いつも通りの訓練が終わり、戦車道の授業もあとはお茶会を残すのみになった。
生徒達は身だしなみを整えるために演習場をあとにするが、その場から動かない生徒が四人いる。愛里寿を連れ回した罪で罰を受けることになったみほ達と、引率役を任されたアッサムである。
「あなた達、私についてきて。ガレージでダージリンが待ってますわ」
重苦しい空気のなか、戦車が格納されているガレージに向かってアッサムが歩き出した。
それを見たみほ達も黙ってそのあとに続く。
アッサムは普段使っているガレージの前を通りすぎ、少し離れた場所にある第二ガレージに向かっていた。
第二ガレージ。そこは戦車の部品や砲弾などが置かれている倉庫のような場所だ。主に整備科の生徒が使用するため、みほ達が中に入ったことは一度もなかった。
アッサムに連れられ、みほ達は第二ガレージまでやってきた。入り口の前には大きな段ボール箱が置かれているだけで、ダージリンの姿はない。
アッサムは段ボール箱に近づくと中に入っている物を三人に手渡した。
「あなた達の助けになる物を用意しました。だけど、決して無茶はしないでね。無理だと思ったらすぐに連絡するのよ」
アッサムから手渡されたのは、スポーツドリンクが入ったペットボトル数本と塩飴。そして、清潔感が漂う白いタオルであった。
「これからマラソンでもするのでございますか?」
「でも、私達タンクジャケットのままだよ。マラソンをするなら着替えるんじゃないかな?」
「この格好でマラソンをするのが罰なのかもしれませんわ。この短いスカートで走るのはかなり恥ずかしいですわよ」
「それなら大丈夫ですわ。短いスカートで走るのは制服で慣れてますの」
「お前はお淑やかなお嬢様を目指してるんじゃなかったのか?」
みほ達の会話を聞いていたアッサムは、片手を額に当て弱々しく首を振った。ルクリリがうっかり言葉を崩してもノーリアクションなあたりに、アッサムの呆れて物も言えないという様子がうかがえる。
「ただのマラソンで私がここまで心配するわけないでしょ。聖グロリアーナの罰はそんなに甘くはありませんわ」
アッサムはそう言い残すと、ガレージの中へと入っていく。
アッサムの発言に不安をかき立てられたみほであったが、いつまでもここで突っ立っているわけにもいかない。みほは覚悟を決めると、友達二人と共にダージリンが待っているガレージの中へと歩を進めた。
第二ガレージは、倉庫として使われているとは思えないほど綺麗に片づいていた。整備科の生徒は整理整頓もしっかりと教えこまれているようだ。
みほ達が恐る恐るガレージを進んでいくと、多数の戦車が置かれている広い場所に出た。
そこに置かれている戦車はどこか古臭く、年季が入っている物が多い。なかには聖グロリアーナでは珍しい米国製の戦車もあった。英国でスチュアートという愛称で呼ばれた、M3軽戦車だ。
「あら、遅かったわね。もう少しで紅茶が冷めてしまうところだったわよ」
「あ、みんなも来たんだ」
そこには三人をこの場に招待したダージリンと、聖グロリアーナのお客様である島田愛里寿の姿があった。愛里寿は表情の変化こそ少ないが、声はどことなくうれしそうだ。
二人はここでお茶会をしていたようで、即席のテーブルセットにはお菓子と紅茶が置かれている。先にガレージに入っていったアッサムは、テーブルのすぐそばで控えていた。
「主役の三人も到着したことですし、そろそろ始めましょうか。あなた達、あそこにある戦車が何かわかるかしら?」
ダージリンの視線の先にあるのは、他の戦車と区別するように置かれている一輌の戦車。その戦車はサンドブラウンの塗装を施され、見た目はクルセイダーに似ていた。よく見ればクルセイダーよりも車体が短く、車高も低いのがわかるが、ぱっと見で判別するのは難しい。
「クルセイダーのご兄弟でございますか?」
「確かにクルセイダーそっくりですわね。ラベンダー、あの戦車はなんという名前なのかしら?」
「うーん、子供のころ図鑑で見たような気はするんだけど……」
幼いころのみほは、姉と一緒に戦車の図鑑を見るのが好きであった。図鑑で調べた知識を元におもしろい作戦を考え、それを姉と実行して母を激怒させたこともある。
目の前にある戦車はその図鑑に載っていたような気もするが、どうしても名前が出てこない。記憶に残っているのは、あの戦車の解説を読んで姉と一緒に笑い転げたことくらいだ。
「カヴェナンター」
「あ、そうだ! カヴェナンター巡航戦車だ。ありがとう、愛里寿ちゃん。私もだんだん思い出してきたよ」
いつの間にかみほの隣に立っていた愛里寿は、すぐにあの戦車の名前を言い当てた。
カヴェナンターという名前を聞いたことで、みほの脳裏にもあの図鑑の解説がよみがえってくる。
図鑑に載っていたカヴェナンターの解説は、問題点や失敗談であふれていた。幼いみほには、ありえないミスを連発するカヴェナンターがとても愉快な戦車に見えたのである。西住流が使用していたのが優秀なドイツ戦車だったので、カヴェナンターのダメさ加減が余計目についたのだ。
「あのカヴェナンターは問題を起こした生徒の懲罰に使うのよ。カヴェナンターに搭乗して演習場の平原を一周してくるのが、聖グロリアーナの伝統的な罰なの」
楽しかった子供のころの思い出に浸っていたみほは、ダージリンの言葉で一気に現実に引き戻された。
問題を起こした生徒であるみほ達は、これからあのカヴェナンターに搭乗しなければならない。笑っていた失敗談を自分が体験することになったみほは、目の前が真っ暗になった。
「去年このカヴェナンターに搭乗した生徒は、すぐに白旗を上げて戦車道を辞めてしまったわ。あなた達はそんな無様な真似はしないわよね?」
「ダージリン様のご期待は絶ッ対に裏切りませんわ」
「いい返事ね。愛里寿様もご覧になるのだから、必ず最後までやり遂げなさい」
「お任せあれですわ!」
カヴェナンターのことを何も知らないであろうローズヒップは、力強くそう宣言した。その答えにダージリンは満足そうな笑みを浮かべている。ローズヒップはダージリンに微笑んでもらえたのがうれしいのか、頬をほんのり赤く染めていた。
その一方、これから始まる苦行に頭を悩ませていたみほの表情は冴えない。ダージリンの微笑みは、みほには悪魔の笑みにしか見えなかった。
聖グロリアーナの広大な演習場をカヴェナンターがゆっくりと走行していた。
巡航戦車と思えないようなのんびりとしたその走りは、まるで優雅なドライブをしているようである。それとは裏腹に車内は地獄の様相を呈していた。
「くそ熱いっ! なんなんだこの戦車は!」
狭い砲塔の中にルクリリの叫びがこだまする。ルクリリは全身汗だくであり、顔からは滝のような汗が流れていた。
「ルクリリさん、がんばって。あと半分ぐらいだから。ローズヒップさん、スピードはこのままを維持してください」
ルクリリを励まし、ローズヒップに指示を飛ばすみほも同じような状態だ。すでに下着まで汗でぐっしょりと濡れており、車長席の足元には汗で小さな水溜りができていた。
なぜこんなことになっているのかというと、原因はカヴェナンターの設計ミスのせいだ。
カヴェナンターのエンジンは液冷式なので、エンジンと冷却装置を配管でつなぎ冷却液を循環しなければならない。エンジンで温められた冷却液は、配管を通って冷却装置に送られ、冷やされてからエンジンに戻るのだ。
カヴェナンターは車高を低くした影響でエンジンが車体後部に、冷却装置が車体前部に配置されていた。そのせいで配管が車内を通ることになり、高温の冷却液によって温められた配管の熱が車内を灼熱地獄に変えてしまう。
カヴェナンターに搭乗する乗員は、このサウナ状態の車内で耐え続けなければならない。これが去年搭乗した生徒が即白旗を上げた理由だ。
「あと半分……。ローズヒップ、もっとスピードを上げろっ!」
「その言葉を待っていましたわよ、ラベンダー!」
「ローズヒップさん、待って! 今の指示は私じゃないよ!」
ローズヒップがみほの指示だと勘違いしたのには訳がある。
冷却装置が配置されているのは操縦席の隣。つまりローズヒップのいる場所は、この車内で一番高温になっている。そんなところに長時間もいれば、正常な判断ができなくなるのも無理はなかった。
「カヴェナンター、あなたの実力を見せるときがきましたわよ!」
ローズヒップは喜び勇んでギアチェンジを行い、アクセルを踏みしめた。
巡航戦車であるカヴェナンターは、整地で時速50km近いスピードが出せる。その速度を維持できれば、短時間でゴールするのも不可能ではない。
もっとも、それができればみほは初めからスピードを上げる指示を出していた。みほがスピードを上げなかったのは、カヴェナンターの足回りの弱さを知っていたからだ。
「あれ? 動けませんわ?」
「履帯が外れたんだ。一回外に出て直さないと……」
「どこまでへっぽこなんだこの戦車は!」
カヴェナンターがスピードを出して曲がろうとした瞬間、簡単に履帯が外れてしまった。カヴェナンターは操舵装置の反応が良すぎるので、慎重に操縦しないとすぐ走行不能に陥ってしまうのである。
みほ達がカヴェナンターの履帯を直し終えたころには、すでに太陽は夕日に変わっていた。
三人はスポーツドリンクと塩飴で水分と塩分を補給したあと、体力と気力を回復させるための休憩をとっている。表情には疲労の色が濃く、誰も言葉を発することができない。
みほは激しい後悔にさいなまれていた。ローズヒップとルクリリをこんな目にあわせているのは、みほの軽率な行動が原因だからだ。
二人はみほを一言も責めたりしない。そのかわりに、みほは自分で自分を責め続けた。
──私が二人をひどい目にあわせている。
──私がしっかり指揮しないから、履帯が外れた。
──みんな私が悪い。
自己嫌悪がどんどんエスカレートしていくなか、みほの瞳からは自然と涙がこぼれてくる。情けないと思いながらも自己防衛本能には逆らえず、みほは涙を止められない。
そんなみほを救ってくれたのは、やはりこの二人であった。
「ラベンダー、ちょっと目をつぶっていてくださいまし。汗臭いかもしれないけど、そこは我慢してほしいですわ」
「またネガティブなことを考えてたんだろ。手を握っててあげるから、冷静になって心を落ちつけるんだ」
ローズヒップがタオルでみほの涙を優しくぬぐい、ルクリリがみほの手をぎゅっと握りしめる。
たったそれだけのことで、さっきまでみほを苦しめていた心の声は消え、あふれ出る涙も止まった。かけがえのない二人の友達がそばにいてくれるのが、みほにとっては何よりの救いなのだ。
「二人にみっともないところを見せちゃった」
「それはお互い様ですわ。わたくし達も、ラベンダーには恥ずかしい姿ばかり見せてきましたわよ」
「ローズヒップはいつも学校中を走り回っているからな。自覚があるなら走るのをやめたらどうだ?」
「一度走り出すと止まれないんですの。きっとこれは、わたくしのDNAに刻まれた本能なのでございますわ」
したり顔でそう力説するローズヒップ。彼女のDNAにはマグロの因子でも入っているのかもしれない。
「ローズヒップの口からDNAなんて難しい言葉が出てくるとは思わなかった……」
「失礼なっ! これでもお勉強は得意でございますわよ」
「ふふっ、ローズヒップさんは意外と頭がいいもんね」
「ラベンダーまでそんなこと言うなんて、ひどすぎですわー」
「わわっ、冗談だよ冗談」
先ほどまでのしんみりした空気は一変し、いつもの楽しい空気が戻ってきた。三人の表情には笑顔があふれ、疲れていた体も元気を取り戻したようだ。
気分を一新させた三人は再びカヴェナンターに搭乗しようとするが、そこでルクリリが待ったをかけた。
「カヴェナンターに乗る前に私から提案がある。少しでも熱さに耐えるには、もうこうするしかないと思うんだ」
ルクリリは赤いタンクジャケットのボタンを外し、勢いよくそれを脱ぎ捨てた。
タンクジャケットの下に着ていた白シャツは汗で濡れており、白いブラジャーが透けて見える。ルクリリのあられもない姿を目の当たりにしたみほとローズヒップは、思わず赤面してしまった。
「これで多少は熱さがましになるだろ。次こそは耐えてみせるぞ」
「はしたないですわ! ダージリン様が見ていらっしゃるんですのよ!」
ダージリンと愛里寿は、演習場を見渡すために作られた司令塔の最上階で三人の様子を見ている。優雅とはかけ離れたルクリリの突飛な行動も、司令塔のビデオカメラにバッチリ収められているだろう。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。水も残り少ないし、もうすぐ日も暮れる。この次失敗したらあとがないんだぞ」
「それはわかっているでございますけど……」
ローズヒップは赤い顔で指をもじもじさせていた。女らしさの欠片もない行動が目立つローズヒップだが、憧れの人であるダージリンに恥ずかしい姿を見られるのは抵抗があるらしい。
みほもローズヒップ同様、タンクジャケットを脱ぐのは恥ずかしいと思う気持ちが強い。それでも、みほはタンクジャケットのボタンを次々と外していった。自分を救ってくれたルクリリの思いを無視するわけにはいかない。
「私も脱ぐ。ルクリリさんだけに恥ずかしい思いはさせないよ」
「ラベンダーまで……。もうどうにでもなれですわ!」
みほがタンクジャケットを脱いだことで、ついにローズヒップも観念した。
ルクリリと同じ白シャツ姿になった二人は当然ブラジャーも透けて見える。みほはルクリリと同じ白いブラジャーで、ローズヒップは赤いブラジャーであった。皮肉なことに最後まで渋っていたローズヒップが、三人の中で一番目立つ格好になってしまっている。
そんなローズヒップが勢いよく挙手をした。どうやら彼女にも何か考えがあるようである。
「わたくしからも提案ですわ。この前ネットで見た元気が出るおまじないを三人で一緒にやりますわよ」
ローズヒップがみほとルクリリの立つ場所を指定し、三人は三角形になる状態で向かい合う。中央にいるローズヒップが右手でみほの左手を握り、左手でルクリリの右手を握る。みほの右手にはルクリリの左手を握らせ、三人の腕がクロスするような形でつながった。
その状態のまま三人は腕を前後させる。これでおまじないは完成であった。
「最後までがんばりますわよー」
「もうひと踏んばりだからな。諦めずにがんばるぞ」
「私もがんばる。もう二人に迷惑はかけない」
三人がそれぞれの思いを口にし、決意を新たにする。
ローズヒップとルクリリの温もりを心地よく思いながら、みほは二人との絆が強くなったのを実感していた。
◇
「あの子達はなんて格好をしてるのよ……」
司令塔の最上階でアッサムは頭を抱えている。
演習場全体を映している大小様々なモニター。その中でも一番大きい中央のメインモニターには、懲罰中の三人が仲良く手をつないでいる姿が映っていた。
「アッサム、そんなに悲観しなくてもよくってよ。あの子達が変な行動をするのはいつものこと、今さら気にする必要はないわ。それに、こんな格言もあるわよ。『欠点の中には、美点に結びついて美点を目立たせ、矯正しないほうがよいという欠点もあるものである』」
「えーと……ちょっと待っててくださいね、ダージリン。今すぐ調べますから」
アッサムはノートパソコンでダージリンの格言について調べはじめた。その結果が出るより先に、ダージリンの隣の席に座っている愛里寿の口から答えが出る。
「フランスの随筆家、ジョセフ・ジュベールの格言」
「さすがは愛里寿様、博識ですわね」
ダージリンは愛里寿をほめたあと、機嫌のよさそうな声で話の続きを口にした。
「あの子達は他の聖グロリアーナの生徒にはないものを持っている。それが聖グロリアーナに新しい風を起こしてくれるのを私は期待しているのよ」
◇
カヴェナンターは日が暮れる前にゴール地点へたどり着いた。
カヴェナンターのエンジンが停止すると同時に、みほ達は車外へ脱出。すぐさま持っていたペットボトルの中身を飲みほし、新鮮な空気を肺いっぱいに吸いこんだ。
そうして一息つくと、今度は三人ともその場にへたりこむように地面に尻餅をついた。汗まみれの体からは湯気が立ちのぼり、したたる汗で地面が濡れていく。
「ローズヒップ、大股開きをしてると下着が見えるぞ」
「そう言うルクリリも足が開いてますわよ。ラベンダーはアヒル座りだから見えないですわね」
「ふえっ!? ローズヒップさん、覗いちゃ嫌だよー」
だらしない格好で地べたに座りこむ三人。しばらくそのままでいると、整備科の生徒を引き連れたダージリン達がやってきた。
本当ならすぐに立ち上がらなければならないのだが、熱で体力を消耗したみほの体はまったく動いてくれない。
ローズヒップとルクリリも足を閉じるのが精一杯のようである。
「よくがんばったわね。誇りなさい、この罰を最後まで終えたのはあなた達が初めてよ」
「後片づけは整備科の生徒がやってくれるから、あなた達は大浴場に行きなさい。制服と替えの下着は私が用意しておきますわ」
ダージリン達と一緒にやってきた整備科の生徒は、さっそくカヴェナンターの点検を始めている。その姿をぼんやりと眺めていたみほの目の前に、透き通るような白い小さな手が差し出された。
「大丈夫?」
「愛里寿ちゃん、ありがとう」
みほは愛里寿の手を取り立ち上がる。愛里寿は汗まみれのみほの手を握っても、嫌な顔一つしなかった。
「愛里寿さん、わたくしにも手を貸してくださいまし」
「私も頼む……」
ローズヒップとルクリリも自力では立ち上がれないようだ。
みほと愛里寿はうなずき合うと、大切な友達に向かって手を差し伸べた。