私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第二十六話 澤梓の初陣

 時刻は夜の八時。女子寮のみほの部屋には、三人の少女が泊まりに来ていた。ローズヒップとルクリリ、そしてGI6に所属している犬童頼子ことクラークだ。

 

 みほたちがお泊り会を行うのはよくあることなのだが、今回は普段とは事情が違う。今日のお泊り会は、西住流に所属しているものが集まる緊急会議の場でもあるのだ。学校ではみほとあまり接触をしてこないクラークがここにいるのは、それが理由であった。

 

 議題はまほが大洗で戦車道を始めた件。沙織から連絡を受けたみほはすぐさま三人と連絡を取り、お泊り会という形で相談する場を設けたのである。

 

「まずいことになりましたねー。まほ様が大洗で戦車道をしている事実が外に漏れたら、黒森峰や西住流一門が黙っていませんよ。あの人たちは西住流のイメージダウンになることをもっとも嫌いますから」

「ラベンダーのお姉さんはなんで戦車道を選択したんだろう? 問題になることぐらいすぐわかるはずなのに……」

「お姉ちゃんは最初は香道を選択してたらしいんだけど、急に戦車道に変更したみたいなの。武部さんも驚いてたよ」

「ラベンダー、たしか西住師範に今日電話するって話してましたわよね。師範はなんておっしゃっていたんですの?」

「お母さんは犬童さんと相談して対策を練るって言ってた。こっちでなんとかするから、私はなにも心配しなくていいって……」

 

 しほに優しい言葉をかけてもらえたのはうれしいが、まほのことを思うとみほは素直には喜べなかった。

 おそらく、まほは今後多くの困難に見舞われるはずだ。そのことを考えただけで、みほの心は不安に揺れてしまう。

 

「そんな顔しなくても大丈夫だぞ、ラベンダー。西住師範ならきっとなんとかしてくれる」

「師範は西住流の家元になるおかたですわよ。これぐらいの問題を解決するのなんて、お茶の子さいさいでございますわ」

「犬童家も全力でまほ様をお助けします。みほ様が心配する必要はこれっぽっちもありませんよぉ」

 

 三人の言うとおり、みほがいくら心配しても問題は解決しない。

 今はしほを信じて、自分のやるべきことをやるのが最善。西住流の後継者といっても、みほはまだ十六歳の高校生にすぎないのだから。

 

「ありがとう、みんな。お姉ちゃんのことはお母さんに任せて、私は自分の役目を果たすよ」

「その意気ですわ! わたくしもクルセイダーの操縦に磨きをかけますわよー!」

「私もマチルダ隊をもっとうまく指揮できるようにならないとな。聖グロの看板に泥を塗るわけにはいかないし」

「クラークは明日から黒森峰へ偵察に行ってきます。今年も聖グロリアーナに役立つ情報をばっちり仕入れてきますよぉ」

 

 みほたちがそれぞれの思いを口にしたことで、先ほどまでのどんよりとした空気は吹きとび、部屋は明るい雰囲気に包まれていく。

 

「そうだ。お母さんからお土産が届いてるの」

「……またチョコレートじゃないだろうな。ペコの二の舞はごめんだぞ」

「今度のお土産は問題ないよ。私もよく知ってるものだし」

「ラベンダーが知ってるということは、熊本の名物でございますか?」

「熊本じゃなくて黒森峰のかな。用意するからちょっと待っててね」

 

 みほは立ちあがると冷蔵庫に向かい、銀色の缶が複数入った小さな箱を持ってきた。缶に描かれたパッケージは、どうみても未成年お断りのアルコール飲料にしか見えない。

 

「どこが問題ないんだっ! むしろ大ありだろっ!」

「ふえっ!?」

「これはノンアルコールビールですよぉ。黒森峰は学園艦内にある工場でノンアルコールビールを作っていて、それが名物にもなってるんです」 

「パッケージにもノンアルコールって書いてありますわ。早とちりするなんて、ルクリリは相変わらずおっちょこちょいですわね」

「……すまん」

「ううん、ちゃんと言わなかった私が悪いんだよ。さあ、気を取りなおしてみんなで乾杯しよう」

 

 みほが全員にノンアルコールビールを配り、乾杯の準備はすぐに整った。音頭をとるのは、盛り上げ上手なローズヒップである。   

 

「それでは、わたくしたちの前途を祝して、かんぱーいですわ!」

 

 みほたちはノンアルコールビールを飲みながら、しばしの団らんを楽しんだ。

 まほのことは心配だが、みほには信頼する母と頼れる友達がいる。不安に思うことなど、なに一つない。みんなで力を合わせれば、きっとまほを助けることができるのだから。

 

 その後、雰囲気に酔って騒いだ結果、みほたちは苦情を受けたやってきた管理人にノンアルコールビールを目撃されてしまう。オレンジペコの暴走の件で敏感になっていた管理人はみほたちが飲酒をしていると勘違いし、アッサムが呼びだされる騒動へと発展してしまうが、それはここでは割愛する。

 

 

 

 大洗女子学園との練習試合がダージリンから発表されたのは、それから一週間後のことであった。

 

 

◇◇

 

 

 大洗女子学園の生徒たちが放課後に寄り道する人気スポット、74アイスクリーム。

 74種類という圧倒的な数のフレーバーを提供しているアイスクリームショップは、今日も大勢の女子高生でほぼ満員。その中には戦車道の授業を終え、学園内の大浴場で汗を流したばかりの一年生の姿もある。

  

 この一年生グループでリーダーの役割を担っているのが澤梓という少女だ。面倒見がよくまじめな性格の梓はみんなから頼りにされており、搭乗する戦車の車長も担当している。

 梓が車長をしている戦車は、英国でリーという愛称で呼ばれたM3中戦車。七人乗りのM3リーは大所帯だが、六人中五人は梓との付き合いも長い。なのでポジション決めなどもとくに揉めることなく、話し合いですんなりと決まった。

 ちなみに梓以外のポジションは、主砲砲手が山郷あゆみ、副砲砲手が大野あや、主砲装填手が犬童芽依子、副砲装填手が丸山紗希、操縦手が阪口桂利奈、通信手が宇津木優季である。

 

 このグループの中で犬童芽依子だけは高校に入ってからの付き合いであり、知り合ってからそう時間は経っていない。それなのに、芽依子はすっかりグループの一員として溶けこんでいた。

 芽依子をとくに慕っている桂利奈の影響もあるが、素直でまっすぐな芽依子の性格がメンバーに気に入られたことが一番大きい。それに加えて、梓には芽依子に好感を抱いたもう一つの理由がある。

 

 梓が芽依子を好んでいる理由。それは芽依子がメンバーの一人である丸山紗希を邪険に扱わず、みんなと同じように接していることだ。

 無口で感情の起伏が少ない紗季は、他人から気味悪がられることが多い。付き合いが長い梓たちは紗希の気持ちが仕草などでだいたいわかるのだが、初対面の人は紗季の気持ちを理解できないからだ。なにを考えてるかわからない紗季を不気味に思い、梓たちの前から去っていった友人も少なくなかった。

 芽依子はそんな紗季のことを疎まない久しぶりの好人物。グループのリーダーを務める梓は、紗季を理解してくれる人が増えたことがうれしかったのだ。

 

「……」 

「芽依子のさつまいもアイスがほしいのですね。どうぞ」

 

 芽依子はスプーンでアイスをすくい、紗季の口へと運ぶ。アイスをもらった紗季の表情は変わらないが、梓には紗季が喜んでいるのがよくわかった。

 

「お口に合ったようでなによりです。お返しをくれるのですか? ありがとうございます」

 

 紗季が自分のアイスをスプーンに乗せ、芽依子へと差しだす。それを芽依子はなんのためらいもなく口に含んだ。どうやら芽依子も紗季の気持ちがわかっているらしい。

 こんな短期間で紗季と打ち解けることができた芽依子に、梓は内心驚いていた。

 

「梓、今日の作戦会議どうだったの? 相手の聖グロリアーナ女学院はすごく強い学校だって、先輩たち話してたけど……」

「そんな相手といきなり試合するだなんて、無茶ぶりもいいとこだよね。勝てるわけないじゃん」

「私たち、ようやく戦車をまともに動かせるようになったばかりだしねぇ。教官が来たときにやった練習試合も完敗だったしぃ~」

 

 あゆみ、あや、優季の発言に共通しているのは練習試合に対する不安。もちろんそれは梓も同じだ。教官が来たときに行った練習試合とは違い、今度は対戦相手がいる本格的な実戦である。戦車に乗ってまだ一週間ほどしか経っていない梓たちには、荷が重い話であった。

 

「会議はしたんだけど、武部先輩と河嶋先輩の意見に隔たりがあって、はっきりと作戦は決まらなかったの。武部先輩は、生徒会が勝手に練習試合を申しこんだことにも怒ってたみたいだったし……」

「武部先輩が怒るのも当然です。よりによって聖グロリアーナ女学院を試合相手に選ぶなんて……まほ様へプレッシャーをかけているとしか思えません」

「聖グロリアーナには西住先輩の妹さんがいるもんね。生徒会は意地悪だよ」

 

 生徒会への不満を口にする芽依子と桂利奈。

 ここにいるメンバーは、芽依子の任務のことや西住家の事情をすでに知っている。初めて一緒の戦車に乗ったとき、芽依子はすべてを話してくれたのだ。

 おそらく、芽依子はともに戦う仲間である梓たちに隠し事をしたくはなかったのだろう。彼女のそんな誠実なところも梓は好ましく思っていた。

 

「作戦は決まってない、隊長と副隊長は不仲、頼みの綱の西住先輩は家の都合で積極的に動けない。これじゃ勝てる見込みゼロだよぉ~」

「練習試合だし、胸を借りるつもりでいいんじゃない? 負けてもペナルティないんだし」

「実はあるのペナルティ。負けたら大納涼祭りであんこう踊りだって」

 

 梓のその言葉で、練習試合を楽観視していたあやは固まってしまう。梓が周りを見回すとあやだけでなく、芽依子を抜かした全員が同じような有様。あの紗季ですら顔が青くなっているのだから、あんこう踊りの衝撃は絶大だ。

 

「あんこう踊りとはなんですか?」

「大洗町に古くから伝わる伝統的な踊りなんだけど、衣装がすごく恥ずかしいの」

「あんこうをモチーフにしたピンクの全身タイツだからね。体の線もはっきりわかっちゃうし」

「あゆみちゃんはスタイル良いからまだましじゃん。私が着たらいい笑いものだよ」

「私も彼氏以外の前で恥ずかしい格好するのは嫌だなぁ~」

 

 あやと優季は心底嫌そうな顔である。それに対し、梓からあんこう踊りの説明を受けた芽依子はまったく動じた様子を見せない。

 

「まほ様にそんなハレンチな踊りはさせられません。絶対に勝ちましょう」

「めいちゃんの言うとおりだよ! 試合に勝ってあんこう踊りを回避しよう!」

 

 芽依子と桂利奈の言葉に紗季も大きくうなずいている。

 メンバーが熱意を見せているのだから、リーダーの自分もしっかりしないといけない。梓はそう気持ちを引き締めると、元気な声で号令をかけた。

 

「相手は強いだろうけど、みんなでがんばれば勝てるかもしれないよ。私たちは自分たちのやれることを精一杯やろう」

 

 梓の呼びかけにメンバーは肯定的な返事を返してくれる。声の感じからやる気には差があるようだが、今はこれで十分だと梓は思った。全員が勝つことを真剣に考えるのは、もう少し戦車に慣れてからでも遅くはないのだから。

 

 

 

 迎えた聖グロリアーナ女学院との練習試合当日。大洗女子学園戦車隊一同は、試合会場である大洗の市街地付近の平原に集合していた。試合開始前のあいさつをするために、ここで聖グロリアーナ女学院が来るのを待っているのだ。

 あいさつを行うのは車長のみ。なので、梓も先輩たちに混じって右端に整列している。

 

 しばらく待っていると五輌の戦車がこちらに向かってきた。どうやら聖グロリアーナ女学院が到着したようである。

 隊長車とおぼしき濃い緑色の大きな戦車を中心に、右側をブルーグレーの戦車二輌、左側をサンドブラウンの戦車二輌で固めた聖グロリアーナの戦車隊。車種が違っても横一列の隊列を乱さない実にきれいな走りだ。

 

「やっぱりクルセイダー出てきたじゃん! 河嶋先輩、今からでも作戦変えない?」

「ダメだ。練度の低い我々が勝つには有利な地形で戦うしかない」

「クルセイダーはきっと別動隊だよ。相手が二手に分かれてきたらどうするの?」

「別動隊のことは本隊を叩いてから考えればいい。つべこべ言わずに私の作戦を信じろ」

 

 梓の隣では隊長の武部沙織と副隊長の河嶋桃が口論中。山岳地帯で待ちぶせして囮が敵を誘いこむ作戦で決まったはずなのだが、沙織はまだ納得していないようだ。

 そのとき、梓は沙織が後方をちらちら見ていることに気づいた。沙織の視線の先にいるのは、隊長車のⅣ号戦車で通信手をしている西住まほ。しかし、まほは沙織の視線に気づいておらず、なにやら深刻そうな顔でうつむいている。

 沙織はまほに助け舟を出してほしいようだが、まほは妹のことで頭がいっぱいなのだろう。芽依子から西住家の複雑な事情を聞いている梓には、なんとなくそれがわかった。

 

 聖グロリアーナの戦車隊は大洗の戦車隊の前に到着すると、全員が戦車の外に出て素早く列を作る。戦車道は礼に始まって、礼に終わると教官は言っていたが、大洗は整列だけで格の違いを見せつけられてしまった。

 格の違いは整列だけではない。聖グロリアーナの生徒はみんなおそろいのタンクジャケット姿だが、大洗は梓も含めてほとんどの生徒が制服姿。なかには体操服姿の生徒や私服のコートを着用している生徒もおり、統一感はまったくなかった。

 戦車に関してもそれは同じだ。大洗の戦車は車種も大きさもバラバラ。対する聖グロリアーナは、車種は三種類でも真ん中の大きな戦車を隔てて左右にきれいに分かれている。どちらが見栄えがいいかは、誰が見てもはっきりわかるだろう。

 

 戦車道部の秋山優花里の判断は正しかったようだ。自分たちの戦車がわかるように色を塗るという提案を彼女が却下してくれなければ、危うく大恥をかくところだったからである。

 梓が心の中で優花里に感謝していると、聖グロリアーナの列の先頭に立っていた五人のうち、中央の三人がこちらに向かって歩いてきた。

 

「大洗のみなさま、ごきげんよう。私が隊長のダージリンですわ。隣の二人は部隊長のラベンダーとルクリリ。残りの二人は一年生ですけど、実力は申し分ありません。こちらはベストなメンバーをそろえてきたつもりですので、お互い本気でがんばりましょう」

「本気でやってもらえるならこちらも助かる。大会前に少しでも経験を積みたいからな」

「あなたが隊長なのかしら?」

「いや、私は副隊長だ。隊長は隣にいる武部が務めている」

「た、隊長の武部沙織です。よろしくお願いします!」

「こちらこそ、よろしくお願いしますわ」

 

 ダージリンと沙織はにこやかに握手を交わす。強豪校である聖グロリアーナにとっては大洗など弱小もいいところだが、ダージリンの表情からは油断やおごりは感じられない。どうやら本気という言葉に嘘はなさそうだ。 

 

 そのダージリンが従えてきた二人の部隊長。この二人のうち、ラベンダーという名前の少女が西住まほの妹であることは梓も聞きおよんでいる。

 穏やかで優しそうな表情のラベンダーは、うつむいて下を向いているまほとは対照的に、気品ある優雅な姿でしっかりと前を見ていた。姉妹だけあって二人の顔つきはよく似ているが、髪の長さとまとっている空気は正反対。ショートヘアのラベンダーが陽なら、ロングヘアのまほは陰。おそらく二人を見たほとんどの人が、十中八九そのような印象を抱くだろう。

 

 そんなことを考えながら梓がラベンダーのことを眺めていると、梓の前方に立っている黒髪の少女が軽く手を振っているのが見えた。

 ダージリンの話が本当なら、この少女は梓と同じ一年生のはず。だが、この少女の存在感は梓とは比べ物にならない。腰まで流れる漆黒の髪、パッチリとした澄んだ瞳、服の上からでもわかる抜群のプロポーション。梓が思わず見とれてしまうほど、目の前の少女は美しかった。

 

 梓が無意識のうちに手を振りかえすと、少女は満面の笑みで大きく手を振りかえしてくる。その笑顔に梓はドキッとしてしまい、みるみる顔が赤くなっていく。頭を振って変な考えを払おうとするが、視線はどうしても目の前の少女に釘付けになってしまう。

 

「ハイビスカス、ちゃんと整列してないとダメですの」

「ごめんごめん。ベルっちも意外と厳しいねー」

「物事にはメリハリというものがあるんですの。大事な試合のときだけはしっかりしてくださいませ」

「りょーかい」

 

 あの少女は、ストロベリーブロンドの小さな女の子にハイビスカスと呼ばれていたので、それが彼女のニックネームなのだろう。

 読書が趣味の梓は花言葉の本を読んだことがある。本に書かれていたハイビスカスの花言葉は、『繊細な美』と『勇気ある行動』、そして『新しい恋』。その『新しい恋』というフレーズが頭に浮かんだ瞬間、梓の顔は耳まで真っ赤に染まってしまうのだった。

 

 

 

 あいさつを終え、いよいよ試合が始まった。ルールは五対五の殲滅戦。先に相手を全部倒したほうが勝者となる。

 大洗女子学園の戦車隊は当初決めた作戦どおりに動き、囮になったⅣ号戦車以外は山岳地帯の高台で待機していた。あとはⅣ号戦車の到着を待つだけなので、はっきりいって暇である。

 そんな暇な時間を潰すために梓たちがとった行動は、トランプゲームの大富豪で遊ぶことであった。

 

「梓の番だよ。ねえ、聞いてる?」

「……へっ? あ、ごめん、あゆみ。ぼーっとしてた」

「梓ちゃん、熱でもあるのぉ~。さっきから顔も赤いし」

「だ、大丈夫だよ。全然平気。それより、芽依子と桂利奈はどこへ行ったの?」

「なんか偵察に行くって言ってたよ。芽依子ちゃんは西住先輩のことが心配なんだろうね。はい、革命」

「え~、嘘ぉ~」

 

 あやが革命を起こしたことで悲鳴をあげる優季。それと同時に、なにかが着地した衝撃でM3リーが少し揺れる。びっくりした梓たちがそちらに目を向けると、そこには桂利奈をおんぶした芽依子の姿があった。

 

「Ⅳ号が戻ってきました。どうやら作戦の第一段階は成功したようです」

「それって、もうすぐ敵がこっちに来るってこと? あーあ、革命起こした意味ないじゃん」  

「トランプはもうおしまい。みんな早く戦車に乗りこんで」

 

 梓の指示で全員が戦車に乗りこむと、すぐさま副隊長の河嶋桃から通信が入る。

 

『Aチームが戻ってきたぞ! いいか、作戦どおりやれば勝てる。相手が距離を詰めてくる前に、撃って撃って撃ちまくるんだ!』 

「相手が近づいてきたらバンバン撃っていいらしいよぉ」

「指示がアバウトすぎない。どこを撃てばいいの?」

「適当に撃てばどっかに当たるんじゃないかな?」

 

 桃の大雑把な指示に困惑している様子のあやとあゆみ。そんな二人を落ち着かせるために、梓は努めて冷静な口調で声をかけた。

 

「とにかく、まずは相手に当てることに集中しよう。芽依子、紗季、装填はできるだけ早くお願いね」

「心得ました」

「……うん」

 

 装填手の二人が落ち着いているのは梓にとって救いだった。冷静を装ってはいるものの、梓の心臓はバクバクと音を立てている。戦いが始まったら、冷静でいられる自信はあまりなかった。  

 

『来たぞっ! 撃てー!』

 

 桃の号令で大洗の戦車隊はいっせいに砲撃を開始。梓たちのM3リーも主砲と副砲で砲撃を行った。ところが、実際に現れた戦車はⅣ号戦車のみで、聖グロリアーナの戦車は影も形もない。

 

『私たちは味方だってばー! ちゃんと確認してから撃ってよー!』

『敵車輌は足の遅い歩兵戦車が三輌だ。慌てる必要はない』

「西住先輩は敵が三輌だけって言ってる。相手はスピードが遅いみたい」

「遅い戦車が三輌なら本当に勝てるかもしれない。あゆみ、あや、次は落ち着いて狙おう」

 

 敵は三輌。この情報で少し心に余裕ができた梓であったが、すぐにそれが甘い考えだったと思い知らされることになる。

 

 Ⅳ号戦車を追いかけてきた聖グロリアーナは、大洗の高台からの攻撃を難なくかわし、左右に分かれて崖を前進。そのまま距離をじわりじわりと詰めると、大洗の戦車隊に撃ちかえしてきたのだ。

 梓たちの持ち場である右斜面側を進撃してきたのは、サンドブラウンの戦車が二輌。厚い装甲が特徴の聖グロリアーナの主力戦車、マチルダⅡだ。

 

 相手が撃ちかえしてきたことで、M3リーの梓たちは大混乱に陥った。こちらの砲撃はまったく当たらず、相手は砲撃しながら徐々に迫ってくる。その威圧感は、普段の生活からは考えられないほどの恐怖を梓たちに与えてきた。冷静になどなれるわけがない。

 

「もう無理ー!」

「怖いよー!」

「逃げよう!」

 

 あゆみ、優季、あやの三人が恐怖に耐えきれず、戦車から降りてしまう。

 梓はそれを止めることができなかった。それどころか、一緒に逃げ出したいと思ってしまうほど、恐怖に心を支配されている。それでも梓が逃げなかったのは、まだここで戦おうとしている仲間がいるからであった。

 

「梓、砲手の二人がいなくなってしまいました。芽依子と紗季、どちらが砲手をすればいいですか?」

「めいちゃん、相手がこっちに向かってきたよ!」

「……このままではこちらに勝ち目はありませんね。梓、こうなったら一か八かで敵に突撃しましょう。紗季も賛成してくれてます」

「待って待って! どうして三人ともそんな冷静でいられるの? 逃げたいって思わないの?」

 

 芽依子、桂利奈、紗季の三人が梓に振りかえる。芽依子と紗季の表情は普段と変わらなかったが、桂利奈は目に涙をためていた。

 

「まほ様を置いて逃げるわけにはいきません。芽依子はもう後悔したくありませんから」

「私も逃げないよ! 怖いけど、めいちゃんが一緒だもん!」

 

 芽依子と桂利奈がはっきりした口調で答え、紗季はなにも言わずに静かにうなずく。どうやら、残ったメンバーで弱気なことを考えているのは梓だけのようだ。

 あまりの情けなさに、梓は自分が恥ずかしくなった。三人は諦めずに戦っているのに、車長の自分はなにもできずにうろたえるばかり。これではリーダー失格である。

 

 そのとき、紗季が突然梓に近寄り、肩をトントンと軽く叩いた。

 

「紗季?」

「……砲撃、止まった」

「えっ? 止まったって相手は撃ってこないの?」

 

 紗季の言葉どおり、先ほどまで梓に恐怖を与えてきた着弾の衝撃はいつまでたってもやってこない。理由は不明だが、聖グロリアーナは急に砲撃を中止したのだ。

 

「優季たちが外に出たから、安全を配慮して砲撃を止めてくれたんですね。勝つことに固執しない聖グロリアーナらしい戦い方です。梓、今のうちに後退しましょう」 

「でも、勝手に下がっていいのかな?」

「ここにいても犬死にするだけです。この作戦はもう破綻してますから」

 

 ここであっさり負けたら、梓の初陣はハイビスカスという少女にドキドキしただけで終わってしまう。

 やれることを精一杯やろうとみんなに言ったのは梓だ。口先だけのリーダーにはなりたくなかった。 

 

「桂利奈、全速後退!」

「あいっ!」

 

 桂利奈は元気よく返事をするとM3リーを後退させる。それを確認した梓は、次に芽依子と紗季に指示を出す。

 

「芽依子は主砲の砲手、紗季は主砲の装填手をお願い。マチルダⅡは装甲が厚いから、火力の高い主砲のほうを生かそう」

「わかりました」

 

 芽依子は声で、紗季は仕草で了承の意を返してくれる。これでなんとか戦える体制は整った。

 梓は優季が置いていったヘッドホンを拾いあげる。ここからの梓は車長兼通信手だ。

 

「武部隊長、聞こえますか! Dチームはいったん後退します!」

 

 隊長の武部沙織に大きな声で後退を告げる梓。その姿は一年生グループのリーダーに相応しい、実に堂々としたものであった。


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