私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第二十八話 姉と妹

 みほたちは試合終了のアナウンスをクルセイダーの車内で聞いていた。小さなお茶会はここでお開きとなり、あとは回収車の到着を待つだけである。

 その前にみほには一つだけやりたいことがあった。みほのクルセイダーの動きを読み、予備燃料タンクを正確に砲撃した38(t)の乗員に会ってみたかったのだ。

 38(t)の三人の乗員は戦車からすでに降りている。話しかけるチャンスは今をおいてほかにない。

 

「大洗の人たちにあいさつしてくるね。ベルガモットさん、紅茶を三つ用意してもらえるかな?」

「お任せくださいませ。最高の紅茶をご用意いたしますわ」

「ベルガモットさんがいれた紅茶は本当においしいですからね。きっと喜んでもらえますよ」

 

 カモミールの言うとおり、ベルガモットがいれた紅茶はおいしいと評判だ。上質な紅茶は会話を弾ませる役に立つだろう。

 

「ラベンダー、わたくしもご一緒してよろしいでございますか? 凄腕のお砲手のかたにお会いしたいんですの」

「うん。一緒に行こう」

 

 ベルガモットにいれてもらった紅茶をトレイに乗せ、みほとローズヒップは38(t)へと歩いていく。乗員の三人はなにやら話しこんでいたが、みほは思い切って声をかけた。

 

「お疲れ様でした。紅茶をいれてきましたので、よろしかったらどうぞ」

「お、悪いね。小山、河嶋、せっかくだからごちそうになろう」

 

 ツインテールの小柄な少女がみほから紅茶を受け取ったことで、ほかの二人もティーカップを手に取る。

 試合が終わったばかりだが、紅茶のおかげで場の空気は悪くない。これなら話題を振っても問題ないだろう。そう判断したみほは、さっそく話を切りだすことにした。

 

「ところで、38tの車長のかたはどなたなんですか?」

「それはもちろん、ここにいる会長だ」

「たしかに車長は私だけど、お飾りみたいなもんだよ。今日の試合で一番がんばったのは副隊長の河嶋だからね。私は通信手をしてただけで、ほとんどなにもしてないよ」

「ということは、クルセイダーの予備燃料タンクを砲撃する策を考えたのは河嶋さんなんですね」

 

 大洗の副隊長はかなりの切れ者のようだ。片眼鏡の知的な風貌は伊達ではないらしい。

 

「桃ちゃん、あれって狙ってたの?」

「いや、あれは偶然……」

「そうなんだよー! 予備燃料タンクを狙うことを考えたのも、実際に砲撃したのも全部河嶋がやったんだ。なんたって大洗の副隊長だからね」

 

 相手の動きを予測して予備燃料タンクを狙い撃つのは簡単にできることではない。それをあっさりとやってのけた大洗の副隊長は、砲手としての能力も高いのだろう。  

 

「すげーですの! 策を練るだけじゃなく実際にクルセイダーに当ててみせるなんて、河嶋様は傑物ですわね」

「私もあれには驚かされました。良い腕をお持ちなんですね」

「ま、まあ、副隊長だからな。これぐらいはできないとみんなに示しがつかない」

「よっ! さすがは副隊長! 次の試合もよろしく頼むよ」

 

 そんな風に和気あいあいと話していると、回収車が近づいてきた。

 大洗女子学園はこのあと大納涼祭りに参加する予定が入っているので、試合後のお茶会は行われない。名残惜しいが、もうお別れの時間だ。

 

「それでは、私たちはこれで失礼します。今日の試合は良い勉強になりました」 

「河嶋様、次こそは絶対に回避してみせますわ。では、ごめんあそばせでございます」

 

 38(t)の乗員と別れのあいさつを済ませ、みほはローズヒップとともにクルセイダーへと戻っていく。

 良い勉強になったと言ったことはみほの本音である。大洗女子学園は戦車道を復活させたばかりの学校だが、油断はできない相手だということが今日の試合でよくわかったからだ。

 

 相手に地の利があったとはいえ、みほは二対一で沙織を撃破することができなかった。それどころか、河嶋副隊長の機転で逆に自分が沙織に撃破されてしまう有様。ハイビスカスのおかげで全滅はまぬがれたが、クルセイダー隊は大洗にしてやられてしまった。

 マチルダ隊もニルギリが撃破され、ルクリリも不意をつかれている。今日の試合は聖グロリアーナの勝利に終わったが、この次も同じ結果になるとは限らないだろう。

 

 大洗が厄介な相手だろうと、今年の全国大会だけはどこにも負けるわけにはいかない。今年はみほがお世話になった三年生の最後の大会なのだ。

 ダージリンとダンデライオン、そしてみほたちの面倒をずっと見てくれたアッサムに優勝をプレゼントしたい。その強い思いが、みほのやる気をみなぎらせる原動力だった。

 

 

◇◇

 

 

「会長、どうしてラベンダーさんに嘘をついたんですか?」

「河嶋は実際に命中させたんだから別に嘘ってわけじゃないっしょ。これであの子が河嶋を必要以上に警戒してくれたら、次に戦うときに有利に働くかもしれないしね」

「会長の言うとおりだぞ。我々は絶対に優勝しなくちゃいけないんだ。きれいごとばかり言ってる場合じゃない」

 

 杏と桃の言葉に眉をひそめる柚子。その表情からは彼女が不満を抱いていることがうかがえる。 

 

「……ラベンダーさんは私たちがお姉さんを脅したことを知ったら怒るでしょうね」

「それについては心配しなくていいよ。あの子に怒られるのは私の役目だ。すべてが終わったら私が責任を取る」

 

 きっぱりとそう言いきる杏の言葉は、いつものようなのらりくらりとした物言いとはまるで違う。ここまではっきりと思いを口にするのは、彼女にしては珍しいことだった。

 

「さーて、これで西住ちゃんが少しでもやる気を出してくれれば万々歳なんだけどね。まあ、いざとなったら武部ちゃんに賭けてみるのもありかな。正直、あの子を少し見くびってたよ。私の人を見る目も当てにならないねー」

 

 

 

 

 聖グロリアーナの戦車道にとって、試合後のあいさつは欠かせない重要な要素。しかし、この日は大洗との試合後のあいさつは行われなかった。双方の生徒が全員そろわなかったことで、あいさつする機会を逃してしまったのだ。

 

 聖グロリアーナ側でいなくなったのはハイビスカスただ一人であった。

 部下の不始末は部隊長の責任。みほはクルセイダー隊の隊長としての責務を果たすため、彼女の戦車の乗員に事情を聞くことにした。 

 

「それじゃ、ハイビスカスさんは大洗の逃げてしまった乗員を一緒に探してるんですね」

「はい。困ったときはお互い様と言ってましたわ。止めることができなくて申し訳ありません」

「そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。話してくれてありがとう。ダージリン様には私が連絡しておくから、なにも心配しなくていいよ」

「ありがとうございます、ラベンダー様」

 

 ハイビスカスのクルセイダーの操縦手をしている少女から事情を聞いたあと、みほはダージリンにこのことを報告した。もちろんハイビスカスが善意で行動したのを強調するのも忘れない。部下をフォローするのも部隊長の大切な仕事だ。

 

「仕方ありませんわね。ラベンダー、あとであなたからよく言って聞かせておきなさい」

「わかりました。一言ビシッと言っておきます」

「それならここでお手本を見せてもらえないかしら? ラベンダーがどんな叱責をするのか興味がありますわ」

「ふぇ!? えーと……ハイビスカスさん、あんまり度が過ぎると私も怒っちゃいますよ!」

 

 ハイビスカスを怒る気などさらさらなかったみほは、適当な言葉でお茶を濁す。腕を組んで頬を膨らませているので、怒っている雰囲気はよく出ているはずだ。

 

「ふふっ、冗談ですわ。厳しくしろとは言わないけれど、あまり後輩を甘やかしてはダメよ。私はアッサムとペコを連れて武部隊長と審判団にあいさつをしてきますわ。観客のみなさまへのあいさつはあなたとルクリリに任せましたわよ」

 

 ダージリンはそう言ってみほの前から立ちさった。

 どうやら、みほの思惑はダージリンにはお見通しだったようである。

 

 

 

 みほとルクリリは残った隊員と一緒にアウトレット施設に用意された見学席へと向かった。

 見学に訪れていた大洗町の人たちは、みほたちに温かい拍手を送ってくれる。それに応えるように、みほたちも聖グロリアーナの生徒の名に恥じない態度であいさつを行った。

 これで今日の試合の日程はすべて終了。今日は日曜日なので、着替えが終わればあとは自由だ。 

 

「ラベンダー、これからお姉様に会いに行くのでございますか?」

 

 一番早く着替え終わったローズヒップがみほに声をかける。せっかちなローズヒップは着替えるスピードも高速であった。

 

「お姉ちゃんも大納涼祭りに参加してるだろうし、会うのはお祭りが終わってからになるかな」

「それなら、大納涼祭りが終わるまでどこかで時間を潰さないとな。いっそのこと祭りの見学でもするか?」

「今日は大洗の伝統的な踊りが披露されるらしいので、それを見に行くのもありかもしれませんわね」

「そうしようかな。もしかしたら、お姉ちゃんもその踊りに参加してるかもしれないし」

 

 制服に着替えたみほは、ローズヒップとルクリリと一緒に祭りを見学することにした。

 ちなみに踊りの名はあんこう踊りというらしい。大洗町はあんこうが名物なので、それに関連した踊りなのだろう。 

 

 まさかこのあと実の姉の恥ずかしい姿を目撃することになろうとは、このときのみほは露ほども思っていなかった。

 

 

 

 アウトレット施設の中庭にあるおしゃれなカフェテラス。そこに大納涼祭りの見学を終えたみほたちの姿があった。

 みほは真っ赤な顔で放心している。ピンク色の全身タイツで踊るまほの姿はみほには刺激が強すぎたようだ。

 しかも、みほはまほと目が合ってしまった。熟したトマトのような顔で涙目になってしまったまほの姿は、たぶん一生忘れられないだろう。

 

「すごい踊りを見てしまいましたわね。大洗マジパネェですわ」

「私もあれには度肝を抜かれた。あれに比べたら、去年のウェイトレス姿なんて恥ずかしくもなんともないな」

「お姉ちゃんのあんな姿を見ることになるなんて……」

「あれ? みなさん、まだ大洗に残っていたんですね。学園艦の出航にはまだ時間がありますけど、あんまり遅くなっちゃダメですよ」

 

 三人があんこう踊りについて語っていると、突然甲高い声で話しかけられた。

 

「タンポポ様? どうしてここに?」

「それはもちろん、クルセイダー隊の雄姿を見るためです。実に見事な戦いぶりでしたよ。あたしが教えた作戦も完璧に決めてくれましたしね。ラベンダーちゃんを隊長に推薦したあたしも鼻が高いです」

 

 みほの問いかけに笑顔で答えるダンデライオン。みほは撃破されてしまったが、彼女の中では今日の試合は満足のいくものだったようだ。

 

「おー、学校ではちゃんと先輩やってるんだね。お父さんとユミ姉に甘えてばかりの家とは大違いだ」

「お姉ぇーっ! なんてことを言うんですか!」

「あ、もとに戻った。これぐらいで動揺しちゃダメだよー、うりうり」

「や、やめてくださいよぉ~! あたしの髪型崩れやすいんですからー!」

 

 ダンデライオンは赤い髪のショートカットの女性に髪をくしゃくしゃにされてしまう。

 ジーンズにパーカー姿のこの女性は、ダンデライオンとは違い背が高く胸も大きい。顔立ちもまったく似ておらず、姉妹という感じはあまりしなかった。

 

「タンポポ様、こちらのかたはどなたでございますか?」

「この人はあたしのすぐ上のお姉さんです。大学生なんですけど、今日はたまたま大洗に来てたんですよ。なので、せっかくの機会だから一緒に試合を見ることにしたんです」

 

 乱れた前髪を手ぐしで直しながらダンデライオンはローズヒップの質問に答えた。

 

「私も大学で戦車道をやってるからね。それに、母校の戦車道にはやっぱり興味があるし」

 

 どうやらダンデライオンのお姉さんは聖グロリアーナのOGらしい。OG会の話はよく聞くが、みほが実際にOGに会うのはこれが初めてであった。

 

「えーと、たしか新しい部隊長は君たち二人だよね? 西住流のことはOG会でも噂になってるよ。聖グロリアーナの戦車道は大丈夫なのかって」

「私たちは西住流を聖グロリアーナに持ちこむ気はありません。聖グロリアーナの戦車道はきちんと守ってみせます」

「私も同意見ですわ。心配なさらなくとも身の程はわきまえております」

 

 みほとルクリリは間髪を入れずにそう答えた。聖グロリアーナの戦車道を尊重することはみほたちの共通認識である。

 

「二人とも大人だねー。うちのちびっ子ライオンにも見習わせたいよ」

「ライオンって言わないでください! それは禁句だって言ったじゃないですか!」

「そういうところが子供なの。ニックネームは大事にしなさいって、私は教えたよね」

「うぐっ……お姉に痛いところを突かれるなんて不覚です」

 

 姉妹という感じがしないという印象はみほの誤りだったようだ。妹をたしなめるダンデライオンのお姉さんは、立派に姉の務めを果たしている。

 

「そんなに気に入らないなら、私のニックネームだったワイルドストロベリーに変更する? なんなら私が隊長に話を通してあげるよ」

「そ、それだけは嫌です! ダージリンさんには絶対に言わないでくださいよ。あの人は本気でやりかねないんですから」

「それならもっと自分のニックネームに自信を持つこと。ニックネームをもらえない子もいるんだから、つまらないことにはこだわらないの」

「……わかりました。がんばってみます」

 

 ダンデライオンのお姉さんは妹思いなのだろう。彼女が妹を大事に思っているのをみほは言葉の端々から感じ取ることができた。

 姉が妹を思う気持ちに気づけたのは、みほが成長した証。みほの心が中学時代のままだったら、おそらくこのことには気づけなかったはずだ。

 

 まほはみほの気持ちを考えなかったと後悔していた。けれども、あの小言の数々はみほのことを真剣に考えなければ出てこない。たとえそれが母の真似だったとしても、まほはまほなりにみほのことを思ってくれていたのである。今のみほにはそれがはっきりと理解できた。

 まほは今、この大洗のどこかにいる。手を伸ばせば届くところにいるのだ。みほは一刻も早くまほに会いたかった。

 

 しかし、物事はそう思いどおりにはいかない。まるでみほがまほと再会するのを邪魔するように、新たな登場人物がこの場に現れたのであった。

 

「探しましたよキクミさん。もうすぐ集合時間です。隊長を待たせるようなことをしたら、またバミューダトリオに怒られますよ」

「ありゃ、もうそんな時間かー。ごめんねアサミ」

 

 アサミと呼ばれた女性は快活なダンデライオンのお姉さんとは違い、上品で大人な大学生といった印象だ。背が低く体型も小柄だが、スカートにブラウスという清楚な見た目と腰近くまで伸びた黒髪が上品さを引き立てており、あまり幼さを感じさせなかった。

 

 キクミという名のダンデライオンのお姉さん同様、彼女ともみほたちは面識がない。にもかかわらず、アサミはみほたちに気づくと見下すような鋭い視線を向けてきた。

 

「あなたたちのことは知っています。聖グロリアーナ女学院始まって以来の問題児三人組といえば有名ですからね。OG会でも聖グロリアーナの伝統を破壊する危険な存在だと、よく噂されていますよ」

「私たちは伝統を破壊する気などありませんわ。聖グロリアーナの戦車道は必ず守りします」

「あなたたちの言葉は信用に値しません。去年の問題行為の数々がその証明です」

 

 ルクリリの言葉をバッサリと切ってすてるアサミ。彼女も聖グロリアーナのOGのようだが、キクミとは違いみほたちへの態度は辛辣そのものだ。

 

「去年のわたくしたちはたしかにダメダメでしたわ。でも、今年は一味違いますの。去年の失敗を糧にして、わたくしたちは成長したのでございますわ」

「私にはあなたたちが成長したようにはとても思えません。むしろ去年よりも危険度が増したのではないですか? そうですよね、お姉さんを追い出して後継者になった西住みほさん」

 

 アサミは不快感を隠そうともしない目をみほに向ける。それに対し、みほは反論もせずに正面からそれを受け止めた。

 みほがまほを追い落としたという噂をアサミは頭から信じこんでいる。そんな人間に事情を説明したところで時間が無駄になるだけだ。こんなときこそ、つねに優雅の精神を忘れずに相手を怒らせないような対処をしなければならない。

 

 そんなみほの姿をあざ笑うかのように、アサミの嫌味はさらにエスカレートしていく。

 

「そういえば、さっきあなたのお姉さんが踊っているのを見かけました。大きな胸を揺らして男性の注目を集める姿はまるで娼婦のようでしたよ。あんな卑猥な格好で踊れるなんて、お姉さんも少し問題があるみたいですね」

 

 まほをバカにするアサミの発言をみほは歯を食いしばって耐える。心の中では怒りのマグマが煮えたぎっているが、ここで噴火させるわけにはいかなかった。

 クルセイダー隊の隊長で西住流の後継者という立場のみほは、逸見エリカと大喧嘩した去年とは背負っているものが違う。なにを言われても我慢するしかないのだ。 

 

「姉妹そろって問題児とはなんとも情けない話です。いったいあなたの家はどんな教育を……」

「アサミ姉さんっ! ラベンダー様にひどいことを言うのはやめてください!」

 

 アサミの嫌味を大きな声でさえぎったのはカモミールであった。ベルガモットとニルギリの姿もあるので、どうやら三人でこのアウトレットを訪れていたようだ。

 姉さんと呼んでいるということはアサミとカモミールは姉妹なのだろう。その証拠に、今までずっと冷淡な目つきを崩さなかったアサミに変化が現れた。

 とはいっても、それは事態が好転するようなものではない。カモミールを見るアサミの目には憎悪の色がありありと浮かんでいたからだ。

 

 アサミはつかつかとカモミールに歩みよると、いきなり大きく右手を振りかぶった。アサミはカモミールを平手打ちするつもりだ。

 それに気づいたみほは足を一歩前に踏みだすが、それよりも早く動いた人物がいた。聖グロ一の俊足の二つ名を持つローズヒップである。

 

 ローズヒップはアサミとカモミールの間に割って入ると、カモミールのかわりに平手で頬を叩かれた。小気味のいい音が響いたことで、平手打ちには相当な威力があったことがわかる。それでも、ローズヒップは倒れることなくアサミの前に立ちふさがった。

 

「どきなさい。私は生意気な口をきいたそこの愚妹に用があるんです」

「お断りしますわ。この子には指一本触れさせませんわよ!」

「邪魔をするならもう一発殴ります。私は本気ですよ」

「どんと来いですわ!」

 

 一歩も引かないローズヒップに向かってアサミは右手を振りかぶるが、その手がローズヒップに振り下ろされることはなかった。

 アサミが高く上げた右手をキクミがガシッとつかんだのだ。

 

「みっともない真似はもうやめなよ。ディンブラは聖グロリアーナで学んだことをもう忘れちゃったの?」

「そのニックネームは返上しました」

「返上するのはニックネームだけにしてほしかったなー。今のディンブラの姿をウバ様が見たら悲しむよ」

「……待ち合わせの時間に遅れてしまいます。キクミさん、先に行きますね」

 

 アサミは逃げるようにその場から走りさった。わずかに動揺しているところを見ると、キクミの言葉はアサミにとって耳が痛いものだったようだ。

 ウバとディンブラはスリランカ原産の紅茶である。原産国が同じことを考えると、もしかしたらアサミとウバ様と呼ばれた人物は親密な関係だったのかもしれない。

 

「さーてと、私もそろそろ行くよ。あんまり遅れるとバミューダアタックされちゃうからね。あとのことは任せたよ」

「うん、わかった。お姉、ローズヒップちゃんを助けてくれてありがとね」

 

 キクミは片目でウインクするとアサミが逃げた方向に走りだす。それとほぼ同時に、みほとルクリリもローズヒップのもとへ駆けよった。

 

「ローズヒップさん、大丈夫……大変! 鼻血が出てるよ!」

「これぐらいなんともありませんわ。逸見エリカのアイアンクローのほうが強烈でしたわよ」

「嘘つけ! 口からも出血してるじゃないか!」

 

 どうやら平手打ちの当たり所が悪かったらしい。ローズヒップは口の中を深く切っており、口内は真っ赤に染まっていた。

 

「わ、私のせいでローズヒップ様が……ごめんなさい、ごめんなさい!」

 

 大粒の涙を流し、頭を何度も下げるカモミール。それを見たローズヒップは、鼻血を袖でぬぐうとカモミールを優しく抱きしめた。

 

「カモミールさん、淑女は人前で涙を見せてはいけないのですわ。泣くならわたくしの胸の中でお泣きなさい」

 

 カモミールを胸に抱きとめるローズヒップの姿は慈愛に満ちている。

 ダージリンに憧れ、彼女のようになりたいと努力を続けてきたローズヒップ。残念ながら目標のダージリンに到達するには、まだまだ足りないところのほうが多い。それでも、精神の気高さだけはすでにダージリンに匹敵しているようにみほには思えた。

 

「みなさん、ほかのお客さんの迷惑になりますのでひとまずここを離れましょう。ベルガモットちゃんとニルギリちゃんも一緒に……どうかしたんですか?」

「それが、ローズヒップ様が血を流しているのを見たニルギリさんが気分を悪くしてしまったんですの」

 

 ダンデライオンにそう答えたベルガモットは、倒れそうになっているニルギリを必死に支えていた。ベルガモットとニルギリは体格差があるので、低身長のベルガモットは今にも押しつぶされそうだ。

 それを見たルクリリは慌てて二人に近寄ると、前かがみになってニルギリを背負う。どうやらニルギリをおんぶして運ぶつもりのようだ。

 

「しっかりしろニルギリ。いいか、私の肩を放すんじゃないぞ。ラベンダー、ローズヒップのことは頼む」

「任せて。ローズヒップさん、歩けそう?」

「なんとか大丈夫ですわ。カモミールさん、移動しますわよ」

「それでは出発しますよ。すみませーん、通してください……通してくださぁいぃーっ!」

 

 甲高い声を張りあげてダンデライオンは野次馬をどかしていく。優雅とは程遠い姿だが、おかげでみほたちはすんなりとアウトレットを離れることができたのだった。

 

 

 

 結局、みほはこの日まほと再会できなかった。負傷したローズヒップと泣いてしまったカモミールを放っておくことなどできるわけがない。

 あとで沙織に連絡を入れてみると、あちらも五十鈴華の家庭の問題で一悶着あったようだ。どうやら今日は星の巡りが悪い日だったらしい。物事というのはなかなかうまくいかないものである。

 

 

◇◇◇

 

 

 大洗マリンタワーの展望室で一人の少女が大洗の町を眺めていた。

 聖グロリアーナ女学院の制服を着たこの少女の視線の先には、道を歩く大洗女子学園の生徒たちの姿がある。聖グロリアーナ女学院のタンクジャケット姿の少女が一人混じっているという違和感はあるが、それを抜かせばいたって普通の光景だ。

 

「いつかこんな日が来るとは思っていましたが、こんな形でめいめいと道が分かれることになるとは予想外でしたねぇ」

 

 展望室の少女、犬童頼子はポツリとそうつぶやく。

 

「大洗女子学園の廃校がお父様の望みなら、頼子はそれを全力で成しとげるだけです。バイバイ、芽依子。お友達とは仲良くするんですよ」

 

 妹に別れを告げ、頼子は大洗マリンタワーの展望室をあとにする。その表情は普段の明るい様子とは違い、どこか寂しそうなものであった。


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