遊戯王Wings「神に見放された決闘者」   作:shou9029

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ep50「閑話ー紫魔 ヒイラギ 後編」

―それからの人生は、本当に幸せだった。

 

 

 

「ヒイラギ、これから私達『地紫魔』が君の家族だ。憐造君には及ばなくとも、君のことを家族としてちゃんと守ると誓おう。『地紫魔』の名にかけて。」

「え、は、はい…」

 

 

 

紫魔本家を追放された、こんな自分に対しても新たに「家族」と呼んでいい存在が出来た事。

 

『地紫魔』当主である義祖父を筆頭に、家の人間達はその使用人まで含めて誰一人として突如家族となったヒイラギに対して何かを言うわけでもなく…

 

そんな人達が、行方不明だったヒイラギに心からの心配の意を示し、またヒイラギの無事を喜んで家族に迎え入れてくれたというその光景。

 

本来ならば、どの紫魔家にも厄介な存在であるはずの少女が、『地紫魔』という『紫魔本家』とは疎遠となっている家に引き取られたという『幸運』は…

 

そのどれもが確かな温かさに包まれた言葉であり、これまでの環境とはまるで正反対の優しいモノであって。

 

 

 

「姉さま!アカリにデュエル教えて!」

「え?で、でも私より…」

「姉さまの方が兄さまより強いから!姉さまがいい!」

「なっ!お、おいヒイラギ!も、もう一回勝負だ!今度は手加減しないからな!」

「あ、は、はい…」

「くっそー…今度こそお前に【融合】使わせてやるからな…」

 

 

 

また、『地紫魔』という家の子ども達…

 

こんな自分を、姉と慕ってくれる無邪気な義妹。少々横暴なところがあるが、あの頃と違い、傷つけてくることなく接してくれる義兄。

 

そう、歳がヒイラギとそれぞれ一つずつ離れた、義兄と義妹となった新しい家族達が、何の抵抗も無くヒイラギのことを家族として受け入れてくれたことが、ヒイラギにとっては何よりも驚きとなっていた。

 

…まぁ、これまでの約1年間を師である【黒翼】の下で壮絶な修行に費やしてきたヒイラギと義兄とでは、同じ紫魔家のデュエリストと言えども根本的に実力自体が異なってはいたのだが…

 

それでも、妬くことなく素直にヒイラギの実力の高さを認めてくれていることには変わりないこと。

 

しかし、同世代の子どもから傷つけられる毎日を送っていたヒイラギからすれば、同じ歳の子どもと触れ合うことに最初は抵抗があったのか。どこか戸惑いを残しつつも、一体どうやって『新たな家族』に触れ合えばいいのか分からない様子を見せているヒイラギ。

 

…とは言え、これまで紫魔家の人間から傷つけられるだけの日々を送っていたヒイラギにとって、この歳の近い兄妹達のその接し方はこれまでの何よりも彼女の『絶望』してきた心を溶かすには十分であって…

 

そんな『兄妹』達との触れあいは、これまでの生活で無くした『何か』をヒイラギに思い出させていた。

 

 

 

「お嬢様!お茶なら私達が煎れますので!」

「え?でも自分の分くらい自分で…」

「いいからお嬢様は座っててください!」

「あ、ありがとう…」

 

 

 

また、正式に『地紫魔』の養女となったヒイラギには、義祖父の計らいで2人の従者が付けられた。

 

それぞれ性別は違うものの、同じ顔をした紫魔 右京と紫魔 サキョウの2人。

 

しかし、本家に住んでいた頃には当たり前だったはずの従者も、今となっては身の回りの世話を焼こうとしてくることに対して…どこか違和感を覚える様子をヒイラギは時折見せていて。

 

…『地紫魔』に来るまでの約1年を、師の元で『自分の面倒を自分で見る』という生活をしていたのだからそれも当たり前だろうが。

 

まだ幼いと言える年齢だというのに、何かと自分の事を自分でやろうとするヒイラギを慌てて止める従者の光景はどこかほほえましくもあり…そう言ったふれあいが、より一層ヒイラギの心を溶かしていたのはまず間違いないことだろう。

 

 

 

…更にヒイラギには、決闘学園の初等部に通う事まで許された。

 

 

編入と言う形を取り中途の入学ではあったものの、元々師の元で高レベルの修行を行っていたヒイラギからすれば決闘学園初等部で行われる『教育』などあってないようなモノではあったが…それでも、同じ歳の子ども達と過ごす日常は、これまでの生活の中で彼女が得られなかったモノを埋めるには充分であって。

 

 

 

それは、『普通』の子どもが送るような、『普通』の生活。

 

これが、『普通』の家族が過ごすような、『普通』の日常。

 

 

 

 

―地獄のようなあの日々に傷つけられた心が、ここで癒されていく。

 

 

『地紫魔』という、紫魔家の『上位』の一角を担う大きな家に引き取られたということもあるが、そんな待遇などなど関係ないほどにヒイラギが『地紫魔』に来てからの生活は心の底から幸せと呼べるようなモノとなっていて。

 

それは、これまで『人間』に裏切られ続けて、傷つけられてきたヒイラギにとってはどれも想像すらしていなかった優しさに溢れていたことだろう。

 

 

―何をするでもない。ただ新しく出来た、『家族』という繋がりが、彼女を取り巻いていた『絶望』を消していく。

 

 

地獄のような『あの日々』と、『修行』と言う名の『暴虐』の中でいつしか忘れてしまっていた『笑顔』という表情が、時折ヒイラギの頬に自然に浮かんでくる程にどこまでも優しく彼女を包んで。

 

 

―特別なことは必要ない。ヒイラギにとって、『普通』の生活を送れるというこの『暖かい場所』が、忘れていた感情を思い出させるのか。

 

 

彼女に必要だったのは、『暖かい場所』と『家族』

 

そう、あの『冷たい雨の日』に『家族』を奪われた故に、どうしても彼女の目は深い絶望に落ちてしまっていたのだ。

 

きっと彼女もあんな目に遭わなければ、『家族』という繋がりをこれほどまでに重要視することはなかっただろう。

 

以前に師に言われた通り、『見方を変えて』世界を見れば、あれだけ寂しく映っていた世界の裏に、こんなにも優しい世界もあったのだ…と、それを今、改めて実感しているヒイラギ。

 

 

これまで世界全てが醜く見えていた、ヒイラギの濁っていた眼と…

 

 

乱雑に切り刻まれていた髪は…

 

 

 

しばらくの後、元の綺麗なモノに…戻っていった。

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 

―そして…

 

 

 

 

 

そんな『普通』の幸せな生活が、『10年』ほど続いた頃だろうか。

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、まだ起きてらっしゃったのですか?」

「あらサキョウ…えぇ、何だか眠れなくて。」

 

 

 

何気ない穏やかな、暖かい風が吹くとある夜。

 

決闘学園の、この春休みが終われば『高等部2年生』という年齢にまで成長したヒイラギは…

 

夜も深い時間、そこに輝く夜の月明かりに照らされながら、もう随分と住み慣れたこの『地紫魔』の屋敷の軒先に腰掛け、夜空に光る月を見ていた。

 

 

 

「でしたら、何か温かい物でもお持ちします。」

「気を使わなくてもいいわ。もう少ししたら私も休むから大丈夫。」

「しかし…」

「大丈夫。サキョウ、あなたも早く休んで。」

 

 

 

そんなヒイラギに従者であるサキョウが声をかけてきたものの…ヒイラギから発せられた言葉は優しく、従者と言う名の使用人に対しても分け隔てなく心使いを感じさせるモノ。

 

 

『地紫魔』の家に引き取られて、もう『10年』。

 

 

今まで過ごして来たどの場所よりも、この『地紫魔』の屋敷はヒイラギにとって『家』と呼べる場所となっていた。

 

夜風に揺られ、月明かりに煌く艶やかな髪はかつて無残に切り裂かれたあの頃と比べて、随分と元の美しさを取り戻し…傷だらけのやせ細った少女だった体は、歳相応の成長を遂げて紫魔家の令嬢と呼ぶに相応しい、とても美しい女性へと成長していて。

 

こうして未だに従者からあれこれ言われることもあるが…同じ歳と言うこともあってか、従者と主のその関係はとても良好なモノ。また、従者という括りはあるものの、特に同性であるサキョウとは、どこか友人のような絆さえ芽生えているのか。

 

 

―もう、あの地獄のような日々で受けていた傷も随分と癒えた。

 

 

この家に引き取られてこなかったら、きっと未だ彼女の目は濁ったままであったはずだし…こうして、同じ歳の友人さえ持つ事もなかっただろう。

 

それを忘れていないからこそ、こうして声をかけてきた従者に対しても、ヒイラギはどこまでも優しい口調のままで接しているのだ。

 

 

 

「…わかりました。ではお先に失礼いたします。おやすみなさい、お嬢様。」

「えぇ、おやすみ、サキョウ。」

 

 

 

そう言って、サキョウが屋敷の奥へと歩いていくのを見送って、その視線を再び月へと戻したヒイラギ。

 

 

…『今』の彼女がこうして、穏やかな目をして他人を見ることが出来るだなんて『あの頃』の自分が見ても絶対に理解できるはずがないだろう。

 

 

こうして、ただぼんやりと『月』を見ている彼女の目は、狭い路地に閉じこもり隠れていた『あの頃』とは違い濁ってはおらず。きっと、澄んだ目でこうして空に浮かんでいる月を見ているだけの行為は、確かにここで生きているという『生』を彼女に実感させていることだろう。

 

 

…とは言え、あの頃に受けた屈辱と絶望を、ヒイラギは決して忘れてはいない。

 

 

彼女の中に今も確かに残っている『復讐心』は、形を変えたとは言え『今』の彼女を構成しているモノに違いなく…その思いは彼女に、『とある目的』を抱かせていて。

 

 

消えない傷を負った心と体。それは、これから先の人生においてもずっと彼女に付きまとってくるモノなのだから。

 

 

 

…それでも

 

 

 

「…もうすぐ、先生の弟子達が入学してくるんでしたわね。」

 

 

 

この春休みが終われば、彼女も決闘学園高等部イースト校の2年生に進級するこの時期…ヒイラギには、他の誰にもない密かな楽しみを抱いていた。

 

それは、今イースト校で広まっている…いや、決闘市中で広まっている、『とある話』と大いに関係のあること。

 

 

―そう、新入生の中に、【黒翼】の孫がいるという、そんな話で。

 

 

何せ、神格化されている【黒翼】の孫。幼少期から数々の大会に出場してその力を見せ付けていると言うことはこの決闘市では有名な話であり、そんな【黒翼】の才覚を受け継いでいる孫が一体どの決闘学園高等部に入学するのかについて、街中で騒ぎになっているほどなのだから。

 

 

…それだけではない。

 

 

さらに今、決闘市を多いに賑わせている噂の中には先の『良いニュース』の他にもう一つ、『悪いニュース』も騒がれていて。

 

 

…それは、新入生の中に『あの天城 遊良』まで入学してくるというモノ。

 

 

【黒翼】の孫という歓迎されるべくして騒がれているのならばイースト校も手放しで喜んでいたものの…『天城 遊良』という歓迎できない存在まで一緒についてくるものだから、『良い意味』でも『悪い意味』でも今のイースト校は大騒ぎとなっていた。

 

…無論、外の情報を知る由もなかったあの頃とは違い、今のヒイラギもこの決闘市で『天城 遊良』という存在がどういった言われ方をしているのかは知っている。

 

 

―Ex適正の無い出来損ない、デュエリストの成り損ない、この世界で意味の無い存在…

 

 

そんな卑下と侮蔑の言葉を、誰もが何の恥ずかしげも無く一人の少年にぶつけているのだ。

 

何の疑問も持たず、何の戸惑いも無く。まるで『天城 遊良』という少年は、『そう』言われることが義務なのだと、そう言わんばかりにそれは止まず。

 

 

しかし…

 

 

 

 

「会えるのが楽しみね。今までずっと先生に鍛えられているんだから、凄く強いはずですし…」

 

 

 

ヒイラギからしてみれば、例え街中で『天城 遊良』が何を言われていようとも関係は無く。

 

同じ師の元で学んだ弟弟子。いくらEx適正が無くとも、『その程度』でデュエリストの強弱など決まらないということはヒイラギとて嫌と言うほど師に教え込まれているのだ。

 

そんなヒイラギにとっては、この社会が天城 遊良というデュエリストを認めていなくとも関係など無い。

 

 

…きっと、『あの時』とっさに行動を起こした自分と同じ。

 

 

『天城 遊良』という少年も、Ex適正が無いというハンデを背負ってでも師の元へと辿りついたのだから、決して周囲が噂しているような『弱者』のままでいるはずが無い。

 

…いや、あの師が、Ex適正が無いという恰好の『面白い素材』を、そのままの『弱者』で終わらせているはずがないということを、ヒイラギはその身を持って知っているのだ。

 

天城 遊良だけではない、師の孫である天宮寺 鷹矢もそう、【神】の気配を持っているという少女もそう。

 

師の元を去ったこんな自分が、今更同じ弟子面をして彼らと接することなど出来ないが…それでも同じ師を持った身であるのだから、彼らと高等部で会えるのが楽しみで仕方がないと、そう心躍らせているヒイラギの口にはいつの間にか微かな笑みが零れていて。

 

 

…確かに世界は非情なままで、今でも世界は醜いまま。

 

 

しかし、師が教えてくれた『見方を変えてみろ』というその言葉の通り。世界全てを『醜い』と思ったままではなく、少し見方を変えてみれば…こんな醜い世界の裏には、まだまだ面白いと思えるモノだって沢山あったのだ。

 

 

一つ見方を変えてみれば、世界にあったのは絶望だけではなかった。

 

 

今見ている月もそう、この平穏な夜もそう。地獄を味わわせた紫魔家もいれば、こうして救ってくれた紫魔家もいる。世界に見捨てられたと思えば、拾ってくれた師もいた。

 

今の彼女がこうして笑えているのだって、彼女の行動が起こした一種の奇跡。

 

必死になって逃げ出したあの時、あの地獄に絶望してただ腐るのを受け入れてしまっていれば、きっとこうして笑える前に死んでいたはず…

 

 

 

「…早く、明日が来ないかしら…」

 

 

 

そんな思いに包まれながら、暖かな夜風が平穏を感じているヒイラギの頬を優しく撫で…

 

 

 

未だ見ぬ弟弟子達との邂逅を、今から心待ちにして心躍らせていた…

 

 

 

 

―その時だった。

 

 

 

 

 

―ミツ…ケタ…

 

 

 

「…え?」

 

 

 

 

静かな夜の庭園に、僅かに『音』が聞こえたかと思った、その瞬間のこと。

 

 

 

―!

 

 

 

それが幻聴か雑音かと思って耳を疑ったヒイラギの眼前に、突如としてこの『夜』よりも暗い『闇』が噴出したのだ。

 

 

…それだけではない。

 

 

『闇』はそのままヒイラギを覆うようにして広がったかと思うと、まるで大口を開けたかのようにして彼女を飲み込み始め…彼女を照らす月明かりを遮り、光届かぬ深淵へと引きずり込み始めたではないか。

 

 

そんな突然巻き起こったこの現象は、ヒイラギの理解の範疇を超えたモノに違いなく…あまりに突然だったのか、彼女から声を奪ってしまい悲鳴を上げることを忘れ…

 

 

 

―ミツ…ケタ…ヒイ…ラギ…

 

 

 

そのままヒイラギの体を飲み込んだかと思うと、彼女の足元に広がっていた『闇』へと、ヒイラギの体が沈んでいくこの光景は、決して信じられないような超常的なモノ。

 

 

 

 

「…な…何…これ…」

 

 

 

理解できるはずもない。

 

たった今、住み慣れた屋敷の縁側に座って月を見ていただけだったというのに…それが突如として、光を届かぬ『闇』の中に引きずり込まれただなんて。

 

まるで冷たい溶岩の中に放り込まれたかのような君の悪い感触。ソコに体が沈んでいく嫌な感覚は、彼女が今までに体験したことのないような不気味なものに違いなく

 

また、先ほど聞こえてきた『音』にもならぬ響き、『声』にも聞こえぬ呻き。それは、この世のモノではないかのように響いていたのだ。そんな得体の知れない声の主が確かにヒイラギの名を呼んだというそんな現象を、とても彼女がすぐに理解できるはずもないだろう。

 

そしてヒイラギが完全に『闇』の中へと沈み、地面に足がついていないような、そんな気味の悪い浮遊感に彼女が包まれたと思ったその時…

 

 

 

…再び、ソレは響いた。

 

 

 

 

『ようやく…見つけたよ…ヒイラギ…』

「えっ!?」

 

 

 

 

…それは、ヒイラギには到底信じられるような光景ではなかった。

 

いや、この光届かぬ深淵の『闇』の中で、『光景』が見えるのかすら怪しいことではあるのだが…それでもこんな『闇』の中で、ヒイラギの目に飛び込んできた紛れも無い『光景』は確かに彼女の目に映っていて。

 

 

見間違うはずも無い『あの時』のままの姿。響いている『音』も見えている姿も…

 

 

ソレは、彼女の記憶の中に残っている当時のまま、全く変わっていないモノだったのだから。

 

 

 

「…あ、そ、そんな…と、父…様?」

『あぁヒイラギ…会いたかった、こんなに大きくなって…』

 

 

 

…『闇』を纏い、悲しみを漏らし、『声』とは思えぬ『音』を響かせ。

 

 

ソレをヒイラギが見間違うはずがない。記憶に焼き付いた気高き姿、頂点に立った誇り高き振る舞い…自分にだけ向けてくれた、優しい声。そこにあったのは、『あの時』連れていたはずの唯一の肉親の姿。

 

 

―そう、当に死んだはずの、『父』の姿。

 

 

 

『済まない、随分と酷い目にあわせてしまって…こんなにお前を待たせてしまった…』

「ど、どうして……ほ、本当に…父様…なの?だ、だって父様は…」

 

 

 

…だからこそ、ヒイラギは信じられない。これが、こんなモノが、本当に自分の父なのかを。

 

何せ、今見えている父は最期に見た時の若々しいままの姿。自分だけが10年の歳月を年取ってこんなにも成長したというのに…父は『あの時』連れていかれたままの、『10年前』の姿のままに見えたのだから。

 

まさかソレが、こんな『闇』の中から現れるだなんて。

 

 

 

「だって父様は、10年前に…」

『あぁ、一度死んでしまったよ…しかし、今こうして蘇ることが出来た…間違いなく、私はお前の父だ、ヒイラギ。』

「よ、よみがえ…った?」

 

 

 

…そして、到底信じられるような現象ではないことを、いとも簡単にヒイラギに伝えてきたこの『闇』。

 

死んだ人間は生き返らない。そうだと言うのに、この世の理を無視したような目の前の存在は、確かにヒイラギの記憶の中にあった、優しい父の姿のままであり…

 

確かに姿は紫魔 憐造、声も形も当時の父のまま。しかし、『それ以外』は明らかにヒイラギの理解の範疇を超えたモノ。

 

 

―それが確かに今、彼女の父を名乗っているのだ。

 

 

そんな、あまりの衝撃から思考することを放棄してしまったかのようにして放心しているヒイラギを他所に、『闇』は言葉を続けるのみ。

 

 

 

『そうだ。ヒイラギ、お前をあんな目に遭わせた世界がどうしても許せなくてね。…あぁ、私がこうして蘇るまでに、お前がこんなに大きくなるまでに、一体どれほどの屈辱を味わわされたのだろう』

「いえ、その…父様、私…」

『しかし、積もる話は後だ。やっと会えたのだからゆっくり話しもしたいが、それよりも先にやるべきことがある。』

「え?やるべき…こと?」

『…今までずっと見てやれなくてすまなかった、だが安心してくれ、こんな世界、すぐにでも私が消してあげよう。』

「なっ!?け、消すって!?」

 

 

 

まだ状況を飲み込めていないというのに、そんなヒイラギを他所に衝撃的なその言葉を『闇』は発して。

 

憎しみと怒りの感情から発せられるその言葉は、今にもこの世界そのモノを文字通り消し去ってしまいそうなくらいに荒々しく…

 

到底『物の例え』では終わらぬと思わせる程に、ソレは現実味を帯びた圧力で発せられ今にも爆発してしまいそうな恐怖が迸っていて。

 

…そう、本気で消し去ろうとしているのだろう。

 

この目の前の『異常』な光景を見てソレが理解できぬほどヒイラギとて愚かではないし、そもそも既に死んでいるはずの父がこうして現れたこと事態が既に信じられないような光景なのだから。

 

 

何が起こったのかわからない驚きも、折角『父』に再び会えた感動も、その全てを忘れてしまいそうなくらいに荒々しく猛り狂った『闇』。

 

そんなモノがこうして、怒りを今にも爆発させようとしているのだ。状況が飲み込めていないヒイラギが驚きの声を上げたものの、『闇』はさも当たり前のようして言葉を続け…

 

 

 

『言った通りだ、感じるよ、お前の中にある『復讐心』を。お前もこんな世界が憎いんだろう?だがもう心配は要らないよヒイラギ、お前以外の人間を全て消せば、もうお前を傷つける人間は居なくなる。』

「全て!?そ、そんなっ、でも父様…」

『お前を傷つけたこんな腐った世界を、私が余すところなく飲み込んでやる。誰も残さず、一人残さずだ!』

「あの、話を聞いて!」

 

 

 

聞く耳を持たず、有無を言わせず、考える時間すら与えてくれず。

 

思ってもみなかった『父』との邂逅で混乱に襲われているヒイラギからすれば、何がどうなっているのかを飲み込めてすらいないというのに…

 

まるで、ずっと我慢していたモノを押さえきれないかのようにして矢継ぎ早に『言葉』を繰り出す父に、ヒイラギは言葉を交わす余裕すら貰えていないではないか。

 

 

 

『さぁ、すぐにでもあの時助けてやれなかった償いを始めよう。全て飲み込むには少し時間がかかるだろうが、必ずこの世の全てを飲み込んで消し去ってやるからね。お前を傷つけた人間は、一人残らず全て…先ずは、お前を傷つけたこの決闘市からだ!』

「待っ…」

 

 

 

そうして、娘の制止など耳にも居れず、先走る怒りと迸る歪み、漏れ出す『闇』が憐造のような存在から溢れ出し…

 

 

そうして…この不気味な空間の中で『闇』はその存在を膨らませたかと思うと、その身に『闇』を纏いその勢いを一気に増し始め…

 

 

今にも、ソレを爆発させようとした…

 

 

 

―その時だった。

 

 

 

「まっ、待って父様!待ってください!」

『…どうした、ヒイラギ?』

 

 

 

決してどんな声も聞き入れないような『闇』に対し、それでも必至になってその声を上げて叫んだヒイラギ。

 

…それが届いたのは偶然か、またはヒイラギだったからこそ届いたのか…または、その両方か。

 

しかし、それは今はどうでもいいこと。今にも爆発しそうだった『闇』がヒイラギの叫びに呼応して、一瞬の後にその唸りを止めているのは紛れも無い事実…どうにか届いた叫びによって、憐造のような『闇』がその荒ぶりを止め、ゆっくりとヒイラギの方へと向かい合い始めて。

 

そんな『闇』は、さも不思議そうにしてヒイラギに向かい合うと、どこからとも無く不可思議な『音』を言葉に変えてヒイラギに届け始めた。

 

 

 

『…どうしたヒイラギ?何故止めるんだ…お前だって早くこんな世界は消え去った方がいいだろう?』

「い、いえ…あ、あの…」

 

 

 

今のこの『闇』の昂ぶりを見ていれば、ヒイラギとて嫌でも理解できる。

 

…父は、本気でこの世界を飲み込んでしまうのだ、と。

 

こんな不可思議な『闇』の中に放り込まれたというのに、彼女が取り乱したりせず『父』と向かい合えるのは、一度地獄を味わったからこその精神力から来るものではあるのだが…

 

今こうして、蘇った父の中ではきっと自分は傷つけられていた『あの頃』のままなのではないか。

 

傷つけられ、殴られ、嬲られ、甚振られていた、あの小さい頃のまま。

 

そう、憐造はヒイラギの中にある、『復讐心』というそれ『そのモノ』だけを感じ取ったのか、自分の行動がそのまま娘の本意なのだと錯覚してしまっている様子なのだ。

 

漏れ出してくる恐怖の圧は、かつての父の比ではなく…きっと、すぐにでもこの世界を飲み込んで、しまうことだろう。

 

 

 

「その…と、父様…」

 

 

 

…だからこそ、ヒイラギは考える。

 

 

…どうすれば、父を止められるのかを。

 

 

 

『…どうしたんだいヒイラギ、お前だって、こんな世界を消し去りたいと、壊したいと思っているんだろう?お前の中にある『復讐心』をこんなにも容易く感じ取れるというのに。』

「…そ、それは…」

『お前が何をされたのかは知っている。とてもじゃないが、許すことなど出来ないはずだ。』

 

 

 

確かに父の言った通り、今もヒイラギには世界に対する『復讐心』が渦巻いている。自分を見捨てた世界、自分を傷つけた人間、自分を切り捨てた社会に対する、どうしようもない怒りと悲しみが。

 

そう、いくらこの10年であの時の『傷』が随分と癒えたとは言えども…あの時に傷つけられた尊厳や痛みは、とてもじゃないが忘れることなど出来ない代物となって彼女に刻まれているのだ。

 

それは今だって消えることなく彼女の記憶の奥底に潜んでいて、時折顔を出しては今もヒイラギを苦しめていて。

 

 

 

 

『だからお前の望みを、この私が叶えてあげるよ。その為に私は蘇ったのだから。』

「あ、わ、わたし、は…」

 

 

 

 

―だからこそ父の言った通りの『復讐心』が、確かに彼女の中に渦巻いている。

 

この世界に対する彼女の恨みは、簡単に許して消し去れるほど浅いモノであるはずがないだろう。この世界は『弱者』を決して助けてはくれず、力ある強者にしかその笑みを見せないほどに腐っていて…

 

それを痛いほど…いや、痛みを持って理解したヒイラギだからこそ、こんな理不尽で腐っている世界など壊しつくしてやりたいと思っていた事もまた真実に違いなく。

 

 

 

 

 

―それでも…

 

 

 

 

 

(世界を消すなんて…駄目…)

 

 

 

―それを、その思いを。今一度、自身の心へと思い直したヒイラギ。

 

 

…そう、唯一つ、父と娘の思いには大きな違いがあった。

 

 

父の言った、『世界を消す』という行為を…ヒイラギは、望んでなどいなかったという、唯一の違いが。

 

 

 

―ヒイラギに渦巻く『復讐心』…

 

 

 

ソレは、あの汚く腐った場所に放り込まれていた時代に抱いていたどす黒いモノからは…大きく、そして全く異なった代物へと変化していたのだ。

 

あの場所から逃げ出し、師と出会い、そしてこの『地紫魔』という新たな家族を得たからこそ変化した…

 

世界に対する『見方を変えた』からこそ抱けた、彼女の真なる『復讐心』。

 

 

 

―生き抜いて、生き抜いて…

 

 

 

―そして最後には、幸せに笑って死んでやる。

 

 

 

それが、自分を見捨てた世界に対する、彼女の真なる『復讐心』。

 

 

世界そのモノが見捨てたはずの小さく汚いこの命が、与えられた絶望に負けず幸せに笑って最後を迎えられたら…それは一体、どれほど大きな『世界』への復讐となるのだろう。

 

 

押し寄せる絶望に決して負けず、押し付けられた理不尽にも決して負けず…最後の最後まで幸せに笑っていられたらなら、さぞこの世界はヒイラギを見て悔しがるだろうから。

 

 

だからこそ、その復讐を遂げるその時まで、この世界には壊れずにいてもらわなければヒイラギが復讐を遂げる意味が無いのだ。

 

 

 

…そうして、ヒイラギは考える。

 

 

今、どうしたら父を止められるのか…

 

いや、ここで全てを止めなくともいい。今すぐの暴走を、今すぐの消滅を少しでも留まらせることは出来ないか…

 

 

それを、必死になって考えるヒイラギ。

 

 

…思考を止めず、考えを消さず。

 

 

訝しげにしている父を、何時までも待たせは出来ない。ヒイラギの沈黙が続けば、きっとすぐにもで『行動』を再開してしまうだろうから。

 

 

 

―そして…

 

 

 

 

「あ、あの…父様…」

『何だ?やはりすぐに消し去ってしまいたいのだろう?』

「い、いえ…父様に、お、お願いが…」

『お願い?』

 

 

 

意を決したように、父と向かい合ってそう言ったヒイラギ。

 

そして、娘からそんなことを言われるのを全く想定していなかったのか、憐造はますます訝しげな表情を見せながら娘の顔を覗きこんで、その真意を問おうとしている様子。

 

それは、生半可な嘘やその場凌ぎの言葉などではその心の内をすぐに見破られてしまいそうなほどに不気味な感触をヒイラギに与えていて…

 

それでも、ヒイラギはまるで、ソレが『本意』かのように強く思いながらその口を開いた。

 

 

 

「す、すぐに消し去ってしまうだなんて…も、勿体無いですわ…」

『勿体無い?どういうことだ?』

「な、長い間私をこんな目に遭わせ続けてきたというのに…父様が一瞬で飲み込んでしまっては、他の人間達に苦しみなんて、与えられないでしょう?ですから…他の人間達にも、苦しみを与えてやりたいのです。私の苦しみを味わわずに消えていくなんて、ゆ、許せませんもの…」

 

 

 

残虐性を醸し出すような言葉を選び、被虐から抱いたモノを漏らすような…そんな言葉をヒイラギは発して。

 

 

―本心ではない。しかし、さも本心かのように感情を込めて、そう『演じる』ヒイラギ。

 

 

どこか声も上ずって、心臓が爆発しそうなほどに煩く彼女の胸を乱暴に叩いていたものの…それを無理やり押さえつけて、『父』が思っているような『可哀想な娘』を演じているのだ。

 

そう言って、少しでも『父』の暴走を止められるのならば、と。

 

 

 

『…なるほど、確かにそれはそうだ。』

「で、でしょう?ですから…」

『ではすぐに街を壊そう!お前のために、今すぐこの街を悲鳴で埋め尽くしてやる!』

「ま、待って!ま、まだ!まだです!今はまだ時期が悪いかと…」

『時期?では何時にする?明日か?明後日か?ヒイラギ、お前のためなら何時だってこんな街など壊してやるよ。』

「あ、え、えっと…」

 

 

 

ヒイラギが少しでも言葉を間違えれば、今にも暴走を起こしてしまいそうな今の『父』はまるで『その衝動』だけに支配されているかのよう。

 

他の追随を許さなかったあの頃よりも、今の『父』から感じるプレッシャーは比べ物にならないくらいに酷く歪んでいて…

 

 

―そう、これは【王者】を越えた、【化物】の領域。

 

 

死から本当に蘇ったからこそ、もう既に人間ではない本物の【化物】。そんな存在が暴れまわってしまえば、止められるような者などこの世には存在しないのでは無いかという恐怖が何時までもヒイラギに着いて回っているのだ。

 

そんな存在と言葉を交わしていることすら、ヒイラギの恐怖をどこまでも煽っているだけ。

 

 

 

「そ、そうですわ!ね、年末に『決闘祭』がありますでしょう!?その時期は街の外からも多くの人間がこの街に来ます!そ、その方がより多くの人間を苦しめられますわ!」

『…そんなに後か?我が娘ながら、随分と悠長に居られるものだ。』

「わ、私だって…こんな世界早く壊したいですが…こ、これまで耐えたのですから、あと少しくらい、どうってことないですもの。」

『…そうか。随分と酷い目に遭って来たものだ、本当に…』

 

 

 

そうして、まるで情に訴えるかのようにして少しでもヒイラギは『事』を先延ばしに出来ないかと画策して。

 

深く思慮した結果ではない。何とか思考をフル回転させ、即興でどうにか父を食い止めているのだ。

 

まぁ、こんな『闇』に情などあるのかは怪しいことではあるのだが…この『闇』が確かに『父』であるのならば、他の誰よりも娘であるヒイラギの言葉を聞き入れるというのは当たり前のことなのか。

 

 

 

「そ、それまでに準備をいたしましょう?父様もせっかく蘇ってくれたんですもの、お話したいことが沢山…ですから、具体的にどうしていくかはこれから…」

 

 

 

そうして、少しでも暴走を遅らせてその間に『父』を説得できないか。こうして自分の話しを聞いてくれているのだから、話合いを重ねればきっと…

 

そう、ヒイラギが考え言葉を続けようとしたその時…

 

 

 

『…いや、すまな……イラギ…』

 

 

 

一瞬、ヒイラギがいるこの深い『闇』が揺らぎ…にわかに『父』の声がノイズをまとい始めた。

 

 

 

「…え?」

『…私にはもう…まり時間が…無い…うだ。こ…して…姿を現せ…のも…僅かな…間しか…』

「そ、そんな…」

『大…夫だ…私は一度眠…が、明日…良いモノを…あげ…う。そ…があれば…眠って…ても…ずっとお前の居る…所を…感じ…られ…』

 

 

 

そうして、『闇』の中に消えていく憐造。

 

次第に薄れ始める『父』の姿と、途切れ途切れになり始めるその声が周囲を覆っている『闇』と同調し、『闇』の空間に裂け目が入り始めて。

 

 

 

「あ、と、父様!」

 

 

 

今何が起こっているのかをヒイラギは理解できないのだろうが、そんな聞き取りにくくなる声は、再び『父』が居なくなるというコトをヒイラギに思い出させたのか。

 

この空間と、父のような『闇』に恐怖を抱いていたはずなのに…

 

薄れ行きながら消えていく父の姿は、確かにヒイラギの心にどこか寂しさを覚えさせている様子。

 

そう、いくらここが『闇』の中で、いくら父が『得体の知れない存在』となってしまったのだとしても…死んでしまった父と再び会えるとは思わなかったが故に、父が消えていくという微かな空しさは、彼女にとっては決して嘘などではなく…

 

 

 

「待っ…」

 

 

 

―そうして、彼女が思わず父に手を伸ばしたその瞬間…

 

 

 

囚われていたはずの『闇』が砕け、綺麗な月明かりだけがヒイラギの伸ばした手を照らしていた。

 

 

それは、喧騒の無い静かな夜の中で…

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 

 

自室に戻り、恐怖と混乱で暴れる心臓を押さえてヒイラギは考える。

 

 

 

―公にこのことを発表し、人々の危機感を上げるか…

 

いや、一体誰が既に死んだはずの人間が蘇ったなどと信じてくれるだろう。

 

 

―『紫魔本家』に事情を話すか…

 

いや、すでに父は『紫魔家』から除名されている身。いくら蘇ったことを理解させても、あの古の決まりに雁字搦めに縛られている『紫魔本家』が、今更父のことで腰を上げようとしてくれるばずもない。

 

 

―力ずくで止めるか…

 

いや、前【紫魔】である父、憐造の実力は歴代最強とまで謳われたモノ。全盛期の真っ盛りで引き摺り下ろされた父の実力の高さは、彼女自身が最も理解しており…それは現【紫魔】である『紫魔 恋介』もまだ追いつけていない領域にあると言うことは、全世界の人間が感じていることなのだ。

 

 

そんな『父』が、そのままどころか更に得体の知れない『何か』を増して戻ってきたということを、到底他人に信じてもらえるわけもなく。また、誰であろうと立ち向かえるはずが無いことを意味していて。

 

それは例え、今この世界で頂点に立っている【王者】でさえ同じ…そうやって考えを巡らせれば巡らせるほど、ヒイラギは逃げ道が残されていないことを理解し始め…

 

 

そんな絶望が彼女を包み始めた…

 

 

 

―その時。

 

 

 

「…あっ…」

 

 

 

 

唐突に、閃いた。

 

 

 

―そう、歴代最強と謳われたかつての全盛期の父と、『同じくらい強かった』存在を。

 

 

―他の二人の若き【王者】と違い、たった一人だけ立ち向かえそうな歴戦の【王者】の存在を。

 

 

―本物の【化物】となってしまった『父』と、同じ部類の圧力を持つ存在を…

 

 

そんな存在など、ヒイラギの頭の中のどこを探してもたったの一人しか思いつかないだろう。

 

 

 

…しかし

 

 

 

 

「…い、今更…連絡なんて…」

 

 

 

そこまで至ったというのに、不意に止まってしまったヒイラギの思考。

 

ヒイラギが思い出した確かな『繋がり』。その手には無意識のうちに操作してしまったのか、縋るように握り締められていたヒイラギの手にあるデュエルディスクには、とある男の名が表示されている。

 

 

 

―『天宮寺 鷹峰』の、その名が。

 

 

 

『全盛期の父』と、『同じくらい強い』存在。同じ【化物】の圧力を持つ、彼女の師。

 

 

もう止まってしまったヒイラギの思考には、彼以外の選択肢が浮かび上がってこないかのようにその存在への希望があふれ出ていたものの…

 

それでも、この一刻を争う危険な場面であってもヒイラギの手はそこで止まってしまっていて。

 

 

…そう、いくら師から『繋がり』を与えられたとは言え、もう10年近くも連絡はおろか、まともに姿さえ見られていないのだ。

 

 

もちろん『地紫魔』に引き取られてから師と話をすること機会も無かったし、何より彼の口から師弟関係を切られ追い出された形で今の『地紫魔』の家に引き取られたのだから自分から連絡など取っていいものなのかと、そう思ってしまう心が今の彼女には浮かび上がっているのだろう。

 

 

―『10年』と言う歳月は長い。

 

 

ヒイラギが『復讐心』をどす黒いモノから純粋な目的へと変化させられた様に、師の思いだって変わってしまっている可能性が高く。

 

また、他の弟子達と違い、たったの『1年』しか師の元に居られなかったのだから、既に師からしても自分は他人のような関係性なのではないだろうか。そんな自分が今更師に連絡を入れたところで、あの人に迷惑をかけるだけなのでは無いだろうか…そんなことを、どうしても考えてしまい小さく震え始めたヒイラギ。

 

 

 

「でも…あの人しか…」

 

 

 

それでも、頼れる者は彼しかいない。今ここで行動を起こせるかどうかで、これから先に起こってしまうコトは大きく変わってくるのだ。

 

どこにいても『父』は自分を見つけてくるだろうから、堂々と師に会いに行く事もできないし…何よりどこに居るのかも分からない相手に、会いにいけるはずも無いこの状態ではこの『繋がり』に頼るほか彼女にはもう選択しは残っておらず。

 

何が起こってしまうのかを知っているのは自分だけ、ここで自分が諦めてしまえば、世界は取り返しの着かないことになってしまうのだから。

 

震える指先をどうにか制御し、震える心をどうにか押さえて。

 

 

意を決したように、ディスクを耳に当て…

 

 

―そして…

 

 

 

 

「…で、出ない…」

 

 

 

無機質なコール音がディスクに響き続け、電子回線の向こう側で確かに師を呼び出す音が響き渡っているはずだというのに、コールが15回を超えても一向に繋がる様子を見せない電子音。

 

 

…やはり、連絡など取れないのだろうか。

 

 

自由奔放で知られる【黒翼】と連絡が取れる者は、世界にもそうは居ない。それは、彼を知る者からすればかなり有名な話であり…

 

自分から連絡をしてくることも稀な天宮寺 鷹峰という男の所在を詳しく知っている者など、この世界に存在しないのでは無いかと言われる程に、彼を縛り付けることなど出来はしないのだ。

 

そんな彼が、ヒイラギからの電話に出る事も無いのだろうか。師から貰ったディスクは老朽化で寿命を迎えてしまい、今ヒイラギが電話をかけているデュエルディスクだって過去に師に貰ったモノではなく『地紫魔』に来てから新しく貰った物なのだから。

 

 

そうして…

 

 

30回ものコール音を聞き終えた時。

 

 

ヒイラギが諦めと悲観を交えて電話を切ろうとした…

 

 

 

―その時だった。

 

 

 

『…俺だ。』

「ッ!?」

 

 

 

長い長い…悠久にも思えるコール音の後…

 

 

突如、厳しくもどこか老いを感じさせた、とても懐かしい声がヒイラギの耳に届いた。

 

 

 

 

「…あ、あの…」

 

 

 

―お久しぶりです、覚えてますか。

 

 

そう、言うつもりだった。

 

 

しかし、出だしの言葉をずっと考えていたはずだというのに、唐突に襲われた緊張がヒイラギの思考を奪い、その言葉を全て消し去ってしまっていて。

 

何せ、一向に出ない気配を見せていた電子音の向こう側に諦めて、彼女はたった今電話を切ろうとしていたのだ。そんな瞬間で、そんなタイミングで、思いもよらぬ形で飛び込んできた彼の声に、その思考が持ってかれてしまってもそれは不思議でも何でもないこと。

 

 

―声が出ない、言葉が続かない、何を言っていいのか分からない。

 

 

連絡など取れるはずが無かった相手、折角繋がった希望の電話。

 

そうだと言うのに、このまま声を失って黙ってしまっていては、不審がられて切られてしまう。そうなってしまえば、二度と彼はこの電話には出てはくれないだろう。

 

 

焦りと恐怖、混乱と迷走。

 

 

何が何だか分からなくなってしまったヒイラギが、言葉と一緒に空気を呑んでしまったような音をその口から発してしまった。

 

 

すると…

 

 

 

 

 

『…カッカッカ、随分とまぁ久しぶりじゃねーの…なぁ、ヒイラギよぉ。』

「え、あっ…え!?」

 

 

 

 

 

唐突に呼ばれた自分の名に、思わず息を吐き出しながら驚きの声を漏らしたヒイラギ。

 

10年前、1年間もの間毎日のように師に呼ばれていた自分の名…人間に戻してもらったあの時の呼び方そのままに、懐かしい声と響きと聞こえ方がヒイラギの耳と思考を振るわせ始めるのか。

 

 

 

「…ど、どうして…」

 

 

 

しかし、声を取り戻したヒイラギが発した最初の一言は、彼女の混乱をそのまま疑問の言葉へと変えてしまっていた。

 

 

…何せ、もう10年も経っているのだ。

 

 

成長期を経験して声だって変わっているし、そもそも師から貰ったデュエルディスクも既に老朽化で壊れてしまい、番号だけは真っ先に避難させたとは言え今彼女が電話をかけているのは師が番号を知るはずも無い全く別のディスク…

 

そうだというのに、それでも鷹峰は間違うことなく彼女に声をかけ、迷うことなくヒイラギの名を呼んだのだ。

 

そんな驚きに支配された彼女の声を聞いたはずだというのに、鷹峰はソレを軽く笑い飛ばしながら声を発して。

 

 

 

『あぁん?おいおい、テメェの弟子の声がわからねぇ師匠がどこにいるってんだよ。』

「ッ!?い、今…で、弟子…って…」

『あ?何も間違っちゃいねぇだろうが。』

「だ、だって…わ、私の事…は、破門だって…」

『カカッ、んな昔のこたぁ忘れちまったなぁ。…ったく、すぐに泣き言いって泣きついてくっかと思ってたってのに、随分とまぁ良くしてもらってたみてぇだしよ。』

 

 

 

そう言って、先ほどまで少女が抱いていた悲しさと申し訳なさを、いとも簡単に吹き飛ばし笑い飛ばしてくる師、鷹峰。

 

この『10年』という歳月のとてつもない暴力を持ってしても、【黒翼】を変えることなど出来はしなかったのか。

 

ヒイラギの心に芽生えた、確かな温かさ…それは、この世界で最初にヒイラギを認めてくれた『師』という、絶対不変の裏切らない象徴からかけられた言葉によるモノに違いなく。

 

確かに呼ばれた『弟子』という、これ以上無いくらいの安心感をヒイラギは確かにその言葉から与えられ…

 

 

 

『…んで、どうした?テメェが今更かけてきたってこたぁ…何か、あったんだろ?』

「あ…」

 

 

 

アレほど焦りと不安に包まれていた彼女の心に、微かな安定をもたらしたほどにソレは確かな繋がりとなっていて。

 

自分のことを忘れずにいてくれたことも、まだ自分のことを弟子と言ってくれたことも…

 

ヒイラギにとっては、どれもが心の底から安堵を呼び起こすものであり…師の元に居た時の感情を、彼女の心に呼び起こさせたのだろうか。

 

それは、これまでずっと押さえてきた、塞き止められていた少女の感情の奔流が一気に崩壊した音でもあり…

 

 

 

 

 

「せ、せんせい…た…だず…げで…ぐだざい…」

 

 

 

 

 

涙を流し、鼻水を垂らし…嗚咽が混ざった声で、必死になって弱さを晒けだす。

 

…たった一つの、縋れる希望。

 

たった一年間とは言え、ずっと一緒に暮らしてきて、ずっと自分を見ていてくれた心からの師。

 

 

どうしていいかわからない、自分ではどうやっても止められない。

 

 

そんな絶望が、幸せを感じていた少女の目の前に現れたのだ…そんなモノを目の当たりにしてしまったのだから、唯一残された『最後の希望』にそんな弱さを見せてしまったとしても、誰も彼女を攻められるはずがないだろう。

 

いや、誰も彼女を攻める資格などない。

 

事後であるが、彼女がこうして師に頼らなければ、世界は確実に終わっていたのだから…

 

 

 

『…おう、わかった。』

 

 

 

そうして、詳細も、感情も、何も聞かずにソレを、いとも簡単そうに二つ返事でそう引き受けた鷹峰。

 

 

どんな事情も、どんな現象も…この男には全く持って関係ないかの如く、それは力強くも確かな自身と共に弟子への優しさを孕ませた言葉を持って発せられ…

 

 

見えない電話の向こう側で、確かに流れた弟子の涙は師の目にはいかに映ったのだろうか。

 

 

 

『この俺に全部任せろ。ガキはガキらしく、そのまま泣いて俺様に頼ってろってんだ。』

 

 

 

ヒイラギの耳に力強く届けられたその短い言葉が…

 

 

師の真意を、全て少女へと伝えていた。

 

 

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ、日が昇る。

 

 

あれほど待ち遠しかった朝、しかし今では来て欲しくない『明日』。

 

 

 

「父様は、何があっても世界を壊してしまうつもり…私が、止めてと言っても…」

 

 

 

今『父』が何とか留まっていてくれているのは、制止が効いた結果ではないことをヒイラギは理解していて。

 

きっと、誰の声であっても制止など出来ないはずだ。それほどまでに憐造から漏れ出す怒りと憎しみはこの世界の大きさをゆうに超えているのだから。

 

例え、愛娘であるヒイラギが訴えかけたところで…その思いに囚われてしまっている憐造の歪んだ愛情は、この世の全てを消し去ってしまうまでとまるはずがない。

 

 

―今、『父』が止まってくれているのは、娘が『父』の思いに賛同の意を示したから。

 

 

あえて『父』の『復讐』を肯定し…

 

 

しかし、そこに自分の意思を乗せた『我が侭』を言って、そうして『今は』何とか先延ばしにすることに成功しているだけ。

 

 

 

「…だったら、父様の思い浮かべる『娘』を…どこまでも演じよう。それで、父様を止められるのなら。」

 

 

 

―決意は固めた。

 

街中の人を、全て敵に回しても『父』を止めるという、その決意を。

 

 

―覚悟は決めた。

 

例え関係の無い多くの人を傷つけることになっても、世界を壊させないというその覚悟を。

 

 

昇り来る太陽を睨みつけ、本当の自分の思いを心の底に隠して壁を作って。

 

 

 

「父様を止められるのなら…私の『復讐』を遂げるられるのなら…そして、先生の愛したこの世界を守れるのなら…」

 

 

 

 

決して…父にも、誰にも悟られないように。

 

 

 

―そうして、少女は…

 

 

 

 

「…ホホ…」

 

 

 

 

師がよく漏らす、あの特徴的な渇いた笑いに倣い…

 

ヒイラギもまた、己の中でスイッチとなる笑いを、『あえて』漏らして。

 

 

―高飛車で、高圧的で。

 

 

他人を見下しているような、自分が一番かのような…

 

そんな、腐敗して腐敗して、腐りきった世間知らずの、実力のない勘違いに身を投じた、狂った勘違いを繰り返しているような『紫魔本家の娘』に似合うような、そんな笑いを。

 

 

 

『ホホ』というその笑いを発した時がその合図。

 

彼女の中で、父の求める娘像を『演じる』為の…自分へと向けた、スイッチを入れる為の『合図』なのだ。

 

 

―その『笑い』より後に発せられる彼女の言葉は、全て『虚構』で『懺悔』の裏返し。

 

 

決闘市の人間達の敵を『演じ』、父の求める娘を『演じ』…誰にも見破られないための『本当の自分』を隠すための。

 

 

 

―誰に何を言われてもいい、誰に何を思われてもいい。

 

 

 

例え、同じ師を持つ弟弟子達から恨まれてもいい。

 

 

 

それで、この世界を壊さずに済むのなら…

 

 

 

 

―そうして…

 

 

 

 

 

 

たった一人の、彼女の戦いが…

 

 

 

こうして、始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 

―『ホホッ、今すぐにでも血祭りにして差し上げたいところですわ。なにせ、あの女の血が混ざっているかと思うと…』

―『…ッ!?』

 

 

…こんなこと、言いたいわけが無かった。

 

折角会えた弟弟子…それも、実は血の繋がりまであったと言う喜ばしい事実すらあった、この会える時を心から待ち望んでいた、そんな天城 遊良を酷く傷つけてしまった。

 

 

 

―『ホホホ、天宮寺 鷹矢…押さえ込んでいる精神力は素晴らしいですが…付いている者を操ることは容易いですわ。』

―『ぐ…グぁ…』

 

 

…こんなこと、したいわけが無かった。

 

折角の【決闘祭】で、師の孫に対して『演技』とはいえこんなにも苦しめてしまったことを。

 

いくら天宮寺 鷹矢に『闇』が効かないことを、ヒイラギも『前から知って』いたとはいえ…それでも弟弟子で師の孫という存在が、こんなにも苦しんでいたことを彼女が喜んでいたはずが無いというのに。

 

 

 

―『うわぁ!い、嫌だ!やめろぉー!』

―『…あ…に…兄…さ…』

―『なぁっ!?なんで…こんな奴が……ぐぁぁぁあ…ああ…あ…………』

―『ガ…これ…は…り、李の言っていた……ガが…』

 

 

 

…大勢の人を傷つけた。いくら父に怪しまれないためとはいえ、いくら父に常に見張られていたとはいえ…

 

大勢の人の夢もプライドも傷つけ、全く関係の無い多くの人々を飲み込んで操って。

 

街を混乱に陥れるという、口から出任せの言葉を実行してしまったという罪悪感と、巻き込んでしまった人々の悲鳴と苦痛が、いつまでも耳に残って木霊している。

 

 

一体、自分から提示した『お願い』の所為で、一体どれだけ多くの関係の無い人が傷付いたのだろう。

 

 

こんな…『不本意』な『復讐』を、『無理やり』に叶えられてしまったが故の罪悪感。

 

ずっと…それこそ、この『異変』が起こったときから少女の耳には、ずっと人々の悲しみの声が止まずに反響しているのだ。

 

 

―聞きたいわけがない、鳴らしたいわけがない。

 

 

自分の望んだ『復讐』は、自分自身の手で、『何が何でも』幸せな最後を幸せに笑って迎えてやるという代物…

 

こんな、関係のない人々を傷つけたいわけでもなければ、悲鳴掻き鳴らしてまで混乱を巻き起こしたいなどと思っているわけがないというのに。

 

それが仕方がなかったとはいえ、全てを見てきた少女の行動と言葉の裏には、常にこのような心を締め付けられる思いが遅いかかってきていて。

 

 

 

そして…

 

 

 

最後の時が、訪れる。

 

 

前持って師から提示されていた指示。

 

天城 遊良を『古びたスタジアム』へと呼び出す為のメッセージを送り、そんな天城 遊良と戦って彼を自然に『異変』の中心部まで通したところで、彼女の『作戦』は全て満了した。

 

自分の力量では、これ以上のことは出来ない。

 

後は、頼れる弟弟子…Ex適正を持たないハンデを背負いながら、【決闘祭】を優勝したという心から誇らしい彼に、コトの全てを託す他ないのだ。

 

師からすれば、天城 遊良が【白鯨】と戦うのも『修行』の一環なのだと言うのだから…全く、本当に弟子に無茶をさせる師なのだとその時のヒイラギは思ったものの…

 

それでもヒイラギの危機以外には決して表へと出てこない『父』が、【白鯨】と天城 遊良が激突の衝撃で出現すれば…

 

 

あとは、師が片付けて全て終わり…

 

 

 

まぁ、そう上手くは行かなかったからこそ、ヒイラギは最後のあの場面で痛む体を引きずって顔を現し、鷹峰もまたヒイラギを必要以上に追い詰める『演技』をしたのだが…

 

 

おかげで憐造を出現させることに成功し、ヒイラギの『犠牲』という名目の最後の手段を持ちいてこの異変は終了を迎えた。

 

 

 

 

―全ては、たった一人で強大な『闇』に立ち向かった少女の奮闘。

 

 

―全ては、絶望を味わっても『生』を諦めなかった少女の生き方。

 

 

その全てがどこか一つでも狂っていれば、きっとこの異変は収束をせずに世界は簡単に滅び…そして、一人の『父』の感嘆に沈められていたことだろう。

 

こうして今も決闘市が存在し、死者の一人も出なかったこの『結果』は、とても他の人間がやろうと思って出来る『結果』では無いのだから。

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 

…そうして、物語はようやく現在にまで戻ってくる。

 

 

 

 

 

 

「…本当に…ありがとうございました。」

「…すまんのぅヒイラギや。仕方なかったとはいえ、お主を故人としてしまったが故に…この街から追い出すような形になってしもうて。」

「…いえ、これもまた私の罪なのです。後悔はしていません。」

「ケッ、さっきまでビービー泣いてた癖に、またそうやって強がりやがって。眼ぇ腫れてんぞ。」

「先生も…ありがとうございました。」

「…おぅ。」

 

 

 

 

場面は変わり、深く更けた夜の街。

 

 

船の前。それも客人を迎え入れる入り口ではない。

 

 

裏、『コンテナ』が積み上げられている、暗く重苦しい圧迫感のある隅。

 

 

この場面から察するに、きっと今からヒイラギはこの『船』に忍び込んで、知っている者など誰も居ない場所に、自らその身を追いやろうとしているのだろう。

 

 

…故人となってしまったが故の、表には出ることの出来ない今後。

 

 

 

それは、ここまでの騒ぎを起こしてしまった咎人の『罪』であり…

 

いくら綿貫が懇願しようよも、この世界の理に従うしかない彼にはどうしようも変えようの無いこと。

 

 

 

「もうコンテナが積み込まれる時間です。先生、綿貫さん…もう二度と会うことは無いでしょうが…ここまでして頂いて、本当にありがとうございました。」

「…さよならじゃ。元気での。」

「チッ、湿っぽいのは嫌いなんだよ、とっとと行けってんだ。」

「…はい。あ、そうだ、先生…」

「あ?」

 

 

 

そうしてコンテナに忍び込もうとしたヒイラギが、最後の最後で師へと声をかけて。

 

 

その手にたった一枚のカードを持つと、ソレを師へと差し向けて…

 

 

 

「あの、これを…」

「んだこりゃ?…『ジ・アース』…あぁ、プラネットの一枚か。」

「はい、祖父が【決闘祭】前に私に預けてくれた『地紫魔』のカードなのですが…もう私はデュエルなんて出来ませんし、今更紫魔家に返してもややこしくなりそうなので…先生が持っていてくれれば…と。」

「カカッ、そういやランがコレ集めてたっけな。おう、貰っとくぜ。」

 

 

 

そうして、最後のやり取りを終えて、積み上げられる予定のコンテナの一つに忍び込んだヒイラギ。

 

これで、この決闘市ともお別れ。

 

もう二度とこの地を踏むことも無いだろうし、これから行く当ても無い文字通りの『逃避』生活が始まるのだ。

 

明日をも知れぬ身、明日をも知れぬ命。

 

どこへ行くのかもわからないし、これからどんな目が待っているのかも分からない。きっと『普通』の少女だったならば、簡単に発狂してしまいそうな今後がこれからまっているというのに…

 

 

 

それでも…

 

 

 

「…『あの頃』よりは、随分マシですわ。」

 

 

 

力が無かったあの頃…甚振られ嬲られる日々だったあの頃、泥水を啜りゴミを喰っていたあの頃よりは比べるまでも無いと、そうヒイラギは自分に言い聞かせ…

 

どうなるかはわからない…しかし、何も出来なった『あの頃』よりはマシな生活を送る自信が彼女にはあって…

 

いや、今の『強い』彼女ならばきっとどこへ行ってでも『あの頃』よりもマシな生活を送れるはず。

 

 

そう、必死に自分に言い聞かせているのだ。

 

 

そうして…

 

 

しばらくの後、コンテナが積み込まれ始めたのかクレーンの動作によってヒイラギの隠れたコンテナが大きく揺れ…

 

 

貨物室に乗せられた酷い揺れ、体全体を揺さぶられるかのような気持ちの悪い振動に耐え…

 

 

船が決闘市を出発したのか、波に揺られる気持ちの悪い感触が彼女の身を昇り始めて…

 

 

 

これからは誰も知る人の居ない、誰も頼れる人の居ない場所で、必至に生きていかなければいけない。

 

しかし今まで『師』と『家族』から受けた多大な恩を思うと、これまでが出来すぎだったのだろう…と、少女がこれまでの人生とこれからの人生への思いを馳せた…

 

 

 

―その時だった。

 

 

 

―!

 

 

 

「え!?」

 

 

 

突如、ヒイラギの隠れたコンテナの壁が開き…

 

 

真っ暗な闇だった彼女の視界に、急に電光の明るさが注ぎ込まれたのだ。

 

 

それは、ヒイラギには到底理解できなかったこと。何せ、海外への『貨物船』だと聞いていたこの船の『貨物室』に詰まれた一つのコンテナが突如開かれるだなんて、思ってもみなかったのだから。

 

 

そんな明順応が追いつかない彼女の目が、どうにかして状況を理解しようと目を凝らし始め…

 

 

 

理解が追いつかない少女の目に映った…

 

 

 

―そこには…

 

 

 

「お待たせいたしましたお嬢様。お部屋のご準備が整いました。」

「お疲れでしょう、どうぞこちらへ。」

「え?あ…な、何で…あ、あなたたちが…?」

 

 

 

完全に理解が追いついていない様子のヒイラギの声。

 

 

彼女が間違うはずも無い声と、背丈も顔もそっくりな、まるで従者のように整った姿をした者が…

 

 

 

―そこに、『二人』。

 

 

 

 

「右京…サキョウ…ど、どうして…?」

 

 

 

 

―紫魔 右京

 

―紫魔 サキョウ

 

 

 

唯一つ『性別』が違うという差異を除いて、どこまでもそっくりなヒイラギの従者が…そこには居た。

 

 

 

 

「はい、私達は『地紫魔』ではなくお嬢様ご本人にお仕えしていますので。」

「お嬢様の行くところにご一緒するのは当たり前です。」

「そうではなくて…ど、どうしてここが?」

 

 

 

ヒイラギが驚きの声を漏らしたのも不思議ではない。

 

 

何せ、従者の二人であった右京とサキョウの双子…この、『同年代』で『友人』のように思っていた従者二人でさえ、ヒイラギは『駒』として操ってしまっていたのだ。

 

 

いくらそれがこの世界全てを救うためだったとは言え…自分のやったことを考えると、どうしてもヒイラギにはこの光景が信じられないのか。

 

そんな混乱の表情をしているヒイラギへと向かって、従者二人はどこまでも『いつもの顔』を崩さず…

 

 

 

 

「本来は…口止めされているのですが。」

「全ては、お嬢様の師からの命です。」

「え!?」

「【黒翼】から全てを聞きました。お嬢様の過去も、そしてお嬢様が一体何をしていたのかも。」

「お嬢様がどれほど私達の事を思っていてくださったのかも、お嬢様がどれほど悲しんでこられたのかも。」

「そ、それは…でも、私はあなた達を…」

「はい、それを知ってもなお、私達はお嬢様にお仕えすることを選んだのです。」

「さぁ、参りましょうお嬢様…決して、一人には致しません。」

「あ、サ、サキョウ…右京…」

 

 

 

『地紫魔』に引き取られてからこれまでの10年間…ずっと共に居た従者二人の顔を見たヒイラギの顔が、この時一体どんな表情をしていたのか。

 

それは、きっとこの場にいた従者二人にしか見ることを許されない表情なのだろうが…きっと、今までで一番安心した表情をしていたことだろう。

 

従者に手を引かれ、狭く息苦しい閉鎖されたコンテナから飛び出て…

 

これまでずっと『頑張ってきた』少女に与えられた、暗い場所からの脱出。

 

それは、いくら『罪』を与えられた少女であっても、決して奪われることのない確かな『暖かさ』を孕んでいたことにまず間違いはないだろう。

 

 

 

「あぁそうだ、お嬢さま、お渡ししなければいけないモノが。」

「これを…お嬢様の師、【黒翼】からの預り物です。」

「え?先生が…?」

「はい…これを。」

「手渡すように、と。」

 

 

 

そして、明るい場所へと出てすぐに…従者からヒイラギ手渡された、布に包まれた一つの物。

 

何も持たず…それこそ、自分のデッキすら手放すことを余儀なくされた、『何も持っていない』ヒイラギへと与えられた、師からの贈り物。

 

 

 

「あ、こ、これって…」

 

 

 

―それは…

 

 

 

 

「デュエル…ディスク…」

「渡せば分かるとのことです。」

「お嬢様に渡してくれ、と。」

「…え?」

 

 

 

一見すれば、型の古いもう販売されていないデュエルディスク。

 

機能性も低い、あるのはデュエル機能と電話機能程度の、この世の中では時代遅れの旧型のデュエルディスク…

 

 

―しかし、彼女にはわかる。

 

 

従者の言った、『渡せば分かる』という意味も…なぜ師が、コレを渡してきたのかも。

 

 

慣れた手付きで、数度画面を操作して。

 

 

こんな、今の子どもでは見たことの無いような時代遅れのデュエルディスクでも、ヒイラギには操作の仕方がわかっているのだ。

 

 

 

…そう、これは紛れも無い、彼女が師の元に居た時に使っていたデュエルディスクと、同じ型のモノだったのだから。

 

 

 

―そして…

 

 

 

「…ぁ」

 

 

 

 

 

―そこには。

 

 

 

 

 

 

「これ…先生の……ばん…ごう……」

 

 

 

 

ただ一つ登録されている番号。

 

 

何気ない、ただの電話番号。

 

 

しかし、ヒイラギにだけは理解できる唯一つの番号。

 

 

 

 

 

―これは、『繋がり』

 

 

 

師の元を去った『あの時』と同じ。

 

 

言葉と態度で突き放しても、『コレ』がある限り繋がっているのだという…

 

 

最後の最後に、『頼っていい』のだという…

 

 

師から弟子への、紛れも無いメッセージ。

 

 

 

「あ…ぁぁ…」

 

 

 

 

涙が、溢れる。

 

 

全て無くして…

 

何とか生き延びて…

 

そして再び得た『大切な人達』を、再度無くす覚悟までしたこの紫魔 ヒイラギという少女。

 

そうまでして自分を犠牲にし、全てを守りきった少女の目に、止めどなく溢れる純粋な『涙』。

 

 

 

 

―誰も、この少女の涙を止めることなど出来ない。

 

 

―誰も、この少女を責めることなど出来ない。

 

 

静かな夜の海と、鈍く響き渡る汽笛の音と…

 

 

 

「あばよ…ヒイラギ…」

 

 

 

静かに放たれた小さな師の言葉が…

 

 

 

全ての感情を乗せて、雄大な海へと、消えていった…

 

 

 

 

 

―こうして、決闘市を騒がせた『異変』の全ては収束した。

 

 

 

 

 

誰も犠牲になど…そう、『本当の意味』での犠牲など出ずに…

 

 

 

 

 

…季節は、変わる。

 

 

 

―冷たく寒い冬から、暖かな春へと。

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 






次回、遊戯王Wings


第一章、最終話


『門出の唄』


近日、更新です。
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