正直まだ話の展開が見えていないので、投稿ペースは月単位かもしれませんが、生きてますので!
2020年も、よろしくお願いします。咏夢(作者)。
それからも時は流れ、咏夢はただひたすらに修練を重ねた。時折あの湖畔に足を運んで、優希の考えてくれたメニューを実践したり、経過報告なんかをしたりして、その度に明るい笑顔を見せて決意を新たにする。
「ありがとうございます!私、絶対に強くなってみせます!」
与えられた一か月の猶予は、残りわずかとなった。
――――――
紅いスカートの裾が、ひらりと視界の端で揺れる。それに気づいた幼い少女はぱちんと誰かに頬を叩かれたように、ようやく瞳を瞬かせて“現実”を見た。
__お姉ちゃん……!
咄嗟に声を上げる。少女はいつものように、決まった言葉を投げかけた。存在しない身体の代わりに、少しでもその背に触れられるように……
「……え?」
そこで、気づいた。視線を下げればそこにあるのは、無力な幼すぎる自分の体ではない。見慣れた服、戸惑い持ち上げられた両手。咏夢はそれらを確認すると、驚愕と歓喜と焦燥に駆られ、顔を上げた。声を上げる喉がある、震えている。
「お姉ちゃん……待って……!」
__……誰?
いつも通りの返答にも構わずに、咏夢はただ必死に体を前に伸ばした。声が、指先が、少しでも彼女を掠めるように。ほんの欠片でもその振り向いた空虚な瞳に、届いていくように、と。しかし意に反して、咏夢の体は少しも前には進まない。どれだけ手を伸ばそうと、夢の中のぼんやりした光と、周囲に張りつめた異様な空気を、かすかに乱すばかりだ。
「お姉ちゃん……お願い、待って……っ!お姉ちゃん!」
__違う……私に、妹なんて……
「ここに、いるよっ……!お姉ちゃん、待って……」
いつものように、残酷に、ぼんやりと現れる人影。自分より幼い“お姉ちゃん”の肩をそっと受け止めて、静かに、まるで二人の間に呪いをかけるかのように囁くのだ。
__そうよ、貴方には家族なんて
「違うっ!やめてっ!妹は……私は、ここにいるっ!」
__いないわ。
酷く妖艶で冷たい声。それを境に、体はもう動かなくなってしまう。見開かれた青い瞳だけが、彼女を引き留めるようにいつまでも、二人の背を見つめていた。涙は無い。
__…………
関係どころか存在を否定された。青く、青く、輝きを放つ異色の瞳。虚空に縋るような視線がふっと下がると、己の体をもう一度見る。今までとは違った情景だ。あの日のままに幼い身体であったなら、また声も上げられずに終わっていたのだろうか。ルーティンかのように繰り返されてきた一瞬の再現が、他人事のように移ろいながら、胸を締め付けたのだろうか。それなら、いっそ……
__…………!
咏夢は、もう一度顔を上げた。何色とは言い難い、闇と未知を体現したような空間。どこか既視感のあるそこに、彼女はいったい何度訪れたことだろう。ここに訪れた数は、姉の背を逃した数であり、姉を奪われた数であり、その度一人になった数である。けれど……これほど長く、ここに留まったことがあっただろうか?
(やっぱり、いつもとは、違った……。)
理由なんかはどうだっていい、重要なのは、自分にまだ時間が残されていたということ。咏夢はまっすぐに前を見つめた。今度こそ崩れつつある空間だ。姉を奪い去るあの人影が作り出したはずの未知の世界__何か、大切な何かがあったはずの世界__思い出すことのできない……それらを全て、もう一度、自分の中に取り戻すために。
(私は、“本物”になる。お姉ちゃんを、必ず取り戻す。)
咏夢は、心と瞳の奥底に、そう刻み付けた。
――――――
「……それで?やっぱり自虐趣味でもあるんじゃないの?あんた。」
「違うってば。もう一回だけ付き合ってほしいの。お願い!」
詠唱院の門前で向かい合った二人を、藍姉が少し離れたところから見守っている。残り一週間を切ろうかというこの日、文に頼んで連れてきてもらった橙に、咏夢はまた実践練習を申し入れている。正直なところ、前回の惨敗もあって、橙はあまり乗り気ではない様子だ。その点については藍姉も同じく、どちらにも怪我はしてほしくなかった。幻想郷へと赴き、突然の邂逅と衝突に、現れ始めた彼女の能力。基礎技術も上達を重ねている。だが……今の咏夢では、他の敵に打ち勝てるとは思えない。藍姉はただ、彼女の身を案じていた。
「……前にどうなったか、忘れたわけじゃないでしょ?」
「もちろんだよ。すっごく悔しかったもん。」
「だから言ってるの!自虐も自棄も大概にしてよ!」
「ち、違うよ!自棄じゃない!私は……!」
橙は苛立ちを露わにして、一歩詰め寄ると咏夢を睨みつけた。猫耳の可愛らしい容貌に似合わないような目つきに、少し怯む咏夢。背は彼女の方が少し高いのに、やはり圧倒されているように見える。
「自棄じゃないなら何だっていうの?分かってるでしょ?」
「え……」
「咏夢じゃ、この橙には勝てないって。それどころか、今の咏夢じゃそこらの妖怪にだって負ける。」
「橙ちゃん……」
藍姉は思わず声を上げた。事実だ、紛れもない事実。けれど今の彼女にそれをぶつけてほしくはなかった。
「……藍姉だって分かってるはずだよ。だったら教えておかなきゃ。そうじゃないと……」
橙は口を閉じた。咏夢をもう一度睨みつける、その瞳にはどこか悲しみさえ覗く。藍姉も彼女の心情を理解した。そう、教えておかなければならないのだ。そうでないと咏夢はきっと、取り返しのつかないほどに傷ついてしまう。己の実力を知らないことは、戦闘において一番の命とりなのだ。
「ね、咏夢ちゃん。……どうしたい?」
「「藍姉……」」
二人の少女がそれぞれ声を上げる。そのどちらもきっと迷っているのだ。正しい事、やりたい事とやらなければならない事を知って、あるいは知らずにいるからこそ。藍姉は、彼女たちに間違ってほしくない。けれど正解は分からない。彼女もまた迷っている最中だ。でも、費やしてきた時間はずっと多い。
「私はね、咏夢ちゃんがやりたいことを応援したい。橙ちゃんが言ってることも分かるよ。うん、正論だと思う。けど私は知ってる。……咏夢ちゃんは、強いよ。」
「は……?」
橙の声だ。藍姉は自分の手をそっと胸に当てると、軽く目を伏せて思い出す。
「咏夢ちゃんは、自分がやりたいって思ったことは、きっとやり遂げて見せるよ。会いたい、助けたい、もっともっと強くなりたい、って。ちゃんと前に進んでる。それはとっても、凄いことだから……。」
「で、でも。まだ足りない。絶対的に足りてない!」
「うん。そうだね。まだまだ全然、咏夢ちゃんの力は足りない。だから……」
彼女は銀髪を風に揺らし、そっと戸惑う橙に歩み寄った。そして、その両手を取る。
「だから、橙ちゃんの力が必要なの。」
「え?」
「橙ちゃんならきっと、咏夢ちゃんに必要なことを教えてくれるから。」
橙の戸惑いが、何かの形になろうとしている。藍姉はブラウンの瞳を覗き込むと柔らかく微笑んだ。驚きに瞬くその光の奥に、今まで彼女の積み重ねてきた強さがある。初めて会った時から感じていた橙の力を、藍姉は信じることにしたのだ。幼いころからずっと見守ってきた咏夢の背を、守りかつ突き飛ばしてくれる存在として。
「藍姉、あんた……」
「お願いします。咏夢ちゃんを、連れて行ってあげて。……大切な人のところに。」
藍姉の声には、言葉以上の意味があり、表情以上の意志があった。橙はただそれを受け止め、考える事しかできず、その答えはもう決まっているようなものだった。いくつかのすり合わせの後、二人は宙に浮き上がる。最初はおぼつかなかった霊力飛行も、今ではすっかり様になっているのを見て、藍姉は一つ息を吐いた。
「それじゃあ、始めるよ。よーい、」
宙で氷の礫が一つ、弾けた。
「……っ!」
笑みも声も無く、咏夢が素早く後方へ。橙がそれを追うようにしながら、弾幕を展開すると、咏夢もまた霊力弾を集中的に撃ち込む。激しい応酬の中、左右に避けながら必死に橙へと掌を向ける少女の姿を見上げ、藍姉はかの戦いを思い出していた。あの時見せた眩い光、強大な力をあの巫女は自覚しているのだろうか。するとその時、それに応えるように青い服の裾が翻り、恐れなく前へと進み始めた。それを見た橙の攻撃も強くなるが、隙間を縫い近づいていく咏夢の動きは鈍らない。
「咏夢ちゃん……。」
宙を裂くのは彼女の投げた札だ。橙がそれを避けながら、弾幕のパターンを変え、一直線に咏夢に迫る。彼女はそれに対して強気に対峙し、目を離さないままで弾速を振り切り続ける。時折投げる札は橙の脇をすり抜け、宙へ留まる。しばらくして咏夢は、結界で妖力弾を受け止めながら、ぎゅっと力をこめた後に上空へと一気に逃れた。
「何のつもり……!」
「__“二重結界”!」
藍姉は発動されたスペルカードを見て、その威力の上りように驚く。彼女が使える数少ない巫女の技だが、一番初めに橙に向かって使った時には、不意打ちですら相殺できる程度だったのだ。それが今や、橙の身体を包み込むほどの光を放っている。
「っはああ!」
しかし、橙は全身から波動を放つと、弾幕をかき消す。そして両手を掲げると反撃の姿勢に移る。上空で札を構える彼女はあまりに無防備だ。藍姉は反射的に彼女の下に駆け出そうとする身体を、ふっと抑えた。そして小さな巫女の姿を見上げて、祈るように瞳を細める。藍姉は、笑っていた。
「……ああ。本当に、貴女に似てる。」
彼女の後ろ髪を撫で、春色の暖かな風が通り抜ける。その行く末は、彼女の見つめる青巫女の指先。橙もその前に浮かびながら、手を出すこと無く留まっている。陽の照らすその場所はあまりに儚く、それでいてとても強い力の奔流を集めていた。桜色の唇が動くのが、地上の藍姉にも分かった。
「__夢符“二重大結界”」
「っ……!?」
息を詰めた橙の背後に展開される弾幕、常識と非常識の境界__“二重大結界”。それを発動させた“博麗”の巫女は、凛々しく青い瞳で敵を見据え、同じ色の札を挟んだ指先で敵を示した。風が吹き荒れる上空で、札は一斉に橙へと飛びかかった。
橙は素早く咏夢に背を向けると、回避の姿勢に移る。……しかし。
「やああっ!」
「なっ!?」
その背後から裂帛の気合、軽い風切り音に振り向きざま足を振れば、受け止めたのは木製のお祓い棒だった。それを手にした咏夢の瞳から未知の色合いは退いているものの、明るい闘志は燃え続けている。何回か打ち合った二人は、お互いに顔を突き合わせる体勢になると我慢ならないというように言葉をぶつけあった。
「あれだけ大仰に発動しておいて、一瞬で捨て置くとか馬鹿なの!?」
「私の霊力じゃ持たなかったの!仕方ないでしょ!」
「だったら最初からたいそうな事するなあ!」
近距離でわめく咏夢と橙。春風はなおも強く吹き付けており、半ば怒鳴る様な声で会話している。
「っていうか、いい加減あきらめろ!あんたなんかが体術で勝てるわけないでしょう!」
「絶っ対やだ!!!」
今度は睨みあう二人。突風にあおられる咏夢の袖を掴み、橙はその体を一周振り回すと胸倉に持ち替える。咏夢もその手首を掴み返し必死に抵抗の姿勢を見せる。その足掻きに橙の苛立ちは高まる。額の合わさる距離で、目と目がばちりと音を立てる。
「どうしてそこまで馬鹿になる!?自分の実力くらい解ってよ!」
「ちゃんと知ってる!分かってる!だから、強くなるんだっ!」
「強くなれない人間だって大勢いるっ!あんたじゃ妖怪には勝てない!」
「それでも、負けないっ……!せめて、人間には!」
「それじゃあ咏夢、魔理沙に勝てるか!?」
「いつか勝つ!今は無理でもっ、絶対勝ってやるっ!」
「あたしにも勝てないような奴が、大きな口叩くなあっ!」
叩きつけるように宙に放られる咏夢に、橙は一瞬ハッとした。前回の戦いが思い出される。このままでは、また……しかしそうはならなかった。彼女の身体がくるりと回ると、力を振り絞るように縮み、伸び上がった。足首を掴まれた橙は、咄嗟に振り払おうと手を伸ばす。
「うわっ!?ちょ、あんたまだ……!」
「し、死ぬかと思ったあ!お願いだからやめてー!」
「はああ!?」
だがその手を握ってきた咏夢の悲鳴じみた言葉に、橙は自分の中に暴れていた熱が一気に退くのを感じた。
「あっもう手離さないでね!二度目はないからっ!」
「あんたね……!」
橙は、目の前の少女に続けようとした言葉が見当たらない。怒りも呆れも十分すぎるくらい感じているのに、なぜだか伝えようとは思わない。咏夢はただぎゅっと橙の右手を、震える両手で握りしめている。おそらく手を離せばあっという間に安定を失い、地上へと落ちていくのだろう。今の彼女はただの弱者だ。なのに。
「あああもうっ!」
「いやああっ!だからやめてっ!振り回さないでー!!」
「あんた、弱すぎ!見ててイライラする!もうやだあ!」
「えええっ!?」
咏夢はただただ驚きながら、両手にいっそう力をこめた。ふらふらと振り回される足が心もとなくて震えている。そんな彼女を、橙はぐいと引き寄せた。再び瞳が至近距離でぶつかる。少し紅潮した橙は、手を重ねると勢いのままに口を開いた。
「いい!?こんな無謀な勝負挑むならね!」
「ひゃあっ!?」
「私だけにしてよ……!」
「えっ…………?」
上空で二人、手を取り合った咏夢と橙は、霊力のさじ加減によってゆっくりと降下していく。身体を撫でる風は優しく、陽光は暖かい。こちらを見上げる藍姉の姿がだんだんと大きくなっていた。咏夢が意表をつかれてそれでも目をそらさずにいると、橙はそれに負けてふいと目線を外した。ただ一言を添えて。
「ライバル、なんだから。」
「……橙~~!」
「うみゃあっ!!?ちょっと!危なっ!」
咏夢に抱きつかれバランスを崩した橙の背を、すうっと冷気が支える。何とか足から着地した二人は、その場に座り込む。さんざん騒ぎあって息も絶え絶えだ。藍姉はその様子にくすりと笑みを溢すと、二人の隣にそっとかがみこんだ。咏夢は晴れやかに笑い、橙はまだ顔を赤くしてそっぽを向いている。
「……頑張ろうね、咏夢ちゃん。」
「うんっ!」
二人の優しさに包まれた小さな青巫女は、いつものように、迷いなく頷いたのだった。
ありがとうございました!
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