勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第12話-07 義の一槍

 

 

 魔族ムードウは夜明けを待って状況の確認に取り掛かり、小一時間をかけてようやく残存戦力を把握し終えた。

 その結果見えてきた惨状は、想像を遥かに超えていた。

 防護柵や櫓、生活設備、備蓄などは根こそぎ焼き払われ、拠点機能はほぼ完全に喪失。主力となる鬼の部隊は片っ端から斬られ、あるいは逃亡し、残った手勢は僅か20名足らず。しかもそのほとんどが、並の人間にすら体格で劣る臆病な小鬼たち。最初の爆発で戦意喪失し逃げ隠れしていたから生き残っていたような連中だ。

 後始末人の手腕は見事なものだった。たった3人でこちらの陣容をいいように掻き回し、まとまった反撃を許さぬままに戦力の中核を破壊。手際よく、的確で、そのうえ徹底的。完全にしてやられた。もはや組織だった行動はとれまい。

 つまり――実質的に、野盗団は崩壊したのである。

 ムードウは膝をつき、むせび泣いた……

「ウッ……ウオオッ……!

 10年だ! 10年かけて、私はこつこつと部下を集め……拠点を築き、戦いに明け暮れ……ようやくここまでの組織を作り上げたというのに……

 なのに、これだけか! 残ったものは、たったこれだけなのかあっ……!」

 人目もはばからぬ友の号泣。小鬼のコバエが心配そうに周囲をうろつき回る。ゴルゴロドンがそばに座り込む。小鬼の頭脳では慰めの言葉も浮かばないが。大きすぎる巨人の手では肩を撫でてやることもままならないが。

「ああ、友よ……」

「酷い! 酷すぎる!! 私の人生はいったいなんだったのだ!? なんのために今まで! 魔王様亡き後、泥水をすすり、生傷に悶え、薄汚れた血で我が身を穢して、それでも生き抜いてきたというのに……私の人生の価値は、たったこれだけだったというのかッ!?」

「我が友よ、ムードウよ、今は退こう。森に逃げ込めば軍隊を動員したとて追いきれるものではない。潜伏して再起を図ろう。次の機会を待とう。それが何より良いことだ」

 ムードウが大きく溜息を吐いた。

 ゆらりと、陽炎のように立ち上がる。

「……行くぞ、ゴルゴロドン」

「どこへだ?」

「第2ベンズバレン」

 巨人ゴルゴロドンの眉が跳ね上がる。()()()、とその表情が如実に語っている。()()()()()()。しかしムードウは友の顔を見てもいない。空と大地の間あたりを、虚ろにじっと見降ろしたまま、狂気じみた炎を瞳孔の奥に燃やしているだけだ。

「最後の戦いだ。あの街を潰す」

「無茶だ。死にに行くだけだ」

「親友よ。気付かないか? 鼻が()()()()()にありすぎて、この臭いが届かないのか?」

 ムードウは左の袖をまくり上げ、失くした腕の切り口を朝日の下に晒した。その有様を見て、ゴルゴロドンが絶句する。

「私の腕は腐り始めているんだ。じきに血に毒が回る。もう助からん……」

 ムードウは震えていた。

 死の恐怖にか。口惜しさにか。どうしようもない生の無常に対してか。

 救いを求めるような囁き声は、やっとのことで巨人に耳に届いた。

「兵はなくともお前がいる。きっと勝てるさ。なあ、ゴルゴロドン……」

 巨人ゴルゴロドンは目を伏せる。

 ――なんと悲惨な……

 ムードウは、死を覚悟している。何もかも分かったうえで、全て諦めたうえで、それでも動かずにはいられず、向かうべき先を求めている。目標と言えば聞こえはいいが、その実、ただ死にざまを選ぼうとしているだけだ。もはやそれ以外に、彼の意思で選びうるものなど、何ひとつ残ってはいないのだ。

 どうして今のムードウを見捨てられよう。

「分かった」

 ゴルゴロドンは立ち上がった。

「いっしょに行こう。なあ、友よ」

 

 

  *

 

 

 一方、ヴィッシュたちは荒野から南下。第2ベンズバレンの北方約5km、プロピオン宿付近の小山に登っていた。この辺りには住人が薪採りや豚の放牧に使う穏やかな里山が連なり、その谷間には、ほとんど地元民しか使わない細い山道が何本もうねり進んでいる。

「次の戦場はこのあたりになるな」

「なるのか。」

「なるさ。説明しようか」

 ヴィッシュは手近な枝を折り取り、土の上に地図を書き始めた。第2ベンズバレンから北の荒野までの概略図である。しゃがんで覗き込むカジュの目の前で、魔法のように淀みなく印や矢印が書き込まれていく。

「ここが街。ここが俺たちの現在地。敵の拠点はここ。おそらく敵は、こう……いう……ルートで明日未明を狙って街に攻め込む」

「いやいや。当たり前みたいに言いますけどね。」

「敵は戦力の大半を失い、残る手勢は多くて小鬼30匹。首領の魔族と助っ人の巨人は健在だ。この状況で考えられる行動は大きく分けて2つある」

「ひとつはどこかに潜伏して再起を図ること。もうひとつはヤケを起こして大胆な攻撃に出ること。」

「正解」

「後者と断定する根拠は。」

「戦闘中、魔族ムードウから腐った臭いがした。負傷後の処置がかなりまずかったんだろう、おそらく傷から壊死しかかってる。奴はもう長くない」

 カジュが目を丸くする。あの激しい戦闘の中でそんなところに目を付けていたとは。

「それでヤケクソパターンか……。」

「仮に潜伏パターンでも問題はないんだ。首領が死ねば残るは知能の低い鬼だけ。遠からず野盗団は自然消滅する。いずれにせよ、俺たちが備えるべきは第2ベンズバレンへ襲撃のみ、ってことさ」

「うーん、さすが……。」

「手分けして罠を仕掛けよう。城壁に取りつかれる前に食い止めるのが理想だ」

「あいあいさー。」

 

 

   *

 

 

 御者の青年は度を越えたおしゃべりだった。

 名前はパンチ。馬車曳く老馬はローディ。第2ベンズバレンと王都ベンズバレンを仕事場にしている輸送業者で、月に4回も両都市を往復しているのだという。荷馬車なら片道4日ほどの行程だから、ほとんどひっきりなしに移動し続けていることになる。

 パンチの年齢は19。好きな食べ物は第2ベンズバレン名物スルメの天婦羅(フリッター)。揚げたてをつまみに麦酒(エール)()りながら、趣味の大道芸人巡りをするのが休日お決まりのパターン。最近のいちおしは港広場で聖アブシャールのパロディをやっている仮装芸人コンビ、バッケラ&イバッテラ。よりにもよって教区大聖堂のド真ん前で聖人のパロをやるところが最高にクール。

 ほんの小一時間で十年来の友人ばりに素性を知ってしまった。それほどパンチは喋りまくった。いつもの緋女ならこういう出会いは大歓迎。愉快に盛り上がって、街につく頃には完全に友達になっていただろう。

 だが今は、そんな気にもなれない。

「それでっすね、最近は王都もけっこういいんすよォ。2、3年前はやべえ暗え頭ガッチガチの街でしたけど、第2で評判になった芸人がちょっとずつお貴族様とかに呼ばれてるみたいで。いやァー、いい流れっすよこれは! ストリートの芸人が上にウケ始めたら、こりゃ、爆発的お笑いブーム到来の予感っつーんすか? 10年後ぜってーこの国はお笑い先進国っすよォー!」

「あー、(わり)ィ」

「はい?」

「ちょっと、疲れててさ。少し、寝てていいかな……」

「あーどうぞどうぞどうぞどうぞ! ローディ、揺らさないように歩けよォ」

 ぶしゅん、と馬がくしゃみで応える。

 緋女は木箱に背を預け、目を閉じた。

 眠りは音もなく忍び寄り、緋女はなすすべもなく夢の世界に吸い込まれていった……

 

 

 夢の中で緋女は、日課の素振りに取り組んでいた。

 まだ凍てつくように冷たい氷霧の早朝。まっすぐに地平へと切先を向けた正眼の構え。剛刀の柄を噛みしめるように丁寧に握り、ゆっくりと、大上段に持ち上げる。緋女の両目は目前をつぶさに捉えながら、同時に、さらにその向こうを、脳裏に描いた敵の心理の奥深くまでもを眺め、また睨んでいる。全身の筋肉の動きが感ぜられる。()り糸が解けるように筋肉を緩め――刹那、絞る。

 恐るべき剣速で刃が真一文字に振り下ろされた。霧が裂ける。風が唸る。その音が、振りの後から遅れて聞こえる、それほどの速度。

 だが。

 緋女は目を固く閉じ、唇をへの字に歪めて結んだ。

 ――ぜんっぜんダメだ。

 その気になれば板金鎧さえ両断するだろう、それほどの振りであったが、それでも緋女には満足いかない出来だった。並の剣士なら感心して言うだろう、「その太刀筋でなんの不足があるのか? 充分じゃないか」と。そうかもしれない。この剣でも斬れるものはいくらでもあるだろう。

 だが、()()()は斬れない。

 この剣では――届かない。

「素振りってのはね。自分自身との対話なのよ」

 背後から懐かしい声がした。

 振り返りたかった。なのに身体が動かない。姿を一目見ることもかなわない。誰の言葉かはすぐに分かったのに。

 師匠。緋女に剣を教えてくれた――緋女を“ひと”にしてくれた恩人。彼女はかつて、繰り返し繰り返し、噛んで含めるように諭してくれた。その言葉が、一言一句たがわず蘇る。

「ひと振りごとに問いかける。

 あたしは何を斬る? なぜ斬る? どうやって斬るんだ?――ってね。

 でも、そんな思考は刀を振るうちに消えてしまわなきゃいけない。

 問いも、答えも、残してはいけない。

 彼も無く、我も無くなったその時、目的と手段は肌身の奥に染み付いて、刃と一体化し、太刀筋となる」

 ――分かんねえよ、師匠。

 気力を失い、刀を下ろし、苦しげに目を伏せる緋女。

 辛うじて柄を握る拳を、背後から、優しい手のひらが包んでくれた。

「焦りなさんな。あんたはもう、ちゃんと()っているわ」

 手を通じて、不思議な温もりが緋女の身体に注ぎ込まれた。

()()()()()()()()()()()()()

 じっくり見つめてごらんなさい。あんたというひと振りの剣が、どこから来て、どこに在って、どこへ進んでいくのかを。さあ、手に力を込めて――」

 緋女は大きく胸に息を吸い、ゆったりと、細く吐き出した。目の前で霧が渦を巻く。

 もう一度。

 緋女は剣を振る。

 汗が弾け。

 呼気が切れ。

 四肢の筋肉が引き絞られる。

 フ! と、気迫が霧を切り裂いた。

 

 

   *

 

 

 宿場町から少し外れた里山の山道に、魔族ムードウ率いる野盗団残党の姿があった。コバエが小鬼たちの指揮を取り、即席のソリに積んだ丸太の山を曳いている。その後ろには十数本の丸太を軽々と小脇に担いだ巨人ゴルゴロドン。ムードウはソリの上に横たわり、死んだように目を閉じている。

 ここまでくる道すがら、ゴルゴロドンは友人の状態を時折確認した。お世辞にも体調が良いとは言えない。今では苦しげな様子さえ見せなくなり、ただただ青白い顔でか細く呼吸をしているのみだ。ムードウはそれでも周囲に気を配り、ゴルゴロドンの視線に気づくと、大丈夫だ、とばかりに笑って見せた。

 ――心配いらぬ。まだ()()よ。

 彼の生気のない表情がそう語っている。

 その顔を見るたび、ゴルゴロドンの胸が痛む。

 この瀕死の友に対して、自分が一体なにをしてやれるというのか。何もできはしない。ただ見ているだけだ。こんな巨大な身体と、(ヴルム)さえ引きちぎる膂力(りょりょく)を持ちながら、自分はあまりにも無力だ。

 やがて一行は目的の場所に辿り着いた。ある小山の、まばらな樹木に覆われた斜面の中腹。この位置からは、遥か6kmも南にある第2ベンズバレンの城壁が、遠く地平線上に(かす)んで見える。コバエが小鬼たちに命じてソリを止め、ピョンピョンと魔族ムードウの元へ跳ねてくる。

「ついた。ついた」

「……ああ。よくやった、コバエ。よくやった……」

 ムードウが震えながら身体を起こした。コバエは顔の右半分で褒められたのを喜び、左半分で主人の衰弱を心配していた。歪んで繋がった半々の表情が妙におかしく思え、ムードウは声もなく笑った。

「コバエよ。よくここまでついてきてくれた。お前は知っているだろう、拠点の奥の隠し部屋。そこに残った財産をしまっておいた。ほんの僅かだが……お前にやろう」

 コバエは何も言わない。話が長すぎて理解できなかったのだろう。ムードウは改めて、平易に簡略に繰り返す。

「隠し部屋。宝物。お前にやる」

「なんだ?」

「行け。逃げろ。お前まで死ぬことはない」

「なんだ!」

 コバエが手を伸ばし、ムードウに触れようとする。助け起こそうとしているのだ。いつも病床でしてくれたようにだ。ムードウは身体に残る力を振り絞り、コバエの手を払いのけた。痛む肺に息を吸い込み、気力だけで声を張り上げた。

「行け! はやく行けッ!!」

 一喝されてコバエは震えあがり、飛ぶように退散した。他の小鬼たちはそれを見て我先にと散っていく。小鬼たちの賑やかな鳴き声が消え、あとにはうずくまるムードウと、一部始終を見守るゴルゴロドンが残るのみ。

 ムードウは脂汗さえ浮かばなくなった死にかけの顔で、ゴルゴロドンに目配せする。

 ――心残りはもうない。さあ、やろうか。

 ゴルゴロドンは静かに頷き、丸太の一本を掴んで、立ち上がった。

 

 

   *

 

 

 罠の設置を進めていたヴィッシュの耳に、不意の重低音が届いた。はたと顔を上げ、立ち上がって耳を澄ます。音がもう一度来た。どこかで樹木が倒されているのだ。しかし木こりの仕事にしてはおかしい。間隔が短すぎるし、斧の音も聞こえない。まるで何か()()()()が、腕力で無理矢理木々を薙ぎ倒しているような……

 ――まさか!

 ヴィッシュは走り、見通しのいい斜面に登った。

 うねるように連なる、森林に覆われた小山。そのうちひとつの斜面で、木々が不自然にざわつき、悲鳴にも似た音を響かせながら倒れていく。その向こうに巨大な頭が見える。

 ――巨人の旦那(ゴルゴロドン)?!

 このタイミングは想定外だ。ヴィッシュの読みでは、敵の第2ベンズバレン襲撃は今夜。少数精鋭で攻めるなら、相手の混乱を誘うために夜陰に乗じるのが鉄板の戦術だ。こんなに日が高いうちに姿を現してもメリットはないはず。

 ふと、ヴィッシュはゴルゴロドンの手元に目を留めた。

 巨人ゴルゴロドンが、何か長い、槍状ものを持っている。あれは――丸太?

 と、そのとき。

「ヌオオオオオ―――――ッ!!」

 雷鳴よろしく咆哮轟き、丸太が空高く投擲された。

 その勢いはさながら電撃。轟音立てて空を切り裂き、丸太の槍がヴィッシュの頭上を通過する。その風圧でヴィッシュはたじろぎ、数歩後ずさりさえした。

 その数秒後。

 轟音とともに、丸太の槍が――6()k()m()()の第2ベンズバレン城壁に命中、堅固な石壁に大穴を穿(うが)った!!

「……は……?」

 ヴィッシュが皿のように目を丸め、

「おいッ!? 冗談だろォっ!?」

 まともに声を裏返した。

 なんという常識外れ! 第2ベンズバレンの城壁は遥か彼方、地平線上に薄く霞んで見えるほどの位置にあるのだ。こんな飛距離の()()()など完全に想像を超えている。しかも、ただの丸太一本がこの威力。何発も受ければ城壁の一角が完全に崩壊するし、もし壁を飛び越えて中の街に命中したら――考えるだに恐ろしい。

「ヴィッシュくんっ。」

 唖然とするヴィッシュの頭上に、《風の翼》でカジュが飛んでくる。

「カジュ! あれは魔法か!?」

「筋肉だね。」

「まさかだろ」

「巨人くんの身長から筋肉量を推定、力積と丸太の質量から初速を計算すれば水平到達距離は通常の100倍に達すると見積もれる。」

 槍投げの名手なら80m以上は飛ばす。その100倍と考えれば、

「この距離でも充分に射程圏内、か……!」

 などと分析している間に巨人の槍投げ第2射。再び辺りを震撼させて巨大槍が飛び抜けていく。これは狙いを外して城壁の少し手前に落着したようだが、その威力たるや、丸太が深々と地面をえぐり、周囲に爆炎と見まがうばかりの砂埃を巻き起こすほど。

 長引かせるとまずい。ヴィッシュは武装を手早く拾い上げて駆けだした。

「ちっくしょう、仕掛けが全部無駄になった! 予定変更だ、槍投げを止めるぞ!」

「イエッサー。」

 

 

(つづく)

 


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