大洗町の海沿いの道をブルーグレー色の戦車が走っていた。
時速約40kmで走るその戦車は、車線をはみ出すことなく道路をまっすぐに進んでいる。途中でカーブに差しかかってもその綺麗な走りは変わらず、走行が乱れるようなこともない。
戦車は対向車や同一車線の車に迷惑をかけず安全運転で走行中。その走りにはなんの問題もなかった。一つ問題があるとすれば、その安全運転をしているのが戦車だということだ。
戦車の後方から、サイレンを鳴らしたパトカーがすごいスピードで走ってくる。パトカーは戦車のすぐ後ろに近づくと、助手席の警察官が拡声器を使って戦車に停止命令を出した。
「そこのブルーグレーの戦車! 止まりなさい!」
拡声器で呼びかけている警察官の額には汗が光っている。もし戦車が暴走でもしようものなら、パトカーなどひとたまりもない。彼にとってはまさに命がけの交渉である。
警察官が必死に呼びかけを続けていると、戦車の砲塔部のハッチが開いた。そこから顔を覗かせた人物を見た警察官は驚きのあまり固まってしまう。
無骨な戦車から出てきたのは、群青色のセーターを着た穏やかそうな顔の女の子だったからだ。
◇
警察から解放されたみほ達は、海沿いにある公園の駐車場で休憩をとっていた。
駐車場からは海が一望でき、気分転換をするにはもってこいの雄大な自然の風景が広がっている。三人はクルセイダーの上で風景を楽しみながら、先ほどの出来事について話し合っていた。
「まさかおまわりさんに職務質問される日が来るなんて、夢にも思わなかったですわ」
「うん。ローズヒップさんが戦車の免許を持っていて本当によかった。もし警察署に連れていかれたら、二度と実家に帰れないところだったよ」
「いくらなんでも逮捕はされないだろ。ローズヒップが免許を持っていなかったら、アールグレイ様は私達には頼まなかっただろうし」
三人の中で戦車の免許を持っているのはローズヒップのみ。みほも学園艦にある免許交付センターで試験を受けたのだが、結果は不合格であった。ルクリリに至っては試験を受けてすらいない。
「それにしても、戦車道は世間ではマイナーな武芸だったんだな。あの若い警察官、最後まで私達の話を疑ってたぞ」
「私の地元では有名なんだけどね。熊本なら、戦車が道路を走ってても誰も驚かないもん」
「それより、わたくしは免許を偽造扱いされたのが許せないですわ。ダージリン様にほめてもらったこの免許は、わたくしの宝物なんですのよ」
「免許証の写真が笑顔でピースサインしてたら、私だって不審に思う。よくこの写真でOKが出たな」
ローズヒップの免許が変なのは写真だけではない。
有効期限の欄には年月日が書かれておらず、とりあえず今のところ有効と書かれている。何も知らない人が見たら、偽物と思われても仕方がない適当さだ。
「戦車道は女性の武芸だから男の人には馴染みが薄いのかも。大洗は戦車道が廃れてるし、興味がなければ年配の人ぐらいしか知らないんじゃないかな?」
「戦車道は乙女のたしなみでございますからね。殿方には理解しにくい武芸なのかもしれないですわ」
「まあ、ともかく無事に解放されてよかったじゃないか。ところで、愛里寿はどこに行ったんだ?」
「愛里寿ちゃんはお手洗いに行ってるの。もうすぐ戻ってくると思うよ」
「あ、戻ってきましたわ。愛里寿さーん! クルセイダーはここですわー!」
ローズヒップの呼びかけに反応した少女は、クルセイダーに向かってゆっくりと歩いてくる。
彼女の名前は島田愛里寿。聖グロリアーナのお客様で、三人が学園艦までエスコートしている小学六年生の少女である。
すでに整備工場で簡単な自己紹介はすませている。にもかかわらず、みほはまだ愛里寿とうまく会話ができていなかった。ラベンダーというニックネームを名乗った途端に、愛里寿はみほを警戒し始めたのだ。
みほは愛里寿とボコの話をしたいと思っているが、愛里寿は内向的な性格のようで積極的に話しかけてはこない。ボコの話をするにはみほから会話をするしかないのだが、それにはまず愛里寿の警戒を解く必要があった。
みほには秘策がある。愛里寿がボコを好きなら、あの場所に行けばきっと仲良くなれるはずだ。あそこには初めから立ち寄る予定だったので、みほにとっては好都合でもある。
「愛里寿ちゃんも戻ってきたし、そろそろ出発しようよ」
「そうですわね。いつまでも油を売ってないで、早く学園艦に戻りますわよ」
口調をお嬢様に切り替えたルクリリに向かって、みほは静かに首を横に振った。
「ルクリリさん、目的地は学園艦じゃないよ。大洗に来たからには、私はあの場所へ行かないといけないの」
「……そんな予感はしてた。ええい、こうなりゃヤケだ! どこへでも付き合ってやる!」
「わたくし達の覚悟はとっくに完了済みでございますわよ!」
突然騒ぎ出したルクリリとローズヒップの姿を見た愛里寿は、目を白黒させている。そんな愛里寿にみほは満面の笑みで語りかけた。
「愛里寿ちゃん、ちょっと寄り道をするね。大丈夫、とっても楽しいところだから心配しなくても平気だよ」
みほ達が愛里寿を連れてやってきたのは、ぼろぼろに荒れた洋風のお城のような建物であった。屋根には所々にボコのオブジェが設置してあり、看板には大きな文字でボコミュージアムと書かれている。
それを見た瞬間、今まで感情を表に出さなかった愛里寿が一気に破顔した。
「ボコミュージアムだー!」
「やっぱり愛里寿ちゃんもボコが好きだったんだね。私は今日初めてここに来たんだけど、いつか絶対に来たいと思ってたの」
「ねえ! 入ってもいい!」
「いいよ。今日は思いっきり楽しもうね」
みほと愛里寿はすっかり仲良しだ。とくに愛里寿は、みほに対する警戒心など最初からなかったかのような変わり様である。
ハイテンションな二人とは違い、ローズヒップとルクリリは唖然とした表情でボコミュージアムを見つめていた。
「ここは本当に入って大丈夫なのか? 肝試しに使う廃墟にしか見えないぞ」
「わたくし達以外は人っ子一人いないですわね。もしかしたら、今日はお休みなのかもしれないですわ」
「二人とも何してるのー。早く入ろうよー」
みほと愛里寿はすでにボコミュージアムの建物に入っており、入り口から手招きをしている。どうやら今日は通常営業のようだ。
ローズヒップとルクリリは顔を見合わせると、意を決してボコミュージアムの内部へと足を踏み入れた。
ボコミュージアムは館内も外装同様ぼろぼろの有様。壁や床は薄汚れ、天井には無数の蜘蛛の巣が張っている。経費節減のためなのか照明も薄暗く、お化け屋敷だと思われても不思議はなかった。
みほと愛里寿はそんなことは気にもとめずにはしゃぎ回っている。お出迎えのボコロボットに大喜びし、ボコだらけのライド型アトラクションでは目をキラキラさせていた。
ローズヒップとルクリリは二人に食らいつくのに必死だ。今のみほと愛里寿は行動力にあふれており、少しでも目を離せばすぐに見失ってしまうからである。
なんとか二人に置いていかれずにすんだローズヒップとルクリリだが、小劇場に入ったころにはもうへろへろであった。
「このキャラクターショーが終われば、全アトラクション制覇だ。最後まで気を抜くなよ、ローズヒップ」
「もっちろんでございますわ」
疲れ切っているローズヒップとルクリリだが、決して弱音は吐かない。二人のその姿からは、ボコミュージアムを心の底から楽しんでいるみほと愛里寿への気づかいが感じられた。
キャラクターショーの主役は当然ボコ。
ショーの内容もテレビシリーズと同じで、些細なことでボコが喧嘩を売るいつものスタイルだ。
今日のボコの対戦相手は白猫と黒猫とネズミの三人組。
ボコは先手必勝とばかりに殴りかかるが、攻撃が当たる直前に転んでしまい、三人組に踏みつけられてしまう。テレビシリーズでは、ボコがこのままぼこぼこにされて物語が終了するのがお決まりのパターンだ。
ところが、このキャラクターショーはテレビとは展開が違っていた。痛めつけられているボコが、観客に向かって声援を送ってほしいと呼びかけてきたのだ。
「みんなー、おいらに力を分けてくれー」
ボコの呼びかけを聞いたみほと愛里寿はすぐさま反応し、ボコに声援を送った。
「がんばれ、ボコ!」
「ボコー! 負けないでー!」
みほと愛里寿は大きな声でボコを応援しているが、小劇場にはみほ達しか観客がいない。そのせいでいまいち声援が足りず、ボコは立ち上がることができなかった。
それを見たローズヒップとルクリリは、すっと立ち上がると大声でボコの応援を始めた。
「ボコさーん! がんばってくださいましー!」
「ボコ! 根性見せろ! いつも負けっぱなしで悔しくないのかー!」
熱心に声援を送るローズヒップとルクリリに負けじと、みほと愛里寿も立ち上がる。四人の大きな声援は小さな劇場にしっかりと響き渡り、ついにボコの元へと届いた。
「みんな、ありがとう。みんなの声援のおかげでおいらはまだ戦える。お前ら、覚悟しろ!」
ボコは立ち上がると再び三人組に殴りかかった。
ヒーローショーなら逆転勝利する場面であるが、残念ながらボコは勝利できないキャラクター。ボコの攻撃はまたも空を切り、二度目のぼこられタイムが始まった。
「くそっ! この展開でも勝てないのか」
「それがボコだから」
「納得できるか! 立てー! ボコ、負けんなー!」
ルクリリはステージに駆け寄ると、床を両手で叩いてボコに奮起を促した。アッサムが見たら卒倒しかねない蛮行である。
それを見たみほとローズヒップは慌ててルクリリを止めに入った。このままではキャラクターショーの進行に支障をきたしてしまう。
「ルクリリさん、ボコは負けないから。大丈夫だから」
「興奮しすぎですわよ。深呼吸して気を確かに持つのでございますわ」
みほ達がどたばたしている間にステージにはボコしかいなくなっていた。
叩きのめされたボコはうずくまって動かない。そんなボコを愛里寿は心配そうな視線で見つめている。その愛里寿の様子を察したのか、ボコはばっと起き上がると元気な声でこう言い放った。
「明日もがんばるぞ!」
ボコのセリフと共にステージの幕が下りる。最後に少しトラブルはあったが、無事にキャラクターショーは終了したようだ。
「ボコー。明日は勝てるよー」
愛里寿はボコに惜しみない拍手を送っている。
みほはそんな愛里寿の姿を見ながらルクリリに優しく語りかけた。
「ね、ボコは負けなかったよ。どんなに痛めつけられてもボコの心は折れないの」
キャラクターショーを見終わったみほ達は、ボコミュージアム内のお土産屋へとやってきた。
店内にはボコの様々なグッズが置かれており、どこを見渡してもボコだらけである。
「さっきはごめん。頭に血がのぼりすぎた」
「気にしなくていいよ。ルクリリさんがボコにあれだけ熱心になってくれて、私はうれしかったし」
「ルクリリはカルシウム不足かもしれないですわ。明日から毎日牛乳を飲んで、わたくしと一緒にお淑やかなお嬢様を目指すでございます」
ルクリリは先ほどの失態に反省しきりであった。
そんなルクリリをみほとローズヒップはそれぞれの言葉で励ましている。失敗が多い三人は、ミスをしてもこうやって励まし合うのが当たり前になっていた。
「三人は仲がいいんだね」
「うん。私達は友達だもん」
「友達……」
愛里寿は友達という言葉をつぶやいたあと、難しそうな顔で沈黙してしまった。
「愛里寿ちゃん、どうかしたの?」
「私、友達ってよくわからないの。今まで戦車の訓練と学校の勉強ばかりしてきたから、友達なんて一人もいなかったし……」
愛里寿はそこでいったん言葉を切ったが、再びぽつぽつと語りだした。
「お母様は私が戦車を上手に扱えて、テストでいい点数を取ればほめてくれたの。だから、これまでは別に友達がいなくても問題ないんだって、ずっとそう考えてた。だけど、三人が仲良くしてるのを見てたら、私も友達がほしいなって思ったの……」
愛里寿の告白を聞いたみほは、衝撃のあまりしばらく言葉を失ってしまう。愛里寿の境遇があまりにもみほと酷似していたからだ。
島田という苗字を聞いたときに思ったことがみほの頭をよぎる。
おそらく、愛里寿は島田流の血を引く娘なのだろう。みほも小学生時代は西住流の修行に明け暮れていたので、愛里寿の気持ちが痛いほどよくわかった。
できれば自分が愛里寿と友達になってあげたいが、それを簡単に口にはできない。
西住流と島田流はライバル関係。島田流の娘と仲良くしているのを母が知れば、きっといい顔はしないだろう。
「それなら、わたくし達とお友達になればいいんですわ」
「えっ。……いいの?」
「愛里寿が嫌じゃなければな。ラベンダーもいいだろ?」
ローズヒップとルクリリは、愛里寿が望んでいるだろう言葉を簡単に言えてしまう。それに比べて、みほはあれこれと理由をつけて悩み、何も答えが出せずにいた。
二人のように思いをはっきりと言えるようになりたい。そう意を決したみほは、正面から愛里寿の目を見据えた。
「もちろん。今日から私達と愛里寿ちゃんは友達だよ」
「ありがとう。……とってもうれしい」
みほ達は愛里寿と友達になった記念に、小さなボコのぬいぐるみを一つずつ購入した。
みほが選んだのは自分のニックネームでもあるラベンダー色のボコ。本当は激レアボコとポップに書かれていた商品が欲しかったのだが、一つしかなかったのでそれは愛里寿に譲ったのだ。
四人は思い出の品を購入してお土産屋をあとにする。すでに時刻は夕方になっており、もうすぐボコミュージアムが閉館する時間だ。
「よし、今度こそ学園艦に戻るぞ」
「ごめんね、長い時間付き合わせちゃって」
「それは言いっこなしですわ。わたくし達も今日は楽しかったですわよ」
みほ達が雑談しながら歩いていると、前を歩いていた愛里寿が急に立ち止まった。突然のことに驚いた三人も愛里寿につられて歩みを止める。
三人が立ち止まったのを確認した愛里寿は、その場でくるっと反転すると感謝の言葉を口にした。
「あの、今日は私も楽しかった。ボコミュージアムには何回も来たけど、こんなに楽しかったのは初めてだった。いつもは一人だったけど、今日はみんなが一緒にいてくれたから……ありがとう」
素直な気持ちを言葉にした愛里寿は、頬を赤く染めて恥ずかしそうにしている。
そんな愛里寿の姿を見たみほは、友達の素晴らしさを改めて感じるのであった。
「あなた達、今回ばかりは少しおいたがすぎたようね。アールグレイ様はとても心配なさっていたわよ」
みほ達はかつてないプレッシャーを感じながら、目の前の人物に相対していた。なかでもローズヒップはかなり動揺しており、さっきから足が震えっぱなしだ。
「あなた達には、聖グロリアーナの生徒であるという自覚はないのかしら? 大事なお客様を連れ回して遊びに行くなんて、許されることではないわ」
「ダージリン様、全部私が悪いんです。私が二人を無理矢理巻きこんだんです」
「ラベンダー、私は首謀者を探しているわけではなくってよ。あなた達は三人一組のチームなのだから、責任は三人で負う必要がある。一蓮托生という言葉、前にも教えたわよね」
学園艦でみほ達を待ちかまえていたのはダージリンであった。いつもなら真っ先にお説教をするアッサムは、ダージリンの後ろで心配そうな顔をして三人を見ている。
愛里寿はすでにここにはいない。ダージリンと一緒に三人を待っていたクルセイダー隊の隊長が、アールグレイのところへ連れていったのである。
「あなた達には罰を受けてもらいます。聖グロリアーナに古くから伝わる伝統的な罰をね」
「ダージリン、待ってください。もしかしてあれを使う気ですか? あれは危険です。この子達も反省していますから、あれだけは許してあげてください」
「ダメよ、アッサム。ここでこの三人を甘やかしたら他の生徒に示しがつかないわ。それに、この件はアールグレイ様もすでに了承済み。この決定をくつがえすことはもうできなくってよ」
普段冷静なアッサムが見せた慌てように、みほの不安と恐怖はどんどん増していく。一体どんな罰が待っているのか、みほには想像すらできない。
ダージリンは明日の戦車道の訓練後に罰を執行するのを伝え、優雅な足取りでその場を立ち去っていく。みほ達はそんなダージリンの背中を無言で眺めることしかできなかった。
ダージリンはそのまま立ち去るかと思われたが、途中で歩みを止めると三人のほうへと顔を向けた。
どうやら、三人にまだ何か言いたいことがあるらしい。
「あなた達に古代ギリシアの哲学者、エピクロスの言葉を贈るわ。『困難が大きいほど、それを克服したときの栄光も大きくなる。熟練した操縦士は、嵐や暴風に耐えて名声を得る』。あなた達には期待しているのだから、この程度の罰など軽く乗りこえなさい」