アイマスは、ヤバイ。
かつて帝國歌劇団に浸かっていた私を、沼に引きずり込むには、
十分な威力を備えていた。
あっという間に、デレステの課金ガチャを引いていた。
「今までの人生の経験・記憶・思考・思想等を引き継いで、二度目の人生を送るか」という提案があったとき、私は躊躇なく首を縦に振った。
極端に言ってしまえば、強くてニューゲームなわけである。
提案を棄却することなど、その誘惑の前には出来ようもなかった。
前世では勤め先が激務であり、体調を崩した私は定年まで勤め上げることが出来たものの、老後をゆっくり過ごすまもなく世を去ってしまったのだ。
今度こそ、体力と気力のあるうちに好きなことをやろう。
そのためには、金と時間、あと十分な社会的地位が必要だ。
自分で起業したり、研究者になったりするのはサラリーマンであった前世の引継ぎが生かされない為棄却。
今生もサラリーマンが妥当だろう。
そのためには、十分な可処分所得と可処分時間が得られるホワイトかつ大企業に勤める必要がある。
労働者にとって競争率の高いものになるはずだ。
しかし、周囲の労働者候補生が試行錯誤しながら自分の経済的価値を高めていく中で、前世の記憶がある私は効率よく自身の経済的価値を高めることが出来る。
就職活動時には、同期とは大きな差がついているはずだ。
待っていろ、私の人生の夏休み。
……と思っていた時期が私にもありました。
前世と比較して、幼少期から前世の情報を取り扱える頭の回転・強靭な肉体・類稀なる優れた外見。
この3点セットを得た私は、まさに我が世の春のはずであった。
だが人生とは自分だけのステータスで決まるのではないことを忘れていた。
そう、此処には彼の者の御威光も届かなかったらしい。
家族である。
個人のステータスに極振りした結果、私の周囲には満足にptが与えられなかったのだろうか。
会社勤めではあるものの、家事は全くせずに飲んだくれている父親。
母親曰く、会社での出世レースに敗れるまではまともな父親だったらしい。
飲んでいるだけなら金と寿命の無駄で済むのだが、時折暴力を振るうので性質が悪い。
そんな父親に愛想を尽かしたのか、ホストクラブに入り浸る母親。
私を生んだだけあって美人の名残があるため、昔はもてたことが想像できるが、それは過去の栄光なのだ。
ホストクラブは金銭的に洒落にならないので止めて頂きたい。
こんな両親である。
子供を高校以上に進学させる気(と金)があるのか疑わしい。
しかし、今世の「人生の夏休み」プランは大学を卒業することを前提に組み上げてしまっている。
何しろ、現代日本では大卒とそれ以外の生涯年収が段違いなのだ。
大学で得られる価値観の共有できる友人の存在も捨てがたい。
学費がすさまじく引き上げられた国立大学は難しい。
奨学金制度を利用しようにも、親の署名を得た時点で奨学金が酒代とホスト代に消える可能性がある。
ここは就職活動で多少不利になることを承知で奨学金が学費とバータになる私立大学に進学すべきだろう、高校についても同じ事が言える。
学費がロハということに関しては、防衛大学校も選択肢に入るが自衛官になる予定は無いため選択肢から外す。
自衛官にならなければ学費を後納しなければならないはずだ。
決まれば行動開始である。
高校進学時や大学の成績優秀者奨学金を得るため、前世と3点セットをフル活用して小中高大と完璧な優等生を演じた。
中学校と高校では運動部と生徒会に所属し、それなりの成績を残せば内申点は簡単に得ることが出来る。
大学では一転、拘束時間の少ない文化系のサークルに所属し、価値観を共有できる友人や生涯の趣味の獲得に動く。
もちろん、正課では1年生の時点で教授の個研に足繁く通い、専門知識の獲得と同時に顔を覚えてもらう。
一時期はどうなるかと思ったが、大学に進学し親元を離れてしまえば転生のデメリットは無いに等しい。
仕送りが皆無だったり、碌な下宿先を選べなかったりしたが、実家でも大して変わらないためデメリットに数える必要は無いだろう。
現在の私にとっての最大の障害は、学費を払いながら生活費を得る為にアルバイトを行うという非効率的な二重の経済活動以外に見当たらない。
何においても「(※)」とは言ったものだ。3点セットサマサマである。
さて、人生の夏休み計画最大の分岐点、就職活動がやってきた。
学校生活はいってしまえば、Bestな選択肢を自分で選ぶことが出来たが、ここからは自分の人生の選択肢を他人が選び始める。
自分に出来るのは、赤の他人がMuch Betterな選択肢を選ぶ可能性を上げることだ。
具体的には、人事がより価値のある労働者を選択できるよう、エピソードを用意することだ。
しかし、最近は学生の出自で選ぶ企業もあるという。
私の場合、その部分の評価がお世辞にも加点に繋がるとは思えない。
私の積み上げた経済的価値による加点が、出自の減点を上回るかどうか。
上回りかつライバルの点数を越えることが出来るかどうか。
「
玄関先で待っていた人事に案内される。
一次二次三次面接を通じ、御社の面接スタイルは理解している上、私の面接対策は22年間を費やした一分の隙も無いものである。
代表取締役がほじくってきたところで難攻不落であると自負している。
「面談が終わりましたら、応接室の外でお待ちください。お迎えに上がります」
さあ来い、私の第一志望「346プロダクション」!
***
応接室に学生を送ったのは12人。12人目の彼女、安曇玲奈で最後である。
先の11人の面談時間は15分だったのに対し、彼女に割り当てられた時間は倍の30分。
採用の是非について、担当者人事会議、課長級人事会議、部長級人事会議で揉めに揉めた挙句決定できず、定時を過ぎて踊れども進まない会議を開催していることに業を煮やした幹部が「我々が見て決める」と言い出し、この時間割り当てとなった。
私も人事担当者として彼女の評価を行っている者の一人であるが、彼女の評価は難しい。
他の部署から応援に来て面接した人間など、「顔とスタイルが完璧」等と評価欄に記載する始末。
内面に関する記載が全く無いのは、人事の「じ」の字も知らないから当然なのだろう。
彼女の面接は、どんな人間でもこなせる。
言葉のキャッチボールが非常に正確で、面接官に心地よい時間を与えてくれる。
素人がこの手の人間を一人目に面接すると、彼女を「普通の学生」と評価してしまいがちだ。
一応それなりのキャリアを新卒採用に費やしてきた私が彼女の評価欄に記載したのはたった一行、「学生を完璧に演じている高価値労働者」
普通の学生は大なり小なり社会に夢を見ており、志望動機に理想が入り混じり志望先の業務と若干の差異が生じたり、自己PRにおいては学生時代の非生産的な時間をつくろうための多少の矛盾があるものだ。
だが、彼女にはそれが無い。
彼女は大学卒業後の社会に夢を見ていない。
「やりたい仕事は?」の問いに対して、いくつかの答えがあったものの、本当にやりたいとは思えない。
いや、普通の人間はやりたくない仕事もやりたい仕事も同じように行うし行わなければならないことを、彼女は生まれたときから知っている、生粋のサラリーマンのようであった。
しかし、彼女を学生と思わず同じ社会人としてみると至極全うな思考をしており、採用のコストに対して346プロダクションが得られるリターンは十分大きいと思われる。
採用を見送る理由は無いだろう。
事実、研修後の配属先については、一年以上先のことにも拘らず、水面下で争奪戦が始まっていると聞く。
幹部との面談が終わり、彼女が応接室から出てくる。
幹部に対する別れの挨拶も、入るときと同じ良く通る声で、緊張の解放による震えなどは一切無い。
「お疲れ様でした。本日の面談の結果については、今週中に電話又はメールにてご連絡いたします」
結果など、一次面接時に出ているのだ。
問題は、採用を決定しようとしたとき、アイドル事業部が人事課に横槍を入れてきたことだ。
彼は、何を考えているのだろうか。
***
あの人事担当者は「今週中」と言っていたが、346プロダクションから連絡があったのはその日の夕方だった。
電話にて回答いただけるということは、十中八九採用ということだ。
「はい、安曇玲奈です」
「お世話になっております。346プロダクション人事課採用担当です。おめでとうございます。本日の面談結果より、安曇玲奈さんを346プロダクションに採用内定とさせていただきます」
「ありがとうございます」
「採用先の部署についてですが、安曇様は採用試験で優秀な成績を収められましたので、多数の部署からオファーが来ております」
内々定時点で、オファーなど来るものなのだろうか。
前世では、4月1日採用の新人は研修が終わるまで採用部署は決まらなかった。
346プロダクションが特殊なのか、私がやりすぎたのか。
「普通は……いえ、滅多にオファーを出さない部署からも来ております。安曇様にはそれぞれの部署の担当者と直接お話しいただき、ご希望を出していただきたいと考えております」
どうも、やり過ぎたらしい。
しかし、多数の部署の担当者レベルと話すことが出来るのは良い機会だ。
346プロダクションほど大きな会社なら、部署間の残業時間が大きく異なる可能性が高い。
せっかくホワイト企業から内々定をいただいたのだ。
ホワイトの中のブラックに行く必要もあるまい。
「こちらこそ、是非お話しさせて頂ければと思います」
電話では、「それぞれ」という単語が含まれていた……筈だ。
なのに、目の前に座っている人数は2人。
彼がトップバッターで、後からさまざまな部署の人間が来るものだと思いたいが。
人事担当者と形式的な挨拶の後、本題であるもう一人の男の紹介が行われる。
「こちらが346プロダクション、アイドル事業部の
「ご紹介に預かりました、増毛です。毛が増えると書きます。アイドル事業部ではアイドルのプロデュースを行っております」
笑わなかった、私を褒めて頂きたい。
毛が増える、で増毛。
目の前の男は、その苗字からかけ離れていた。
175cm程度の背丈だが、サラリーマンとしては十分に筋肉が付いており、胸板も厚い。
目は長めの垂れ目だが日本人にしては彫りが深いため、非常に迫力のある表情だ。
角を落とした長方形の顔も、彼の男性的な面を強調させる。
その男性ホルモンに当てられたのだろうか。
彼のおでこは非常に広かった。
前髪の前線は1944年夏以降の中央軍集団よりも悲惨であり、終わりの無い撤退を行っていた。
幸い、側頭部においては未だ踏ん張りが見られる。
北方軍集団と南方軍集団が頑張っているようだ。
「安曇さん?」
私の反応が無いことを不審に思った人事担当者が声をかけてくる。
反応を忘れていたのではない、笑わないために必至にほっぺたの内側を噛んでいたのだ。
口内炎が怖い。
「失礼しました。安曇玲奈と申します。不躾な質問で申し訳ありませんが、アイドル事業部では私はどのような仕事をすることになるのでしょうか」
そう、禿げの他のもう一つのインパクト。
アイドル事業部である。
芸能界では老舗の346プロダクションであるが、アイドルには長らく手を出していなかった。
最近新設された事業部である。
成功すれば、軌道投入に携わったことは立派なキャリアになるが、失敗すればキャリアに傷が付くだけである。
人生の夏休み計画は、賭けよりは手堅い選択を行う予定である。
アイドル事業部は博打性が高いだけではなく、私の専攻とあまり関係していない。
ここは勿論、お断りの一手だ。
「安曇さんにはアイドル事業部において、アイドルになっていただこうと思います」
は?
何だって?
「私が、アイドル?」
「ええ、アイドルです」
アイドル、Idol、偶像。
サラリーマンとは対極の存在。
歌って踊って、日々仕事に追われるサラリーマンの心を癒す存在。
そんなのに、
「何故……」
「笑顔です」
笑顔?
そりゃ、面接のときは3点セットの1つであるこの外見を散々に利用させて頂いた。
だが、人を魅了するような笑顔というよりは、ビジネススマイルというのが正しい。
仕事をする上で、表情くらい制御できることを証明するための動作に過ぎない。
「いや、失礼。部署の後輩がそういって勧誘してくるものでして、試してみたまでです。正直、安曇さんの魅力は笑顔にあるとは思っていません」
そうだろう。
表情は手段であって、それだけで何かが成立することはなかなか無い。
「顔や身体はアイドルとして申し分ない程整っています。普通の業務に就いていただいても、職場の士気が上がることは間違いないでしょう」
前世でそういった記事を見たことがある。
職場に美人がいると、野郎共の士気が上がり、業務効率が改善するというものだ。
馬鹿馬鹿しいと思っていたが、実際に士気というのは重要なのだ。
鉄の心でも言っている。
指揮統制よりも士気で殴る方が強かったりするのだ。
「私が評価したのは、何事にも動じない、完成された精神力です。アイドルというのは年頃の女性が多い。彼女らは精神的に完成されておらず、不安定です」
それは、そうだ。
だいたい、人間なんて幾つになっても感情のままに動く人間がいるのだ。
多感な少女なんてなおさらだ。
もっとも、就労年齢に達していないのに働かせているのだから、それくらいのケアくらいすべきなのだが。
「故に、よりアイドルとして高みにいける選択肢を選び損なう。悪い場合はスキャンダルでアイドル人生を終えることもあります」
デビュー時代から応援してくれているファンや、同級生が送っている普通の生活に引き摺られるのだろう。
実際、有名税どころでは無いくらい、プライベートが削られることは、報道などで感じられる。
「その点、安曇さんにはそれが無い。346プロが求めるアイドルを完璧に演じてくれる、そう私の直感が言っています」
増毛さん、あなたの直感は正しい。
今世の私は、給料に含まれているのならば、法律に規定された範囲内で何でも行う。
346が望むのならば、私はそれを粛々と行うだけだ。
それが、サラリーマンだ。
御恩と奉公と同じように、給与と業務がある。
むしろ、それ以外に無いというべきだろうか。
「演技なら、指定して頂ければ多少は。ですが、私にはアイドルとして何かを成し遂げたいという望みがありません」
空っぽの偶像が人の希望に成れるのか。
鍍金のアイドルに人が癒せるのか。
「アイドルも、我々と同じ、労働者に過ぎません。望みなどなくて結構。346プロダクションの望みを叶える存在であれば良いのです」
素晴らしい、素晴らしいよ増毛P。
貴方のような人間が上司であったなら、どれほどQOLの高い生活が送れることだろうか。
しかし、アイドルの様な芸能人はカレンダー通りとは程遠い生活を送っている。
人生の夏休み計画には不適切な職業なのだ。
「お誘いいただいたのは嬉しいのですが……」
断腸の思いでアイドルを断る。
自分でも過去10本指に入る演技力で、戸惑いつつ、でも芯のある口調を選択する。
「安曇さんがアイドルになることは、経営陣一同も了承済みです」
なんだって?
最終面談の場にいた連中が?
良くない。
実に良くない。
経営者がそれを望むのなら、それを叶えるのが労働者だ。
勿論、労働者が希望する給与や労働条件の範疇で、だ。
人事担当者に助けを求めて目線を振ってみる。
「残念ながら、本日は他の部署の担当者は来ておりません。アイドル事業部と人事と安曇さんの3者面談です」
ダメです。
ならば、最終手段。
業務内容や出世は捨てる。
「実は、家族の状況が芳しくなく、勤務時間が不安定な職業は……」
「ご安心ください。安曇さんを346の社員待遇で迎える事と指示されております。安曇さんの労働条件は346の正社員のそれが適応されます。勿論、年末年始などは勤務して頂く事になるため、代休という形で補填させて頂きますが」
ん?
芸能人がそれで良いのか。
「安曇さんのポテンシャルを見込んでのことです。台詞や振り付けの覚えが悪いと、残業して頂く事になります。酷いと、サービス残業です」
馬鹿にしないで頂きたい。
自らの業務を、自らの原因で遅延させるほど、無能ではない。
前世でもそう心がけていたし、今世においてもその意思は揺るぎ無い。
嘗ては堪えたであろう歌って踊る重労働も、今の体ではノー・プロブレムだ。
「346の正社員待遇なので、普通のアイドルとは給与形態も異なってきます。細かい事は、正式採用に向けてこれから調整させて頂きます。大学卒業までは、一般的な事務所所属のアイドルと同様の契約になります」
さぁ、どうする私。
アイドルを選んだ途端、人生の夏休み計画は崩壊だ。
計画は、前世と似たような道を、前世よりスペックの高い私が歩く事で成立する。
アイドルの道は、未知数だ。
売れなければ、下手なブラック企業より悲惨な事になるかもしれない。
アイドル引退後も問題だ。
年頃の女の子でないと売れない職業なのだ。
頑張っても30前半で引退だろう。
それまでに、その後食えるだけの蓄えが得られるかどうか。
アイドルは手に職が付かないため、再就職は難しいだろう。
尤も、売れれば引退後は夢の印税生活が待っている。
一世を風靡するような曲を出せれば、何もしなくても皆がカラオケなどで少しずつ私にお金をくれるだろう。
対して、アイドルにならなかった場合だ。
一般職で終える気はなく、それなりに出世はしてやるつもりであった。
なお、前世とは異なり、今世の性別は女性であるため、出世に関して不透明なところがある。
前世では、女性の管理職など皆無であったし、今世においてもあまり見かけない。
もっとも、男女平等の法整備が施されてから四半世紀程度。
管理職にはそれなりのキャリアが必要であり、年数だけが長いお局様がいきなり役付きになることはない。
各企業が女性のキャリアプランを作ったとしても、それは暗中模索であったり、ゆったりとした動きである事が多いだろう。
法律を定めたからその日から日本が激変するなんてことは無いのだ。
つまり、アイドルになってもならなくても、期待される可処分所得と時間はあまり変わらないことになる。
どうせ第二の人生だ。
この人生そのものが夏休みみたいなものじゃないか。
「増毛プロデューサー。貴方の眼から見て、私は”売れますか”」
「無論だ。君を見てから、君のアイドル人生を想像しなかった日は無い。失敗はありえない」
その自信はどこから出てくるのか。
まぁいい。
はっきりものが言える人間は嫌いじゃない。
乗ってやろうじゃありませんか。
「分かりました。安曇玲奈、ご提示の条件で346プロダクションの内々定をお受けいたします」
続かない()