で共演しているりっちゃんただ一人にしか感じることはできず、聴衆と化しているその他大勢は、明らかに暗譜している指揮棒の動きや、少し変わった自由打法に気を取られてしまっていた。
ただ幾人かの部員は何かしらの引っかかりを覚えたようで、怪訝そうに眉を顰めて、目だけでやり取りをしていた。
多分シオンにではなく、演奏に対して三年の部員は思うところがあったのだろう。
元々の演奏を聞いたことがないから分からないが、耳が肥えているアルフィンが評価するなら荒い。
しかし素晴らしい音であることは疑いようがなかった。
五十九小節のクレッシェンドから六十小節に移り変わるタイミングでシオンのタクトは跳ね上がる。
呼びかけに答えるのは、天井に向かって上げられた歪みのないベル。
勝ち目のない戦いに赴くような表情で、必死の形相で食らいつこうとする演奏者は、明らかに指揮者の振りに呑まれている。
変な所で才能を発揮するのはやめてほしい。
心底楽しそうに指揮棒を振るうシオンに届かないと分かっていながらも、アルフィンはそう念じてみてみるのだった。
大抵シオンがハマり込むものは、自身の信念に関係している。
即ち、強さに帰結する。
純粋な音楽家としてならさほど評価されなくとも、異なる角度からならシオンが構想する音楽の独自世界は一定の評価を得ることは間違いない。
だからアルフィンは憐れむのだった。
光に導かれることのない、たった一人で戦場に迷い込んだトランペッターを。
次ば土曜か日曜に投稿します。