私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第三十九話 ラベンダーと角谷杏

 学園艦に侵入者あり。その情報は、戦力増強のために戦車を捜索しようとしていた戦車道履修生の面々にもすぐに伝わった。

 侵入者を目撃した風紀委員、園みどり子の話によると、侵入者は戦車道チームの様子をうかがっていたらしい。そうなると、侵入者の正体は偵察に来た他校の戦車道関係者と考えるのが自然だ。

 現に大洗も秋山優花里をアンツィオ高校の偵察に向かわせているのだ。他校が偵察を送りこんできたとしても不思議はない。

 

 戦車の数が少ない大洗は他校より戦力が劣っている。それに加えて情報まで漏れてしまったとしたら、勝利への道はさらに遠のいてしまうだろう。

 風紀委員と協力して侵入者を捕まえる。戦車道履修生の意見はそれで一致し、戦車から侵入者の捜索へと活動内容は切り替わった。

 

 

 

 

 芽依子は侵入者を見つけるべく、単独で行動していた。芽依子のスピードには誰もついてこれないので、一人のほうが効率がいいのである。

 侵入者の形跡を探しながら芽依子は学園内を駆ける。すると、一本の木に的がくくりつけられているのを発見した。

 

「あれは手裏剣術で使われる的……なぜこんな所に?」

 

 木に的をつけるのは手裏剣術では珍しくない。しかし、ここは忍道履修生が活動している場所からかなり離れている。

 違和感を覚えた芽依子は的を調べるために木へと近づくが、そこで思いがけないことが起こった。校舎の影から突然棒手裏剣が飛来し、的の真ん中に突き刺さったのだ。

 まるで挑発するかのような投てきに、芽依子はスッと目を細める。芽依子が近づいたのを見計らって投げたのを考えると、相手は大洗の忍道履修生ではないだろう。

 

「侵入者は忍びの者のようですね」 

 

 ポツリとそうつぶやき、校舎裏へと走る芽依子。 

 侵入者が忍者なら自分が相手をするまでだ。そう意気込んで校舎裏へとやってきた芽依子が見つけた侵入者は、実に意外な人物であった。

 

「久しぶりだね、犬童さん」

「みほ様?」

 

 優しそうな笑みを浮かべて芽依子に手を振っているのは、大洗女子学園の制服を着た西住みほ。

 これにはさすがの芽依子も面食らった。みほが大洗に来ているとは思いもしなかったのである。

 

「どうしてみほ様が大洗の学園艦に? もしかしてまほ様に御用なのですか?」

「ううん。私がここに来たのは、犬童さんに聞きたいことがあったからなの。できれば質問に答えてほしいんだけど、ダメかな?」

「そのような確認をとる必要はありません。みほ様のご質問なら芽依子はなんでもお答えします」

 

 西住みほは西住流の後継者。いずれは西住流のトップに立ち、芽依子が仕える主となる。

 芽依子にとってみほは神にも等しい人間であり、彼女が芽依子に命令をするのならそれを断る理由はない。

 

「ありがとう。それじゃあ、質問するね。……なぜ忍道を捨てたんですの?」

 

 みほが別人の声と口調でしゃべった瞬間、芽依子はみほの前からすばやく飛びのいた。

 あの声の人物に芽依子は覚えがある。彼女だとしたら、目の前のみほは真っ赤な偽物だ。

 

「三郷忍!」

「ご名答。あなたの永遠のライバル、三郷忍ですわ。訳あって、今はキャロルと名乗っていますけどね」

 

 三郷忍は中学の忍道の全国大会で、芽依子が何度も対決した一つ年上の忍者。

 身体能力の高さと変装技術で芽依子を苦戦させた相手であり、中学の大会では一番の強敵であった。 

 

「それにしても、私の変装にすぐ気づかないなんて……。戦車道のせいで勘が鈍ったのではありませんか?」

「気づけなかったのは三郷さんの変装の腕が上がっているからです。戦車道は関係ありません」

「それもそうですわね。戦車道に心を奪われたあなたと違って、私は努力してきましたから」

 

 みほの姿のままで不敵な笑みを浮かべる忍。みほなら絶対にしないであろう人を見下すその視線は、芽依子を大いにいらだたせた。

 対戦相手の近しい人間に変装して動揺を誘う。これが忍のもっとも得意とする手だ。高校生になっても悪辣な性格はそのままのようである。

  

「そう、私はあなたに勝つために腕を磨きました。それなのに、あなたは忍道から逃げた。失望しましたわよ、犬童芽依子」

「芽依子は後悔しないためにこの道を選びました。三郷さんにとやかく言われる筋合いはありません」

「その様子だと忍道に戻ってくる気はなさそうですわね。けど、それでは私が困るんですの。私はどうしてもあなたに勝ちたいのよ」

 

 忍は不愉快そうな表情を隠そうともしない。みほの顔で負の感情を表に出す忍の行為に、芽依子はますますいらだちを募らせていく。 

 

「今すぐ変装を解いてください。三郷さんにみほ様の変装は似合いません」

「怒るのはまだ早いですわよ。どうせなら、これを見てから怒ってくださいまし」

 

 忍はスカートのポケットから棒状のものを取りだし、芽依子に見せつける。

 年季が入った傷だらけの棒手裏剣。それは間違いなく、一回戦のサンダース戦で芽依子が桂利奈にあげた棒手裏剣であった。

 

「桂利奈になにをしたんですかっ!」

「大事な友達を返してほしかったら、私と勝負してくださいまし。私はあと三回変装しますので、二回以上見破ったらあなたの勝ちですわ」

「そんなことをする必要はありません。今ここであなたを捕まえます!」

 

 忍は凄腕の忍者だが芽依子のほうが実力は上だ。小細工をしてきたとしても芽依子が不覚を取ることはない。

 しかし、忍の次の発言で芽依子は動きを止めざるを得なくなる。

 

「断ると阪口桂利奈が悲惨な目にあいますわよ。この学園艦の船底にゴミ溜めがあるのはあなたもご存知ですわよね? もしあなたが拒否したら、私の仲間が阪口桂利奈をゴミ溜めに放置しますわ。縄張りを荒らされたら、単細胞のゴミクズどもは腹を立てるでしょうね」

「……卑怯者」

「最高の褒め言葉として受けとっておきますわ」

 

 園みどり子は侵入者は五人だと言っていた。仲間がいるという忍の言葉は嘘ではない。

 芽依子と違って桂利奈はごく普通の女の子。大洗のヨハネスブルグと呼ばれる不良の溜まり場に捨て置かれたら、きっと泣いてしまうだろう。暗い船底で涙を流す桂利奈の姿が鮮明に脳裏へと浮かびあがった芽依子は、両手が白くなるほど拳を握りしめた。

 

「それでは、また後ほど。私はあなたにガンガン仕掛けていくつもりなので、楽しみにしていてくださいまし。あひゃひゃひゃひゃっ!」

 

 忍は大きな声で笑ったあと、校舎裏から姿を消した。

 この気持ちの悪い笑い声が出たときの忍は手ごわい。あれは彼女の調子を察することができるバロメーターであり、絶好調のときに必ず飛びだす口癖だった。

 だが、芽依子に敗北は許されない。阪口桂利奈は犬童芽依子の一番の親友なのだから。

 

 

 

 

「ラベンダーちゃん、干し芋うまいっしょ。これ私のお気に入りなんだよねー」

「あ、はい。おいしいです」

 

 みほは大洗の生徒会長、角谷杏と生徒会室で二人きりのお茶会をしていた。

 キャロルが煙幕を張ったあと、みほたちはバラバラになって逃げたのだが、みほは速攻で風紀委員に捕まってしまった。聖グロリアーナで大きく成長したみほであったが、所々でドジを踏む癖は依然健在だ。

 その後は生徒会室へと連行され、杏とお茶をしている今に至るというわけである。

 

「気に入ってもらえてよかったよ。あとでお土産に包んであげるから、帰ったら聖グロのみんなで食べてね」

「あの、どうしてこんなによくしてくれるんですか?」

「ラベンダーちゃんのお姉さんには世話になってるからね。それに、大洗には聖グロに知られて困るような切り札もないし」

 

 杏のみほへの対応は実にフレンドリー。偵察に来たのを怒りもしないし、詰問するようなこともしない。

 人がいいのか、それともなにか裏があるのか。みほは杏の真意を測りかねていた。

 

「いやー、まさかクルセイダー隊の隊長が直々に偵察に来るとはねー。やっぱりお姉さんのことは気になる?」

「……角谷会長に聞きたいんことがあるんですけど、質問してもいいですか?」

「いいよー。なんでも教えてあげる」

 

 みほが大洗に来た表向きの理由は偵察だが、真の目的は次の二つ。

 一つは犬童芽依子の胸中を探ること。そして、もう一つはまほが大洗で戦車道を始めた理由を確認することだ。

 

 しほはまほをかばってくれているが、西住流の中にはサンダース戦で号泣したまほを非難するものも多いと聞く。このままではそう遠くない未来に、まほは西住流内で居場所を失ってしまうだろう。

 それを防ぐために重要となるのが、まほが戦車道を始めた本当の理由だ。

 

 もし、まほが自分勝手な理由ではなく、廃校になる学校を救うために再び戦車道を始めたとしたら、それは美談になる。すべてが終わったあと、この事実をうまく西住流一門に伝えられれば、まほの立場を守ることができるはずだ。

 聖グロリアーナ女学院で会話術を学び、西住流の後継者の仕事で大人と接する機会が増えたみほには、それをうまくこなせる自信があった。

 

「戦車道の全国大会で優勝できなかった場合、大洗女子学園は今年で廃校になるという話を聞きました。この話は本当ですか?」

「……本当だよ。やっぱり聖グロはすごいねー。そんなことまでわかっちゃうんだ」

「私たちに協力してくれる情報処理学部のみなさんは、優秀な人ばかりですから。お姉ちゃんも廃校の話は当然知ってるんですよね? だから大洗で戦車道を……」

「西住ちゃんはなんにも知らないよ。大洗で廃校の話を知ってるのは、私と副会長の小山、それと広報の河嶋の三人だけだし」

 

 みほの言葉をさえぎり、バッサリと否定する杏。勢いこんでいたみほであったが、冷や水を浴びせられた格好になった。

 

「そうなんですか……。でも、それならどうしてお姉ちゃんは戦車道を?」

「私が脅したからだよ。戦車道を履修しないと戦車道部を廃部にするって、西住ちゃんを脅迫したの」

 

 まほが戦車道を始めた理由は脅迫されたから。その衝撃の事実は、みほを放心状態に陥らせるほどの威力を持っていた。

 杏はそんなみほのことなどお構いなしに話の続きを口にする。

 

「武部ちゃんたちに嫌われちゃうよって言ったら、西住ちゃんはすぐにOKしてくれたよ。一緒にいた犬童ちゃんも、西住ちゃんを支えたいからって戦車道を履修してくれたから、こっちとしてはしてやったりだったなー」

 

 得意げに語る杏の言葉は、みほの心をぐちゃぐちゃにかき回していく。

 まほはみほの家族であり、大事なお姉ちゃんだ。大好きな姉を脅迫されて冷静でいられるわけがなかった。

 しかし、心は乱れてもみほの怒りは爆発しない。西住流の後継者であるという自覚と愛里寿という友達の存在が、みほの心に待ったをかけているからだ。

 

 愛里寿と同じ学校で学ぶことはできなかったが、二人の交流は今も続いている。

 みほが西住流の後継者になり、二人の関係は後継者同士のライバルになった。だが、みほと愛里寿の友情はなにも変わりはしない。むしろ、先に島田流の後継者になった愛里寿に、みほが後継者の心得を聞くぐらい仲良しである。

 愛里寿のように振る舞いたいという思いは今ではより強くなり、それがみほの怒りを鎮める抑止力となっていた。

 

「言いたいことはそれだけですか、角谷会長」

「あれ? 怒らないんだ」

「今さら私が怒ったところで意味はありません。それに、お姉ちゃんは大洗で戦車道を楽しんでます。きっかけはどうあれ、お姉ちゃんが笑顔になれたのなら、私は角谷会長を責める気はないです」

「西住流の後継者ともなると精神的に成熟してるね。私とは大違いだ……」

 

 杏はソファーの背もたれに寄りかかり、視線を天井へと向ける。その表情はどこか疲れているようにみほには見えた。

 

「西住ちゃんを脅迫したときの私は、学校を守ることに必死になりすぎて周りがよく見えてなかった。今思えば、西住ちゃんと犬童ちゃんにはずいぶんひどいことをしちゃったよ。それなのに、私は二人に謝ってすらいない。犬童ちゃんは自分の気持ちにフタをして折り合いをつけてくれたのにね」

 

 杏の声は徐々に涙声になっていく。

 

「私はね、ラベンダーちゃんに怒られたかったんだよ。私を罵倒して、いっそのこと殴ってほしかった。犬童ちゃんはもう私を責めてくれないから……」

 

 杏は胸の内を次々とみほに晒していった。涙ながらに語る杏の姿は、まるで親に助けを求める子供のようだ。

 学園艦の生徒の代表である生徒会長という肩書は、みほの想像以上に重いものなのだろう。ましてや、大洗は学校がなくなるかどうかの瀬戸際なのだ。高校三年生の少女の心が悲鳴をあげるのも無理はない。

 

 だから、みほは杏を責めるのではなく、助けるという選択をとることにした。

 

「角谷会長、私が大洗の力になります。私じゃ頼りないかもしれませんけど、これでも西住流の後継者ですから」

「えっ?」

「ただし、手助けできるのは準決勝までになります。決勝戦で手を抜くようなことはしませんよ」

 

 真剣な表情から一転し、みほは杏に笑顔を向ける。

 聖グロリアーナが優勝を目指している以上、そこはみほもゆずれない。決勝戦で大洗と戦うことになっても手加減するつもりは毛頭なかった。

 

「ラベンダーちゃん……。わかった。私たちは決勝戦で聖グロに勝って、絶対に廃校を阻止してみせる。それを実現するために、ラベンダーちゃんの力を貸して!」

 

 杏の目には力強いものが宿っている。どうやら、気持ちを持ち直したようだ。

 

「はい! 一緒にがんばりましょう!」

 

 大洗の進む道は去年の優勝校、プラウダ高校が立ちはだかる茨の道。そして、それは聖グロリアーナにも当てはまる。

 油断できない難敵、継続高校。最強のライバルであり、聖グロリアーナとみほにとって因縁の相手である黒森峰女学園。この二校に勝てなければ、聖グロリアーナも決勝に進むことはできないのだ。

 

 大洗が決勝へ行けるようにサポートし、なおかつ自身は強敵との戦いに勝利する。どちらも簡単にクリアできる目標ではないのだから、目的達成のためには大勢の人の協力が必要だ。聖グロリアーナの仲間たちだけでなく、愛里寿とエリカにも助力を仰ぐことになるだろう。

 

 これほどの困難な道を進むのは、みほにとっても初めての経験。黒森峰女学園以外の道を模索した中学時代の進路決めなど、この道に比べれば些細なことである。

 それでも、みほは悲観せずに前を向いて進んでいく。道の先に全員が笑顔になれる未来が待っていると信じて。


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