私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第三十話 オレンジペコと戦車喫茶 後編

 神様は意地悪だ。今日ほどオレンジペコがそう思った日はなかった。

 

「よく私の前に顔を出せたわね。みほっ!」

 

 憤怒の表情でずんずんとこちらに近づいてくる黒森峰女学園の生徒。オレンジペコの記憶が正しければ、この人物は黒森峰女学園の戦車隊で副隊長をしている逸見エリカという名前だったはずだ。 

 ラベンダーが黒森峰女学園で大ひんしゅくを買っているのはオレンジペコも知っている。けれども、あの温厚なラベンダーにここまで怒りをむき出しにする人物がいたことは正直驚きであった。エリカはラベンダーの本名を叫んでいたので、もしかしたら二人の間にはなにか特別な事情があるのかもしれない。

 

 それにしても、戦車喫茶に入店したばかりでまだ席にすらついていないのに、もうトラブル発生である。ここまでくると、呪われてるんじゃないかと疑いたくなるレベルだ。

 

「逸見さん……」

 

 エリカの姿を目にした途端、先ほどまで笑顔だったラベンダーの表情は一気に曇った。それと同時に、ルクリリとローズヒップがラベンダーを守るようにエリカの前に立ちはだかる。

 

「ワニ女、ここから先は一歩も通さないぞ!」

「わたくしたちが相手になりますわ!」

「邪魔をするなぁっ!」

 

 エリカは一気に距離を詰めるとルクリリとローズヒップにアイアンクローをお見舞いする。二人が避けるのを許さないスピードはまさに電光石火。黒森峰の生徒は鍛錬に余念がないという話をオレンジペコは聞いたことがあるが、実際に目の当たりにした身体能力は驚くべきものだった。

 

「くそっ! 放せこの馬鹿力!」

「や、やっぱりあのときのビンタよりこっちのほうが強烈ですわ……」

直下(なおした)! 三郷(さんごう)! この二人を押さえてなさい!」

 

 エリカはルクリリとローズヒップを後方へと放り投げる。そこで二人を待っていたのは、黒森峰女学園の制服を着た二人組。

 直下と呼ばれたベリーショートの少女はルクリリを三郷と呼ばれた眼鏡の少女はローズヒップをがっしりと拘束。ラベンダーの盾になった二人はあっという間に無力化されてしまった。

 

「おとなしくしてなさいよ。私たちだってこんなことしたくないけど、副隊長の命令には逆らえないの」

「お前たちの力じゃ副隊長どころかあたしたちにも勝てないよ。ここであの子が殴られるのを黙って見てな。あっはっはっはっ!」

「なんでそんなノリノリなの!?」

 

 なぜかこの状況を楽しんでいる三郷に対し、びっくりした様子でツッコミを入れる直下。二人はエリカの命令に従っているがやる気には差があるようだ。

 

 ルクリリとローズヒップが脱落し、残るはオレンジペコとラベンダーのみ。

 ラベンダーは諦めに近いような表情で突っ立っており、逃げる様子はなかった。このままでは、三郷が話していたようにラベンダーはエリカに殴られてしまう。ルクリリとローズヒップを暴力で排除したのだから、それぐらいは平気でやりそうな相手だ。

 

 エリカの目に映っているのはラベンダーだけで、オレンジペコのことなど眼中にない。ラベンダーを見捨てれば、オレンジペコはトラブルに巻きこまれないですむだろう。

 守るか逃げるか。その異なる二つの選択肢の中からオレンジペコは迷わず前者を選んだ。

 

「あんたも痛い目にあいたいわけ?」

「本当は関わりたくないんですけどね。でも、先輩たちは私の友達を助けてくれました。これはそのお礼です」

 

 身を挺してカモミールを守ってくれたローズヒップ。泣いてしまったカモミールのそばにずっと寄りそってくれたラベンダー。淑女という体面をかなぐり捨ててニルギリをおんぶしてくれたルクリリ。

 問題児トリオはオレンジペコの大事な友達を救ってくれた。ラベンダーを守る理由はそれだけで十分である。 

 

「なら仕方がないわ。あんたも間抜けな先輩と同じ目にあわせてあげる!」

 

 エリカはオレンジペコへすばやく右手を伸ばす。ルクリリとローズヒップを制圧した必殺のアイアンクローをかけるつもりだ。

 しかし、黙ってやられるオレンジペコではない。オレンジペコはエリカの右手に自分の左手を組み合わせ、アイアンクローをがっちりとガード。オレンジペコの抵抗に眉をひくつかせたエリカは次に左手を伸ばすが、オレンジペコはそれも自分の右手で受けとめた。

 手と手が組み合った二人の状態はプロレスでいうところの手四つ。オレンジペコは自慢の怪力が活かせる力比べに持ちこむことで、エリカの進行を阻止したのであった。

 

「やるわね」

「あなたこそ」

 

 二人の力は五分と五分。オレンジペコはエリカよりも小柄だが、体格のハンデをものともしていない。

 

「オレンジペコさん、負けないでくださいましー!」

「ペコ、聖グロのリーサルウェポンと呼ばれたその力を見せつけてやれ!」

「呼ばれてません!」

 

 ルクリリの言葉をオレンジペコは即座に否定する。いくらなんでも殺人兵器呼ばわりはあんまりだ。

 

「ラベンダーさん、今のうちに逃げてください」

「みんなを置いて私だけ逃げられないよ。お願い逸見さん、オレンジペコさんにひどいことしないで。私、謝るから」

「この人になにを言っても無駄ですよ。私の知っている人と同じ目をしてますから。アサミさんと言えばわかりますよね?」

 

 オレンジペコとカモミールは中等部でずっと一緒だった親友同士。なので、彼女の姉であるアサミのこともオレンジペコはよく知っている。

 アサミはオレンジペコがもっとも嫌悪している人間だ。憎しみに歪んだどす黒く濁った目をカモミールに向け、彼女をまるで物のように扱う姿は邪悪そのもの。カモミールを守るためにオレンジペコがアサミと対立したのは一度や二度ではない。

 今目の前にいるエリカの目は、実の妹を憎むアサミと同じである。これもオレンジペコが戦う理由の一つであった。

 

「逃げたら許さないわよっ! あんたには言いたいことが山ほどあるんだからね」

「早く逃げてくださいっ! あなたは軽々しく喧嘩をしていい人ではないはずです」

 

 こんな人の多い場所でラベンダーが黒森峰の副隊長と喧嘩をすれば、マスコミやゴシップ誌の餌になるだけだ。

 西住流の後継者という看板は人目を引く。この件が記事になれば、西住まほを追いだしたという噂を信じている人間がまた騒ぎだすだろう。オレンジペコが大嫌いなあのアサミのように。

 ダージリンとアッサムがどんなに手を尽くしても陸ではラベンダーを守りきることはできない。ラベンダーが問題児トリオでいられるのは学園艦の中だけなのだ。

 

「ラベンダー、今は逃げるときですわ!」

「私たちのことは気にするな!」

「……ごめんなさい」

 

 ローズヒップとルクリリの声に背中を押されたラベンダーは、出口に向かい走りだす。それを見たエリカはラベンダーの背中に向かって大声をあげた。

 

「待ちなさい! みほ! みほぉっ!」

 

 エリカの叫び声を聞いたオレンジペコは、自分が少し思い違いをしていたことに気づいた。実の妹に憎しみの言葉しか浴びせないアサミとは違い、エリカの声からは悲しみといった感情を察することができる。それはエリカがラベンダーのことを心の底から憎んでいない証拠だ。エリカはアサミの同類ではなかったのである。

 

「よくも邪魔してくれたわね……」

 

 エリカから発せられる怨嗟の声。それを正面から受けたオレンジペコは、まるで背中に氷柱を差しこまれたような寒気を覚えた。

 エリカの暗い感情に飲まれオレンジペコは一歩後ずさる。そんな危機的状況のオレンジペコを救ってくれたのは彼女の友人たちであった。

 

「ペコっちー! そんな奴に負けちゃダメだよー!」

「ペコさんなら絶対に勝てます!」

「オレンジペコさんには私たちがついてますの!」

「が、がんばってください!」

 

 オレンジペコへの声援は友人たちにとどまらない。驚いたことに、友人たちのそばにいる大洗女子学園の生徒までもが声援を送ってくれたのだ。

 

「よくわかんないけど、とにかくがんばってー!」   

「がんばれぇ~」

「やれやれー!」

「ぶっ殺せー!」

「ファイト」

 

 みんなの声援で気力を取りもどしたオレンジペコは、渾身の力をこめてエリカを押しかえす。

 オレンジペコの力強い歩みはまるで戦車のようだ。エリカはそれを止めることができずに徐々に後退していく。この力比べの勝敗はここに決した。

 

「あの副隊長が押されるなんて……、聖グロのちっこいのは化け物か!?」

「ねぇ、もうやめにしない? 私たち完全に悪役だよ。それにそろそろ赤星たちが……」

「おいっ! お前らなにやってんだ!」

「エリカさん、喧嘩なんてやめてください!」

 

 三郷と直下が驚き戸惑っていると、トイレのほうから黒森峰女学園の制服を着た二人の少女がこちらに向かってきた。

 

「やばっ、根住(ねずみ)と赤星が戻ってきた……二人とも、あたしは反対したんだよ。でも副隊長と直下には逆らえなくて……」

「はあぁっ!? やる気満々だったのはあんたじゃない! このぉー、自分だけ助かろうって魂胆かー!」

「うわっ! 暴力はんたーい!」

 

 直下と三郷が仲間割れを起こしたことで、ルクリリとローズヒップは拘束から解放される。

 それを見たエリカは組み合っていたオレンジペコの手を離した。どうやらこれ以上は無意味だと悟ったようだ。

 

「覚えてなさい。この次はこうはいかないから」

 

 捨て台詞を残して店の出口へと向かうエリカ。歩いているところ見ると、ラベンダーを追いかけるつもりはもうないらしい。

 

「ほら、お前たちも行くぞ。このことはあとで深水隊長に報告するからな」

「ええぇぇーっ! そんなぁ~」

「プラウダ式の穴掘り罰は確定だな。あっはっはっは……はぁー」

 

 根住と呼ばれた毛先がピンピン外ハネしているボブカットの少女に、直下と三郷は引きずられていく。

 最後に残ったのは赤星という名のくせ毛が目立つショートカットの少女。彼女はオレンジペコに向かって頭を下げると、謝罪の言葉を口にした。

 

「ごめんなさい。お怪我はありませんか?」

「私は大丈夫ですので心配はいりません。それより、狂犬には首輪をしっかりと付けといたほうがいいですよ」

「二度とこんなことがないように気をつけます。本当にすみませんでした」

 

 赤星はもう一度深々と頭を下げたあと、小走りで去っていく。自分が悪いわけでもないのに謝る羽目になるあたり、彼女は貧乏くじを引きやすいタイプなのだろう。お互い損な役回りである。 

 

 そんなことを思いながら赤星の背中を眺めていると、次にオレンジペコを待っていたの割れんばかりの大歓声であった。オレンジペコへの称賛の声は友人たちや大洗の生徒たちだけでなく、騒ぎを見ていた他校の生徒からもあがっている。店内がお祭り騒ぎの様相を呈したことで、オレンジペコの顔はみるみるうちに赤くなってしまう。

 

「わたくし、感動しましたわ。オレンジペコさんは聖グロリアーナの誇りですの」

「よくやったぞペコ。それでこそ聖グロのリーサルウェポンだ」

「だから、リーサルウェポンって呼ぶのはやめてください。それ、女の子に使っていい言葉じゃないですよ」 

  

 ルクリリに憎まれ口を叩くオレンジペコであったが、言葉とは裏腹に表情はすっきりしていた。

 オレンジペコは自分が正しいと思うことをしたのだ。ダージリンからの叱責とカヴェナンターのお仕置きが待っていたとしても後悔はなかった。

 

 

 

 それから数日後、オレンジペコは隊長室に呼びだされた。戦車喫茶での一件がダージリンの耳に入ってしまったのである。

 

「ペコ。なぜここに呼びだされたのかわかっているわよね?」

「はい。カヴェナンターに乗る覚悟はすでにできてます」

「今回の罰はカヴェナンターではありませんわ。あなたたちはもうカヴェナンターに慣れてしまったでしょう? そんなあなたたちのために、私は新しい罰を考えましたの」  

 

 慣れてるのはあの三人だけです。そう声高に叫びたい気持ちをオレンジペコは必死に抑える。 

 

「あなたたちには戦車道チーム全員の前である踊りを実演してもらいます」

「踊りですか?」

「ええ、そうよ。ピンクの衣装を着用する実にユニークな踊りですわ。衣装はとある深海魚がモチーフになっていて、この踊りの名前にもなっているの。ここまで言えば、どんな踊りかペコなら理解できるのではなくって?」

 

 ダージリンの言葉を聞いたオレンジペコの表情が絶望に染まる。その条件に合致した踊りといえば、大洗で目撃したあの踊りしかない。

 ピンク色の全身タイツ姿で踊る自分の姿を幻視し、オレンジペコは体を小刻みに震わせる。いやいやと首を振ってもダージリンはニッコリと微笑むだけだ。

 

「衣装は被服部のみなさまがすでに作成済みですわ。踊りの手順が入ったDVDはもうラベンダーに渡してあります。彼女は罰の対象外だったのだけれど、本人たっての希望で参加するそうよ。ペコ、優しい先輩と一緒にかわいらしい姿を見せてちょうだいね」

    

 ダージリンからくだされた無慈悲な最終通告。それを受けたオレンジペコはがっくりと膝をつき、両手を床について四つん這いの体勢でうなだれた。

 現実はどうしてこんなにつらく厳しいのだろう。そう思わずにはいられないオレンジペコであった。

 

 

◇◇◇ 

 

 

 犬童家の屋敷では父と娘の話しあいが行われていた。

 二人の間に横たわる高級感あふれる木のテーブルに置かれているのは、第六十三回戦車道全国大会のトーナメント表。このたった一枚の紙きれが二人の話題の中心だ。

 

「黒森峰の一回戦は問題なさそうだな。対戦相手のBC自由学園はチームとしての体を成していない烏合の衆。味方同士で潰しあって自滅するのがオチだろう」

「聖グロリアーナも一回戦は余裕ですぅ。知波単学園とは相性ばっちりですから」

「となると、懸念するべきはやはりここか……」

 

 犬童家の当主が指でトントンと叩いた箇所には大洗女子学園と書かれている。

 

「頼子は大洗が勝てるとは思えませんけどねぇ。相手のサンダースは四強の一角ですよ」

「だが、大洗にはまほ様がいる。聖グロリアーナとの練習試合で大洗が健闘したことを考えると、楽観視するのは危険だな」

「大洗に潜入して妨害工作でもしますか? お父様のためなら頼子はなんでもやりますよぉ」 

 

 頼子は胸を張ってそう答える。学園艦に潜入するのは彼女の得意分野。戦車道が復活したばかりでスパイ対策などしていない大洗に防ぐ手立てはないだろう。

 

「頼子が手を汚す必要はない。例の件で難儀しているサンダースに手を貸してやれば、大洗の勝ち目はなくなる」

「いいんですかお父様? あれをサンダースが手に入れたら黒森峰が不利になりますけど?」

「あんなものに頼ったところで黒森峰には勝てん。種が割れた手品ほどつまらないものはないからな」

「了解です。橋渡しは頼子にお任せ!」

 

 元気よく返事をする頼子と満足げな表情でうなずく犬童家の当主。大洗廃校に向けてついに犬童家が動きだした。


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