遊戯王Wings「神に見放された決闘者」 作:shou9029
―時は、少々遡る。
―…
「最初は泉か。1年相手に油断するんじゃないぞ。」
「もちろん、気をつけるよ。でも天城君強いから、ずっと気が抜けないね。」
選手たちが自分の番を待つための控え室。西と東に分かれた二つのうちの一室に、3年生の泉 蒼人と虹村 高貴、そして2年生の紫魔 右京がそこにはいた。
決闘祭に向けた学校代表選抜戦、この戦いが決闘祭に望む候補者にとって最後の戦い。本番の決闘祭を模して総当りではなくトーナメント形式で行われるソレは、負ければその場で脱落を意味しているのだ。
このあと、ステージの準備が終われば直ぐに始まる蒼人と遊良の一戦。すでに会場の雰囲気は蒼人の勝利一色の雰囲気に染まって盛り上がっているとは言え、それを知る由など蒼人には無いが。
しかし、それを例え知っていたとしても、そんなこと蒼人には関係はないことだろう。
―ただ、楽しいデュエルを。
誰でも、何かを背負っている。誰でも、何かを賭けている。しかし、そこに必死になりすぎていてはデュエルの本質など見えてこない。なぜ、自分がデュエルを始めたのか。…それは一重に、デュエルが楽しかったからに他ならない。誰でもそうだろう、楽しくないことを、ずっと続けては来られないのだから。それを理解している蒼人だからこそ、楽しいデュエルに拘るのかもしれない。
「気楽な奴だよお前は。去年の決闘祭も一番自由にデュエルをしていたよな。」
「うん。だって、強い相手とのデュエルは楽しいじゃないか。虹村とも毎回楽しいデュエルを出来ているし。」
「ふん、いつまでも余裕ぶっていないことだ。今回の俺は特に力をつけてきたからな。ヘラヘラしているだけのお前に今回こそ勝たせてもらうぞ。」
「ヘラヘラって、酷いなぁ虹村は。」
辛辣な言葉を述べ全く遠慮のない虹村であったが、しかし蒼人と虹村はこの群雄割拠の決闘学園イースト校で、3年間一緒だったのだ。いや、蒼人が中等部に転入してきた時からのことを考えれば、もっと長い付き合いかもしれない。その長い間、二人は常にトップの座を争って競い合ってきた。
持って生まれた才能は蒼人の方が上。その容姿と他者を惹きつける性格、まるでデッキと会話でもするかのように、カードと共に自由自在にデュエルする彼のプレイングに見惚れる者は多い。
しかし、積み上げてきた自力は虹村の方が上。他人に厳しく、自分にはもっと厳しく。昔と違って、決して妥協せず自らを高めてきた彼もまた、家族がプロと言う一種の魔窟に身を置く一人なのだから。
戦績はイーブン。この学園では、二人は誰もが認めるライバルだからこそ、その決着を着けることを何よりも望んでいるのもこの二人なのかもしれない。
「楽しむことに熱中し過ぎてこけるなよ?俺はお前とも戦いたいんだからな。」
「もちろん僕もさ。でも先ずは天城君とのデュエルが今は一番楽しみなんだよね。」
「天宮寺とタメ張るって奴か?…俺はそんな風には全く見えなかったけどな。確かに必死さは感じたが…アレは危ういかもしれない。」
「…うん、そうだね。」
蒼人とて、遊良に苦手と思われていることを感じていないわけがない。ただでさえ多くの人間の感情に寄り添ってきた蒼人だ。いつも周りに人がいて、各々他者が感じていることは様々。単純に蒼人に好意を持っている者から、蒼人に近づいて利益を得ようとする者まで、だ。
そんな蒼人だったからこそ、少々強引だったとは言え直接話して遊良の印象を肌で感じることが重要だった。Ex適正が無くとも、強いと噂される程の1年生。誰彼構わずデュエルを申し込むという、そんなデュエル好きな後輩。そんな生徒ならば、自分も相手も、もっと楽しいデュエルが出来ると思ったからだ。
その結果が、『苦手』と思われたのであろうとも。
それでも…
「天城君…どこかで、絶対に負けられない戦いを経験したんだろうね。」
楽しいだけではいられないことくらい理解している蒼人。天城 遊良という人生のことなど何一つ知らないものの、それでも遊良から確かに感じられた必死さと危うさ。
生きるための必死さ。それは一重に、デュエルをし続けることが彼の生きる道だったのだろう。Ex適正が無いと言われて、周囲にデュエルを諦めろと言われても、それをできなかった理由が彼にあることくらい、蒼人には容易に想像できる。
「…お前と同じようにか?」
「…はは。…うん、そうだね。」
しかし、人には言えない過去くらい誰だって持っているものだろう。蒼人が祖父母に育てられている理由も、エクシーズ王者の【黒翼】に拘っている理由も、その理由はこの学園では虹村しか知らないことだ。それも、本人から聞いたのではない。プロ一家で育って、かつ同い年だったから彼だからこそ偶然知りえた理由であったのだが。
別に、そんなことを他言する必要も感じていない虹村は無論、誰にも言ってなどいないが。そんな過去は、泉 蒼人というデュエリストを構成する一つの要素でしかなく、今の蒼人の姿が全てだということを理解しているために。
「だからあそこまで必死になって戦おうとしているっていうわけか。…まぁ、Ex適正が無いんだからそりゃそうだろうけどな。負ければそれだけでデュエルすることを否定されるんだから。」
「うん。だからこそ…、彼にはデュエルが楽しいってことを思い出してもらいたいんだ。このまま戦い続けると、彼は多分…」
「潰れるだろうな。」
何の躊躇もなくそう言い放つ虹村。しかし、遊良と何の接点もない彼がそう感じている理由も確かにあるのだ。
プロ一家の末弟というだけあって、幼少期から多くのプロデュエリストと接する機会が多かった虹村 高貴。その中で、栄光に包まれる選手の裏で、必死になってプロの世界にしがみつき、そして一度の敗北で再起不能になっていった選手は数えきれないほど。
まさに、今の遊良がそれと重なったのだろう。確かに遊良も負けられない理由を抱えているが、それを知らない虹村にしても、それを支え切れる精神がまだ彼には備わっては居ないと感じていた。
まだ1年生、それもEx適正が無い生徒。無論、周囲が天城 遊良のことを何と言っているのかも虹村は知っている。それに昔からずっと晒されてきたのも。それを耐えてきた天城なのだとしても、それを踏まえてもまだ『若い』のだ、と。
「この選抜戦、お前が勝ったら天城は叩かれまくるだろうな。」
「僕がさせないよ、そんなこと。」
無知の後輩を導くことが、先輩としての役目だと理解している虹村。何も悪くない後輩を守ることは、先輩としての責務だということを知っている蒼人。
その虹村と蒼人の意思は強く、またイースト校を挙げての代表選抜戦の戦いに、Ex適正がない人間が昇ってきたのだとしても、デュエルをすることが悪いわけがない。蔑みや見下しを跳ね除けてここまで上がってきた天城 遊良を、弱いまま潰していいわけがないのだと、そう言わんばかりに。
「まぁな。本質も知らずに個人を叩くのは俺も許せない。Ex適正が無いにも関わらず、ここまで上がってきた生徒を乏しめるのは、敬意も何もあったものじゃないからな。」
「うん。だから彼とは全力で、楽しく戦うよ。僕と天城君が楽しめたデュエルを、絶対に…誰にも悪く言わせない。」
もうすぐ直前まで迫っているであろう一回戦。それに向けた最後の意思の表示を固めた蒼人の姿を見て、もはや何も語ることなど無いと悟った様子の虹村。
きっと蒼人ならこのギスギスした会場の雰囲気をデュエルで吹き飛ばして、そして天宮寺と肩を並べると言う天城とのデュエルで盛り上げてくれることだろう。その結果が会場の思っていた通りの結果でも、会場の意にそぐわなくても。蒼人の強い意志ならばきっと、このイースト校に取り巻く天城へのヘイトを解消できるのではないか、と。
―そう思っていた時だった。
「それハ不可能デございます。」
「え?」
突如、今まで沈黙を貫いていた2年生、紫魔 右京が口を開いたのだ。
紫魔家でも下層に位置していると、他の紫魔家にも言われている彼。しかし、上位に位置する紫魔 ヒイラギの従者ということで他の紫魔からの侮蔑や屈服を避けている彼が言ったその突然の言葉に、思わず蒼人も虹村も理解が追い付いていなかった様子で。
3年生二人が込み入った話をしてしまい、完全に蚊帳の外だった右京。しかし、従者の立ち姿を貫き通してしたためか、二人もその存在を今まで忘れてしまっていたのだろうか、思わず口を開けない様子にも見える。
「それハ…不可能なことでございます。低俗なエクシーズとシンクロの輩ニ、世間を変える力などあるはずモございません。」
「…何が不可能だって2年生?低俗低俗って、何がそんなに気に食わないんだよ。」
「ちょ、やめなって虹村。」
今まで黙っていた癖に、紫魔特有の高圧的な言葉が癪に障ったのか。元々上下関係に厳しい虹村にしても、この右京の物言いが相当頭にきた様子だ。
これから試合だと言うのに、面倒を起こすことは好ましくない。それを思ってか蒼人が静止にかかるものの、しかし右京はそんなことなどお構いなしに続ける。
…その手に持った、黒い球体を蒼人に向けながら。
「なぜなラ…代表ハお嬢様とわたくしニ決定しておりますので…」
「はぁ?一体何の話をして…」
―!
「アッ…あぁ…アぁア!」
右京が黒い球体を向けた瞬間、突然頭を抱えて苦しみの声を出し始める蒼人。先ほどまで普通に話していただけに、この突然の苦しみ方は尋常じゃない。膝が落ち、うずくまって悶えている姿は痛々しいなんてレベルではないのだ。
突如として起こった蒼人のこの苦痛。何か理由があるとすれば、虹村の思考の中には不審な言葉を呟いて、怪しい黒い球体を掲げているこの2年生しか思い浮かばなかった。
「泉!?どうした泉!…紫魔!お前か!?泉に何をした!」
「何…ト申されましても。いつまで待っても自我ヲ保っていらっしゃったので。低俗なシンクロ使いの癖に少々精神ガお強いものですから…こうやって無理やりニでもしないと言う事ヲ聞かないのでございます。」
「だから意味がわからないと言っているだろうが!いいからその手を下ろせ馬鹿野郎!」
言う事を聞かせる…それは洗脳と言う意味なのだろうか。しかし、そんな事をして何になるというのだろう。そんな風にして益々疑問が大きくなる虹村などお構いなしの様子の紫魔 右京。
一括りに『紫魔家』と言っても、その人種は千差万別。最強の融合使いを謳って他者を見降すような態度を取る高圧的な紫魔がいても、中には全く偏見なく付き合える良い紫魔もいる。
しかし、姓がそのまま王者の称号になるほどの力を持つ一族だというのに…お伽話に過ぎない『原初の英雄』に拘り過ぎるあまり、中には胡散臭いことをしている紫魔もいるということはプロの世界でも一種の常識ではある。それは主に『紫魔本家』に家柄が近ければ近い程多くなると言うが。
もしもこの紫魔 右京がその一派だからといっても、こんな超常現象が出来ることなど虹村には知りえるはずもないし、そもそも蒼人を苦しめていることが彼に許せるはずも無い。
この男が蒼人を苦しめているのだったら、それをやめさせなければ。そうして無理やりにでも右京に掴みかかった虹村だったが、右京もそれをさせまいと抵抗している。しかし、そうしているうちに蒼人が立ち上がった。
…先ほどの爽やかな彼とはうって変わって、苦痛に表情を歪ませて。
「アァ…アガ…グァア…ボ、僕ハ…」
体に沸き起こる痛み、頭に流れ込む悪意。今まで好きだったものが嫌いに変わっていき、思考が書き換わっていく。自分が自分でなくなっていく気持ち悪い感触が徐々に大きくなっていく蒼人。
今までも、不意に…一瞬だけ意識が飛ぶことがあった。それは、学年代表に確定した後や、邂逅を望んでいた天城 遊良と直接会って話すことが出来た直後などに。しかし、ふと気を抜いた瞬間だけ起こっていたそれが、今はさらなる奔流となって精神に襲い掛かり、蒼人を乗っ取ろうとしていた。
…必至に抵抗しようとも、それ以上の強い『何か』によって押さえつけられる。
「グ…グァ…ア、ガァ…」
「泉!どうしたんだ泉!?」
「無駄デございます。すでにその男ノ自我はありません。」
言葉を無くして呻くだけになった蒼人の姿を見て満足したのか、右京がその手を降ろすと持っていた黒い球体は靄となって消えていき、空気に混ざって散り散りになって行く。
手からその『何か』が消えていく光景は、傍から見たら異常そのもの。しかし、それに意識を向けられるほど今の虹村の思考は正常に働くはずもないし、まるで彷徨う亡者のようになってしまった蒼人をみて呆然としているだけだ。
デュエルディスクを構え始め、本能だけでもデュエリストを気取ろうとしている蒼人のその姿が、余計にその悲壮を増して。
いつでも凛としてデュエルに望むあの泉が、どんな時でもデュエルを楽しむことを忘れないあの泉が…光の消えた目で、虚ろに呻くだけの姿など誰が見たいものか。
「ご心配なさらず。すぐニあなたもこうして差シ上げますのデ。」
「くっ…そんなこと、黙って言う事を聞くバカがどこに…」
「抵抗など無駄デす。…さァ、このエクシーズの下民をデュエルで下しなさ…」
そして、それを見た右京もまた淡々と焦った様子もなく言い放った…
―その瞬間だった。
―!
「ぐぅ!?な、なんだ!?」
瞬間。まさに右京が蒼人に向かって命じたその瞬間のこと。突如として蒼人から発せられる謎の圧力によってどこからともなく黒い靄が吹き出し、控室の中を暴れまわる暴風となって虹村に襲い掛かったのだ。
壁際まで一気に追いやられ、さらに押しつぶそうと圧力をかけてくるこの感触は決して良い物ではなく、内臓を直接潰されているかのように気持ち悪く息が出来ないのだろう。苦しそうに空気を漏らす虹村だったが、先ほどと全く様子の違う蒼人に困惑するばかり。
「がはっ…かっ…い…いず…み…」
…しかし、それだけでは終わらない。
「ナっ!?ば、馬鹿ナ!低俗なシンクロ如きガ歯向かウなんテ!?…は、話ガちがっ…」
何故か、命じたはずの…言う事を聞かせたと言い放ったはずの紫魔 右京にまでその暴風は襲い掛かり、自分でこうしておいてまるで予想が外れたといわんばかりの声を漏したのだ。
予想に反して、意に反して。まるで想定外のことが起こったかのように慌てふためく右京だったが、この超常的な黒い靄の圧力の前では身動きが取れずに苦しそうに悶えるだけだ。
そうして、二人を壁際に押し付けるとさらに潰しにかかったかのように蒼人は圧力を増し続ける。歪んだ表情、その見開かれた目から放たれる眼光が黒く光った時、蒼人は呻くのをやめて、自らの声を発した。
「ボ…僕ノ邪魔ヲ…すルんじゃナイ!」
―!
「ぐふっ!?…あ…がぁ…」
「グッ…フ…お…お嬢…さま…」
瞬間的に、まるで弾け飛ばすかのように。暴風のように荒れ狂う圧力を爆発させる蒼人。それに飲み込まれた虹村と右京が無事で済むわけがなく、次第に静かになっていく蒼人からの圧力が解かれると同時に地面に倒れこみ、意識を失ってそのまま動かなくなってしまう。
そして右京が発していた苦しみから解放されたからか、意識を取り戻したようには見えないものの、蒼人は鬱憤を晴らしたかのように呼吸を数回吐ききった。少なくとも先ほどまでの、自我を失って呻くだけの蒼人ではなくなっているようにも見えて。そうして、うつむいたままの蒼人は静かに呟いた。
「ハァー…ハァー…イ、行カなくチャ…天城く…アマギ ユウラ…楽しいデュエルを…楽しイ…僕ガ…楽しイデュエル…ヲ…」
自我と悪意。行ったり来たりする意識の中で、次第にその思考が書き換わってしまっているのだろうか。グルグル回る頭の中で、自分が何を考えているのか分からなくなっている様子だ。
蒼人はそのまま静かに控え室を出ると、デュエルを今か今かと待ちわびている雰囲気の大歓声に引き寄せられるようにして歩き出す。
蒼人の身に起こった異変、悪意に飲み込まれたソレを知るものは、今は意識を失っているために他の誰も居らず。
「あ、泉選手!丁度良かった!たった今呼びに行くところだったんですよ!」
「…アァ…。」
そうして、スタジアムに出るほんの直前で、丁度呼びに来たスタッフと合流した蒼人。侵食され始めたために返事を返すだけで精一杯なのだろうが、それに気付かないスタッフもタイムスケジュールどおりに蒼人をただ案内するだけ。
今の控え室の惨状を知る者はいない。そうして、蒼人は悪意に飲み込まれたまま、デュエルへと向かって行った。
…意識と体を侵食する悪意が、自身のデッキにまで侵食し始めたことも感じられずに。
―…
大ブーイングが鳴り響く中、遊良はフラフラの体をゆっくりと引きずって自身の控室の前へとたどり着いた。
先ほど終えた泉 蒼人との決闘。モンスターの実体化に伴う現実のダメージと、一時的とはいえExモンスターを場に置いたことによる堕天使達の怒り。そして、負ければ蒼人に鷹矢とルキを傷つけられるという怒りによって、もう満身創痍で考えることすら億劫になっている遊良の様子は、ルキ辺りが見れば卒倒してしまいそうなくらいに痛々しい。
それもそのはず。上手く隠して人目に付かないようにはしているものの、制服の袖には吐血した痕が残り、体の内側から殴られたかのような衝撃で今にも倒れてしまいそうなのだ。以前にもルキと鷹矢の目の前で倒れてしまったこともあり、その時の過大な心配を思い出せば、ここで倒れて再び過大な心配をかけるわけにはいかなかった。
「はぁ…はぁ…」
力の入らない手で、何とか控室のドアを開ける。せめて、寝転がって一息つかなければ。控室の中にはシャワーも完備されている為、この制服についた血もすぐに洗って皆の前に出るまでに回復しておくことが第一条件だと言わんばかりに。
そんな遊良がその意識のみで控室の中へと入ると、そこには先ほどと変わらず次の試合の順番を待っている紫魔 ヒイラギの姿が。
「…あら。随分とボロボロですこと。」
「…。」
「それになんと醜い雑音なのでしょう。一体どんな無様な戦いをしてここまでなるのでしょうか。私には皆目見当も付きません。」
「…。」
デュエル前のこともあり、なるべく会話は挟みたくないのだろう。ぼんやりした思考で頭が回りきらない遊良はヒイラギの横を素通りするとそのまま一目散にシャワールームに入った。ただのデュエルでは絶対にここまでボロボロになることは無いと言うのに、それに異議を全く感じていないヒイラギの様子に気が付かぬまま。
当の彼女はと言えば、そんな遊良に食って掛かるわけでもなく、つまらなさそうに黒い宝石の指輪を眺めているだけ。これから試合だと言うのに全く緊張も準備もしていないその様子は、傍から見れば異常だと言うのに、それに気付く人間がこの場に居ないことが悔やまれるほどに。
そして、遊良がシャワールームに入った直後…その時だった。
―!
「遊良!大丈夫!?」
大きな音を立ててドアを勢いよく開け、声を荒げて中へと入ってきたルキ。
席を立つことを禁止されているにも関わらず、きっと遊良のデュエルが終わると同時に席を立ってここまで駆けて来たのだろう。蒼人の敗北を受け入れられない観衆が騒ぎ立て、教師陣も対応に追われている混乱に乗じたことは容易に想像できる。
しかし、息も絶え絶えでその目には心配の色が濃く出ているルキが控室の中へと目を通すものの、そこに目的の遊良の姿は無く、代わりにとても不愉快そうな顔をした2年生の代表候補、紫魔 ヒイラギの姿を見て多少冷静さを取り戻したのだろうか。
申し訳なさそうな顔でルキは尋ねた。
「あ、す、すみません!あの、天城 遊良は…」
「なんと無粋な物の尋ね方でしょう。しつけの悪さが外に出ていますわ。」
「え?」
突然のヒイラギの物言いに、何を言われたのかすぐに理解が追い付かないルキの様子。きっと悪く言われていることはわかるのだが、今はそんなことに一々食いついている場合ではないことくらいわかっているのだろう。
いくら無粋だ何だと言われても、遊良の味方として敵だらけの現状で彼女に出来ることを考えた結果か。遊良をよく見るつもりがない観衆と違い、スタジアムを出ていく遊良の様子があまりにもおかしかったのがルキには手に取るようにわかったのだろう。
今は何を言われても、遊良の傍に。その態度を崩さないルキに呆れたのか、ヒイラギは一つ溜息をついてから後ろのシャワールームへ視線を向けて言った。
「はぁ…。シャワールームですわよ。何やらフラフラしていたから、今頃倒れているんではないですか?」
「そんな!?あ、ありがとうございます!」
言葉ばかりの礼を述べると同時にすぐさまヒイラギの表情を確認することなく横を通り抜けてシャワールームへと駆けるルキ。
普通、いくら幼馴染とはいえシャワー中に突入することは痴女となんら変わりないことだ。
しかし、ただのデュエルの後にシャワーを浴びると言うのもおかしな話ではあるモノの、堕天使を得た後の、あの時の遊良のようなフラフラした姿を見てしまっては。そんな、先ほどの遊良の様子からヒイラギから言われた『倒れている』という姿が容易に想像できたのだろうか。ルキはなんの躊躇もなくソコを開けて中へと入る。
―これで、杞憂で終われば何の問題もない。ただ遊良のシャワーを邪魔して、素っ裸を目の当たりにするだけ。別に、修業時代の幼少期によく一緒に風呂にも入っていたのだから、この事態でなりふり構っていられない。そう言わんばかりの必死な顔をして。
そして…
「遊良!」
「ルキ…聞こえてるよ。」
「だ…大丈…夫…なの?」
「…あぁ、大丈夫だって。」
シャワーに入る前の、ロッカールームの洗面台で、制服の上着だけを脱いで投げ捨てているのは別にいい。ここはシャワールームなのだから、服を脱ぐのは当然。まぁ、ズボンとシャツを着ているため裸というわけでは無いが。しかし椅子に座って休んで、ぐったりして洗面台に突っ伏している姿で大丈夫と言われても、心配しない方がおかしな事ことだ。
ただでさえあんな大ブーイングの中で戦って、勝ったと言うのにバッシングの嵐。精神的に疲れているのはあるだろうが、しかしそれ以上の何かが遊良に起こっているのではないか。卒倒はしないものの、ルキにそれを容易に想像させるくらいに今の遊良の姿は痛々しく見えてしまう。
「ほ、本当に?」
「…ちょっと疲れただけだって。心配すんなよ。」
「でも様子がおかしかったよ?泉先輩も…遊良も…。遊良凄い怒ってたし…なんか怖かったから…。」
「それは…」
ルキの問いに、思わず言葉に詰まってしまう遊良。
遊良とて、蒼人の様子がおかしかったのはきっとルード地区でも見たあの黒い靄が原因であることはわかっている。
しかし、ルキに余計なことを言うなと師に言われていることもあり、詳しくは説明していないからこそルキに今それを説明しても混乱が大きくなるだけだ。
それに、蒼人が言い放ったあの台詞。いくら様子が変だったとはいえ、自分の前で堂々とルキを傷物にすると宣言したあの男が…遊良にはどうしても許せなかったのだ。
遊良があそこまで怒りを露わにしたことは、絶望していた時期から考えても全く無いくらい。
遊良が鷹矢とルキとの関係を頑なに隠していたこと、それに自ら進んでまで、デュエルもリアルファイトも実力者である鷹矢や、天真爛漫で味方の多いルキに手を出そうとする人間は皆無。そんな二人に手を出すくらいなら、直接見下している遊良に攻撃を仕掛けた方が早いと判断することだろうから。
それを知っているルキだからこそ、下手な隠し事をしてもバレてしまうことは必至。だからこそ、話しておくことに抵抗はない。
しかし…
「…帰ってからゆっくり話そう。…今は…ちょっと疲れたからさ…」
「…うん。」
きっと、今遊良を問い詰めても駄目だということをルキも理解したのだろう。『疲れた』という台詞を吐くこと自体が遊良にしては珍しいものの、いつもと様子の違う遊良が心配で、違反だとわかってでも様子を見に来たとは言え、本当にぐったりしている彼を問い詰めることなどルキには出来るわけが無い。
周囲の野次にも負けず、必死になって勝った遊良。そんな彼を今は休ませることが大切だと、そう理解して。そうして、ルキはぐったりして今にも眠ってしまいそうな遊良の手をそっと取ろうとした…
…そんな時だった。
―!
「天城選手!紫魔選手!ご無事ですか!?」
「…なんですの、騒々しい。」
「す、すみません!しかし、安否の確認に急を要しましたので!」
突如として降って沸いた、焦りを孕んだ声が控え室に響き渡る。ちょうど控え室内で座っていたヒイラギが苦々しく返答するものの、そんな場合じゃないと言わんばかりに焦っているのがシャワールームにいる遊良たちにまで届くのだから、相当切羽詰っているのが分かるだろう。
しかし、安否の確認とは穏やかじゃない。何かあったというのが容易に想像できたため、遊良は重い体を無理やり立ち上がらせて上着を取ると、それを羽織らずにルキを連れ立って控え室内に戻った。
「…どうしたんですか?」
「あ、天城選手!ご無事でしたか!ではお二人は、大至急こちらに来てください!」
「…何を言っているんですの?わたくしはこれから試合なんですけれども。」
「いえ、選抜戦は中止です…。と、ともかく至急こちらに!…ってなんで選手以外が?」
「あ、あの…私…」
「あぁもういいです!とにかくここに居る生徒は全員こちらに!」
そういって、部外者であるはずのルキも一緒になって控え室から連れ出される一同。
突如告げられた選抜戦中止の事実に驚く暇も許されぬまま、遊良は重い足を何とか挙げて歩き出した。
控え室の外…先ほどデュエルを行ったスタジアムの方でもこの決定が告げられたのだろうか、先ほどまで鳴り響いていた遊良へのブーイングよりもさらに大きな不満の声が地響きの様に鳴り響いているのが彼にも容易に分かるようであって。
様子がおかしかったとはいえ…蒼人に負ける寸前で、さらに実際に実態化したモンスターに殺されかけたという、アレだけの思いをして何とか勝てたというのに、その選抜戦が中止とは遊良の心中も穏やかではないだろう。
もし学園側が遊良の勝利を認めようとせず、選抜戦のやり直しなど言い出した日には、きっと先ほど以上の怒りが遊良に起こるはずだ。
多くの悪意や敵意に晒されすぎたからか、遊良はそんなことを考えながらもスタッフに連れられていき、そうしてイースト校の最上階…威厳ある装飾に彩られた荘厳な扉の前で立ち止まった。
「…理事長室?」
「はい、理事長がお呼びです。」
そう言って、スタッフ…もとい決闘学園の若手職員は目の前の理事長室の扉をノックする。分厚い扉らしく鈍い音が返ってきて、そうしてその直後から『入りなさい』という、理事長ではないが…どこか遊良には聞きなれた声が帰ってきた所で、職員が扉を開け始めた。
扉が全て開ききった所で、室内の空気が外に漏れ出してくる。その空気が、遊良の緊張感をより一層強くするものの、しかし急を要する話らしいのだから入らないわけにはいかない。
そうして中に一歩入る一同。すると、その瞬間に室内から驚愕の声が漏れた。
「なっ!?高天ヶ原!お前が何でここにいる!」
「あ、す、すいません…」
それは、理事長室の照明によってどこかが光っている1学年の学年主任の声。
ここに来るはずの無い生徒の顔、騒ぎになるからと席を立つことを禁じているというのに、それでもここに選抜戦関係者ではない人間がいることへの驚きなのか。
それだけではない。2・3年生の学年主任と教頭、そして決闘学園イースト校の校長まで勢ぞろいしているというのだから、それに注目されたルキの心情は穏やかではないだろう。緊張の面持ちが一層強くなったところで、再び1学年の学年主任が口を開いた。
「ま、まさか高天ヶ原…お、お前がやったんじゃないだろうな!」
「え…な、何をですか?」
「とぼけるな!席を立つなと言ったのに移動したお前が一番怪しいってことに…」
そして、唐突にルキに攻め寄る1学年主任。しかし、遊良へのブーイングの嵐に耐えかねて席を抜け出して、遊良のいる控え室まで駆けた彼女にしてみれば、『やった』と言うその言葉がルキには全く心当たりが思い浮かばないだろうが。
初老に差し掛かった1学年主任の焦りと口臭に中てられたルキの表情は苦く、それを見かねたのか、理事長席に座っていた砺波が1学年主任の言葉を遮るようにして言う。
「…鈴木先生。私は高天ヶ原さんにあんなことが出来たとは思えません。…と言うより、人にあんな所業が出来るとも思えませんが。体の内側からのダメージなど、人間技ではない。」
「り、理事長…しかし…」
「この際、高天ヶ原さんが東控え室に居たことは後で追求するとしても…今はそんな場合ではないのですから。」
「は…はい…」
「…理事長、あの…一体何が…」
「天城!誰が喋っていいと言ったんだ!…1年の癖に3年に勝つなんて…これだから空気を読まない生徒は…そのあげくに…こんな奴を…全く…」
どうにも何が起こったのか理解できない遊良。いきなり選抜戦が中止になり、そして緊急で理事長まで連れてこられて、さぁ現状を理解しろ、といっても無理だろうが。
それなのに、発言すら許してくれず、なにやらブツブツ言い始めた1学年主任の物言いに腹立たしくは思うものの、室内の雰囲気がそれを口にすることを許してはくれず、ただそこに立ち尽くすしかない。
しかし、職員室ではなく理事長室に呼ばれたということは、呼び出したのは理事長しかいないことになる。
いくら先の遊良のデュエルの結果に不満があるのだとしても、師である【黒翼】との約束がある以上それを帳消しにされることは無いというのだけは遊良にも分かるものの、今はきっとそんな話をするために呼ばれたのではないことははっきりと分かっていた。
―でなければ、あれほどまでに1学年主任が部外者のルキを責め立てるはずがないのだから。
そして遊良は、この後の砺波の言葉に耳を疑うこととなる。
「…せめて、君達だけでも無事でよかった…と言うべきでしょうね。これ以上私の学園で事件が起こるのはよろしくない。…襲われたんですよ。紫魔君、虹村君、そして先ほどデュエルを終えたばかりの泉君がね。」
「なっ!?…なんでそんな!?」
いくら1学年主任に口を開くなと言われても、驚愕がそれを上回っては無理な話。
いくら蒼人の様子がおかしかったとはいえ、先ほどデュエルを終えたばかりだというのに襲われたとはただ事ではない。遊良の隣でもルキが本当に驚愕の顔をしており、先ほど1学年主任が問い詰めたのはコレだと知っても、この驚き様からそれがルキではないことは確か。
砺波の話では、医務室に運ばれた3人は現在応急手当中で、まもなく救急搬送されるというのだが、しかしデュエルでの疲れもあって上手く話を飲み込めない様子の遊良。
思い返してみれば、もしかしたら最後のダイレクトアタックが実際のダメージとなって蒼人を襲ったのだろうか。いくら怒りに任せてしまったとは言え、蒼人にもしものことがあれば決闘祭どころではないのだろうから。
「理事長先生。泉君、虹村君、紫魔君の症状は3人とも同じだということですので、おそらく犯人は同一人物でしょう。しかし一体誰がこんなことを…。」
「それはわかりません。この後警察も捜査をするとのことですので、その報告待ちですが…。」
教頭の言ったその3人とも同じ症状という言葉。それによって、事件が自分の仕業ではないことが遊良には理解できたものの、それでも一体何故西控え室だけが襲われたのだろうか。ここに居る誰もがそれを理解することが叶わない様子で不穏な雰囲気に包まれる。
遊良が横を見れば、先ほどから一切口を開かない紫魔 ヒイラギも、自分の従者が襲われたという事実に驚いているのだろうか、表情を崩さないもののどこか苦々しい顔をしていると感じた遊良。
そうして何も言えずにそのまま視線を前へと戻すと、砺波が指揮を取り始める。
「保護者への対応もしなければなりません。保護者への対応は私と校長が。」
「わかっています。」
「学生へのケアは教頭が指揮をとって各々の学年主任の先生達にお願いします。点呼を取って生徒の安否を確認。学園内を見回った後、安全が確認でき次第、生徒達を帰宅させてください。」
「はい。」
そういって、教師陣が砺波の指示の元に動き出す。こんな事件が起こったとしても、混乱せずに指示の通りに動けるのはさすがは年季の入った教師と言うべきか。遊良とヒイラギ、そしてルキを理事長室に残して教師達が部屋を出て行いった。
退出際に、1学年主任が遊良を見て溜息を吐いていたのが気になったが、残された遊良はどうすればいいのかわからないものの、今出て行くべきでないことくらいは理解できている。
「さて、無事だった君達二人を呼んだのは他でもありません。…本来なら、再度候補者を選出しなければならないのですが…最終選抜ということもありその時間も残されていないのです。」
そうして、再度口を開いた砺波のその視線は、眼前に立つ遊良とヒイラギをしっかりと見据え、蓄えられた白い髭が揺れ動くたびに遊良に緊張が走る。
なぜなら、時間が残されていない。その言葉は、【決闘世界】に課せられた代表者の選出期限が迫っているということに他ならないのだが、これが最終選抜でなかったとしたら、再度候補者を選出して選抜しなおす時間もあっただろう。
しかし、もう近くまで迫っている【決闘祭】。本来なら本日戦い抜いた生徒の2人が選ばれる予定だった代表者なのだが、候補者を再度選出する時間などイースト校には残されていない。
「こんな事態が起こったとしても、【決闘祭】は開催されるでしょう。【決闘世界】の取り決めは絶対です。こんな形は不本意なのですが…」
それは自動的に…
「天城 遊良君、紫魔 ヒイラギさん…決闘学園イースト校理事長、砺波 浜臣の名において、君達二人を決闘学園イースト校の…決闘祭代表選手に任命します。」
ここに、イースト校の【決闘祭】出場者が決定した。
ー…