勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第8話-03 失態

 

 

 遠く離れた王都の宿で、魔法学園副校長マイクル・ファラドは夜空を見上げていた。

 カジュが去ったあと、彼はすぐに迎えの馬車に乗り、王立大学を目指した。王都までは通常の行程で片道4日半。大学についてからは無数の要人たちによる挨拶攻め。さらに盛大な歓迎会。たっぷりと気疲れしたあとで、ようやく本番――講演と意見交換会が始まった。

 数日前までののんびりした船旅が嘘のように、王都に着いてからは万事が慌ただしい。今日も、ついさきほどまで、討論会の打ち合わせで大学に籠っていたのだ。ようやく解放され、宿に戻ったのは夜半すぎ。宿の女将が下戸の彼のためにミルクを温めてくれ、彼はありがたくそれを頂きながら、つかの間の安らぎを噛み締めていたのだった。

 なのに、心は妙にざわついて、嵐の前の海面のように落ち着かない。港に降りたあの日からだ。

 彼は、あの日出会った少年――カジュの目が、どうしても忘れられないのだった。

 あの少年はまだ10歳かそこらといったところだろう。幼いばかりか、実績も名声もない、どこの誰とも知れないひとりの子供に過ぎない。それが突然彼らの前に現れて、数年前の画期的な論文とそっくりなものを突きつけ、自分が書いたと主張する。これが受け入れられようはずはない。

 彼はひとりの学徒として、大人として、なによりセレン魔法学園の機能と立場を守る者として、正しい対応をしたつもりだった。あの少年は、一足飛びに評価を求めるような性急さは捨てて、順を追って学ぶべきなのだ。それが最も良い道のはずだ。その考えは変わっていない。

 だが――

 あの目。周りの大人たちを、あるいは世の中そのものを、見透かし、見下し、諦めきっているかのような目。

 まぶたを閉じれば、驚くほどに冷たいあの眼差しが蘇る。

 ファラドは思う。ひょっとしたら、自分は大きな過ちを犯したのではないか? もし、あの論文を、本当に彼が独力で書いたのだとしたら? 世界最高峰の研究と同等のものを、ほとんど同時期に、まだ経験も浅い少年が成し遂げてしまったのだとしたら――?

 その可能性は極めて低い。だが、魔法学者たる彼はいくつもの前例を知っている。偶然にも、そして不幸にも、全く同時期に、全く同じ研究が、全く別々の場所で成され、ほんの数年の後先で明暗を分けてしまった例を。あるいは、どちらが先に発見したかという泥沼の論争に陥ってしまった例を。

 彼の論文がその例の新たなひとつではない、と言い切れるだけの根拠があるだろうか?

 薄弱な根拠のみで剽窃(ひょうせつ)だと決め込んでしまったのは、ひとえにあの少年が若すぎたからだ。ファラドの目が偏見に曇っていたからだ。もし彼が無実なのだとしたら。あのとき突きつけた正論は、暴力以外の何物でもなかったはずだ。真実を力でねじ伏せられた、その経験が、彼の心に取り返しの付かない傷を負わせてしまったのではないだろうか?

 ファラドは自分自身の少年時代を思い起こした。彼は平民の家に生まれ、教導院の聖職者から最低限の文字を学び、やがて書写屋の見習いとして就職した。まだ印刷機が一般化していないこの時代、本は書写によって増やすよりほかなく、都市部には、書写から装丁、製本までを担う専門業者があったのである。

 その工房で何冊もの本を写すうち、ファラドはその内容にも通じていった。彼は断片的だが価値のある学問の基礎を仕事の余録として学び取り、いつしか学を志すようになった。

 もちろん、それは大いなる思い上がりに過ぎなかった。体系立って学んだわけでもない彼の知識は、半可通以下の代物だった。ことによると無知よりたちが悪いとさえ言えたかもしれない。

 だが、書写屋の主人は彼の聡明さを愛し、たまたま手に入れた魔法学園の一般向け講義のチケットを、彼に譲ってくれたのだった。彼は講堂の最前列から身を乗り出し、一言たりとも聞き逃すまいと講義に耳を澄ませた。そして学び取ったことをノートして、あろうことか、講師であった高名な学徒に、思慕の手紙を添えて送りつけたのである。

 その講師がノートと手紙に興味を持ってくれたのは、全くの幸運だった。そうでなければ、彼は生涯の恩師と出会えぬままであったろうし、なにより、学園で学ぶ機会など得られるはずもなかっただろうから――

 思えば、ファラドが今、魔法学園の代表として働けているのは、あの日の思い上がりと、それを受け止めてくれた大人たちのおかげである。ならば、今こそ彼は、かつて受けた恩を返すべきではなかったのか? 今は亡き恩師や雇い主にではなく、これから学の道を歩まんとする若者たちに――

「副校長」

 彼の深い後悔は、横からかけられた声によって掻き乱された。見れば、部下がひとり、困惑を顔に浮かべて立っている。

「申し訳ない、何度もノックしたのですが?」

「いえ、よいのです。ちょっと考え事をしていました」

「お探しだった本を王家書庫で見つけましたよ。賢者ギルディンの原稿にかなり近い写本と見えます」

「借り出せたのですか!」

「良くも悪くも我々は特別扱いですね。肩の凝る宴会に我慢したかいがあったでしょう?」

「あはは、おおきにそうだ。これは素晴らしいニュースだ、まことにありがとう!」

 紳士――魔法学園副校長は、疲れも忘れて興味深い古書に飛びついた。だが、先人の美しい論理を堪能しながらも、彼はずっと、カジュの目を頭の片隅に置き続けていた。あの少年がもしこの場にいたら、きっと、未知の書に出会えた喜びを分かち合えただろうに――と、微かな寂しさを覚えながら。

 

 

     *

 

 

 疲労と混乱の果てに、カジュはとうとう致命的なミスをやらかした。

 それは、農村に湧いた衝角猪(ラムボア)を狩る仕事中のことだった。そいつはほとんど子象並みの体躯を持つ驚異的な大物で、差し向けられた討伐隊をたびたび返り討ちにしたという曰く付きの相手であった。とりわけその生命力は並外れていて、矢の雨を浴びせられながらも平然と突進し、射手たちの一団を粉砕したほどだという。

 たとえ緋女(ヒメ)といえども、こいつを一撃で仕留めるのは困難であると推測された。戦って勝てないことはないだろうが、時間をかければ取り逃がす恐れもあるし、なにより緋女(ヒメ)が危険に晒される。

 そこでヴィッシュが立てた方針は、ヴィッシュと緋女(ヒメ)のふたりが囮となって遠巻きに獲物を引きつけ、その隙にカジュが必殺の術を脳天に叩き込む、というものであった。

 だが、カジュの疲労はこの時すでに極限に達していた。しかもなお悪いことに、カジュ自身がそのことにまるで気づいていなかった。確かに論文には行き詰っていた。だが仕事の方はちゃんとできるつもりでいたのだ。

 その結果――《光の矢》でとどめを刺すはずのところ、()()()()()()()、《鉄砲風》を発動してしまった。

 衝角猪(ラムボア)は突風で僅かに足を止めた。が、それだけだった。不意の魔法を浴びてかえって勢い付き、突進の矛先をカジュに向けた。この期に及んでもまだ、カジュは自分のミスに気づいていない。閃光のように失態を悟ったのは、砲弾めいた巨体が目前に迫った後のこと。

 ――やばい。死ぬ。

 全身の毛という毛がザアッと音を立てて怖気立つ。衝角猪(ラムボア)の名の由来たる大牙がカジュに突き立つ――その直前、横手から矢のように飛び込んできた緋女(ヒメ)が、猪の横腹を打ちのめした。

 緋女(ヒメ)の太刀に腹を半ばまで切り裂かれ、猪は鋭く悲鳴を上げる。横倒しに倒れる。だが、まだ生きている。苦痛を怒りに変えて立ち上がり、再びカジュ目掛けて走り出す。

 ここでようやくカジュは我に返り、慌てて構築し直した《光の矢》で魔獣の眉間を射抜いたのだった。

 衝角猪(ラムボア)が動かなくなったのを見るや、カジュの腰がへたりと砕けた。ほどなくヴィッシュも駆けつけてくる。彼の顔は、当のカジュ以上に血の気を失っていた。

「無事か!?」

 カジュがひらひらと手を振って応えるので、ようやく彼は胸を撫で下ろしたようだった。

「びっくりさせるなよ……まあ、無事でよかった」

「やー。ゴメンゴメン。ちょっとボンヤリ。」

「……おい」

 頭上から突然降ってきた怒りの声に、カジュは視線を上げた。見れば、緋女(ヒメ)が猛禽を思わせるあの眼でカジュを睨んでいる。震えが走った。刃を突きつけられたような気がしたからだ。

「お前、ロンブンやめろよ」

「は……。」

「でなきゃ仕事休め。どっちかにしろ」

「何言ってんの。なんで緋女(ヒメ)ちゃんにそんなこと命令されなきゃいけないわけ。」

「あたしが助けなかったら死んでたろ」

 カジュは言葉に詰まった。ぐうの音も出なかった。確かにカジュが助かったのは、超人的な脚力と剣の腕を持つ緋女(ヒメ)のおかげだ。常人なら救援が間に合っていない――ヴィッシュが遅れて駆けつけたことを見てもそれは明らかだ。

 いや、カジュ自身が死ぬだけなら自業自得だ。ことによると仲間を危険に晒す可能性すらあったのだ。

 それは分かっている。

 分かっているが――カジュの頭は唐突なきつい苦言に混乱し、緋女(ヒメ)への反発心ばかりに支配されてしまった。敵意を剥き出しにして睨み返し、反論をぶちまけようとした。だが言葉が出てこない。言いたいことは分かっているのに、言うべきことが見つからない。

 カジュの沈黙を受容とみなしたのか、緋女(ヒメ)はヴィッシュに目を向けた。

「よお。代わりの魔法使い探してよ。できんだろ?」

「そりゃまあ……しかし腕は期待できねえぞ。“火の玉”のお嬢(ロレッタ)は別件入ったらしいし、あとはせいぜいガイルとか……」

「何でもいいよ。今のコイツよりゃマシだろー」

「え、緋女(ヒメ)、おま……」

 カチンときた。

「ふざっけんなよっ。」

 カジュは地面を蹴り割るように立ち上がった。疲れも迷いも一時的に消滅した。腸の奥から湧き上がってくる正体不明の激怒が、他の全てを弾き飛ばしていた。緋女(ヒメ)の冷たい視線が返ってくる。刃そのもののようなそれを、あえて総身に受け止めて、反撃の言葉を叩きつけた。

「なんでそんなこと言われなきゃいけないわけ。お前何様だよ。」

「何様はテメーだろ。ワガママ言ってんじゃねーよ」

「ボクより強い術士がいるんなら連れてきてみろよ。瞬殺してやるよ。」

「ロクに寝てもいねえ奴なんか危なくって使えねーっつってんだよ」

「そんなの関係ないって言ってんだよっ。」

「いま関係あったろうが寝ボケてんのか!」

「な、ふたりとも落ち着……」

「ならボクはもう要らないってことか。」

「寝ボケたままなら要らねーよ!」

「死んでもボクの勝手だろ。」

「ああ!? じゃ()()()()()()()()()()テメーは!? 殺すぞコラァ!!」

「やれるもんならやってみろっ。」

「あたしのツレに手ェ出す奴は許さねえ! たとえそれがテメー自身でもだ!!」

「やめろッ!!」

 ふたりをヒタと黙らせたのは、割って入ったヴィッシュの大音声であった。刀の柄に手をかけ、あるいは指先に魔法陣を編みかけた、互いに恐るべき技量を持つふたり。その間に身体をねじ込み、視界を塞いで、冗談では済まないところまで行きかけた(いさか)いを止めた。

 我が身を盾にした強引な止め方だった――一歩間違えば自分が斬られていたかもしれない。それでも止めねばならなかったのだ。

「カジュ……お前は疲れてるんだ」

 カジュが涙の浮いた目を(そむ)ける。

緋女(ヒメ)。お前も言いすぎだろ」

 緋女(ヒメ)が不機嫌にそっぽを向く。

「……もう帰ろう。とにかく今夜はゆっくり休め。後のことは……また明日だ」

 どちらからも返事はなかった。

 太陽は西の山際(やまぎわ)にかかり、今やその光を完全に失おうとしていた。寒風が不気味なうなり声を上げながら吹きつけた。どうやら今夜は、寒い、寒い夜になりそうだった。

 

 

 

(つづく)

 

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