荷物チェックと身体検査を終え、沙織たちはようやく聖グロリアーナ女学院の校内に入ることができた。
校内は文化祭が開かれているとは思えないほど静かだ。文化祭の恒例ともいえる屋台やイベントなどはいっさいなく、ゆったりと落ちついた空気が流れている。
「なんか文化祭って感じがしない……。これだとステキな出会いは期待できないかな」
「女子高の文化祭に出会いなんてあるわけないだろ。男の姿を探すのが難しいレベルだぞ」
「男子はとくに検査が厳しそうでしたよ。私たちの前に並んでいた人は、招待状を持っていなかっただけで警備室に連行されてましたから」
「お嬢様学校は普通の高校とは勝手が違うんですね。校内の様子も大洗とはずいぶん異なっているみたいですし……」
華の言葉どおり、聖グロリアーナ女学院の校内には大洗女子学園では見られないものが多い。
色とりどりのバラが咲き乱れるバラ園。彫刻で彩られた大きな噴水。レンガ造りの荘厳な教会。
どれもお金と手間をかけて作られたことがわかるものであり、ここがお嬢様学校であることを実感させるには十分であった。
「それで、まずはどこへ行くんだ? 演習場か?」
「午前中はマチルダⅡの華麗な隊列運動が披露されるんですよね? ぜひ見たいです!」
「ごめんねゆかりん、まずはラベンダーさんたちに会いに行く予定なの。午前中は『紅茶の園』とかいうところで、お茶会に参加してるらしいから」
「いえ、私のことは気にしないでください。ラベンダー殿にお会いするのが一番大事ですので」
「午後からはクルセイダーの発表があるそうなので、そちらを見に行きましょう。ラベンダーさんたちも参加されるみたいですよ」
「会えるだけでなく、ラベンダー殿の雄姿まで見られるなんて……今日は忘れられない一日になりそうですー」
締まりのないニヤけた顔でうっとりしている優花里。年ごろの女子高生が浮かべていい表情ではないが、それだけ今日という日を楽しみにしていたのだろう。
「ゆかりん、いつまでも恍惚としてないで早く行かないと……あれっ? 誰かこっちに来る」
「聖グロにはメイドもいるんだな。さすがはお嬢様学校」
「けど、メイドのかたがあんなに早く走るのはおかしくありませんか? 色合いもなんだか派手ですよ」
前方からすごい勢いで走ってくる赤い髪の少女は、たしかに黄色を基調としたメイド服のような格好をしている。
だが、短いスカートをひらひらとなびかせて走る姿はとてもメイドには見えない。ここはしつけが厳しいと評判の聖グロリアーナ女学院なのだから、こんな不作法なメイドがいたら主人の顔に泥を塗るようなものだ。
そんな粗野なメイドの正体は沙織たちの知っている人物であった。
「あの人ってローズヒップさんじゃん!?」
「クルセイダーの操縦手か……」
「なぜあのような格好をしているのでしょうか?」
ローズヒップは沙織たちの存在に気がついたようで、急ブレーキをかけて立ち止まった。
「大洗のみなさまではございませんか。ごきげんようですわー!」
「ローズヒップさん、なんでそんな格好してるの? それも聖グロリアーナの伝統?」
「これはお茶会を堅苦しくしないためのユニフォームですわ。ダージリン様がお考えになったんですのよ」
「メイド服がユニフォーム……。優雅という言葉はどこに行ったんだ」
沙織の質問に胸を張って答えるローズヒップ。知人にメイド服姿を見られてもまったく動じる様子はなかった。
「ところで、なぜあんなに急いでいたのですか?」
「わたくしのお兄様が警備室にしょっぴかれてしまったので、迎えに行くところなのですわ」
「あの連行されてた人、ローズヒップさんのお兄さんだったんだ。招待状が必要なことを知らなかったのかな?」
「実はわたくしが間違ってカラオケの割引券を送ってしまったのでございます。招待状を確認するのを忘れるなんて、そそっかしいお兄様ですわ」
「どう考えても招待状を間違えたほうがそそっかしいだろ」
「それを言われると返す言葉もありませんわ。冷泉様はお厳しいかたですわね」
麻子のツッコミを受けてもローズヒップは涼しい顔をしている。それに対する麻子の表情もとくに変化は見られない。
にもかかわらず、二人の間にはなんとも言いようのないピリピリした空気が漂っていた。ローズヒップは麻子がマニュアルを読んだだけで戦車が操縦できたことを知っているし、麻子はローズヒップの優れた運転技術を目の当たりにしている。どうやら操縦手の二人にはお互いになにか思うところがあるようだ。
「おっと、こうしちゃいられないですわ。早く行かないとお兄様が警察に連れていかれてしまいますの。では、ごめんあそばせー!」
風を切るかのような速さでローズヒップは走り去っていく。聖グロリアーナ女学院に通うお嬢様とは思えない自由奔放ぶりだが、そこが他校の生徒と壁を作らないローズヒップの良いところであった。
「あっ! ゆかりんを紹介するの忘れてた」
「沙織、秋山さんはそれどころじゃないみたいだ」
「なんだかさっきより表情が緩んでいるような気がしますね」
優花里は先ほどよりも夢心地な様子だ。表情は今にもよだれを垂らしそうなほどのとろけ具合である。
「ラベンダー殿のメイド服姿……今日は人生最良の日かもしれません~」
◇
多くの来客でにぎわいを見せる『紅茶の園』。そこには外部からの客だけでなく、聖グロリアーナの生徒たちの姿も多い。
『紅茶の園』は選ばれた人間しか入ることができない格式高い場所。聖グロリアーナ祭はそこに入ることができる年に一度のチャンスであり、それを心待ちにしていた生徒も多かったようだ。さらに、今年は戦車道チームがウェイトレス姿でおもてなしするということもあって、例年にない盛り上がりを見せている。
その大勢の客の中には、みほから招待状を受けとった愛里寿の姿もあった。
「愛里寿ちゃん、来てくれてありがとう。今日は楽しんでいってね」
「うん……」
ウェイトレス姿のみほが笑顔で語りかけるが、愛里寿はなにやら浮かない顔。みほのショートエプロンに縫いつけてあるボコのアップリケも目に入っていないようだ。
「いったいどうしたんですの? なにか悩みごとでもあるの?」
「あの……ううん、なんでもない」
心配したルクリリが声をかけるが愛里寿は言いよどんでしまう。その表情からは迷っている様子が感じられた。
「遠慮する必要はありませんわ。悩みがあるなら話したほうがすっきりしますわよ」
「そうだよ愛里寿ちゃん。私たちは友達なんだもん。言ってくれたらなんでも力になるよ」
「……ラベンダーにお願いがある」
「私に? いいよ、なんでも言ってね」
「大人になって私たちが争うことになったとしても、私のことを嫌いにならないでほしいの。私はラベンダーとずっと友達でいたいから……」
懇願するかのようにみほの目を見つめる愛里寿。その瞳は不安げに揺れているようにみほには見えた。
みほは西住流で愛里寿は島田流。今はお互い学生の身の上なので気兼ねなく話すことができるが、いずれはそうもいかなくなる。お互いの流派が争っている以上、みほは愛里寿との戦いを避けることはできないだろう。
みほは愛里寿の歓迎会の準備をしていたときに、愛里寿と戦うことを予見していた。そのときは愛里寿の気持ちまでは考えていなかったが、初めてできた友達と争うことを愛里寿が喜ぶとは思えない。
もちろんそれはみほも同じだ。だから、みほは愛里寿に自分の思いを正直に話すことにした。
「愛里寿ちゃんは知ってると思うけど、いちおう名乗っておくね。私の本当の名前は西住みほ。たぶん愛里寿ちゃんが考えてるとおり、西住の娘である私は将来愛里寿ちゃんと戦うことになると思う」
みほの言葉を聞いた愛里寿は悲しそうな顔で目を伏せる。
「でもね、私は愛里寿ちゃんの友達をやめる気はないよ。私がラベンダーから西住みほに戻っても、それだけは絶対に変わらない」
みほは力強い眼差しで愛里寿の目を見つめ返す。みほが本気でそう思っていることを愛里寿に伝えるために。
「わかった。私はラベンダーの……西住みほの言うことを信じる」
みほの気持ちはしっかり愛里寿に届いたようである。その証拠に、愛里寿の表情からはもう不安や恐れといったものは感じられない。
「二人とも、あまり長話をしていると紅茶が冷めてしまいますわよ。今日はラベンダーの好きなマカロンも用意してあるから、みんなで食べましょう」
「お客様のおもてなしをさぼってもいいの? あとでまた怒られちゃうよ」
「少しぐらい構いやしませんわ。それに、お客様の話し相手になるのも大事な仕事ですわよ」
そう言って二ッと笑うルクリリ。
友達に恵まれた自分は本当に幸せ者だ。みほは心からそう思い、ルクリリの優しい心づかいに感謝した。
「ついに見つけたわよっ! 西住流の真の後継者!」
「ふえっ!?」
突然声をかけられたことに驚いたみほが振りむくと、そこには愛里寿よりも背の小さい金髪の女の子が立っていた。隣にはみほよりも背の高い黒髪の少女の姿も見える。
プラウダ高校の制服を着たこの二人は、第六十二回戦車道全国大会で大きく名を上げた戦車乗りであった。決勝戦で黒森峰を圧倒した作戦を立案した副隊長のカチューシャと、圧倒的な撃破数で勝利に大きく貢献した砲手のノンナ。決勝戦の様子をテレビで見ていたみほも、この二人の名前はもちろん知っている。
「私が西住流の真の後継者? いったいなんのことですか?」
「とぼけても無駄よ。カチューシャの目は誤魔化せないんだから」
小さな体でみほに詰めよるカチューシャ。その勢いにみほは思わずたじろいでしまう。
西住流の後継者は長女のまほのはずだ。そもそもみほは聖グロリアーナ女学院を卒業しなければ、実家に帰ることすらできない。それなのになぜカチューシャがこんな勘違いをしているのか、みほには訳がわからなかった。
「カチューシャ様がいらっしゃいましたわ」
「私たちの出番ですね」
「隊長よりも小さくてかわいらしいかたですわ」
「な、なによあんたたちは!?」
カチューシャの登場を待っていたかのように、ダンデライオンの戦車の乗員がカチューシャを取りかこむ。三人は少し怯えた様子のカチューシャをひょいと担ぎあげると、そのまま奥の控室に向かった。
そんな三人の前にノンナが立ちふさがる。表情に変化はないが、体からはものすごい威圧感がにじみ出ていた。
「待ちなさい。カチューシャをどこへ連れていくつもりですか?」
「私たちは隊長の命令に従っているだけですわ」
「カチューシャ様が到着したら控室にお通しするように言われているんです」
「これから楽しいお着替えの時間なのですわ。被服部のみなさんがかわいいウェイトレスの衣装を用意してくれてますの」
「わかりました。私も同行します」
「ちょっとノンナ! なんでカチューシャを助けないのよー!」
ノンナを仲間に加えた一行は控室に消えていく。
その様子を困惑したままの顔で見送るみほ。そんなみほのもとにダンデライオンが小走りでやってきた。
「ラベンダーちゃん、大丈夫でしたか?」
「タンポポ様が助けてくれたんですね。おかげで助かりました」
「あたしは指示を出しただけで大したことはしてませんよ。それに、カチューシャさんが来るのは最初から予定に入っていたんです。本当はダージリンさんがいるときに来るはずだったんですけど……まったく、ダージリンさんも詰めが甘いんですから」
ダージリンとアッサムは、マチルダの発表に参加しているのでここにはいない。その間のお茶会の指揮はダンデライオンに一任されていた。
ダージリンと張りあっているときは子供っぽい言動が目立つダンデライオンだが、ダージリンと絡みさえしなければとても頼りになる。クルセイダー隊の隊長の名は伊達ではないのだ。
「タンポポ様ー、少しよろしいでしょうか?」
「はーい! ラベンダーちゃん、カチューシャさんのことはあたしたちに任せてください。それじゃ!」
ほかの生徒に呼ばれて忙しそうに早足で歩くダンデライオン。みほは友達だけでなく先輩にも恵まれていたようだ。
みほとルクリリが愛里寿とお茶会を楽しんでいると、みほが招待状を送った大洗一行がやってきた。秋山優花里という新しいメンバーも加わっていたので、まずはお互いに軽く自己紹介。そのあとに、みほが愛里寿のことを沙織たちに紹介した。
来年飛び級する予定の天才少女という愛里寿の肩書に、沙織たちは目を丸くしている。優花里だけは愛里寿が島田流の生まれということに驚いていたが、みほと愛里寿が仲良くしている姿を見てすぐに口をつぐんだ。
優花里は戦車が大好きと語っていたので、おそらくみほと愛里寿の流派の関係もある程度知っているのだろう。それでもなにも聞かずにいてくれるのだから、彼女が気配りのできる優しい人間だということがわかる。優花里とは今日初めて会ったばかりだが、みほは彼女とも仲良くなれそうであった。
「愛里寿さんは次はサンダース大学付属高校に体験入学されるんですね」
「うん。体験入学もそこが最後になる」
「サンダースって共学だよね? いいなぁ、きっとカッコいい男の子がいっぱいいるんだろうなぁ」
「沙織、お前の頭の中はそれしかないのか……」
「それより、サンダースといえばM4中戦車ことシャーマンですよ。圧倒的な物量を誇るサンダースのシャーマン軍団が進撃する姿は、一度見たら忘れられない大迫力なんです」
「物量ならマチルダも負けていませんわ。なんといっても、マチルダは聖グロリアーナの主力戦車ですから」
大洗の人たちには不思議な魅力がある。大好物のマカロンを食べながらみほはつくづくそう思った。
愛里寿は人見知りが激しい上に性格は内向的。それなのに初めて会った沙織たちと普通に会話ができているし、気疲れしているようにも見えない。みほとルクリリが橋渡し役になっているとはいえ、体験入学をしていたときにお茶会で体調を悪くしてしまったときとは雲泥の差だ。
「でも、マチルダって全国大会だと黒森峰にぼこぼこにされてたじゃん。クルセイダーのほうがカッコよかったよ」
「武部さん! それは禁句……」
「マチルダⅡといえば重装甲が売りですよね。初期のドイツ戦車は、マチルダⅡの装甲の厚さに苦戦させられましたから。それに大量の歩兵を従えて進撃するマチルダⅡは、戦場の女王とまで称されたんですよ」
「秋山さんはよくわかってるじゃないか! 準決勝では活躍できなかったけど、マチルダはクルセイダーに負けないくらい良い戦車なんだ。戦場の女王……いい響きだな」
マチルダがほめられたことで上機嫌なルクリリ。そのせいか人前にもかかわらず、うっかり地が出てしまっていた。
「……ルクリリさん、今すごく活き活きしてたよ」
「口調も変わってましたね。そういえば、前にローズヒップさんと言い争っていたときもあのような口調でした」
「ルクリリはあれが普通。私たちと話すときはいつもあの口調」
「今までは猫を被っていたわけか」
「あっ……。今のは忘れてくださいまし……」
ルクリリは真っ赤な顔でうつむいてしまう。アールグレイに注意された油断して失敗してしまう癖はいまだに直っていなかった。
そのとき、『紅茶の園』の両開きの扉が勢いよく開かれる。警備員に捕まった兄を迎えに行ったローズヒップが帰ってきたのだ。
「ただいま戻りましたわー!」
「ローズヒップさん、お帰りなさい。お兄さんは大丈夫だった?」
「お兄様はちょっと興奮してましたけど、まあ心配ないですわ。今は頭を冷やしてくるといって、吹奏楽部の演奏を聞きに行ってますの」
ローズヒップの髪と服装が少し乱れているところを見ると、なにか一悶着あったのは間違いない。もしかしたら兄と喧嘩をしてしまったかもしれないが、ローズヒップの様子は普段となにも変わらなかった。
そんなローズヒップの心の強さは、みほの憧れであり目標でもある。みほは少しでもローズヒップに近づくために、ある一大決心を固めていた。
みほが決意したこと、それは冬休みに実家に帰りまほと会うことだ。去年はまほも冬休みに実家に帰省していたので、おそらく今年も帰ってくるだろう。みほは家に入ることはできないが、家の門に張りついてでもまほに会うつもりだった。
「ローズヒップ、服装が乱れてますわよ。ダンデライオン様に見つかるとまずいから、早く控室で直してきなさい」
「それもそうですわね。それではみなさま、少しの間失礼するでございますわ」
ルクリリに促され控室に向かうローズヒップ。大勢の客の前ということもあって、その足取りはいつもと違いゆっくりであった。
「ダンデライオンってすごいニックネームだね。やっぱり体が大きくて怖そうな人なのかな?」
「ううん、全然そんなことないよ。とても優しくて頼りになる人なの」
「体も小さいし、間違っても怖い人ではないですわね」
「それに、ダンデライオンは動物のライオンじゃなくてタンポポの英語名だぞ。沙織も少しは英語を勉強したほうがいい」
「やだもー! 恥ずかしいよー!」
「私たちの前のテーブルで接客している人がダンデライオンさん」
愛里寿の言うとおり、ダンデライオンはすぐ前のテーブルで接客中だ。
そのテーブルの客はほかのテーブルとは違い、男性が二名。二人ともピシッとしたスーツ姿であり、女の子ばかりの空間の中であきらかに浮いていた。
ダンデライオンは白髪で真っ白になった髪をきっちり固め、立派な口ひげを生やした男性と楽しそうに会話をしている。
「お前は本当にかわいいな。その服もよく似合っているよ」
「もうー、パパったら口がお上手なんですから」
「これはお世辞ではなく、わしの本心だ。辻君もそう思うだろう?」
「ええ、先生のお嬢様は本当にお美しく聡明でいらっしゃいますよ」
「そんなにほめられちゃうと照れちゃいますよぉ。辻さん、今日はパパのわがままに付きあってくれてありがとうございます」
ダンデライオンに辻さんと呼ばれた髪を七三分けにした眼鏡の男性。この男性にみほは見覚えがあった。
彼は何回か実家にやってきたことがある文部科学省の役人だ。しほは高校戦車道連盟の理事長を務めているので、文部科学省の役人が訪ねてくるのは別に不思議なことではない。
家に来たのを見たことがある程度なので、自分のことを彼は知らないだろう。そう考えたみほは、この役人のことをとくに気には留めなかった。