勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第19話-09(終) 反撃の狼煙

 

「オラァ!!」

 緋女が走る! カジュという荷物を抱えたまま超音速で間合いを詰めるや、奥義“斬苦与楽”を纏った太刀で横薙ぎの一閃。魔王は軽く息を吐きながら半歩後退して身をかわす。が、甘い。そこから緋女の剣は半歩()()()。彼女の足捌きは魔王のそれなど及びもつかない高みにある。わざと最適距離の半歩手前から打ち込み、対手に間合いを見誤らせたのだ。

 避けきれない、と悟った時には既に死地。魔王はやむなく《瞬間移動》で後退。その出現地点へさらに攻め寄せる緋女の眼前に、次々立てられる防御の術。だが緋女は止まらない。《石の壁》を()き斬り、《水の衣》を蒸発させ、ついには何人にも干渉できぬはずの《凍れる(とき)》すら両断する。緋女の炎はただの火ではない。この世のあらゆる概念を喰らい尽くす神話の炎。その恐るべき熱量が、凍り付いた時間を融かしたのだ。

 あの炎剣を術で防ぐのは不可能と断じるや、魔王は三度目の《瞬間移動》で追撃を避け、10m以上もの上空に出現した。いかに卓越した技量を持とうと緋女はしょせん一介の剣士。自力で空を飛ぶことはできないし、カジュは魔力枯渇でサポートする余裕もあるまい……というより、カジュは緋女の腕の中でぐったりうなだれ、失神しかけている。

「こ……の……アホ犬ーっ。ひとを抱いたまま音速突破するやつがあるかっ。」

「あ。(わり)(わり)ー、ちょっとはしゃいじゃって♡」

「『て♡』でひとを殺す気かっ。あーいや、それより魔王(あんなの)と遊んでる暇はないんだ、抵抗軍(レジスタンス)がヤバいっ。」

「心配ねーよ」

 空中から冷然と見下ろす魔王へ、緋女は不敵な笑みを向けた。

「めちゃくちゃ強くなってんぜ、()()()

 

 

   *

 

 

 死霊(アンデッド)の大軍が、一直線に峠の入り口へ突入する。草むらに偽装した逆茂木も、幾重にも張り巡らせた木柵も、砂の城を踏み潰すが如くに蹴散らして、おびただしい数の骸骨(スケルトン)が峠道へと雪崩れ込む。

 両脇を断崖に挟まれたこの隘路(あいろ)を抜ければ、抵抗軍(レジスタンス)拠点のある森は目と鼻の先。第2ベンズバレンからの難民を大量に抱えた今、避難はとうてい間に合わず、まして防衛なぞは望むべくもない。これから始まる殺戮の予感が、地鳴りとなって山を揺るがす。

 だがその時、死霊(アンデッド)軍を見下ろす崖の上で、ひとりの男が立ち上がった。

 眼は死体の如く冷え、唇は石くれの如く乾き、息は病み人の如くかぼそい。立ち込める寒気と鳴り響く軍勢の足音の中へ、糸引くように白く息を吐き、男は背の大剣の柄を握った。

「砂塁はすぐに崩れるが、山林の土砂は容易なことでは流れない。

 なぜか?

 それは、森が育てた土壌の粒子が互いに結合しあっているからだ」

 低く独り()ちながら、男は剣を地面へ突き立てる。銀よりも白金よりも清純なる女神(ドゥニル)鋼の魔剣。森羅万象に死をもたらす、“勇者の剣”の切っ先を。

「ゆえに、その結合力を殺す!」

 ()()の命を受け、剣が白光を(ほとばし)らせる。幾筋もの光が伸び、折れ、数え切れぬほどに分岐して、大樹の根の如く土壌の中を駆け巡る。これは《死》の光。《死》は全てに訪れる。生物だけにではない。物体にも、記憶にも、歴史にも、見ることも触れることもできない概念にすらも、《死》はいつか手を差し伸べる。

 避けられぬ《死》の抱擁を受け、土砂の結合を殺された崖が、砂山さながらに崩れだす。

 魔王城から《遠視》していたミュートが異変に気付いたときにはもう遅い。死霊(アンデッド)軍に後退命令が届くよりも早く、土砂の洪水が骸骨(スケルトン)を、屍鬼(レブナント)を、巨大な不死竜(ドレッドノート)をも、圧砕しながら飲みこんでいく。

 もうもうと立ち込める砂埃が収まったあとに見えてきたのは、崩れた山の下へ埋葬された死霊(アンデッド)どもの末路のみ。

 吹き抜ける乾いた風に身を晒しながら、()()()()()()()は右手の指を微かに震わせた。

「……あまり無駄使いはできねェな」

 

 

   *

 

 

「……そうか。いや、君の責任じゃない。ああ。一度戻るよ」

 魔王は緋女を睨み下ろしつつ、嘆息交じりに呟いた。ミュートからの《遠話》によれば、抵抗軍(レジスタンス)の撃滅作戦は失敗。それどころか、先手を打って完全に潰したはずの()()が、今になって舞い戻って来たという。

「……旧魔王ケブラーの苦労が分かった気がするよ」

 魔王は眉をまげて苦笑した。

「“魔王はどうして勇者が成長するまえに殺さないのか”……そんなのは典型的な後知恵だね。事実、ケブラーの二の舞とならないために僕は初手で勇者を殺した。なのに今度は思いもよらない所から新たな脅威が湧いてくる。

 生態系と同じさ。ひとりの英雄が滅びれば、誰かがその隙間(ニッチ)を埋める。結局、大事業を成し遂げるには、次々持ち上がる難題へひとつひとつ立ち向かっていくしかないんだろうね」

 魔王が斬り落とされた右腕を一振りすると、その傷口から新たな腕が生えてくる。指を曲げ伸ばしして具合を確かめ、新品の手に満足すると、魔王は眼下のふたりへ慇懃に辞儀してみせた。

「また会おう、新たなる勇者諸君。

 次こそは、全ての決着をつける時だ」

 背後の虚空から闇色の霧が噴き出し、渦巻きながら魔王を包み込む。その暗雲が晴れたときには、もう魔王は忽然と消え失せていた。

 後に残ったのは雲ひとつない晴れやかな青空。戦いの後の澄み切った静寂のみである。

「逃げられた。ま、しょーがねーか」

 緋女は太刀を口元へ持ち上げて、蝋燭の火でも消すかのように、(ローア)の炎を吹き消した。そのまま鞘へ納めようとしたところで、カジュの様子がおかしいことに気付く。彼女は緋女の腕の中で絶え間なく震えながら、頬をこちらへ押し当て続けているのだ。

「……カジュ」

 緋女の指が、カジュの髪と耳たぶを撫でる。

 5ヶ月ぶりの優しさに、カジュの眼から涙が落ちた。

「……四百二十五人。」

 ずっと、ずっと、たったひとりで(こら)え続けてきたものが、カジュの口から溢れ出る。

「四百二十五人……救えなかったっ……。」

 むせび泣くカジュの身体を、緋女はただ、言葉もなく抱きしめたのだった。

 

 

   *

 

 

 魔王城直下、はるか地底の奥深くに、広大な半球状の空間がある。

 古代魔導帝国の都市遺跡。かつてベンズバレン建国王はこの遺跡から様々な魔法の品を持ち出し、その力によって独立を勝ち取った。昨年に第2ベンズバレン近郊で発見された遺跡もこれと同質のもの……というより同じ施設の一部であるらしい。もとはこのハンザ島全体がひと繋がりの巨大な空中都市だったのではないかと研究者たちは推測するが、調査は進んでいない。遺産の流出を恐れた王国政府によって遺跡は固く封印され、存在自体も秘匿されてきたからである。

 王都を占領した魔王クルステスラは、この空間を自身の研究室に仕立て上げた。この5ヶ月、彼はこの場所で未知の儀式に取り組み続けてきたのだ。

 暗闇を頼りなく照らす魔法の灯り。床に刻まれた精緻極まる魔法陣。その中央に直立し、魔王は、目の前にうずくまる()()を見上げている。

「カジュの言動。

 《火目之大神(クレイジー・バーン)》の現出。

 そして《月魄剣(つきしろのつるぎ)》の継承者……」

 巨大な、ひどく巨大な()()が脈打つ。生物? このような生物があろうか? 体躯は山と見紛(みまご)うばかり。大きすぎる自重を支えきれぬ骨肉は崩壊と魔術による再生を繰り返す。皮膚も備わらず、血管も剥き出しで、ただ巨大な心臓だけが異様な熱をもって律動し続けている。

 このおぞましき()()こそ、この世界に完全な滅尽をもたらす魔王の切り札。そのはず、だったのだが。

()()()()()()()()()()()

 魔王の眼に、浮かびあがる疑念。

「どういうことだ、《悪意(ディズヴァード)》……」

 

 

   *

 

 

 執務室の窓辺に佇み、右往左往する魔族たちを眺めながら、コープスマンは満足げに笑っている。勇者。(ローア)。魔王。魔神《悪意(ディズヴァード)》。長い長い時をかけて打ち続けてきた布石。ついに全ての駒が、手を伸ばせば届くところにまで出そろった。

「いよいよだ。僕らの計画が実を結ぶ時は近い」

 ひょいと脇に視線を落とせば、道化の仮面が物憂げに虚空を見つめている。シーファは鞘口に手をかけて、(つば)を浮かせ、納め、浮かせ、納め。落ち着きなく金音を響かせる。目を細めたコープスマンの、顔面に浮かぶものは純然たる悪意。

「楽しみだねえ、シーファちゃん? うふふふふ……」

 

 

   *

 

 

「んがっ。」

 鼻を鳴らしながらカジュは目を覚ました。

 高いびきで眠り眠って目覚めた時には翌々日の昼下がり。実に2日半も眠りこけていたことになる。起き上がってみるとそこは戦陣の天幕の中。草の上へ布を重ねただけの簡易ベッドに寝汗がじっとりと(にじ)んでいる。外から聞こえる慌ただしい人の足音。幕の隙間から滑り込んでくる活気の風。

 王宮のお姫様ベッドほど豪華ではないが、こっちのほうがどれほど居心地よいだろう。

「おっはよー!」

「腹減っただろ。ちょうどできたとこだ」

 どこか懐かしい呼び声と食欲をそそる香りに目を向ければ、緋女とヴィッシュが食事を運び込んでくるところだった。緋女がスープの鍋を木板の上に置き、すぐにまた立ってヴィッシュのパン籠を代わりに持つ。

 カジュはこの時ようやく気付いた。ヴィッシュが右足を棒のように引きずっていることに。

「その足……。」

「ああ。死を招く剣の副作用ってやつだ」

 ヴィッシュは緋女の隣に腰を下ろし、袖をまくり上げた。右手の指先から筋肉が骨状に変質している。驚いて見上げれば、苦笑する彼の頭髪も右1/3ほどが灰白色に染まり切っている。

「末端から少しずつ()()らしい。右の爪先から(すね)までと、肘から先はもう使い物にならない。

 まあ心配するな。不思議なことに、勇者の剣を握ってる時は元通り動くんだ」

「……お腹空いた。ちょうだい。」

「おっけー」

「コバヤシから話は聞いたよ。カジュ、お前ひとりに……」

「すとっぷ。」

 ヴィッシュのそばに膝を寄せ、カジュは彼の唇を人差し指で塞いだ。仲間たちの間に尻をねじ込み、緋女が注いでくれたスープの皿を膝の上に載せる。

「“苦労かけたな、すまなかった”……なんてのは、全部やりきってからにしようよ。お互いに。」

「……だな」

「ほらヴィッシュのぶん! 自分で食える?」

「ありがとう、左は動くよ。で、魔王の方は?」

「期せずして裏が取れた。ヴィッシュ君の読みは当たってる。魔王(クルス)の本質は学生時代と何も変わってない。徹底的な利他性。常識を解さず、だからこそ大胆で的確な行動。最終目的も読めたし、魔王軍内の人間関係もはっきりした。」

「勇者の剣。あたしの奥義。カジュが整えてくれた舞台。全部予定通りだよな」

「ああ。ピースは全て出そろった」

 頷き交わし、3人はパンにかぶりつく。むさぼるようにスープを食らう。食糧の乏しい戦陣の食事だ。焼き固めて何日も経ったパンに、森で調達したであろう根菜をわずかな岩塩で煮込んだだけのスープだ。なのにそれが、どうしてこうも美味いのか。腹に染みるほど温かいのか。

 風が天幕の垂れ布を吹き上げれば、その向こうに澄んだ蒼天が広がっている。そこへ一筋伸び上がる炊煙こそが、人間たちの反撃の狼煙(のろし)

「さあ、こっからが本番だ。

 奴らに目に物見せてやろうぜ!」

 

 

To be continued.

 

 

 

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 新勇者ヴィッシュ率いる抵抗軍(レジスタンス)の反撃が始まった。歓喜に湧く人々に、しかし襲い来る新たな恐怖。犯される貞節。弄ばれる純愛。何が毒か薬かも定かならぬ混沌は、やがて双方全軍による一大決戦へと結い上げられる。運命の糸を繰る者は神か、魔か、(いや)さ、あるいは――?

 

 次回、「勇者の後始末人」

 第20話 “果てしなき世界から”

 From the Boundless World

 

 乞う、ご期待。


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