勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第5話-06 決戦(前編)

 

 

 再びここに戻ってきた。

 2日前、為す術もなく敗北した、遺跡の奥のドーム。広大なその空間の中央で、ヴィッシュと緋女(ヒメ)は待っている。敵はあれほどの実力者だ。もうとっくに、こちらが侵入したことは掴んでいるだろう。人数が前回より少ないことに気付けば、そしてヴィッシュたちを侮ってくれれば、おそらく迎撃に出てくるのは――

 張り詰めた静寂の糸を、断ち斬るように靴音が響いた。

 中枢へ繋がる通路の奥に、ぼんやりと浮かび上がる白い影。狂気の笑顔を貼り付けたまま、ぴくりとも動かない道化の仮面。

 靴音がひとつ、ゆっくりと重なるごとに。その仮面がひと回り大きさを増すごとに、心臓まで凍て付く冷風がふたりを押し潰さんと迫ってくるかのよう。

「来たか。緋女(ヒメ)

 氷の声。

 ――シーファ。

 

 

     *

 

 

「分断完了。続きましてー。」

 カジュは大きく杖を振り上げた。

「せーのっ。」

『《暗き隧道》!』

 どんっ!!

 魔法陣のあった場所に、巨大な縦穴が口を開く。一定範囲の土を消し去り、トンネルを造る魔法である。本来なら人ひとりがようやく這って通る程度の穴しか空けられない、その長さも知れたものだが、12人の術士が共同すれば、丘の頂上から遺跡の中枢まで一直線に繋ぐくらいはできる。

 魔法陣の上に立っていたカジュは、ぽっかりと開いた穴にそのまま飲みこまれた。

「行ってきまーす。」

 カジュはまっすぐに落下した。心配そうに覗き込む術士たちの顔が、頭上の光が、見る見る遠ざかる。だがそんなこと気にも留めない。空中でくるりと反転し、頭を下にして落ちていきながら呪文を唱える。その落ち着き払った歌声は、荘厳なる聖頌歌めいてすらいた。

 相も変わらぬ半開きの目に、しかし凛とした光を湛えて。

 吹けば飛びそうな小さな体に、しかし折れることなき自信を抱いて。

 カジュは術を発動した。

「《風の翼》。」

 彼女の背中に陽炎のような翼が現れた。身をひるがえし、翼を羽ばたかせ、穴の底にふわりと舞い降りる。白き衣に身を包んだその姿は、まるで伝承にある天使のよう。

 カジュは長杖の先端を、まっすぐ敵に突きつけた。

「おひさ。」

 敵は――ネズミ頭は、突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に目を丸くしながら、しかし反射的に立ち上がった。一瞬で事態を把握し、ケラケラと、例の(かん)(さわ)る笑い声を挙げる。

「わーお! ぼくちゃんびっくりー! まぁーたキミかよ、邪魔してくれちゃってさー」

 ネズミの顔が醜悪に歪む。苛立ちと嘲りと、この世の悪意の全てを込めて。

「雑魚は死んだ方がいい。生きてる価値ねーんだよ」

 カジュは軽く鼻で笑って、

「あ、そ。」

 

 

     *

 

 

 シーファとヴィッシュたちは、数mの距離を置いて対峙した。まだまだ遥か間合いの外――そのはずなのに、なぜかヴィッシュは身動きひとつ取れない。下手な動きを見せた瞬間、斬られる。その光景が目に浮かぶかのようだ。

 ――だが、今度は呑まれてなるものか。

 ヴィッシュの決意を体現すべく、緋女(ヒメ)が一歩進み出た。

「よう。待たせたな」

 道化は深く頷いた。

「退屈だった」

「いいじゃねーか。我慢した分まで、たっぷりと――」

 緋女(ヒメ)の額には脂汗が浮いていた。緊張を隠すことはとてもできない。目の前にいるこの女は、緋女(ヒメ)の人生で最強の敵だ。生きるか死ぬか分からない、そんな戦いに身を置くのは一体何年ぶりだろう。

 だが、これこそが真剣勝負。

 緋女(ヒメ)が、不敵な笑みを浮かべる。

「愉しもうぜ、シーファ」

()(かな)

 三者が三様に、剣を抜いた。

 やがて、彼らから心が消えた。

 思考は果てしない空虚に飲まれ、あらゆる音もまた遠ざかっていった。残るのはただ、積雪の朝を思わせる澄み切った静謐(せいひつ)のみ。

 しん、と。

 沈黙が、3人の肩に降り積もる。

 刹那、

 弾ける!

 先手を取ったのは緋女(ヒメ)。地を蹴り駆け寄りその勢いのままに斬りつける。岩を砕き鉄を(ひし)ぐ必殺の一撃は、しかしシーファの剣にやすやすと受け流された。だがこれは想定内。この渾身の一太刀ですら挨拶代わりだ。

「オォラァ!!」

 裂帛の気合と共に緋女(ヒメ)の剣が唸りを上げた。目にも止まらぬ剣速で、右から左から四方八方から嵐のごとく繰り出される刃。(ヴルム)程度ならこの時点で細切れになっている――

 が。

 シーファを前にしてはそよ風にも等しい。

 道化の剣が走り、唸り、緋女(ヒメ)の猛攻をことごとく(さば)いていく。一瞬の間に為された17発の打ち込み全てを軽々とかわし切り――次の瞬間。

 道化の姿が、闇色に融けた。

 緋女(ヒメ)の目ですら追えぬ速度。あまりの速さに()()()()()()()()としか捉えられぬその動きで、シーファは緋女(ヒメ)の懐に踏み込んだ。絶え間なく攻めていたはずの彼女を一挙に死地にまで追い込んで、つまらなそうに囁く一言。

「――(ぬる)い」

 途端、シーファの放つ数十の斬撃が、()()()()()()()押し寄せる!

 凄まじい剣速は、まるで剣が幾十に分裂したかに見えるほど。緋女(ヒメ)咄嗟(とっさ)に犬に変身、辛うじて斬撃の隙間を潜り抜け、すぐさま人に戻って反撃を繰り出す。

 だが、不安定な体勢から仕掛けた苦し紛れの一撃、そんなものがシーファに通じるわけもない。

(ぬる)いわ!」

 鉄火闇を切り裂いて、剣戟の響き耳を(つんざ)く。

 初めて見せた激情と共に叩き込まれたシーファの剣が、すんでのところで緋女(ヒメ)の太刀とかち合ったのだ。だがその恐るべき衝撃を受け止めきれず、緋女(ヒメ)はそのまま後ろに跳ね飛ばされた。

 緋女(ヒメ)は空中で身を捻り、地面に手を突き反転し、足を滑らせながらも着地する。

 その肩が大きく上下する。彼女の息は苦しげに乱れていた。僅か数秒の間の攻防。しかしお互いに放った打ち込みの数は百に届くほど。これまでに経験したことのない密度の闘いが、緋女(ヒメ)(したた)かに疲弊させていた。

 だが――疲れがどうでもよくなるほどに、悔しい。

「てめェ! 本気出してねェだろ!」

 緋女(ヒメ)の雄叫びに、道化の面は歪んだ笑みを張り付けたまま答える。

「その価値が有らん()?」

 氷のように冷たい声だった。緋女(ヒメ)の腕の筋肉がにわかに膨れ上がり、音を立てて太刀の柄を握り絞る。彼女の胸が煮え(たぎ)っていく。怒り、であろうか? それとも憎悪?

 どちらも違う。これは奮起だ。

 これでは()()()()()()()()()

 ヴィッシュは緋女(ヒメ)()()()()()()。それを、

 ――こんなザマで終われるかァ!!

 咆哮とともに緋女(ヒメ)が走った。一息に肉薄。全力込めた斬撃を有無を言わせず叩き込む。

 シーファの剣が閃いて再び緋女(ヒメ)を弾き返す――

 が。

 地を踏み割るがごとくに踏み留まって、緋女(ヒメ)が怒りに牙を剥いた!

 肉食獣そのものの動きで彼女が繰り出したのは()()()()慮外(りょがい)の攻めにシーファの判断が一瞬遅れる。上体を仰け反らせて避けはしたものの、その足元に今度は鋭く足払いが迫る。

「む」

 小さく声を上げながら、シーファは跳んで回避した。そのまま空中から緋女(ヒメ)の脳天めがけて大上段から斬り下ろす。しかし踏み込む足場もなく腕だけで放った斬撃――これは弱い。

 緋女(ヒメ)の剣が爆ぜた。下から伸び上がりながらの薙ぎ払い。全身の筋力を残らず注ぎ込んだ正真正銘全力の一撃が、シーファの身体をその剣ごとに弾き飛ばす。

 飛ばされたシーファは膝立ちに着地した。()()()()()のだ――あの怪物(シーファ)が。

 千載一遇のこの好機を、緋女(ヒメ)が見逃すわけがない。

 風よりも速く駆けより斬りつけ、膝立ちのシーファと縦横に切り結ぶ。互いの刃が火花を散らし、その剣閃がひとつに溶け合い、太陽めいて闇を切り裂く。緋女(ヒメ)の放つ全てが会心の一撃。それを確実に受け流すシーファの技もまた神域のそれ。

 達人の域を超えた者同士の、力と力、技と技の真っ向勝負。

 制したのは――

 やはり、シーファ。

 シーファは無数の打ち込みを的確に(さば)きつつ、膝立ちから徐々に押し返し、立ち上がり、ついには逆に緋女(ヒメ)を押し返し始めた。これぞ文字通り()()的強さ。緋女(ヒメ)が奥歯を噛み締め踏ん張る――シーファは道化の笑みでじわりと攻め寄る。

(たの)しや!」

 そのとき、ついにシーファの剣が緋女(ヒメ)の太刀を弾き飛ばした。

 一瞬、ほんの一瞬、緋女(ヒメ)の脇ががら空きになる。声もなく音もなく、シーファの狂刃がそこに迫る。

 ――死ぬ!

 と、緋女(ヒメ)は閃光のごとく確信し――

 ()()()()()()()()()

 背後。

 完全にシーファの意識の外にあった死角から。

 ()()()()()の剣が突如襲った!

「!」

 声にならぬ驚きの声とともに、シーファが反射的に振り返った。

 蛇のように素早い一撃。タイミングも完璧、踏み込みも充分、まさにヴィッシュの全身全霊を込めた一太刀である。たとえシーファと言えど喰らえば死ぬ。緋女(ヒメ)との闘いに全力を注いでいたこの一瞬に限っては。

 これこそがヴィッシュの策だった。彼の実力は緋女(ヒメ)に遠く及ばない。ゆえにシーファは完全にヴィッシュを侮っている。どころか()()()()()()()()()()。それが狙い目となったのだ。

 緋女(ヒメ)の役目は陽動だった。彼女の技量をもってシーファの全力を引き出し、敵の目を惹き付けるのが仕事だったのだ。これによってヴィッシュの存在はますますシーファの意識の外に弾き出される。最終的には目の前の緋女(ヒメ)しか見えなくなるほど視野狭窄に陥るだろう。

 その一瞬にヴィッシュが斬り込む。たとえ超人的な剣達者といえど、これなら不意を衝けるはず。

 だが、シーファは恐るべき反応速度で異変に対処した。すなわち緋女(ヒメ)への打ち込みを中断、横手に転がりヴィッシュの剣を避けた。ヴィッシュの策は、いともたやすく無に帰した――

 しかし、このままで終わらせる緋女(ヒメ)ではない。

 こうまで燃えた緋女(ヒメ)の眼前で、こんな醜態を晒した――それがシーファの命取り。

 転がったシーファが体勢を立て直そうとするまさにその瞬間を狙い、緋女(ヒメ)最速の突きが繰り出された。

「く!」

 シーファが大きく後ろに跳んで離脱する。だが避け切れない。緋女(ヒメ)の刃が、その切っ先が、ついにシーファを捉えた。道化の仮面に食い込む刃、横一文字に走る亀裂。その衝撃でシーファの身体は放たれた矢のように弧を描いて弾け飛び、転がりながら倒れ伏す。

 すぐさま緋女(ヒメ)が止めを刺さんと走る――が、その足がピタリと止まった。

 シーファが起き上がる。

 彼女から放たれる気配が、変わった。

 ゆっくりと、陽炎のごとく揺らめきながら立ち上がり、シーファがそっと、仮面のひび割れに指を()わせる。まるでその傷を愛おしむかのようにだ。深い亀裂は偶然にも道化の仮面の口を広げ、笑みを大きくしたかに見えた。

 その口の端から、つうと一筋血が流れた。それと同時にシーファの含み笑いが聞こえ始めた。

嗚呼(ああ)(たの)しや」

 シーファがぽつりと漏らした言葉は、飾り一つない本音に思えた。

 緋女(ヒメ)とヴィッシュは並び立ち、狂気の湧き上がるさまをただ見つめていた。緊張の汗は引くどころか、なお勢いを増して溢れ出し、身体を不快に濡らしていく。ふたりは、全く同様にこう悟っていた。

 ――本番は、これからだ。

 

 

 

(つづく)

 


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