新暦079年 7月8日
第1管理世界「ミッドチルダ」
ミッドチルダ中央南駐屯地内A73区画
機動六課 ミッドチルダ地上隊舎 隊員オフィス
ミッドチルダの夏は、まさにその真っ只中。空はどこまでも澄み渡り、海は陽光を受けて青く輝く。そんな季節の中、機動六課のオフィスでは、隊員達が地道に事務仕事に励んでいた。夏の陽気とは無縁の室内だが、彼らの手は決して止まることなく、目の前の職務を粛々とこなしていた。
もっとも、全員がそのような態度で取り組んでいるとは限らない。中には、どうしても夏の誘惑に心を揺さぶられてしまう者もいた。
「季節は夏ッ!」
突然、亀井浦太郎がデスクから立ち上がるなり、声を張り上げた。机に散らばった書類の山を前に、もはや仕事など頭の片隅にもなかった。
「青い海!
次の瞬間、浦太郎は勢いよくデスクに拳を叩きつけた。書類が音を立てて舞い上がり、その絶望的な表情と共に、一瞬場が静かになった。
「なぜ僕らは真っ昼間から部屋に籠って仕事をしているんだ!?」
その声は、監獄に閉じ込められた囚人の叫びにも似ていた。頭の中に広がる青い海と官能的な光景を思い描きながら、体が現実に引き戻される苦痛が浦太郎を突き動かす。
「ったくうるせーな! 耳元でぎゃんぎゃん喚くんじゃねーよ!」
業を煮やした恋次が怒号を発するも、心のどこかで亀太郎の言葉に共感していた。だが、それを認めるわけにはいかないとでも言わんばかりに眉を顰めた。
「恋次さんはおかしいとは思わないんですか!? いま7月ですよ? 夏なんですよ? どうして僕らは裸になって海に駆り出さないんですか!?」
亀太郎が熱く詰め寄る。真っ直ぐな瞳に宿る苛立ちは、同じ状況に置かれた者だからこそ感じる重みがあった。
しかし、恋次は敢えて冷たく突き放すような口調で応じた。
「一番トチ狂ってる人間に言われても、説得力に欠けるんだよ!」
肩を竦め、面倒くさそうに答える。恋次は、自分の内にある同調の気持ちを押し殺し、皮肉交じりに返した。浦太郎はその冷静な返しに一瞬言葉を失った。
「落ち着けよ、亀公。おまえの気持ちは痛いほどわかるぜ。俺だって、俺だってな、ほんとは今すぐビーチで綺麗な姉ちゃんのはち切れそうな女体を拝み倒したいんだ!!」
話に割り込んできたのは鬼太郎だった。彼は拳を握り締め、遠くの空を見つめながら力強く叫んだ。
そんな鬼太郎の欲得塗れる夢想に、周囲は呆れ顔を見せつつ、心の中で少しだけ共感を覚えていた。
だが、次の瞬間、彼らを諫める冷静な声が響いた。
「お二方とも、私語はそれくらいにして仕事に集中してください」
タイピングの音だけが静かに続いていたフェイトが、淡々と注意する。彼女はちらりとも顔を上げず、ただ手元の仕事を黙々とこなしていた。しかし、その抑えた口調とは裏腹に、隣のデスクにいる二人の浮ついた声が耳障りであることが十分に滲み出ていた。
「大体さっきから聞いてれば、仕事サボって海行きたいだけじゃないですか?」
さらにフェイトに追随し、なのはは入力作業片手に冷静に言い放った。その視線はいつも通り真剣で、彼女の言葉に込められた理性は、一瞬二人を黙らせる力があった。
浦太郎と鬼太郎はしばし沈黙するが、鬼太郎が不意に何かを思い出したかのように顔を上げると、抑えきれない感情が再び口を突いて出た。
「たまには童心に帰りたいんだー! ピチピチのワンダフルギャルのセクシーボディーを
まるで真理を語るかのように叫ぶ。その欲望に塗れた発言に、オフィス内の空気が一瞬固まった。あまりにも率直すぎる鬼太郎の言葉に、なのはやフェイト達は反応に困り、ただ溜息を吐くしかなかった。
「あ、今の聞いて、ふと頭の中に川柳が思い浮かんだ!」
するとその時、誰にも頼まれていないのに、浦太郎が自信満々で宣言する。そして、得意げに詠み上げた。
「おっぱいを、揉みたい・吸いたい、しゃぶりたい――」
浦太郎が得意げに詠み上げた瞬間、オフィスにいた女性陣の表情が一斉に変わった。誰もが反射的に浦太郎に視線を向け、その目には明らかな軽蔑の色が浮かんでいた。
「おい、誰かこいつを強制わいせつ罪で検挙してくれ」
恋次は
「う、海と言えば……シグナム副隊長達、もうそろそろ現場に着いている頃でしょうか?」
エリオはデータ入力をしながら、ふと現場の任務のことが頭を過った。彼の言葉は、気まずい雰囲気を和らげるように聞こえたが、確かに全員が気にかけている話題だった。
「浦太郎さんじゃないけどさ、任務とはいえ海に行けるんだから、シグナム副隊長達も役得だよねー」
スバルは軽くぼやきながら手を動かし続けたが、頭の片隅では、夏の海で堂々と任務に就けるシグナム達への羨望が募っていた。
*
第47管理外世界「カー・オン」
とある港町 海外沿い
そこは嘗て、美しい海と豊かな自然が広がる港町だった。しかし、今、その風景はどこか歪んでいた。
アンゴルモア捜索の任を受けたシグナム、アギト、そして金太郎が現地に足を踏み入れた瞬間、彼らの目の前には広がる青い海が見える――はずだった。
しかし、現実には、その海はどこか不気味な輝きを放ち、所々に白く変色した部分が浮かび上がっていた。海風に乗って運ばれてくる匂いも、塩の香りを超えて、まるで何かが腐敗しているような不快なものだった。
「これは……」
シグナムが目を細め、海辺の風景を見つめながら呟いた。その言葉には、自然の驚異がもたらす異様さに対する戸惑いが滲んでいた。
青く美しかったはずの海が、今や白い塩の膜に覆われ、どこか不自然に変貌している。波打ち際には、腐食した木材や朽ち果てた建物の破片が散らばり、何もかもが塩に侵食されている様子がありありと見て取れた。
「ひっでーもんだぜ」
アギトが空中で軽く身を翻しながら、眼下の海岸を見下ろす。その瞳には、ただならぬ事態が進行していることを感じ取っているかのような光が宿っていた。彼女が目にするのは、白い塩の結晶がまるで病巣の如く広がり、海岸線全体を覆っている景色だ。それは生き物のようにゆっくりと広がり続け、町全体を徐々に蝕んでいることは明らかだった。
「『
金太郎が冷静な口調で説明を挟む。だが、その胸中では、一瞬、息を呑むような感覚が走っていた。これほどまでの異常事態は想像していなかった
通常の塩害なら、海風に含まれる塩分が時間をかけて建物や植物をゆっくりと腐食させるものだ。
しかし、目の前の光景は、塩がまるで急速に増殖するかのように、あらゆる物質を瞬時に飲み込み、結晶化させていた。風や海水の動きに従うのではなく、塩自体が意思を持つかのように広がり、海岸線を侵食しているかのようだった。
「この塩害……明らかに、自然現象の域を超えている」
シグナムの視線は、広がる塩害の不気味さを見逃すことなく捉えていた。塩が単なる自然現象ではなく、何か異質な力によって生み出された可能性を頭の片隅で考えつつも、現実の異様さに言葉を失っていた。
三人は町の住民に話を聞いて回ることにした。海辺の漁村は静かで、漁師たちは仕事を続けているが、その顔には不安の色が浮かんでいた。住民たちの多くは、広がり続ける塩害に対して恐れを抱いており、その原因を知る者は誰もいなかった。
「ここ最近、海が白く変色してきてなぁ……こんなこと、今まで見たことがねぇんだ」
一人の漁師が、金太郎に向けて話しかけた。その声には、明らかに混乱と恐れが混じっていた。
「これが原因で漁獲量も減っちまったし、家の壁も塩で腐っちまった……おれたちの生活がどうなっちまうのか、さっぱりわからねぇよ」
もう一人の年配の住民が嘆きながら続けた。その顔には、先行きへの不安が色濃く滲んでいた。金太郎はメモを取りながら、真剣に話に耳を傾けて相槌を打つ。
「何か、この塩害の原因について心当たりはありますか?」
シグナムが慎重に質問を投げかけると、住民たちは顔を見合わせ、誰から答えようかといった様子だった。しばらくして、一人が口を開いた。
「さてなぁ……儂らにもよくわからんよ」
住民の一人が首を傾げる。全員が明らかに困惑しており、原因を特定する手がかりは掴めないようだった。
「あのー、あの工場はなんですか?」
アギトが不意に気になったことを尋ねる。彼女の指差す方向には、遠くに見える巨大な建造物があった。何かの工場のような外観で、見た目にもまだ新しい。しかし、その存在感にはどこか不穏な影が漂っていた。
住民たちの間に一瞬の沈黙が流れ、やがて重い口調で漁師が答えた。
「あぁ……あれは、今は使われてねぇ化学工場さ。インジウムってやつを海底から掘り出してたんだが……あれのせいで海が汚れて一時は大変だったんだよ。公害撒き散らしてさ、海を汚しまくったもんだから、俺たちもみんな健康を崩しちまってな」
住民たちは過去のことを思い出しながら、少し顔を顰めるように話す。そこには、工場に対する怨嗟の気持ちが僅かに残っているようだった。
「それが二年くらい前だったかな? おれたちが工場閉鎖しろって、どんだけ反対運動しても全然屁でもねぇって居直ってたくせによ、なんか急に閉鎖されちまったんだよ。あの時は、逆に何か遭ったんじゃねぇかって噂にもなったくらいだ」
漁師がそう言いながら、険しい顔をしたまま遠くの工場を見つめる。その言葉には、ただの閉鎖ではない、何か隠された事情を感じ取っていたかのような不安が含まれていた。
シグナム、アギト、金太郎の三人は顔を見合わせる。住民が一丸となった反対運動が無視され続けたにもかかわらず、突然の閉鎖――それがこの塩害とどのように結びつくのか。謎は深まるばかりだったが、三人は重要な手がかりを得たように感じていた。
*
とある港町 船着き場
船付き場には、漁船が何隻か停泊しており、潮の香りが強く漂っていた。シグナム、アギト、金太郎が足を進めると、少し離れたところで漁師が二人、何か話し込んでいるのが見えた。一人は年配の男で、がっしりとした体格をしており、もう一人は若い青年。父と息子であることが一目でわかるような、似通った風貌だった。
「よう、あんたらがここで何か調べてるって話は聞いてるぜ」
年配の男がこちらに気づき、穏やかな表情で声をかけてきた。彼は、海で長年生きてきたことが窺える、無骨ながらも信頼感を抱かせる風貌をしている。隣にいる若い青年も、どこか真面目な雰囲気を漂わせていた。
「俺はオルカだ。こっちは息子のウォールラス。塩害について調べてるんだってな。何か力になれることがあれば、手を貸すつもりだよ」
「ありがとうございます」
オルカから差し出された手に対し、シグナムが代表して握手を交わす。
「しかしよぉ親父、ほんとに海はどうなっちまうんだろうな」
ウォールラスが父親に不安げに問いかける。
「俺にもわからねーよ。化学工場が閉鎖されて、ようやく平和が戻って俺もやっと体調が良くなったと矢先がこれだ。世の中儘ならねぇわな」
オルカが溜息を吐きながら答える。
「心中お察しいたします」と、金太郎が同情の言葉を口にする。
やがて、オルカが嘆息混じりに、ふと海を見つめた。
「海がこんなんだからよ……最近じゃクジラもてんで見かけなくなっちまった」
その声には、海の変化に対する深い嘆きが含まれていた。
「クジラ、ですか?」
シグナムがその言葉に反応し、問いかける。クジラがいなくなったという事実が、この町にとって象徴的な意味を持っているようだった。
「ここいらは、元々マッコウクジラの群れがよく見られる場所なんだよ。それ目当てで観光客がホエールウォッチングを楽しむのが日常だったんだ」
オルカの声には、昔の平和な日々を懐かしむような響きがあったが、その裏には不安も滲んでいた。
「その中でもな、白鯨っていう、体が真っ白なやつがいるんだよ」
息子のウォールラスが話に加わった。彼の声には少し誇らしげな響きがあったが、どこか哀しげでもあった。
「え? 白いクジラなんているんですか!?」
アギトが目を輝かせながら問い返した。その声には興味が溢れている。
「ああ。人前に滅多に姿を見せねえんだが、見たら幸運が訪れるって言われてる縁起のいいクジラさ」
ウォールラスが誇らしげな表情で答える。白鯨の話は、この町にとって特別な意味を持っているようだ。
「へぇー、真っ白いクジラなんて、ロマンチックじゃねえか!」
アギトが感心した様子で言うと、隣でシグナムも「そうだな」と同意した。
すると、ウォールラスが突然思い出したかのように、父オルカに問いかける。
「そういや親父よ、前に助けた例の男いるだろ? 白いクジラと友達になったって言ってなかったか?」
「ああ、そういや話してな! 今にして思えば、あいつがここに来たあと、あの工場が閉鎖になったんだ。もしかしたら、あいつは俺たちを救うために天が寄越した使いだったのかもな」
オルカが当時を懐かしむように、遠くを見る目で語り出す。その言葉には、ただの偶然ではなく、何か特別な力が働いていたかのような重みが感じられた。
「へぇー、そんなことがあったんだ」
「まさに英雄というわけですね」
アギトは軽く相槌を打ちながら話を聞いていた。シグナムも、少し目を輝かせつつも、それ以上深入りすることはなく、話を続ける様子はなかった。
一方、金太郎は黙ってその話を聞いていたが、なぜか胸の内に一つの影が浮かんだ。
オルカ親子が話す「男」の姿――それは、自分の上司である男の影と不思議なほど重なっていた。具体的な情報は何も出てこないのに、直感的に金太郎の中でユーノの姿がはっきりと浮かび上がったのだ。
(まさか……いや、私の考え過ぎか)
確信があるわけではないが、その勘が鋭く反応していることは、金太郎自身が誰よりも理解していた。
その後、オルカ親子の協力を得て、シグナム達は船で沖へ出ることになった。
「わざわざ船まで出して頂くことになるとは」と、シグナムが一礼しながらオルカに礼を述べる。
「気にするな。こちとら漁にも出れず暇してるんだ。これくらいわけねーよ」
オルカは笑いながら手を振ったが、その瞳には長年海を知り尽くした者の直感が隠れていた。
「なぁ、ほんとに海の上にアンゴルモアがあるのか?」と、アギトが疑わしげに問いかける。
「センサーによれば、この先の廃棄されたプラントにあることは間違いありません」
金太郎は、冷静な口調で返しつつ、手にしたセンサーを確認する。画面には、確かに反応が海上に集中していることが表示されていた。プラントは港から約十五海里離れた場所に位置していた。
アンゴルモアの反応が確認されたという情報を元に、彼らは調査を続けていたが、プラントがある場所は海上に位置しており、船での移動が不可欠だった。オルカとウォールラスの操る漁船は、波を切りながら静かに進んでいく。
しかし、港から十海里ほど進んだ地点で、海面に白く変色した部分が目立ち始め、塩害の影響が一層明白になってきた。
波は重たく、
「ったく、こいつのせいで思うように進まねぇ……」
オルカが舵を操作しながら、苛立ちを隠せずに呟く。その海は、彼が知っているものとはまるで違っていた。
「海が……硬くなっている……?!」
ウォールラスが、
それでも船は進み、プラントの姿が遠くに見えてくる。だが、残り五海里を切った時点で船は停止を余儀なくされた。船の前には巨大な白い結晶が広がり、塩が海を完全に封鎖していた。
「これ以上進むのは無理だ……」
オルカが強く舵を引き、船を止める。彼が指す方向には、白い塩が分厚く凝固した大地となり、海を埋め尽くしていた。
「ここから先は歩いて進むしかないですな」
金太郎が冷静に状況を見定める。彼の言葉に、シグナムは無言で頷き、オルカに向き直った。
「ここまでで十分です。これ以上の航行は危険でしょう」
シグナムが感謝の言葉を述べ、オルカは軽く頷いた。彼もまた、この異常な光景に圧倒されていた。
「気をつけろよ。この先、何が起きるか誰にもわからねぇからな」
オルカの言葉を背に、三人は船を降り、固まった塩の道を歩き始めた。
足元に広がるのは、最早海ではなかった。塩の結晶が石畳のように硬く固まり、その上を踏むたびに、足音が静かに響いた。異様な静寂の中、結晶は一つ一つが意思を持つかのように繋がり、彼らを導くかのようにプラントへと続いていた。
「海がここまで……固まるとはな」
シグナムが足を止め、一瞬だけ空を見上げた。海の広がりは消え失せ、塩の世界が静かに呼吸しているかのようだった。
「まさに“塩の行進”ですな」と、金太郎が少し皮肉を込めたように続ける。
「それ、意味違わねーか?」
アギトが軽く肩を竦めて指摘するが、その表情にも余裕は感じられなかった。二人のやりとりは短かったが、周囲の異常さが言葉の奥に重く圧し掛かっていた。
どこからともなく吹き寄せる風は冷たく、空気には底知れぬ不安が漂っていた。
*
ポーキュパインフィッシュ工業 海洋プラットフォーム跡
シグナム、アギト、そして金太郎は、塩の道を歩き続け、廃棄されたプラントの入り口に辿り着いた。海底採掘に使われていたその巨大な施設は、異様に朽ち果て、錆びた鉄の扉が静かに彼らを迎えていた。僅か二年でここまで荒廃するはずがない。
「たった二年でこれほどまでに……」
シグナムが扉を見上げ、疑念を漏らす。鉄製の配管はひび割れ、苔や錆が広がり、何十年も放置されたかのようだ。宛ら、時間がこの施設にだけ異常な速さで流れたかのような劣化だった。
「普通じゃねーな、これ」
アギトが低く呟き、壁に触れた瞬間――錆が音もなく崩れ落ちる。塩が金属を食い尽くしているのがわかった。
「塩が生命を奪っているかのようですな」
金太郎もまた、その異常さに言葉を失う。通常の塩害では考えられない速さで、この施設は崩壊していた。
シグナム、アギト、金太郎が、プラントの入り口に足を踏み入れようとした、その瞬間――
ビービー! 耳を劈くような警告音が響き渡った。
金太郎は即座に空間ディスプレイを展開し、表示されたデータに目を走らせる。そこには、真っ赤な文字で警告文が表示されていた。
《Warning: Cumulative radiation dose has exceeded 500 mSv. Immediate protective suit required to avoid danger.(警告:積算線量が500
「なんだと!?」
シグナムが瞬時に警告文を読み取り、目を見開いた。彼女の冷静な表情に、動揺の色が浮かぶ。
「おいおい、こんなの洒落になんねぇだろ!」
アギトも信じられないとばかりに声を上げた。通常、戦場でも放射線が絡む事態は稀だ。まして500mSvを超えるとなれば、即座に対処しなければならない。
金太郎は一瞬、ディスプレイを見つめながら冷静に口を開いた。
「……この積算線量は、短時間でも危険です。バリアジャケットや騎士甲冑がなければ、命の保障は避けられません」
金太郎の頭には、既に詳細なリスクが浮かんでいた。100mSvでさえDNAにダメージを与えるが、500mSvでは細胞の破壊が確実で、長時間ここに留まれば急性の放射線障害を引き起こす危険性がある。彼は緊張感を隠しつつ、さらに一言付け加えた。
「時間との戦いです。早急に内部を調査し、できるだけ早くここを離れましょう」
「それが賢明ですね」
シグナムは頷き、緊張を隠さずに冷静に対応する。
「やれやれ、とんだバカンスに来ちまったな」
アギトは肩を竦めながらも、己の命を守るための行動を優先する。
三人は迅速にバリアジャケットと騎士甲冑を構築し、放射線対策を整えた。
シグナムが先頭に立ち、重い錆びついた扉を押し開けると、内部は薄暗く、異様な熱気が漂っていた。
「うぅ、すごい暑さだな……」
アギトが汗を拭いながら呟く。
「恐らくは、放射性崩壊による熱かと」
金太郎が冷静に答え、周囲の空気を感じ取るように目を細める。
プラントの内部は、見えない炎に包まれているかのように熱気に満ち、壁や機材に塩の結晶がびっしりと付着していた。腐食と放射能の影響で、施設全体が異様な状態に陥っている。
「油断するな。何が出てくるかわからんぞ」
シグナムが鋭く言い、アギトと金太郎もそれに頷き、後ろを警戒しながら歩を進める。
三人がプラント内を慎重に調査していたその時、周囲の空気が突如として変わった。何かが動き出したような異様な気配が漂い、空気が重く淀んだ。そして――
「……アンゴルモアの反応が急激に高まっています!」
金太郎が、センサーを確認しながら鋭く告げた。同時に、放射線のレベルも急上昇し、甲高い警告音が鳴り響く。
《Warning: Radiation levels rising rapidly. Immediate protective action required.(警告:放射線レベルが急速に上昇中。直ちに防護措置を取ってください。)》
「なんだ、この数値……!? 放射レベルが急に跳ね上がってる……!」
アギトが驚き、センサーを覗き込む。表示された放射線量は既に危険域に達しており、周囲の空間がまるで見えない放射線の渦に包まれているかのようだった。
「っ! 何かが来る……」
不意にシグナムが目を細め、背後から迫りくる危機を感じ取る。
次の刹那、プラント内部の奥から巨大な影が現れた。それは無数の触手を持つ異形のクラーケン――【AM-07】だった。AM-07の体からは霧のように塩分が立ち上り、同時に強烈な放射能反応がセンサーに表示される。
「放射能の発生源はこいつか……!」
金太郎は歯を食いしばりながら、センサーの数値を確認する。触手が動くたびに放射能反応はさらに強まり、上昇を続けていた。
AM-07は塩の結晶で覆われた巨大な触手を激しく動かし、その度に塩の破片が四方へと飛び散る。触手が何かに触れるたびに腐食が広がり、周囲の空間は異様な熱と放射線に包まれていった。
「こいつは、半端ねぇ……!」
アギトが恐る恐る呟いたが、シグナムは既に剣を構え、冷静に応戦の体勢に入る。
直後、AM-07の巨大な影がシグナム、アギト、そして金太郎の前に現れた。触手がうねり、空気が震える。その異様な存在感に、シグナムはすぐさまレヴァンティンを構え、前方に立つ。
「塩がこいつの武器か……!」
シグナムは素早く接近し、一閃。鋭い刃が触手に切り込むが、塩の結晶に阻まれ、十分なダメージを与えることができない。彼女の剣が触手に当たるたび、塩が飛び散り、さらに周囲の空間を侵食していく。
金太郎もまた、大斧を振りかざし、力強い一撃を放つ。しかし、アックスオーガによるその強大な打撃も塩の結晶で覆われたAM-07には効かず、逆に触手が彼の武器を絡め取ろうと動く。
「くっ……このままじゃ埒があかねぇ!」
アギトが苛立ちを隠せず、両手に炎を灯しながら戦線をサポートしようとした。だが、次の瞬間――
「お待ちください、アギト殿! その炎は逆効果です!」
金太郎が咄嗟に声を張り上げた。
「なんでだよ!? あたしの助けはいらねーってのか!?」
アギトが反論するも、金太郎は冷静に説明を続ける。
「ここは放射性崩壊の熱で満ちています。炎を使えば、さらに温度が上がり、酸素まで燃え尽きかねません!」
アギトは一瞬戸惑ったが、すぐに火を収めた。彼女もその危険性を即座に理解したのだ。
「……クソッ!!」
悔しさが滲むアギトの表情。しかし、戦場で冷静さを欠くことは許されない。徐々に彼女は自制心を取り戻していく。
その間も、AM-07は塩の結晶を纏った触手を激しく振り回し、周囲に塩分を撒き散らしていた。触手に触れるたびに物質は腐食し、シグナムの斬撃もまるで通じていない。
「どうすりゃいいんだ?」
全員が考えあぐねていたその時、
「む……!?」
金太郎がAM-07の動きに注視した。触手から放出される塩分が結晶化する瞬間、敵の動きが僅かに鈍くなったように見えた。金太郎はさらに観察を続けると、再び触手が動き、塩の結晶が広がると同時に、AM-07の動きが一瞬止まった。
「……もしや、あの塩が……?」
金太郎はその瞬間、塩が敵の力の源であり、同時にその動きを鈍らせる弱点かもしれないと直感した。
だが、今の彼らにはそれを利用する術がない。
「ここは一旦撤退だ!」
シグナムが冷静に判断を下す。金太郎とアギトも頷き、全員で後退を開始した。
だが、この時――金太郎の頭の中には、戦局を覆すための重要な手がかりが確かに刻まれていた。
*
第1管理世界「ミッドチルダ」
機動六課 ミッドチルダ地上隊舎 総合司令室
「現在、カー・オンの海域では、急速に嵐が発達しています」
中央のモニターには、カー・オンの海域に近づく巨大な嵐の映像が映し出されていた。通信使のシャリオは、気象データを指し示しながら、報告を続けている。
「風速は毎時60キロを超え、波高も危険域に達しています。現地の気象予報によれば、今後さらに悪化する見込みです!」
シャリオの声に、室内の空気が緊張感に包まれる。ルキノが別のスクリーンに向かい、現地の詳細データを確認する。
「シグナム副隊長達が今いる付近は特に厳しい状況です。このままだと、三人が戻って来るのはかなり難しいかもしれません」
その言葉を聞いたはやては、心配そうにモニターを見つめながら唇を噛み締めた。彼女にとって、部下達の安全が最優先事項であり、彼らの命が危険に晒されている可能性が高まる中、胸の内は焦りでいっぱいだった。
「くっ……シグナム達との交信は?」
はやてが問いかけると、アルトが迅速に報告を返す。
「それが……嵐の影響で通信が不安定になっており、現地との連絡は断続的になっています。嵐の接近を伝えたはずですが、三人がいつ戻って来られるかは不明です」
はやての表情はさらに曇る。目の前にいる部下達の安全が、目に見えない手の中に握られているかのような不安が胸に広がった。
「何か、三人が安全に帰還できる方法はないんか……」
その言葉に、室内にいた全員が一瞬沈黙する。
すると、ユーノが静かに立ち上がった。
「……僕が迎えに行こう」
その決意の籠った声に、なのはやフェイトが驚いた表情を見せる。
「ユーノ君が行くの?」
「だいじょうぶ?」
二人が問いかけると、ユーノは真剣な眼差しで頷いた。
「カー・オンは何かと縁があってね、向こうの地形や天候についても理解してる。今ならまだ、間に合うかもしれない。だから、僕を信じて欲しい」
その言葉には、揺るぎない信念が込められていた。はやては一瞬迷いの色を見せたが、やがて覚悟を決めて頷いた。
「わかった、ここはスクライアアドバイザーに任せるよ。絶対に、三人を無事に戻してきてな」
「うん、必ずね」
ユーノは感謝の意を込めた表情で一礼し、すぐに準備に取り掛かる。その背中には、救援へ向かう決意がはっきりと感じられ、部屋の空気は一層静まり返った。
*
第47管理外世界「カー・オン」
ポーキュパインフィッシュ工業 海洋プラットフォーム跡
三人はプラント内の深部へと退避し、AM-07の追撃を躱しながら、荒れ果てた制御室に辿り着いた。息を整えつつ、彼らは次の行動を話し合い始める。
「くっ……あいつ、強すぎるぜ。正攻法じゃ歯が立たねぇな」
アギトが苛立たしげに声を漏らす。シグナムも冷静に頷きながら、金太郎に問い掛けた。
「金太郎殿、先ほどの戦いで何か気づいたことがあるように見えましたが?」
すると、金太郎は深く息を吐き、短く答えた。
「実は……AM-07が塩分を放出するたびに、動きが鈍くなる瞬間があったのです。あの塩が逆に奴を制限しているのかもしれません」
その言葉に、シグナムとアギトは驚きを隠せずにいた。
「ってことは、塩を使って自滅させるチャンスがあるってことか!?」
アギトが興奮気味に問いかけるが、金太郎は冷静に続けた。
「まだ確証はありませんが、奴の塩分の放出はどう見ても異常です。あの塩分の結晶化が、動きを制限する可能性があります」
「確かに……その話が本当ならば、弱点として使えるかもしれません」
シグナムは金太郎の言葉を真剣に聞きながら、ふとプラント内のデータコンソールに目を向けた。
「ここでさらに情報を得られれば、奴に対抗する手がかりがつかめるやもしれん」
そう言いながら、シグナムが手早く操作を始めると、アギトが少し不安げに忠告した。
「塩で錆びついてるかもしれねぇぜ?」
「物は試しだ」
シグナムはそう応じ、さらに操作を進める。そして数分後、画面に異様な数値と、当時の映像記録が映し出された。
「っ! 二人とも、これを!」
シグナムの声に、金太郎とアギトもディスプレイに目を向けた。
映し出されたのは、インジウム採掘に関するデータだったが、次第にそのデータの裏に隠された事実が明らかになっていく。
「インジウム採掘に関するデータのようですな……」
「これがどうしたって言うんだ?」
アギトが訝しげに問いかけるが、金太郎はディスプレイに映るデータを凝視し、ある重大な物質に関する記録に目を留めた。
「! なるほど……この施設の放射能レベルの高さと、AM体の強さの秘密がよくわかりました」
「どういうことだよ、あたしにわかるように説明しろ!」
アギトが焦るように問い詰めると、シグナムは落ち着いた口調で問いを投げる。
「アギト、お前は“インペリウム”という物質について知っているか?」
「えっと……たしか、次元航行船とかのエネルギーに使われてる核物質、じゃなかったっけ?」
うろ覚えの知識を引き出しながら、アギトが不安そうに答える。
「ええ。とりわけ、同位体である『インペリウム239』は極めて純度が高く、自然ではほとんど算出されていない貴重な物質です。一部の地域では“
金太郎が静かにだが重みのある口調で説明を続けた。その言葉に、アギトの表情が一変する。
「おい、ちょっと待ってくれ! なんでそんなものが管理外世界にあるんだよ!? インペリウムつったら、それこそ管理局が厳しく取り扱いを制限してる代物だぞ!」
アギトは驚愕の色を隠せず、強く問いかける。
「その通りだ。だが、ここでそれが採掘されていたことは紛れもない事実だ」
シグナムが冷静に答え、スクリーンに映し出されたデータを指し示す。アギトは信じられないという様子で再び画面を見つめた。
「インペリウムは、管理世界でしか出回っていない代物。それが無許可で採掘され、かなりの量がこの世界から流出していたことを踏まえれば、悪意ある組織が局の目を盗んでいたことは明白。この施設は本来、インジウム採掘を隠れ蓑としたインペリウムの巨大プラットフォームだったというわけです」
険しい表情を浮かべながら、金太郎はさらに話を続ける。
「憶測の域を脱し得ませんが、あのAM体は海底に棲息していた古代生物の生き残りが、アンゴルモアとインペリウムのエネルギーを得たことで変異した存在でしょう」
金太郎の冷静な声は、事態の異常さを突きつけていた。シグナムはその言葉に耳を傾け、腕を組んで深く思案する。
「つまり……アンゴルモアとインペリウムの二つの力が融合し、今の状況を生み出している、ということですか」
シグナムが静かに問いかけると、金太郎は無言で頷いた。
「クソっ! どこのどいつか知らねーが、こんなややこしい状況を作り出しやがって! そのうえあたしらの仕事を舐め腐るたぁ……生きて帰ったら絶対にお縄を頂戴してやる!」
アギトが苛立ちを隠せず拳を握り締める。だが、その反応に対しても金太郎は冷静だった。
「果たして、そう簡単にいくかどうか……何年にもわたって局の目を掻い潜り、密かにインペリウムを扱ってきたとなれば、敵は相当に力を持つ巨悪であると見て間違いないでしょう」
金太郎が警告するように言い放った直後、三人の防護服から警報音が鳴り響いた。防護服の限界が近づいていることを示す音だった。
「最早、猶予は残されていない。早々に決着を付けなければ……」
シグナムの言葉に、全員が危機感を新たにする。
金太郎は改めて、先ほどの戦闘で目にしたAM-07の動きに思いを巡らせた。
その動きが、塩分を過剰に放出した際に一瞬だけ鈍くなっていたことに気づいたのだ。塩の結晶化がAM-07にとって強大な力の源である一方で、過剰な塩分が逆に負担になっているかもしれないと分析し始める。
「奴が塩を操る力を持っていることは間違いありません。しかし、塩の過剰な放出が逆に奴の動きを鈍らせる。結晶化が進むたびに、塩自体が奴を制約している可能性があります」
金太郎は慎重に分析を続け、手がかりを掴もうとしていた。
「確かに……先ほどの動きを見ている限り、その仮説は的を射ているかもしれません」
シグナムも金太郎の考えを支持するように頷き、戦術を組み立てようとしていた。
「ってことは、奴の力の源でもある塩が逆に弱点になり得るってことか……」
アギトが感心したように言いながらも、表情を引き締める。彼女もまた、この戦いにかける意志を新たにしていた。
「インペリウム239の放射線がプラント内部に限られていることは間違いないですが、塩害がここから広がっている原因そのものはAM体にあります。奴が塩を放出するたびに、結晶化が進行し、周囲の環境を破壊しているのです。奴を無力化すれば、この塩害も収まるでしょう」
理路整然と語りながら、金太郎は冷静に分析を続けた。
「それなら……奴を止める方法を考えなければならないわけですね」
と、シグナムが愛剣を見つめながら言った。彼女の目には決意が宿り、再び戦いの場へと立ち向かう覚悟が固まっていた。
三人は迅速にプラントの奥へと戻り、待ち構えているであろうAM-07との決戦に挑む準備を整えた。
プラント内は異様な静寂に包まれ、足音が響くだけの冷たい空気が漂っていた。やがて、巨大な影が再び姿を現した。
AM-07――巨大なクラーケンのようなその体から、またも塩分が霧のように放出され、触手が激しくうねるたびに周囲の構造物が崩れ、塩の破片が飛び散っていく。
「やはり、塩分を放出すればするほど強化されているな」
金太郎が歯を食いしばりながら、センサーの数値を確認しつつも言葉を漏らした。
放射線レベルもその度に上昇しているが、それと同時に、敵の動きがやや鈍くなっているのも確かだった。
「ですが……金太郎殿の読み通り、過剰な塩分の放出が、やつに負荷を与えているという読みに狂いはなかったようです」
シグナムは、レヴァンティンを構えたまま敵の動きを観察する。巨大な触手が再び襲いかかるも、その勢いには僅かに乱れが見られた。
「塩の結晶化がやつを縛っている……これを利用させてもらいます!」と、金太郎が鋭く指示を飛ばす。
「あいよぉ! いっちょやるぜ!」
アギトが即座に反応し、戦場での機転を利かせる。彼女は飛び回りながら、結晶化の進行を見逃さない。攻撃するたびに飛び散る塩の破片が、逆にAM-07の動きを封じているように見えた。
「塩分の結晶化が進めば、敵は動けなくなります!」
金太郎の言葉に呼応して、シグナムが再びレヴァンティンを振り上げる。彼女の動きは無駄がなく、敵の僅かな隙を見逃さなかった。
結晶化が進んだ触手を一閃し、塩の破片が辺りに飛び散る。
「今がチャンスです!」
金太郎が叫ぶと、アギトがさらに結晶化を促進させ、AM-07の動きが徐々に鈍くなっていくのが見て取れた。
「このまま押し切るぞ!」
シグナムが指揮を執ると、金太郎とアギトも一気に畳み掛けた。放出された塩分は逆にAM-07の行動を制限し、塩の結晶が触手を絡め取り始めた。
「今です、シグナム殿!」
金太郎が鋭く叫び、シグナムは再び前進する。
「これで終わりだ!」
シグナムのレヴァンティンが閃光を放ち、正確にAM-07の急所を貫いた。
刹那、塩の破片が激しく飛び散り、耳を劈くような金属音がプラント内に響いた。しかし、その音も次第に静まり、AM-07の巨大な体は塩の塊と化して、徐々に崩れ去っていった。
三人はその場に立ち尽くし、シグナムが静かに呟いた。
「……勝った」
周囲に漂っていた緊張感が解け、プラント内には再び静寂が訪れた。だが、すぐに金太郎が何かを察知したかのように目を見開いた。
「! ……二人とも、上を!」
金太郎が指差す先、AM-07の崩れた塩の塊の中心に、微かに輝く光が現れた。
輝くそれは、まさにアンゴルモア――エネルギーの核だった。紫紺の光が漂いながら、ふわりと浮かび上がり、周囲の空気が揺らめく。
アンゴルモアは、その純粋なエネルギーを纏い、空中で脈動していた。AM-07がその核に依存していたのは明白だった。
「これで全てが終わる……」
シグナムが息を吐きながら、静かに呟くと、金太郎は慎重にアンゴルモアに近づき、アックスオーガで無事に確保を完了させた。
だが、その瞬間――プラント内が不気味に揺れ始めた。
天井から細かな塵が落ち、鉄骨が軋む音が耳を刺す。シグナム達の足元が、微妙に傾き出すのを感じた。
「おい……どうなってるんだ!?」
アギトが叫び声を上げ、周囲を見回す。その直後、プラント全体が大きく揺れ、壁の一部が崩れ始めた。
「いかん! プラントが崩壊し始めてる!」
シグナムが叫び、全員が一斉に出口を目指して駆け出す。
だが、老朽化とAM-07による塩害で、施設は既に限界に達していた。鉄骨は次々に折れ、塩の結晶が至るところで崩れ落ちてくる。振り返る暇もなく、次々と崩れていく構造物が背後に迫っていた。
「急げ! ここに留まれば生きては帰れない!」
シグナムが鋭く指示を出し、三人は一気に出口を目指した。だが、その時――
「っ!」
突然、大きな音と共に足元が崩れ、床が一気に落ち込んだ。三人はバランスを崩し、波のように押し寄せる海水に呑まれた。
「「「うあああああああ!!」」」
三人の声が、轟く波音に掻き消されていく。次々に押し寄せる海嘯は、まるで大自然そのものが怒り狂っているかのように彼らを打ちのめし、僅かな抵抗も虚しく、海の中へと引きずり込んでいった。
海面に顔を出そうと、必死に藻掻く三人。しかし、嵐に翻弄される彼らの手足は次第に思うように動かなくなり、荒れ狂う波は容赦なくその体を呑み込んでいく。水の圧力が全身を締め付け、息苦しさが肺を焼き、絶望感が徐々に心を蝕んでいく。
海水に呑まれ、目も耳も満たされる圧倒的な静寂と混乱の中、三人はただ翻弄されていた。荒れ狂う海の力は彼らを押し戻し、波の勢いに抗う力は次第に失われ、冷たい海水が容赦なく肺に流れ込もうとしていた。
「シグナム殿……アギト殿……!」
金太郎の叫びは波に飲まれ、返事はない。波濤が次から次へと押し寄せ、すべてが暗闇に包まれていた。苦しみと絶望が重くのしかかり、息も絶え絶えの中で、彼らは波の中に埋もれていく――そう思われた時だった。
微かな音が聞こえた。低く、深遠な響き――それはクジラの歌のような音だった。荒れ狂う嵐の中、どこか温かく包み込むような音色が、彼らの意識の奥深くまで響いた。
「……!」
意識が遠のく中、金太郎は視界の片隅に微かな白い影を捉えた。
嵐の中で輝くその影――それは巨大な白いクジラだった。荒波の中を悠々と泳ぐその姿は、まるで海の守護者のように優雅で、同時に強大だった。
クジラの巨体が、荒れ狂う海を切り裂き、金太郎、シグナム、アギトを一瞬のうちに引き上げた。彼らはその背に乗せられ、安定感と共に一瞬の安心感を得た。荒れ狂う海の中でも、彼らを守るように、白い巨体は風と波をものともせず進んでいった。
「……助けてくれたのか……?」
掠れた声で金太郎が呟くが、その声も波に消えていく。
彼らはクジラの背にしっかりと掴まりながら、嵐の勢いに翻弄されることなく、静かに波を越えていった。
どれほどの時間が経ったのか。三人が次に気づいた時、彼らは波打ち際に横たわっていた。冷たい砂の感触と共に、彼らは荒れた海から解放されていた。
「ててて……あれ? あたしら助かったの?」
アギトがまだ意識が戻りきらない様子で体を起こし、周囲を見回した。
「ああ……そのようだ」
シグナムは穏やかに答えるが、あの大嵐を生き延びたことに、内心は驚きを隠せなかった。
あれだけの大時化にもかかわらず、野生動物の気まぐれとはいえ、生還できたのは奇跡に近い事だと三人が述懐していたその時――
「よかった、三人とも無事みたいだね?」
聞き慣れた声が三人の耳に届いた。彼らに話しかけてきたのはユーノだった。彼は安堵の表情を浮かべながら、彼らの無事を確認し、駆け寄ってきた。
「店長が、ここまで運んできてくださったんですか?」と、金太郎がおもむろにユーノに問いかける。
「いいや。三人を助けたのは、彼女だよ」
ユーノは遠くの海に目をやりながら静かに答えた。
「え?」
アギトが疑問の声を漏らし、遠くに消えゆく白い影を見つける。
「あれは……」
シグナムもその方向に目を向け、すぐに理解した。
「白いクジラ……」
金太郎が世にも珍しい色のクジラを見ながら、感嘆とした表情で呟く。
「彼女の名はティティス。僕の古い友だちさ」と、ユーノは微笑みながら答える。
「あのクジラと友だち? いつから?」
ユーノの発言を受け、アギトがまだ信じられない様子で尋ねる。
「僕がなのはに会うより、ずっと前だよ。何にせよ、お礼は彼女に言うべきだね」
ユーノは感謝の気持ちを込めて、遠ざかっていく白鯨――ティティスの背中に向かって頭を下げる。
「助けてくれてありがとう、ティティス! また会おうぜ!」
アギトが海に向かって叫ぶと、遠くのティティスが大きく海面に浮かび上がり、挨拶代わりに高く塩の水柱を噴き上げた。白く輝くその姿が、夕日に照らされて幻想的な光景を描き出す。
嵐が去った後、荒れ狂っていた海は穏やかに戻り、まるで全てが浄化されたかのように静けさを取り戻していた。広がっていた塩害の痕跡も、いつの間にか海の波に洗い流され、岸辺には不思議なほどきれいな砂が広がっている。
「……塩害も消えたな」
シグナムが周囲を見渡しながら呟いた。まるでティティスの力が、その影響を取り払ってくれたかのようだった。
空には柔らかな紫が広がり、水平線に沈みかけた夕陽が、黄金色の光を四人の背中に静かに降り注いでいた。ティティスの姿は、最後の塩の水柱と共に、波間にゆっくりと消えていった。
再び静寂が戻り、四人はその場で深く息を吐き、浄化された大地と穏やかな夕暮れの風景を静かに見つめていた。
教えて、ユーノ先生!
ユ「今日は塩害についてだ♪」
「塩害とは、海風や塩分を含む空気、または塩水などが原因で、建物や植物に被害を与える現象のことだよ。例えば、金属が錆びたり、コンクリートが劣化したりするんだ」
「また、植物にとっても塩分は有害で、根がダメージを受けたり、枯れたりすることがあるんだよ」
「特に海に近い場所や塩分を含んだ雨が降ると、この影響が強くなるんだ。だから、海沿いの地域では建物の保護やメンテナンスがとても大事なんだよ♪」
すると、話を聞いていたアギトがふと、こんなことを言ってきた。
ア「塩っていや、大福に使うといい味出すよな!」
ユ「そうだね。塩大福っておいしいもんね。あー、話してたら急に食べたくなってきたな」
金「そう言うと思いまして、ここに男金太郎特製の塩大福をご用意させて頂きました! 是非ともご賞味下され!」
そう言って、金太郎はユーノとアギトに手作りの塩大福を差し出した。
ア「うっひょー! 旨そう! いっただきまーす……」
ユ「……! んん!? おいしい! でもなんだろう、やけに濃いというか、妙にリアルな味が……?」
金「実は、使われている塩なのですが、わたくしの汗を凝縮して作ったものなんです」
何食わぬ顔で爆弾発言をする金太郎。話を聞くや、ユーノとアギトは盛大に口に含んだ大福を吹き出した。
ユ「うえぇぇ!? う、ウソでしょう!!」
ア「とんだ塩害もいいところだぜ! うぇえええええええええ!!」
魔導師図鑑ハイパー!
ユ「いただきます」
昼食の時間、ユーノは食堂でサバの味噌煮定食を賞味していた。
そんな彼を見て、通りかかった恋次が、やや呆れた様子で話しかける。
恋「おいユーノ、またサバの味噌煮かよ。いっつも同じもの食ってよく飽きねーな。たまには肉を食え、肉を」
ユ「美しいと思いませんか?」
すると、恋次の問いかけに、ユーノは身をほぐしたサバから取り出した一本の骨を、箸で摘み上げながら言葉を紡ぐ。
ユ「素晴らしい曲線です。何度見ても飽きません」
恋「おまえ、まさか骨を見たいが為に同じものばっか食ってんのか? 意味がわからねぇ」
ユ「僕よりも意味がわからないのが隣にいますよ」
そう言われ、恋次がユーノの隣に座る人物・熊谷金太郎に目を向ける。
直後。金太郎は、注文したカツ丼に尋常ではない量のマヨネーズをかけはじめた。明らかに成人男性が摂取していい基準の量を超え、カツ丼のカツが完全に白い粘り気を孕んだ液体によって覆い隠れてしまった。
最早食べ物と呼んで良いかすらわからないそれを、強面顔で頬張る悍ましい生物を目の当たりにした瞬間、恋次は言葉を失い立ち尽くす。
ユ「ね、意味わかんないでしょ?」
恋「ていうか、頭おかしいだろう……」
登場人物
オルカ
声:辻新八
59歳。とある港町で暮らす漁師。
海に精通しており、冷静かつ頼りがいのある性格で、息子ウォールラスと共に漁業に従事している。塩害に苦しむ港町で、シグナム達のプラント調査を支援するために船を出す。
名前の由来は、シャチの英名「orca」から。
ウォールラス
声:小野坂昌也
24歳。オルカの息子。
父オルカと共に金太郎たちをプラントまで船で案内する。冷静な父に対し、やや若さゆえの熱血な一面がある。塩害や町の未来に不安を抱きつつも、協力を惜しまない。
名前の由来は、セイウチの英名「walrus」から。
登場AM体
AM-07
ポーキュパインフィッシュ工業の廃棄された海洋プラットフォーム跡に現れたAM体。巨大なクラーケンのような姿をしており、無数の塩で覆われた触手を持つ。体からは塩分を放出し、その結晶化によって周囲の環境を腐食させ、広範囲に塩害を引き起こす。そのため、プラントや周辺の海は急速に老朽化し、大嵐によってさらに状況が悪化していた。
触手は、攻撃時に塩の破片を四方に飛散させ、接触するものすべてを蝕む。また、触手の先端には鋭い結晶の棘があり、物理的な攻撃を繰り出すことができる。触手を使って敵を捕らえると、吸収した塩分によってさらに力を増幅し、強力な攻撃を放つ。
その正体は、かつて海底に棲息していた古代生物の生き残りが、アンゴルモアとインペリウム239のエネルギーによって変異した存在であり、数千年にわたって生き延びた結果、異常な形態へと進化を遂げた。塩害の正体は、このAM-07が放出する塩分によるもので、プラント周辺の環境破壊の主因となっていた。
最終的には、金太郎たちが塩分の結晶化を利用してAM-07の動きを鈍らせ、シグナムのレヴァンティンによる一撃で急所を貫かれたことで崩壊。塩の塊となって姿を消し、塩害も収束した。