第六十三回戦車道全国大会、準決勝第二試合。
対戦するのは去年の準優勝校、黒森峰女学園と去年のベスト4、聖グロリアーナ女学院だ。
この試合は大会屈指の好カード。準決勝第一試合で勝利したのが無名の大洗女子学園ということもあり、世間では事実上の決勝戦とささやかれていた。
ところが、今日の天気はあいにくの雨模様。
試合会場は平原だけでなく、うっそうと生い茂ったジャングルと丘陵地帯も含まれているので、コンディションは最悪の部類に入るだろう。
さらに、丘陵地帯を流れる川はかなり水位が上がっている。いかに戦車といえど、うかつに渡河するのは危険を伴う。
この試合の進軍ルート選びは、両校にとって重要なポイントになりそうだ。
◇
黒森峰女学園は陣地で大型テントを立てて、試合前のミーティングを行っていた。
しかし、隊長の深水トモエはどこか上の空。会議には参加しているものの、心はここにあらずといった感じだ。
「隊長、作戦はこれでよろしいですか?」
「……いいと思います」
「それでは、会議はこれで終了になります。隊長、最後に何か言うことはありますか?」
「……ありません」
司会進行役の赤星小梅は、トモエの投げやりな返事に困惑したような表情を浮かべている。
部隊をまとめるはずの隊長がこの有様なのだ。彼女の戸惑いは察するに余りある。
そんな会議の様子をエリカたちは一番後ろの席で見ていた。
嫌われ者の彼女たちに近づく生徒はおらず、周りは空席だらけ。会議中におしゃべりしていても注意する生徒は誰もいなかった。
「隊長、プラウダが負けてからずっとああだよね。やっぱりショックだったのかな?」
「プラウダの隊長は深水さんの自信の源だったのよ。その精神的支柱がまほさんに負けたことで、深水さんは元の臆病者に逆戻りってわけ」
エミの問いにトゲのある答えを返すエリカ。
最近は少し丸くなったエリカだが、歯に衣着せぬ物言いは健在だ。
「あの隊長の面倒を見ないといけないんだから、赤星も大変だな。そのうち胃薬が必要になるんじゃないか?」
「他人事みたいに言うな。元はといえばお前らのせいだろう」
ヒカリはムッとしたような表情で茜に文句を言う。
根住ヒカリは赤星小梅と一番仲がいい。小梅が苦労するきっかけを作った一人である茜の軽口は、彼女のかんに障ったのだろう。
「私たちが喧嘩しても意味ないでしょ。もう会議は終わったんだから、戦車の点検に行くわよ」
そう言ってエリカが席を立とうとしたとき、会議場に異変が起こった。
予期せぬ来客がこの場を訪れたのである。
「黒森峰のみなさん、ごきげんよう。ずいぶん暗い感じで作戦会議をしてるんですね。まるでお通夜みたいでしたよ」
現れたのは聖グロリアーナ女学院のクルセイダー隊隊長、ラベンダーだ。
だが、ラベンダーはどこか様子がおかしい。エリカたちの知っているラベンダーは、人を小馬鹿にしたような発言をする人物ではなかったはずだ。
「深水隊長、プラウダの結果は残念でしたね。まさか、カチューシャさんが負けるとは思いませんでした。大洗のような素人集団に敗北するなんて、私はあの人を過大評価してたみたいです」
ラベンダーは手にした扇子で口元を隠し、見下したような視線をトモエに向ける。
「あんな弱い人に傾倒してたなんて、黒森峰の隊長の名も地に落ちたものです。深水隊長、カチューシャさんの太鼓持ちはもうやめてくださいね。あなたが必要以上に持ち上げるから、田舎のお山の大将が調子に乗るんですよ」
トモエはわなわなと体を震わせながら両手を握りしめている。
目に溜まった涙は今にも決壊寸前。ラベンダーがあと一押しすれば、トモエが我を忘れて激怒する様が見られるだろう。
それに待ったをかけたのは、副隊長の小梅であった。
「ラベンダーさん、あなたにはがっかりしました。こんな傲慢な人だったなんて……隊長をコケにするのはもうやめてください」
敵意のこもった目でラベンダーをにらみつける小梅。
それを見たラベンダーは小梅に冷たい目を向けた。
「がっかりしたのはこっちです。黒森峰はプラウダに乗っ取られそうになってたんですよ。赤星さん、あなたは自分の隊長がプラウダの隊長の言いなりになってるのを見て、何も感じなかったんですか?」
「それは……」
「事実だから反論できませんよね。他のみなさんも同罪ですよ。私が知っている黒森峰は、こんな情けない集団じゃありませんでした。嘆かわしいことです」
高慢ちき、横柄、尊大。黒森峰の全隊員を見下すラベンダーは、高飛車なお嬢様そのものだ。
おそらく、この場にいるほとんどの人間がラベンダーに嫌悪感を抱いているだろう。
例外はラベンダーの友人であるエリカたちくらいであった。
「ラベンダーって最低なやつだな。お前らが戦車喫茶であの子と喧嘩した理由がよくわかったよ」
「いやいや、ラベンダーはあんな子じゃないよ。あ、わかった! あれ、茜の妹でしょ。性格の歪み具合とかそっくりだし」
「バカ言うな。あたしが妹の変装を見抜けないわけないだろ。忍が変装してるときと感じが似てるから、たぶんラベンダーは誰かの演技をしてるんだ」
茜はエミの仮説を即座に否定し、次に自身の仮説を口にした。
茜の妹である三郷忍は変装の達人。妹の変装を見知っているであろう茜の説は説得力がある。
「なるほど、そういうこと……。ちょっと行ってくるわ」
エリカは席を立ち、ラベンダーの元へと向かう。
この二人は一年生時に取っ組み合いの喧嘩をした間柄。普通に考えれば、争いになる前に誰かが止める。
しかし、エリカはすんなりラベンダーの前にやってこれた。もしかしたら、エリカがラベンダーに暴力を振るうのをみんな期待しているのかもしれない。
「逸見さん、また私を殴るつもりですか? あなたは本当に野蛮な人ですね。淑やかという言葉を辞書で引くのをおすすめしますよ」
「ラベンダー、あんた相当無理してるでしょ? 似合わないことはやめたほうがいいわ」
言いたい放題だったラベンダーの口がピタッと止まり、持っていた扇子で顔を覆う。
しばらくそうしていたラベンダーが次に顔を出したとき、表情は笑顔に変わっていた。
「逸見さんは有象無象の輩とは一味違いますね。私が西住流の頂点に立ったら、あなたを重用してあげます」
「まだ続けるつもりなの……。それはいいから、早く仲間のところへ帰りなさい」
「エリカさんは優しいですね。それでこそ私の見込んだ人です」
「ああもう、じれったいわね。ほら、行くわよ」
エリカはラベンダーの手を引っぱり会議場の外へと連れだした。
そして、傘も持たずに雨の中を二人で歩いていく。
不測の事態に見舞われた黒森峰女学園の作戦会議はこうして幕を閉じた。
◇◇
みほはエリカに手を引かれながら雨の中を歩いている。
心が疲れているせいで体が重い。エリカが手を引いてくれなかったら、一歩も前に進めなかっただろう。
「無茶しすぎよ。もっと自分を大事にしなさい」
「ごめんなさい……」
「それで、あれは誰のものまねなの?」
「一年生のころのダンデライオン様。キャロルさんが演技指導をしてくれたの」
これは黒森峰に勝つための作戦。本当ならエリカに真実を話してはいけない。
だが、自分の心を偽るのはもう限界だった。大勢の人に嫌われるのは、みほの心に想像以上のダメージを与えていたのだ。
「迎えが来たみたいね。それじゃ、私は戻るわ」
ローズヒップとルクリリがバシャバシャと水を跳ね上げながらこっちに走ってくる。
どうやら、みほは親友の二人にまた心配をかけてしまったようだ。
「エリカさん、ありがとう」
「……あなたの作戦、効果抜群だと思うわよ。あんなにバカにされて冷静でいられる子は少ないでしょうからね。私の話を聞いてくれそうなのは、赤星くらいなもんだし」
エリカはそこで言葉をいったん区切ったあと、強い口調で話の続きを口にした。
「私は負けないわ。あなたがどんな策を使ってきたとしてもね」
できれば、エリカとはもっと違った形で戦いたかった。
しかし、今回ばかりはそうもいかない。
まほを守るため、今日だけは悪い子になる。みほはそう決めたのだから。
◇
いよいよ試合が始まった。
黒森峰は重戦車を先頭にした楔形陣で平原を前進。パンツァーカイルと呼ばれるこの攻撃陣系は、黒森峰お得意の進軍方法である。
エリカたちの駆逐戦車ヤークトパンターは左翼の側面担当。普段よりもかなり進軍速度が早いので、車長のエミは陣形を維持するのに四苦八苦している。
「みんなイライラしてるな。ラベンダーの思惑どおりってわけか……」
装填手のヒカリがそう独り言をつぶやいた。
エリカの話をヒカリはすんなり信じてくれた。彼女は、超重戦車マウスの車長の座を捨ててヤークトパンターに来てくれた男気あふれる少女だ。エリカを疑う気など毛頭ないのだろう。
「ラベンダーは試合前から策を仕掛けてきた。しかも、聖グロはフラッグ車をチャーチルからクロムウェルに変更してる。今日の聖グロはいつもと同じだと思わないほうがいいわね」
「エリカは聖グロが小細工してくるって思ってるの? それはありえないでしょ。あそこはOG会がうるさいんだよ」
「ラベンダーは独断であんなことはしないわ。あの子を操っているのは、おそらくダージリンよ」
ダージリンの名を耳にしたエミは軽く身震いした。
エミはダージリンに関わるとろくな目に遭っていない。恐怖を感じるのも無理はないだろう。
三日間ひきこもった恥辱のあんこう踊り。そして、墨汁まみれでカヴェナンターに乗った苦難の肝試し。この二つの出来事は今でもエミのトラウマだ。
「敵が来たみたいだ。エミ、びびってる場合じゃないぞ!」
操縦手の茜がエミを一喝する。
それと同時に、ヤークトパンター以外の戦車がいっせいに攻撃を開始した。
敵が現れた瞬間、即発砲。強豪校の黒森峰らしからぬ余裕のなさだ。
「敵はクルセイダー隊だよ。蛇行しながらこっちに向かってくる」
キューポラから顔を出し、双眼鏡でエミが状況を確認する。
先ほどは気の弱いところを見せたエミだが、どうやら気持ちをスパッと切り替えたようだ。
「エミ、深水さんの指示は?」
「雑魚に構わずクロムウェルを潰せって言ってる」
「安直な。ラベンダーが無策で突撃してくるわけないじゃない。エミ、相手は何をしてくるかわからないわ。十分に注意しなさい」
「了解!」
この戦車の車長はエミのはずなのに、いつの間にかエリカが仕切っている。
それでも、エミは文句一つ言わない。直下エミは付和雷同という言葉がよく似合う小心者なのだ。
「エリカ、二輌のクルセイダーが左右から突っこんでくる。すごいスピードだよ」
「リミッターを解除したわね。ヤークトパンターの火力なら当たればいちころだけど……」
クルセイダーの接近をエミから知らされたエリカは、砲撃を当てようと試みる。だが、リミッターを解除したクルセイダーには当たらなかった。
ヤークトパンターは砲塔が搭載されていない駆逐戦車。回転砲塔を持っていないので素早い相手の対処は不向きであった。
「クルセイダーが煙幕を張ったぞ! エミ、あたしはこのまま進めばいいのか?」
「えーと、えーと、どうしよう、エリカ?」
茜に答えを返せなかったエミはエリカに助けを求めた。
エミは突発的な事態に弱い。正確にいえば、黒森峰自体が緊急時の対処を苦手としていた。
いつもであれば、情報収集を得意としている隊長のトモエが場を鎮める。しかし、今日のトモエは当てにできない。
ラベンダーの策にはまったトモエは、黒森峰で一番冷静さを欠いている人間だからだ。
「落ち着きなさい。ヤークトパンターの装甲は伊達じゃないわ。よほどの至近距離でない限り、クルセイダーにやられることはない」
エリカは自信を持ってエミにそう答えるが、その直後に振動がヤークトパンターを襲う。
どうやら、どこかに砲撃を受けたようだ。
「被弾箇所はどこ!?」
「履帯をやられたみたいだな」
エミの問いに茜は両手を上げてそう答える。
履帯を壊されると戦車は動けない。操縦手はもうお手上げだ。
「仕方ない。履帯を直すわよ」
「えーっ!! うちの履帯、すっごい重いのに……」
「ごちゃごちゃ言うな。早く直さないと試合が終わっちゃうぞ」
エリカの提案に不満を漏らすエミをヒカリが黙らせる。
ヤークトパンターの履帯が壊れたことで、エリカたちは試合開始早々、肉体労働を行うはめになった。
◇
全七輌のクルセイダー隊は黒森峰の戦車隊にぶつかる前にくるっと方向転換し、ジャングルを目指していた。
二輌のクルセイダーMK.Ⅲが煙幕を張ってくれたおかげで、今のところ脱落車輌はゼロ。
けれども、煙幕を張ったクルセイダーMK.Ⅲはリミッターを解除してしまっている。エンジンが故障するのは時間の問題だ。
『ラベンダーさん、私はここまでみたいですわ。ご武運をお祈りいたします』
一輌のクルセイダーMK.Ⅲのエンジンが火を吹き、ついに白旗が上がった。
「ごめんなさい。あなたにこんな役を押しつけてしまって……」
『謝らないでくださいまし。ラベンダーさんと一緒に戦えて光栄でしたわよ』
これでクルセイダー隊は残り六輌。
そのとき、最後尾を走っていたハイビスカスが隊長車に連絡を入れてきた。
『ラベンダー様、黒森峰が追ってきたよ。ヤークトパンターとティーガーⅡの姿は見えないから、履帯の破壊はうまくいったみたいじゃん』
エリカのヤークトパンターと赤星小梅のティーガーⅡを一時的に動けなくする。これがみほの下した命令であった。
黒森峰をイライラさせるためにみほは演技の勉強までしたのだ。部隊を冷静にできる人物が残っていたら、あの苦労が水の泡になってしまう。
当初はエリカだけのつもりであったが、エリカの口から小梅の名が出たので追加させてもらった。この戦いは絶対に負けられないのだから、念には念を入れる必要がある。
「このままの距離を保ちながら黒森峰をジャングルの中に誘導します。ニルギリさん、全車にそう通達してください」
「わかりました」
フラッグ車のクロムウェルを餌にし、黒森峰をジャングルにおびき寄せるのがクルセイダー隊の役割。
ジャングルの中には罠を張ったマチルダ隊が控えており、黒森峰をさらなる混乱に追いこむ予定であった。
そのとき、クロムウェルの近くに砲弾が着弾した。
煙幕を張っていた一輌のクルセイダーMK.Ⅲが脱落したことで、煙は薄くなっている。そのせいで黒森峰の砲撃の精度は明らかに上がっていた。
『ラベンダー様、煙幕使っていいー? この砲撃を避け続けるのは、ちょっち厳しいじゃん』
「ハイビスカスさん、今は耐えてください。残りの煙幕はジャングルの中で使用します」
黒森峰を罠にはめて部隊を分断するには煙幕が必要不可欠。ここで消費してしまうわけにはいかない。
とはいえ、ここでクルセイダーを一輌でも失うと、作戦の成功率は大幅に下がる。最悪の場合、煙幕の使用も許可しなければならないだろう。
みほがそう思案していると、すでに煙幕を使用しているクルセイダーMK.Ⅲの車長から無線連絡が入った。
『ラベンダー様、私たちが時間を稼ぎますわ』
一輌のクルセイダーMK.Ⅲが反転し、黒森峰の戦車隊に向かっていく。彼女たちは自分を犠牲にして部隊を助けるつもりなのだ。
「危険です! 戻って……」
『ダメっ!!』
みほの指示を金切り声でさえぎったのは、クルセイダーMK.Ⅱに搭乗しているダンデライオンであった。
『ラベンダーちゃん、あたしたちは聖グロリアーナの伝統を捨てました。だけど、それはあなたにお願いされたからじゃない。みんなこの試合にいろんなものを賭けてるんです。あの子たちの思いを無駄にするのはあたしが許しません!』
みほがダンデライオンに怒られたのはこれが初めてだ。
でも、おかげで目が覚めた。この試合はどんな犠牲を払っても勝たなければならない。この戦いを始めた張本人であるみほは、それを曲げてはいけないのである。
「ローズヒップさん、急いでジャングルに向かってください。ニルギリさん、各車に連絡をお願いします」
みほは静かな声で乗員に指示を飛ばしたあと、車長席に腰を下ろす。
すると、みほの目の前に紙コップが差しだされた。砲手のベルガモットが飲み物を用意してくれたのだ。
「ラベンダー様、どうぞ。お疲れのようですから、リラックスできるハーブティーを用意しましたわ」
ダンデライオンも言っていたが、この試合は聖グロリアーナの伝統を捨てて戦っている。なので、今日は誰もティーカップを所持していない。
どうやら、ベルガモットは水筒と紙コップを持参してきたようだ。
「ありがとう、ベルガモットさん。あれ? もしかして、これってラベンダーティー?」
「はい。ラベンダー様のニックネームになったハーブティーですわ。精神の高まりを鎮め、心の緊張を和らげてくれる癒しのお茶ですの」
「さすがベルガモットさん。ハーブティーのチョイスもばっちりです」
「カモミールさんもどうぞ。まだまだありますので、遠慮はいりませんわ」
ベルガモットとカモミールの会話を耳に入れながら、みほはラベンダーティーに口をつける。
ベルガモットのラベンダーティーは何だかとっても優しい味がした。