私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第二十三話 西住みほと二人の親友

 冬休みが終わり今日から新学期が始まった。聖グロリアーナ女学院の新学期初日は始業式だけで、授業は行われない。なので多くの生徒は、始業式が終わったら早々に学校をあとにする。

 にもかかわらず、『紅茶の園』にある隊長室には明かりがついていた。ここでは今、マチルダ隊とクルセイダー隊の隊長を決める会議が行われているからだ。

 

「クルセイダー隊の隊長はラベンダーちゃんしかいませんよ。実力は申し分ないし、あたしの指示にもちゃんと従ってくれるとってもいい子です。彼女になら安心してクルセイダー隊を託せます」

「私も同意見です。データを見ても、ラベンダーが一番クルセイダー隊の隊長に適していますわ」

「決まりね。クルセイダー隊の隊長にはラベンダーを任命しましょう」

 

 クルセイダー隊の隊長はあっさりとラベンダーに決まった。どうやらダージリンも二人と同じ考えだったらしい。ちなみに、この部屋にいるのはダージリンとダンデライオン、アッサムの三人のみである。

 

「次はマチルダ隊の隊長ね。あなたたちは誰が隊長に相応しいと思っているの?」

「あたしはシッキムちゃんを推します。マチルダ隊は聖グロリアーナの看板を背負っているようなものですから、お淑やかで礼儀正しい子がいいと思いますよ」

「シッキムは突出したものはないですけど、悪いところもありません。黒森峰との練習試合では彼女がマチルダ隊を指揮していたので、指揮能力もそれなりにありますわ」

 

 アッサムはノートパソコンでシッキムのデータを提示する。すべてのデータが平均値になっているグラフは、シッキムの無難さをよく表していた。

 ダンデライオンとアッサムの意見を聞いても、ダージリンはすぐに判断を下さない。ラベンダーのときとは違い、ダージリンには別の意見があるようだ。

 

「私はルクリリに任せようと思っていたのだけど、あなたたちは反対かしら?」

「……本気ですか? 聖グロリアーナのイメージをぶち壊すことになりますよ? ルクリリちゃんはすぐボロが出ますから」

「あなたはルクリリとローズヒップにはいつも厳しいわね」

「当然です。ラベンダーちゃんが問題児扱いされているのは、あの二人が原因なんですよ」

「でも、あの二人のおかげでラベンダーは笑って毎日を過ごせているのよ。そうよねアッサム?」

「はい。中学時代のラベンダーは表情を顔に出さない暗い子だったそうですわ。あの子が変わったのは、ローズヒップとルクリリに出会えたから。だからこそ、私はあの三人を引き離すような人事には反対です」

 

 アッサムがダージリンの意見に反対するのは珍しいことだった。その証拠に、ダンデライオンは心底驚いたような表情を浮かべている。

 

「いつまでもローズヒップとルクリリに依存しているようでは、ラベンダーは強くなれないわ。それにルクリリがマチルダでいい成績を残しているのは、アッサムのデータにも入っているわよね?」

「データではそうかもしれません。ですが、この件に関してはデータを優先する気はありませんわ。ラベンダーにはローズヒップとルクリリが必要です」

「アッサム、あなたがラベンダーに負い目を感じているのはわかるけど、少し過保護すぎですわよ。ラベンダーも成長しているのだから、少しは信じてあげてもいいのではなくって?」

「たしかにラベンダーは成長してますけど、人はそんなに早くは強くなれませんわ」

「まあまあ、二人とも熱くなっちゃダメですよ。紅茶でも飲んで一息つきましょう。ね?」

 

 ダンデライオンの一言で会議はいったん休憩となった。

 アッサムが紅茶をいれなおしたことで、隊長室は紅茶の優しい香りに包まれる。柑橘系の香りは気分転換にはもってこいであり、ピリピリしていた隊長室の空気は徐々に穏やかになっていく。

 静かな時間が流れていた隊長室であったが、その静寂は扉を強くノックする音で突然破られた。

 

「ダージリン様、ローズヒップですわ。入ってもよろしいでございますか?」

「よろしくてよ。それと、ノックはもう少し静かになさい」

「はい! 次回から気をつけるでございます。では、失礼しますわ!」

「失礼します」

「あら、ルクリリもいたのね。二人ともずいぶん気合が入っているようだけど、なにかあったの?」

 

 ローズヒップとルクリリは神妙そうな面持ちだ。こんな表情は試合のときでさえ見せたことがない。

 

「あれ? 今日はラベンダーちゃんは一緒じゃないんですか? いつも三人で行動してるのに珍しいですね」

「ラベンダーはもう帰ってきませんわ。これからわたくしたちは、ラベンダーに会うために熊本に行くつもりなんですの。今日はしばらく留守にすることを、ダージリン様に伝えにきたのでございますわ」

「ラベンダーが帰ってこない? それにしばらく留守にするって、学校はどうするつもりなの?」

「アッサム様、止めないでください。誰になんと言われようと、私たちの意思は変わりません」

「二人とも、こんなことわざを知ってるかしら? 『急いては事を仕損じる』。ここでつまづきたくないのなら、まずは順を追って私たちに説明しなさい」

 

 ダージリンに諭されたローズヒップとルクリリは事情を説明した。

 二人の話だと、西住流を継ぐために黒森峰女学園へ転校するというメッセージがラベンダーから送られてきたという。事情を聞こうにも、ラベンダーが携帯電話の電源を切ってしまい連絡が取れない。そこで二人は、ラベンダーに会うために熊本へ向かうことを決意したというのだ。

  

 話を聞き終えたアッサムとダンデライオンは絶句している。ラベンダーの転校は、二人にとって寝耳に水の事態だったようだ。

 そんな二人とは対照的に、ダージリンは冷静に紅茶を飲んでいた。

 

「アッサム、サンダースの学園艦は佐世保港に停泊中でしたわよね?」

「そのはずですわ。練習試合の申し込みがあったときに、一月の第二週までは母港に停泊していると言ってましたから。航路の関係でお断りしましたけど……」

「そう……私は生徒会に用事ができましたわ。少し長くなると思うので、今日の会議はこれでおしまいにします」 

「ダージリンさん、まさか航路を変える気ですか!?」

「学校を休むことは許可できないけど、戦車道の時間に外出する許可なら出せるわ。生徒会に根回しをしてくださったアールグレイ様には、さっそく感謝しないといけないわね。二人とも、間違っても早まった真似をしてはダメよ」

 

 ローズヒップとルクリリに念押しをして、ダージリンは隊長室をあとにする。ラベンダーの転校という突然の事態に見舞われても、ダージリンは動じる様子をまったく見せない。

 アールグレイから素晴らしい隊長になれると称されたダージリン。その本領が発揮された瞬間であった。

 

 それから数日後、聖グロリアーナ女学院の学園艦は長崎県の佐世保港に入港。熊本への道はなんの問題もなくつながった。

 

 

 

 サンダース大学付属高校の学園艦。その隊長室でダージリンは金髪の少女とお茶をしていた。

 

「ケイさん、練習試合を引き受けてくださったこと、心から感謝いたしますわ」

「That's all right。結局どことも試合の予定は組めなかったから、こっちが感謝したいくらいよ」

 

 ダージリンにケイと呼ばれたこの金髪の少女が、サンダースの新隊長である。同い年のダージリンとは試合で何度も戦った間柄であり、彼女の茶飲み友達の一人でもあった。

 

「それに、聖グロ期待のNew faceを見れるチャンスを逃す手はないわ。去年の準決勝の試合見てたわよ。あのクルセイダーの一年生すごかったじゃない」

「あの子たちには私も期待しているわ。ケイさんにもご紹介したいのだけど、お約束はできませんの」

「Why? なんで?」

「『未来は「今、我々が何を為すか」にかかっている』。あとはあの子たちのがんばり次第ですわ」

「またそうやって難しいこと言って煙に巻くんだから……まあいいわ。明日の試合はこっちもすごいゲストがいるの。ダージリンもきっとびっくりするわよ」

 

 そのとき、隊長室の扉が控えめにノックされ一人の少女が入室してきた。

 サンダースの制服に身を包んだ、銀髪サイドテールの少女。この少女のことはダージリンもよく知っている。

 

「運命というのは本当にあるのかもしれませんわ。ねえ、愛里寿さん」

 

 ダージリンの前に姿を現した島田愛里寿。その表情はひどく不安げであった。

 

「ラベンダーたちになにかあったの? できれば教えてほしい」

   

 

 

 飼い犬と散歩に出かけたみほは、実家への帰路についていた。

 犬童姉妹は不在であり、今日のみほは一人。頼子は犬童家の当主の指示で長崎県に行くことになったと言っていたが、理由までは教えてくれなかった。

 

 西住流の後継者になることはすでにしほに伝えてある。聖グロリアーナ女学院にも転校届けを提出したが、まだ受理はされていなかった。新しい生徒会長から、学院長が長期出張中で手続きに時間がかかるという連絡を受けてから音沙汰がないのだ。

 

「あれ?」 

 

 家の門前まで帰ってきたみほの目に飛びこむ二つの人影。それが誰なのかみほにはすぐわかった。ずっと会いたいと願っていた二人を見間違うわけがない。

 

「あっ! ラベンダーですわ!」

「やっと会えた。まだ実家にいてくれてよかったよ」

 

 みほの大事な二人の親友。ローズヒップとルクリリが西住邸までやってきたのである。

 

 

 

 みほはローズヒップとルクリリを自分の部屋に招きいれ、これまでの事情を説明した。

 表情には出さないが、みほの内心では不安が渦巻いている。みほは二人を裏切っているのだから、それは当然だろう。

 

 みほはローズヒップとルクリリに相談もせず、黒森峰女学園へ転校することを決めた。ルクリリから相談するようにと言われていたのに、それを無視した格好だ。その事実はみほの心を万力のように締めつけていく。

 

 二人から非難の言葉を浴びたらどうしよう。黒森峰に行くなと言われたらなんて断ろう。事情を話している間、みほはそんな後ろ向きなことばかり考えていた。

 

「いろいろ大変だったみたいですわね、ラベンダー。けど、わたくしたちが来たからにはもう大丈夫ですわ。大船に乗った気持ちでいてくださいまし」

「ラベンダーから連絡をもらったあと、二人でいい案を考えたんだ。ラベンダーもきっと安心できると思うぞ」

 

 みほの心配は取り越し苦労に終わった。ローズヒップとルクリリはまったく怒っておらず、逆にウキウキしているようにすら見える。みほが心の中で胸を撫でおろしていると、二人から思いもよらない発言が飛びだした。

 

「わたくしたちは西住流に入門することにいたしましたわ」

「学校は別になっても、西住流が私たちをつないでくれる。ラベンダーが西住流を継いだら、そばで助けてあげることもできる。どうだ、素晴らしいアイディアだろ」

「わたくしたちが西住流を習って上達すれば、ダージリン様のお役にも立てますわ。これぞまさに一石二鳥の……あれ? ラベンダー、どうして泣いてるんですの?」

 

 泣くなというほうが無理だった。ローズヒップとルクリリの優しさに触れてしまえば、みほの涙腺などすぐにゆるゆるになってしまう。

 

 ローズヒップとルクリリに相談したら聖グロリアーナに気持ちが傾く。みほのその考えは当たっていた。

 二人ともっと思い出を作りたい、一緒に聖グロリアーナ女学院を卒業したい。みほの心はそればかりを訴えてくる。

 もう黒森峰女学園に転校することはできない。すでに感情は理性を上回っているのだ。

 

 みほはローズヒップとルクリリに抱きつき声をあげて泣いた。ずっと不安だった気持ちを表すかのように、大粒の涙が頬を流れていく。

 情けないとか恥ずかしいという思いはまったく湧いてこなかった。二人の温もりを感じていたい。みほの心はただそれだけを求めていた。

 

 

 

 みほはローズヒップとルクリリと手をつなぎ、大広間で正座をしている。服装は二人と同じ聖グロリアーナ女学院の制服姿。立ち位置はみほが中央で、ローズヒップが左、ルクリリが右だ。

 目の前には、みほたちと同じように正座をしているしほの姿。みほは大事な話があると言って、しほを大広間に呼びつけたのであった。

 

「話とはなんですか?」

「お母さん、西住流を継ぐことに異論はありません。けど、私はどうしても友達と一緒に聖グロリアーナ女学院を卒業したいの。お願いお母さん。黒森峰女学園への転校を取りやめて、聖グロリアーナ女学院に戻ることを許してください!」

 

 みほは畳に頭をこすりつけて頼みこんだ。中学時代の進路相談のときとは違い、小細工をいっさいしない心からの嘆願。自分の思いを伝える真っ向勝負にみほは打って出たのである。

 みほの震える手をローズヒップとルクリリはしっかり握ってくれていた。それだけではなく、一緒に頭まで下げてくれる。二人がそばにいれば、みほは無限に勇気が湧いてくる気さえした。 

 

「みほ、西住流を継ぐことに嘘偽りはない。それを本当に誓えますか?」

「はい! 西住流は私が継ぎます!」

 

 みほの目をじっと見つめるしほ。

 母の鋭い視線を受けてもみほは目をそらさなかった。ここで目をそらしたらみほの思いは伝わらない。

 

「……わかりました。黒森峰女学園のほうは私がなんとかします。みほは聖グロリアーナ女学院に帰りなさい」

「お母さん……ありがとう! 本当にありがとう!」

「やったでございますわ! これでまた三人一緒にいられますの! そうだ。ラベンダーのお母様、わたくし西住流に入門したいのでございますわ」

「私も入門を希望します」

「入門するのは構いません。ですが、みほの友達だからといって特別扱いはしませんよ」

「望むところですわ。全力で食らいついてみせますの!」

「一生懸命がんばります。ラベンダーを助けられるぐらい強くなってみせますわ!」

 

 ローズヒップとルクリリの力強い言葉に満足そうにうなずいたしほは、みほへと顔を向ける。しほの表情は心なしか穏やかになっているように、みほには感じられた。

 

「みほ、いい友達ができましたね」

「うん。二人がいるから、私はがんばれるの」 

「あなたが成長したのは友達のおかげのようですね。まほにも頼れる友達がいればよかったのですが……」

 

 しほのその言葉で、みほの頭にある一つの考えが思い浮かんだ。

 西住流の後継者でなくなったまほはすでに自由の身。別の学校に転校し、新しい人間関係を構築することも可能である。みほが友達に支えられているように、まほにも友達の支えが必要なのだ。

 

 引きこもっていたまほは、もう一回二年生をやり直すことになる。口下手で留年しているまほが友達を作るのは容易ではない。そんなまほが友達になれそうな人たちに、みほは心当たりがあった。人見知りが激しい愛里寿とすぐに打ち解けることができた沙織たちだ。

 

 みほが口利きをすれば、沙織たちとまほはきっと仲良くなれるだろう。戦車という共通の話題があるのも大きい。

 それに戦車道がない学校なら、黒森峰を裏切ったと批判されることもないはずだ。もし戦車道が復活したとしても、まほが戦車道を選択しなければいい。沙織たちは、まほが戦車道を選択しないことで態度を変えるような人たちではない。

 

 考えれば考えるほど、大洗女子学園に転校するのがまほにとって最良の道だとみほには思えた。

 

「お母さん、私に考えがあるんだけど聞いてもらえるかな?」

 

 みほが起こしたこの行動は、後に起こる大騒動の引き金になってしまう。そして、それはもう一つの物語の幕が上がることを意味していた。

 

 

 

 

「ねえ、いつまでこうしてるつもりなの? 用があるなら正面から乗りこめばいいじゃない」

「ここは西住流のテリトリー。うかつには近づけない」

 

 サンダース大学付属高校の制服を着た二人の少女が、電信柱に身を隠しながら西住邸の様子をうかがっている。

 一人はダージリンから事情を聞いて駆けつけた島田愛里寿。もう一人は愛里寿のお供をするようにケイから命令を受けた、茶色の髪を星形の髪留めでツインテールにしている少女だ。

 

「島田流が西住流といがみ合ってるのは知ってるけど、少し大げさすぎよ。これから戦いに行くわけじゃないんだし」

「学校にいる間も私はずっと見張られてた。今も殺気を帯びた視線を感じる。アリサも用心したほうがいい」

「ちょ、ちょっと! 怖いこと言わないでよ! 私まで巻き添えになるのはごめんだからね!」

 

 アリサと呼ばれた少女は慌てふためきながら周囲を見回すが、あたりに怪しい人影はなく、物音一つしない。それなのにアリサは身震いしながら両手で肩を抱いた。どうやら愛里寿に向けられている視線に気づいてしまったようだ。

 

「どこっ! どこから見てるのよ!」

「静かに。誰か出てくる」

「むぐっ! むぐーっ!」 

 

 わめくアリサの口を愛里寿は強引に手で塞ぐ。それと同時に西住邸の門から三人の少女が姿を現した。

 聖グロリアーナ女学院の制服姿の少女たちは、仲良く手をつなぎながら歩き去っていく。その様子を確認した愛里寿は、安堵したようにふーっと息を一つ吐き、アリサの口を塞いでいた手をどけた。

 

「よかった……」

「会わなくていいの? 友達なんでしょ?」

「ここでは接触できない。それに明日になれば学園艦で会える」

「しがらみっていうのは本当めんどくさいわね。まあ、私には関係ないけど。用が済んだのなら私たちも帰るわよ」

「わかった。付きあってくれてありがとう」

「恩を感じているなら、礼なんかより明日の試合で活躍しなさい。聖グロのお嬢様をぼこぼこにして、タカシにいいとこ見せるんだから」

 

 サンダースの学園艦で行われる練習試合は、男子も含めた大勢の学生が見学に来る。それだけでなく、そのあと開かれる懇親会には特別に男子も参加する予定だ。タカシに想いを寄せるアリサがやる気になるのもうなずける。

 

「同じ相手に二度は負けられない。明日は全力を尽くす」

 

 明日の練習試合は、愛里寿にとってもダージリンに負けた借りを返す絶好の機会。顔には決して出さないが、どうやら愛里寿もやる気がみなぎっているようだ。

 

  

 

 翌日行われたサンダースと聖グロリアーナの練習試合。愛里寿はダージリンを撃破し、見事にリベンジをはたす。試合もサンダースが勝利したので、愛里寿にとっては大満足の結果であった。

 

 その反面、アリサはショッキングな事態に見舞われることになる。アリサの想い人であるタカシが、聖グロリアーナのお嬢様に一目ぼれしてしまったのだ。懇親会でもタカシはそのお嬢様に夢中で、アリサのことなど見向きもしなかったのである。

 その日の夜、アリサは枕を涙で濡らした。にっくき恋敵であるラベンダーという少女の名を胸に刻みながら。

 

 

◇◇

 

 

 西住邸に負けず劣らずの大きさを持つ犬童家の屋敷。その屋敷の大広間で犬童家の当主は娘から報告を受けていた。報告に来たのは頼子だけで、芽依子の姿はない。

 

「というわけで、みほ様は聖グロリアーナ女学院に戻ることになりました。まほ様も大洗女子学園への転校に前向きなようです。みほ様としほ様の必死の説得が効いたみたいですね」

「……残念だが、仕方がないな。みほ様が後継者になる決断をしてくださっただけでも上出来だ。それに、来年の三月末で廃校になる大洗女子学園はいろいろと都合がいい。まほ様には一年間ゆっくり静養してもらって、来年黒森峰に戻っていただこう」

「でもお父様、戦車に乗らない生活を一年間続けたら、ブランクが大きいんじゃないですか?」

「心配するな。まほ様は才能があるおかただ。みほ様との関係が改善されれば、すぐに結果を出せる。まほ様の弱点はメンタル面だからな」

 

 犬童家の当主はそこで言葉を切り、あごに手を当て思案顔になった。

  

「芽依子を大洗女子学園に入学させよう。まほ様が心を許している芽依子なら、大きな支えになれるはずだ」

「了解ですぅ。さっそくめいめいに連絡しますね」

「まあ、待て。大洗の廃校の件は芽依子には内緒にしておこう。芽依子は頼子と違って、隠し事ができるような子ではないからな」

「お父様、ひどいですぅ! 頼子だって正直者ですよぉ!」

「はっはっはっ! そう怒るな。私はお前の才能を高く評価してるんだぞ。犬童家に生まれたものにとって、嘘をつくのがうまいのは誇るべきことだ。我々は西住流の陰で生きる人間なのだからな」

 

 ふくれっ面の頼子の頭を犬童家の当主は優しく撫でる。それだけで、すぐに頼子の機嫌はもとに戻った。もし頼子にしっぽが生えていたら、ちぎれ飛びそうなほど勢いよく振られていただろう。

 

 西住流の後継者問題に決着がついても、犬童家の企みはまだ終わらない。

 

 

◇◇◇

 

 

 黒森峰女学園の学園艦ではある噂が広まっていた。

 戦車道の訓練後の更衣室は今日もその噂で持ちきりだ。この噂は戦車道に関わることなのだから、彼女たちが騒ぐのも無理はない。

 

「ねえねえ、隊長が転校するって話本当なの?」

「間違いないよ。西住流の門下生の子から聞いた話だもん。その子の話だと、隊長の妹さんが西住師範に転校の話を持ちかけたんだって。西住流も妹さんが継ぐことになったらしいよ」

「噂だと黒森峰に転校するのを拒否したんだよね? 隊長の居場所を奪って追いだしたくせに、自分はもとの学校で今までどおり。それってずるくない?」

「聖グロのお嬢様だもん。今さら黒森峰には戻りたくないんでしょ。妹さんは聖グロに入学して別人みたいになったって、中等部出身の子が話してたよ」

「優雅で華やかな生活に染まちゃったんだねー。いいなー、うらやましいなー」

「あんたじゃ無理でしょ。優雅に紅茶を飲んでる姿がまったく想像できないわ」

「ひどーい! そこまで言うことないじゃん!」

 

 話に夢中になっている少女たちの前を一人の少女が通りすぎる。その少女の表情を見たことで、みんないっせいに口を閉ざした。目の前の少女が見るからに不機嫌な表情を浮かべていたからだ。 

 その沈黙は少女が更衣室から出ていくまで続いた。

 

「怖かったー。逸見さん、すごい顔してたし」

「ここ最近ずっと不機嫌だよね。やっぱり隊長の噂が原因かな?」

「絶対そうだよ。逸見さん、隊長のことすごく尊敬してたもん。きっと隊長の妹さんのことを恨んでるんだよ」

「聖グロと試合したら血の雨が降るかもね……」

 

 学校の薄暗い廊下を一人歩く逸見エリカ。両手は固く握りしめられ、表情はひどく歪んでいる。

 一人の少女に対する憎しみを心に抱えながら、エリカは闇の中へと消えていった。




 今回で一年生編は終了となります。

 ここまで書くことができたのも、このお話を読んでくださったすべてのみなさまのおかげです。本当に感謝しております。

 次回から二年生編に入ります。二年生編はみほ以外のキャラクターの視点が増えて少し書き方が変わるかもしれませんが、読者のみなさまが混乱しないように気をつけたいと思っています。

 次回はオレンジペコ視点のオレンジペコと問題児トリオという話を予定しております。
 完結目指してがんばりますので、二年生編もよろしくお願いします。

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