執務室の扉が大きな音を立てて開き何者かが中へと飛び込む。
「ぽいいいーーっっ!!」ガバッ
夕立が椅子に座る提督に飛びつく。艦隊帰投後のいつもの光景だ。
「夕立か、お帰り」ナデナデ
「わふっ!」ナデラレナデラレ
「提督、第二艦隊が遠征から戻ったよ」
遅れて僕たちも中へと入る。
「ぽいっ!」
「にゃしい!」
「なのです!」
「はーい」
「……帰投しました」
遠征の報告のため、僕たちは執務室へやって来ていた。旗艦は神通さんだったのだけれども何故か僕が報告役に選ばれた。
「……ご苦労、問題はなかったか?」
「なかったよー」
「「「「「……」」」」」
「……何かあったのか?」
こちらを心配そうに見る提督に僕が代表して答える。
「夜間の資源輸送中に川内が敵艦隊を発見、止める間もなく『夜戦だーっ!!』と叫びながら単艦突撃を行いこれを殲滅したよ」
「ちょっ!?時雨、それは黙っててよ!!」
狼狽える川内を無視して僕は続ける。
「僕たちには被害は特に無し、このまま休憩に入っても構わないかな?」
「おう、全員今日と明日はゆっくりするといい。……川内は残れ、話がある」
「げっ!」
「では、解散!」
「その前にナデナデして欲しいです」
「睦月たちをもっと褒めるがよいぞ!」
「はいはい、順番な」
提督が今回の遠征メンバーの頭を順になでていく。睦月と電と夕立は嬉しげに、神通さんは恥ずかしそうに、川内さんは頭を思いっきり掴まれていた。
「イダダダ!!ちょ、ちょっと提督痛いって!!」
「ほう、こっちの方がいいか」
「あああっ!痛い痛い!頭の両側グリグリはシャレにならなっ、アーーーッ!?」
しばらくして僕の番がやってくる。解放された川内さんは頭を押さえてうずくまっていた。
「いつもすまんな」ナデナデ
「んっ、気にしてないよ」ナデラレナデラレ
提督のおっきい手は温かくて、とても優しく僕の頭をなでてくれる。少しインクの匂いのする僕の大好きな手だ。
「……では今度こそ解散だ!食堂に俺と榛名で作った菓子が置いてあるからみんなで食べてくれ」
「「「「「「はい!」」」」」」
「……お前は残れよ川内」
「さ、先に食堂の方に……」
「いやー、今日は処理しなきゃいけない書類が多くてなー、もう1人ぐらい人手が欲しいんだよ」
そう言って提督が高い書類の山を指差した。
「そ、そうなんだ……」
「ちょうどいい奴が目の前に1人いるから手伝ってもらうことにしよう」
後ずさる川内がそのまま背を向け逃げようとする。
「捕らえろ皐月」
「了解っ!!」バッ
本日の秘書艦皐月があっという間に見事な手際で川内を拘束した。
「嫌だあああっっ!!」
「すでに縄が用意されていたなんて姉さん……」
「やらかした時の逃走防止用に司令官から渡されたんだよ」
「さ、一緒に仕事しようか川内」ニコッ
「いやあ、助かるよ川内さん」ニコッ
「ごめんなさいいい!!」
「菓子っていうかケーキだね」
「ぽいいいっっ!」キラキラ
「あ、皆さんお疲れ様です」
食堂では榛名さんがカットしたケーキを皿に乗せて並べていた。
「苺のショートケーキなのです!」
「睦月苺は大好きなのね!」
「提督がおっしゃっていましたが、これは榛名さんが提督と一緒に?」
「教えてもらいながらですけど……味の方はバッチリです!」
「ふふ、ではいただきましょうか」
「そうだね」
それぞれが席に着き、ケーキを食べ始める。ふんわりとしたスポンジの食感を楽しみながら甘い生クリームと苺も味わう。あちこちで歓声が上がった。
「生地がふわふわしていて美味しい……スポンジ部分だけで食べてもいいぐらいだよ」
「はふっはふっ!」
……夕立は会話を放棄している。
「夕立、もう少し味わって食べた方が……」
「……ぽい?」
こちらを見る夕立の頬にクリームが付いている。改二になる前はもっと女の子っぽかったんだけどなあ……もはや今の夕立はわんこだ。
「ほら、じっとしてて」
「ん……」
ハンカチを取り出して頬のクリームを拭う。
「これでよし」
「はふはふっ!」
(ああ、またクリームが……)
一心不乱にケーキを貪る夕立に僕は振られている犬の尻尾を幻視した。
ーーーーーー
ジリリリ……
「……ん」ポンッ
目覚まし時計の音で目を覚まし、体を起こして背伸びする。意識がはっきりしてきたところで着替えて僕は部屋にあるもう一つのベッドの方に向かう。
「夕立、もう朝だよ」
ベッドに上で気持ちよさそうに眠る夕立に声をかけるが返事はない。
「夕立~起きて~」
「ぽい……ZZZ」
揺すってみても起きない、いつもの事だ。彼女の上半身を手で起こしてパジャマを脱がせていく。
「はい、バンザイして」
「ぽぃ……」
寝ぼけながら夕立がバンザイする。
「うんしょ……」
夕立のパジャマの上を脱がして、制服を着せていく。駆逐艦としては発育の良い体の一部が時々揺れる。
(何度見てもおっきい……)
作業は特に抵抗もなくすんなりと終了する。夕立は寝たままだ。
「なんでこれで起きないんだろう……」
布団を捲って今度は下を着替えさせる。夕立のパンツは基本白なのでもう見慣れてしまった。上下とも制服に着替えを済ませた夕立だがまだ寝たままだ。
「さてパンを取ってこよう」
食堂へ行き、パンとジャムを一つ取ってきて自室へ戻る。
「扉を開けておいて……」
パンにジャムを軽く塗ってそれを夕立の鼻に近付ける。
「ほら夕立、ごはんだよー」
スンスンと夕立の鼻が反応し、パンへと顔を近付けてくる。そのまま僕はパンを持ってゆっくりと夕立から離れていく……
「ぽい……ぽい……」スンスン
寝ぼけた状態で夕立がベッドを降りてフラフラとこちらに歩み寄って来るので、そのまま食堂まで誘導していった。
「もう見慣れた光景だけど、その状態の夕立は本当に意識がないのかい?」
「まだ寝てるよ」
食堂で皐月と会ったので相席させてもらうことにした。誘導してきた夕立を椅子に座らせ、口元にパンを持っていくとパクリと食いついた。
「……寝ててこれなの?」
「うん」
寝たままパンを食べ始める夕立を見ながら皐月と話していると金剛がやって来た。
「Good morningデス!2人とも!」
「あ、金剛さんおはよう」
「おはよう金剛」
「……夕立はやっぱり寝ているのデスか?」
「起きるまで待つしかないよ」
すると金剛が悪戯っぽく笑って言った。
「ちょっとやってみたい事があるデス」
「やってみたい事?」
「夕立が怪我するやつはダメだよ?」
「大丈夫デス!問題nothing!」スッ
「何を……?」
金剛は夕立の耳元に顔を寄せると小さく息を吹きかけた。
「……」フッ
「…ぽひぃ!?」ビクンッ
「あ、起きたね」
「!?ぽ、ぽい……!?」キョロキョロ
一瞬で覚醒した夕立が混乱したように辺りをキョロキョロし出したので思わず僕たちは笑ってしまった。
「あれ?ここは食堂っぽい?い、今何か耳に……なんでみんな笑ってるっぽい?」
「夕立はso prettyネ!」クスクス
「可愛いね!」クスッ
「うん、それは僕も同意だ」ナデナデ
「ぽ、ぽい……?」ナデラレナデラレ
ーーーーーー
「何か食べたいっぽい!」
午後3時頃、夕立がそう言い出したので僕は厨房へとやって来ていた。ちなみに午前中は提督の執務室へ遊びに行っていた。仕事は川内に押し付けたらしく、隣室から時折泣き声が聞こえてきた。提督の膝の上で甘える夕立と皐月を見ながら僕も時々頭をなでてもらって過ごした。
「……さて、簡単に作れるホットケーキでいいかな」
ホットケーキミックスと材料、調理器具を取り出して並べていく。夕立はよく食べるから3人分……いや、夕食もあるし2人分でいいだろう。足りないなら僕の分をあげればいい。
「……」
卵を割ってボウルへ、ミキサーでかき混ぜ、ホットケーキミックスといざ混ぜようとしたその時、僕の視界の端をソレが横切った。
「……!?」
楕円形の体に触角と六本の手足を持ち、カサカサと動き回る黒いアイツだ。ソイツはあろうことか用意した調理器具の近くの壁に張り付いていた。思わずボウルとミキサーを持ったまま固まってしまう。
「……」
早くなんとかしないと……そう思うのだけれど体が動かない。
(くそっ!動け僕の体!何故動かないんだ!)
このままではホットケーキが調理前に死んでしまう。
「い、いい子だからここから去るんだ」
気がつくと僕は黒いアイツに話しかけていた。体が動かない今、言葉でなんとかするしかないんだ。
「今からここでホットケーキを作るんだ。き、君がそこにいては困るんだけど……」
「え?そのホットケーキに飛び込みたい?そ、それは勘弁して欲しいな……」
「……」
「お願いします!ここから出ていってください!」
……僕は何をやっているのだろうか。
しかし僕にとって黒いアイツはトラウマなんだ。
ーーー横須賀第二支部時代
その日は熱い夏の日で、出撃のなかった僕は自室で1人本を読んでいた。
「……?」
突然ドタドタと響いてきた足音に気付き、それが自室の前で止まったので本から顔を上げて扉を見た。
「時雨ー!」バアンッ
扉を勢いよく開けたのは同じく出撃のなかった夕立だった。彼女は右手を後ろに隠してゆっくりと僕に近付いてきた。
「……どうかしたの?」
「カブトムシを捕まえたっぽい!!」
夕立は満面の笑みでそう言った。
(カブトムシって……ああそうか、今の季節ならいるかもね)
「へえ、ちょっと見てみたいな」
それが間違いだったんだろうか?いや、回避不能のイベントだったんだろう。
「はい!」バッ
夕立が僕に差し出して来た右手にあったのは必死で手足をカサカサと動かしている黒いアイツだったんだ。
「───っ!?」
僕の顔数十センチの距離に腹を向けた黒いアイツがいた。これがカブトムシだって!?そんなわけがあるか!!
「大きいっぽい!」
確かに大きい……が、僕にとってはただただ気持ちが悪いだけだ。今までこんな大きなゴ○ブリなんて見た事がないしこんな不気味なカブトムシも見た事がない!何故夕立はそれを僕の鼻先に満面の笑みで突きつけられるんだ!?一体僕が何をしたっていうんだ!!
「ゆ、夕立!それはカブトムシじゃな……」
「あっ」パッ
(!?)
夕立がついうっかりという感じで右手のアイツを落としてしまった。アイツはなんとそのまま床に落下せず羽を広げ……
「ひっ!?」
スロモーションになる世界。飛んで来る黒いアイツ。その直視したくない体が拡大されて見えてくる。アイツが僕の眼前に迫り───
(ああ、僕もここまでか……提督、みんな……さよなら)
その後どうなったかは覚えてない。次に目を覚ました時に見たのは笑い転げる提督と飛龍、拗ねる夕立、僕の顔を心配そうに覗き込んでいた金剛の姿だった。
「~♪~~♪」
鼻歌を歌いながら厨房へ向かう夕立。時雨が作ってくれる食べ物が待ちきれないので様子を見に行くことにしたのである。
「時雨ー!何か出来たっぽ……?」
声をかけながら厨房の中を覗きこんだ夕立が見たのは必死で何かに話しかけている時雨の姿だった。
「ああ!?こっちに来ないでくれ!」
「早く外へ行くんだ!」
「お願いだ!」
(……な、何をしてるっぽい?)
1人で喋り続ける時雨に夕立が困惑する。
「やめて!こっちに来ないでええっ!!」
厨房で1人叫ぶ時雨を見て夕立はだんだんと不安になってきた。
(時雨がおかしくなったっぽい……夕立がなんとかするっぽい!)
「時雨!しっかりするっぽい!」
「……!?夕立!!」パアッ
まるで窮地に現れた女神を見るような目で夕立を見る時雨。実際時雨の中ではそう解釈されていた。そもそも夕立が彼女のトラウマを作った張本人なのだが。
「アイツをなんとかして欲しいんだ!」
「……アイツ?」
そこで初めて夕立は時雨が何に話しかけていたのか気づく。
(カブトムシ……じゃなくてゴ○ブリっぽい)
どうやら時雨はこれに怯えていたらしい。ならばと夕立は歩みを進めた。
「任せるっぽい!」
「ああ……ありがとう夕だ……!? 」
ブウウウウン!!
黒いアイツが飛んだ。どこへ向かうかって?時雨の方に決まっている。
「うわあああーーっっ!!??!」
ついに硬直が解けた時雨が持っていた調理器具を放り出してその場から逃げ出す。必死の形相である。
「時雨っ!……ぽふぉ!?」
時雨が放り出したボウルが夕立の顔面に直撃し中身の生卵が彼女の頭を一瞬で黄色に染める。
(目が!!それにヌルヌルするっぽいいいいい!??!)
「て、提督ーーーー!!」バアンッ
勢いよく執務室の扉を開いてやって来たのは白いフリフリエプロンと頭に三角巾姿の時雨だった。一直線に俺に向かってきた彼女が俺の腕を掴む。
(ノックすらないとは何かあったのか?)
「時雨か?どうしたそんなに慌てて……」
「アイツが!黒いアイツが厨房に!」
「アイツ?」
「カサカサ動くヤツだよ!」
「ああ、なるほど」
(確かこの辺にアレが……)
執務室にしまってあったゴ○ジェットを取り出して時雨に向き直る。
「俺に任せとけ」
「提督……!」
(そんな救世主を見るような目をしなくても……よっぽどゴ○ブリが苦手なんだな)
「悪い、行ってくるよ皐月」
「はーい」
現場では何故か夕立が転げ回っていた。
「ぽひいいいっ!!目が!目があ!!」ゴロゴロ
ブウウウウン……
(何だこれ)
「て、提督!」
「いやあの時雨さん、そんなに強く腕を掴まれると動きにくいんだが?」
「うう……」
「まあ後ろに隠れてろ」
時雨を背に隠し俺は標的を見据える。出来れば厨房の器具にはあまりスプレーをかけたくはない……これはまごうことなき毒だからな。
ブウウウウン!!
睨み合いが続き、ついにその瞬間がおとずれる。
「ここだっ!!」
ゴ○ジェットの噴射が黒いアイツに直撃した。致命傷を負ったアイツが倒れ、動かなくなる。
「提督!ありがとう!本当にありがとう!」ギュー
背中に抱き付いてお礼を何度も言う時雨。胸が当たってるんだが……意外と時雨も駆逐艦の中では大きい部類だ。頑張れ俺の理性。
「ぽひいいーーーっっ!!」ゴロゴロ
「……夕立も助けないと」
「……うん」
夕立を救助した後2人から聞いたのだが、どうやらおやつを作るつもりだったらしい。せっかくなので俺が作ってやることにした。自信作のふんわり生地ホットケーキは2人とも大変喜んでくれたので良かったと思う。
今日も鎮守府は平和である。
この2人は本当に可愛い。フリフリエプロンの時雨とか最高ですよね。
次回は……レディの回にしようかな。