勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第19話-02 今、できること

 

 

 つい数日前まで市内にあった抵抗軍(レジスタンス)の診療所も、今では森の拠点の隅の天幕ひとつきりになってしまった。当然、患者は溢れる。天幕の前に寝かされた患者で地面が見えぬほどになる。その間を医師モンドはくたびれた脚でまたぎ歩き、ただ眼光ばかりを鋭くぎらつかせて、手早くひとりひとり診察を下していく。

「2。0。0。これも0」

 患者に機械的に番号が割り振られていく。そこへ年かさの兵士が荷車を引きずって駆け込んでくる。

「先生、追加です!」

 荷台には槍傷からどくどくと血を流し、悲痛に泣き叫び続ける若い兵がひとり。モンドは傷を一瞥(いちべつ)し、

「1だ」

「よし、運べ!」

 男衆が手分けして怪我人を運んでいく。番号ごとに別の場所へだ。

 1は、すぐに手当てする者。

 2は、手が空くまで待たせておく者。

 そして0は、とうてい助けられぬ者。

 限られた医者の手を最大限に生かすため、怪我の具合で選別(トリアージ)して、救えそうなものだけ救う。手をかけなくても生きられそうなものには耐えてもらう。どうにもならぬ者には、死んでもらう。

「さて、やるかいね」

 モンドは死人のごとき冷淡さで仕事をこなし、また次の仕事のために天幕をくぐった。見殺しにされることも知らぬまま他所へ運ばれていく0番の患者たちには、それっきり眼を向けようとさえせずに。

 

 

 こうして陣営の裏手へ運ばれた0番の者は、野ざらしのまま草地へ寝かされる。彼らの間を駆け回るのは、何の技術も知識も持たない子供たちだ。

 その中に少女ナジアの姿がある。もう1年半も昔、鱗の(ヴルム)に襲われていたところをヴィッシュに救われた、あのナジアである。

 魔王軍の侵攻によって故郷から焼け出された難民は数知れない。ある者はまだ無事な街に転がり込み、ある者は辺境や異国に逃げた。だが逃げるばかりではない。少なからぬ難民が抵抗軍(レジスタンス)に参加し、祖国のための戦いに従事し始めていた。

 ナジアもその中のひとり。無論、力のない子供に武器を取って戦うことは無理である。だが意志の固さは大人にも負けない。己の無力は承知の上で、できる範囲の仕事で役立とうと懸命に働いているのだ。

 ナジアに与えられたのは、怪我人に水を配る仕事だった。

 水差しとコップを持って巡回し、患者の要求に応えて喉を潤してやる。ナジアらが相手するのは既に見捨てられた者たち。医師に「もう助からない」と判断され、一切の医療を受けられぬままただ死を待つだけの者たちだ。

 すがるような目で見つめる瀕死の怪我人を、助け起こしてやり、背を支えてやり、水を口元まで運んでやり、

「気を強く持って」

 と気休めを言い、

「もうすぐ先生が来ますからね」

 と見え透いた嘘を並べて、最期の時までただ見守る。それがナジアの仕事。どんな高度な医療よりも尊く、ひょっとしたら神聖でさえあるかもしれない任務……

 だが当のナジアにとって、それは地獄の責苦でしかなかった。

「来てくれ、来て……たのむ……」

 ある瀕死の兵士のそばを通りかかったとき、彼がナジアに訴えかけた。ナジアはいつものように兵士のそばへひざまずき、助け起こしてやった。だが兵士が震える手を伸ばした先はコップではなかった。

 彼はナジアの手のひらを、ひどく強く握りしめたのだ。

 筋張った大人の男の手の感触。握り潰されそうなほどの握力。知らない男の強引な接触がナジアを少なからず驚かせた。恐怖を覚えすらしたかもしれない。振り払いたくなかったと言えば嘘になる。

 だが兵士の表情を目の当たりにして、ナジアはこの小さな暴力を受け入れることにした。

 兵士は泣いていた。涙が顔面の泥を溶かして、白い筋をつくっていた。

「手を……握らせてくれ。あと少しでいいんだ。たのむ……たのむよ……」

「大丈夫。そばにいますよ」

 ナジアは笑い、兵士の手を握り返した。

 兵士がその厚意に驚きをあらわにし、次いで安堵の微笑みを浮かべた。魅力的な笑顔だった。きっと故郷には恋人のひとりもいたであろう。青年はナジアの手の温もりによってひととき青春のうずきを思い出し――笑いながら、死んだ。

 ナジアは彼の手を放した。

 再び水差しを握った。次の患者へ向かわねばならないことは分かっていた。

 だが、立てない。

 脚が言うことを聞いてくれない。

 身体は石となり、腕は棒となり、思考は深い(もや)の中に迷い込んでしまっていた。

「奥の方にまだ息のあるのが。やれる範囲で……」

「おけ。」

 背後で囁きあう声が聞こえた。振り返れば、小柄な少女がナジアのそばを大股に横切っていくところだった。有名人だ。灰色の魔女、カジュ・ジブリール。彼女と一瞬目が合った。その淀んだ視線を浴びたナジアは、ようやく自分の顔が涙でぐしゃぐしゃになっていたことに気付いた。

 握り拳で涙をぬぐい、ナジアは立ち上がった。高名な魔女様がこんなところへ何をしに来たのか……カジュの背後に近寄り、首を伸ばして手元を覗いてみる。

「あっ……」

 そこで起きた奇跡に、思わずナジアは声をあげた。カジュが怪我人のそばに佇み、呪文を唱えながら空中に魔法陣を描くと、どくどくと血を流していた致命傷がたちまち塞がってしまったのだ。ナジアはカジュの仕事を食い入るように見つめた。ひとり、またひとり、カジュは淡々と瀕死の人々を蘇らせていった。

 どうやら治すのは最小限、命に係わる重傷の部分だけらしい。いや、それでも充分だ。生き延びることさえできれば細かな傷は自力で治せる。ナジアの顔に希望の光が差し込んだ。これなら。この力なら!

 5人ばかりに治療の術を施したところで、カジュは片耳を手のひらで覆った。どこかから救援を求める《遠話》が舞い込んだのだろう。

「……すぐ行きます。」

 ぼそり、と答え、カジュは他の怪我人の列から離れて行った。ナジアは衝動的に追いかけた。《風の翼》の呪文を唱え始めたカジュを、ナジアは半ばわめき散らすようにして呼び止めた。

「カジュさんっ!」

 カジュが振り返る。魔王軍の肉従者(ゾンビ)よりもなお淀んだその目が、ナジアを怖気づかせる。

「……なんすか。忙しいんすけど。」

 いらだちを隠せぬカジュの声。ナジアは一瞬言葉に詰まったが、気圧(けお)されてはいられない。

「あのっ! さっきの、魔法……ですよね?」

「そうですが。」

「私にも教えてくださいっ!」

 カジュは黙った。ナジアが詰め寄る。まとまり切らない胸の想いを、思いつくままにまくしたてる。

「魔法ができたらみんな治せる。私でも救える。ひとりでも多く。私それをしたいし、やらなきゃって思うし、弟が死んだからってだけじゃなくて、今の世の中がこうだからって、ひどすぎるって文句より、私の仕事をしなきゃって! 思ったから動くの。思うように動きたいの! だから……だからっ……」

 カジュは無言でナジアに歩み寄った。わめきながら涙を撒き散らしていたナジアの顔を、頭ひとつ分下から掬い上げるように見上げ、握り締めた拳でナジアの胸へそっと触れた。

「ボクは天才だ。そのボクでも2年かかった。」

 ナジアは絶句した。2年。2年? それは今のナジアにとって、無限とすら思える時間。そうだ。当たり前だ。誰にでも使える魔法ならみんな学んでる。

 己の甘さと無能さを、刃物でえぐられたような気がした。

「……無いもの強請(ねだ)りは後にして、今できることをやるんだね。」

 とん、とナジアの胸を突き放し、カジュは《風の翼》を発動した。

 泣き崩れるナジアを見下ろしながら、天高くカジュは舞い上がる。

「四百十。四百十一。四百十二……。」

 救援要請のあったポイントへ進路を向けながら、カジュは小声で何かを数えた。彼女にとって、ひどく大切な()()()の数を。

 

 

   *

 

 

 魔の都、と人は呼ぶ。

 建国以来絶えることなき繁栄に煌めき続けたベンズバレン王都は、今や、重苦しい瘴気の立ち込める暴虐の(ちまた)へと姿を変えた。王国全土から集まる人と物と情報とに沸き返っていた大通りへ、跋扈(ばっこ)するものは鬼兵と死霊。詩人が競って歌いあげた英雄たちの(いさおし)は、悲鳴と呪詛にとってかわられた。生き残った人々は固く門を閉ざして息をひそめ、ただ災いが我が身に降りかからぬことを祈りながら身を寄せ合うばかり。

 この寒々とした魔都の中央に、さながら人類世界の墓標であるかのごとく、魔王城が(そび)えている。

 なんたる威容であろう。なんたるおぞましさであろう。城壁を成すものは幾重にも絡み合う亡者どもの白骨。宮殿の屋根を成すものは巨大な魔獣の臓物の(ひだ)。鮮血そのものが結晶化した紅の宝玉がいたるところを飾り立て、螺旋状に伸び上がった巨竜の脊椎(せきつい)が雲を貫かんばかりの天守を支える。

 太陽も、青空も、ひとの希望となりうるものは余さず全て覆い隠して、魔王城の影は都の頭上を塞いでいるのである。

 始めこそ王都の住民たちは抵抗軍(レジスタンス)の反撃に期待をかけていた。都を奪われ、玉座を穢されたとはいえ、王国各地の諸侯は健在。その連合軍がひと月かふた月のうちには王都を解放してくれるものと思っていたのだ。

 だがそれがどれほど甘い見積もりであったかは、数ヶ月の攻防によって明らかとなった。魔王城の周囲は三重の城壁と竜骨製の門に固く守られ、内部には魔族と鬼兵と死霊(アンデッド)がひしめき合い、触れただけで死を招く魔法の罠も数限りなく張り巡らされている。これまでに4度の総攻撃を仕掛けた抵抗軍(レジスタンス)はそのたびに蹴散らされ、甚大な被害を受けながら、ついに第一の門を突破することすらできずに撤退した。

 救いの手が来ることはもはやないのだと、王都住民に悟らせるには充分すぎるほどの惨敗だった。

 緩やかに、しかし確実に、希望は衰えていった。そしてその隙間を埋めるように、絶望は日一日と深く人々の心に蔓延(はびこ)っていったのである。

 

 

「……ってな具合で、都での《悪意》収穫は順調だ。

 だがな大将、本来ならこれに第2ベンズバレンの分が加わってたはずなんだぜ、3ヶ月も前の段階でな」

 魔王城天守の中ほどにある一室で、魔王は朝議のために身支度を整えていた。彼に(かしず)く侍女たちは、由緒正しい魔貴族(マグス・ノーブル)の姫にして輝くような美貌の持ち主ばかり。それが着物を汚すのも構わずひざまずき、あるいは口づけせんばかりに頬を寄せ、魔王の足を洗い、爪を磨き、衣を着せ、髪を整え、奴隷のようにかいがいしく立ち働いているのだ。

 それでいて、どの侍女の顔にも隠しきれぬ歓びが溢れ出ている。世界の支配者たるべき最も高貴な存在、魔王。それを崇拝する姫君たちは、我が身の汚れを(いと)うどころか、むしろ法悦とさえ感じているのだ。魔王が一言命じればどんな汚辱も進んで受け入れ、命すら投げ出すことだろう。

「魔王様、新しいお召し物、とても良くお似合いですわ」

「なんと美しい黒でしょう。まるで夜の闇をそのまま編み上げたかのよう……」

 魔王を囲み、頬を染めながら囁く()()()()に、魔王はにっこりと温かい笑顔を返してやる。

「ありがとう。君たちが磨き上げてくれたおかげさ。

 さあ、みんな下がっていいよ。朝議が済むまでは休んでおいで」

 侍女たちが優雅に挨拶しながら滑り出ていく。部屋に残されたのは、すっかり王侯らしく着飾った魔王と、椅子へ前後さかさまに座った不機嫌顔の死術士(ネクロマンサー)ミュートのみ。

「ちぇっ。魔王様はモテるのに苦労がなくていいな」

「人気取りも仕事のうちさ。今ごろ向こうでもやきもち焼いてるよ。大事な話はいつもミュート様とふたりきり。まるで本当の夫婦みたいだ、ってね」

「へ! そんじゃ()()からひとこと言わせてもらいますがね。どうにか第2は落とせたが、予定通りなら魔鬼兵隊と魔王直属軍だけでとっくの昔にカタがついてたんだ。死霊軍(おれのてぜい)に虎の子の骸骨巨人(ボーン・ジャイアント)まで引っ張り出すハメになった原因は、ひとえにあのガキにある」

「灰色の魔女カジュ・ジブリール……か」

「ガキひとりと侮っているうちに、あれよあれよで一個師団レベルの戦力が奴に食われた。第2ベンズバレンの占領も遅れに遅れ、住民の大半は避難済みで旨味も半減。5ヶ月分の戦費をさっぴけばメリットと相殺でほぼトントンだ。

 これ以上野放しにはできんぜ。いかにお前さんの恋人でもな!」

「君の策は良し。だが肝心の実行役がいない。彼女に太刀打ちできる人材がいるかい?」

「それよ。正直おれでも荷が重い。で、相談なんだがな。四天王の中でもあの化物と渡り合える奴と言やァ……」

 と、そのときだった。

 突然、足元から突き上げるような振動と轟音が魔王城を根本から揺るがした。ミュートは数歩たたらを踏み、揺れが収まるや窓へ貼り付く。

「なんだァ!? 見えやしねえ」

「正門が破られたね」

「あァ!? 無能かよ歩哨どもっ!」

 すぐさまミュートは《遠話》を飛ばして衛尉――魔王城の防衛責任者へ怒鳴り散らした。

「おいコラァ! どこの敵だ!? なんで攻撃されるまで気付かなかった!?」

〔すみませんミュート様! しかしその……敵じゃないんです〕

「あ?」

 包帯の上からでもはっきり分かるほどに眉をひそめるミュートの後ろで、魔王がくすくすと楽しげに笑いを漏らしている。

「ふふ……困ったものだね、()のやんちゃにも」

「ああ?」

〔ドラゴン旅団ッ! 四天王ボスボラス、謀反です!!〕

 悲鳴じみた衛尉の報告は、その直後、肉の潰れる鈍い音に掻き消された。

 

 

 竜人(ヴルムフォーク)

 数ある源人(オリジン)の子らの中でも巨人と並んで最強の種族。外見は直立する(ヴルム)そのもの。皮膚を覆う鱗は鋼鉄よりもなお硬く、(いわお)の如き肉体の力は大鬼を片手であしらうほど。さらに口から爆炎を吐く能力まで備えているとあれば、まさに無敵。

 総勢たった500名の竜人部隊“ドラゴン旅団”は、魔王城に帰還するや、突如その城門目掛けて突撃を開始した。予想外の出来事で呆気に取られた守備兵の目の前で、竜鱗に覆われた肩を叩き付け城門を破壊、勢いそのままに城内へと雪崩(なだ)れ込む。

 ここでようやく異変に気付いた城内の魔族が、骸骨戦士(スケルトン・ウォーリア)やら鬼兵やらをけしかけた。しかし竜人たちは止まらない。手にした得物を思い思いに振り回し、小虫の群れでも払いのけるかのように雑兵どもを揉み潰し、またたく間に第二の門に到達した。

「おのれボスボラス! 乱心したか!」

 二の門の上で魔族が叫び、腕を振り上げ部下たちへ合図する。彼らの手に生まれた《火の矢》が、一斉に竜人たちへ降り注ぐ。しかし竜人は避けようとすらしない。貧弱な魔術が鱗で弾かれ霧散していくさまを、ただニヤついて見ていただけだ。

 愕然とする魔族たち。彼らの恐怖の目が見下ろす前で、不意に、竜人の隊列が左右に割れた。

「乱心……だと?」

 敵ばかりか味方までも震え上がらせる重低音。凄まじい体重と脚力によって足元の石畳を踏み割りながら、竜人たちの間をゆっくりと進み出る者がある。

 巨漢ぞろいの竜人たちの中にあってもひときわ異彩を放つ巨躯。陽の光を浴びて黒鉄色に鈍く輝く強靭な鱗。巨木の幹ほどもある巨大な剣を、物干しざおか何かのように軽々担ぎ、耳まで裂けた大口をニマリと邪悪に吊り上げる。

「とんでもねえ! オレ様はいつだってオレ流よ!!」

 蛮声一発、巨大剣が城門目掛けて振り下ろされた。

 その瞬間、門は消滅した。

 崩壊ではない。消滅である。常軌を逸した膂力(りょりょく)によって叩き付けられた超重量の大剣が、門を、城壁を、あたりの地面の土砂までもを、粉微塵に破砕して吹き飛ばしたのである。その衝撃で地震が起きる。余波があたりの守備兵たちを薙ぎ倒す。あとに残ったクレーターの中心で、竜人は悠々と巨大剣を担ぎなおす。

「魔王サマに伝えてくれや。

 最強四天王ボスボラス、ただいま参上! ってなァ―――――ッ!!」

 

 

(つづく)

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