聖グロリアーナには主に運動系の部活の生徒が使用する大浴場がある。
大浴場はジェットバスやミストサウナなどの設備が充実しており、外には露天風呂まで作られていた。大理石で作られた露天風呂の円形の浴槽にはバラの花びらが浮かべられ、鮮やかな花色と香りを楽しむことができる。
汗で汚れた体を綺麗にしたみほ達は、その露天風呂で疲れをいやしていた。
露天風呂には四人の人影が見える。みほ達と楽しくおしゃべりしている人物はとても小柄で、高校生とは思えない背丈であった。
それも当然であろう。みほ達と一緒に露天風呂につかっているのは、小学生の愛里寿なのだから。
「愛里寿ちゃん、お湯加減はどうかな?」
「温かくて気持ちいい。お花もいいにおいがする」
「気に入ってもらえてよかった。紅茶も用意してあるから、好きに飲んでいいよ」
浴槽には花びらの他に、ティーポットとティーカップを乗せたお盆が浮かんでいた。
聖グロリアーナの大浴場には給湯室まで設けられており、入浴中でも紅茶を楽しめる。冷蔵庫も設置されているのでアイスティーを作るのも可能だ。
「汗をかいたあとに飲むお紅茶は格別ですわね。体の芯まで温まる気がするでございますわ」
「あれだけ高温の場所に長時間いて、よく熱い紅茶が飲めるな。私はアイスティーにしたぞ」
「アイスティーは邪道ですわ。淑女を目指すのであれば、お紅茶はホットに限りますわ」
そう声高に主張したローズヒップは、いつものように熱い紅茶を一気に飲み干す。はっきりいってかなり暑苦しい。
ローズヒップの熱気にあてられたルクリリは逃げるようにその場を離れ、対面の浴槽まで移動する。そして、両腕を浴槽のふちにかけうつ伏せにもたれかかると、ふーっと一つ息を吐いた。
そんなルクリリの姿を愛里寿はじーっと見つめている。
「どうした、愛里寿? 私のことをずっと見てるけど?」
「ルクリリは美人だね。おっぱいも大きいし」
「うええっ!? い、いきなり何を言い出すんだ……」
愛里寿に容姿をほめられたルクリリは、あからさまにうろたえていた。
ルクリリは入浴のとき、三つ編みをほどいてヘアクリップで上にまとめている。その姿はみょうに色っぽく、元から優れている容姿がさらにレベルアップするのだ。
「私もルクリリさんは美人だと思うよ」
「ルクリリは物静かにしてたら、深窓の令嬢に見えるでございますからね」
「み、みんなして私をからかうなよ。恥ずかしいだろ……」
ルクリリの顔はゆでだこみたいに真っ赤だ。それに追いうちをかけるように、愛里寿の口から爆弾発言が飛び出した。
「ねえ、おっぱい触ってもいい?」
「はあっ!? ダ、ダメに決まってるだろ!」
ルクリリは慌てて胸を両手で隠した。顔はさらに赤くなり、瞳もわずかにうるんでいる。
普段とは違うルクリリのしおらしい姿は、みほの好奇心を大いに刺激した。それはローズヒップも同じだったようで、顔にはにやにやした笑みが浮かんでいる。
「おもしろそうだから、わたくしも触りますわ」
「私も触りたいかな」
三人はルクリリのいるほうへゆっくりと間合いを詰めていく。三方向からにじり寄られたことで、ルクリリに逃げ場はなくなった。
「よ、よせっ! それ以上近づいたら本気で怒るぞ!」
「おほほほほ、もう逃げ場はありませんわ。観念してくださいまし」
「覚悟して」
「ごめんね、ルクリリさん」
三人はいっせいにルクリリに飛びかかった。
浴槽の水面は大きく波打ち、バラの花びらがゆらゆらと揺れる。
「やめっ、ひゃぁっ! バカっ、強くもむな! そ、そこはダメっ……、もういやぁっ!」
ルクリリを中心にもみくちゃになる四人。
ルクリリに悪いと思いながらも、みほはじゃれ合いを止められなかった。こんなたわいもない悪ふざけも、みほにとっては大切な思い出の一ページなのである。
大浴場を出たみほ達は併設された休憩室で湯涼みをしていた。
散々いじくり回されたルクリリは、革張りのソファーの上で完全にグロッキー状態だ。背もたれに体を投げ出している姿は、激しいラウンドを戦い終えたボクサーのようであった。
その隣ではルクリリがこうなるきっかけを作った愛里寿が、イチゴジュースをおいしそうに飲んでいる。
露天風呂から上がった直後は烈火のごとく怒っていたルクリリだったが、愛里寿が素直に謝るとあっけなく許してくれた。
ちなみに簡単に許されたの愛里寿のみ。みほとローズヒップは強烈なデコピン一発で手打ちにしてもらえた。
「みんなに言うことがある」
イチゴジュースを飲み終わった愛里寿はそうつぶやいた。
デコピンで赤くなった額をさすっていたみほは、愛里寿のほうへと視線を向ける。愛里寿の表情はいつも通りで、あまり変化は見られない。どうやら、それほど重大な話ではないようだ。
「私も明日から聖グロリアーナに通うことになった」
「ふええっ!?」
「マジですの!?」
「な、なんだ!? 何があった!?」
休憩室に三人の驚きの声がこだまする。
みほの予想とは違い、愛里寿の話は衝撃的なものであった。
翌日、みほ達はいつものように『紅茶の園』で開かれる朝のお茶会に参加していた。聖グロリアーナの生徒は必ず一回朝にティータイムをとるのが決まりなのだ。
『紅茶の園』でお茶会に参加できるのはニックネーム持ちの生徒だけだが、今日は例外が一人いる。聖グロリアーナ女学院の制服に身を包んだ愛里寿だ。
「本日から島田愛里寿さんが聖グロリアーナ女学院に体験入学なさいます。愛里寿さんはあの島田流のお嬢様で、来年高校か大学に飛び級する予定なの。今回の体験入学は、進路を探している愛里寿さんの参考になればと、私が企画したものですわ。一週間という短い期間ですが、仲良くしてあげてくださいね」
アールグレイの話を聞いたほとんどの生徒は驚きを隠せていない。愛里寿の体験入学は、ニックネーム持ちの生徒ですら知らない秘密事項だったようだ。
驚いていないのは事前に知っていたみほ達を除けば、ダージリンとアッサム、そしてクルセイダー隊の隊長くらいであった。
「ラベンダー、ちょっといいかしら?」
「は、はいっ!」
突然呼び出されたみほは小走りでアールグレイの元へ向かった。
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。ラベンダーを呼んだのは、あなたに愛里寿さんのサポートをお願いしたいからなの。彼女は本来なら小学生なのだから、何かと苦労も多いはずですわ」
「わかりました。愛里寿ちゃん、よろしくね」
「うん。よろしく」
みほは優しい笑みを浮かべて愛里寿と握手をする。みほと比べるとぎこちないが、愛里寿も笑顔でみほの手を握っていた。
「愛里寿さんのクラスはラベンダーと同じにしてもらいますわ。彼女が住む場所もラベンダーと同じ部屋になる予定です。大変だとは思いますが、困ったことがあったら遠慮なく私に相談してくださいね」
みほと愛里寿の短い共同生活はこうして始まった。
愛里寿と一緒に授業を受けることになったみほは、彼女の天才ぶりに度肝を抜かされた。愛里寿は高校生の授業についていける学力をすでに身につけていたのだ。
数学、英語、世界史、物理。これら四つの教科で出された質問に対し、愛里寿が出した答えはすべて完璧であった。それに加えて、世界史では教師のミスを指摘し、丁寧に解説をしてみせるといった博識ぶりを披露している。
聖グロリアーナ女学院に入学するには一定の学力が必要なので、みほの学力は決して低くはない。それでも、勉強に関してはみほが愛里寿を手助けする必要はなさそうだ。
「愛里寿ちゃんはすごいね。私には到底真似できないよ」
「大したことじゃない。今まで勉強してきた成果が出ただけ」
みほと愛里寿は話しながら学食に向かっていた。愛里寿は昼食の用意をしていなかったので、一緒に学食へ行くことにしたのだ。
学食の入り口にはローズヒップとルクリリが待っており、みほと愛里寿は二人に合流した。
「ごきげんようですわー! 愛里寿さん、午前の授業は大丈夫でございましたか?」
「うちの学校の授業はけっこう難しいからな。愛里寿なら無難にこなしたとは思うけど……」
「二人とも、聞いて聞いて。愛里寿ちゃんはすごく頭がいいんだよ」
愛里寿の活躍の話をしながらみほ達は学食に入っていく。
うれしそうに愛里寿のことを語るみほに対し、当の愛里寿はポーカーフェイス。ただ、頬にわずかな赤みがさしているのを見ると、愛里寿も完全に無表情を装えてはいないようだ。
みほ達は外のテラス席で昼食をとることにした。
それぞれの今日の昼食は、みほが海鮮丼、愛里寿がオムライス、ルクリリが中華丼である。ローズヒップは手のかかる料理を頼んだらしく、完成に時間がかかっていた。
「ローズヒップは何を頼んだんだ?」
「きっと英国の料理だと思うよ。聖グロリアーナでしか食べられない料理を愛里寿ちゃんに見てもらいたいって、話してたから」
「英国料理か……私はあまり頼んだことがないな。ここの料理人の腕は確かだけど、英国料理の味を完全再現するのは正直どうかと思うぞ」
この食堂で腕を振るっているのは一流の料理人ばかり。それゆえ、料理の味に関しては妥協するという言葉はいっさいない。本場の味を生徒達に提供するのは、一流と呼ばれる料理人の使命なのだ。
もちろん、英国料理も本場で食べられているものとまったく同じ味つけだ。要するにあまりおいしくない。料理人のこだわりが詰まっている英国料理だが、学食では断トツの不人気メニューであった。
「お待たせですわー!」
ローズヒップが持っている皿には布が被せられていた。大きさと形はローズヒップがよく食べているミートパイに似ているが、被せている布の表面は大きく波打っている。どうやら、パイ生地には何か突起物が刺さっているらしい。
「ローズヒップさん、これは何? 形はミートパイに似てるけど……」
「英国料理の中で一番インパクトがあるお料理ですわ。これが食べられる学園艦はきっと聖グロリアーナだけですわよ」
ローズヒップの自信満々な態度が気になったのか、オムライスを食べていた愛里寿も手を止めた。布が被せられた料理を見つめる愛里寿の姿は興味津々といった様子である。
全員の注目が集まるなか、ローズヒップは一気に布を取り払った。
「じゃーん、わたくしが頼んだお料理はスターゲイジーパイですわ」
布の下から現れた料理は確かにインパクト抜群だった。パイ生地からは複数の魚の頭や尻尾が突き出し、無数のうつろな目が天を眺めている。正直、見た目は不気味としかいいようがない。
さすがの愛里寿もこれには驚いたようで、隣に座っていたみほに抱きつくと、顔をみほのお腹に埋めて視界をふさいでしまった。
「こわっ! なんだこれは?」
「だから、スターゲイジーパイですわ。英国の伝統的なお料理ですわよ」
「ローズヒップさん、早くそれを隠して! 愛里寿ちゃんが怖がってる」
「わ、わかったでございますわ」
みほの大きな声に驚いたローズヒップは、再び布でスターゲイジーパイを隠した。
みほがスターゲイジーパイを隠したのを伝えると、ようやく愛里寿はみほのお腹から顔を離す。その顔は気恥ずかしさのせいなのか赤く染まっていた。
「申し訳ないですわ。愛里寿さんにはちょっと刺激が強すぎたようですわね」
「私でもこれはきついぞ。今晩の夢に出てきそうだ」
「どうしよう。これじゃローズヒップさんがお昼を食べられないよ」
「心配は無用ですわよ、ラベンダー。愛里寿さん、もう一回目をつぶっていてくださいまし」
愛里寿が目をつぶったのを確認したローズヒップは、スターゲイジーパイにかぶりつく。そのまま猛スピードで食べ続けたローズヒップは、あっという間にスターゲイジーパイを完食してしまった。もちろん、魚の頭も残さずである。
「ごちそうさまでした!」
「はやっ!」
「いつもの食べるスピードより全然速いよ……」
「これがリミッターを外したわたくしの本気ですの。それでは、わたくしは食後のお紅茶の準備をしますわ」
ローズヒップは給湯室に向かって駆け出していった。食べ終わったばかりだというのにその足取りは軽快そのものだ。
今日のみほは驚かされてばかりであった。午前中は愛里寿の頭の良さに驚かされ、お昼はローズヒップの本気の食事スピードに驚かされている。
もしかしたら、午後はルクリリに驚かされるのかもしれない。そう思ったみほは、視線をルクリリのほうへと向けた。
「安心しろ。私にはラベンダーを驚かせるようなものはないぞ」
「でも、ルクリリさんは美人だし……」
「もうっ! その話はやめろって言っただろ」
「あははっ、ごめんね」
ルクリリの抗議の声をみほは笑ってごまかした。
そんな二人に向かって、ずっと目をつぶったままの愛里寿が困ったような声で話しかけてくる。
「ねえ、もう目を開けてもいい?」
午後から行われる戦車道の授業では、みほ達のクルセイダーに愛里寿が搭乗することになった。クルセイダーMK.Ⅲは三人乗りの戦車だが、体の小さい愛里寿なら砲塔内に三人で乗りこむのも可能なのである。
ポジションは愛里寿が車長兼通信手、みほが装填手、ルクリリが砲手専任になり、ローズヒップは変更なしだ。
アールグレイのあいさつから始まった訓練は、いつものように隊列運動からスタート。今日は愛里寿の初日ということもあり、基本メニューを一通りこなす予定になっている。
最初はマチルダ隊から訓練を始めるので、例によってクルセイダー隊は待機だ。待機中のみほ達は、クルセイダーのハッチを開けてマチルダ隊の訓練を見学していた。
「今日のマチルダ隊は動きがいいね。一年生もほとんどミスがないよ」
「愛里寿が見てるから、今日は気合が入ってるんだろうな。シッキムもずいぶんと張り切ってたみたいだし」
インド紅茶の一種、シッキム紅茶のニックネームを持つシッキムはみほ達の同級生。セミロングの栗色の髪を白いヘアバンドでまとめており、丸見えになっているおでこがチャームポイントの生徒だ。
お淑やかで物腰が柔らかいシッキムは上級生から人気がある。なので問題児の三人とは違い、お茶会では毎回引っぱりだこ。それでもおごることなく、問題児と呼ばれている三人にも分け隔てなく接する心優しい少女であった。
「動きがよくても、足が遅いのは変わらないでございますけどね。この分だとクルセイダーの出番はまだまだ先になりそうですわ。愛里寿さんも退屈そうにしてますわよ」
ハッチから出てクルセイダーの砲塔に腰かけている愛里寿は、先ほどから一言もしゃべらずにある一点を見つめている。その視線の先にあるのはマチルダ隊ではなくみほの姿だった。
「ラベンダーに聞きたいことがある」
「何かな? 愛里寿ちゃんがわからないことを私が答えられるとは思えないけど……」
「この質問はラベンダーにしか答えられない。教えて、ラベンダーはどうして聖グロリアーナを選んだの?」
愛里寿は真剣な表情でみほに問いかける。
愛里寿の質問に戸惑ったみほはすぐに答えを出せなかった。この質問に答えるには、みほの過去を話さなければならないからだ。
迷っているみほに向かって、愛里寿はさらにたたみかける。
「なんで黒森峰を選ばなかったの? アールグレイさんは勝つことを優先してはいけないと言ってたけど、もしかして西住流が嫌になったの?」
愛里寿の口から西住流という言葉が出てきたことで、みほはすべてを察した。愛里寿はみほの正体を知っているのだ。
みほは自分の本名を名乗っていないが、島田流の娘である愛里寿ならみほを知っていてもおかしくはない。そう考えれば、初めて会ったときに愛里寿がみほを警戒していたのも納得がいった。
「愛里寿さん、その質問は勘弁してあげてほしいですわ。ラベンダーは、そのことにはあまり触れてほしくないのでございます」
「私が聖グロリアーナを選んだ理由ならいくらでも答えるぞ。愛里寿は進路を探してるんだから、そういう話を聞きたい気持ちもわかるからな」
ローズヒップとルクリリは、みほが気まずい思いをしないように助け舟を出してくれる。その気持ちをうれしく思いながらも、みほは過去を話す決断を下した。
「二人とも、もういいの。私、話すよ。愛里寿ちゃんには、私と同じような失敗をしてほしくないから」
自分と生い立ちが似ている愛里寿には進路で失敗してほしくない。みほは自分の失敗談を愛里寿に活かしてもらいたかった。
友達に助けてもらってばかりのみほは、今度は自分が友達の力になりたかったのである。
みほはゆっくりと自分の過去を語り出す。
思い起こされるのは、家族の関係が壊れてしまったあの日の情景であった。