勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第7話-04 最終試験

 

 優しい温もりに包まれてカジュは目覚めた。

 体が重い。指一本持ち上がらない。ああ、色々()()()()な、とカジュは察した。

 回らない頭を無理に回して、意識を失う前に起きたことを思い起こした。そう。リッキーを助けた。その仕事は完璧にやり遂げた。楽勝だ。だが、途中でクルスが儀式を抜けて、雪崩を防ぐ方に回ってしまったために、魔力の負担はカジュひとりに集中することになって――

 クルス。

 クルスは、すぐ側にいた。

 膝を抱えて、カジュをじっと見つめたまま、座り込んでいた。

 あたりは洞窟のようだった。いや、違う。自然洞窟にしては不自然に壁面がなだらかだ。おそらく《暗き隧道》の術で人工的な洞穴を造り、その中に逃げ込んだのだ。

「カジュ、大丈夫かい。」

「生きてるよ……多分ね」

「ごめん。ボクが途中で抜けたから。」

「何言ってんの。助けてくれたんでしょ」

 一言声を出すごとに、疲れが鉄の塊となってのし掛かってくるようだ。体が重い。胸が重い。肺と心臓が、徐々に働くのを嫌がりだしたのが分かる。不思議な暗いもの、ずっとどこかにわだかまっていたものが、気力を無くした心の空洞に吹き出してくるようだった。

「カジュ、死ぬのかなあ……?」

 クルスは何も言わない。

「死んじゃったら、言えないから、いまのうちに言っとくね。

 ありがと。

 カジュ、今まで誰かと一緒に勉強とか、したことなかったから……楽しかったよ」

 あるいは、何も――

「もっと、一緒に、したかったなあ……」

「ねえ、カジュ。」

 クルスは微笑みながら言った。カジュは気付いた。彼の微笑みの奥に、身を引き裂かれそうなほどの懊悩(おうのう)があることを。悩み、苦しみ、その末にようやく下した決断があることを。

「いつか訊いてたよね。ボクのやりたいこと。」

「うん……」

「見せてあげる。」

 言って、クルスは、懐から取り出したナイフの先端で、人差し指の腹を裂いた。

 血が、泉のように湧き出した。

 緑色に淡く輝く異形の血が。

「うそっ……それ……」

 見覚えがあった。淡緑色の溶液。生命の魔力に満たされ、呼気を、栄養を、媒介するもの。かつてカジュは何度となくそれを浴びた。飲んだこともある。学園に来る前、巨大な試験管の中で毎日のように体を調べられていた頃、カジュの体を常に包んでいたあの生ぬるい溶液だ。

 魔力溶媒。モノモ草と同じ成分を持つ、人工的に合成された物質。

 そんなものを血液の代わりに循環させているものが、ただの人間であるわけがない。

「“小さき者共(ホムンクルス)”……!」

「そう……ボクらは造られたもの。キミたちのパートナー――いや、課題となるために。」

「え……」

「二号館に所属する240名のうち、本物の生徒は半数だけだ。残り半分はホムンクルス。生徒にはひとりに一体ずつ“パートナー”の名目でボクらが与えられる。ボクらといかに協力するか、ボクらをいかに利用するか、ボクらをいかに成長させるか。それがキミたちに課せられた秘密課題のひとつだったんだよ。」

 クルスは苦笑した。今まで見せたことのない表情だった。

 初めて見た。彼がこんなに、怖がっているところを。

「ごめん。キミを(だま)して、友達(づら)をしていた……。」

「ばーか」

 思いっきり。

 全力で。渾身の力を籠めて。もうこれで死んでもいいってくらい命も魔力も体力も気力も振り絞って。

 カジュはクルスを睨んでやった。

「キミはカジュの友達だよ」

 それっきり、クルスの懊悩(おうのう)は雲散霧消してしまった。もはやクルスは迷わなかった。緑色の溶液に濡れた指を、そっと、カジュの口許へと差し出した。

「ボクの命を君にあげる。」

 ほんの少しだけ、カジュはためらい、やがて恐る恐る、彼女は舌を伸ばした。舌先でくすぐるように、彼の指をなぞった。微かな痛みが電流のようにクルスの背筋を震わせた。

 溶液がたどたどしい舌の動きに導かれて、カジュの喉へ、彼女の中へと伝い落ちていった。やがて言いようもない歓びが二人を突き動かした。カジュは口いっぱいに彼の指を含み、狂ったように舐めしゃぶった。他には何も要らない。この瞬間、必要なのはこれだけだ。絡み合う舌と指、とめどなく溢れ出る溶液と唾液、二人は混ざり合い、一つとなり、夜の帳の奥底で、誰も知らない秘密の場所で、その行為は尽くことなく繰り返された――

 一夜は時として、生涯全てにすら匹敵する。

 何も知らない子供同士。

 とはいえ、愛だけは知っていた。

 

 

     *

 

 

 その翌朝、天候が回復するのを待って、二人は《風の翼》で二号館へ帰還した。空から舞い降りる二人をいち早く発見したのは、医務室で手当を受けていたリッキーだった。彼は散々にわめき立て、医務室職員に抱えられるようにして校庭へ出てきた。ロータスも一緒であった。モノモ草の甲斐あってか、彼女は自分で歩けるまでに回復していた。

 彼らは抱き合って無事を喜んだ。特にリッキーの感謝たるや並大抵のものではなかった。ほとんどカジュにすがりつくようにして泣きじゃくった。自分が助かったのが嬉しいのか。あるいは、ロータスが助かったのが嬉しいのか。

 ロータス。彼女もまた、クルスと同じホムンクルスなのだ。ゆえに医務室では彼女を診てもくれなかった。所詮、彼女は備品に過ぎないというわけか――

 全てがまるで、悪い夢でも見ていたかのよう。

 体力が回復するのを待って、カジュとクルスは授業に復帰した。数日の勉強の遅れなど、彼女らにとっては問題とさえも言えなかった。

 それより気になったのは、先生たちから――つまり企業(コープス)からのお(とが)めが一切ないということだった。勝手に学園を抜けだし、勝手に魔術を使いまくり、処分されてもおかしくないだけの規定違反をしたはずのカジュたちを、処分、訓告はおろか、事情聴取さえしようとしなかった。

 なんとも不気味であったが、音沙汰がないものに怯えていても仕方がない。

 やがてカジュたちは日常に戻った。最終試験まで、残すところ二ヶ月半。

 カジュとクルスは一層勉学に励んだ。最近では、クルスがカジュの部屋に泊まり込みで一緒に勉強することも珍しくなくなった。時には朝まで一睡もせず、熱心に議論を交わすこともあった。結果、意見が分かれて大げんかになることも。しかしその翌朝、ふたりで一緒に朝ご飯を食べていると、きまって頭がすっと澄み切ってきて、意見の相違を解決する画期的なアイディアが浮かぶのだった。

 それでも、試験対策は万全、とは言えない。むしろ、勉強すればするほど、不安はどんどん膨らんでいく。

 これでいいのか。これで本当に充分か。怯え、無理をしそうになるカジュを、クルスはたびたび制してくれた。無理は長続きしない。長続きしなければ意味がない。クルスがいれば、カジュは冷静でいられる。子供みたいにワタワタしない。落ち着いて、目的と手段を見極められる。

 本当に、1/4(ワンフォース)に生き残れるのか――その不安が黒い雲のように立ちこめる最後のときを、二人は支え合い、歩んだ。

 果たして最終試験の日はやってきた。その日どんな試験が課され、それにどう答えたのか、カジュはさっぱり覚えていない。たぶん、ただただ、夢中だったのだ。

 その後はただ、クルスと並んでベッドに仰向けになり、天井をじっと見つめていただけ。

 一方で、数日後、壁に張り出された最終試験の順位を見たときのことは、カジュの記憶にはっきりと焼き付いている。順位表の前には人だかりができていた。同級生の中でも背の低い方だったカジュには、背伸びをしても表の全体を見ることは適わなかった。だがそんな必要はなかったのだ。クルスが無言で指さした先は、垣根を作る同輩たちのはるか頭上。背伸びなんかしなくたって、誰にでも見える場所。

 一番上。

 喜びの余り、カジュは、奇声を上げて隣の誰かに抱きついた。人垣を作っていた生徒たちが一斉にこちらに目を向けた。抱きついた相手がクルスなのだと気付いたのは、このときだった。反射的にカジュは彼を突き飛ばした。彼は尻餅を付き、反動でカジュもまたひっくり返った。

 廊下にぺたりと座り込んだまま、クルスを見ると、彼は笑っている。

 本人さえ気付いてはいなかったが、カジュもまた、笑っていた。

 カジュにとっては初めての、見たこともない新たなセカイ。

 カジュたちは、ついに()い上がってきたのだ。学内トップの地位に。

 だがカジュはまだ幼く、人生経験が浅かったために、知るよしもなかった。トラブルというのは往々にして、順調に行き始めた頃を狙い澄まして牙を剥くのだということを。

 

 

     *

 

 

 そこは、真っ暗で広大な部屋だった。

 最終試験の翌日。卒業を間近に控えた時のことだった。カジュは突然、職員室に呼び出された。カジュだけがだ。クルスにひとこと言ってから行こうと思ったのに、彼は部屋にいなかった。首を傾げながら、カジュは呼び出しに応えた。

 先生のひとりに連れられ、辿(たど)り着いたのは、今まで職員専用エリアとして立ち入りを許されなかった、とある小部屋であった。扉を開くと、その中には灯りひとつ灯っていない。

 先生が小さく呪文を唱え、魔法の光を指先に生み出した。か細く青白い光に照らされ、部屋の中の光景が浮かび上がった――何もない、床すらない、がらんとした空間。それが遥か地底へと繋がる吹き抜けで、壁には長い長い階段が螺旋状に備えられていることには、一瞬遅れて気が付いた。

 ――なにこれ。

 カジュの疑問など気にも留めずに、先生は靴音を響かせ、淡々と階段を下りていく。カジュは戸惑いながらもその後を追った。

 遥か深淵へ。闇の底へ。どれほどの段を踏みしめ、どれほどの時間を費やして降りただろう。下へと一歩足を踏み出すたび、心の中の不安が膨らむ。自分がどこか、辿(たど)り着いてはならない場所へ向かっているように思えて。

 それでもカジュに選択の余地はない――ただ、導かれるまま、彼女の前に造られた道を()き続けるしかない。

 不意に、背中に冷たい物が走った。弾かれたように振り返る。自分が降りてきた階段を見上げる。だがそこには何もない。自分が歩んできた螺旋の道は、もはや暗闇に閉ざされて、どこへ行ったやも分からない。

 辛うじて分かるのは、手さぐりで触れた壁の感触、靴底に触れる鋼鉄の段ひとつ、ふたつ。そして少し前を往く先導者の灯火。

 取り残されるかもしれない。言い知れない恐怖に突き動かされ、カジュは必死にその後を追う。

 やがてカジュは、穴の底に到達した。

 そこは、真っ暗で広大な空間だった。これほどの地下施設があったなんて、この上で丸一年ちかく生活してきて全く気付きもしなかった。

 案内役の先生は、カジュをその場に残して階段を引き返していってしまった。彼が残してくれたのはただ一言、奥へ進むようにという簡潔な指示だけ。灯火は無くなった。空間は漆黒に閉ざされた。汗が額に滲んでくる。カジュの中の無意識が、何か異様な気配を感じ取り、体の自由を奪っている。それでもカジュは、恐れと不安を押し込めて、闇の奥に向かって一歩を踏み出した。固い靴音が鳴り、反響すらせず消えていく。空間があまりに広すぎて、音は響くことさえできないのだ。

「……なんなんすか?」

 たまらずカジュは声を挙げた。返事はない。

「あのー……これから何が始まるんでしょう」

 と言って、ふと気付く。

「ひょっとして……雪山の件の処分?」

「いやあ! 処分だなんてとんでもない!」

 いきなり、返答は空間の奥から聞こえてきた。弾かれたようにそちらを見つめる。と、灯りがともった。ひとりの男が手にランプを持ち、空間の中にぽつんと立っていた。男はゆっくりと近づいてくる。徐々に強くなるランプの光が、暗闇に慣れた目は眩しすぎる。眼を細め、カジュは男の顔を見ようとする。どこかで聞いたような声。

「あの件はね、話を聞いたとき、僕は素晴らしいと思ったんだ。思いやり深くて大変結構。いい子に育ってくれて嬉しいよ」

「あ。お久しぶりです」

 ようやく、相手が誰なのか分かった。コープスマン。この学園に来る前の7年間、カジュの上司にして保護者であった男だ。眼鏡の奥の、貼り付いたような笑顔が懐かしい。なんだかんだで、カジュにとっては親代わりだった人物である。

「元気で何より。実はねー、僕も時々様子見に来てたんだよー、気付かなかっただろうけど」

「そうだったんすか」

「でね、縁あって、君の最終二次試験の試験官を務めることになったんだ」

 カジュは眉をひそめた。

「……二次試験?」

「そ。順位表は見たろ? 君は上位60組、つまり50%以内に勝ち残った。おめでとう! そこで、君には二次試験を受ける権利が与えられたわけだ」

「なるほど……で、この試験でさらに半分に絞り込む。生き残るのは1/4(ワンフォース)、と」

「ご名答! ま、キッチリ1/4が残るって決まってるわけじゃないんだけどね。この二次試験は、人数に関係なく、こちらの出した課題をこなせた生徒だけが生き残れるんだ」

「こなせなかった生徒は?」

「ご想像に任せましょ」

 ――殺すってことだね、やっぱり。

 カジュは溜息を吐いた。覚悟はしていた。そのつもりで心の準備をしてきたのだ。クルスと一緒に積み重ねてきた勉強も、努力も、全てはこの試験を乗り越えて生き残るため。クルスだってそうだ。彼もどこかで同じ試験を受けているに違いない。

 あれほど頑張ってきたのだ。

 ふたりで必ず生き残るのだ。

 彼女の決意を感じ取ったのか、コープスマンが上機嫌に笑って問いかける。

「さて――準備は?」

「いつでも」

「では始めよう。来たまえ」

 来る?

 横手で、闇の中で蠢く何物かの気配が発生した。ぎょっとしてそちらに目を遣る。じっと目を凝らす。次第に目が慣れてきた。ランプの光を浴びて、その人物の姿が浮き上がり始めた。

 カジュより少し高い程度の背丈。掴めば折れそうな細い腕、透き通るような白い肌、そして――

 全てを悟りきった諦観(ていかん)に満ちた、この世のものとは思えぬ美貌。

「……クルス」

「カジュくん。これが最終二次試験だ」

 コープスマンは言った。

()()()()()()()()

 

 

 

(つづく)

 

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