ふと、マリアは目が覚めた。
マケドニア城の、与えられた寝室。小さいけれど、いつもなら深く眠りに付ける、心地よいベッド。
一人で寝るようになって、どれくらい経っただろう。
身を滑らせる時に少し寒い、だれも先に入って温めてくれない床に入るのはもう慣れたが、起きた時に一人なのは、夜中だとまだ心細い。
なぜか、また寝てしまおうと思えなかった。
その小さな胸に手を当て、マリアは外に目をやる。
「・・・?」
夜の闇の中、さらに濃い闇が蠢いた。
今マリアのいる、同じマケドニア城の、ひと際大きな窓。
何だったのだろう?
・・・それが闇のオーブの力の発現の余波だと彼女が知ることはない。
カッ、カッ、カッ・・・・・・
規則正しく跳ねるような、小気味良い足音。
・・・ミシェイル兄様だわ。
安堵して、息をつく。
彼がそばにいるなら、なにも心配は要らない。
足音は、部屋の前で止まる。
「マリア」
「お兄様・・・?」
声をかければ優しい兄だが、あまり向こうからはかまおうとしないミシェイル。
こんな夜中に妹の部屋を訪ねるというのは珍しい。
ミネルバは逆に、ヒマを見つけては会いにくる。
マリアはどちらも愛していた。
「どうしたのお兄様」
廊下の逆光でよく見えないが随分と汚れている。
匂いも、いつもの香水ではない。
「オズモンドを殺してきた」
「・・・・!?」
父の名だ。国王の名だ。兄にとっても親だ。
殺した? なぜ。
え・・・?
ミシェイルは、マリアにこの先の彼女の運命を告げに来た。
「お前はドルーアに行け。人質としてな」
2秒。
「はい」
マリアは、はっきりとそう言い、微笑んだ。
とまどったのはミシェイルの方だった。
「・・・随分冷静だな」
「お兄様が、お兄様のままだったから」
「俺が・・・?」
父を殺してきたと言ったのを、理解していないのだろうか?
「もし兄様が、魔物にとって変わられてでもいたのなら、私のことはどうでもいい筈よ。
騙し続ける必要があるのならともかく、人質として遠ざけるのならなおさら。
部下に命じて薬でもかがせるか、むりやり連れて行けばいい。
でも、にいさまは御自分で告げにきたわ。
それは、私のことを気にかけてくだされるからですよね?」
絶句した。
利発だとは思っていたが、ここまで頭の回る妹だったのか。
自分でも説明の付かない、黒い感情の渦巻く中で、再認識させられた。
俺はこの国を、妹達やレナ、民達を愛していると。
野望を抱き、手を血に染めることを厭わぬほどに。
「ドルーアに行くというのも、良いかも知れないわ。
クーデターが成った今、担ぎ出すものはない方がいいわ。
人質は生きていなければ意味はないのだから、むしろ安全かも」
一瞬、手元においておいたほうがいい気がしたが、もう人質として送ると言ってしまった。
軽く後悔したが、安全性で言えばやはりこれで正解と思い直し、息をつく。
「父様のことは悲しいけど・・・ 私もアカネイアに希望は持てない。
戦争、なのね」
その身を捧げるように立ち上がったマリアに手を伸ばす。
血で汚れているのに気付き、手を引こうとすると、
「いいのよ。兄様」
その手をとり、握ってくれた。
震えて、いた。
「お姉さまには・・・ 会えないわよね」
どんな騒ぎになるかわかったものではない。
ミシェイルは何も言わなかった。
・
マリアが受け入れてくれたことで、ミネルバとやり合う時は、冷徹な魔王でいられた。
兄を恨むがいいミネルバ。
万が一俺がしくじったら、お前にこの国を任せる。
だからこそお前は下の妹のように聡くてはいけない。
本気で悲劇の姫でなくてはならん。
・
囚われの城でマリアを迎えたのは冷たい槍の一突きであった。
騎士が何も語らなかった為、マリアは彼がドルーアの者かマケドニアの者か、それともまったく別の軍の者なのか、それすらも分からなかった。
「・・・ミネルバ・・・姉さま・・・」
絶命した後なのは救いなのだろうか。
その遺骸は数度床や壁に叩きつけられた後、格子から放り出され、数十メートルを落下し、二目と見られぬ姿であったという。
マケドニアに最も必要であった、美しく聡い至宝の姫君は、家族の誰にも、民にも愛されながら、冷たい牢で一人きり、息絶えた。
ミシェイルの怒りは、自責と共に計り知れぬものだっただろう。
思い出される、かつての妹の幻影。
その言葉。
にいさまはつめたい、と、マリアにあまりかまわないミシェイルにミネルバが腹を立てる。
お前は構いすぎだ、と、兄も憤る。
きまって、マリアがなだめるのだ。
「けんかしないで。わたしはおにいさまもおねえさまもだいすき。
だから、ふたりがけんかするのはとってもかなしいの」
大切にしてきた言葉だった筈なのに、いつしか忘れていた。
(その罰ならば、俺を殺せ)
・・・それが許されるような世界ではない。
終