私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第七話 ラベンダーの過去

 西住みほは西住流が嫌いではなかった。

 西住流の修行はとても厳しく、くじけそうになった回数は数えきれない。それでも、みほが西住流を嫌いにならないでいられたのは、母と姉のおかげだ。

 

 母のしほはとても厳格な人で、実の娘であろうと手加減はいっさいしなかった。みほが少しでも弱音を吐けばすぐさま鉄拳が飛び、いくら泣きわめいても修行には手を抜かない。

 

 そんなしほも、みほが西住流の教え通りに戦車を操ればほめてくれたし、試合に勝利すれば一緒に喜んでくれた。しほが優しくしてくれるこの瞬間が、幼いみほにとっては至上の喜びだったのである。

 西住流を極めれば母はもっとほめてくれる。幼いみほは、それを支えにして西住流の過酷な修行を乗り切ってきたのだ。

 

 みほにとってもう一つの心の支えが姉のまほだ。

 西住流の修行は朝早くから始まり、夜遅くまで行われる。みほは小学校が終わるとすぐに帰宅し、修行を開始しなければならなかった。

 戦車漬けの毎日を送っているみほには当然友達などできるわけがない。そんなみほが孤独を感じずにいられたのは、まほがいつもそばにいてくれたからだ。

 家でも小学校でも、みほはまほといつも一緒だった。まほはみほが悲しんでいるときは言葉で励まし、泣いているときは手を握って安心させてくれる。そんな優しいまほがみほは大好きであった。

 

 西住流はみほと家族を結びつけてくれる絆のようなものだ。その思いは今でもみほの心に残っている。だからこそ、その絆を自分で断ち切ってしまったのをみほは深く後悔していた。

 

 

 

 黒森峰女学園中等部入学。これがみほの転機となった。

 黒森峰女学園に入学するということは、親元を離れて学園艦で生活するということだ。学園艦の女子寮に引っ越したことで、みほは母の優しさという心の支えを失ってしまう。

 

 大事な心の支えを一つ失ってしまったが、みほにはまだ心の支えがあった。黒森峰には去年入学したまほが在籍しているのだ。みほは、まほと再び一緒の学校に通えるのをとても楽しみにしていた。

 

 そんなみほの思いは、もろくも打ち砕かれることになる。中学生になったまほは、別人のようにみほに厳しく接するようになったからだ。

 

「みほ、ここではお姉ちゃんと呼ぶのはやめろ。これからは隊長と呼べ」

「お前はもう少し言いたいことをはっきりと言ったほうがいい。いつまでもおとなしいままだと、部隊の指揮に支障が出る」

「みほも副隊長になったのだから、もっとしっかりしろ。隊員達の模範になるのは上に立つ人間の義務だぞ」

 

 毎日のように投げかけられるまほの苦言はみほの心を苦しめていく。それに輪をかけたのが、まほに心酔している逸見エリカという同級生の存在だ。

 まほから副隊長であるみほの補佐役に任命されたエリカは、行動力がある強気な性格。おとなしくて引っこみ思案なみほは、エリカと絶望的に反りが合わなかったのである。

 

「みほも西住の名を継いでるんだから、少しは自覚を持ちなさいよ。あなたが失敗して迷惑するのは隊長なんだからね」

「影でみほをへっぽこ呼ばわりしている隊員がいたわ。今から問い詰めに行くからあなたも一緒に……えっ、別に気にしてない。そんな態度だからなめられるのよ!」

「副隊長、どうして手を抜いたの! 相手が立ち向かってくるなら、完膚なきまでに叩き潰すべきよ!」

 

 エリカの攻撃的な口調を前にするとみほは身がすくんでしまい、何も言えなくなってしまう。エリカの激しい気性にみほはいつも怯えてばかりであった。

 

 他の生徒はみほが西住の人間であるというだけで、誰も近づいてこない。黒森峰女学園は西住流の影響力が強い学校なので、みほにどう接していいかわからない生徒が大半だったからだ。

 それに加えて、隊長のまほと苛烈な性格のエリカがつねにみほにべったりなのも影響していた。自分から進んで厄介ごとに首を突っこむ生徒は黒森峰にはいなかったのである。   

 

 みほがボコに夢中になったのはちょうどこの時期だ。

 ボコはどんな相手にも立ち向かう勇気を持っており、負けても決してへこたれない。自分にはできないことをやってのけるボコの姿は、みほの目にはまぶしく映ったのだ。

 みほはすぐにボコのぬいぐるみやグッズを買い集めるようになり、寮の自室がボコグッズでいっぱいになるのにそう時間はかからなかった。

 

 ボコだけを心の拠り所にしてみほは中学生活を耐えていた。

 しかし、人の温もりが恋しくなるのだけはいくらボコでも防ぎようがない。

 友達がほしいという思いは、みほの心の奥底で幼いころからずっとくすぶっている。今まではまほがそばにいてくれたのでその欲求を我慢できたが、優しかった姉は変わってしまった。

 

 みほの不満はすでに限界に達しており、黒森峰だけでなく戦車に搭乗するのすら嫌気がさしていた。みほの心が爆発する日は刻一刻と迫っていたのである。

 

 

 

 その日が来たのは中学三年生の夏。

 最上級生になったみほは隊長に就任し、夏の戦車道全国大会に出場。他校に圧倒的な力の差を見せつけ、見事に優勝を勝ちとる。まほが在籍している黒森峰女学園高等部も九連覇を達成し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。

 

 みほは今まで学んだ西住流を駆使し、最高の勝利を手につかんだ。この優勝は文句のつけようがないほど見事なものであり、西住流の力強さを世に知らしめる形になった。

 みほが勝利だけでなく内容にまでこだわったのには理由がある。みほはこの優勝を手土産にして、母にお願いしたいことがあったのだ。

 

 みほの願い。それは進路のことだ。みほが何も行動を起こさなければ、このまま自動的に黒森峰女学園高等部に入学することになってしまう。

 みほはなんとしてもそれを阻止するつもりだった。

 

 ――お姉ちゃんと逸見さんがいる黒森峰には行きたくない。

 ――あの孤独な日々を繰り返すのだけは絶対に嫌だ。

 ――高校生になったら友達がほしい。

 

 友達を渇望する心の声はもう歯止めがきかなくなっていた。

 

 

 

 優勝報告のために実家に戻ったみほは、さっそくしほに進路について切り出した。畳が敷きつめられた大広間には、みほとしほだけでなくまほも同席している。

 みほの第一志望校は、茨城県の大洗港を母港にしている大洗女子学園。この高校を選んだ理由は、戦車道が廃止になっていることと、大洗町にボコミュージアムというテーマパークがあるからであった。

 

「戦車道から逃げるような真似は許しません。あなたは西住の名を背負っているのよ」

「お母さん、私がんばって優勝したよ。お母さんから教わった西住流を最後までやりきったよ」

「西住流は勝利を得るために前進する流派、勝つのは当たり前です。みほの西住流がすばらしかったのは認めますが、それで満足するようではまだ未熟。あなたには黒森峰で学ぶことが残っているはずです」

 

 しほが簡単に許してくれないのはみほも予想していた。しほの後ろで目をつぶって黙っているまほが助けてくれないのも想定内である。

 第一志望はあくまで希望。ここから徐々に譲歩していき、最後は黒森峰女学園以外の高校に入学するのを認めてもらう。これがみほの考えた作戦だ。

 

「ごめんなさい、お母さん。戦車道から逃げるのはやっぱりダメだよね。でも、できれば他の学校で戦車道をしたいの。例えばサンダースとか……」

 

 サンダース大学付属高校は長崎県の佐世保港を母港にしている。母港がみほの地元の熊本から比較的近いため、名前だけはよく耳にする学校だった。

 みほがこの高校を引き合いに出したのは、ただ単に名前を知っていたからなのだが、このことが思わぬ事態を引き起こしてしまう。

 

「みほ、あなたが黒森峰を嫌がるのは男子と遊べないからですか?」

「ふえっ!? ち、違うよ。私はそんなつもりじゃ……」

「では、なぜ共学の学校を選ぼうとしているのです。戦車道がない学校と共学で自由な校風の学校。あなたの選択には、高校で羽目を外して遊びたいという思惑が透けて見えます」

 

 この展開はみほにとってまったくの想定外であった。みほは男の子の彼氏が欲しいのではなく、女の子の友達が欲しいだけなのだ。

 しほの誤解を解きたいみほであったが、混乱している頭ではうまい言い訳はまったく浮かんでこなかった。

 

「中学に入ってからのあなたはどこか様子がおかしかった。その理由に母は心当たりがあります。みほがだらしないことを考えるようになったのは、あの熊のキャラクターが原因ではないですか?」

「もしかして、ボコのこと?」

 

 みほは寮の自室に入らなくなったボコグッズを実家に郵送していた。長期の休みで実家に帰った際には、自分の部屋にボコグッズを飾りつけて楽しんでいたのである。

 

「母はみほが集めている熊について調べました。勝つことができないくせに、威勢だけは一人前の情けないキャラクターです。あんなものにうつつを抜かしているから、よこしまなことを考えるようになるのです」

 

 情けないキャラクター。しほのその言葉を聞いた瞬間、みほの感情は混乱から怒りへと切り替わった。

 ボコは壊れそうなみほの心を守ってくれた大切な存在。そのボコをけなしたしほをみほは許せなかったのだ。

 

「ボコは情けなくなんかない! ボコは勝てないけど、強い心を持ってるもん! お母さんはボコのことをまるでわかってないよ!」

 

 突然激高したみほに対し、しほは眉間にしわを寄せ鋭い眼差しを向けている。しほの表情は、普段のみほであればすぐに萎縮してしまうほど険しいものであった。

 

「みほ、もうその辺にしておけ。お母様に失礼だぞ」

 

 今まで黙っていたまほが口を開いたことで、みほの怒りの矛先はそちらに移った。まほへの溜まりに溜まった不満が爆発し、口からはまほを非難する言葉が次々と飛び出していく。

 

「お姉ちゃんはいつもそう! 私が困っているときは助けてくれないくせに、こういうときだけ口を挟むんだ。私が逸見さんに怒られてるときも、逸見さんの味方ばっかりしてたよね。私の気持ちを何もわかってくれないお姉ちゃんなんて、大嫌いっ!」

 

 そこまで言い切ったところでみほの頬に衝撃が走った。しほが平手でみほの頬を打ち据えたのである。

 強烈な平手をもらったみほは畳の上に勢いよく倒れこんだ。みほの頬は赤くはれあがり、あまりの痛みに目には涙が浮かぶ。   

 

「あなたには失望しました。進路については母に考えがあります。しばらく自室で頭を冷やしなさい」

 

 みほにそう告げると、しほは大広間を出ていった。

 みほは痛む頬をさすりながらゆっくりと起きあがる。大広間にはまだまほが残っており、みほをじっと見ていた。

 まほの視線を感じたみほは、気まずそうな顔をまほへと向ける。そこでみほは信じられない光景を目撃してしまった。普段あまり表情を変えないまほが、泣きそうな顔でみほを見ていたのだ。

 

「お姉ちゃん、ごめん……」

 

 みほが声をかけると、まほは逃げるように大広間から走り去った。

 一人大広間に残されたみほは、怒りに任せて暴言を吐いたのを後悔したが、すべてはあとの祭り。真っ赤になった頬の痛みよりも今は心のほうが何倍も痛かった。

  

 

 

 失意のうちに自室に戻ったみほは、一時間経ったあとに大広間へ呼び出された。

 大広間にいたのはしほだけでまほの姿はない。

 

「みほ、先ほどの件であなたの心が成長していないのが、母にはよくわかりました。今のあなたに西住流を名乗る資格はありません。本来なら破門を言い渡すところです」

 

 破門という言葉を耳にしたみほは体を震わせた。西住流を失うのは家族とのつながりを失うのと同じだからである。

 

「ですが、あなたはまだ中学生。未熟な心を鍛える時間は十分にあります。この学校で戦車道の本質を見つめ直し、みほが立派に成長することができれば、母は今回の醜態を許します」

 

 聖グロリアーナ女学院。机の上に置かれた学校案内のパンフレットには、大きな文字でそう書かれていた。

 

「聖グロリアーナ女学院はしつけが厳しいことで有名な学校です。この学校の戦車道は人格育成を重視しているので、みほの心を鍛えるには最適だと判断しました」

 

 みほは机の上のパンフレットをぼんやりと眺めている。

 ようやく黒森峰女学園以外の高校を選ぶことができたのに、みほは素直に喜べなかった。最後に見たまほの泣きそうな顔が脳裏に焼きついて離れないからだ。

 

「黒森峰の学園艦に戻ったら、戦車道のことはいったん忘れて勉強に専念しなさい。今のみほの学力では、聖グロリアーナ女学院に合格するのは難しいはずです。学校のほうには私から説明をしておきますので、あなたは副隊長にこのことを話しておきなさい」

 

 みほは黒森峰の生徒の模範になるため勉強もしっかりやってきた。なので、勉学に勤しむのはそれほど苦ではない。問題があるとすれば、副隊長のエリカにこの話を告げなくてはならないことだ。

 

 黒森峰から逃げ出すのをあのエリカが快く思うわけがない。彼女の性格を考えれば、激怒して詰め寄ってくるのは容易に想像できた。

 

「最後に言っておくことがあります。聖グロリアーナ女学院を卒業するまでは、この家の敷居をまたがせません。みほが西住流の名に恥じない心の強さを身につけて帰ってくるのを、母は信じていますよ」

 

 

 

 

 夕焼けに包まれた教室の中でみほは一人の生徒と対峙していた。

 強気につり上がった目と意思が強そうな青い瞳。夕日を浴びてきらめく銀髪。美少女といっても差し支えない容姿を持つこの生徒が副隊長の逸見エリカである。

 すでに下校時間はとっくにすぎており、教室にいるのはみほとエリカだけであった。

 

「みほ、すぐに西住師範のところに戻って謝罪するわよ。私も一緒に頭を下げるわ。才能を持ってるあなたが聖グロなんかに行く必要はない」

「ごめんね、逸見さん。聖グロリアーナを選んだのはお母さんだけど、黒森峰に行きたくなかったのは私の意志なの」

「どうして……何が気に食わないのよ。あなたが全国大会で見せた西住流は完璧だった。その力があれば高等部でもすぐレギュラーになれる。隊長だって、みほが来るのを待ってるはずよ」

 

 エリカが隊長と呼ぶ人物はまほしかいない。中等部でみほが隊長に就任しても、エリカはみほを隊長とは一度も呼ばなかった。

 

「お姉ちゃんは私を嫌ってるはずだよ。私、お姉ちゃんにひどいことを言ったから」

「……隊長に何を言ったの?」

「大嫌い、そう言っ……」

 

 みほは最後まで言葉を言えなかった。いきなりエリカに胸ぐらをつかみ上げられ、首を圧迫されたからである。

 

「なんてことを言ったのよっ! 隊長があんたをどれだけ大事にしてたと思ってるの! それを知りもしないで、あんたはっ!」

 

 エリカの怒声が教室中に鳴り響く。エリカは短気で怒りやすい性格だったが、これほどの怒りを見せたのは初めてだった。

 

 首を絞められる形になったみほはエリカの手を外そうとするが、いくら力をこめてもびくともしない。

 ボクササイズが趣味と以前語っていたエリカは、中等部で誰よりも体を鍛えている生徒だ。本気のエリカにみほが手も足も出ないのは当然であった。

 

 みほの意識はだんだんと薄れていき、目からは涙が止めどなくあふれてくる。それを見たエリカは顔を苦々しげに歪め、みほをつかんでいた手を放した。

 

「隊長は私が支える。あんたは聖グロにでも行けばいいわ。軟弱者のみほにはお似合いの学校よ」 

 

 エリカはみほに刺々しい言葉を投げかけ教室から去った。

 涙で顔をくしゃくしゃにしたみほの口からは嗚咽が漏れる。みほは震える体を両手で抱きながら、誰もいない教室で一人泣き続けた。

 

   

 

 それからのみほは一心不乱に勉強に取り組んだ。勉強に集中している間はつらいことを全部忘れられたからだ。

 必死に勉強したおかげで、みほは聖グロリアーナ女学院の入学試験に見事合格。望みであった黒森峰女学園以外の高校に入学する権利を手にした。

 

 その聖グロリアーナ女学院で行われた戦車道の初日の授業で、みほはあの二人と出会ったのだ。

 

「もし、そこのおかた。わたくし達と一緒にチームを組みませんかでございますわ」

「ふえっ!?」

「その取ってつけたようなお嬢様言葉はやっぱりおかしいだろ。すごく驚かれてるぞ」

「わたくしは誰からも認められるお嬢様になりたいのですわ。お嬢様言葉を使うのは、その第一歩なのでございます。そういうあなたこそ、殿方のような言葉づかいをするのは変ですの」

「変で悪かったな。言葉づかいはこれから直していく予定なんだ」

「わわっ。いきなり喧嘩しないでください」

 

 みほは黒森峰を離れたことで多くのものを失ってしまった。しかしそのかわり、聖グロリアーナに入学したことでどうしても欲しかったものを手に入れたのである。 


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