――なに?
「今から、
「何言ってんすか! あれはクル……」
「“
食ってかかるカジュに、コープスマンはにっこりと微笑む。
「大丈夫、人権はないよ――今のところ」
「そういう問題じゃないです!」
カジュの言葉は、悲鳴以外の何物でもなかった。カジュは気付いていただろうか? 夢中で気付く余裕さえなかっただろうか。無表情のクルスが、僅かに、ごく僅かに、悲しそうに眼を細めたのを。
「あの子はクルスです……カジュの……大切な……」
コープスマンは、微笑みを貼り付けたまま。
「
気付けば、その視線の向く先はこちらではない。
「来るよ」
閃光。
横手から目を貫く目映い真紅。クルスの魔力光。呪文が聞こえる。陣が見える。アレを使う気か! 読んだ瞬間カジュは動いた。体が勝手に。身を守るために。呪文、魔法陣、印、杖の補助、全て総動員して最速の、
「《光の盾》!」
「《光の矢》。」
クルスの手から放たれた矢が文字通りの光速でカジュに迫り、一瞬早く展開された盾に吹き散らされる。光が弾け、闇を切り裂き、ふたりの視界は白に塗り潰された。さながらあの時、雪山目がけて寄り添い飛んだ、あの時のように――
「本気なの……」
涙に震えるカジュの問いに、
――もちろん、他に道はない。
クルスの苦悶が確かに応えた。
感傷にふける暇は――ない!
術式構築の声がする。クルスが魔法ストックを創っている。カジュは涙を振り切った。
呪文を聞いて彼の手の内を読む。内訳は――《烈風刃》《鉄槌》、あとひとつ不明。読まれないための無音構築か!
ならばこちらも返し技。《鉄砲風》《鉄砲風》《闇の鉄槌》《闇の鉄槌》、隠す意味も理由もない。この一手で勝負を決める。
互いにストック完成は同時。クルスが腕を振りかざす。《烈風刃》が来る。広範囲に不可視の魔力刃を嵐のごとく撒き散らす、タチの悪い大量殺戮術。術の性質上、《光の盾》では防ぎづらい。よってここは、
「《鉄砲風》!」
放たれた刃の嵐を、カジュの生み出した暴風が吹き散らそうとした、その直前。
「《凍れる刻》。」
空中に撒き散らされた不可視の刃が、周囲の空間ごと時間停止する。
「うそっ!?」
やられた。予想外だった。隠し球はこれか! 自分の放った攻撃の術を自ら時間停止させ、返し技を防ぐとは。《鉄砲風》は時の止まった空間にぶつかり、為す術もなくそよ風となって拡散する。カジュとクルスの間に絶対の防壁が生まれたようなもの。これでは攻撃が通らない。2発目の《鉄砲風》で転ばせ、動きを止めたところに魔力をそぎ取る《闇の鉄槌》2発重ねで気絶させようと思っていたのに。
だが、これではクルスからの攻撃だって――
そこでカジュは気付いた。クルスのストックはあと一つ。
「《鉄槌》。」
巨大な鉄球を生み出し、大砲のように射出する術だ。この術なら攻撃できる。
曲射!
クルスは生み出した鉄球を、斜め上方へ射出した。鉄球は弓なりに弧を描き、時間停止した空間を飛び越えてカジュに迫る。
この手があったか! カジュの背筋に悪寒が走る。《鉄砲風》では《鉄槌》の質量は防げない。なんとか走って逃げるしかない。仮に避けられてもそろそろ《凍れる刻》の効果が切れる――《烈風刃》が解き放たれて再びカジュに襲いかかる。
手詰まりだ。カジュの思惑は瓦解した。完全にクルスのペース。
そう悟るが早いか、カジュは迷わず魔法ストックを全て破棄した。ストックを保ったままでは新たな術が構築できない。こだわっていては死ぬだけだ。フリーになったカジュの精神が最高速で術を構築する。
「《瞬間移動》!」
儀式無し、大型陣なし、助手なしの急あつらえ。それでも大技は難なく発動し、カジュの姿は掻き消えた。一瞬遅れて《鉄槌》が落着。《烈風刃》が吹き荒れる。少しでも判断が遅れていれば自分がいるはずだったその死地を、10mばかりずれた場所に出現したカジュは歯噛みして見つめる。
互いにストックを使い果たし、カジュとクルスは対峙する。
単なる仕切り直しに見えて、実態は大差がついている。クルスは自分の居場所から一歩も動かず、魔力の消費も最小限。一方のカジュは3つものストックを無駄にされたうえ、即席の大技で魔力の消耗著しい。肩で息をしながら、カジュは彼を睨んだ――いや、見つめた。表情のない仮面のようなクルスの顔が、どうして今も、あのときと同じに見えるのだろう。
ふたりで寄り添って明かした、愛に満ちたあの夜と――
「カジュくん!」
遠くからコープスマンの声が聞こえる。ふたりの戦いに巻き込まれぬよう、彼はいつの間にか安全な場所まで避難していたのだ。
「全力でやりたまえ! 彼を殺すんだ!」
「嫌です……」
「彼を殺せば君には特権が約束される。夢のような幸福が待っているんだよ!」
「やめてください……」
「なら君が死ぬか?
「いいからちょっと黙っててよ!!」
カジュは叫んだ。たまらなくなって。
もう何も見たくなかった。カジュは目を閉じ、顔を
「なんでこんなことしなきゃいけないんだよおおぉおぉぉぉおっ!!」
反響すらなく。
叫びは暗闇に呑まれて消える。
カジュは
もういい、と思った。
このまま、この隙に、殺されるなら――
――投げ出さないで。
聞こえる――クルスの声。
――ボクは初めから分かっていた。知ってたんだ、試験の内容を。
――どのみち
――制限時間が過ぎれば魔力が尽きる。ロータスのように。
――限られた命の中で、ボクは探し続けた。
――そして見つけたんだ。キミを。
カジュは、泣いていた。
いつの間にか、泣いていた。
涙なんて、どこか遠いセカイの出来事だと思っていた。実感できない無機質なセカイの出来事だと思っていた。セカイの中に包まれながら、カジュはそこには居なかった。今もなお。悲しいって人はどこかにいるんだろう。好きって人もどこかにいるんだろう。でもそれらは全てガラスの向こう。生ぬるい溶液の中から
そのはずだったのに。
ようやく今、カジュは初めて、涙を流した。
セカイと相対した者のみが流しうる、魂の泉の底から湧き上がるような、涙を。
――ありがとう。今まで本当に幸せだった。
――だから――
クルスの指先から、赤い魔力光が
あの日、雪山でクルスは見せてくれた。淡い溶液。緑の溶液。彼がヒトではないしるし。
それが何だって言うんだ。
指から滴る真紅の魔力は、まるで――
――ボクの命をキミにあげる。
クルスは、最期にそう言った。
完成した赤い魔法陣。術が湧き出す。殺意なき刃が吹き出す。みっつの攻撃が編み出され、牙となり、爪となって、カジュに躍りかかる。カジュは立った。涙はなかった。呪文を唱えもしない。魔法陣を描きもしない。杖はだらりと垂れ下がり、働くそぶりさえ見せはしない。
なぜなら、
必要なのはただ一つ。魂の奥底から引きずり出された、身が引き裂かれそうな程の――
絶叫。
瞬間、発動した四つの術が、セカイの全てを薙ぎ払った。
*
術の
へたりこんだカジュの前には、残骸だけが残る。
今や胸と右腕と頭だけになってしまった、
涙は不思議と流れなかった。もう叫ぶこともなかった。ただ体中から力が抜けて、カジュは暗闇の中、ぽつりとただひとり、座り込んでいた。
コープスマンが感嘆の声を挙げながら近づいてきて、彼女の肩を叩いた。きさくに笑って、無神経な称賛をくれた。
「よくやった! おめでとう、カジュ・ジブリール。君はこれで、晴れて立派な企業戦士だ! 快適な生活! 豊かな食事! 心躍る特権の数々! いやーホントおめでとう」
「……はい。」
消え入りそうな彼女の声から、感情と呼べる物は、もはや消え去っていた。
「しばらくゆっくり休みたまえ。来年度からは、僕の部隊で頑張ってもらうことになる。おって辞令が行くからね」
「……はい。」
「じゃ、そういうことで! また会おう、カジュくん!」
「……はい。」
静けさが戻り、暗闇に、ひとり。
ただひとり、生き残ったのだ。
「ボクは……。」
長い長い沈黙の後、カジュは、呟いた。かつてのクルスとそっくりな、抑揚のない、死者の呻きめいた声で。
「一体何のために生きてるんだろう――。」
Continued on episode #08.
■次回予告■
非道の“
次回、「勇者の後始末人」
第8話 “ハロー、ワールド。(後編)”
hello, world.(Part 2)
乞う、ご期待。