勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第9話-03 心残り

 

 

 10年前。騎士叙任を受けたギリアンは第二師団に配属され、激戦の北部へ送られることになった。

 王都を離れるその日、彼はルクレッタと約束した。戦が終わって戻ってきたら結婚しようと。彼女は驚きもしなかった。ただ、微笑とともに頷いただけだった。きっと予想済みだったのだろう。結婚を申し込まれることも、そのタイミングも、ことによるとプロポーズの言葉までも。

 ともあれ彼は意気揚々と出陣した。浮かれているのは否定できなかった。が、剣さばきには一片の慢心も浮つきも見られなかった。常に己を(いまし)めよという老師の教えが、骨の髄まで染みていたのだ。戦場において為すべきことはただひとつ。絶え間なく襲い来る魔物どもに、己の持つ力の全てを粛々と叩きつけるのだ。

 彼の業前(わざまえ)と戦功はほどなく師団司令官の知るところとなった。士気発揚のためもあったのだろう、ギリアンは全軍の前で大々的に功績を賞され、勲章と恩賞を授けられた。

 多くの将兵はギリアンを讃え、また我も後に続かんと奮い立ったろうが、中には真っ直ぐに受け取れない者もいた。いつの世も、羨望を歪んだ形にしか発露できない者はいるものだ。

 彼らは高名な貴族の子弟、いずれは軍の要職に付くことを約束された者たち、であった。彼らにとって、下賤の出でありながら運良く騎士の位を掴んだだけの男(事実ではあった)は、決して許せぬ悪だ。ましてそんな下衆が勲章を授かるなど――言語道断。

 次の日から、ギリアンへの執拗ないじめが始まった。過失を装って泥水をかけられる、鎧を汚される、馬の(しり)を切られるなどは日常茶飯事。ひとりだけ命令を伝えられなかったり、きつい歩哨を不自然に数多く押し付けられたりもした。時には、剣の目釘を抜かれていたことも――もしギリアンが几帳面に点検を行う性格でなかったなら、刃がすっぽ抜けて大惨事になっていたところだ。

 いじめは次第に悪質さを増し、悪戯では済まされぬ領域にまで至りつつあった。直接的な暴力を受けたことも一度や二度ではない。それでもギリアンは耐え続けた。理由はいくつもあるが、まず、相手が有力者だけに反撃は面倒なことになる、と踏んだのがひとつ。いざとなれば自分の方が強い、と自負していたのがひとつ。そして、誰が自分を(おとし)めようとルクレッタだけは愛してくれる、と確信していたのがひとつ。

 ところがある時、ついにどうにもならぬ事態が出来(しゅったい)した。

 その日、師団はとある農村のそばに布陣した。偶然にもその村はギリアンの故郷であった。

 上官や仲のいい同僚たちは、家族に会ってきてはどうだと勧めてくれた。心遣いは嬉しかったが、ギリアンは断った。今の彼は老師の子。父母や兄姉らとは、もう他人となってしまったのだ。それに従軍中でもある。公私混同は避けたかった。

 石頭のお前らしい、と同僚たちは笑った。

 その話を、少し離れたところで耳ざとく聞いている者たちがいた。いつもギリアンに嫌がらせを仕掛けていた連中である。彼らが何かひそひそ話しているのをギリアンは目撃した。そのときは、また何か良からぬことを企んでいるのだろうと思っただけだった。いつものことだったからだ。

 異変が起きたのは、その夜のことだった。

 ギリアンの所属する中隊で、隊員が3名、野営のテントから消えているのが発覚した。脱走は言うまでもなく重い罪である。もし何か不祥事でも起こしたなら、部隊全体も連帯責任を問われることになる。そこで、残りの隊員たちによって深夜の捜索が始まった。

 ギリアンは妙な胸騒ぎを覚えた。

 居なくなった3人というのが、先ほどギリアンの故郷のことを聞いて密談を交わしていた、あの連中だったからである。

 ギリアンは、走った。故郷の村へ駆け込んだ。星空の下に広がる田園には、まだ青臭い稲や麦が、絨毯のごとく敷き詰められている。その根本では蛙たちが、陰気な歌声を飽くことなく響かせている――

 と。

 ある一角だけ、蛙の歌が途絶えているのが分かった。危険の気配を察して鳴き止んだのに違いない。

 穴の空いたような静寂に包まれているのは、まさに、ギリアンの生家であった。

 悲鳴が聞こえた。いや、嗚咽だ。

 ――姉の声だ!

 ギリアンはあぜ道を猛然と駆けた。かつて何度となく走ったこの道を、当時に数倍する速度で駆け抜けた。飛ぶように田畑を越え坂を登り、生家の戸を叩き壊さんばかりに押し開けた。

 中に広がっていたのは危惧したとおりの光景。鍛え抜いた騎士たちが、卑劣にも三人がかりで、ギリアンの姉を組み敷いている姿であった。

「やめろッ!!」

 ギリアンの怒声が、騎士たちを家ごと吹き飛ばすかに思われた。騎士たちの二人が立ち上がる。ひとりはまだ姉の上にまたがったままだ。あたりに目を配れば、父と母は頭を殴られたらしく、血の匂いを漂わせながらうずくまっており、幼い妹は震えるばかり。兄と弟の姿はない――きっともう結婚して家を出たのに違いない。兄たちさえいればきっと犯行を諦めていただろうに、この卑怯者どもは!

 姉にまたがったままの騎士が、にやにやと下卑た笑みをギリアンに向けた。

「おうギリアン。一緒にやるかい? 行き遅れの田舎女だが、この土臭いのがまあまあいけるぜ」

 むせ返るような邪悪の気配に、ギリアンの怒りは留まるところを知らず膨れ上がっていく。

「やめろと言っている」

「空気悪くする奴だなあ。こういう女は、後で金貨の2、3枚も投げてやりゃ納得するんだ。ノリが悪いんだよ、百姓上がり!」

「……これが最後だ。やめろ」

「やめないね。王都にいるお前の妹、あのブスだ、今度あいつにもいい思いさせてやるよ。あの顔じゃあどうせ嫁の貰い手も……!」

 それが、彼の最後の言葉となった。

 一瞬の出来事だった。ギリアンは音もなく、そよ風のように肉薄し、ただ一刀にて彼を斬り捨てた。反撃はおろか、悲鳴を挙げることさえできぬままに。

 驚いたのは、立ってギリアンの行く手を塞いでいた――はずのふたりであった。自分たちの間をギリアンがすり抜けたのに、彼らは気付きさえしなかった。その時点で彼らは思い知るべきだったのだ、圧倒的なまでの実力差を。しかし残念ながら彼らは、恐怖と驚愕に駆られて、剣を抜いてしまった。

 抜けば、もはや殺し合うしかない。

 ギリアンは振り返りざま、流れるように刃を走らせた。ひとりの顔面を斜めに切り裂き、返す刀でもうひとりの右腕を二の腕から切り落とした。余りにもその手際が良すぎたために、相手ははじめ、切られたとさえ認識できなかった。

 少し遅れて、血が吹き出し、ついで地獄の痛みが彼らを襲った。絶叫が響く中、ギリアンは溜め息をついた。姉と妹の肩を叩いて慰め、父母のそばに(ひざまず)いて容態(ようだい)を診た。どうやら命に別状はなさそうだった。

「ギリアン……あなた、ギリアンでしょう?」

 震える声で姉が言う。問には答えず、ギリアンは立ち上がった。

「すぐに軍隊の連中が来るだろう。恐れることはない、今夜起こったことを全て包み隠さず喋るといい。隊長は話のわかる人だ」

「あなたはどうするの?」

 ギリアンは、家の戸口へ向かった。

「さようなら。みんな、どうか元気で」

 その言葉だけを残して、ギリアンは生家を飛び出した。

 そのまま彼は軍を脱走した。どんな事情があろうと、名族の跡継ぎを殺した罪からは逃れられまい。たとえ軍法が(ゆる)しても、あの男たちの親が(ゆる)しはしない。

 己のしでかしたことの報いだ。潔く殺されてやるのも良いが。

 彼はまだ、命に未練があったのである。恥ずかしいことに――いや、当然のことながら――

 

 

     *

 

 

 ギリアンにやられたふたりの騎士は、今もなお、あの夜の怨みを忘れてはいなかった。

 軍法は彼らの蛮行を厳しく裁いたが、刑の執行はうやむやにされた。彼らの親兄弟から圧力がかかったことは言うまでもない。死をもって償うこともなく、地位を失うこともなく、少々配置換えと訓告を食らった程度で、彼らはのうのうと生き続けた。

 無論、無くしたものがないわけではなかった。切り落とされた腕は二度と戻らぬし、顔につけられた大きな傷は嫌でも目立つ。彼らの“若気の至り”、その報いたる一生ものの傷跡は、親族の間でも宮中でも物笑いの種だった。

 彼らは何度も屈辱に震えた。そして互いを慰めあった。いつか、あの悪党ギリアン・スノーを()らしめてやろう、と。

 あれから10年経った今、ついにギリアンを見つけたのだ。この好機を逃す訳にはいかない。

 二人組の騎士は、充分な距離をおいてギリアンの後をつけた。相手は死にかけの病人、容易いことだ。やがてふたりは何やらひそひそと申し合わせた。傷顔の方が街道を外れ、林の中に消えた。

 一方、ギリアンは歩きながら、妙に落ち着いた気分を味わっていた。

 午後の街道は平穏そのもの。作物が刈り取られた後の田園に雀の群れが舞い降りて、忙しく跳ね回りながら土を突く。一羽が虫か何かを捕まえ、口移しで他の一羽に分け与えた。

 ほう、とギリアンは感嘆の溜め息を吐いた。雀とは、あんなふうに獲物を分け合うものなのか。野鳥などという生き物は、早い者勝ちの奪い合いをしているとばかり思っていた。

 これは発見であった。皮肉なものだ。死を目の前にした今になって、新しく何かを知ったとて何になろう?

 ギリアンは、そんなことがどうでも良くなっている自分に気づいた。ただ目の前で懸命に糧を求める雀たちが、たまらなく愛おしく思えた。いつまでも眺めていたかった――

 ふと、腕が剣の柄に触れた。

 剣に叱られた気がした。甘えるな、と。

 ――行かねばならぬ。私は私の人生を。

 と、そのときであった。

 ギリアンは、ひたと足を止めた。道の先に、じっと立って行く手を塞いでいる男がいる。ただならぬ気配、殺意の臭いが鼻をついた。

 ギリアンは剣に手をかけた。残り少ない体力を振り絞り、その男に誰何(すいか)の声をかけた。

「あなたは誰だ? 私に何か用なのか」

 男は答えず、その代わり――剣を抜いた。

 と、そちらに気を取られていたのが悪かった。応戦しようとギリアンが愛剣を引き抜いたその時、背中に熱い衝撃が走った。

 背を、肩から腰まで、ばっさりと斜めに切り裂かれていた。

 よろめきながら振り返り、背後から襲ってきた二人目の敵を見た。あの邪悪に歪んだ笑み。切り落とされた右腕――ひと目で思い出した。そして理解した。

 ――あの時のふたり! 意趣返しか!

 片腕の男が、二の太刀を叩き込もうと振りかぶる。行く手を塞いでいた方、傷顔の男も迫ってくる。挟み撃ちだ。

 しかし。

 ――生兵法が!

 ギリアンは喘ぎながら剣を振るった。無造作に、力さえ込めず。

 刃は旋風(つむじかぜ)のように渦を巻き、前後の敵をただ一息にて薙ぎ倒した。ふたりの喉元だけを正確に掻き切って。

 敵が倒れたとたん、猛烈な痛みがギリアンに襲い掛かった。脂汗がどっと体中から噴き出した。膝を付き、呻き、朦朧とする意識の中で、彼は必死に痛みを堪えた。

 雀がそばによってきた。慰めてくれようとしたのだろうか? 妄想に過ぎぬとは半ば自覚しながらも、彼はその甘い妄想に(すが)りかけた。

 ここで倒れてしまいたい。心優しい小鳥たちに囲まれて、何もかも忘れて眠りたい――

 だが。

 ギリアンは、剣を杖に、立ち上がった。

 行かねば。

 行かねばならぬ。10年前のあの時と同じように。

 温かいもの、甘やかなもの、心潤わしてくれる愛、その全てを――かなぐり捨ててでも。

 

 

 

(つづく)

 

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