外伝-01 戦装束(メイク・アップ)
AD1310、
“
雪山遭難した学友リッキー・パルメットの救助を成し遂げ、死の淵にあったロータスの命を繋ぎ、そして、パートナーたるクルスとの絆を深めた――これは、そのしばらく後の出来事である。
*
カジュ・ジブリールは不機嫌だった。
クリスマス。どいつもこいつもクリスマス。まったくもって気に入らない。
どだい、クリスマスというもの自体が嫌いなのだ。あれは英雄セレンが
ましてや、恋人同士がいちゃつくだけのくだらないイベントなど。
「さーいれんなぁー。ほぉーおりいなあー」
が、クラスの愚民どもにとってはそうでもないらしい。浮かれた歌声が嫌でも聞こえてくる――お調子者のリッキー・パルメットだ。彼は早くも先週からトナカイの着ぐるみではしゃぎ回っている。うざい。
「よーよーよーよーカッジュせんせーっ! 何浮かない顔しちゃってんのぉ! あ・し・た・は、クリスマスイブだぜええ~っ?」
「だからどーした」
授業後、講義室の机で教科書片付けているカジュに、リッキーが後からもたれかかってくる。トナカイの角がごっつんごっつんぶつかってマジうざい。
「どーしたって! お祭りだろ? 明日からクリスマス休暇だろ? みなぎってくるじゃねえかああ!」
「キミがみなぎるのは勝手だけどね。それにサンタ服でつきあわされてるロータスがかわいそうだよ」
との言及を受けて、赤いふかふかのワンピースに身を包んだロータスが、顔を真っ赤にして、ポンポンつき三角帽子のすそを引き下げる。目もとを隠し、あの、あの、とためらいがちにカジュに耳打ちする。
「え? 実は? ちょっと楽しい?」
こくこくうなずくロータス。
このバカップルめ。
「はいはい。もう好きにして」
「オレが言いたいのは、だ!」
ビシッとリッキーが指立てた。
「お前もクルスと行ってくりゃいいんじゃね?」
「どこへ」
「クリスマスデートだろ!!」
ぞわぞわぞわぞわ。
カジュの背筋が粟立った。
「……ぜんっっぜん興味ありませんが何か!?」
*
ふざけたことを言うものじゃない。
クリスマスは恋人と過ごす日なのだろう。なんでそれをクルスなんぞと過ごさねばならないのか。
クルスなんぞと――
いや、“なんぞ”でもないのか?
“だからこそ”なのか?
先日、雪山遭難したリッキーを助けたとき、ふたりきりで夜を過ごしてしまった。あの時の高揚した気持ち、というか、赤面もののやりとりを、カジュとて忘れてしまったわけではない。それってやっぱり、“そういうこと”なんだろうと、思わないでもない。
なら、やるべきなんだろうか。
つまり、デート、とかを。
でも、あいつはべつに、そういうのじゃ……
思考が同じところをぐるぐる回る。そのせいで気づかなかったのだ。廊下の途中でクルスが現れ、声をかけてきたことにも。返事がないのをいぶかりもせず、横にぴったりついてきているのにも。耳元に、触れそうなほどに唇を寄せてきたことにも。
「ねえカジュ。」
「わあ!?」
教科書抱いて飛び上がるカジュを、クルスはいつもの無表情で見つめる。男にしておくのがもったいないほどの美貌が、じっとまっすぐにカジュばかりに向けられる。この嫌な癖はいつものことだが、今日ばかりは我慢がならなくて、カジュは彼を振り払うように脚を早めた。
「どうしたの。」
「別に」
「そう。ねえ、劇団ナフトル、知ってる。」
これはまた妙な単語が出てきたものだ。劇団ナフトルといえば今エズバーゲンで話題の歌劇団。胸にくる恋愛ものを
「まあ、知ってるけど?」
「クリスマス公演があるんだ。」
「ふーん」
「行こうよ。いっしょに。」
と、クルスが焼印が
「行こうって……」
ごく落ち着いた声でそういいかけて、はた、とカジュは気づく。
いま、こいつ、なんて言った?
演劇?
クリスマス?
――ふたりで!?
みるみる頭に血が上っていく。今ならおでこで炭酸水素
「めでたくないし!」
「なにが。」
「なんでもないよ! なにゆってんの!!」
「……いやかな。」
彼の表情が、
悪いことをしたかも、と心に差した罪悪感が、うっかり本音を引き出した。
「やじゃないけど……」
「じゃあ、行こうよ。」
心臓が、止まってしまう。
カジュはからだじゅう真っ赤に
「……ふゅん」
どうやら“うん”と言ったらしい。
クルスは微笑んだ。彼の乏しい表情が読み取れるようになったカジュには分かる。彼はほっとしているのだ。このお誘いが、彼なりに思い切った行動であったことに、ようやくカジュは気づいた。心底安堵した彼の笑顔に、カジュはおなかのあたりをザワザワとかき回されるような、背中を手のひらでくすぐられるような、快とも不快ともつかない感覚を覚えるのだった。
「よかった。ボク、ほんとうは……。」
「……ぅぉぉぉぉおおおリッキィィィィーキィィィィィーック!!」
そのとき、いきなり背後からダッシュで突っ込んできたリッキーのドロップキックが、言いかけた言葉ごとクルスをぶっとばした。ふたり
「よっしゃあああああああ!
やっるじゃねーかクルスこのやろーっ! フロントチョーク!」
「ありがとー。クルスぼんばー。」
「おげぅ」
締め技から抜け出したクルスの二の腕が、リッキーの
「お、う、おい、キメろよな、クリスマスデート。あ、ギブ、ギブ」
「がんばってみるよ。きゃめるくらっち。」
「ぇぐぇ。ちょ、死ぬ、ちょ」
そんなふたりをおろおろ見るばかりのロータスと、まだ壁にもたれたまま立ち直れないカジュ。そんな光景を、好奇心旺盛なクラスメイトどもが見逃すわけがない。いったいどこから湧いたやら、わらわらと人が集まり始める。アニもオーコンもデュイも、一般クラスのやつらまでも、人垣作ってはやし立てる。
「なんの騒ぎ?」
「クルスがカジュに
「マジで!?」
「デート誘ってたよ」
「クリスマスに」
うおおおお、と歓声。
「劇団ナフトル」
「きゃー! なにそれすごくいいー!」
「クルスー! すごーい!」
「お幸せにー!」
「しっかりやれよーっ!」
いつもの無表情をなんとなくアホ面ふうに崩して、リッキーに三角締めしながら、クルスは手を振り観衆に応える。
「うん。がんばるよ。」
こいつ、こんな顔ができるやつだったか?
こうなってはたまらないのがカジュだ。パートナーが今になって見せる思いもよらない側面に、ただただ圧倒されるしかない。いや、それ以前に……クリスマスに、デート? 観劇? クルスと、ふたりっきりで?
「……うわあああ! うわああああああああ―――――っ!!」
突如として悲鳴をあげると、カジュは脱兎のごとく逃げ出したのであった。
*
そのまま矢のように寮の部屋に飛び込み、さあ、途方に暮れる。混乱した頭で最初に考えついたのは、定時馬車の時間を調べることだ。職員室の掲示によれば、朝、昼、夕の1日3便。夕方では夜の公演に間に合うまいから、昼に出発。向こうまで2時間ほどかかったとして、随分時間に空きがある。どうしよう。ごはん? 食べてもまだ余る。何する? どこいく? なんにも知らない! 慌てて図書館に飛び込んで、資料を探す。だが、
散らかりまくった部屋の中で、それ以上に散らかった頭を抱えて、カジュは力なくベッドに倒れ込んだ。
心臓が、信じられないくらいに興奮している。
それが、カジュには鬱陶しい。
と、誰かが部屋の戸を叩いた。クルスじゃあるまいな。こんな顔、見せられやしない。
だが、外から聞こえた声の主は、予想外の人だった。
「あの……わたし、ロータス……」
安堵の溜息をつき、戸を開けてやると、サンタの衣装の奥でロータスが控えめにはにかんでいる。
「なに?」
「あの、これ……」
彼女が胸に抱えているのは、鏡だった。脇には竹のバスケットも提げている。そのフタを開けて見せてくれたのは、よく分からない小瓶、筆のようなもの、ハサミ、そのたもろもろ。さながらちょっとした工芸用具。あるいは、外科手術器具のようにも見える。
首を傾げるカジュに、ロータスは嬉しそうに言った。
「おめかし、手伝おぅ、と……思って……」
消え入りそうな彼女の声が、こんなに頼もしく思えたことはない。
彼女の“おめかし”は、実に手慣れたものだった。
鏡の前にカジュを座らせ、後から髪を
ロータスの技は、さながら魔法のようであった。術師のカジュをしてそう思わせるほど、そこには驚異が満ちていた。
「いつもこんなことしてるの?」
「うん……」
「めんどくない?」
「あの、リッキーが……」
頬を桜色に染め、言葉の最後は、やっと聞こえるかどうかの小声になって、
「かわいいって……言ってくれるから……」
「聞いたカジュがバカでしたーっ」
髪型をいじり終わると、ロータスはカジュの正面に回りこんだ。小瓶に詰まった液体、粉、そういうものを筆か
「化粧、するの?」
「ちょっとだけでだいじょうぶ……カジュ、きれいだから」
そう言われて、悪い気はしなかった。そこで、美の魔法使いのなすがままに任せた。自分のからだをいいように
ロータスの体温を間近に感じている間に、あっさりと化粧は終わった。
「……見て」
言われるままに鏡を見て、カジュは言葉を失った。
自分で言うのはおこがましい。だが彼女はとっさに思ってしまった。
――これは、美少女だ。
「どう……かな?」
「すごい……」
鏡の向こうで、ロータスが声もなく笑っている。
「服も、貸してあげる……ね……」
「ありがと」
「きっと、クルスくん、かわいいって言ってくれるよ……」
心臓がぎくりと痛む。
「かもね」
鏡に映る自分の姿に――
確かに、これで多くの問題が解決した。ロータスには感謝の言葉もない。しかし彼女の手練の見事さが、かえってカジュを苦しめる。これが女子というものなのだ。勝負に挑む前段階でさえ、みんな、これほどの技術をもって変身を遂げるのだ。
では、その先に――いざクルスとふたりきりになった後に、一体どれほどの手練手管が要るというのだ?
着こなしや化粧や髪型作りと同じだけの、ひょっとしたらそれ以上のノウハウが、そこにはあるはずだ。なのにカジュは何も知らない。こればっかりはロータスの助けも借りられない。デートの場についてきてもらうわけにはいかないのだから。
「どうしたの……?」
鬱々としたカジュの心を読んだか、ロータスがそっと肩に手を添えてくる。
「……なんでもない。服、見せて」
彼女に、これ以上迷惑はかけられない。
これは、自分で解決すべき問題だ。
そんな気がした。
*
なのに答えは出ないまま、朝はいつもどおりやってくる。
ロータスに借りた服、作ってもらった髪形、施してもらった化粧。その姿は全身鎧に
後れを取るわけにはいかない。
これは女の戦いだ。
胸の中でもやもやと渦巻くものを無理やり押さえつけ、
と、そのときだった。
「LN502号!」
背後から製造番号を呼ばれて、カジュは、ギッと骨を
*
待ち合わせは校門前。今日からクリスマス休暇。開け放たれた門から、学生たちが外の世界に溢れていく。丘の下へ駆け降りて行く者、ひさびさの外界をじっくりと眺めながら歩む者、他愛もないいつも通りのおしゃべりに興じる者。心のうずくようなざわめきと、我慢しきれず巻き起こる歓声。
その中で、門柱に背中を預け、彼は白い息を吐きながら待っていた。コートのポケットに両手を突っこみ、足先で芝の上の霜を払ってやりながら――
人ごみの中からその姿を見いだしたとき、カジュはうすぼんやりした不安に襲われた。冬の清らかな陽射しを浴びるクルスの姿は、白い光を放つかのように鮮やか。そこが踏み込むべからざる聖域に思えて、彼の元へ進む足が止まる。
だが、校門に向かう人の波が、彼女のためらいを許してくれない。誰かに軽く背中を押され、カジュは列からはじき出されて、気が付けばそこはクルスのそば。
「やあ。」
クルスが微笑む。
「……うん」
不機嫌に顔を逸らしながら、それでもカジュはちらちらと彼の表情を窺う。いつもの無表情がほんの少しだけ緩んだ。
クルスは囁いた。
「すてきだ。カジュ。」
嬉しさと不安と緊張と興奮と、言い知れないからだのうずきが
行こうか、と穏やかに言って、クルスが歩き出す。
カジュはためらった。
でも言わなきゃいけなかった。
――いや、言ってしまいたかった?
「クルス!」
呼び止められ、彼が無表情をこちらに向ける。
「あの……ごめん。実験、入っちゃった」
時間が凍りついた気がした。
彼は何も言わない。
カジュの舌が無用の
「リガノフ先生にいきなり宿題出されちゃって。明日までにトーニキロン反応のデータ取っとけって。ふざけた話だよね。あれ先生の研究だよ。ていよく生徒を助手代わりに使ってくれてさ」
沈黙。
「クリスマスは、また来年にしよ」
沈黙。
「……ごめんね」
沈黙――
やがて。
無限に思えるほどの時間が過ぎて、クルスはいつものように、優しく微笑んだ。
「そっか。しかたないね。」
でも、カジュの目はごまかせない。
気の抜けた言葉。今まで見せたことのない、カジュにすら感情の読めない、微妙な表情。
クルスは寮のほうに戻っていった。
ずきりと胸を痛めるカジュを、ひとり、その場に残して。
(つづく)