勇者の後始末人   作:外清内ダク

41 / 125
第9話-04(終) 最後の闘い

 

 

 10年前の、その夜。

 ルクレッタは、家の窓辺にもたれ掛かり、じっと星を眺めていた。

 ギリアンが同僚を斬って逃亡した(むね)は、既に王都にも伝わっていた。その背後にある事情もだ。賢いルクレッタは、彼が逃げた理由まで察していた。そして、彼が次に取るであろう行動も。

 予感があった。日数から言っても、おそらくは、今夜あたり――

 と。

 ルクレッタは、窓の外の路上に、音もなくわだかまる影を見出した。夜そのものよりも黒い影。ルクレッタは窓を開けた。

 そして、2階から飛び降りた。

 影が慌てふためくのが気配で分かる。しかしルクレッタは平然と着地し、影のもとへ近づいていった。影、ギリアン・スノーのもとへ。

「お帰りなさい」

「ただい……ま」

 ギリアンは、面食らいながらも、彼女を抱き寄せた。ルクレッタは背伸びしてキスをせがんだ。触れ合った唇は炎よりも熱く、ひとつのもののように吸い付いた。

 このままもっと素晴らしいことをもしたいくらいだったが、今は、そうも言っていられない。

「事情は?」

 端的にギリアンが問えば、ルクレッタもまた端的に答える。

「聞きました」

「私は逃げる」

「一緒に行きます」

 こうなるだろうことを、ギリアンは完全に予測していた。

 そして、そのための心構えを決めていた。言うべき言葉、為すべきこと、全てあらかじめ用意しておいたのだ。

「だめだ。奴らの親は必ず私の命を狙うだろう。一緒にいれば、君も師匠も危ない」

「だから逃げましょう、遠くへ」

 答えは、用意していたはずなのに。

 彼女を目の当たりにすると、それを口にするのがこうまで辛いとは。

 胸の中で暴れまわる罪悪感と誘惑と後悔の予感、その全てを振り切って、ギリアンは言った。毅然として。

「だめだ」

 ルクレッタは、もう何も言わなかった。

 ギリアンは、彼女の肩をそっと押し退け、一方、身を後ろへ引いた。暖かな窓の灯りが遠ざかり、底知れぬ夜の闇が一歩近づく――

 それでも。

「私のことは忘れて、どうか幸せになってくれ」

 行かねば。

 行かねばならぬ。

 欲しかったものの全てをかなぐり捨てて。

「さよなら」

 彼は走り出した。

 闇が彼を飲み込んだ。

 ここが、これから彼の生きる世界。光の当たらぬ世界の裏側。こんなはずではなかったのに、堕ちるしかなかった淀み。

 ルクレッタとは、二度と会うことがなかった。

 

 

     *

 

 

 背中の傷は、炎のごとく燃えていた。

 溢れ出る血。背後に揺れる夕陽。遠ざかってしまった安息の日常が、彼の心をたまらなく惹き付ける。なぜこんなところへ来てしまったのだろう? こんなにも痛いのに。こんなにも熱いのに。治療のあてもない荒野の中を、どうしてひとり彷徨(さまよ)っているのだろう。

 振り返りたかった。引き返したかった。叶うことなら、もう一度。しかし――

 ――これは、もう、だめだな。

 妙に落ち着いている自分がいた。傷の具合、病状、そうしたものを、他人事のように冷静に分析していた。死ぬ。もう間もなく。そう確信した途端、それまで胸の中に封じ込めていた――10年に渡って隠し続けていたものが、熟した木の実の弾けるがごとくに噴き出した。

 ああ、ルクレッタ。唯一無二のルクレッタ。

 君はもう結婚したろうか。

 何処(どこ)かで、誰かと、別の幸せを掴んでくれたろうか。

 ギリアンは歩んだ。一歩。

 師匠はまだ存命であろうか。きっとふがいない弟子に憤っておられよう。だが一方で、厳しくも優しい老師は、今も私を心配してくれているに違いない。謝りたかった、一言、ただ一言でも。

 ギリアンは歩んだ。また一歩。

 故郷の家族。父と母、きょうだいたち。弟は立派に家族を守っているかな。父や母の傷は大丈夫だったのだろうか。今頃はみんな、種蒔(たねまき)の準備に大慌てだろうか。元気にやっていけているだろうか。

 ギリアンは歩んだ。さらに一歩。

 いつの間にか。

 彼の背から流れ出た血は、夕陽の(あか)に溶け込んでいた。

 背中のことだ、見えはしない。だが、見えずともギリアンにはそれが解った。はっきりと。

 ――なあんだ。“何もない”なんて間違いだった。

   あるじゃないか、私にだって。

   こんなにも、こんなにも――

 涙が零れた。

 子供のころから、ついぞ零したことのない涙であった。

 

 

     *

 

 

 ヴィッシュたち3人は、午後遅くになってようやくゴブリン狩りを終え、帰路に就いた。ヴェダ街道を西へ。

 3人じゃれ合いながら進んでいると、行く手に小さく人影が見えた。煌々(こうこう)と輝く夕陽の中に、やせ細った男の姿が浮かんでいる。よろめき、杖にすがり、何度も倒れかけながら、それでも歩むことを止めない。

 ヴィッシュは目を細めて見つめ、やがて気づいた。それが知った顔であることに。

「ギリアンじゃないか」

 駆け寄ってみれば、ギリアンの顔は逆光の中に青白く浮かび上がり、息は今にも絶えんばかりであった。それに、死を予感させるこの臭い。背中の致命傷が放つ血臭。

「どうしたんだ、お前、ひどい怪我じゃないか」

 ヴィッシュの言葉を(さえぎ)るように、ギリアンは一言、求める相手の名を呼んだ。

緋女(ヒメ)

 弱々しく、しかし、はっきりと。

「真剣勝負を所望する」

 ヴィッシュには訳が分からなかった。この男は後始末人である。その腕前はヴィッシュもよく知っている。緋女(ヒメ)が現れるまでは、間違いなく第2ベンズバレン支部で最強の男だった。だが、この病み衰えた体で、しかもあんな傷を負ったまま、緋女(ヒメ)と戦おうというのか? そんなことのために、ここまで来たというのか?

「馬鹿言うな、そんな体で……」

 と。

 横から剣のような腕が伸びて、ヴィッシュを黙らせた。

 緋女(ヒメ)の腕であった。

 彼女は炎の揺らめくがごとく、ギリアンの前に進み出た。刀の柄に手を掛けて、静かに一言。

「来な」

 言葉は、それで充分だった。

 ふたりは、それぞれの剣を抜いた。

 仲間たちが数歩下がって見守る中、ギリアンと緋女(ヒメ)は、じっと見つめ合った。身じろぎもせず、瞬きもなく、何百年も立ち続ける大木のように、ふたりはただそこに在った。鳥の声が消えた。風さえ止んだ。大地は凍り付いたかのようであった。

「……なんで始めないのかな。」

 術士カジュが呟いた。ヴィッシュは首を横に振る。

「始まってるさ。動けないんだ」

 ヴィッシュとて、それなりの使い手。腕前は彼らに到底及ばずとも、目に見えぬ応酬を感じ取ることはできる。

 ギリアンの集中力はかつてないまでに研ぎ澄まされ、緋女(ヒメ)の吐息ひとつにまでも鋭敏に反応している。故に緋女(ヒメ)は動けない。あらゆる打ち込みに、完璧な返しが来るのが()えるのだ。

 ありていに言えば――殺気。凄まじいまでの、殺気であった。

 あの緋女(ヒメ)を、完全に封じ込めてしまうほどの。

 見るがいい。それが証拠に、緋女(ヒメ)の額に汗が浮かんでいる。

 緋女(ヒメ)は、追い詰められている。

 ――初めて見た。これがあいつの本気なのか。

 ヴィッシュは息を飲んだ。

 もはや誰にも割って入れぬ。

 ここから先は、達人のみが到るべき(ところ)

 対峙は、いつ果てるともなく続き――

 そして。

 

 

 一瞬。

 

 

 刃が走った。

 緋女(ヒメ)の刀は真っ直ぐに、ギリアンの胴を断ち割った。その背後に揺らめき沈む、茜色(あかねいろ)の夕陽もろともに。

 ひととき、間をおいて、ギリアンは倒れた。

「おいッ!」

 首縄を解かれた猟犬のように、ヴィッシュは彼に駆け寄った。隣に(ひざまず)き、傷を診る。深手だった。緋女(ヒメ)に斬られたところは勿論のこと、背中の傷も極めて深い。

「カジュ! 治してくれ!」

「……無駄だよ。」

 カジュはそっと首を横に振る。

「ボクの術は、寿命を犠牲にして肉体の時間を巻き戻す。

 でも……その人の時間は、もう残っていないんだ……。」

「いいんだ、ヴィッシュさん。私はもう、どのみち……」

 消え入りそうな声で、ギリアンが言った。

「試してみたかったんだ。最後に、私が積み上げてきたものの全てを……」

 緋女(ヒメ)は、刀を鞘に納めると、ギリアンのそばに胡座(あぐら)をかいた。手を伸ばし、彼の頬に触れる。彼の体は急速に熱を失っていた。ずっと背負っていた熱いものが、体を離れて天へ昇っていくかのように。

 緋女(ヒメ)(ささや)いた。彼に、慈母の眼差しを向けながら。

「楽しかった。お前、強かったよ」

 思いがけない言葉。

 ギリアンは目を閉じた。その顔には微笑みが浮かんでいた。生涯で一度足りとも見せたことのない、心から満ち足りた笑顔。

「ありがとう……

 ここまで来て……良かったよ……」

 そしてギリアンは眠りに落ちた。

 微睡(まどろ)みの中に見た夢は、甘く優しいものだったが――やがて虚空に溶け、消えた。

 彼が最後に得たものは、ただ、安らぎであったのだ。

 

 

 

THE END.

 

 

 

 

 

 

 

■次回予告■

 

 魔界(ドリームランド)――そこはあらゆる不思議が起きる場所。夏を目前に控え、“う”のつくアレ絶滅の危機に直面する魔界の住人たち。彼らは適切な資源管理を行えるのか? “う”のつくアレの命運は? そして――本当に世界観は大丈夫なのか!?

 ひと味もふた味も違うテイストで贈る、シニカル・ファンタジー・不条理・コメディ。

 

 次回、「勇者の後始末人」

 第10話 “土用の丑の日は“う”のつくアレを”

 How should we attend the deathbed of "U"?

 

乞う、ご期待。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。