私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第二十七話 聖グロリアーナ女学院と大洗女子学園

『ラベンダー、大洗の戦車隊が市街地へと逃走したわ。そちらに向かっているのは、履帯が外れた38t以外の四輌よ。見つけ次第、攻撃を開始しなさい』

「わかりました。クルセイダー隊は市街地の偵察任務を終了し、戦闘態勢に移行します」

 

 この練習試合でクルセイダー隊に与えられた最初の任務は、大洗の市街地の偵察であった。

 相手は全部で五輌の少数部隊。市街地にこもって遊撃戦をしかけてくることも大いに考えられる。ダージリンはそれを見越して、クルセイダー隊を市街地へと偵察に向かわせたのだ。

 

 しかし、大洗が選んだのは市街地での遊撃戦ではなく、山岳地帯での待ちぶせ作戦だった。

 クルセイダー隊の偵察任務は空振りに終わったが、相手の先回りをできたという点は有意義だ。もっとも先回りをしたところで、聖グロリアーナの戦術は変わらない。卑怯な手は使わず、正々堂々真っ向勝負で相手に挑む。それが聖グロリアーナの戦車道である。

 

 それを示すように、ダージリンは履帯が外れた38(t)を撃破したとは言わなかった。動けない戦車を撃破するような卑怯な真似を聖グロリアーナは良しとしないからだ。

 

『任せましたわよ。くれぐれもお姉さんのことに夢中にならないようにね』

「もちろんです。私はクルセイダー隊の隊長ですから、今は試合のことだけに集中します。お姉ちゃんのことは試合が終わってから考えますね」

『忠告は無用だったようですわね。頼りにしてますわよ、ラベンダー』

 

 ダージリンとの無線のやり取りを終えたみほは、大洗の市街地の地図を確認した。

 山岳地帯から市街地へと入る道は多い。みほはその中から大洗マリンタワー前の道路に狙いを絞った。ダージリンの本隊の追撃をかわすならここが一番適している。この道路は市街地へ逃げるルートがもっとも豊富なのだ。

 

「偵察は終了です。クルセイダー隊は大洗の戦車隊を迎え撃ちます」

「いよいよここからが本番ですわ。カモミールさん、ベルガモットさん、相手は戦車道を復活させたばかりの学校でございますが、甘く見てはダメですわよ」

「了解です! 全力全開で戦います!」

「承知しましたの。油断しないように気をつけますわ」

 

 隊長車の士気は上々だ。ルクリリと離れ離れになったときは寂しさも感じたが、かわいい二人の後輩はそれをすぐに忘れさせてくれた。どうやらみほは良い乗員に恵まれる運を持っているようだ。

 

「全車、大洗マリンタワー前まで移動開始。ハイビスカスさん、私のあとに続いてください」

『ほーい。みんな、準備はいい? それじゃ、いっくよー!』 

 

 みほの隊長車の後ろをハイビスカスのクルセイダーMK.Ⅲが追走する。返事の仕方には多少問題があるものの、ハイビスカスはみほの指示にきちんと従ってくれた。言動で誤解を受けやすいが、ハイビスカスはとても素直な少女なのである。

 

 ダージリンからこの試合に出場させる一年生を選ぶように指示を受けたとき、みほは悩むことなくハイビスカスを選んだ。

 ハイビスカスは何事にも物怖じせず性格も快活。それに加えて、容姿の良さも同年代と比べて頭一つ抜けている。みほが個人的に気に入っているだけでなく、ハイビスカスには人を惹きつける魅力があるのだ。きっと将来はクルセイダー隊を引っぱる存在になって、聖グロリアーナの戦車道を盛りあげてくれるだろう。

 

 そのハイビスカスに手本を示すために、みほはまほのことを頭からいったん消した。部隊長が試合中に雑念にとらわれるような姿を見せるわけにはいかない。

 まほの件は試合が終わってからだ。今は全神経を聖グロリアーナの戦車道に傾け、部隊長としての責務を果たすとき。クルセイダーのハッチから身を乗り出すみほの瞳に迷いはなかった。

 

 

 

 クルセイダー隊が大洗マリンタワー前の道路に到着すると、みほの予想どおり大洗の戦車隊がこちらへ向かってきた。

 逃げるので必死なのか、大洗の戦車隊の隊列はバラバラ。これならクルセイダー隊のコンビネーション攻撃で一輌は間違いなく撃破できる。

 

 問題はどの車輌を狙うかだが、みほはすぐにターゲットを決定した。前から三番目を走行しているⅢ号突撃砲だ。

 大洗が市街地での遊撃戦を目論んでいるなら、車高が低いことで待ちぶせに適しているⅢ号突撃砲は脅威になる。

 

「目標はⅢ号突撃砲です。市街地に隠れられる前にサンドイッチ作戦で撃破します」

 

 サンドイッチ作戦とは、二輌のクルセイダーで相手を挟みこみ、側面を同時に攻撃するクルセイダー隊伝統の必殺戦術。前クルセイダー隊隊長、ダンデライオンからみほに受け継がれた戦術で作戦名はみほがつけた。わかりやすい名前をつけたほうが意思疎通が図りやすいと考えたからだ。

 

 二輌のクルセイダーMK.Ⅲは、お互いの場所を入れ替えるように交差しながら前進する。相手に狙いを絞らせないこのジグザグ走行は、お互いの位置をしっかり把握するのが肝心。足が速いクルセイダーで成功させるのは難しいが、訓練の成果のおかげで問題なく走行できている。ダージリンの個々の技量をあげる訓練方針のおかげで、少数精鋭であるクルセイダー隊の練度は飛躍的に向上していた。

 

 大洗の戦車隊は突撃するクルセイダー隊に向かって砲撃をしてくるが、二輌のクルセイダーはそれを華麗に回避。スピードを維持したままⅢ号突撃砲に肉薄すると、すれ違いざまに両サイドから側面を砲撃した。装甲の薄い側面を両側から撃たれたことで、Ⅲ号突撃砲はまたたく間に白旗を上げる。

 

 Ⅲ号突撃砲を撃破したクルセイダー隊はUターンで追撃に移ろうとしたが、大洗の戦車隊はすでに市街地へと逃げてしまった。市街地での戦いは、少しの油断が大きな痛手につながる。ここからは慎重かつ冷静な試合運びが求められるだろう。

 

「ダージリン様、大洗のⅢ号突撃砲を撃破しました。残りの三輌は市街地へと逃走。これよりクルセイダー隊は追撃に移ります」

 

 市街地へと場所を移し、聖グロリアーナと大洗の戦いは新たな局面へと突入した。

 

 

◇◇

 

 

 M3リーの梓たちは市街地のとある場所で身を潜めていた。

 市街地での遊撃戦は、隊長の武部沙織が最初に提案していた作戦だ。河嶋桃の作戦を採用したことでお蔵入りになったが、市街地へと敗走したことで沙織はこの作戦を実行に移したのである。

 

 遊撃戦の要になるのは待ちぶせが得意なⅢ号突撃砲。しかし、そのⅢ号突撃砲は市街地に入る前にクルセイダーに撃破されてしまった。聖グロリアーナのクルセイダー隊は、大洗が遊撃戦に移ることを読んでいたのだ。

 

 M3リーが今いるところは、本来はⅢ号突撃砲が隠れる場所だった。車高が高いM3リーで代役が務まるかはまったくの未知数。それでもこの場を任された以上、やるしかない。

 

 梓が自分を落ち着かせるために息を整えていると、偵察に出た芽依子が戻ってきた。

 

「マチルダが一輌こちらに向かってきます。隠れ蓑の準備も万全ですので、確実に仕留めましょう」

「相手がマチルダでよかったね。スピードが遅いから、クルセイダーよりも命中させやすいよ」

「でも、マチルダは装甲が厚いから百メートル以内じゃないと通用しないって河嶋先輩は言ってた。撃破するには、できるだけ至近距離で撃たないと……」

 

 はたして相手はこの偽装でだまされてくれるだろうか、失敗して反撃されないだろうか。そんな様々な不安が梓の心を疲弊させていく。

 そのとき、震える梓の手に三人の仲間の手が重ねられた。

 仲間たちの温かい手は梓の心を安心させてくれる。言葉はなくとも、梓が冷静になるにはそれだけで十分であった。そんな仲間たちの思いに、梓は応えなければならない。このM3リーのリーダーは梓なのだから。

 

 梓はこの試合で初めてキューポラから身を乗りだした。

 怖くないといえば嘘になる。しかし、砲撃のタイミングが命のこの作戦は車長の指示がもっとも重要。作戦の成功率を上げるために、車長は外の状況を確認して的確に命令を下すことが求められる。

 

 薄暗い視界の中で息を殺しながら、梓はその瞬間が来るのを待った。  

 

 

 

 

 マチルダ隊の一員であるニルギリは、車長のポジションでこの試合に参加している。

 一年生のニルギリが試合のメンバーに選ばれたのは、ルクリリの推薦があったからだ。ダージリンが一年生の起用を明言したとき、マチルダ隊の隊長であるルクリリが大勢の一年生の中から真っ先に選んだのがニルギリであった。

 

「このままゆっくり前進してください」

 

 マチルダⅡのキューポラから上半身を出したニルギリは、ティーカップ片手に周囲を索敵中。

 大きな眼鏡が示すとおり、ニルギリは視力が低い。なので、索敵の際には必ずキューポラから顔を出して外を確認していた。

 

 いつ砲弾が飛んでくるかわからない戦車道の試合で、戦車の外に体を出すのはとても勇気がいることだ。気弱なニルギリがそれを実行するためには、普通の人よりも多くの勇気が必要になる。そんな彼女に勇気をもたらしてくれるのが、尊敬するルクリリの役に立ちたいという純粋な思い。この試合のメンバーに選んでくれたルクリリのためにも、ニルギリは結果を出さなければいけないのだ。

 

 ニルギリのマチルダⅡは敵戦車と接することなく、商店街を進んでいく。路地は多いものの、大洗の戦車が隠れている気配は感じられない。目の前の薬局を過ぎたところには路地がなく、薬局と民家の間は緑の生け垣が壁を作っている。

 

 ニルギリはその生け垣のことを気にもとめなかった。結果的にこの判断ミスが彼女の命取りとなる。

 

「芽依子、撃って!」

「えっ?」

 

 驚いたニルギリが声のしたほうに顔を向けると、生け垣だと思っていたものから砲身が顔をのぞかせていた。よく見るとそれは生け垣ではなく、木の枝や葉っぱを大量につけた大きな布。大洗の戦車はこの布をすっぽりと被り、ここで獲物が来るのを待っていたのだ。

 

 ニルギリが砲塔に隠れるのとマチルダⅡが砲撃を受けるのはほぼ同時だった。砲塔部の側面を撃たれたことでマチルダⅡは大きく揺れ、ニルギリが手に持ったティーカップからは紅茶がいきおよくこぼれる。

 厚い装甲が自慢のマチルダⅡとはいえ、近距離で砲塔部の側面を撃たれてはひとたまりもない。ニルギリがそーっとキューポラから顔をのぞかせると、マチルダⅡの砲塔からは白旗がはためいていた。ニルギリのマチルダⅡは、大洗に初めて撃破された戦車になってしまったのである。

 

「申し訳ありません、ルクリリ様。私はお役に立てませんでした……」

 

 眼鏡を外して涙をぬぐうニルギリ。

 油断しないようにといつもルクリリに念を押されていたのに、ニルギリはその教えを守ることができなかった。不甲斐なさと情けなさでつい涙を流してしまったが、こんなことではルクリリのような立派な淑女にはなれない。

 ニルギリにはダージリンに状況を報告するという最後の仕事が残っている。めそめそ泣くのはせめてその仕事を終えてからだ。四人で抱きあって喜んでいる大洗の少女たちを横目で見ながら、ニルギリは無線機へと手を伸ばした。

 

 

 

 一方そのころ、ニルギリに油断しないようにと指導していたルクリリは、見事に油断してマチルダⅡを盛大に炎上させていた。立体駐車場を利用した大洗の八九式中戦車の策に、まんまとハマってしまったのだ。

 

「くそっ! だまされたっ!」

 

 どうやら、ニルギリは油断したことをあまり気に病む必要はないようだ。

 

 

◇◇

 

 

『Bチーム、マチルダ一輌撃破!』

『こちらDチーム、マチルダ一輌を撃破しました。これから次のポイントへ移動します』

 

 仲間たちから次々と吉報が送られてくるが、隊長の武部沙織はそれに返答をすることができなかった。

 沙織の搭乗するⅣ号は、現在二輌のクルセイダーから追撃を受けている真っ最中。操縦手の冷泉麻子に逃げ道を指示するだけで、沙織はてんてこ舞いの状態だ。その証拠に、キューポラから上半身を出している沙織の顔は汗まみれであった。

 

「沙織、次の交差点を左に曲がれば例の場所に出る。みほに通用するかはわからないが、やるだけやってみよう」

「わかった。麻子、次の交差点を左に曲がって! スピードはなるべく維持してほしいんだけど、できる?」

「やってみる。ローズヒップさんには負けたくないからな」

 

 スピードを落とすことなく、交差点を左折するⅣ号。それに対し、クルセイダーもスピードを落とさずに左折してくる。相手がスピードを落とさないことがこの作戦の重要な要素なので、沙織にとっては好都合であった。

 

「速度を落とさないでこの先のカーブを曲がるよ。かなり揺れると思うから、みんなしっかりつかまってて!」

 

 この先には下り坂の急カーブがあり、進行方向には割烹旅館が建っている。かなりスピードが出ているが、麻子の運転技術があればうまく曲がりきれると沙織は踏んでいた。

 大洗の地理に疎い聖グロリアーナは、突然の急カーブに対応が遅れるはず。曲がり切れなければ旅館と正面衝突だ。沙織がスピードを落とさないように指示したのは、ここに急カーブがあることを悟らせないためだったのである。

 

 この旅館に相手を突っこませる作戦は、沙織がまほと一緒に事前に考えた策の一つ。標的は連携を組んで行動するクルセイダー一択である。装甲の薄いクルセイダーをここに玉突き衝突させれば、うまくいけば行動不能にできるかもしれないからだ。

 旅館が壊れてしまうのは申し訳ないが、戦車道の試合で壊れた建物は戦車道連盟が補償してくれる。タダで新築できるのだから旅館の主人も許してくれるだろう。

 

 沙織の予想したとおり、Ⅳ号は急カーブをなんとか曲がりきった。訓練に励んでいたことで麻子の運転技術は格段に向上しており、無茶な動きもある程度こなすことができる。麻子のおかげで沙織は大胆な作戦を実行に移すことができるのだ。

 

 Ⅳ号が曲がりきれたことで沙織の意識は後続のクルセイダーに移った。

 すぐさま後ろを確認し作戦の成否を確認する沙織。そこで沙織は驚きの光景を目の当たりにすることになる。

 

「すごい……」 

 

 ラベンダーが搭乗しているクルセイダーは、見事なドリフトで急カーブを曲がりきった。しかし、それは沙織の予測の範囲内。ラベンダーの実力を知っている沙織にとっては別に驚くことではない。

 沙織を驚かせたのは、ラベンダーの手に握られたティーカップから一滴も紅茶がこぼれなかったことだ。あのドリフトで紅茶を一滴もこばさないバランス感覚はまさに超人レベル。沙織の憧れの戦車乗りであるラベンダーは本当に底が知れない。

 

 沙織はそんなラベンダーとようやく同じ舞台に立つことができた。がんばってきた努力が実を結んだことで、大粒の汗を流している沙織の表情には笑みが浮かんでいる。

 最初はモテモテになりたいというだけで始めた戦車道。その意味合いが沙織の中で変化したのは、間違いなくラベンダーの影響であった。

     

 作戦は失敗したかに思われたが、もう一輌のクルセイダーは曲がりきれずに猛スピードで旅館に激突。走行不能になったかは判別できないものの、追っ手を一輌減らすことには成功した。

 

「やった! 一輌は引っかかったよ!」

「でも、まだラベンダー殿が残っていますよ。武部殿、これからどうするんですか?」

「いっそのことラベンダーさんとタイマン張ります?」

「みほと一対一で戦うのか……」

「ラベンダーさんは私たちの実力で勝てるような相手じゃない。今は逃げ回ってチャンスを待とう。ほかのチームもまだ残ってるんだし、慌てる必要はないよ」

 

 大洗で撃破されたのはⅢ号突撃砲のCチームのみ。履帯が外れた38(t)のEチームの安否は不明だが、残りの三輌は健在である。地の利を活かしてじっくりと戦えば勝機を見いだせる、沙織はそう考えていた。

 それが甘い考えだったことをすぐに沙織は思い知らされることになる。Bチームが撃破したと思っていたマチルダⅡはまだ死んでいなかったのだ。

 

 

 

「バカめっ! マチルダの装甲を甘くみるなよ。ファイヤー!」

 

 マチルダⅡの反撃を受けた八九式中戦車はあっけなく白旗を上げる。Bチームが撃破されたことで、大洗は車輌数に差をつけられてしまった。

 さらに運が悪いことに、次の待ちぶせポイントに向かっていたM3リーのDチームも敵に補足されてしまう。相手は旅館に激突したことで隊長車と別行動をとっていた、傷だらけのクルセイダーだ。

 

「敵戦車発見! あたしってば超ラッキー。この戦車を倒して、さっきの失敗を帳消しにするじゃん」

 

 一転して大ピンチに陥ってしまう大洗女子学園。決着のときはすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 ハイビスカスが脱落してもⅣ号戦車を追いかけ続けたみほ。少し時間がかかってしまったが、ようやくその追いかけっこに終止符を打つときがきた。

 

 Ⅳ号戦車の進行方向は道路工事で通行止めになっている。どうやら地理は把握していても、道路工事のスケジュールまでは調べていなかったらしい。みほのクルセイダーの後方には、ダージリンのチャーチルとルクリリのマチルダの姿もあり、このままいけば三対一となる。ハイビスカスからM3中戦車を追撃していると無線で連絡があったので、味方が助けにくることもないだろう。

 

 ダージリンのチャーチルを中心にして、みほのクルセイダーが右、ルクリリのマチルダが左を固め、Ⅳ号戦車の包囲は完了。前後をふさがれたⅣ号戦車にもう逃げ場はなくなった。

 Ⅳ号戦車が詰み状態になったことで、チャーチルの車長キューポラからダージリンが身を乗りだす。どうやら、ダージリンは沙織になにか言いたいことがあるようだ。 

 

「沙織さん、どうやらチェックメイトのようね。ところでこんな格言があることをご存知? 『あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ』。よろしかったら、あとでまほさんに伝えてくださらないかしら」

「ちなみに今のはアメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンの言葉です」

 

 装填手ハッチから顔を出し、ダージリンの格言の補足をするオレンジペコ。怪力だけでなく、頭の回転の速さもオレンジペコはずば抜けており、ダージリンがどんな格言を引用してもすらすら答えてしまう。この頭の良さもオレンジペコがダージリンに気に入られている要因の一つであった。

 

 ダージリンの格言を聞いた沙織はポカンとしている。ダージリンのこの変な癖を知らないのだから、沙織が驚くのも当然だろう。みほも初めてダージリンの格言を聞いたときは、どう反応したらいいのか戸惑ったものだ。

 

 一年間ダージリンの格言とことわざを聞きつづけたことで、今のみほにはダージリンの言いたいことがなんとなくわかった。

 ダージリンは大洗で戦車道を始めたまほに発破をかけているのだろう。もしかしたら、今まで競いあってきた相手であるまほが隊長も車長もしていないことを歯がゆく思っているのかもしれない。

 

 みほがそんなことを考えていると、事態は急展開を迎えた。路地から突然一輌の戦車が現れ、Ⅳ号戦車を守るように立ちはだかったのである。

 その戦車の名は38(t)。山岳地帯で履帯が外れたと聞いていたが、どうやら履帯を直して追いかけてきたようだ。

 38(t)の砲塔はみほのクルセイダーに向けられていた。火力が低い38(t)でも装甲が薄いクルセイダーなら倒せると計算したのだろうが、黙って砲撃の的になるみほではない。

 

「38tの狙いは私たちです。戦車前進!」

 

 みほは38(t)の砲撃を回避する自信があった。みほの判断もローズヒップの反応の速さも完璧だ。

 だからこそ、みほはそのあとに起こった出来事が信じられなかった。38(t)はクルセイダーの背面に装着されている予備燃料タンクを正確に撃ち抜いたのである。

 

 ガソリンが入っている予備燃料タンクを撃たれたことで、クルセイダーは爆発を起こした。爆発といっても、戦車道に使用される戦車は特殊なカーボンが使用されているので車内は安全。みほもすぐに車内に引っこんだのでもちろん無事だ。だが、その一瞬の隙を沙織は見逃してはくれなかった。

 

 Ⅳ号戦車は前進すると、38(t)がやってきた路地を左折する前にクルセイダーに向かって砲撃。至近距離から直撃を受けたクルセイダーからは白旗が上がり、みほは撃破されてしまった。爆発に気を取られたことで、全員の判断が遅れてしまったことが敗因だ。

 

 ダージリンはすぐさま38(t)を撃破し、ルクリリを連れてⅣ号戦車の追撃に移る。部隊長のみほが撃破されても、動揺する素振りすら見せないのはさすがであった。

 

「ラベンダー様、ごめなさいですの。砲撃するのが一歩遅かったですわ」

「謝る必要はないよ、ベルガモットさん。予備燃料タンクを狙ってくるなんて私も予想してなかったし、今回は相手が一枚上手だったんだよ。練習試合でいい経験ができたと前向きに考えよう」

「ラベンダーの言うとおりですわ。かの発明王エジソンもこんな言葉を残してますわよ。『失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ』」

「カッコいいですー! 今のローズヒップ様、まるでダージリン様みたいでした!」 

「おほほほほ、二年生になったことでわたくしのお嬢様度も格段にアップしているみたいですわ。この分だと、目標であるダージリン様に到達する日は案外近いかもしれませんわね」

 

 撃破されたにもかかわらず、車内の空気は明るかった。聖グロリアーナの戦車道は勝ち負けにこだわらない。そのことを一年生にはっきり伝えるのも二年生の役目だ。

 

「それじゃ、消火作業を終えてからお茶にしようか。試合が終わるまでもう少し時間がかかると思うから」

「はい! 消火活動にも全力を尽くします!」

「紅茶の準備は私に任せてくださいませ」

「それではさっそく行動開始ですわ! カモミールさん、行きますわよ!」

「おーっ!」

 

 消火器片手にクルセイダーを飛び出すローズヒップとカモミール。楽しそうに消火活動に勤しむ二人は、まるでとても仲のいい姉妹のようだ。大家族の末っ子であるローズヒップは、カモミールを妹のように思っているのだろう。

 

 姉妹という言葉が頭に浮かんだことで、みほは試合中に考えないようにしていたまほのことを思いだした。

 このあとみほはまほと再会する。まほが引きこもっていたときに会話を重ねてはいたが、面と向かって話すのは久しぶりだ。

 まほが大洗で戦車道を始めたことを話題にするつもりはない。しほがすべて任せろと言ってくれたのだから、この件でみほが出しゃばる必要はないからだ。みほは普通に姉妹の会話をすればいい、まほだってそれを望んでいるはずである。

 

「ラベンダー様、どうかしたんですの? 考えごとをしていらっしゃるみたいですけど……」

「ううん、なんでもないよ。さあ、二人が戻ってくる前に紅茶の準備を終わらしちゃおう」

「はいですの」

 

 

◇◇

 

 

 梓たちのM3リーは海岸の砂浜でクルセイダーと対峙していた。

 すでに隊長車のⅣ号は撃破され、残りはこのM3リーのみ。ここまでなんとか逃げてきたものの、もう勝ち目はゼロに等しい。梓はせめてこのクルセイダーだけでも倒そうと、一騎打ちをするために広い砂浜までやってきたのだ。

 

 梓の意図を相手も理解したのか、クルセイダーも砂浜で停止している。

 合図があればいつでも決闘が始まるこの状況で、梓はキューポラから顔を出した。それと同時にクルセイダーのハッチが開き、中から梓の心を大きく揺さぶったハイビスカスという名の少女が姿を現す。

 

 何度見ても目を奪われてしまうぐらい、ハイビスカスは美しいお嬢様だ。容姿も平凡で普通の女子高生である梓とは、はっきりいって住む世界が違う。

 そんなハイビスカスを前にしても、梓が卑屈になることはなかった。戦車を動かすのに容姿や家柄は関係ない。今この瞬間だけは、梓とハイビスカスは対等な存在であった。

 

「行くよ! みんな、力を貸して!」

「戦闘開始じゃん! 突撃いたしましょう!」

 

 

 それから数分後。聖グロリアーナ女学院の勝利というアナウンスが大洗の町に響きわたり、大洗女子学園の初めての練習試合は幕を閉じた。 


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