遊戯王Wings「神に見放された決闘者」 作:shou9029
「なんでゆーらに会っちゃいけないの!?意味わかんない!」
突如として父から告げられた忠告に、憤慨の意を明らかにしながら、ルキはその幼くも曇っていない眼で父を睨みつけていた。
それはまるで、実の父すら『敵』なのだと言わんばかりの剣幕。
今にも家を飛び出して行きそうな危うさを滲ませているルキの勢いは、つい先日、世界中に駆け巡った『Ex適正を持たない少年』のニュースに対する驚きと相まって、じっとしていることが出来ないかのようにも見えることだろう。
また、そのニュースの直後から決闘市中が、コレまでの遊良の事を全て忘れてしまったかのように掌を返して遊良の事を蔑み馬鹿にし始めたことが、更に少女の驚愕となっていて…
そんな、未だ納得のいかない鋭い剣幕のままでいる幼い娘へと向かって、父はしどろもどろになりながらも再度その口を開いた。
「ゆ、遊良君はね…Ex適性がなかったんだって…そんな彼と一緒にいて、もしルキのEx適性まで消えちゃったら…」
…事実無根。
誰が流した噂なのか、まるで感染症の原因とでも言わんばかりに天城 遊良に近づくことを禁じ始めた親たち。その噂は瞬く間に決闘市中に広まり、今ではその噂を本物だとして信じきっている者も居るというではないか。
無論、これまで遊良と深く親交があった高天ヶ原家からすれば、そんな噂など取るに足らない、下らない妄言に過ぎないということは充分に理解はしているのだが…
今この決闘市で、いや世界中で騒がれている『Ex適正の無い』ただ一人の少年に対する批評や批判、憶測や推測、噂や嘲笑が途絶える気配も無く、寧ろどんどん大きくなって来ているというその事実。
このまま天城 遊良と自分の子を一緒に居させれば、我が子にまでその被害が及ぶかもしれないというその畏怖。
ここまで世間を騒がせているという今の決闘市の現状を見れば、遊良本人だけではなく彼を取り巻く周囲にまで酷く影響を及ぼす可能性があると言うことは遊良と仲の良かった子を持つ親ならば容易に想像出来ることであり…
…それに対して、ルキの父が急遽考えることの出来た対応はその他大勢の親と同じ。
他の親達のように遊良の事を悪く言って嫌わせるか、遊良に近づくことは危険な事なのだと言うことを、どうにかして娘に言い聞かせるしかルキの父には娘を守る手段が思いつかないのだ。
ルキを、遊良に近づけさせないようにすること…ルキを、遊良から出来るだけ離させることだけしか。
「だ、だからさ、ルキ…しばらくは他のお友達と…」
言いたくも無い警告、したくも無い忠告。ルキの父のその苦悩は、言葉に出せなくとも表情として確かに滲み出ている。
―それが、娘とは全く関係の無い少年だったならばどうでも良かった。
その少年が自分達とは全く関係の無い、面識もなく見捨てることに何の抵抗も覚えない、心の底からどうでもいいと思える少年だったならば、こんなに心を痛めずに済んだと言うのに。
…どうして、ソレが天城 遊良だったのだろう。
全ては自分の子どもを守る為とは言え、これまでの遊良をルキと一緒に近くで見てきたルキの父もまた、忠告の言葉の一つ一つに胸を刺されるような痛みを覚えており…
言いたくも無い娘への忠告は、自分の心までをも裏切っている感覚となって突き刺さり続けていて。
…それでも、言うしかない。
それが例え、娘の命の恩人なのだとしても…今の街の『天城 遊良を排除せよ』という風潮の中に、父が手放しで娘を放り込めるわけがないのだから。
「知らないよそんなこと!だったらたかやなんかとっくに消えてるし!何でそんなことでゆーらが苛められなくちゃいけないの!意味わかんない!」
「だ、だから…こ、このままだとルキだってまた危ない目に遭うかもしれな…」
「じゃあゆーらは危ない目にあってもいいの!?どうして私はダメでゆーらは良いの!?どうして!?」
「だ、だからね、それは…」
しかし、ルキは決して怒りの剣幕を緩めることなく父へと攻寄り、益々その怒りを増していくだけ。
そう、いくら父が言いくるめようと尽力した所で、ルキが遊良を見捨てることは決してありえないのだ。
例え世界中が遊良の敵に回ったとしても、自分だけは絶対に遊良の敵に回るつもりは無いと言わんばかりにルキの決意は固く…
以前自分が誘拐された時、命の危険を冒しても自分を救い出してくれた遊良のことを、ルキが見捨てられるわけがないのだから。
…遊良にEx適正が無かったことが、一体何だと言うのだ。
Ex適正など関係のない幼等部では、鷹矢以外は誰も実力で遊良には勝てない癖に。どうして、皆は遊良を弱者のように扱い、どうして遊良の事を悪く言うのだろう。
悔しさと哀しさに挟まれたルキの瞳は、目元に薄っすらと浮かび上がる小さな雫と共に、遊良を弱者として見放す街の人間達へと怒りとなって今にも零れ落ちそう。
―自分を救ってくれたヒーローの、一体何が悪いというのか…と。
そうして…
「ゆーらは私の事助けてくれたじゃん!私行くから!ゆーらのとこ行くから!」
「あっ、ま、待ちなさいルキ!」
「うるさい!パパなんて大っ嫌い!」
父の制止を振り切ったルキは、感情のままに家を飛び出すと…
そのまま、全速力で街の方へと駆け出していった。
―…
「ゆうら!おい!おきろゆうら!」
あまりに酷い惨状となっている室内、その荒れ果てた『天城家』の中でのこと。そこで意識を失い倒れている遊良を発見した鷹矢は、大声を上げて遊良へと呼びかけていた。
この『騒ぎ』が起きてから、一向に連絡が取れなくなった遊良とその両親。その双方の身を案じた鷹矢と父が、家の者が止めるのも聞かずに共に屋敷を抜け出してここまで様子を見に来たのだが…
しかし、まさか彼らも『天城家』がここまで酷く荒らされているとは思いもよらず、その中で遊良が衰弱して倒れているだなんて考えもしなかったことだろう。
…体温が低く、呼吸も弱く、傷と痣だらけのその体。
遊良のその状態は、幼い鷹矢の目から見ても明らかに危険だというのが見てわかる程に傷付いていて…今にも命の灯火が消えてしまいそうな程に衰弱したその姿は、鷹矢が見知った遊良の姿とはかけ離れたモノだったに違いなく。
そんな変わり果てた遊良へと、鷹矢は必死になって呼びかけ続ける。
「ふざけるな!おいゆうら!寝るな!寝たらしぬぞ!」
「おい馬鹿!そんなに揺らすんじゃねぇ!」
「じゃあどうすればいいと言うのだ!どんどん冷たくなっているのだぞ!?このままゆうらを放っておいたら…」
「わかってんだよそんなことは!おい、どういうことだ!なぜ救急車をよこさない!」
『で、ですから…あ、天城 遊良の搬送は許可出来ないと…その、上から言われていまして…』
「あぁ!?それが病院のやることか!いいからさっさと…」
『し、失礼いたします!』
「あ、おい!…ぐっ、ヤブ医者共がぁ!」
また、その後ろで苛立った様子を隠さずに電話越しに声を荒げた鷹矢の父、天宮寺 正鷹。
この混乱が生じてすぐに遊良の身を案じた彼もまた、鷹矢を伴い明らかに危険な状態である遊良を見つけ、すぐに手を打つべく救急の電話をかけていたのだが…
いくら救急車の要請をしようと、病院側から帰って来る返事は常に同じモノ。『天城 遊良の搬送は許可出来ない』の一点張りで、話が通じず、許可が出せないからと救急車を寄越すこともしてくれない病院側の対応に怒りと焦りで声を荒げはするものの、現状は刻一刻と悪くなっていくだけ。
それが、医療倫理から外れた非道な行いであることはまず間違いないのだが…それ以上に頑なに、誰も遊良を助けようとする意思が医師たちからは全く感じられず、どの病院も決して遊良の受け入れを容認しようとはしてくれなかった。
「ゆうら!おい!どうしたのだ!はやくおきろ!起きて俺とデュエルだ!まだお前とはけっちゃくがついていないだろうが!おい!」
そんな中、このまま黙って遊良を見殺しになど出来るはずがないと言わんばかりに、その幼い声で必死になって遊良へと呼びかけ続ける鷹矢。
…家の者や親戚から、遊良との付き合いを止めるようにも言われた。
…いかに遊良がデュエリストの出来損ないか、嫌と言うほど熱弁された。
―しかし、それが何だというのだ。
他人が語る遊良など、自分には全く関係がないと言わんばかりに全てを突っぱねた鷹矢の心には、遊良にたかが『Ex適正』が無かったからと言う程度で今更変わるような柔な代物では無い。
生まれた時から一緒に居たのだ、一人で勝手に居なくなるなど許さない…と。
そう、いくら遊良の事がニュースとなって騒がれ、周囲の人間達が遊良への見方を突如として変貌させ好き勝手に遊良を語ろうとも…これまで遊良と過ごした時間と、遊良のその強さが無くなるはずないのだと知っている鷹矢だからこそ、他人に何を言われようと鷹矢が遊良を見捨てることなど絶対にないのだから。
「おい!おやじ!はやく医者をよべ!」
「わかってるって言ってんだろ!この辺りの医者は全滅だ…デカい病院はなおさら受け入れるわけがねぇし…」
そんな鷹矢の声に応えるように、どうにか遊良を助ける術が無いかと模索する父、正鷹。
しかし、こんな時だというのに頭の中には取るべき手段が何も出てこず。生まれた時からずっと見てきた盟友の子を、このまま見殺しになど絶対に出来ないというのに…そんな鷹矢と正鷹の声は益々焦りを孕んだモノへと変わって行き、それに伴い遊良の呼吸は弱くなっていく一方ではないか。
このままでは、遊良の命の灯火が消え行くのをただ見ているしかない。
名家だ何だともてはやされても、こういった非常事態に何の役にも立たない自分の家の名を悔やんでいるかのように父、正鷹の表情は苛立ちを深くしていくのみであり…自分の力の無さに苛立ちが募り、名ばかりの名家に憤りを感じ…
何がエクシーズ名家、天宮寺家。所詮は【黒翼】ただ一人の財と功績によってなりあがっただけの名の癖に…と。
そう…【黒翼】の…
「…いや待て…アイツなら…」
「おやじ!まだか!?ゆうらがしんでしまう!」
「…くそっ、もう悩んでいる時間はねぇ…」
そうして『自分の』力の無さに打ちひしがれそうになった正鷹の脳裏に、何かが唐突に思い浮かんだのか。
出来れば思いつきたくなかった手だと言わんばかりに苦々しい顔をしながらではあったものの、しかしもう後に引けないこの状況だからこそ自分の心苦しさなど気にしている場合ではないとして、その最後の『手段』を取るべく再度どこかへと電話をかけ始めて。
どこかの病院の番号ではない、個人的な番号の羅列を選び回線を繋げ…相手を呼び出すコール音が淡々と続き、一向に繋がる気配を見せない回線に苛立ちを感じながら。
そして…
「くそっ、さっさと出……ッ!?おう!俺だ、頼みがある!」
『…』
「チッ、黙って協力出来ねぇのか!こっちは非常事態なんだよ!」
『!』
「あぁ!?うるせぇ!いいからさっさと何とかしやがれ!テメェならどうにか出来んだろうが!」
『!』
やっと電話が繋がったと思ったその刹那、回線越しに喧騒が交差して。
頼みごとをしているのは正鷹の方だというのに、その言葉使いはお世辞にも頼みごとをしている方が取るような口調ではないものの…しかし、その相手が普段から話すら聞く耳を持ってはくれない相手、絶対に頼みごとなど聞いてくれるような相手ではないからこそ、正鷹もどうしても言葉を強くしてぶつかるしかないのか。
決して相容れぬ相手、犬猿の仲の相手であっても、今ここで遊良を救える可能性があるのならば何が何でもここで引くわけにはいかず。
そう、正規のルートでは全く話しを聞く気のない病院側に、自分程度がいくら正面から無理を言っても聞いてくれるわけがないことを正鷹は理解しているからこそ、無理やりにでも無茶を押し通せる力を持った人間にこうして恥を忍んで頼むしかないのだろう。
「さっさとしやがれ!このクソオヤジが!」
その電話越しからでも伝わる【黒翼】の暴力的なまでの声に、正面から立ち向かいながら…
―…
「…ぅ…」
ぼやけた視界に飛び込んできた、見慣れぬ白い天井。
重い体と鈍い思考の所為で、自分が今どうなっているのかなど幼い遊良には理解出来ないままではあったものの…独特の薬臭さと定期的に鳴る機器の音が、『ここ』がどこなのかをぼんやりと伝えてくる。
…どうして、こんな場所にいるのだろう。
体が動かないのが暴行と栄養失調による体内へのダメージの所為だということも思い出すことが出来ず、自分が何故病院で寝ていたのかを理解することが出来ないでいる遊良。そのまどろんだ気分は、自分の身に起きた出来事をわざと思い出さないようにしているのか。
そして…
遊良は何とか上半身を捻じり、鈍い痛みが走る体を少しだけ起き上がらせた…
…その時だった。
「あ…ゆー…ら?」
遊良の動きとほぼ同時に、小さな声が静かな病室内に落ち…その声が発せられたのとほぼ同時に遊良が声のした方へと視線をやると、そこには紛れも無いルキの姿があった。
…ベッドの脇の椅子に座り、驚いた表情をして。
そんな幼いルキは遊良が目を覚ましたことに驚きを見せつつも、徐に椅子から飛び降り一目散に入り口まで走り扉を開けると、外にいるであろう誰かへと大きな声をかけ始める。
「た、たかや!ゆーらが!ゆーらが起きた!」
「む!本当か!…まったく、やっと目がさめたのか!本当にひとさわがせな奴だ!」
「もー、たかやはまたそうやってイジワル言うんだから。」
「ふん、たすけてやったのだから感謝してほしいくらいだぞ。」
「えー…たすけてくれたのはお医者さんでしょ?」
そして、ルキの声に応じて部屋の中へと入ってきた鷹矢。
どこか軽口を叩いている鷹矢ではあったものの、その声からはにわかに安堵が滲み出ており…遊良が目を覚ます直前まで、鷹矢も病室に居たのだろう。平静を装ってわざと憎まれ口を叩いている鷹矢の言葉も、それが本心ではなく照れ隠しだというのがルキにも手に取るように理解できている様子で鷹矢へと声を返している。
そんな鷹矢は起き上がった遊良に近づいていくと、そのまま遊良へと向かって再び口を開いた。
「しかし、目がさめてよかったと言っておいてやろう。お前とはまだけっちゃくがついていないのだからな。」
「…」
「…む、ゆうら?どうした?」
しかし、安堵の声で話しかけてきた鷹矢とルキとは対照的に…
―遊良の表情は固まったままで…
「あ…あぁぁ…」
「ゆうら?おい、どうしたのだ…」
「…ゆーら?」
手が震え、汗が滲み、宙を彷徨う遊良の視線。
どこも見ていないような虚ろな目で、目まぐるしく視線を痙攣させている遊良の顔色がみるみる青ざめていき…
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
突然に、唐突に、発狂の如き声で叫びだしてしまった遊良。
その声は怯えに怯え、あまりの恐怖に自我を保てていないのが誰の目にも明らかなほどに悲痛なモノとなって放たれていたことだろう。
近くにあるモノを手当たり次第に、目の前に居る二人へと向かって投げつけ始め…
「いやだ!いやだいやだいやだ!」
「お、おい!どうしたのだ!?」
「きゃっ!?ゆ、ゆーら!落ち着いて!ねぇってば!」
「やめろ!どうしたというのだ!ゆうら!」
「い、いやだ!こっちに来るなぁ!」
何を言っているのかわからない。誰が話しかけているのかわからない。
今目の前にいるのは鷹矢とルキで、向けられている言葉も感情も自分を案じてくれているモノだというのに…今の遊良の濁った目には、見慣れたはずの友の顔すら自分を傷つけてくる敵としか認識できないのか。
怖い…ただ、怖い。
会うもの、見るもの、全てが敵。幼い遊良の負った傷は、体だけではなく心の奥深くまで傷付けてしまったかのように遊良へと食い込んでいて。
まるで、自分以外の全てを『敵』と認識することでしかその幼い心を守ることが出来ないかの如く暴れ、自分ではどうしようもない恐怖に必死になって抗おうとしているだけ。
そして…
「うわぁぁぁぁぁぁぁあ!」
「ま、まて!ゆうら!」
「ゆーら!?」
…半狂乱の叫びで混乱のままに、ボロボロの体を無理やりに動かして暴れたことでベッドから落ちた遊良は、怯んだ鷹矢とルキの間をすり抜けるようにして一目散に駆け出したかと思うと…
…恐怖に怯えた声で悲痛な叫びを漏らしながら、病院から逃げ出してしまった。
―…
行く当ても無い。味方も居ない。希望も無ければ未来も無い。
そう言われ続けた遊良の心は、既に原型を保っていないほどにボロボロであり…全ての人間が『敵』に見えてしまうその錯覚は、この幼い歳の子どもの目からすれば想像を絶する恐怖であったことに違いないだろう。
いや子どもでなくとも、例え大人であったとしても遊良の受けた恐怖は誰の心でも耐え切れるかどうか怪しいとも言える。
何せ、今まで生きてきた常識が反転し、味方だと思っていた者が全て敵へと回り…逃げ場も無くずっと傷つけられる日々を送らなければならないと考えただけでも、この先の未来に待っているのは純粋なる絶望しかないのだから。
…そして、その渦中にいきなり放り込まれ、右も左も分からない上に守ってくれるはずの両親まで無くし、挙句の果てに逃げ続けた果ての代償が『壊れる』ことなど、一体誰が味わいたいと言うのか。
…そんな時代が、確かにあった。
全てを拒絶し、生きることに意味を見出せず、何もせずに命を絶とうとしていた時期が。
鷹矢とルキにさえ拒絶を示し、もうどうしようもならない程に全てに怯えて拒んでいた、そんな時が。
これは遊良の身に起きた、紛れも無い事実。
この『無』の世界の中に浮かんだままの『今の遊良』が思い出させられた、確かにあった『過去』の出来事。
忘れていたわけではない。しかし、決して思い出さないよう心の奥底に仕舞いこんでいた記憶。
その後、鷹矢とルキの必死の訴えで、どうにか幼馴染二人にだけは拒絶を示さなくなったものの…
―あの頃、鷹矢が自分へと向かってくる『敵』の全てに牙を剥いて守ってくれていなかったら…
―あの頃、ルキが必死になって自分の命を繋いでくれていなかったら…
きっと全てを拒絶したまま、今まで生きてはいなかっただろう。
そんな思い出したくもなかった記憶を刻み付けられ、わざわざ思い出させるかのように見せ付けられ、かつて味わった絶望を再び思い知らされた遊良の心にはあの頃の痛みが再び蘇ってしまっているのか。
『努々忘れることなかれ…自分が一体何なのか…』
そして、『無』の中で浮遊している遊良へと再び聞こえてきた同じ台詞。
それは、先ほどは考える事も出来なかった自分自身が何者なのかという問いに対し、わざわざ『こんなモノ』を見せたということから、世界にとって『天城 遊良』とはどういう存在なのかということを嫌でも刻み込もうとでもしているのだろうか。
(俺は…)
しかし、決して思い出したくも無かった、心の奥底へと封じ込めていた果てしない絶望を思い出し、あの頃の悲痛を無理やりに見せられた遊良には『一つ』の答えが浮かび上がってきている様子。
決して認めたくない事実。しかし思い知らされ、思い出させられ、思い込んでしまいそうな解が今、遊良の心に浮かび上がってきて…
(俺は…Ex適正の無い…)
今までずっと抗って、絶対に認めたくなかったその思い。
馬鹿にされ、蔑まれ、罵られ、侮辱され、いくらデュエルの腕を磨いてもExデッキを使えないということだけで実力を認められなかった過去。それでもそれに抗うように、未来永劫Ex適正を捨てる代償に【堕天使】を得て、もう後戻りすら出来なくなったからこそ前に進むしか遊良には出来なかったというのに…
否応にもその『答え』を遊良が自覚してしまった時、得も言われぬ虚無感が遊良を包み始め…まるでこの『無』の世界の中に、『自分』という存在全てが飲み込まれ霧散していくような錯覚が昇ってくるではないか。
徐々に『無』の中へと溶けていく意識。それに対する恐怖は最早遊良には無く、心に穴の開いた虚無感が昇り、まるで自分が消えていくような感覚に飲み込まれていく。
そうして…
(デュエリストの…出来…損…)
見せ付けられた絶望から、遊良が己の全てを諦め認めかけた…
―その時だった。
―!
(…あ…この…声…)
全てを諦めかけたその時、全てを受け入れかけたその時。
決して『音』など聞こえないようなこの『無』の中において、遊良の耳に確かに聞こえた『咆哮』。
(…これ…は…)
ずっと聞いてきたような、とても懐かしいけれども常に傍にあったと思えるような…それはきっと、絶望を思い出し、全てを受け入れ、何もかも諦めて『無』の中に消えていこうとした遊良の『諦め』を、否定しているようにも聞こえたことだろう。
自分を呼んでいるその叫び、諦めて消えることなど許さないかのように轟く咆哮。
その『獣の咆哮』が遊良へと届いた時、遊良の溶けかけていた意識は徐々に形を取り戻していく。そして、自分の体の感覚が少しずつ戻ってくると共に…
(…落…ち…)
―不意に生じた重力が、『無』の下へと落ちていく感覚となって遊良の意識を引き寄せていた。
―…
(……ら…。ゆ…ら…)
暗闇の中。とても遠いところから、確かに自分を呼んでいるような気が遊良の耳へと届いていた。
―何度も何度も、必死になって呼びかけているような…そんな声。
どこから呼んでいるのか、そんなことなど遊良には理解出来ないものの、その声がする方へと意識を向け始めると徐々にその声が近くなってきているのが分かり…
それが『誰』の声なのかを判別できるほどに意識が声へと近づいた時、感覚を感じなかった自分の体が『誰か』に揺さぶられていることを遊良ははっきりと自覚して。
「…ね……ゆ…ら…」
そして…
その声の主が『ルキ』なのだと遊良が認識できたその瞬間。
自分を呼び続けているルキの声に従い、靄のかかっていた意識がはっきりとしてくるのを感じながら、遊良はゆっくりとその重い瞼を開き始めた。
「…ぅ…」
「遊良!?目が覚めたの!?」
「ル…キ…?」
「あ…よ、よかった…よかったよぉ…」
小さな呻きと共に目を開けたその瞬間に、遊良の目に飛び込んできたルキの顔。
その緩んだ声を漏らしたルキの表情は、遊良が目を覚ます直前まで不安と動揺で涙を流していたのだろうか。
薄っすらと見える涙の跡は、まだ渇ききっていないことからどれほどルキに心配をかけてしまったのかを遊良に理解させるには充分であり…そんな目を覚ました遊良を見て、気を張り詰めていたであろうルキの顔が急速に安堵に崩れていく。
「ねぇ大丈夫なの!?どこも痛くない!?気持ち悪かったりしない!?ねぇ!」
「…大…丈夫…。うっ…」
そして、目を覚ましたばかりの遊良に対し、ルキは心配そうな声を矢継ぎ早に繰り出して。
そのルキの声に応えるようにして、起き上がろうと身を捩ると全身に鈍い痛みが走ったのか遊良は小さく呻きを漏らしてしまい…
「だ、駄目だよまだ寝てないと!遊良倒れてたんだよ!?」
「…倒れ…あ…俺…倒れてたのか…ここは…?」
その痛みが自分の身に起きた『何か』を思い出させ、先ほどまで見ていた『昔』の夢の所為で、『今』の現実との境界がどこか曖昧になっている様子の遊良。
自分が寝ていた『ここ』が、これまでずっと暮らしてきた『家』のリビングだということを認識するまで数瞬遅れてしまっていて…ソファ越しに窓の方を見ると、薄暗くなってきている外が見え、壁の時計の針と日付から『あれから』そんなに時間が経っていないということを何とか認識したのか。
そんな起きたばかりで上手く思考が回らない様子の遊良を、心から心配しているであろうルキが痛い程に真っ直ぐな視線を向けて覗き込んでくる。
「…中々帰ってこないから探しに行ったら、家の近くで遊良倒れてるんだもん…事故にでもあったのかって…大きな怪我はないみたいだけど、何かずっと苦しそうにうなされてるし…」
「それは…」
「周りにデッキまで散らばってたし…ねぇ遊良、何があったの?」
「…」
今にも涙を流しそうなほどに潤んだルキのその瞳は、遊良が目を覚ましたことで『最悪』の事態を回避したとは言え…遊良の身に『何か』が起こったことを悟り、再び不安を募らせてしまった様にも見えたことだろう。
…しかし、その真っ直ぐに見つめてくるルキの目に対し、遊良はとっさに目を背けてしまって。
…それは、無意識の反応。
そう、いつもならば直視できるはずのルキのその目が、何故かどうしても遊良には見ることが出来なかったのだ。
胸の内に渦巻く靄のような嫌な感覚が、どうしてもルキの顔を見ることを阻んできてしまい…その嫌な『違和感』が、何故か見慣れているはずの『今』のルキの顔を見ようとすることすら躊躇させてしまっているかのようであって。
…言えるわけが無い。何があったのか、自分の身に何が起きたのか。
突然現れたフードの男と、デュエルをして…
―『負けた』…だなんて。
しかも、ただの負けじゃない。
正体不明のフードの男、使い手を想像することすら出来ない『儀式召喚』を使ってくる相手、果て無き憤怒と空虚な虚無感が入り乱れた不気味な敵。
そんな相手と『実体化』したデュエルを行い、そしてあろうことかデッキが言う事を聞かず…いや、【堕天使】達が言う事を聞かず、何も出来ずに負けてしまったという事実。
…あの敗北の痛みは、遊良とてはっきりと覚えている。
全身が焼ける感覚、体が溶けていく感覚。
あれだけの苦痛が襲ってきた割には、今自分に残っているダメージの少なさには遊良も些か疑問を感じている様子ではあるが…味わったことのない『本物』の苦しみは、あの燃えるような痛みの連鎖となって、本物の死の恐怖が迫ってきていたのだ。
それでも、余計な心配をかけてしまったことも、数ヶ月前におきた『異変』と同じような現象が再びこの決闘市で起きてしまったということも…いたずらにルキの不安と心配を煽ることになってしまうからこそ、どうしても遊良は言えないのだろう。
「…な、なぁ、そういえば…鷹矢は?」
そして、どこか無理やりに話を変えようとでもしているかのような口調で、この場に居ない鷹矢の事を思い出したかのようにルキへと問いかけた遊良。
…そう、ルキの力では自分をここまで運び込むことなど無理なことであり、外で倒れていた自分をこの家のリビングまで運んだのは間違いなく鷹矢だと言うことは言われるまでもなくわかっていること。
そうだと言うのに、この場に居るのはルキ一人だけであり…シャワーの音や二階の自室に居る気配も無いことから、まさか外食よりも遊良の飯を食うことが生きがいのあの食いしん坊がこの時間に居ないということがどこか遊良には引っかかったのか。
「…え、あ…遊良を家の中に運んだ後、急いで外に飛び出て行っちゃったよ…何か、凄く怒ってるっぽかった…」
「………そうか…」
…しかし、ルキからそう聞いた瞬間に、遊良は嫌でも理解してしまった。
きっと鷹矢は、カードをばら撒いて倒れている自分を見て、ここで何が起こったのかを直感的に理解してしまったのだろう、と。
生まれてからずっと自分と共に過ごしてきたのだから、詳細まではわからなくともその『異常』な場面から遊良の身に起きた出来事とその『異常性』を、鷹矢が断片的に理解してしまったとしてもそれは鷹矢であれば何の不思議でもなく…
そして、先日鷹矢は言っていた。登校途中に遭遇した、人が『消えていた』という場面に、偶然遭遇してしまったというあの話。
デュエル直後の様な残り香と、周囲にカードが散らばり服だけが人の形となって残り…まるで人間だけが『消滅』していたと思われるようなその『異様』な場面を、鷹矢は見たらしいのだ。
―その鷹矢から聞いた話と、自分が倒れていた場面のあまりの酷似。
そう、それは今この決闘市に起きている不可解な失踪事件の根幹。あの全身が焼けるような痛みと、体が溶けていくような感覚はきっと錯覚ではなく…デュエルに敗北したことによって、本当に『消えかけていた』のだろうということを遊良は悟ってしまって。
証拠もなければただの憶測、しかし推測と言うには過ぎた確信。
それがあの『フードの男』によって引き起こされたことは先ず間違いなく、どうして他の失踪者と違い自分だけが無事で居られたのかなど遊良にはわからないものの…それでも、再びこの決闘市に『何か』が起こっているというこの事実と、自分が負けてしまったという事実は変えられないことだろう
「…ねぇ、遊良…あ、あのさ…」
そんな沈んでいく遊良の雰囲気を察したのか、再度自分から遊良へと言葉を発したルキ。
その言葉は明るいモノではなく、目を覚ましたばかりの遊良へとかけるには少々暗い雰囲気を纏っているようもにも聞こえたことだろうが…そのルキの言葉の中には、多少暗い言葉でも遊良へと伝えなければいけないという意思が宿っていて。
「遊良が倒れてた場所に落ちてた…その…遊良のカード、なんだけど…」
「…あぁ。」
「その…全部、回収してきたんだけど…えっと…」
「…悪いな…サンキュ。」
「そ…それで…その…ちゃんと…さ、探したんだけどね…」
…それは、遊良が倒れていた周囲に散らばっていた彼のカードを、余すことなく全て回収してきたというルキの報告。
言いにくいことではあるのだが、それでも遊良自身に関わることなのだから伝えておかなければならないのだとしてその声はどこか言いにくそうにして発せられ、言葉を詰まらせながらも慎重に遊良へとかける言葉を選んでいるかのようにも聞こえ…
どうにか、ルキは言葉を繋げるのみ。
「あのね…【堕天使】のカードだけ…どこにも無いの…」
悲痛と沈痛、配慮と苦悩。
…そのあまりの言い難さを全面に押し出しながら発せられるルキの言葉は、彼女自身からしてもソレが信じられないと言わんばかりに遊良へと伝えられていたことだろう。
ルキにしてみれば、遊良が何者かに襲われ、そして【堕天使】のカードが盗まれたのかもしれないという不安ももちろんだが、そうでなくとも『今』の遊良の要のカードである【堕天使】は、自分と鷹矢を助けるためとは言え遊良がこれから先に得られたかもしれない『Ex適正』を捨て去った代償に、文字通り身を削って得たモノ。
『今』の遊良の思いはどうあれ、過去に遊良がどれほど『Ex適正』を渇望していたのかを見てきたルキからすれば…遊良の【堕天使】のカードが無くなってしまった事に対し、どうしても平静ではいられない。
「…そうか。」
「え?そ、『そうか』って…」
「…別にいいんだ。もう…別に。何となく、そんな気がしてたから。」
そんな心苦しそうにそう言ったルキに反し…
遊良はまるでソレが分かっていたかのような顔で、静かに俯いたままルキへと言葉を返すだけ。
「そんな気がって…ね、ねぇどうしたの?だってどれも遊良の大事なカードじゃん!それを別にいいなんて…だってさ!【堕天使】が無いと遊良のデッキ無くなっちゃうんだよ!?」
「…そうだな。でも、もういいよ。もう、どうでも…」
「遊良…」
その諦めが混ざっているような遊良の声は、ルキに驚きを隠せない表情を顕にさせてはいたものの…まさか彼女も遊良の口から、『こんな言葉』が飛び出してくるなんて信じられなかったのだろう。
…そう、今の遊良の雰囲気は、ルキの目から見ても明らかに『異常』。
師となった【黒翼】のおかげで、その『諦め』がどれほど無意味で無価値なモノなのかを思い知ったはずだと言うのに…その全てを『諦めて』しまっているかのような今の遊良は、まるで『昔』に戻ってしまったかのようではないか。
「だ、駄目だよそんなの!やっぱり遊良おかしいよ!だって…だって【堕天使】は遊良が…」
過去の遊良の絶望を、これまで一番近いところで見続けてきた彼女からすれば今の遊良の姿ただただ悲痛。
その全てを諦めかけている今の遊良の雰囲気は、まるで遊良が遊良で無くなっていくような恐怖をルキへと与えていて。
そんな、とっくに振り切ったはずの過去に再び囚われそうな遊良など、絶対に認めるわけにはいかないのだと言わんばかりに…ルキは、沈んでいくばかりの遊良へと向けてその声を荒げるのみ。
「私、もう一回外いって探してくるね?風で飛ばされちゃったのかも知れないし、近く探したら絶対に…」
「いいって言ってるだろ!もう放っておいてくれ!」
「あっ…」
…しかし、突然放たれた遊良の怒号の大声に中てられ、思わずたじろいでしまったルキ。
心臓が跳ね、息を呑み、体が急速に冷たくなる嫌な感覚を感じながら…その遊良らしからぬ、あまりの苛立ちを孕んだ大声はルキの心に鋭い針となって突き刺さり、その目に涙を浮かばせてしまう。
「…ご、ごめ…私…」
「あ…いや、その…ち、違うんだ…なんて言うか…その…ど、怒鳴るつもりなんて無かったのに…俺…」
とは言え、そんなルキに対し、遊良の方も自分で出した声に驚いた様子を見せていて。
…今、自分はルキに何を言ったのか。
大声なんて出す気はなかった。ルキに怒鳴りたいわけもなかった。しかし『過去』の夢なんて見た所為か、何故か嫌な感情が溢れ出し…自分で自分がわからなくなる感覚が遊良を苛み、どこまでも自分の心を沈ませようと纏わりついてきているこの嫌な感情。
見たくも無かった『過去』の夢が、『今』にまで浸食しているような不快感、ソレがどうしても遊良の心をざわつかせ、涙を浮かべているルキへの罪悪感と共に更に遊良を追い詰めるだけ。
そうして…
決して認めたくないはずの醜い感情が、容赦なく遊良の心を苛み始めた…
―その時だった。
「…何を騒いでいるのだ、騒々しい。」
喧騒が沸いたリビングに、静かで重い聴きなれた声がドアの方から響き…
ドアが開いたそこには、外から帰ってきたらしい鷹矢が立っていた。
「鷹矢…」
「遊良、目が覚めたのか。随分とうなされていた様だった…が…む?」
そうして、静かにリビングの中へと入ってくる鷹矢。
目が覚めた遊良の顔を見た瞬間、一瞬だけ顔をしかめたような雰囲気を鷹矢は醸したものの…ゆっくりと、遊良へと向かって近づいてくるのみ。
しかし、鷹矢の無表情のその奥に、どこか静かな怒りが渦巻いていることを遊良は感じたのか。ソファから降りて立ち上がり、近づいてくる鷹矢と目線を同じくして遊良は声をかけて…
「鷹矢…悪いな、迷惑かけ…」
そう、遊良がそう言いかけたその刹那…
―鷹矢の拳が、振り上げられた。
―!
「ぐっ!?」
突然の殴打、いきなりの急襲。
鷹矢に盛大に殴られてしまし、その勢いのまま遊良は後ろへと殴り飛ばされてしまって。
「鷹矢!?い、いきなり何するの!?」
「煩い!…それより遊良!何だその目は!何故お前はそんな目をしている!」
「…目?」
「その目は…ガキの頃の目だ。そんな弱い目で…そんな目で俺を見るんじゃない!」
「何なんだよいきなり…意味わかんねーぞ…」
それに驚いたルキがすぐに遊良へと駆け寄ったものの…鷹矢の拳は確かに遊良を弾き飛ばし、遊良を貫くその怒号は抑えられるはずのない代物となってリビングを軋ませるほどに重く放たれていたことだろう。
…しかし、この鷹矢の叫びの中に、微かな遺憾があったことをこの時の遊良は気付けていたのだろうか。
鷹矢が、何故ここまで怒りを顕にしているのか。
あれほど手に取るように分かる鷹矢の感情すら『今』の遊良は理解することが出来ず、それすら理解できぬ今の自分の『異常さ』にも、遊良は気付けていないままで…
そんな遊良を怒りの目で、鷹矢は更に言葉を連ねるのみ。
「ふん!倒れているお前と、今のお前を見て何が起こったのかは大体予想が付いた。だが、この際『何』が起こったのかなど問題ではない!」
「…」
「『何』が起ころうとも、『誰』が現れたのだとしても!そんなことよりもお前がそんな目をしていることが何よりも気に食わんのだ!…今更、そんな目に戻ることなど…そんな目をしている奴の顔など、これ以上見たくも無いわ!」
「ちょっと鷹矢!?ど、どこ行くの!?ねぇ!?」
「黙れ!こんな目をしている奴とはもう暮らせん!俺は出て行かせてもうらう!」
そうして…
遊良の思考が追いつかぬまま、怒り狂った勢いのままに鷹矢はこの家から出て行ってしまった。
…
流れる沈黙。
頬を脈打つ鈍痛は、鷹矢の怒りがまだ『そこ』に残っているかの如く…いつまでも、遊良の頬を痛ませたまま。
―鷹矢は言っていた、『その目は…ガキの頃の目だ』、と。
鷹矢も、ルキも…その他も全て拒絶し、世界から逃げ出した濁った目。絶望に捕まり、逃げ出すことが出来なかった弱かったあの頃。全てに絶望していたあの頃には、確かに鷹矢とルキのことさえ拒絶し、『Ex適正』を持っている二人のことを恨めしく思ったことさえあった。
そう、それを、その目を、『今』の遊良がしていたからこそ鷹矢は激昂したのだ。しかし、もうソレを克服したと頭では分かっているからこそ、遊良は今の自分が一体どんな目をしているのか分からない。
そして、しばらくの沈黙の後…
遊良は頬を押さえていた手を下ろし、すぐ横で同じく沈んでいる様子のルキへと向けて声を発した。
「…なぁ、ルキ…」
「…何?」
「俺の目…そんなに酷い目してるか?」
胸に渦巻く感情が、ルキの顔を見ることすら憚ってくるものの…『今』の自分の状態を、主観的にも全くわかっていないからこそ遊良はざわつく心を抑えて、ルキの顔を真っ直ぐに見据えて。
気を失っている間に見た、『昔』の夢の自分がしていたあの目…鷹矢もルキも、その他の全ても拒絶していた、世界を映さぬ濁った目。そんな目を今の自分がしているだなんて、遊良には信じられないのだ。
そんな遊良の目を見つめて、ルキは静かに言葉を選ぶ。
「…うん。鷹矢の言った通り…遊良の目…凄い悲しい目をしてる。」
「…」
「何か、本当にあの頃の遊良に戻ったみたい…私の事も、鷹矢の事も見てない目をしてるよ…」
「そうか…」
ルキから告げられた言葉が、遊良の心を更に苛む。
確かに、とっくに打ち勝った『弱さ』に再び遊良が捕まっていれば、鷹矢が激昂するのも無理はないだろう。
ルキの目から見ても、今の自分の目は酷く濁ったモノとなっていると言うのだから…鷹矢の激昂とルキの言葉から、目が覚めてから胸の内にざわついて離れないこの『嫌な感情』の正体が遊良にもボンヤリと理解出来てきたのか。
…そう、気を失っている間に見た『昔の夢』が、再び鷹矢とルキのことを拒絶させようとしているのだと言う事を。既にあの頃の絶望など、克服したはずと言うことを遊良も頭で理解しているからこそ自我と無意識が混ざり合い、心がこんなにもざわついてしまっていたのだ。
それが『フードの男』に負けたから見たモノなのか、それとも夢の中で何度も聞いた『ある声』の所為なのか。そんなことは遊良には分からないままではあるものの、だからこそこんな『昔』の弱さに『今』になって再び捕まってしまった自分など、戦うに値する存在ですらない。だから傍に居るつもりもないと言わんばかりに、鷹矢は出て行ってしまった。
(どうすりゃいいんだよ…)
鷹矢が出て行き、ルキには怒鳴ってしまい…その上【堕天使】のカードまで無くし、まるで全てを失ってしまったかのような錯覚に陥りながら、これから先のことが何も考えられなくなってしまう遊良。
【堕天使】のカードが消えた。それはきっと、『フードの男』とのデュエルで【堕天使】が使えなかったことにも関係があるのだろう。そして鷹矢が自分に激昂し家から出て行ってしまったことと、ルキにも感情のままに苛立ちをぶつけてしまい拒絶しかけたことが相まって、どんどん世界から締め出されていくような錯覚すら覚え始めてしまって。
…全てを失う絶望は、もう嫌と言うほど身に染みている。
また『あの頃』のように一人になってしまったらと思うだけで、更に深い恐怖が遊良を襲い…
「傍に居るから。」
「…え?」
「私は…傍に居るから。…遊良を一人にしないって、子どもの頃に決めたから。だから、私…私は…」
「あ…」
しかし、そんな沈んでいきかけた遊良にかけられた、ルキの言葉。
濁りかけている遊良の目を真っ直ぐ見据え、決して逸らすことなく見つめてくるその強い決意が篭った目は、遊良が今どんな言葉をかけて欲しかったのかをわかっていたのだろうか。
また、そのあまりに強いルキの目は、彼女の言葉が単なる口先だけのモノではなく…何があっても遊良の傍に居るという強い意思を、遊良に分からせるには充分なモノ。
その心からのルキの言葉が、絶望の中にあった『あの頃』の中でもルキがずっと横に居てくれたという記憶を遊良に思い出させ、真っ直ぐに見てくるルキの目は、『あの頃』とは違うのだということを確かに『今』の遊良に示している。
…もしもあの頃、ルキが居なかったらとっくに命を投げ捨てていただろう。
だからこそ、こんな自分の傍に居てくれる人の存在はどこまでも遊良の心に支えとなっていて…そんなルキの顔を今度は逸らすことなく、遊良は泣き出しそうになるのを必死に押さえながら…
「…ありがとな。」
「うん。」
「あと…怒鳴ってごめん…」
「…うん。」
…思い出したくも無い『過去』の夢を見た。
けれども、絶望の中にあった『過去』とそれを乗り越えた『今』は違う。
いくら『あの頃』の記憶が再び自分を絶望の中に落とそうとしてきても、一度乗り越えたのだからまた捕まるわけにはいかない。これからの事への不安が募る中で、先の見えない不安が圧し掛かりながら…何とかそう思うことで、『過去の絶望』に引きずり戻されそうな恐怖から遊良は必死に抵抗し、靄のかかっていた思考が少しずつではあるが晴れてくる。
そんな。もう決して『あの頃』に戻りたくない、戻ってはいけないという意思を強く持ちながら…
…遊良は、どうにかこれから先のことを考え始めていた。
―…