勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第16話-08 拒絶された逃走

 

「説明しましょーう! まず呪文場平衡空間上にテンポラリな排他的領域を確保しまーす。そしたら物理世界からその領域への写像を作成しィー、物質粒子に右からかけ算してやればァーっ……」

 ミュートはぴこぴこと人差し指を振りながら、右へ左へうろつきつつ、講師気取りで上機嫌に解説を披露した。魔術的な専門用語などヴィッシュに理解できるはずもないが、そんなことはおかまいなしに。

 やがて彼はヴィッシュの正面までくると、左右の腰に両手をついて、自慢げに胸を張って見せた。

「なななァーんと!! 物体を転送できちゃうんですねーっ! すごーいっ! さっすがミュートくん天才っ! 拍手ーっ!!」

 周囲の不死竜(ドレッドノート)たちが一斉に後ろ脚で立ち上がり、前足を叩き合わせ始める。無論、自分の意思でしていることではない。全てミュートの操作で動いているだけだ。ただの茶番だ。しかしそのゴツゴツと重苦しい拍手に大満足で、ミュートはヴィッシュの目の前にしゃがみ込む。

「はやい話が、あの2人は異世界に捕まえた。助ける方法はひとつ。おれを殺すことだけだ」

「……殺してくれ」

 ミュートのにやにや笑いが固まった。

 やっとのことで持ち上げたヴィッシュの顔に嘘偽りはなかった。彼は本気で、殺してくれと懇願しているのだ。

「わかるよ、ナダム。すごく……わかる。

 だから、殺してくれ。好きなように恨みを晴らしてくれ。

 殺されてもいいよ、お前になら……」

「うん……」

 ミュートはゆらりと立ち上がり、後頭部を掻いた。頭蓋骨に辛うじてへばりついていた皮膚がひとかけ、千切れ落ちて地面にへばりついた。たまらない腐臭がそこから立ち昇り、ヴィッシュの鼻を衝く。

 ミュートは息を吸った。溜息を吐くために。既に死んだ彼の身体は、呼吸を必要としない。ならば息を吸うのはただ、言葉を放つため。意思の切れ端を、世界という暗闇の中でひととき閃かせるためだけだ。

「やっぱ、そうだよな……

 正直分かってた。お前ならそう言ってくれると思ってたんだ。おれのためなら、お前は喜んで死んでくれる。本当に変わらない。昔から優しい男だったよな、お前は……

 だから」

 ミュートの目に再び淀んだ狂気が燃える。

「お前を()()()()ことにしたんだ」

 包帯の下に、異様な笑顔が浮かび上がる。

「おれァね、色々考えたよ。この腐った脳みそなりに色々な。殺しちゃだめだ。お前を楽にしてやるだけだ。ならどうすれば復讐になる? 一番苦しめられる? おれの大好きなヴィッシュくんは、一体何を一番嫌がるんだ?

 結論! それは! お前の大切なものを何もかもブチ壊して!! 何もない不毛の荒野にお前ひとりを生き残らせることだ!!」

 ミュートが鼻先にまで迫りくる。ヴィッシュの頬を優しく撫でる。友情と慕情と、愛とを籠めて。

「“わかる”と言ったな? “すごくわかる”と?

 ……勝手に“わかって”んじゃねェよッ!!

 《悪意(これ)》はおれのものだ。おれだけのものだ。お前の《悪意》とは別物なんだ。だからおれがお前の《悪意》を示してやる。恋人を。仲間を。友達を。仲良く付き合ってきたご近所さんを。かつてその手で救い出し、今は幸せに暮らしている人々を。みんな引き裂き、磨り潰し、苦痛と狂乱の末に殺し尽くして、おれが《悪意(そこ)》へ導いてやる。おれたちって、いつもそういう関係だったじゃないか?」

「やめろッ!!」

 すさまじい悪寒と恐怖のために、ヴィッシュは無意識に立ち上がった。両手でミュートの肩を掴み、涙の浮いた目で彼の濁った眼球を直視した。包帯の奥のミュートの目は揺らぎもしない。迷いもしない。ただひたすらに黒い炎のような《悪意》を湛え、まっすぐにヴィッシュを見つめ返してくる。

 その視線が、肉と骨を引き裂かれそうなほどに痛々しい。

「そんなことして何になる!? 何の意味がある!? 緋女やカジュは関係ない! 他の人たちもだ! ナダム、お前はいつだって理詰めの男だったじゃないか。誰より賢くて、誰より冷静で、道化を装っていたっていつも未来を見通していたじゃないか!」

「そうさ。今だって未来を見てる」

 ミュートが自嘲して笑う。疲れ果てた笑い声の、なんと空虚なことか。

「おれさ……もう、食べ物の味が分からねえんだ。

 何食べても砂を噛んでるみたいでさ……無理矢理食っても胃袋の中で腐っちまって、結局吐き出すことになる。食事だけじゃない。睡眠も、セックスも。生き物が生きるためにする快楽の全てを、おれは喪ってしまった。

 分かるか、ヴィッシュ? これが()()だ。

 おれはただただ腐っていく。

 ()()()()()()()()()()()()

 とん、とヴィッシュを突き放し、ミュートは《風の翼》で飛び上がった。不死竜(ドレッドノート)の頭上に降り、月光を背負ってヴィッシュを見下ろす。逆光に黒々と浮かぶ彼の姿は、さながら凝り固まった暗闇そのもの。

「仲間を助けたければ、インネデルヴァルの古城に来い。パーティの準備をして待ってるぜ。

 ほおーら! いつのまにか立ってるじゃねえか! アッハ! やっぱりお前にはシンプルなのが一番いいのさ。な? そうだろヴィッシュ。ハハハハハ!」

 (ヴルム)たちの足元に大型の《転送門(ポータル)》が開く。1頭また1頭と、死の赤眼が地面の下へ沈んでいく。やがてミュートの姿もまた闇の中に飲み込まれて消えた。

 茫然と立ち尽くすばかりのヴィッシュを、生者なき街にひとり、置き捨てたまま。

 

 

   *

 

 

「どわっ」

 いきなり暗闇に投げ出された緋女は、なすすべもなく地面に転落した。というか少なくとも、地面のようなところへ。というのは、周囲は光の一筋さえ差さない漆黒の闇に包まれており、暗視能力のある犬の目でさえ何ひとつ見ることができなかったのだ。

「なんだここ? カジュいるーっ?」

「そりゃいるよ。」

「うわ!?」

 いきなり耳元でぼそりと囁かれ、緋女が驚いて飛び上がる。確かにカジュの匂いはするが、やはり姿は見えない。手探りで闇の中をまさぐると、指先が固いものに触れた。

「あー、いた」

「灯りつけるよ。」

 カジュの呪文に応えて《発光》が発動し、白い光の玉があたりを照らし出した。見えてきたのは泥まみれになった緋女の顔と、相変わらずのカジュの仏頂面。とりあえず大きな怪我などはないらしいと確認して、お互いほっと溜息を吐く。

「で、ここ、どこ?」

 見回したその場所は、完全に常軌を逸した空間だった。

 一見して、途方もなく深い井戸の底のようである。ただしその半径は家の数軒を建ててなお余るほど。一体どれほどの深さがあるのか、上を見上げても空らしきものは全く見えず、ただただ暗闇。そもそも天井に塞がれているのかもしれないが。

 床や壁の材質は荒く削り出した岩のようだが、見る角度を変えると、木のようにも、肉塊のようにも見えてくる。触れてみれば磨き上げた鋼鉄に似た感触で、そのくせ、どこかほんのりと人肌めいて温かい――

「……わけわかんねーな?」

「これが噂に聞くアビスホールかな……分かんないけど。」

「なにそれ?」

「まあ異世界みたいなもんだよ。」

「冗談じゃねえ。早く帰らないと」

「見込み薄でしょ。」

「なんで?」

 カジュはそこらの壁をペタペタと撫で、いくつかの魔法陣を指で描いて空中に投げている。光が瞬いては消える。一体何をしているのか緋女には全く分からないが、おそらくカジュなりにあれこれ試してみているのだろう。

「内部から抜け出すのは多分無理だね。となると、術者に解除させるか、殺すしかない。」

「ふんふん」

「さて、誰が死術士(ネクロマンサー)ミュートを殺してくれるでしょうか。」

「ヴィッシュがいるだろ?」

「だから見込みないって言ってんの。」

「なんで?」

 カジュは苛ついて頭を掻いた。

「もうはっきり言おうか。ちょっとヴィッシュくんに幻滅してる。」

 そう吐き捨てるカジュの視線の、見たこともないような刺々しさ。《発光》の光球が、ゆっくりとふたりの間に割って入る。カジュが小さな胸を精一杯に膨らませ、小動物の威嚇そのものの切実さで、早口にぶちまけていく。

「あのていたらくは何だよ。完全に戦意喪失しちゃってさ。おかげさまでこのザマでしょ。一歩間違えば誰か死んでた。ひょっとしたらそれはボクかも、緋女ちゃんかもしれなかった。

 まあ気持ちは分かるよ。辛いだろうよ。殺し合いたくないだろうよ。

 でもね。それとこれとは別問題でしょ。目の前に仕事があるなら片付けるのが大人でしょ。座り込んで泣きわめいてゲーゲーやってたって物事解決するわけじゃない。10年も昔のトラウマでいつまでウジウジ言ってんだって話だよ。」

「大人だから泣きたいこともあるんだろ」

「子供だって泣きたいことばっかだよっ。

 なんだよ甘やかして。一回セックスしたくらいで嫁さん気取りかっ。」

 睨み合うふたり。

 木霊(こだま)する吐息。

 緋女とカジュは、お互い同時に顔を逸らした。

「……何なの。あの、ナダムってひとは。」

「兄弟みたいに思ってたって……それしか知らない」

「そっか……。」

「うん……」

 そのとき、ふたりは弾かれたように顔を上げた。周囲の壁には小さな横穴が無数に口を開けているのだが、その暗がりの奥に蠢いているものがいたのだ。《発光》の光を反射して、黒々とした眼球がぬらりと煌めいた。

 どうやらこの異世界には魔獣まで棲みついているらしい。緋女がにやりと口の端を吊り上げた。

「ありがてえ」

「なにが。」

「ケンカする暇なさそうじゃん?」

 太刀を構えながら肩越しに振り返る緋女の表情は、本当に心から嬉しそう。そんな無邪気な顔をされると、文句を付ける気も削がれてしまう。カジュはひょいと肩をすくめ、緋女の隣で杖を握った。

「ずるい人だよ、ほんと。」

「来るぜェ!」

「ほいさ。」

 

 

(つづく)

 

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