私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第十二話 ラベンダーと逸見エリカ

 黒森峰女学園の演習場を走行する三台の六輪軽トラック。このトラックはクルップ・プロッツェといい、黒森峰が隊員の輸送のために使用する車輌だ。

 聖グロリアーナの一年生は三班に分かれて荷台に搭乗し、演習場の案内を受けていた。引率のダージリン達も分かれてトラックに搭乗中である。

 

 みほ達は今日の試合でクルセイダーに搭乗する生徒と一緒の班であった。

 この班の引率役はクルセイダー隊の隊長、ダンデライオン。荷台に設置されたベンチシートに座って物珍しそうに演習場を見ている小さな姿は、一年生の中にすっかり溶けこんでいる。

 みほ達はそんなダンデライオンの隣に座っていたが、その表情は普段とはまったく違う。みほは暗い顔でうつむいており、ローズヒップとルクリリは警戒したような顔で運転手をにらんでいた。

 

 ローズヒップとルクリリが運転手をにらんでいるのには理由がある。

 このトラックの運転手の名は逸見エリカ。助手席に座っている深水トモエは、ラベンダーと因縁があるエリカを運転手に指名したのだ。

 

「二人とも、そんな怖い顔をしたらダメですよ。試合の前で気持ちが高ぶるのはわかりますけど、それを表に出すのは優雅とはいえません。どうして運転手の子をにらんでいるんですか?」

「タンポポ様、あの子はラベンダーをいじめたのでございますわ」

「えええっ!? 本当ですか!?」

 

 ダンデライオンは下品な大声で叫んでしまう。そのせいで荷台にいる全員の視線が集まってしまい、ダンデライオンの顔はまたたく間に赤く染まっていった。

 

「み、みなさんはこんな風に大きな声で叫んではいけませんよ。今のは悪い見本ですから。冷静沈着があたしのモットーですから」

 

 しどろもどろになりながら言い訳をするダンデライオンであったが、説得力は皆無だ。日ごろからダージリンにいじられて泣きわめいているのを一年生はみんな知っている。

 

「もちろん心得ておりますよ、タンポポ様」

「わざわざ悪いお手本を見せてくださるなんて、本当にタンポポ様は後輩思いのかたですわ」

「私達もタンポポ様のような淑女になれるように、これからも努力いたしますわ」

「わ、わかってもらえたならいいんです。物分かりがいいみなさんなら、きっと立派な淑女になれますよ」

 

 一年生にフォローされてあどけない笑顔を見せるダンデライオン。一年生はそんなダンデライオンの姿を優しそうな眼差しで見守っていた。ダージリンとはベクトルが違うが、ダンデライオンは一年生からとても好かれているのである。

 クルセイダー隊が微笑ましい光景を見せていると、助手席のトモエがおずおずと話しかけてきた。

 

「あ、あの。この先に綺麗な川がありますので、そこで休憩にしたいと思うんですが……どうでしょうか?」

「あたし達は別にかまいませんよ。みなさーん、いったん休憩になりまーす」

 

 ダンデライオンは機嫌のよさそうな声で一年生に呼びかける。先ほどの失態はすでに忘却の彼方へ消え去ったようだ。

 

 そんなダンデライオンとは対照的に、まほに拒絶されたみほの心はいまだに晴れない。暗い顔をしてはダメなのはみほもわかっているが、頭ではわかっていても心がいうことを聞いてくれないのだ。

 それに追い打ちをかけたのが、このトラックを運転しているエリカの存在だ。休憩時間でエリカと再び話す機会があったときのことを考えると、みほの心はますます憂うつになってしまうのであった。

 

 

 

 黒森峰の演習場にある川はとても澄んでおり、小石が散りばめられている河原は綺麗な川を眺めることができる。クルップ・プロッツェを降りた聖グロリアーナ一行は、その河原で休憩をとっていた。綺麗な川を前にしても羽目を外す一年生はおらず、川のせせらぎに耳を傾けながら静かに雑談をしている生徒が大半である。

 

 その大半の中にみほ達は含まれていない。

 みんなが休憩をとっている場所から少し離れたところで、みほ達はエリカと対峙していたからだ。 

 

「それで、お話とはなんですの?」

「あんた達に話すことなんてないわ。用があるのはみほだけよ」

 

 ルクリリの問いかけに不機嫌そうな声で答えるエリカ。

 

「あなたとラベンダーを二人きりになんてさせませんわ!」

「ふうん、ラベンダーねぇ……」

 

 エリカはローズヒップが口にしたみほのニックネームを小馬鹿にしたように笑うと、冷たい視線をみほに向けた。

 

「みほ、偽りの名前をもらってお嬢様と馴れ合う生活は楽しい? 西住流から逃げて無駄な時間をすごしてるあなたは、隊長がどれだけ苦労しているか考えたこともないんでしょうね」

「……無駄じゃない」

 

 うつむいたまま黙っていたみほがついに重い口を開いた。友達とすごしてきた輝かしい日々を無駄扱いされて、黙っていられるわけがない。

 みほは顔を上げると、あれだけ恐れていたエリカの目を正面から見据えた。

 

「私が聖グロリアーナですごした日々は無駄なんかじゃない。どうして逸見さんにそこまで言われないといけないの?」

「やっとこっちを見たわね。これでようやく本題に入れるわ」

「本題?」

「単刀直入に言うわよ。みほ、黒森峰に戻ってきなさい」

 

 みほは何を言われたのか理解できなかった。厳密にいうと、理解するのを脳が拒んだのだ。

 黒森峰に戻れ。エリカが発したその言葉は、みほの頭を一気に混乱させる破壊力を持っていた。

 

「悔しいけど、私じゃあなたの替わりにはなれなかった……。隊長にはみほが必要なの。お願い、黒森峰に戻ってきて」

「い、嫌……」

「嫌だなんて言わせない! 西住流を隊長一人に押しつけてのうのうと暮らしているあんたに、拒否する権利はないわ!」

 

 みほが蚊の鳴くような声で否定の言葉を絞り出すと、エリカが急に激高した。

 エリカの怒声を受けたみほは恐怖のあまり体が固まってしまう。みほが苦手だったエリカの性格は中学時代とまったく変わっていないようだ。

 

「ラベンダーをいじめないでくださいまし!」

「ラベンダーの進む道を決める権利はあなたにはないはずよ」

「部外者は黙ってなさい! 聖グロのお遊戯をこれ以上みほに続けさせるわけにはいかないの!」

「お遊戯? もしかして、戦車道のことを言ってるのか?」

 

 エリカの物言いにカチンときたのか、ルクリリの言葉づかいが崩れ始めた。

   

「そうよ、あんた達の戦車道は所詮お嬢様の習い事だわ。みほの戦車道の才能は、聖グロなんかに置いておくのはもったいないのよ」

「言いたい放題言ってくれるじゃないか。なんなら、このあとの練習試合で試してみるか?」 

「いいわよ。みほの目を覚まさせるにはそのほうが手っ取り早いわ」

「あなたなんかには絶対負けませんわ!」

「ふん、実力の差を思い知らせてあげる。みほ、さっき私が言ったことをよく考えておきなさい。隊長を助けられるのはあなただけなのよ」

 

 エリカはそう言い残すと、クルップ・プロッツェが駐車してあるほうへと去っていく。

 エリカの言葉は一方的なものばかりであったが、まほを心配しているという思いだけはみほにもはっきり伝わった。まほが疲れたような表情をしていたのを考えると、エリカの言い分もあながち間違いではないのかもしれない。

 

 だがしかし、みほが黒森峰に戻る可能性はゼロだ。

 ローズヒップとルクリリがいない高校生活はもうみほには考えられない。二人と別れるのを想像しただけで胸が張り裂けそうになるのだから、実際にそうなってしまったらみほの心は確実に壊れるだろう。

 

「久しぶりに頭にきたぞ。あの憎たらしいワニ女に目にもの見せてやろう」

「ワニ女? 逸見さんが?」

「あいつ誰かに似てるなーと思ってたんだけど、今思い出した。愛里寿と一緒に見たボコのDVDに出てきたワニにそっくりなんだ」

「銀色、青い瞳、嫌味な性格。確かに似てるでございますわ」

 

 エリカと銀色のワニを結びつけるルクリリの発想には、ボコマニアのみほもびっくりだ。

 

「あんなむかつく相手に負けるわけにはいかない。あのワニ女をぎゃふんと言わせてやるぞ!」

「うん!」

「やってやりますわ!」

 

 相手は強豪中の強豪である黒森峰女学園。もしみほが一人だったなら、抵抗すらできずにエリカに屈服していたはずである。

 みほの心が折れずにいられるのは一緒に戦ってくれる友達がいるからだ。それを心強く思いながら、みほは打倒逸見エリカに闘志を燃やした。

 

 

 

 結論からいうと、ぎゃふんと言わされたのはみほ達であった。

 黒森峰の戦車隊に囲まれたみほ達のクルセイダーからは白旗が上がり、試合終了を告げる無線が車内にこだまする。

 

「くそっ! 負けたっ!」

「私達の完敗だね……」

「悔しいですわー!」

 

 この試合のルールは十対十の殲滅戦。聖グロリアーナはマチルダⅡ六輌、クルセイダーMK.Ⅲ四輌で試合にのぞみ、みほはクルセイダー隊の指揮官を担当した。

 聖グロリアーナの戦車隊はマチルダ隊とクルセイダー隊の二手に分かれて進軍。装甲が厚いマチルダ隊が正面から突撃し、別方向からクルセイダー隊が強襲する作戦だった。 

 

 それに対し、黒森峰の戦車隊はⅢ号戦車J型五輌をクルセイダー隊に向けて投入。クルセイダー隊が別行動をするのを読んでしっかりと手を打ってきた。

 ちなみに、黒森峰の戦車隊はⅣ号戦車F2型が五輌、Ⅲ号戦車J型が五輌だ。

 

 Ⅲ号戦車J型隊を指揮していたのはエリカであり、みほのクルセイダー隊は苦戦を強いられる。苦戦した理由は戦車の数と性能の差もあったが、最も大きな原因は隊員の練度の差。全国から優秀な生徒が集まる黒森峰に比べて、聖グロリアーナは戦車道未経験のお嬢様ばかりなのである。

 

 苦戦した理由の一つには、みほの搭乗している戦車が三人乗りのクルセイダーMK.Ⅲだったのもあげられる。自分の戦車の指揮と装填をしながら部隊の指揮までとるのは、いくらみほが優秀な戦車乗りでも負担が大きすぎたのだ。

 

 満足に指揮がとれないだけでなく、聖グロリアーナの戦車道の流儀も守らなくてはならないみほは次第に追いつめられていく。クルセイダー隊がみほ達だけになったころには、すでにマチルダ隊も全滅していた。

 そして、マチルダ隊を蹴散らして増援に現れたⅣ号戦車F2型に挟み撃ちにされる形で、最後まで粘っていたみほ達も撃破されたのであった。

 

 

 

 撃破された戦車は牽引車が来るまでその場で待機しなければならない。みほ達はクルセイダーのハッチから外に出ると、牽引車が来るのを静かに待っていた。

 クルセイダーを囲んでいた黒森峰の戦車隊が撤収準備を始めるなか、一輌の戦車がクルセイダーに近づいてくる。エリカが搭乗していたⅢ号戦車J型だ。

 

「みほ、これでわかったでしょ。あなたは聖グロにいたらきっとダメになる。ぬるま湯につかるのはもうやめにして、黒森峰に戻ってきなさい」

 

 Ⅲ号戦車から降りたエリカはみほに厳しい言葉を投げかけた。試合に完敗したみほは、何も言い返せずに下を向いてしまう。

 

「敗者に鞭を打つのは礼儀に欠けるぞ。礼に始まって礼に終わるのが戦車道だろう?」

「実力がないくせに口だけは達者ね。それにその乱暴な言葉づかい。あんたみたいなエセお嬢様がみほと一緒にいるのは不釣り合いなのよ」

「その言いかたあんまりですの! ラベンダーの次はルクリリまでいじめて……わたくしの我慢もそろそろ限界でございますわよ!」

「変な言葉づかいのエセお嬢様がここにもう一人いたわね。名門お嬢様学校の名が泣くわよ」

 

 エセお嬢様。エリカはみほの大切な友達をそうけなした。

 みほはローズヒップが上品なお嬢様になろうと努力しているのを知っている。ルクリリが慣れないお嬢様言葉を使うのに一生懸命なのも知っている。エリカはそんな二人を偽物のお嬢様だと言い切ったのだ。

 

 みほの心の奥底から猛烈な怒りが湧き上がってくる。これほどの怒りを感じたのは、母がボコを悪く言ったとき以来であった。

 みほは自分が悪く言われるのはいくらでも我慢できる。そのかわり、みほが心から大切にしているものを悪く言われるのは耐えられない。心の中の冷静な部分は愛里寿のようにクールになれと訴えてくるが、未熟なみほはまだ自分の感情を制御できなかった。

 

「二人のことを悪く言うのはやめて!」

「な、何よ。急に大きな声を出して……」

 

 今まで黙っていたみほがいきなり大きな声を出したことで、エリカはたじろいでいる。みほがエリカに怒りをあらわにしたのはこれが初めてだった。

 

「私のことはいくらでも悪く言っていいよ。でも、私の大切な友達を悪く言うのは許さないから!」

「……聖グロに入って堕落したわね。みほ、いい加減に目を覚ましなさい。西住の名を継いでいるあなたは、こんな連中といつまでも付き合っていたらいけないの」

「今の私は西住みほじゃない。私の名前はラベンダーだもん!」

「このわからずや! 私はあんたのためを思って言ってるのよ!」

 

 みほに釣られたのか、エリカの語気も荒くなってきた。言い争う二人の距離は、手を伸ばせば触れられるところまで近づいている。

  

「逸見さんが思ってるのはお姉ちゃんだけでしょ! 私の気持ちなんて考えたこともないくせに! ローズヒップさんとルクリリさんは私をちゃんと見てくれる。口ばっかりの逸見さんとは違うもん!」

「私がどんな気持ちであんたの副隊長をやってたと思ってるのよっ!」

 

 エリカはみほに向けて平手打ちを見舞った。突然の事態にみほは動けず、勢いよく頬をはたかれ地面に激しく倒れこむ。怒りに任せてみほが口走った言葉は、エリカの逆鱗に触れてしまったらしい。

 

「ラベンダーに何をするんですの!」

 

 激しい剣幕でエリカに詰め寄るローズヒップ。

 それに対するエリカの返答は問答無用のアイアンクローであった。

 

「あだだだだっ! この、放せですわー!」

「あんた達みたいなのと一緒にいるから、みほがおかしくなったんだわ!」

 

 ローズヒップはエリカの手を外そうとするが、両手を使ってもエリカの手は微動だにしない。

 中学時代から体を鍛えていたエリカの力は、高校に入ってさらにパワーアップしたようだ。

 

「ローズヒップから手を放せー!」

 

 地面に倒れたみほを助け起こしていたルクリリは、ローズヒップを助けるためにエリカに突撃した。それを見たエリカはローズヒップを振り飛ばし、ルクリリの突進をひらりとかわす。そのまま背後に回ったエリカは、ルクリリの左腕をつかんで後ろ手に捻りあげた。

 

「ぐっ! ちくしょー!」

「威勢がいいのは口だけのようね。あんた達が束になってかかってきても、私には勝てないわよ」

「ルクリリさんを放してっ!」

「わたくしの堪忍袋の緒もついに切れましたわよ!」

「ふんっ」

 

 エリカはみほとローズヒップに向かってルクリリを突き飛ばし、三人との距離をとった。

 

「みほ、あんたの腐った根性を叩き直してあげるわ。大事なお友達と一緒にねっ!」

 

 エリカは怒気をはらんだ目でみほ達を見ている。中学時代のみほはいつもあの目に怯えていたのだ。

 しかし、今のみほは中学時代とは違う。友達を守りたいという強い思いは恐怖という負の感情に打ち勝っていた。

 

「私はもう逸見さんから逃げない!」

「ぼこぼこにしてさしあげますわ!」

「ワニ女、今度は負けないからな!」

 

 みほ達とエリカの戦いは戦車を抜きにした場外乱闘に突入。みほが家族以外と喧嘩をしたのはこれが初めてのことであった。

 

 

 

 練習試合が終了した演習場では、聖グロリアーナ女学院主催のお茶会が開かれていた。

 聖グロリアーナの一年生はホスト役として黒森峰の一年生を丁重にもてなし、同じテーブルで一緒に紅茶を飲んでいる。試合には完敗したが、それを態度に表さないのが聖グロリアーナの流儀なのだ。

 

 その聖グロリアーナの流儀を豪快に破ってしまったみほ達は、お茶会が行われている会場のすみっこで正座中だった。三人の目の前では、とげとげしい表情のアッサムが腕を組みながら仁王立ちしている。

 

「試合後に乱闘騒ぎを起こすなんて、前代未聞ですわ。あなた達、少しは恥を知りなさい」

 

 みほ達のタンクジャケットは土で汚れており、体は擦り傷だらけ。エリカに叩かれたみほの頬は真っ赤になっており、ローズヒップの顔にはアイアンクローの指の跡がくっきりだ。ルクリリに目立った外傷はなかったが、三つ編みが解けたせいで髪はボサボサである。

 聖グロリアーナの生徒が晒していい格好ではないのは誰の目にも明らかであった。

 

「学園艦に戻ったら、あなた達には私の考えた罰を受けてもらいます。罰といっても、カヴェナンターのような危険なものではないから安心しなさいな」

 

 みほはアッサムの言葉に黙ってうなずく。今回の失態はなんの申し開きもできそうにない。

 ローズヒップとルクリリもみほと同じように静かに頭を下げた。

 そんな三人の姿を見たアッサムは一つ大きな息を吐いてから表情を崩す。 

 

「……反省はしているようですから、今日のお説教はここまでにします。その格好でお茶会に参加させるわけにはいきませんので、あなた達の紅茶は別の場所に用意しておきましたわ」

 

 お茶会の会場から少し離れた場所には、ティーセットが置かれたテーブルが用意されている。アッサムは三人が気まずい思いをしないように気を使ってくれたのだ。

 

 アッサムが用意してくれた紅茶を飲みながら、みほは自分の未熟さを痛感していた。

 今まで失敗をするたびに反省をしてきたが、反省するだけではもうダメだ。これからは二度と同じ過ちを繰り返さないように、強い心を持たなければならない。

 みほは決意を固めると、気合を入れる意味もこめて熱い紅茶を一気飲みした。

 だが、ローズヒップと違いみほは紅茶の一気飲みに慣れていない。なので、紅茶が気管に入って盛大にむせてしまった。

 

「ごほっ、けほっ、けほっ!」

「ローズヒップの真似なんかして、急にどうしたんですの? 背中をさすっててあげるから、ゆっくり咳をしなさい」

「ラベンダーは紅茶の一気飲みに慣れていないようですわね。わたくしがお手本を見せてあげますわ」

「だからっ! 紅茶を一気に飲んでいいとは言ってません!」 

 

 黒森峰との練習試合はみほにとって散々な結果に終わった。まほとは話すらできず、エリカとは新たな因縁まで作ってしまう始末だ。

 それでも、みほは初めてエリカと正面から向き合い、自分の思いをはっきりと口にできた。この出来事は、みほの心を大きく成長させる一つの転機となったのである。

 

 

◇   

 

 

「まほさん、あなたがたの勝利に水を差してしまったのをお詫びいたしますわ」

「謝る必要はない。先に手を出したこちらにも非はある」

 

 お茶会の会場を見渡せる丘の上でダージリンとまほは紅茶を飲んでいた。テーブルにはダンデライオンと深水トモエも同席している。 

 ダージリンの謝罪の声を聞いてはいるが、まほはダージリンを見ていない。まほの視線はさっきからある場所にしか向けられていなかった。

 

「そんなに妹さんが気になりますの?」

「……お前には関係ない」

「そう。ところでまほさん、私は名言集を読むのを日課にしておりますの。偉人達の言葉は、私達の人生を豊かにしてくれるヒントを与えてくれるわ。今のまほさんにぴったりの格言がありますので、聞いてくださらないかしら?」

「格言を言えるなんてすごいですね。物覚えの悪い私には到底真似できないです」

「全然すごくないですよ。格言ばっかりひけらかすダージリンさんの悪い癖には、あたしも困っているんです」

 

 トモエとダンデライオンがダージリンのほうに顔を向けているのに対し、まほは相変わらずダージリンを見ようとしない。ダージリンはそれを気にもせずに話の続きを始めた。

 

「まずはドイツの詩人、ゲーテの言葉ですわ。『憎しみは積極的な不満で、嫉妬は消極的な不満である。したがって、嫉妬がすぐに憎しみに変わっても不思議はない』」

「……何が言いたい」

 

 まほは初めてダージリンに顔を向けた。その視線はとても鋭く、ダージリンの隣に座るダンデライオンはビクッと硬直してしまう。しかし、まほに視線を向けられた当人であるダージリンは平然とした様子で話を続けた。

 

「まだまだありますわよ。次は英国の劇作家、シェイクスピアの言葉ですわ。『嫉妬は、自分で生まれて自分で育つ、化け物でございます』」 

「やめろ」

 

 まほの声に含まれるむき出しの憤怒。ただならぬ雰囲気にトモエはガチガチ震え、ダンデライオンは慌ててダージリンを止めに入る。

 

「ダージリンさん! 自重してくださいってあれほど言ったじゃないですか!」

「あら、ではこれで最後にいたしますわ。最後は古代ギリシアの哲学者、ソクラテスの言葉をまほさんに贈ります。『ねたみは魂の腐敗である』」

「やめろと言ってるだろっ!」

 

 怒鳴り声を上げてテーブルに両手を激しく打ちつけるまほ。机に置かれていたティーカップはその衝撃で倒れ、飲みかけの紅茶がテーブルの上に広がっていく。

 まほの隣に座っていたトモエは涙目でダンデライオンに抱きつき、ダンデライオンは地面に押し倒されてしまった。

 

「ちょ、ちょっと! やめてくださいよ。ダージリンさんが見てるんですから!」

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 

 半狂乱でダンデライオンにしがみつくトモエを気にも留めず、まほの目をじっと見つめるダージリン。

 

「まほさん、私の大事な後輩をあのような目で見るのはやめてくださらないかしら。はっきり言って不愉快ですわ」

「くっ! トモエ、帰るぞっ!」

「は、はいっ!」

 

 まほは逃げるようにその場を立ち去った。そんなまほの後姿をトモエは小走りで追いかけていく。

 トモエから解放されてようやく立ち上がれたダンデライオンは、頬を膨らませながらダージリンに近づいた。

 

「ダメじゃないですか、ダージリンさん。どうして黒森峰の隊長を怒らせるようなことをしたんですか?」

「黒森峰の隊長は精神的に不安定になっている。この情報の真意を確かめたかったのよ。眉唾物の情報だったけど、あの動揺ぶりを見るとどうやら事実だったようですわね」

「なるほど、そういうことだったんですか。あたしはてっきり、ダージリンさんの悪い癖が病気に進化しちゃったのかと思いましたよ」

「……ダンデライオン、あなたにもぴったりの格言があるのだけど、聞いてもらえるかしら?」

「ひっ! ご、ごめんなさーい!」

 

 走って逃げ出したダンデライオンの後ろ姿を眺めながら、ダージリンはティーカップを持ち上げる。ダージリンはティーカップとソーサーを手に持っていたので中身の紅茶は無事だ。

 

「アールグレイ様の夢である打倒黒森峰。今年は達成できるかもしれませんわね」

 

 ダージリンはそうつぶやくと、冷めてしまった紅茶に口をつけた。


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