遊戯王Wings「神に見放された決闘者」 作:shou9029
―およそ人は寝静まったような、そんな静寂が街を包んでいるような時間帯でのこと。
とても見つからないような決闘市の外れにある森の中、その中に隠れるようにして建っている一軒の古い屋敷のその一角で、白衣を着た医師らしき人間がたった今処置を施し終えた少女を思い出しながら、その口から悲痛な声を漏らしていた。
「…酷いものだ。体の傷もそうだが、性的暴行を受けた痕跡もある…とてもあの歳の子どもが抱えられるダメージではないよ。」
「んなこた見りゃわかんだよ。だからテメェを呼び出したんだろうが。」
「…全く、こんな時間に呼ぶから一体何事かと思ったが…しかし、どんな目に遭えばあんなことになるんだ…鷹峰さん、一体あの子をどこで拾ったんだい?」
「テメェにゃ関係ねぇだろ。いいからとっとと治せ。後、余計な詮索はすんじゃねぇぞ…無事に今後を過ごしたきゃな。」
経験豊富なこの医師から診ても、見た目の痛々しさは言うまでもなく。そしてこんな歳の子どもが抱えるはずの無いような体の内側のダメージまで見てしまった医師の表情はどうしても重くなってしまうのか。
また、医師に診断されるまでもなく、鷹峰とてこの少女の姿を見れば少女が一体どんな目に遭ってきたかは容易に想像できるのだろう。
命があっただけでも褒められるような体の傷の具合、そしてそれ以上に張り詰めていたのであろう心の傷が、更にこの少女に起きた事態を深刻なモノなのだと想像させてくるものの…
それでも、何かと問題の多い人間として知られている天宮寺 鷹峰の『事情』に深入りすることがどれほど危険なことなのかを、この医師とて古い付き合いから理解していて。
「…わかったわかった。ではまた3日後に経過を見に来るよ。…失礼する。」
「おぅ。」
―…
「…ぅ…」
…寒くない、硬くない、うるさくない。そんな、どこか懐かしさすら感じるとても温かで柔らかい『当たり前』の感触を体で感じながら、ぼやけた目とボンヤリした頭でその景色を目に入れた少女は、小さな呻き声を漏らして目を覚ました。
いつの間に気を失ったのだろうか。周囲は照らされているように何故か明るく、また体の上に『何か』が乗っているかのように身動きが取りづらいこの包み込まれるような安心感によって、再度このまま意識を失ってしまいたい欲求が少女の体を昇ってくるものの…
逃げ出してきた身で、もし『誰か』に見つかってしまえばまた捕まってしまうのでは無いかという強迫観念が少女を襲い、その意識を無理やりに覚醒させて。
「…え!?」
しかし、意識が覚醒したその瞬間、驚きの声を漏らしてしまった少女。
その視界に突然飛び込んできた景色、この綺麗な模様の描かれた見慣れぬ天井が、少女の意識を一瞬の混乱に陥れたのが誰の目にも明らかで…これまでずっと、『汚い納屋』か『狭い空』しか見えなかった少女の両の目に見えたソレが、少女の意識を混乱に向かわせていたのだから。
また、今自分が寝ているこの懐かしい感触…もう随分と寝転がっていなかった、柔らかく暖かなこのベットとシーツの感触にも、今の少女からすればもう違和感しか感じておらず。それだけで、こんな歳の少女がどれほどの苦労をその身に浴びてきたのかは容易に想像がつくことだろう。
そうして、混乱の中でも辛うじて身動きを取れる体を無理やりに起こして、現状の確認のため、周りを見渡そうとその手を天井へと伸ばした少女は…
―そこで、気がついた。
「…あ…包帯、巻いである…」
傷だらけの肌がむき出しになっていたはずの、酷く痩せ細った腕に巻かれた包帯。
その少女の腕に綺麗に巻かれた包帯は、汚れた少女の体とは対照的に一目見て『治療』されているのだと理解できる程にどこまでも純白で。
そしてソレを見た瞬間に、包帯が巻かれているのが片腕だけではないことを少女は体感で理解したのか。
反対の腕も、両の脚も、果ては頭部にまで巻かれた包帯。
ずっと消えなかった体中の痛みも、どこか痺れたようにして滲んでいて…傷口に塗られた薬の匂いが少女の鼻腔を刺激し、あれだけ汚れていた体も清拭されたのか消毒液の匂いが微かに漂っている。
また、痛めた喉にも何か薬が付いているのか、呼吸する度に薬臭い匂いが口に広がり、喋りにくいもののどこか痛みも鎮まっているかのような痺れを少女は感じていた。
そして、その混乱に少女が巻き込まれた数瞬の後…
閉められていたドアが金属音と共に開き、一人の男性の姿がそこにはあった。
「…おぅ、起きてんじゃねーかクソガキ。いきなりぶっ倒れるとか意味分かんねーぞコラ。」
「…あの…どうじで…」
「あ?」
「包帯どが…ぞの…おれ、お金無い…」
「カカッ、ガキの癖に一人前に金の心配か?生憎、こちとら金は腐るほど余ってんだよ。ガキの癖に馬鹿なこと言ってんじゃねぇぜ、ったく。ガキはガキらしく、テメェの心配だけしてればいいんだっての。」
「…でも…」
部屋に入ってきた家主である天宮寺 鷹峰に対し、子供らしからぬ心配を鷹峰へと投げかける少女。
しかし、ソレはこの少女が受けてきた境遇の惨たらしさを物語っていることに違いなく。暴行と暴姦に挟まれて、常に悪意に晒されてきた故なのか。裏表の無い行為に対してであっても、少女にはどうしても警戒心が勝っている様子。
しかし、この少女の受けてきた境遇を考えるとそれも当たり前で…そうでもなければ、前【紫魔】の娘である温室育ちのこんな子供が、こんなにも濁った目をして誰かに縋ることなど無いのだから。
「チッ、一度鍛えてやるって引き受けちまったんだ。面倒臭ぇが、俺様は一度言ったことは撤回しねぇ主義なんだわ。わかったらさっさと治れ、治らなきゃ鍛えるもクソもねぇだろうが。」
「…あ…お、おれ…」
「後、その『おれ』ってのはやめろ。そんなナリしてるってこたぁ、どうせ面倒臭ぇ事情があんだろ?小娘の癖に、気ぃ張って男のフリなんてしてんじゃねぇよクソガキ。いいな、命令だ。」
「…う、うん…」
「カッカッカ、よかったなぁ俺様がそれ以上に面倒抱えてる奴でよぉ。おう、引き受けちまったからにゃ匿ってやんよ。」
それを踏まえてもなお、鷹峰は強い言葉で少女を否定して。
身も心も傷付いているはずの少女に対しても、少しも態度を改めることなく、『あえて』押さえつけるような強い言葉をぶつけるのみ。
どうせこの少女が己の内に芽生えた『負』に任せて、後先考えずにここに現れたのだろうことは、この少女の濁った目を見ればある程度の死線を潜ってきた大人ならば誰だって容易に想像がつくことではあるのだが…
しかし、一体鷹峰も何を思ってこの少女を鍛えるなどと思い至ったのだろう。
―鷹峰からしてみれば、知り合いの娘とは言え赤の他人。
いくら少女の言葉によって、『鍛えて相手になる奴を自分で作る』という考えに至れたとはいえ…とんでもなく面倒くさい『事情』をこの少女が抱えているのであろうことは、鷹峰とて言われるまでも無いこと。
ソレをこの少女で実戦せずとも、他の後腐れない才能溢れる子供を選りすぐって鍛えた方が遥かに効率も体裁も良いだろうに。
「そういやガキ、テメェ自分のデッキ持って…るわきゃねぇよな、そんなナリして。」
「…もっでない…」
「デッキ持ってねぇんじゃ、鍛える云々以前の問題じゃねーか。…ったく、ちょっと待ってろ。」
それを分かっていても、迷うことなく少女へと声をかける鷹峰。
見るに耐えない濁った目。『復讐心』と言う微かな生きる希望にしがみついて、まるで全世界が敵だと言わんばかりの姿で居たことが、果たして鷹峰にはどう映っていたのか。
決して見せぬ彼の本心。しかし確かな彼の本意。
己のやりたい事を、ただやりたい様にして振舞ってきた天宮寺 鷹峰と言う存在が見せているコレは果たして優しさか我が侭か。単純なる気まぐれで少女を拾ったということも十分ありえ、興味が他へ向いてしまえば容赦なく切り捨てることもあるだろうが…
「ほらよ。」
「…え?」
…そうして、鷹峰はクローゼットの中を漁り、その中から一つのデッキを取り出すと少女へと向かってソレを投げ渡した。
「…ごれ…って…」
「昔適当に作った【HERO】だ。無礼にもこの俺様に挑んでくる紫魔家の奴らを適当におちょくる為にな。まっ、俺は融合なんて使えねぇから、もちろん【融合】なんて一枚も入っちゃねーが…カカッ、融合しないでエクシーズしてくる【HERO】にぶっ飛ばされた奴らの顔はマジで傑作だったぜ。」
「…」
「…なんだよ、いらねぇのか?もう飽きて俺様には必要のねぇカードだからやるっつってんだ。テメェら紫魔は【HERO】しか使っちゃいけねーんだろ?デッキが無ぇと鍛えるもクソもねーだろ、ついでに古いディスクもやるからよ、いいから持っとけ。」
「う、うん…」
少女へと投げ渡された、【HERO】の名を冠するモンスター達のデッキ。
およそ、この世界において『紫魔家』の代名詞とも言えるその英雄達を、動機はどうあれ鷹峰がデッキとして持っていたことにも驚きではあるのだが…それでも、何の考えも無しに押しかけた少女に渡されたソレは、確かにこの少女を鍛えるという確約を少女へと与えていて。
…施しなど受けた覚えが無く、ずっと傷つけられるだけだった日々とは違う。
少女の手に収まっているデッキ、もう懐かしさすら感じる見慣れたソレらと、デュエルを行うには必須であるデュエルディスクを手渡された少女は…濁った目でただ見つめているだけ。
そんな、『何か』に囚われている少女を見て…一体何を思ったのだろうか、少女へと向けて、鷹峰は再度口を開く。
「おい、テメェ名前は?」
「な…まえ…?」
「犬や猫にだって名前があんだ、れんぞーのガキなんだから名前ぐれぇあんだろうが。『おい』とか『ガキ』でもいいけどよ、ここに置いてやるんだから名前ぐらい知っといたって損はねぇだろ?いいから教えろ。」
「あ…わだじの、名前…」
…そして、その言葉が少女の濁ったままの目に、微かな光を差し込んだ。
『人』として生まれたのならば、『当然』持っているモノを、鷹峰はただ当たり前に聞いただけだと言うのに…まるで、その言葉をかけられたことが何よりも想定外だったと言わんばかりに、少女は意外そうな顔をしていて。
放り込まれた『あの場所』では、たった一度も呼ばれたことの無かった自分の『名前』。
逃げ出した孤独の中では、呼んでくれるような人間すら居なかった自分の『名前』。
果たしてそれが計算なのか偶然なのかは鷹峰にしかわからぬものの、およそ人間扱いなどされずに、家畜同然のような扱いをされていたからこそ何気なく『名』を聞くことがこんなにも少女に『生きている』という感覚を持たせたのだ。
―そうして、痛めた喉を労わりながら、掠れた声で少女は言葉を発し…
「ひ…いら…ぎ…」
「ヒイラギか…お?そういや前にれんぞーがそんな名前呼んでたな。カカッ、精々潰れんじゃねーぞ、いいな、ヒイラギ。」
「…う、うん…」
―契約は、結ばれた。
久しく呼ばれた自分の名。他人に名前を呼んでもらうことが、こんなにも嬉しいことだったのかと思えるくらいにソレは懐かしく…自分の名と、その名に込められた父の意思を思い出すと、今にも涙が込み上がって来そうになるのを何とか堪えるヒイラギ。
世界が憎い…自分を傷つけた人間も、父を奪った紫魔本家も、抗うことすら許してくれなかったこの人間社会も。
壊したい…力ある者しか認めてくれないこの世界で、全てを壊せるだけの力を手に入れて、全部、全部壊してやりたい。
そんな、この世界に抱くヒイラギの憎しみは薄れることのない本物ではあるのだが…
―それでも、今この瞬間だけは。
「俺様をぶっ飛ばしてくれるって奴を、この俺が自分で育てるってのも中々面白ぇじゃねぇかよ、カッカッカ。」
やっと『人間』に戻れたような奇妙な感覚と、師となった【化物】の渇いた笑いが…これまでずっと傷付くだけだった少女を包んでいた。
―…
人格者で知られていた【白鯨】や、巨大なる紫魔本家を率いていた【紫魔】と違い、傍若無人で知られた【黒翼】の、『修行』と言う名の『暴虐』は熾烈を極めた。
時々来る老医師に診てもらいながら、ヒイラギの幼い体は確かに回復の一途を辿ってはいたものの…
少女の体のダメージが深刻で、酷く痩せ細って衰弱していたにも関わらず『若い内は意識があれば何をしても死なない』という【黒翼】の持論から修行がすぐに始まったのだ。
しかし、人にモノを教えることはおろか、自分の子供にだってまともな教育をした覚えのない天宮寺 鷹峰というこの存在。
そんな男が、他人にモノを教えようとしているのだ、それは到底常人が思い浮かべているような代物になるわけがないだろう。
―彼が求めるのは、己の相手が務まるような、そんな【化物】のような決闘者。
常人が考えているような『まとも』な教育を受けるだけでは、きっとそのレベルに到達するずっと前に人間としての寿命が尽きてしまうことは、誰に言われるまでもない真なる事実。
だからこそ、【化物】となった存在が織り成す、まさに『傍若無人』を体現したかのようなこの『暴虐』は…常人の思い浮かべているような、生易しい行為程度では断じてなく。
「これとこれとこれと…あとこれもだ、午前中に全部読んで頭に叩き込め。ついでにコレも一緒に見とけよ、本読みながらだって映像くらい見れるだろ。」
「…こんなに…」
「どうせ体調が改善するまで寝てるだけだってんなら、頭を使わねぇと時間が勿体ねぇ。カカカッ、実戦よりも先にテメェにゃ覚えることが山ほどあらぁ。知識のねぇ奴は絶対に強くなんてなれねぇ、だから決闘学園なんてもんがあんだからよ。」
積み上げられた書籍や資料。過去のプロデュエリスト達の試合データ。
どこに隠し持っていたのか、感覚派で世に知られている【黒翼】の持っていた書物や映像、この過去から紡がれてきた先人たちのデュエルの軌跡は…まだヒイラギの幼い頭や足りない知識では、何が起こっているのかすら理解することすら難しい物ばかりだと言うのに。
しかしソレを許さぬ鷹峰は、あえてとてつもない『量』の情報をヒイラギに読み込ませて覚えさせたのだ。
早朝から、深夜まで。
それこそ、起きてから寝るまでの全ての時間を、膨大なるデュエルの知識や定石、そして戦術やカテゴリーごとの特色を叩き込むことに費やし…その全てを、ヒイラギは余すことなくその幼い頭に叩き込まれた。
「俺はこれから飲みに…じゃねぇ、用事で出かけるけどよ、帰ってくるまでに全部やっとけ。」
「う、うん…」
「『うん』じゃねぇ、返事は『はい』だ。わざわざ鍛えてやってんだから俺様を敬って気を使え。」
「…う…は、はい。」
「お、そうだ、これから俺様の事は敬意を持って『先生』と呼べ。カカッ、いいねぇ、他人に上からモノ言うのはよぉ、わかったら返事だ。」
「…はい…先生…」
甘えは無く。それは、およそ同年代の子ども達が受けている、生易しく低レベルな『教育』と言う名の『並列化』とは、根本からしてかけ離れた代物。
容赦も無く。とてもまだ初等部に上がったばかりの幼い歳の子供に施す教えとは、到底思えないほどに厳しいモノとなっていて。
そこら辺に居る有象無象のような子ども達では、即座に音を上げて泣き喚いてしまう厳しさと、反論を許さぬ圧倒的な威圧を持ってして、無理やりにヒイラギの力の底上げを図っているのか。
凝視のしすぎで網膜が焼けきれる様な錯覚と、知識の詰め込みすぎで痛む頭蓋内を無視し…夥しい量の基礎知識を余すことなくその頭の中に詰め込む毎日。
しかし、この厳しい修行の『始まり』に対し、頭が破裂しそうになるのでは無いかと言う知識の奔流を、ヒイラギはどこまでも深い『復讐心』でどうにか押さえ込んで飲み込んで喰らい続けて。
どこかで遊び歩いているのか、時折鷹峰が帰ってこない夜もありはしたのだが…それでもヒイラギが読ませられる量は日に日に増え続け、目と耳から入ってくる情報量の多さに吐き気を催すこともあったものの、それでも耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて貪欲に『力』をヒイラギは求め続けた。
…それは『紫魔本家』と言う温室で育ってきた子どもからは到底考えられないような尽力あっただろう。
【黒翼】の重圧に耐えながら、何が何でも強くなって自分を傷つけた世界に復讐したいというソレに任せ、得られるモノ、喰らえるモノを喰らって、己の血肉に変えるという意思のみでソレを飲み込んでいたのだ。
「知ったことを総動員しろ。相手のデッキ、手札、場、墓地、それを把握して、自分のデッキ、手札、場、墓地の全部から打てる手を常に用意して、敵の使ってきたカードの効果からデッキの回し方を考えろ。」
―また、その詰め込んだ知識をそのままにしておくことなど【黒翼】がするわけも無く。
「あと足りないカードはデッキから引け。どれか一つ足りないモンがあったら勝てるわけがねぇんだからよ。」
「…引けって…そんな簡単そうに…」
「それ位やってのけねぇと話になんねぇってんだよ、このボケが。」
「【融合】…無い…」
「あぁん?テメェの頭はスッカラカンか?俺は何を教えてきたよ、Exデッキなんざ使わなくたって遣り様はいくらでもあんだろーが。いいから次だ、さっさと構えろ。」
「うぅ…」
今にも膝を突いて気を失いたい衝動に駆られながらも、どうにかその場に立って意識を保とうとしているヒイラギ。
適切な治療を受けている子供の回復力は素晴らしく、ヒイラギの傷が回復した頃合を見計らって鷹峰は詰め込ませた知識を総動員させて『実戦』を行い始めたのだが…
歯が立つわけもなく、抵抗できるはずも無く。
まともに対峙することすら困難な圧力を持つ【黒翼】と、終わることの無いデュエルを延々と行い…寄せ来るただの一方的な暴力に対して、いかに身じろぎが出来るかを繰り返して『蹂躙』を耐えるだけ。
「おい何気ぃ失ってやがる。とっとと起きねぇか。」
「…ぅ、げほっ…」
「オラ、次だ次。時間が勿体ねぇってんだ。」
しかし、世界に轟くエクシーズ王者【黒翼】と、これほどの回数デュエルを行えるのは果たして幸か不幸か。
一戦毎に襲い来る容赦の無い圧力に中てられて、その度にヒイラギは気を失いそうになり…それすら更なる圧力で無理やりに意識を覚醒させられるその様は、下手をすれば罪人への拷問よりも苦しいモノとも言えるだろう。
昇り来る吐き気を無理やり飲み込み、力が抜けて倒れそうになる足を無理やり踏ん張り…
「常に考えろ。頭使って、思考を捨てんな。戦いの途中で考えるのを止めた奴は絶対ぇに勝てねぇ、いいか、考えるのを止めたときがテメェの最後だ。」
「うぷっ…はぁ…はぁ…か、考える…」
「よし、じゃあ次だ。次は3手は耐えてみろ、いいな。出来なきゃ明日の量を倍にすっからな。」
「は…はい、先生…」
そうして、有無を言わさぬ、そもそも有無など言えぬ『暴虐』の日々が続いていく。
毎日が苦しく、毎日が辛い。
鷹峰が出かけている時はずっと資料や映像を見続けて知識を飲み込み、鷹峰が居る時はずっと戦いを繰り返して考え続ける『修行』の日々。
また、何不自由無い『紫魔本家』と言う温室で育ってきた少女も、ここでは事情があって外に出歩けないただの居候。
匿ってもらっているこの『隠れ家』の炊事、洗濯、掃除、家事…修行で疲れきった体を無理やり動かし、不慣れなその全てを師の満足のいくようにこなさなければ、『修行』が更に厳しくなると脅されて。
自身のEx適正である融合を使えぬジレンマもあっただろうが、その度に鷹峰に『Exデッキの有無』では強さは決まらないことをぶつけられ…痛め苦しめられていたかつての日と同等か、またはそれ以上に襲い来る苦しさを何とか耐え忍ぶのみ。
「ちっ、こんな事も出来ねぇのか。まだまだだな、次だ、休んでる暇なんてねぇぞ。」
「…は、はい…」
―それでも、ヒイラギは折れなかった。
辛くとも、苦しくとも。
それでも今こうして感じているこの厳しさは、甚振られるだけだったあの時、死んでいるような日を送っていたあの時とは全く持って違うものだったから。
力も無く何も出来なかったあの時とは違い、日に日に『復讐』へと向けて力を増していく感覚がヒイラギを支え…また、己に巣食うのが『復讐心』とは言えど、苦しさの中に妙な充実感が芽生えていたのだから。
―そうして…
―修行と言う名の『暴虐』を耐える日々を送り、数ヶ月程経った頃だろうか。
「ついでによ、もう何人か鍛えることにしたぜ。」
「…え?」
いつものように夜遅くになってから帰ってきた鷹峰が、出された課題と師の晩酌の準備を終えて帰りを待っていたヒイラギへと、唐突にそう言ってきた。
「テメェの言う通り、相手になる奴は多い方が面白ぇ。でもまぁ、そこまで全員上がってくるとは限らねぇからな。だったら頭数は多い方がいいだろ。」
「…えっと、それって…あの、先生…」
しかし、それはヒイラギからすれば、耳を疑うような話に違いなく。
ヒイラギの事を紫魔家の人間と知りつつ、その『事情』すらも黙認して今まで過ごして来たとは言え、今しがた師が言い放ったその言葉は、ヒイラギの中にとある焦りを芽生えさせたのか。
こんな感情を浮かび上がらせてしまったこと自体、ヒイラギからすれば違和感を覚えるのであろうが…そんなことを意に介さず、鷹峰は更に言葉を続けるのみ。
「一人は俺の孫、これがまた小生意気なクソガキでよ。んでもう一人は何か妖しい小娘だ。カカッ、下手に隠そうとしてやがるが、ありゃ『神』の気配だな。昔似たようなのと遣り合ったことがあるから間違いねぇ。…あと、Ex適正が無ぇっつー面白そうなガキもついでによ。まっ、ランの事とテメェの事が無きゃ、あんなガキンチョ達なんざ鍛えるなんてことも思い浮かばなかっただろうがなぁ。」
「あ、あの…」
「つーかガキの面倒見るっつーのも楽じゃねーな。面倒臭ぇ事ばっかだぜ、カッカッカ。」
「…わ、私は…」
「あ?何言ってやがんだ、元々はテメェが言い出したことだろうが。それを途中で止めて逃げ出すなんざ許すわけねぇだろこのボケ。」
「…あ…」
しかし、そんなどこから来たのか分からないようなヒイラギの焦燥感を、易々と蹴り飛ばす鷹峰。
…このヒイラギの中に浮かび上がったその焦りは、捨てられる恐怖と一人になる虚無感を既に経験しているからこそ。
『復讐心』というモノによって押さえつけられているとは言え、彼女にここまでのモノを抱かせた根幹の感情が消えるわけが無いのは当たり前ではあるのだが…それでも、さも当たり前のようにして言い放たれた師の言葉によって、その『負』がどこかへと消えていく。
それは、消えることの無い傷で汚れた少女を、再び『人間』たらしめていたことの証明でもあり…
「カカカッ、んだその顔は、安心した面しやがって。テメェも随分と人間らしい顔つきに戻ったじゃねーの。ここに来たときとは大違いだぜ。」
「…それは…」
「まっ、今まで通り夜はこっちだ。今と何ら変わり無ぇ、昼はあっちのガキ共、夜はちゃんとテメェの面倒みてやんよ。ったく忙しいったらありゃしねぇが、まぁ仕方ねぇよなぁ。なんてったって俺ぁ保護者なんだからよ、カッカッカ。」
「ほご…しゃ…?」
およそ天宮寺 鷹峰という男を昔から知っている人間からすれば、絶対に信じられないような言葉が鷹峰の口から飛び出してきたものの、ここにその言葉に衝撃を受ける他人など存在しない。
また、その言葉を発した鷹峰の心の内は決して他の誰にも分からぬモノに違いないだろう。
自分の子供すらまともに子育てをした覚えの無い天宮寺 鷹峰という男が、こうやって子供たちの面倒を見つつ修行をつけているという行為でさえ、一体何のきまぐれかと思えるほどに似合わない行為に違いなく。
「わかったらさっさと寝ろ。明日からもっとビシバシ行くからよ。」
「はい…先生。」
そして、ほとんどの人間が持っているであろうその『安堵』の正体にも今のヒイラギは気付けぬまま…再び、益々厳しくなっていく修行に身を投じていった。
―…
「おいヒイラギ、まだ世界が憎いか?」
「…はい…」
ヒイラギが鷹峰の元へと来て、この生活を始めてから随分と経ったとある夜。『隠れ家』でいつものようにヒイラギが用意した晩酌を機嫌よく呷っていた鷹峰が、何を思ったのかヒイラギへとそう声をかけてきた。
しかし、ヒイラギはこれまで一言も鷹峰に向かって、自身の『復讐心』を言葉にしたことは無いというのに…
それでもこれまで共に生活をしてきたからか、または鷹峰にも何か思い当たる節があるのか。まぁ、未だにヒイラギの目がどこか濁ったままだということを考えれば、似たような経験をした者ならば、言われなくとも容易に想像がつくことではあるのだが。
それでも、ヒイラギとて鷹峰の言葉に別段驚いた様子も無く。
これまでヒイラギの『事情』を黙認してきた師なのだから、今更自分の『本心』が師に筒抜けだったとしてもどうでもいいのだろう。鷹峰がソレをとっくに理解していても、これまでずっと自分を鍛えてくれていたのだから、と。
「カカッ、そうだよなぁ。ひでぇ目に遭ったみてぇだしよ。まぁ、その気持ちはわかんぜ、俺様も昔は随分敵が多かったからよ。まっ、今も似たようなもんだけどな。それに相手になる奴も少ねぇんだからよ、こんなに年取ってからも退屈でしょうがねぇ。」
「先生は…」
「あ?」
しかし、今こうして師が改めて自分の『本心』を問うてきたからこそ、ヒイラギもまた鷹峰に対し疑問に思っていた己の心の内を投げかけようとしているのか。
それは、天宮寺 鷹峰と言う男が、自分のやりたい事を、ただやりたい様に好き勝手にして生きてきたからこそ生じた疑問でもあり…
「先生は…こんなに強いのに…復讐、したくないんですか?それだけ強かったら好きに暴れられるんじゃ…何で我慢してまで…」
世界に名立たるエクシーズ王者【黒翼】。
一説には、一国の王よりも世界に与える影響力が大きいとまで言われているのが、この世界における決闘の【王者】という存在。
決闘こそ全てのこの世界において、己の身一つだけでここまで上り詰めた存在の持つ『力』と言うモノは、果てしない『暴力』と同義であることはまず間違いないだろう。
それほどまでの力を持った彼が、ヒイラギの抱いている『復讐心』に対して『気持ちはわかる』、『退屈でしょうがない』と、確かに、そう言った。
それは間違いなく、鷹峰もこの世界に対してヒイラギが抱いているモノに近いモノを抱いたことがあるということ。だからこそ、その言葉を聞いたヒイラギが一体どうして師が今まで己の『負』を爆発させていないのだろうかと疑問を抱いたとしても仕方なく。
コレほどまでの『力』を持つ師が、本気で世界に対して喧嘩を売ればすぐにでも世界には大混乱が起き、こんなふざけた世界などすぐにでも壊れてしまうのに、と。
まぁ、その考えと妄想とてヒイラギがまだ幼い故の過大構想ではあるのだろうが…それでも、ソレが『不可能』では無いことを鷹峰もまた知っているからこそ、胸の内に『復讐心』を抱く弟子の問いかけに、いかにして鷹峰は答えるのか。
子育てなどしたことが無く、他人にモノを教えた事も無いこの天宮寺 鷹峰の…
―ここで、師としての力量が問われる。
「復讐…ねぇ…したいぜ?俺も復讐ってやつ。」
「…え?」
「退屈でつまんねぇ、こんな弱ぇ奴らばっかのイラつく世界を、一回ぶっ壊して生き残った強ぇ奴らだけで、強ぇ奴らだけの世界を造る…って話をよ、前に俺も賛成したんだわ。」
「…世界を…ぶっ壊す…」
そんな鷹峰から発せられたのは、紛れも無い本心からの言葉。
彼がこの世界に抱いてきた『退屈』、『憤怒』…そして、『見限り』。その全てから来る【黒翼】の思いもまた、ヒイラギが抱いているモノとは趣旨が違っても、世界を壊すという根本的な部分では同じモノであって。
―世界を壊す。
やり方はどうあれ、こんな気に入らない世界を壊してしまおうとしているという、この男故に感じる『現実味』のあるその言葉。
きっと、やろうと思えば簡単に出来てしまうのだろう。気に入らないモノを壊して、気に入らない奴を消して…
今まで鷹峰がここまで歩んできた人生の中で出した結論がそう言っているのだ。それは、到底『普通』に生きてきただけの『人間』に理解できる代物ではないだろう。
また、それはヒイラギからすれば願っても無いことではないだろうか。自分を見捨てた世界が壊れていく様は、今の彼女が見たい唯一つの景色なのだから。
「でもよぉ…」
―それでも…
「いいじゃねーか、弱くたってよ。今弱いってのは、後から強くなれるってことだ。テメェや他の弟子共みてぇにな。」
それでも、先ほどの自身の『思い』すら簡単に否定してしまう師、鷹峰。
グラスに注がれている上等な酒を呷り、ますます上機嫌になり声の大きさを上げていきながら…透き通った酒とは正反対に『濁った目』をしている己の弟子に対して、更に言葉を続けるのみ。
「相手になる奴が居ねぇ?カカッ、わざわざ選別なんてしなくたって、俺が自分で相手になる奴を作りゃあいい。その方が頭数だって増えるし、その過程も退屈なんてしやしねぇ。…ヒイラギ、テメェが俺にそう言ったんだろ?」
「…それは…」
「おいヒイラギ、テメェがこんな世界に復讐したって別にいい、テメェのことだ、テメェで決めろ。」
「…」
「でもよ…少しだけ見方を変えてみな、確かにこの世界は退屈…いや退屈だったけどよ、それは俺が自分で退屈にしてただけだ。ちょっと見方を変えて面白ぇことを探せば、まだまだこの世界にゃこんなに面白いことがあるんだぜ?」
「見方を…変える…?」
「おう、ランもそうだ、テメェらガキ共鍛えんのもそうだ。見たことねぇ強ぇ奴や、やったことねぇ事がまだまだゴロゴロしてやがる。」
果たして鷹峰がそこまで至るまでに、一体どれほどの退屈や見限りを費やしてきたのかは想像することすら憚られることに違いなく。
しかし、この歳まで生きてきた『強者』が、自分の固定観念に囚われることなく自由にモノを見られるということもまた、鷹峰を今も【黒翼】たらしめていることには違いないだろう。
まだまだ幼い自分の弟子に対し…この歳で想像を絶する絶望を味わった少女に対し…『何か』を伝えられるのは、師となった者だけ。
「楽しめよヒイラギ。辛ぇのも、苦しいのも、全部全部味わって楽しんじまえ。そうすりゃ、世界の方からテメェに、悪かったって自分から頭下げに来るってなもんだ。…テメェの人生なんだ、辛いより、楽しい方が…ずっとずっと、楽だろうが…なぁ?カッカッ…カ…………ガー…グォー…」
「あっ…」
そうして…言いたいことを言い終えて、酔いつぶれて眠ってしまった鷹峰。
酔っていたとは言え、鷹峰がこうも饒舌に話しをすることも珍しくはあるのだが…どこまでも好き勝手に振る舞う師を見て、会った事の無い弟弟子達もきっとこの奔放な師に振り回されているのだろうと、名前しか知らぬまだ見ぬ弟弟子たちの苦労を慮るヒイラギ。
…しかしヒイラギには、痛めつけられ、甚振られ、殴られ、嬲られた、あの地獄の様な日々を、今も決して忘れることなど出来ない。
逃げ出し、隠れ、誰からも認識されずにただただ無意味に生きていただけの、あの無駄で空虚な日々を、決して思い出したくも無い。
それほどまでに、ヒイラギの中にある『復讐心』は大きく、またそれが今の彼女を形成している大部分であることには違いないのだが…
「私は…」
―それでも…
この時の師の言葉が、これまでのヒイラギの『何か』を変えたのは、言うまでも無かった。
―…
そうして一年が経った頃だろうか。
「おうヒイラギ、テメェに客だ。」
「…え?」
この日、珍しく日が高く上っている内に『隠れ家』に帰ってきた鷹峰が、ヒイラギへと唐突にそう言ってきた。
その傍らに、ヒイラギの知らない人物を連れ立って。
師である鷹峰よりも年がかなり上であろう見るからに老人であるその人物。立派な服を召し、出で立ちからして相当な家柄のご老公なのだというのが見ただけで理解できるような、まさに上品と言う言葉を体で表したような雰囲気で…
しかし、そんなことなど考えずとも…ヒイラギは、一目見ただでけ直感してしまった。
―それが、紫魔の人間なのだと。
「…あの、先生…これは一体…」
「おぅ、こいつだ。間違いねぇだろ。」
「…なるほど、確かに紫魔 ヒイラギに間違いない。まさかこんなところに居たとは。」
そんな驚きと警戒を見せているヒイラギを他所に、何かを話し始める大人二人。
突如表れた紫魔家の人間に対して、ヒイラギもその全てが『平気』になっているはずなど無いというのに…
恐怖が昇る、1年前に味わっていた『嫌な事』を、思い出すには充分なくらいに。
足が震える、まさか再び『同じ目』に遭わされるのではないかと、思わせるには充分なくらいに。
それに、一体どうして師は紫魔の人間をここに連れてきたのだろうか。その疑惑も相まり、ヒイラギの頭からは血の気が引く感覚が益々強まり、その目は更に濁っていって…
「始めまして…と言った方がいいでしょうな。私は『地紫魔』の紫魔 春樹と申します。君がまだ本家に居た頃に一度だけ会ったことがあるのだが…まぁ、今よりも幼かったのだから君は覚えていないでしょう。」
「…」
「しかし探しましたよ、あれだけ探しても見つからなかった君が、まさか鷹峰君のところに居たとは。」
昇り来る恐怖に耐えながらも、何とか紫魔の老人の声を耳に入れながらその意味を聞き取るヒイラギ。
その声と雰囲気から、この老人もどうにかしてヒイラギを警戒させないようにしてくれているのが手に取るようにわかるものの…
最初に引き取られた時も、現れた紫魔家の人間はこうやって優しそうな顔をしていたのだ。それが、引き取り先の家に着いた途端に豹変し、蹴り飛ばすようにしてヒイラギを前の家に押し込んだのだから、おいそれと目の前の他人を信用など出来るはずもなく。
また、『自分を探していた』と言ったこの老人の言葉が引き金となって、あの頃のことがどうしてもヒイラギの頭に昇ってくるのか。
逃げだした後、追っ手に怯えて隠れていたあの頃。いつ見つかってあの場所に戻されるかも分からぬ恐怖は、今でもはっきりと思い出せるほどに、ヒイラギの心に消えない傷を残しているのだから。
連れ戻されて…また辛い目にあう。殴られて、嬲られる、あの苦しさしかない日々が…
そして、そんな状態のヒイラギを見たまま…老人は、その目をとても悲しそうなモノへと変えながら声を続けた。
―しかし、それはヒイラギにとって耳を疑いたくなるモノに違いなく…
「…何せ、本来なら『地紫魔』である私の家に来るはずだった君が、何故か最下層に引き取られていたというのだから。」
「…え?」
「何時まで経っても消息がハッキリせず、綿貫さんを問い詰めたら彼も間違った報告を受けていたというじゃないか。」
「まっ、ジジイも忙しい身だからなぁ。敵も多いんだろうぜ。」
「慌てて君を連れて行った者を探し出して自白…いや問い詰めて探したのだが、誰も知らないの一点張りで一向に消息が掴めず…ようやく君が行方不明になっていることを白状させたと言うのに、その君もまたどこへ消えたのか分からず仕舞いで本当に心配したよ…」
「あ、あの…ど、どうして最初に私を引き取ろうと?本家から追い出された私を…」
「…私たち『地紫魔』はどうにも本家の人間とはソリが合わなくてね…ほぼ絶縁状態に近いんだ。しかし、君の父上、前【紫魔】の憐造君だけは違った。彼の尽力が無ければ、『地紫魔』はとっくに決闘市から追いやられていただろう。」
「…父様が…」
「他の本家の人間とは違い、彼だけには多大な恩がある。だから君の事を知ったときには、本家の怒りなど関係無しに真っ先に君を引き取ると決めたというのに…それがまさか、こんなことになるとは…」
老人が告げる言葉の数々に、ヒイラギの頭は理解が追いつかず。
もしソレが本当だったのならば、自分が受けてきた扱いは全てが間違いだったということになるのだ。人としての尊厳を奪われたのも、心と体に消えない傷を負わされたのも…全て、ただの『間違い』から始まった取り返しのつかないことに。
それが今になってわかったところで、ヒイラギには納得と理解など出来るはずも無いだろう。
何を言っていいのか分からず、また何を思っていいのかも分からず。
…助け舟を求める形で、ヒイラギは師へと顔を向けた。
「あ、あの…先生…」
「あ?」
「それで…どうして、紫魔の人が…?」
「おう、テメェが無事だって知ったから、テメェの事を引き取りてぇんだってよ。」
「え!?」
…それでも、師から放たれた言葉は、ヒイラギの驚愕を下手に強めただけ。
ここに現れたのが紫魔家の人間だというコトが分かった瞬間に、薄々そうなのでは無いかと思ってはいたものの…それでも、こうもはっきりと恐れていたことを言われてしまっては、ヒイラギに驚くなと言う方が無理な話だ。
そんなヒイラギのその驚きを知りながらも…ここにいる大人二人は構わずに話しを続けて…
「…すまない、君が受けてきた事は調べさせてもらったよ…すまなかった、随分と酷い目に遭わされたようで…」
「カカッ、酷ぇなんてモンじゃなかったぜ?よくもまぁ抜け抜けとそんなコトが言えるってなもんだ。」
「…本当に、君にはなんて詫びたらいいのか…」
「あ、あの…」
「約束しよう。『地紫魔』の名にかけて、君の安全を保障すると。正式に『地紫魔』に養子として迎え入れ、これまでの非を詫びて君が紫魔に戻れるように尽力するつもりだ。」
しかし、老人から語られる謝辞は、紛れも無い本心で。
醜い程の人の『負』を見続けてきたヒイラギからすれば、この老人の言葉が『嘘』なのか『本当』なのかを見分けるのは簡単なことではあるのだが…
「先生…私は…行きたくな…」
―今更、紫魔家になど戻りたくはない。
そう思っているのがヒイラギの本心。例え、ここから外に出られなくてもいい、ここに居て、師に鍛えられ、師の居る【化物】の巣食う場所へと行くことを、彼女は望んでいるのだ。
…それが、師と交わした契約。途中で逃げ出す事も許さないと言い放った師の元に居ることが、自分の意思なのだと、ヒイラギが言葉を発しかけた…
―その時だった。
「…おい、まだわかんねーのかテメェ。」
「…え?」
「俺様がわざわざ紫魔の人間連れてきたってことは、テメェの事を見限ったってことだろうが。ったく、いくら教えても全然成長しやしねぇじゃねーか。もう飽きたんだよ、テメェの面倒見るのはよ。」
「そんな!?…せ、せんせ…」
「ケッ、何が先生だ。もう師匠でも弟子でも何でも無ぇ。…おぅ、せめてもの選別だ、そのデュエルディスクはくれてやるから、さっさと出てけってんだ。どうせ他に荷物も無ぇだろうが。」
「あ…」
いきなり言い放たれた、突き放すような鷹峰の言葉。
次々に襲い来る師からの恫喝と、見限ったかのような放却に…込み上げてくる『何か』がヒイラギを襲い、少女は言葉を無くして呆然と立ち尽くすだけ。
別に、ヒイラギが今もただ『復讐心』にのみ心を囚われていただけならば、彼女もここまで呆然としてしまうことは無かっただろう。しかし、ヒイラギもそんな上辺だけの生活を送れるほど、この1年間の修行の日々は軽くないのだ。
…一体、どうして。
匿ってやると言ってくれて、鍛えてくれると言ってくれて…今までこうして共に過ごしてきて、初めて信頼をおける大人となっていたはずの師から突きつけられた、あまりに重く苦しい言葉の数々に…
…頭が痺れ、何かが込みあがる。
「…鷹峰君、いいんだね。」
「あ?いいも何も今言った通りだ。コイツとはもう二度と会う事もねぇだろうぜ。どうせこのガキにゃ他に行くとこも無ぇんだ、とっとと連れてきな。」
「…わかった。…絶対にヒイラギの安全は保障しよう。約束する。」
「…好きにしやがれ。」
―あぁなるほど、またこうして捨てられるのか。
今のヒイラギの頭に浮かび上がった感情は、ただそれだけ。今ここで師から突きつけられた現実に対して…『子供』みたいに泣き喚いたり叫び暴れたりしていないのは、偏に彼女が同じことを経験してしまっていたからに他ならないだろう。
やはり、口で何を言おうとも、人は裏切り見限るモノ。
この軽くない1年間を師の元で生きてきて、やっと人を信じられそうになっていた少女ではあったのだが…所詮、人などそういうモノだったということを再び再確認できたのか。
この地紫魔の老人の謝辞が本物であったとは言え、それ以外の紫魔の人間が『こう』とは限らない。裏でまた殴られるかもしれない、裏でまた嬲られるかもしれない…裏でまた、捨てられるかもしれない。
―今だって、そうなのだから。
だったら、もうここには居られない。殴って追い出されないだけマシなのか、それとも力ずくで連れて行かれないだけマシなのか…
そんなことヒイラギには分からなかったものの、それでも既に用は無いと言わんばかりにして背を向けている鷹峰の態度が、既にここがヒイラギの居場所では無いと示しているかのようでもあって。
何も分からなかった最初とは違う、それを今から分かっておけばある程度は耐えられるだろう。だったら、もうこれ以上の人への期待など抱くことも無く過ごしていけばいいのだ、と…そうしてヒイラギはもう何もかも諦めようとして、ただ促されるまま呆然とした足で老人に従うまま歩き出そうとして…
「ッ、あ、あの…」
しかし、すぐにその場でヒイラギは振り返った。
こうして師に見限られ、1年間自分を匿ってくれた『隠れ家』を離れようとしたその瞬間に…彼女は、一体何を思ったのだろうか。
背を向けて、『隠れ家』の中へと入っていきそうな師へと向かって…ヒイラギは、声を残して。
「…今まで、お世話に…なりました…」
それは、搾り出したような少女の声。
もう居場所ではないこの『隠れ家』と、見限られたとは言え今までこうして共に過ごしてくれた師に対して…
―言わずには、居られなかった。
悲痛にも聞こえる少女の声がそう言っていることは、最早誰の耳にも明らかで。
そう、今ヒイラギの目の前で背を向けている師が、この1年間匿ってくれ、他のどの『人間』よりもヒイラギのことを人間扱いしてくれていたことは…消せるはずも無い、紛れも無い真実なのだから。
『その言葉』を発したヒイラギが、思わず自分の言ったことにすら驚いたような顔をしてはいたものの…自然に口から出てしまった、言わざるを得なかったかのような言葉は、確かに少女の口から発せられていて。
「…」
―しかし、師は一瞥も無く。
もう何も言うことなど無い、さっさと消えろ…と、その背中から発せられる雰囲気だけでそれを察することが出来るかのように鷹峰から感じられるのは厳しさだけ。
だからこそ…ヒイラギも、それだけで理解してしまった。もう、ここにしがみついてはいけないのだ、と。
期待は無い、これから行く場所にも。『この場所』からでさえ、捨てられてしまったのだから。きっと、本家を追い出されたあの瞬間から、この世界に自分の居場所なんてなくなってしまったのでは無いか…そんな思いにヒイラギは囚われながら…
…そうして、歩き出す。
これからどうなってしまうのかはわからない。いくらこの老人が優しい人なのだとしても、他の人間はどうかわからない不安がどうしてもヒイラギに募っているのか。
いくら大人を信用できず、自分の手で『復讐』を遂げたいという思いが彼女にあるとは言え…それでも、ヒイラギとてまだ歳の幼い少女に過ぎないのだから、世を捨てた大人のように振る舞えるはずもなく。
…そんな、痺れる足を引きずるようにして歩きはじめた、いかにも落ち込んでいるという姿でいるヒイラギを見かねたのだろうか。
隣で共に歩きはじめた地紫魔の老人が、見るからに消沈してしまっているヒイラギへと向かって、その口を開いた。
「…ヒイラギ、彼から貰ったデュエルディスクを見て見なさい。」
「…え?」
「デュエルディスクの…そうだな、電話番号のところだ。」
「…でん…わ?」
すると、ヒイラギは促されるまま、老人のいう通りにして鷹峰から最後に貰った、デュエルディスクを立ち上げた。
出会った日に、【HERO】デッキと共に手渡され…この1年間、ずっとヒイラギが師との修行で使用してきた、型は古いが使い慣れたデュエルディスク。
しかし、貰ったときには初期化されていた、その後もデュエル以外では何も操作などしていなかったデュエルディスクの、『初めて』触る機能の部分を開いた所で、一体何があるというのだろうか。
まるで意味の分からないといった表情で、ただ言われるままにして…ヒイラギはその画面を開いて…
―そこには…
「え、こ、これって…先生の…名前?」
紛れも無い、他には何も登録などされていない番号の欄に、確かに記されている番号の羅列。
そして、たった一つだけそこに登録されていた名は…
間違うはずも無い、『天宮寺 鷹峰』という、たった一つ。
「天宮寺 鷹峰という人と連絡が取れる者は、世界中捜してもそうは居ない。俗世を嫌うからか番号を知っているのも限られているし、そもそも自分から番号を教えるような人でもないのは君が知っている通りだ。そんな彼が…わざわざ『自分の所持品』だったデュエルディスクに、『自分の番号』なんて入れておくと思うかい?」
「…それは…」
「…君には言うなと言われたんだが…彼は、言っていたよ、『ヒイラギはここにずっと一人で居るよりも、もっと居るべき場所があるはずだ』と。それを今の君自身が見つけることは困難だろうから、それを私が作れ、ともね。」
「…」
老人から告げられる言葉はどれも優しく、まるで混乱の中にいるヒイラギを諭しているかのよう。
しかし、鷹峰は一体何を考えて自分の番号など残したのだろうか。
厳しい言葉であれほどはっきりと突き放し、痛いくらいに中てられたあの雰囲気から、師が本気で自分を追い出そうとしていたのを確かに少女は感じていたのだ。
そう、師の言った『見限った』という言葉は、誰が思うよりも深くヒイラギに突き刺さり…師から放たれる圧力は、本気でこの場所から出て行けと簡単に理解できるほどに痛いものだったとうのに。
そんな感情に囚われているヒイラギへと向かって、老人は更に言葉を続けて…
「その番号の意味はわかるだろう?それは、君と彼の繋がりだ。」
「繋…がり?」
「もしもまた君に居場所がなくなったとき…君を、一人にしないための…ね。本当に、不器用な人だよあの人は…昔から。」
「ぁ…」
…
「うぅ…ぁ…」
―涙が、溢れる
『繋がり』…こんな自分がそんなモノを持ってはいけない。ずっと、少女はそう思ってきた。
…だからこそ
紫魔本家から追放されたあの日から…
痛みだけが支配する地獄のようなあの日から…
逃げ出して世界全てが腐って見えたあの日から…
ずっと…ずっとずっと流すことの無かった涙が、確かに少女の目から溢れ始めたのだ。
汚く淀んだ『濁った目』、およそこんな歳の子供が見せるような目ではない、絶望と復讐に囚われた深い悲しみの目。
そんなヒイラギの『濁った目』から溢れる『涙』が、師からこれまで与えられた教えと言葉をヒイラギに思い出させ…まるで、その目の淀みごと洗い流し始めたようにも見え…
―『チッ、一度鍛えてやるって引き受けちまったんだ。面倒臭ぇが、俺様は一度言ったことは撤回しねぇ主義なんだわ。わかったらさっさと治れ、治らなきゃ鍛えるもクソもねぇだろうが。』
―『カカッ、精々潰れんじゃねーぞ、いいな、ヒイラギ。』
―『楽しめよヒイラギ。辛ぇのも、苦しいのも、全部全部味わって楽しんじまえ。そうすりゃ、世界の方からテメェに、悪かったって自分から頭下げに来るってなもんだ。』
最後に突きつけられた、師からの拒絶…しかし、あの痛いくらいに厳しい迫力で『無理やり隠されていた』師の本意に、ようやくヒイラギは気がついたのだ。
これまで貰った、師からの言葉…それが次々と、少女の中で木霊し始め…
―人の気配などない、この決闘市の片隅の深い森の中で…
静かに、微かに…
―少女の泣き声が、響いていた。
「…あばよ、ヒイラギ。」
そして、誰も居なくなったこの場所に、ポツリと漏らされたその言葉が…
静かに、静かに風に乗って…
―どこかへと、飛んでいった。
―…
長くなりすぎてしまったので、3話に分けます。
次回で閑話は終わりになり、
次々回、第一章最終話となりなす。
閑話が長くなりますが、次回もよろしくお願いします。